このブログに掲載されている「英雄の屍」の著作権は、管理人である北野ふゆ子に属しています。ブログはリンクフリーですが、無断転載、引用など、著作権侵害にあたるご行為はおやめ下さいますようお願い申し上げます。

Yahoo Messenger
お気軽にお声がけ下さい


others

北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



超・長編小説同盟に参加しています。

私はClubA&Cに加盟しています。よろしければご感想をお聞かせ下さい。私も貴方の作品の感想をお送りさせて頂きます。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

このページの先頭へ
押印師ACT9-13
13

「先生、戻られないね」
 朝食が済み、片付けられたテーブルの上にはこの部屋の主である「大先生」分の料理皿が置かれている。かけられたラップの内側は、湯気による細かい水滴が膜を張っていた。玄関方向に視線を向けたグレンの独語が、薬草茶を用意しているミソラの元に届く。
「いつもこうです。お気になさらないで下さい」
 カップから立ち上る湯気が、室内に清んだ香りを運ぶ。姉のアムリが得意とする薬草茶とは香りが違うなと、イルトは何の気なしに思った。
「出発前に、諸々のお礼やご挨拶していきたいんだが」
「必要ありませんから。お金もいりません」
「そういう訳にはいかない。君にも先生にもとても丁寧な対応をして頂いた。いわば命の恩人であるし」
 グレンは包帯を巻かれた腕に手を添える。炎症もなく、痛みもほとんど治まっている。治療中は、神経が傷つけられる事もなく、痛みも少なかった。
「忘れたんですか?父は小動物専門。私もまだ無免許。お金なんて受け取れないんです」
 茶を注ぎ終わったポットをテーブルの中央に置いて、ミソラも席についた。一昨日にイルトが口走った言葉を気にしている、という様子でもなく、本心からのポリシーなのだろう。
 だがグレンからは、ミソラの言う「小動物専門」とは単に公に所持している免許の有無だけ問題であるように思えた。現に「小動物診療所」と名乗っていながらここには、小動物用設備が一つも見当たらず、この二日間で一匹も小動物が持ち込まれていないのだから。
「それよりお二人とも」とミソラの声が続く。音に少し、戸惑いが含まれていた。
「ここを出たら、ACCに行くのですか?」
「……」
「最終的にはね」
 イルトが言いよどみ掛ける隣で、グレンからすんなりと答えが出される。答えを渋る方が逆に相手を訝しがらせると、瞬時の判断だった。
「すみません、私さっき少しお話を聞いてしまって。イルト君、本当に士官学校を受験するのですか?」
「ああ、一昨日決めたんだ」
 ミソラに警戒心を抱く必要などないと気がついて、イルトの面持ちは元同級生に戻っている。
「ずいぶん急ですね。イルト君らしいですけど」
「そこは自覚してる」
 カップを手にしながら照れ笑いを浮かべるイルトの前に、ミソラはスプーンのついたシュガーボックスを置いた。
「やりたい事って、決断する事や実現する事が大事なのであって、いつ見つけるかはそんなに大事な事じゃないと思いますよ」
 淡々と語りながらミソラはカップに口をつけた。淹れてたの茶は熱く、三回息を吹きかける。
「先生みたいな事言うよな、ミソラって。感心するよ」
「……」
 カップに口をつけたまま、ミソラは目を丸くする。イルトはまた無意識に呼称を「君」から名前に変えていた。本人は全く気がついておらず、呑気に笑っている。
「学校では何を勉強したいんですか?」
「地学や理学、だな」
 ここから二人の会話は、士官学校カリキュラムの話へ移り、次第に初等教育学校での昔話へと変わっていく。イルトが頭に浮かんだ思い出を次々と口にして、ミソラがそれに対して頷き、そして時々短い言葉を発する―という二人のやりとりを、グレンは静かに見守っていた。人との「対話」を心から楽しんでいるイルトを見て、
(この分なら士官学校でも上手くやっていけるだろうな)
 と思い始めている己に、グレンは内心で苦笑した。元々イルトは人好きのする人間で、尚且つ彼自身も根底に人見知りをしない人懐こい性質を持っている。頭も良く物怖じしない性格は集団生活に向いていそうだ。精霊の印や自分の存在を抜きにしても、彼は出世するタイプだろう。現在も軍に残留し、将官に昇格した友人と雰囲気が似ていた。
 彼のようなタイプなら、士官学校に入る事で逆に自分の手を離れていくかもしれない。持ち前の好奇心を活かし自分で、己が見たい世界を選ぶだろう。グレンはそう期待する事で同行を納得していた。
「こんな風に、誰かと長いおしゃべりするのって久しぶり」
 会話の合間に、ふとミソラが独語を零した。伏せられた両目がはにかみの色を燈していた。
「また士官学校でも、こんな風に話せるといいな」
「……え…」
 刹那、ミソラの面持ちに微量の戸惑いが浮かんですぐに消えたのを、グレンは見た。イルトは父娘喧嘩の事情を知る由もない。悪気が無いと分かっているので、ミソラは小さな笑みで頷いた。
「そうですね」
 心からそう思ったミソラの本音だ。
 卒業してから初めて会話を交わした同級生二人は、テーブルを挟んだ位置でお互いに微笑みあうのだった。
 だが、
「人の娘に余計な事を吹き込んだのはお前らか」
 そんな両者の間に存在していた穏やかな空気を蹴破る声の主が、まさに今、帰宅を果たしていたのである。
「お、とうさん!」
 いつの間に帰ってきたのか、診療所の主が玄関から繋がるリビングの入り口に立っていた。カップを倒さんばかりの勢いで、ミソラが椅子から立ち上がる。
「お父さん?あ、じゃあ先生か」
 対照的に、呑気な顔をして振り向いたのはイルト。グレンは表情を変えなかったが、カップを置いて静かに立ち上がった。
「もう用事が無いならさっさと帰ってくれ。これ以上おかしな入れ知恵する前にな」
 苦々しく吐き出して、大先生は書斎となっている部屋へ向かう。途中、背中を向けたまま足を止めた。
「受験の件だが、辞退の連絡をいれておいたからな」
「そんな…!」
 悲鳴に近い引きつったミソラの声と共に、今度は指先が当たってカップがテーブルの上を転がった。椅子が倒れるのを無視してミソラは父親の背中に詰め寄る。
「酷いです!何の権利があってそんな勝手な事をするんですか…っ」
「うるさい!勝手なことをしているのはお前だろうが!」
「いっ…!」
 振り返ると共に、父親の手がミソラの頬を直撃した。
「あ…!」
 慌てたのはイルトで、咄嗟に立ち上がり、よろけたミソラに駆け寄った。だが支えられる前に自らの足で態勢を立て直したミソラは、頬を押さえたまま父親に向き直る。
「お父さんはいつもそう…いつもどこかに行ってしまって、私の話を聞こうともしてくれないじゃないですか!」
「お前が医者になどと、そんなおぞましい話は聞く耳もたん!」
 父娘の罵りあいを前に、イルトは困惑するしかない。肩越しにグレンを見やると、彼はやはり表情を変えずに両者のやりとりを観察している。口を挟まないのは意図があるからだろうか。
「何故ですか……私、自信があります、絶対に受かってみせます」
「学費に回してやれる金なんぞ無い!」
 言い捨てようとする父親の背中に、ミソラは更に詰め寄った。
「お金だって、このために準備してきたんです、奨学金制度だってあります、お父さんには迷惑かけません」
「いいえ」と言葉を挟んで別の言葉でミソラは一気にまくし立てる。
「ここを出たらもうお父さんには関係のないことですから!」
「何だと…」
(うわ、こりゃ効いたな)
 決定的な一言だった。傍から見て、父親の面持ちからみるみる血の気が失われていくのが、イルトにさえ感じられた。いつ父親の手や物が飛んでくるか、気が気でない。そんな爆発寸前の父親を前にしても、ミソラはまっすぐな視線を微動だにさせなかった。
「お前ごとき田舎の小娘一人が…」
 体を背けていた父親が、勢いよくミソラを振り向く。厚い胸板が大きく息を吸い込み、これまでに無い怒号が轟いた。
「セントラルに行ったところで何ができるというんだ!」
「一人じゃないもの!」
 それでも引かず、間髪空けずにミソラの精一杯の声が続く。叫びながらミソラは傍らにいたイルトの手を引き、続いてすぐ後ろにいるグレンの右手を取った。
「え?」
「ん?」
 男たちが状況を判断する前に、
「この人たちと一緒にいくの!」
 近所迷惑な父娘による売り言葉に買い言葉が炸裂した。
「何…え?!」
「いつの間にそんな話に!」
 イルトは当然ながら、さすがにグレンも驚きを隠せないようで、軽い狼狽が見て取れた。そんな事はミソラにとってどうでもよく、二人の男を両手に抱えた状態で父親を威嚇している。
「き……」
 真っ赤だった父親の顔が、真っ青に変色している。完全に不意を突かれたようで、両手を震わせて棒立ちになっていた。大きな口元から、言葉にならない声が漏れ出し、
「貴様らああああああ!!!」
 噴火と共に、両者の間に置かれたテーブルが宙を舞った。
「あぶねっ!」
 父親がひっくり返したテーブルは天井にまで達し、シャンデリアが破壊される。落ちてくる硝子笠や電球をイルトが軽い動きで振り払った。テーブルは重厚な音をたてて部屋の隅へと転がっていく。
「先生が治療した怪我人がここにいるんだぞ!」
「むむ」
 思わず口走ったイルトの言葉に、父親こと「先生」は次の動きを止める。その隙にグレンはミソラの袖とイルトの襟首を掴んで、玄関に向かった。
「とりあえず、外に出よう。な」
 硬直したままの大先生を残して玄関の外に出る。すっかり昇りきった太陽が眩しい。アパートの中からは、物と物がぶつかりあう音が聞こえて来る。大先生が腹癒せのため家具に八つ当たりしているようだ。
「どうするんだよ。鞄とか中に置いたままだし」
 ようやく襟首が解放され、イルトは首をさする。
「少し待とう」
 騒音が聞こえてくる壁の向こうに苦笑するグレン。速攻沸騰型は、鎮静化も早いものだ。余計な言葉をかけず、一人で考える時間を与える方が良い。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
 先ほどまで見せていた父娘喧嘩の白熱ぶりはどこへやら。極めて平坦で無感情な面持ちと、低い呟きによる謝罪がミソラの口から流れて来た。
「なんだってあんな猛烈に反対してくるんだ、あの親父先生は」
 イルトの問いに返答はなかった。神妙に俯くミソラは、座り込んだ膝の上で固く両手を握っている。
「本人の了承なしに受験資格は取り消されない。だから安心しなさい」
 ミソラの不安を読み取ったグレンの言葉が、ミソラの顔を上げさせた。
「………ですよね?」
 だが声はまだ底辺を這っている。あんな稚拙な嘘に縋ってまで、自分の夢を潰そうと必死な父親の姿が悲しかったのだ。
 いつの間にか、室内からの音が消えている。グレンは二人を残して再び玄関の向こうへと入って行った。
「あとは大人同士に任せよう」
 立ち上がりかけたミソラを制してイルトも道縁に腰掛けた。彼なら何とかしてくれるだろうと思ったが口にはせず、隣に座るミソラと共に時間の経過を待つ。
「物をぶつけられて、傷が開かないといいのですが…」
 ぼそりと呟かれたミソラの独語に、イルトは思わず背後を振り返るが、
「まあ…避けるだろ」
 と再び前方に向き直り、道の向こう側に広がる公園の緑を眺め始めた。
 十八歳。グレリオでは成人とされる年齢の二人は、家出してきた子供のように青空の下で所在を無くしていた。

 ひっくり返ったテーブル。落ちたシャンデリア。全て倒れた椅子。転がる食器。それらの中央に胡坐をかき、こちらに丸めた背中を向ける大先生の姿がある。
「分かってんだよ。あんなのは売り言葉に買い言葉だってな」
 グレンがリビングに足を踏み入れる一歩手前で、背中を向けたままの大先生の独りごちた声がした。興奮している様子もなく、完全に沈静化している。もとい、初めからある程度は冷静だったのだろう。
「でも、合格してみせるという彼女の言葉は真剣です。私も、彼女なら可能だと思います」
「当たり前だ。俺の娘だ。合格するに決まっとる」
 背中を向けたまま動かない大先生から、数歩離れた場所でグレンは足を止めた。
「俺の娘なら首席卒業くらい軽いもんだ」
 相変わらず苦々しい声音だが、娘自慢に溢れた大先生の言葉。グレンは大先生から見えない位置で微笑する。
「なぜあそこまで反対なさるのですか?差し出がましい事を申しますが、経済的な問題であれば、彼女の言う通り奨学制度もありますし、問題ないと思いますが……」
 他人の、しかも初対面さながらの人間の家庭事情に踏み込むのは、野暮やお節介というより失礼極まりないと自覚している。だが命を助けられた恩が、この父娘を身近に感じさせていた。
「腐っても医者だ。金くらい、ある」
 腹の辺りをまさぐり、大先生は何かを取り出すとそれを床に放った。紺色の袋だ。閉じられた巾着の口が結ばれ、二重に折り畳まれている。床に落ちた際の音と重量感で、袋の中身が貨幣や紙幣束である事がわかった。長い年月をかけて染み付いた乾いた匂いがする。それは例えば、貸し金庫の中のような密閉された空気の匂い。
 家を飛び出して出かけた先はもしや―
「だけど、娘に俺の二の舞を踏ませたくないんだ」
「二の舞?」
「掴みかけた夢を、いや、確実に得られたはずの望んでいた未来を捨てなきゃならん辛さが、どれだけのものか」
 断絶された言葉の先は「お前に分かるか」と問うている。
 宿命。グレンにはそんな単語が思い浮かんだ。ミソラが医師免許を取得できたとしても、医者の道を閉ざさねばならない日が来るという事だろうか。さすがにその理由まで問いただす事はできない。
「……それでも」
 己が積み重ねてきた永い過去の中に錘として存在する、それと類似した感情を思い出す。グレンは大先生の背中に言葉を繋いだ。
「その瞬間まで、その人が積み重ねてきた時間と経験は、かけがえの無い物になり得るはずです」
 例え途絶えさせざるを得ない希望でも、人はそれまでの記憶を心の支柱にしその後に続く永い時間を生きていくことができる。
 大先生の背中が僅かに動いた。ブリキ玩具のように、ぎこちない動きで首だけグレンを振り返った。
「……ミソラの奴め、昔から厄介な拾い物ばかりしてきやがる」
 複雑に絡まった大先生の心内を表すような散らかった室内は、しばらくの無言に包まれた。
「そこの袋、ミソラに渡してくれ」
 大先生は再びグレンから視線を反らし、背中を丸めた。グレンとの間に転がっている紺色の袋が寂しそうに誰かの手を待っている。
「先生の手から渡された方が、ミソラさんは喜ばれると思いますが」
 声に微笑みを乗せて、グレンは床に転がる袋を一瞥した。グレンの答えを受けて、大先生の背中が苛立たしげに揺れた。
「それはできん。絶対に許されんのだ」
 条件がそろっていながら、父親の立場で娘の進学を許可する事ができない。人間の数だけ事情が存在し、如何な博識家も達観者も知り得るものではない。当然ながらグレンも同じであり、大先生の言葉を受けて僅かに目端を細めた。
「馬鹿娘が勝手に出て行ったっていうなら話は別だ。不可抗力だからな」
「先生」
 背中を向けたまま、大先生は立ち上がる。散らばっていた皿の破片が重なる音と共に、奥の部屋へと去っていこうとする背中を、グレンは呼び止めた。
「彼女は、たった一人に祝福されればそれで良いと言っていました」
 大先生の足が止まる。グレンは二歩前に進み、床に落ちた袋を拾い上げた。
「これが、それだと思っていいのですね」
「………」
 何かを言いよどみ、だがそれを飲み込んだまま大先生は無言で奥へと姿を消していった。

「お隣の父娘喧嘩、今日は一段と酷かったなあ」
 大先生とミソラの隣室には、初老の夫婦が住んでいる。癇癪持ちの父親と、頑固な娘はよく騒音を伴う喧嘩をする。だが一度も隣近所からクレームが出ていないのは、この老夫婦が我慢しているお陰なのであるが、当の本人達は気付いていない。
「そうですねえ」
 亭主の言葉を受けて、夫人はパンにバターを塗りながら頷いた。二階の窓から何気なく外を見やると、
「おや」
 階下の玄関先、路上の縁に座り込む二つの人影が見えた。隣の娘ミソラと、見慣れない若い青年。二人で並んで、置き忘れられた人形のようだ。夫人の視線を追って、亭主も窓の外を覗く。
「隣の子はボーイフレンドかのう」
「道理で喧嘩が酷かったわけですねえ」
 夫婦の憶測は大きく外れているが、大先生が机を放り投げた瞬間に限ればその心境は、遠からずといって良いだろう。
 バターが塗りかけのパンを片手に、夫婦は窓の下を眺め続ける。そのうち、玄関からもう一人、若い男が現われた。座り込んでいた二人がほぼ同時に立ち上がり、男を交えた三人でなにやら言い合っている。会話までは聞こえないが、男が何か袋のようなものをミソラに手渡しているのが見える。手渡しながら男が何かを言い、ミソラは受け取った袋を手にしたまま微動だにせず、それを聞いている。そして突然、せきを切ったように玄関の中に駆け込んでいった。
「おやおや。どうしたのかしら」
 また一暴れ来るかと予測して老夫婦は肩を竦めたが、
 結局その日、嵐は二度と起こらなかったのである。






ACT9-14⇒
スポンサーサイト

このページの先頭へ
| BLOG TOP |
Powered by FC2ブログ / Template by chocolat*
Copyright © 2005 英雄の屍 All Rights Reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。