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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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guardians23
23

 翌朝。トレーニングの初日だ。
 六時に起床した選手達は、七時までに朝食を含む準備を終えて、七時十五分にグラウンドへ集合する。桐嬰の面々がグラウンドに到着する頃には、ほぼ全員の選手達がすでに集合していた。
「よう」
 少し離れた場所から岡野原が手を振ってきた。国立第一中の面々達と一緒だ。ここでも昨晩の食堂と同じく、学校ごとにグループが出来ている。一人で来ている者は、それぞれ単独で柔軟を行っていた。
(あいつ…)
 要の視界に、端の方で黙々と屈伸をするグレープフルーツ少年の姿が入った。黒い長袖ジャージの上下を身につけている。
「集合!」
 ホイッスルが鳴り、監督から声がかかった。ばらばらに集まってきた面々を眺めて、監督は手にしていたボードをペンの尻で叩いた。
「まず、四組のグループにわけて順々に各種テストを行う。これから名前を呼ぶ順に整列すること」
 トレーニングの冒頭、まず体力テストと技術テストが行われる。ちなみに技術テストは、GKのみ別メニューとなる。グループ分けに恣意性はなく、五十音順に振り分けただけのようだ。
 その結果、Aグループには秋枝、岡野原、茂森が入り、Bグループには芥野と清水寺、Cグループには、
「わーい、先輩と同じチームだ!」
「………」
 要と鴨崎が入った。ミーティングルームでの出来事で一躍有名人となっていた鴨崎は、他のメンバー達にあからさまな好奇の視を向けられている。だが本人はまったく気づいていないようで、
「Aグループ、なんかゴーカですね~、キャプテンや秋枝さん、岡野原さんもいますよ~」
 と暢気にグループ分けの行方を観察していた。
「中路、Cグループ」
 そしてまた新たに要達のグループに新メンバーが加わる。
「ハイ」と低く不機嫌そうな返事と共にCグループに合流したのは、
「あ、柑橘の奴」
「……」
 グレープフルーツの少年だった。
「なんですか、カンキツのヤツって」
 鴨崎が不思議そうに目を丸くしている。
「……中路だ」
 少年は大きな目を極限まで細めて要を睨み付ける。
「悪い、俺は…四条」
「さっき聞いた」
「ああそう…」
 監督が名前を読み上げていた事を指しているらしい。それきり少年は要から明後日の方向へ視線を逸らしてしまった。
(やりにくい)
 何の巡りあわせか、しばらく彼と行動を共にしなければならないようだ。要の隣で「ああいうのをニヒルなヤツっていうんですかね~」と能天気な様子の鴨崎が理由もなく憎い、そんな気分だった。
 体力テストは、瞬発力を測る五十メートル走、そして持久力と回復力を測るVMAテストの二種類だ。
 CグループとDグループは先に五十メートル走を行っていた。
「四条、六秒四」
「お~~」
 コーチがストップウォッチの数値を読み上げ、鴨崎がゴール地点で手を叩くと同じタイミングで、周囲からも小さくざわめきが起こる。先ほどから誰かが六秒台前半を出すたびに、感嘆の声が上がっていた。
 人が出す記録にいちいち反応を見せている鴨崎の記録は、六秒一。ここにいる面子の中で、上位を争う記録である事は間違いない。
「中路、六秒四」
 背後にコーチの声が聞こえてきて、要は振り返る。グレープフルーツの中路がゴールライン付近で足を止めた瞬間が目に入った。
(同じか)
 淡々とした表情で息を二度、三度と吐き出して呼吸を整えた中路が、不意に要の方を振り返って目が合った。
「……」
 そしてコンマ一秒以下直後にはあからさまに逸らされる。
 何か恨まれる事でもしたのだろうか。要にはまったく覚えが無い。
 もやもやしていると、
「すげぇ、まだ続いてる」
 別方向から複数の声が上がった。AグループとBグループのVMAテストが行われている小トラックを観察していた面々からだ。
 VMAテストとは「有酸素性最大スピードトレーニング」の事だ。1本目は125メートルを45秒以内で走り、その後は距離を6.25メートルずつ延ばしていく。走破するごとに15秒間の休憩。距離が延びても45秒の走破タイムは変わらず、時間内に走りきれない場合は測定が終了となり、最終的に何本走れたかを測るものだ。
 脱落式のテストのため、トラックに残って走っている人影は数人に減っている。一方でトラックの外周では脱落者がグロッキーになって転がっていた。その中には芥野と清水寺も含まれていた。
「キャプテンまだ残ってますよ!」
 鴨崎が興奮した様子で要の袖を引く。コーチのホイッスルが鳴り、トラックに残った四人が再び走り出した。そのうちの一人は走り出した早々に足がもつれてその場にへたり込んでいた。残った三人に目をやると、茂森、岡野原、秋枝のいずれもAチームの選抜常連組が汗だくでトラックを並走していた。
「何本目だ?」
 真っ直ぐ前を見たまま要が口走ると、誰からともなく「二十越えたぞ」と答えが返ってきた。
「二十……」
 要は目を見開く。いつだったか、ワールドカップ日本代表のある選手のトップは二十本半ばを出したと雑誌の記事で見たのを覚えていた。
「休憩!」
 また、コーチのホイッスル。速度を緩めた三人は懸命に呼吸を整える。その中で、やはり瞬発力を持ち味とするFWの秋枝が最も苦しそうに背を丸めていた。それを肩越しに気にしながら、茂森と岡野原はトラックをゆったりと歩く。急激に足を止めては心臓に負担が掛かるからだ。
「二十一本目!」
 という声と共に、非情にもまたコーチのホイッスルが鳴る。茂森と岡野原が前方を走り、その後ろを追いすがるように三歩遅れて秋枝も懸命に足を運ぶ。
 二十二本目に入ったところで、秋枝が脱落。トラックの外周に倒れこんだ。
「岡野原、茂森、秋枝……あいつら怪物だな」
「どっちが勝つと思う?」
 そんな声が後方から聞こえてくる。
「やっぱ走る量が多いMF…岡野原じゃねぇ?」
「でもGKで普通ここまで本数稼ぐ奴も珍しいっていうか」
 何か不可視の存在に突き動かされているように、トラックに残った二人は、もはや意識が半分以上どこかに飛んだ状態で尚も前に進む。
「休憩!」
 コーチのホイッスルが鳴る。
 二十三本目を終えた時点での休憩、ここでついに岡野原が崩れた。
「マジかよ…」
 そう呟きながら、彼は平均感覚を失ったようにトラックの外周側に逸れて、尻餅をついて座り込んだ。
「おいおい」
「二十四本目!」
 ざわめきの中、コーチのホイッスルが鳴る。
「………っ」
 一人残った茂森の足が、速度を上げた。休憩時にはおぼつかなかった足取りも、走り出すと力強くクレイを踏みしめる。腕の振りはバラバラ、体も傾きかけ、フォームは完全に崩れていたが、それでも足元だけは確かな意識を持っているように見えた。
「キャプテンー!」
 鴨崎が叫んだ。だが誰も振り返らなかった。要も含め、みながトラックに残った一名の「生存者」を見ていた。
「休憩!」
 また、ホイッスル。一瞬、足を止めた茂森は空を仰いだ。
(!)
 要は思わず一歩を踏み出し、
「陥ちる」
 そして呟いていた。
「…え?」
 鴨崎が要の横顔を振り返り、そしてまたトラックに視を戻す。
「二十五本目!」
 コーチの事務的な声が、また非情な宣告をする。
 声に揺らぎはないが、ホイッスルとボードを片手にトラックの内周に立つ吉沢コーチの目には、一種の疲労感が漂っていた。
 そして、陥落は突然訪れる。二十五本目を走りきり、休憩ゾーンに入った地点で、突然最後のランナーは右に傾いたかと思うと、そのまま足を止め、まるで泣き崩れるかのように膝を折って横向きに地に伏した。
「あっ」
 鴨崎が声を上げて、大袈裟すぎるほどに両肩をびくつかせた。
「………」
 要は我ながら不気味なほど冷静に、生存者のいなくなったトラックを眺めていた。呼吸をするのも困難な様子で、茂森、岡野原、秋枝はクレイの地に背中をつけて大の字になっていた。
 様子を見て回る吉沢コーチの問いかけに、三人とも半分以上が上の空で頷いている。
「記録、何本だ」
「?」
 斜め後ろから要に声が掛かった。
「あ…」
 振り向くと、中路がいた。
 彼もまた、トラックの外側に転がる面々を見つめている。
「二十五、だけど」
「誰の記録だ?」
「茂森。岡野原は二十三で、その次は秋枝の二十一、かな」
 彼の必要最低限の問いかけに対して、要はあえて訊かれていない事も加味して答えた。だが、中路から拒絶の反応は戻ってこない。
 珍しく「そうか」と素直に受け取って、大きな瞳をいっぱいに開き、無人のトラックに未だ残る熱を見つめていた。
 要はしばしその横顔を眺めた後、再び視線を茂森達に戻した。
「ぼーっとしてるんじゃないぞ」
 背中からは、CグループとDグループのテスト進行をしていたアシスタントコーチの声。目覚ましのように怒りっぽい音色で、ホイッスルが鳴り響く。
「次はお前達がアレをやるんだからな、気合いれてけ!」
 この言葉にC、Dグループの面々が一斉に表情を変える。反応はそれぞれだが、多くが顔色を悪くしていた。
「げっ」
「俺まえにやったことあるけど十ちょっとで死にそうだったのに」
 そんな声を背で聞きながら、要はトラックに足を踏み入れた。
「……オイ、生きてるかよ」
 そして仰向けに転がったままの怪物を見下ろした。
 空に向いただけの、焦点が定まらない両眼が、
「…………………あ、うん」
 数秒の時間を要した後でようやく要をとらえた。
 続いて、空気を求めて開いたままの口が、「笑う」という意思を形にする。
「はは……」
「…酸素不足で脳障害でも起こしたか?」
 ランナーズハイというやつか。それは喜びや安堵ではなく、恍惚感に似た艶っぽい笑みだった。要の皮肉へ、茂森は表情を変えず緩やかに首を横に振った。
「去年……、岡野原に、二本差で負けたんだ。だから…―」
 その当の岡野原も、少し離れたトラック脇で「大」の字を描いたままでいる。広い胸板を懸命に上下させて呼吸の建て直しをはかっていた。
「岡野原に?」
 要は肩越しに、そんな地面と一体化しつつある大柄なMFを一瞥した。
 だから今年は二本差で勝ってやったと。
「お前さあ。MFがGKに持久走で負けるってのは、逆よりショックの大きさが違うんだぜ?」
 同じなのだ。立場とか条件とか、関係ない。茂森にとって。
 自分で言いながら要は既に、分かっていた。
「あ~~~~っくショー!メチャクチャくやしい!!」
 突然、岡野原が絶叫しながら起き上がる。そして咽ていた。
「なんなんだテメーは」
 そして、四つん這いながら凄い勢いで茂森と要の元に詰め寄ってきた。体が大きいので、四足の獣が襲い掛かってくるような迫力だ。
「急に六本も記録増やしやがって!」
「すごいだろ~~」
 寝転がったまま茂森が「へへ」と笑う。まだ、テンションがおかしいようだ。そこへ、年中無休でテンションがおかしい鴨崎が「キャプテンたちすごいっす!!!!」と飛び込んでくるのであった。
「げほっ」
「うへえっ」
 三人で団子になっている様子を眺めながら、要は思案する。
(分かんねぇ)
 片や中学日本一のGKで、片やそれと並ぶMF。下らない小競り合いでさえ、世界が違う。こんな次元の違うところでサッカーをしている奴が何故、
『俺が一番負けたくない相手は四条』
 あんな事を言うのだろうか。
「AとBグループ、十五分休憩したら五十メートル走テストを始めるぞ」
 吉原コーチからの指示とホイッスル。
 外周に寝転がっていた選手達が少しずつ復活して、隣のトラックへ移動を始めている。反対に、CとDグループが少しずつこちらのトラックへ来ていた。
「いこうぜ~」
 先に復活していた芥野、清水寺や秋枝から声がかかる。
「うーっす」
 岡野原が先に立ち上がり、続いて茂森も起き上がった。二人ともだいぶ回復しているようで、足取りは確かだった。
「じゃあ、頑張って」
 振り返って片手を振り、茂森たちは隣のグラウンドへと行ってしまった。
「がんばりまーす!!」
 鴨崎が大きく振り返している隣で、要は小さくため息を吐いてきびすを返した。
「…!」
 そこへ、アシスタントコーチと共に次の技術テストの準備をしている阿佐宮サブコーチの姿が目に入った。砂のグラウンドにラインを引いていくアシスタントの隣で、石灰の袋を手にして、一点を見つめていた。五十メートル走トラックへと移動していくA、Bグループ達の方。
「!」
 向こうもこちらの存在に気がつき、要と視線が交差する。
 そのまま逸らそうとすると、阿佐宮コーチが小さく首をかしげて微笑んできた。そして、彼女の方からゆっくりと視線を外して、またライン引きに意識を戻す。
 彼女が何を見ていたか、要には分かった気がした。


「十本目!」
 十回目のホイッスルが鳴る。
(うーん)
 速度を上げながら、要は唇を舐めた。乾いていた。
「苦し~~」
「無理無理…」
 そんな弱音を苦笑と一緒に口にする選手達と対称的に、要は黙々と足を動かしていた。
(これの二.五倍か。つか、無理だな)
 要とて、口に出さないだけで、あまり彼らと変わらない事を考えている。ただ、顔に汗が出ない体質と、弱音を顔や口に出さないタチとあって、
「先輩ヨユーっすね~」
 と言う鴨崎の言葉通り、第三者からは淡々と余裕に見えている。ただそれだけだ。
「休憩!」
 十回目の休憩ホイッスルが鳴る。そこでまた数人、トラックの外へと脱出していった。
「これきっつー。キャプテンよく二十五本もいけたな~すごいな~」
 鴨崎が大きく息を吐きながら伸びをした。
 色々と泣き言を漏らしている割には、まだ顔に笑顔が残っている。
「十一本目!」
 またホイッスル。
 要が速度を上げかけると、隣を追い越した人影があった。
(あいつもまだ残ってるのか)
 中路だ。彼もまた、最初から一言も発さずに黙々と課題をこなしている。だが、大きな瞳の輝きは雄弁で、やる気に満ちている様子がありありと分かった。A、Bグループの奮闘振りをみて感化されたのだろう。
(それにしても…二十五本はねぇよな)
 一定の幅を延々と描くトラックの白線を見つめながら、要は機械的に手足を動かし続けた。
(一昨日のワールドカップ日本代表のトップ記録が…二十五~六とかだろ、確か)
 サムライブルー特集、という文字が表示を大きく飾った雑誌、その合宿取材記事の一節に書いてあったはずだ。代表チームの合宿で行われる、各種テストやトレーニング内容や結果を図説つきで紹介しているもので、クラブチームの友達と真似してやってみた事がある。
 主に上位にランクインしていたのは、九十分走り続けるMFやFWで、GKの名は無かったはずだ。
(馬かっつーの)
 そこで桜台アークス時代の茂森が思い浮かぶ。キーパーを始めた頃からずっと「防ぎ続けて相手のミスを誘う」というあの戦略を続けてきたのだろうか。確かにあのチームではそれしか手段が無さそうではある。それならば、他のポジション並みに動き回って持久力がつくのも多少は頷ける。
 そもそも彼がキーパーを始めたのも、もしや「人材不足だから、一番背の高い人がキーパー」的な選ばれ方でなったのかもしれない。
(そういえばキーパーを始めたきっかけって聞いたことがなかったな)
 芥野や清水寺からは、理由を聞いたことがあった。
 芥野曰くDFになった理由は「背が高かったから」。
 清水寺曰くFWになった理由は「背が高かったから」。
「同じじゃねーか」
 と言う要に、
「そんなもんだって。小学生だもん」
 と二人は笑っていた。
 だがそれにしても。
 それだけの持久力を誇る彼が、試合ごとに他の誰よりもグロッキーになるのは何故だ。つい先日の紅白戦も、フルタイムに満たない試合時間であったにもかかわらず、試合終了間際は立てなくなっていた。
(確かにゴール前で動き回ってたけど…これ二十五本やるよりは楽だと思うんだけどな……あれ?)
 そういえば、今は何本目だろうか。
「休憩!」
「え?」
 ホイッスルの音。要は自然に速度を緩めていた。
 気がついたら、並走している人数が五分の一に減っている。
「センパイ…さすが……っすね!」
 隣を歩く鴨崎が顔を真っ赤にしていた。まだ面持ちに笑みが残っているが、言葉が息で切れ切れになりつつある。前方に目をやれば、中路の黒いスエットの上下がいる。背中が丸まって大きく上下していた。限界が近そうだ。
「……今度何本目だ?」
 要の問いに応える形で、
「十九本目!」
 次のホイッスルが鳴った。
「……え、ウソ」
(きいてねーよ!)
 確かに聞いていなかった。
 並走者が次々とスピードを上げたので、要も慌てて速度を上げる。
 確かに、気がついてみれば脹脛がだいぶ張っている。息も苦しい。喉の奥が痛い。自覚した途端に苦痛が頭の上から圧し掛かってきた。
「休憩!」
「も……ダメ…っす……」
 ホイッスルの直後、消えそうな声で鴨崎が前方に倒れこんだ。内周で待機していたアシスタントコーチがあわてて鴨崎に駆け寄り、肩へ腕を入れて立たせ、外周へと連れて行く。同じ時、中路も咳き込みながらよたよたと外周へと逃げ、その場に座り込んでいた。
 気がつけば、残っていたのは要一人だった。
「センパイかっこいーっすっ!!」
 外周に寝転がっていた鴨崎が腹ばいの姿勢になって、要に右手を振っていた。
(てめー元気じゃねーか!)
 目をキラキラさせてこっちを見てくる鴨崎を睨み付ける。背中に複数の視線を感じるので肩越しに恐る恐る振り返ると、
(げ…!)
 A、Bグループ達が遠巻きに「C、Dグループの生存者」である要を見ていた。その中には当然、芥野、清水寺、茂森、そして岡野原や秋枝の姿もある。彼らがどんな顔をしてこっちを見ているのか、今の要には見えない。息苦しくて、視界が霞みつつあったからだ。
「二十本目!」
 背中を押すホイッスルの音。ついに大台だ。
 複数の視線から逃げるように要は再び走り出した。
(見ない見ない、聞かない聞かない)
 極力、外野からの情報を取り入れないように、要は再び視線を白線に戻した。決して交わることのない、どこまでも同じ無限ループ。これを見ていると、やけに脳裏に浮かべたモノが鮮明になってくるのだ。
「彼やるなあ。副キャプテン君」
 と、岡野原が感心しながら頷いた。
「体型的に持久走は得意そうな感じではあるが」
 秋枝が呟く。
「あんま表情変わってないけど、ソートー苦しいはずだなありゃ」
 走る要の表情を視で追っていた清水寺に、芥野も「そうだな~」と同意を示した。
「でも」
 と言葉を継いだのは茂森。
「またスイッチが切り替わったみたいだよ」
 長身二人の脇に立つ茂森が、両手を胸の前で組んだ。
「スイッチ?」
「うん。十一本目のあたりでスイッチが入って、十九本目の後の休憩で一回切れて、またさっき入ったみたいだ」
「よく見てんな。ていうかなんのスイッチだ?」
 岡野原が尋ねると、茂森は目を細めた。要の様子を凝視しているのだろう。
「なんていうか……コントロールのスイッチというか」
「?」
 首を傾げる岡野原から、茂森は芥野と清水寺を振り返った。
「四条の妹さんて、弓道部なんだよな?」
「ああ、すげー腕前らしいぜ」
 芥野が答える。なぜか自慢げだ。
「そうだな、双子ならそうかもしれない」
「どういう事だ?」
 一歩後ろから、秋枝が静かに尋ねる。
「四条って…、メンタルのコントロールが凄く上手いんだ」
 それが先天的なのか後天的なものなのかは分からない。
「あいつが二年の春に代役で急遽スタメン出場した時の事、覚えてるだろ?」
 茂森の目配せを受けて清水寺が「ああ」と応えた。
 昨年春の新人戦。
 スタメン出場を予定していた三年生が体調不良。たまたま控えの選手達も故障者が多く、急遽二軍から代役を選ばなくてはならなくなった。
 スタメン選手の控室にやってきた監督の西浦が、その旨を告げる。
「二年の四条を使おうと思う」
 三年生達が顔を見合わせる中で、茂森は沈黙を保っていた。
「監督、三年のFWは他にもいますし、二年なら清水寺もいるじゃないですか」
 当時のキャブテン前田が進言する。一理ある意見だが、西浦は首を横に振った。
「四条でいく。こういう時はあいつが適任なんだ」
「こういう時」。
 その時は計りかねたその意味を、茂森は後になって理解した。
 試合開始十五分前に出場を告げられても、全く平常通りに動く事ができる適応力。そして年間を通して一定のコンディションを保ち続けられる能力。
「それって、身体的なものだけじゃなくて、メンタルの強さもかなり影響してくるんじゃないかと思う」
 ホイッスルの音を聞きながら、茂森はトラックを見つめた。
「まあ確かに・・」
 芥野も清水寺も、顔を見合わせて納得している。これまでの付き合いを振り返ると、思い当たるふしが幾つもあった。
「二十三本目!」
「おいおいマジかよ」
 ざわめきが起こる中、要が速度を上げた。
 場は異様な空気に包まれる。淡々と表情を変えず、フォームを崩さず、まるで永久機関のように走り続ける要へ、自然にある種の期待が発生していた。
「さっきの記録をぬりかえるんじゃないか」
 という期待。
「休憩!」
 二十三回目の休憩ホイッスル。
 そして、終わりが唐突に訪れる。
「もう走れないです」
 そう言ってコーチへ片手を上げた後、要は外周へ逸れた。
「おろ?」
 鴨崎が声を裏返した。呆気ない終わり方に面食らったのだろう。そんな反応を見せたのは彼だけではなかった。
「まだ余裕ありそうだったのになあ」
 そんな声も聞こえてくる。
 ギブアップ直前までフォームが崩れていなかったのだから。
(死ぬって)
 だが当の要はその場に腰を下ろし、途端に襲って来た全身を地面に押し潰す疲労感と闘っていた。
 余裕があったんじゃない。
「フォームを崩して走る余裕」が無かったのだ。
 無駄を最小限に抑えたからこそ、ここまで走り続けられた。
(もう一歩もあるけねーよ)
 意識が朦朧としてきた。足が痺れて感覚が残っていない。
「センパイセンパイセンパイ!」
 騒々しい声で現実に引き戻された。鴨崎が、うずくまる要のもとに滑り込んで来た。
「すっげーっす!!あと二周でキャプテンとタイじゃないすか!!」
 すっかり体力を取り戻していた。無駄話とペース配分、そしてフォームをどうにかすれば、鴨崎はもっと記録を伸ばせそうだ。
「馬鹿」
 とだけ呟いて、要は再び顔を伏せた。
(こんなんであと二周……無理、絶対無理だ)
 折り曲げた膝に突っ伏して、要はひたすら体の中で暴れまわる呼吸を鎮めようとしていた。呼吸をし過ぎて喉がヒリヒリと痛んだ。水が欲しい。
 水持ってきてくれ。
 隣にいる鴨崎に短い頼みごとをする気力も残っていなかった。
(…やば、吐くかも……)
 カラカラに乾いた体の内側から、不快感が込み上げてくる感覚が生まれた。
 そんな時。
 膝を抱える手の甲に、何か冷たいものが当たった。
「………」
 のろのろと顔を傾ける事で視線を上げると、
「飲む?」
 いつの間に移動してきたか、隣に腰を屈めて自分を覗き込んでくる茂森がいた。その手には、紙コップ。ベンチにコーチが用意してあった水だった。
「―飲む」
 自分でも驚くほどに声が掠れていた。要は微かに震える腕を伸ばしてコップを受け取り、一口飲んで、そして二口目から一気に飲み干した。
「はー……」
 空になったコップを持ったまま、要は深呼吸とともに膝に顔を伏せた。胸元までせりあがっていた不快感が、押し流されたようにすっきりしていた。
「死ぬかと思った。お前やっぱりムチャクチャだ」
 そしてまた顔を上げる。
 眩暈は消えていた。すっきりした視界の中で、空になったコップを受け取って笑う茂森の顔が正面に見える。
「考えてみればこのあと、技術テストあるんだよなあ」
「…………」
 笑顔で恐ろしい現実を口にしている。
「全然体力配分考えてなかったよ」
 頭の後ろをかきながら茂森は、
「五十メートル走も散々な成績でさ」
 とまた笑った。すっかり開き直っているようだ。
 もうすっかり冴えを取り戻した頭で、要は今日一日のスケジュールを思い浮かべていた。三日間のトレーニング行程全てが、選考の参考になるとコーチが話していた事も、思い出した。
「バカだな、俺たち」
 そして要も、笑う。
「本当にね」
 苦笑を向け合う二人の背中で、またホイッスルが鳴り響いた。
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