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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師ACT12-13
13

 時刻は夕方の六時になろうとしていた。キルギストック第一植物園は、間もなく閉園の時間を迎えようとしている。
 秋にさしかかり日が短くなってきているとはいえ、この時間のキルギストックはまだ陽光が残る。だがこの日は都合の良い事に夕方から天気が下り坂に差し掛かり、今は厚い雲が太陽を隠して夜のように暗い。
「見廻りが出始めた」
 白い建造物を凝視し続けてきたグレンが、静かに呟いた。素早くその場を立ち上がったレイブリックが隣に並び、同じ方向を見つめる。言葉通り、一人、二人と警備官の装いをした男たちが白い建造物の周囲に姿を現し、ゆったりとした足取りで周囲を廻り始めていた。
(ここにいて大丈夫なのか…?)
 意外と距離が近い事にイルトは驚く。こちらから見えているという事は、向こうからもこちらが見えてしまうのではないだろうか。だがイルトの懸念は徒労である事が分かる。曇り空に加えてイルト達が待機する場所は背後と脇に生い茂る草木の陰となり、また鉄骨の色が赤茶けているために周囲と同化し、向こうからは非常に見え難くなっているのだ。そして、階上に上がれば高い位置から前後を見渡せる。セオリーに全て当てはまる絶好の待機場所である事を、イルトは後に知る事となる。
「閉園が六時。一般人と一般職員が完全に出払うまでに一時間として…」
 レイブリックが腕時計を確認する。
「二十時ちょうどだ」
 とグレン。
「二十時になっても君の隊が動き出さないようであれば、起爆剤を投下してやろう」
「起爆剤?」
「閃光弾、あるか?」
 グレンが尋ねる。
「ある」
 レイブリックは答えて、懐の鞄から手のひら大の手榴弾を取り出した。
 友人のスタニア少尉が開発、もとい勝手に改造したものだ。見た目は軍で使われる一般的な型である。それを見たグレンの口から、
「十秒か…間に合うか…」
 と独語が漏れた。
「何がだ」
とレイブリックが問うと、グレンの指先が斜め前方を指し示した。
「それを二時の方向にぶつけ、光が収まらない内に玄関に進入する」
 二時の方向には、植物園の管理部局が集まる二階建ての建物がある。
「ただ、この距離だ。君の脚とはいえ、十秒で抜けられるかどうか」
 進入前に目撃され、駆けた方角からこの待機場所を割り出されてしまっては不都合だ。
「十三秒」
「え?」
 グレンが振り向くと、手榴弾を片手でお手玉するレイブリックの横顔がある。目は二時の方向を見据えているが、口元に微笑が浮かんでいた。
「十三秒あれば、余裕で抜けられる」
 少し自慢げでもある。
「………」
 グレンは黒茶の瞳を僅かに見開いた。軍で使われていた閃光弾の効力は十秒間であったはず。
「へぇ…そんなに改良されていたのか」
 感心するグレンに向き直ったレイブリックは、お手玉していた手榴弾を握りこんで苦笑する。
「ただ、チャンスは「これ」一回きりだがな」
「これ」の所で、再び手榴弾がレイブリックの手の中で跳ねた。その意味を即座に理解したグレンは「なるほど」と笑い返す。
「一回で十分だ。素晴らしい」
 握った手の指先で手榴弾の表面を撫でながら、レイブリックは口端をわずかに上げる。
「それの開発者に伝えるといい」
 その黒い塊を指差し、グレンは頷いた。
「更に十五秒、二十秒まで伸ばせる事ができれば、世界を変える事になるかもしれないとね」
「………」
「?」
 グレンの言葉を受け動きを止めたレイブリックに、グレンは疑問符を浮かべる。すぐ後ろにいたイルトからも、レイブリックらしからぬ面持ちが見て取れた。
「どうした?」
「―いや…。伝えておく」
 握った手榴弾を鞄に仕舞いがてら、レイブリックは心配そうにこちらを見やる二人から視を逸らした。
 数時間前にレイブリックが同様のフレーズを口にした時、
『へっ。誰の受け売りだ?』
 そう友人スタニア少尉に苦笑されたのが、脳裏に思い浮かんだのだ。
 引用元は、一冊の本だ。
 かつて著名な軍事研究家が記した書籍。その中で、「名将の言葉」としてある言葉が紹介されていた。それは、
『あと一秒。あと一歩。あと一ミリ―その僅かな差が世界を変える』
 というもの。
 これは「決して地道な努力を怠ること無かれ」という教訓を含んだ名言として解説されている。才能や与えられた環境に奢らず、「継続と努力」を信条とするレイブリックがこの言葉を好んでいた事を、スタニアも知っていた。
 この言葉を残した人物の名は―
(まさかここでその言葉を聴くことになるとは)
 レイブリックは青灰色の瞳をグレンに向けた。
「どうした?」とでも問うて来るような笑みが戻ってくる。
「六時だ」
 複雑な心の揺れを誤魔化す為に腕時計へ目をやり、レイブリックは呟いた。と同時に、高らかに低音のチャイムが鳴り響き始めた。三人は音の方向を見上げる。
「閉園のチャイム、か」
 空を覆う雲を伝導するように、低音のベルが頭上から降り注ぐ。
冷たくなりつつある気温と共に、空気も張り詰めていった。


 メアリー・マクレガンは事務室の時計を見上げた。植物園は閉園の時間を伝えるチャイムが鳴ってから、数十分。一般人が完全に出払い、昼間と夜間の警備官が交代する時間となる。ただ、今晩に限り明後日に突入して来るという国軍の一隊、その対処について早急に検討する必要がある。夜間の警備は最低限に留め、人員を集わせる指示はダグを通して既に出してあった。ちなみにダグは、メアリーが雇い入れた傭兵集団のリーダーにあたる男である。
「ま、潮時ではあったわね…」
「何か?」
 呟いた独語に、警備官の一人が相槌を寄越した。この男も、メアリーが雇った私設の傭兵だ。「いいえ」と平坦に返し、メアリーは手元のファイルに目を落とす。これまでに彼女が裏に流してきた「ソラリス」を始めとする薬物の取引リストだった。
 元より情報が漏洩し、国軍に目をつけられる事は想定内だった。その期間を如何に引き延ばすかがメアリーの使命であり、事実十年近くこの植物園高等研究機関を取り仕切ってきたのだから、上出来だ。
(「私達」は始めからわかっていた)
 ファイルを閉じ、メアリーは二冊目を手に取る。持ち出すべき書類を選別しなければならない。
 裏切り者の取引相手を処分する役目のレイカが犯したミス、そこから期せずして舞い込んだ人質が、セイラという思わぬ情報源を呼び寄せてくれた。国軍が自分を探っている事は薄々と分かっていたが、こんなに早急だったとは不意打ちだったから、怪我の功名どころかレイカの思わぬ手柄である。
 当初計画時から最終手段について算段済みだ。追っ手もろ共この施設を「処分」し遁逃する手筈である。追っ手の国軍部隊の壊滅はもちろん、この地域を取り仕切るレイブリック一族の顔に泥を塗る事も、国軍に傷をつける大きなチャンスだ。
植物園のこの一画は、その計画の為にメアリーの手によって改築が加えられている。
「メアリー」
 入り口から幼い声。振り向くと、レイカがそこにいた。
「レイカ……駄目でしょう、こんな所にまで来ては」
 自分を咎める言葉を聞き流し、少女はメアリーの前に歩み寄ると小瓶を手渡した。
「何よ、これ」
 白い錠剤が詰め込まれている。振ってみると、軽い音が転がった。
「ミソラがくれたの。「イタイ」の治るって」
「ミソラ…ああ、あの人質の子ね。それは薬ってこと?」
 レイカが頷く。
「「イタイイタイ」のお姉ちゃんにって」
 怪我をしたセイラの事だろうか。止血処置は施したが、薬は与えていない。
「鎮痛剤…?」
 改めてメアリーは瓶の中身を覗く。市販の鎮痛剤には見えない。白い錠剤の表面は平らだ。一般市場に出回っている錠剤には、かならず国軍の厚生局による検査印が彫られる決まりになっているのだ。
 蓋を開けて一錠取り出し、手のひらに乗せた。刻印が無ければ一見してラムネ菓子のようにも見える。鼻に近づけて匂いを確かめる。
「………?」
 無機質な薬品の匂いに混じり、有機的な薫りもする。
「え……これ…」
 舌の先で触れてみる。
「!」
 もう一度、触れてみる。舌先についた錠剤の粉を唾液に絡めて口の中で味わい、飲み込む。ハーブの匂いが鼻腔を通り抜け、そして舌先に微かな刺激が残った。
 これは。
 メアリーは思い当たった単語を脳裏に浮かべた。
「メアリー、イタイの治った?」
 愕然としたメアリーの横から、少女が無垢な瞳で顔を覗き込んでくる。だがその声は届いていないようで、メアリーの視線は空虚向けて見開かれている。わなわなと口元が震えていた。
「どういう事なの…」
 席を立ち、鬼気迫る勢いでメアリーは部屋を出て行った。パンプスの足音が焦燥したリズムを刻んでいる。
「どうしたんだ、彼女は」
 入れ違いで打ち合わせ室にやってきたダグは、入り口付近でぼんやりと立ち尽くすレイカに尋ねる。無言で首を傾げるだけの少女の反応に、ダグも相槌のように肩を竦めた。端から答えを期待していない。やがて少女もメアリーの後を追うように部屋を出て行ったが、ダグは後を追わなかった。
「!?」
 鍵が開けられ扉が開かれると、雪崩込むようにメアリーがミソラの元に詰め寄ってきた。
「貴方、これは何なの?」
 そして目の前に小瓶を突き出され、ミソラは「あ」と声を洩らした。先ほどレイカに託した、薬の瓶である。当のレイカは、メアリーの背後から相変わらず無の面持ちでミソラの様子を眺めていた。
(やっぱりこの子に頼んだのが間違いだったのかしら…)
 仄かに抱いた何かしらの期待が、音もなく崩れ去った感覚。ミソラは溜息を零した。
「答えなさい。これは何?」
 再び突きつけられた厳しい声で我に返ると、鼻先に小瓶が突きつけられていた。
「錠剤…ですが…」
「何の錠剤?」
「薬、だと思います」
「何の薬か分かる?」
 ミソラの鼻先から小瓶を離し、メアリーはその場に片膝をついてミソラと視線の高さを合わせた。
「………」
 メアリーが何の目的で何を探ろうとしているのか、ミソラには分からなかった。答えを小出しにする事でそれを引き出そうと試みるが、見当がつかない。
「どこで手に入れたの?」
 ミソラが無言になったのを「分からない」と解釈し、メアリーは質問を変えた。
「貰い物です」
「誰から?」
「……何故そんな事を聞くんですか?」
 怒らせるかもしれないという覚悟で、逆にミソラの方から問いかけてみた。だが意外やメアリーの面持ちは変わらない。
「あなた、これをあの怪我をした士官の子に渡そうとしたんですってね」
「………」
「という事は、これは鎮痛薬ね?」
 内服薬という事もあり、まず傷薬であると考えるよりも自然だ。そう推測されては言い訳も無駄だと判断し、ミソラはおずおずと頷く。
「そう、ですけど」
「市販の薬じゃないわよね。刻印が無いもの。これがどういう薬かは、知っていたの?」
「どういうって…」
 畳み掛けるようなメアリーの問いかけの連続に、ミソラは訝しげに眉根をひそめた。
「ただの手作りの薬です。薬草の自家栽培で…」
「自家栽培なわけないでしょう!」
「え?」
 意味が汲み取れない。声調が鋭くなるメアリーに向けて、ミソラは首をかしげた。
メアリーが手にしている薬は、ミソラが父親から渡された自家製の薬。患者の治療にも用いられる時がある。父親が治療に使う薬は全て、彼が薬草の栽培から始めて作り上げたものばかりだ。そんな薬に一体どんな深い価値と意味があるというのか、ミソラには理解できなかったのだ。
「誰が作ったの、この薬」
「父…が……。町医者なので」
「父親?名は」
「―なぜそんな事を訊くのですか?」
 父親について追求され、ミソラはメアリーから体を引いた。一呼吸を挟み、立ち上がったメアリーの視を見上げる。
「答え次第では、あなたの命の保障をしてあげるわ。もちろん、望むならあの士官の子も」
「……状況が、よくわかりません……」
 手持ちのカードを出し尽くしたが、ミソラが答えを得る事はできなかった。今はメアリーが秘める解が知りたい。
「この薬の名を、父親から聞いたことは?」
「いいえ」
 ただの鎮痛薬だと、教わった。
 その答えを聞き、苦笑してから「これは」とメアリーは指先につまんだ小瓶を二度振った。錠剤が軽い音を立てる。
「この薬の名は」
 そしてメアリーは、ある女性名を口にする。
「ソラリスというの」
 ソラリス。
 同名の女医が開発したとされる、国軍による厳重取締対象の薬剤。
「ソラリス……」
 ミソラの黒い瞳が丸くなる。驚き、というよりも、夢から醒めた子供のような目でメアリーと薬瓶を交互に見やった。
「その薬、ソラリスっていうのですか」
「知らなかったのね?」
「はい」
 メアリーの問いに、ミソラは頷く。「でも…」と言葉をつなげながらその知的な眉目は、強く顰められていた。
「…?」
 その表情の変化に、今度は逆にメアリーが頭上に疑問符を浮かべる。気丈にメアリーを見上げていたミソラの視線が、糸が切れた人形のようにうなだれ、俯かれた。
「ソラリス…何故あの人と同じ名前の薬なんか…………」
 憎々しげで乾いた呟きが、ミソラの口から漏れる。
「………」
 耳にかけていた髪の毛がほつれ、メアリーの目元を覆いかけた。その下で、訝しげに目を細めて、じっとメアリーはミソラの様子を見下ろす。
(この娘は一体……)
 彼女の動揺に、静かに瞳を伏せたミソラは気付く由もない。だがそれもつかの間、
「それで、そのソラリスという薬が何だというのですか?」
 再び顔をあげ、ミソラから本題に立ち戻ってきた。その面持ちは平坦なものに戻っている。年齢に見合わず冷静な娘だ。
「―もういいわ」
 薬瓶を上着のポケットに入れ、メアリーはきびすを返した。
「え、え?」
 背中にミソラの唖然とした声が向けられたが、無視してふたたび扉に手をかける。
「あなたには、生きていてもらう価値がありそう」
 部屋を出て行こうとするスーツの背中が、最後につぶやく。
「一体……何なんですか!?」
 膝で立ち上がり、ミソラは縛られた両手を伸ばして答えを求め縋るが、目の前で重たい音をたてて扉は閉められた。レイカもメアリーと共に部屋の外だ。
「あ………」
 ミソラのつぶやきは、背後でうなり声を上げ続けるボイラー音にかき消されて消えた。
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