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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師 ACT12-2
02

 ライズ・グレリオ・サイファの死亡報告書を書いた、あの時。対ライザ帝国大戦も終局を迎えようとしている頃だった。
 当時、新米医務官ソラリス・クリューガーは従軍医の助手を務めていた。仕事は、負傷者の治療だけではない。戦死者の遺体収容、鑑識、そして死亡確認と死亡報告書の作成という業務も伴う。
 戦時中ともなれば、軍医は敵味方、民間人含めて数多くの「死者」と向き合う事になる。時間の経過と共にそれらも「流れ作業」と化し、死者一人一人の存在が「物質」に思えてくる錯覚に陥ってくるのである。それに気がつき、責任感の強い医務官の中には、己を見失う者も出てくるほどだ。
 そんな中、ライズ・グレリオ・サイファという名の佐官は、ソラリスの記憶に最も色濃く残った「戦死者」であったと言えた。
「彼はただの佐官じゃなかった。とある将官の護衛官で、当時ではちょっとした有名人だったから、よく覚えている」
 ソラリスの口調に、追憶の靄が掛かりかけていることにラルフは気がつく。
「将軍を護って名誉の殉職…ってとこですか?」
 彼女の面持ちを窺いながら、そう相槌を返した。
「正にそうね」
「ふーん……その将軍は?」
 彼女の記憶にそれほど色濃く残る出来事だ。ラルフは興味をかきたてられる。
「グレン・イーザー」
「イーザー…?大戦の英雄じゃないですか!」
 ハートオブアリタスに銅像が建つ人物だ。そんな名前が出てくるとは思わず、不意打ちを受けたようにラルフは椅子に凭れ掛かった。
「そりゃその護衛官とあらば有名人になるわけだ。そんな人物が戦死したとあれば大騒ぎだったでしょうね」
 そのラルフの言葉に、ソラリスは首を横に振った。目を伏せて、長い長い息を吐き出す。邂逅するソラリスの視が、何も映していない擦り硝子のように濁った。
「………」
 ソラリスが何を目にしてきたか。ラルフに計り知ることはできない。返す言葉に迷って、ラルフは無言になる。戦争経験の無いラルフが不用意に言葉を挟んでは、戦いを生き抜いてきた彼らの記憶に土足で踏み込む事になりかねないと、分かっていた。さすがに軽口の一つも頭に思い浮かんでこない。ラルフはじっと唇を結んで、俯くソラリスを見つめた。
「静かだった」
 しばらくして、ソラリスの形の良い唇が小さく動いた。
「とても、静かだった」
「静か……?」
 不思議そうに呟くラルフ。
「そう。戦場特有の「静けさ」っていうのがあるの」
 答えながら、ソラリスは唇に微笑を乗せた。
 新米だった自分が、これまでに感じた事のない「静」が、戦場には存在した。
 あれは十数年前。ACCから程遠い、山間部の水辺に敷いた陣での事。

 空は鉛色に覆われ、使い古した表現だが「今にも泣き出しそうな空」というフレーズが、今思えば最も似合っていた。
 雲の向こう、高いところから遠い雷鳴が地響きのような低い音を轟かせていた。折り重なる渓谷の合間をぬって、淡い白霧が立ち込めていた。丁度、低気圧の層が通過中だという。南から高気圧がせり出しており、明日には二つの気圧が衝突する事になる南方の山間部が、酷い冷気と豪雨に見舞われるだろうという、気象予報官からの報告があったばかりだった。
 戦陣には、幾つものテントが張られており、それぞれが機能的に配置されている。陣の頭脳となる司令部は、少し小高い位置に敷かれていた。それを見上げる位置に、救護テント、物資保管テント、士官達の宿泊テント等が設けられていて、小さな村落にも匹敵する規模だ。
「………寒っ」
 新米医務官ソラリスは、両手いっぱいに白いシーツを抱えて救護テントの一つから外へ出た。薄墨の空を見上げ、白い息を吐き出した。細く赤い縁の眼鏡がずれそうになり、人差し指で軽く持ち上げる。
 夕方を迎えようとする冬の山間。低気圧のせいで、いつもよりも暗かった。靄の中に灯る明かりがソフトフォーカスとなって、ホタル火の様に優しい色を浮かべている。
「静かだ……」
 ソラリスは胸に抱いた白いシーツを、更に強く抱きしめた。嵐が通り過ぎた直後の明後日、大隊は国境付近で防衛線を張る敵軍へ一斉攻撃を仕掛けるのだと言う。それなのに、何故これほどに静謐なのだろう。数十時間後には、幾千人の死傷者を看取ることになるのに。そう考えると、心臓がチクリと痛むのだ。
 この痛みに慣れてはいけない。
 上官に言い聞かせられてきた言葉を思い出して、ソラリスは瞳を閉じた。
「指揮官殿、負傷!」
「!?」
 突如あがった若い士官の声に、その場にいた誰もが一斉に振り向いた。物も言わずにその場から駆け出した上司の軍医。白衣の裾が軍旗のように翻った。
「えっ!?…あっ…」
 その後を追うため、慌ててソラリスはシーツの束をコンテナの上に置いて走り出す。左腕につけた、軍医やソラリスが身に付けた白地に赤十字の腕章を見て、皆が道を空ける。
「っ!」
 開かれた視界の中、運ばれてくる担架。そこには、一人の佐官が横たわっていた。左腕が力なく垂れ下がっており、袖からこぼれ出す血液に指先までが赤く濡れていた。
「ぁ……」
 呆然とするソラリスの脇を担架が通り過ぎていく。背後に張られた救護テントの中へと消えていった。「来た」と前方に立つ上官軍医の声に、弾かれるように再び前方を向くと、大柄な士官が一人の男を背負って駆け込んできた。士官の広い背中に体と顔を預けて動かない男、彼が身に付けているコートの長い裾が、これもまた堕とされた軍旗のように揺れていた。緑地に赤と黒の縁、裏地が紅色で裾が長い。このデザインは将官用の軍服だ。
 それが、この時のソラリスが従軍していた遠征大隊の指揮官、グレン・イーザーだった。位を示す肩章は少将のもの。だが、まだ若い。
「い、一体、なにがあったのですか」
 ソラリスの語尾は、焦燥のために僅かに震えていた。
「そんな事は治療するにあたり必要の無い情報だ」
 微塵の動揺も見られない声でソラリスを叱咤したのは、上官である軍医。医務官と一目で分かる白帽を着用し、裾の長い白衣の胸元と腕には国軍章と赤十字を掛け合わせた医務官特有のもの。この姿に憧れて医務官を目指していた、幼い頃。理想に思い描いていたままの上官の姿が今は、押しつぶされそうな程に大きく見える。
「詳しい戦局など関係ない。我々はただ、目の前の負傷者だけを見ていればいい」
 それだけに集中しろ。
 最後に短くそう言い放ち、軍医は指揮官を背負った士官を救護テントへと誘導した。同じ服装をしているのに、自分はなんと未熟な事か。雑念を振り払うために「はい!」と大きく返事をして、ソラリスも救護テントへ踵を返す。
 救護テントは複数あり、この一帯に敷いた戦陣の中で仮設司令部に次いで大きな建物となる。佐官を乗せた担架と負傷した指揮官は別々のテントに運ばれていき、上官の軍医は後者のテントへ入っていった。ソラリスもそれに倣う。
「安静にして下さい!」
 ソラリスがテントに飛び込むと同時に、医務官の激が飛んだ。診療台となる簡易ベッドに寝かされていた指揮官が、上半身を起こして医務官の片袖を掴み、縋っていた。
「中佐は…ライズはどこだ!」
 イーザー指揮官の口から出た名は、ライズ・グレリオ・サイファ中佐。彼の護衛官だ。
「別のテントにて治療中です。安心して下さい」
 宥めようとする医務官の腕を掴む指揮官の手も、赤黒く汚れている。シーツを取り替えたばかりの白い診療台は、既に血と泥と水に塗れてしまっていた。
「彼を、助けてくれ……」
 弱々しく訴える声と共に、医務官の袖を掴むイーザー指揮官の手が滑り落ちた。診療台に倒れこみ、横たわりながらも懸命に意識を引き留めるように体全体で呼吸をしていた。彼とて無事ではなかったのだ。
(でも、あの護衛官は恐らくもう……)
 胸に苦しさを覚えてソラリスは、イーザー指揮官から顔を背けた。
 ソラリスが指揮官の顔を至近距離から見たのは、これが初めてだった。熟練した壮年層、若くとも四十代という面々が圧倒的数を占める将官職にあって、彼は驚くほど若い。恐らく自分とあまり変わらないだろう。そう思うと益々、胸のうちの痛みが強くなる。
 片や、上官に倣う事だけで精一杯の新米医務官、そして片や何千の何万を率い、何百万という国民の命を背負う将官。その重みが、ソラリスには想像できなかった。
 そんな中で彼が、友人でもある護衛官を失ったと知ったら…?
 新米のソラリスが担架を一瞥しただけでも、分かった。呼吸や脈動が全く感じられなかった体、物質のように重力に任せて垂れ下がっていた手。あの護衛官からは、もう、命の気配が全く感じられなかった。
(失ったと知ったら………永遠に…)
 指揮官とその護衛官のことは、ソラリスの耳にも届いていた。初等教育時代からの知り合いで、士官学校時代も共に過ごした親友同士らしい、と。
「だ、大丈夫です、大丈夫ですから!我々にお任せ下さい!」
 気がついたら、ソラリスは声に出していた。横たわる同年代の指揮官に向かって、何度も同じ言葉を繰り返した。「大丈夫」と。
「…………」
 彼は、苦しげな息遣いでこちらをまっすぐに見た。けどられないよう、ソラリスは懸命に声を張った。詳しい戦局は、一介の医務官たるソラリスには分からない。だが、軍が戦争の泥沼化を回避するために一気に終局に向けて追い込みをかける動きに出ている事は、知っていた。ここに来て指揮官の戦意が喪失されれば、大隊の士気低下と不統率を引き起こし、戦局を危険に曝す結果になりかねない。
 今の段階で、護衛官の死を知られてはならない。ソラリスはそう直感した。
「大丈夫…ですから!今は、ご自分の事を考えて…ください!」
 目尻と頬がやけに熱かったが、ソラリスは構わずに続けた。後で上官から「お前は演技が下手だな」と言われることになる。
「…………」
 イーザー指揮官は、黙ってソラリスを見つめていた。軍医も、周囲にいた士官達も、誰も口を開かなかった。沈黙がテント内の空気を支配し、分厚い布壁の向こうからくぐもって聞こえる、忙しない複数の足音と人の声が、漣のように行き来する。
「…………っ…」
 そのうち彼はソラリスから視線を外して俯くと、小さく三回、咳をした。肺から押し上げられるような、深い咳だった。手を伸ばそうとした医務官を片手で遮り、彼は自分の力で起き上がる。
「グスタフ大佐を呼んでくれ」
 静かな命令が呟かれた。彼は診療台に腰掛け、枕元に積み重なれているコンテナに腕を乗せて体を支えている。
「いけません。まずは安静に…―」
「報告を聞きたい。呼んでくれ」
 医務官の忠告は、イーザー指揮官の指し伸ばした左手に遮られた。指先がテントの外を示していた。
「指揮官殿!」
「この程度では死なない!呼んでくれ!」
 医務官による再度の忠告も、鋭い一喝で抑え込まれた。
 後になって思えば、きっと彼はこの時に気がついていたのだろう。護衛官ライズ・グレリオ・サイファが既に死んでいる事に。
「……分かりました。ただ、治療はさせて頂きます」
 諦めて医務官は、溜息と共に頷いた。当惑気味に事態を見ていた士官に、大佐を呼ぶよう言付ける。
「ありがとう…怒鳴って、悪かった」
 悔恨の色を眉目に浮かべ、イーザー指揮官は診療台に腰掛ける形に姿勢を正した。全身を濡らす水が未だ雫を垂らして、白かったシーツを赤灰色に変えていく。
「タオルと着替えをお持ちしろ」
 医務官に命じられて他の助手がテントを出て行った。この時彼がソラリスにそれを命じなかったのは、蒼白な顔をしていて役に立ちそうになかったからだそうだ。
「ライアン・グスタフ。参りました」
 間もなく、テントの外から畏まった声がした。返事を待たずに長身の佐官服がテント内に滑り込んでくる。彼もまた、若くして異例の昇進を繰り返してきた士官だった。これが、ソラリスにとってライアン・グスタフとの初対面の瞬間だ。
「大佐、現状報告を聞きたい」
 テント内に足を踏み入れたグスタフ大佐が何かを言いかける前に、指揮官が口を開いた。
「……了解しました」
 全身ずぶ濡れで泥と血にまみれた姿で診療台に腰掛けた指揮官に出迎えられて、大佐は刹那に驚愕を表したものの、すぐに資料と地図を使って戦況報告を始めた。手当てを受けながらのイーザー指揮官が矢継ぎ早に質問と指示を繰り出し、対しグスタフ大佐は間髪入れずに応じていく。次々と難しい単語が早口に流れ、軍略知識の無いソラリスには理解不能の会話が弾丸のように相互掃射されている。会話の合間と合間に別の部下達が姿を現し、それぞれ指示と質問を受けて入れ替わっていく。さながら救護テント内は簡易作戦会議室に変化していた。
 不気味なほどに、それは「通常」の光景だ。
「以上、明朝六時までに完了報告をせよ」
「は!」
 一時間ほど続いた慌ただしい即席会議が、ようやく一段落がついたようだ。最後の命令を受けた数人の士官たちがテントを飛び出していく。残ったのは、最初から立ち会っていたグスタフ大佐一人。その頃には、濡れた指揮官の上着は取り替えられ、ベッドのシーツもはり替えられ、治療も完了していた。
(愚図る赤ちゃんを診察するより難しかったわ…)
 ソラリスは一息ついて汗を拭った。なにせ腕に包帯を巻いている最中に「今すぐにだ!」と部下に命令するざま腕を振り上げられたり、頭に包帯を巻いている最中に「違う!」と部下に怒って首を振られたり、上着を着せようとしたら「確認してこい!」と勢いづいて立ち上がったりするのだから。
 外見から受ける印象よりもかなりアグレッシブな性格のようだ。
それとも、血匂に酔っていたからなのだろうか。
「鎮痛薬は連続投与できませんので、傷が痛みだす前にお休み下さい」
 と、薬瓶を片付けながら軍医が言う。急に静かになったテント内、気が緩んだかイーザー指揮官はベッド脇のコンテナに体重を預けて、少し眠たそうな視をしていた。軍医の声が聞こえているのか、いないのか、彼の虚ろな視線はテントの隅に向いたままだった。
「………それ、貸してくれ」
 ふいにイーザー指揮官の腕が上がった。グスタフ大佐に向けて伸ばされている手。指先は、大佐が手にしている書類を示していた。視線は、まだ虚ろなままだ。
「明朝までに読んでおくから」
「寝ろよ。もういいから…」
 そう返したのは、グスタフ大佐。佐官が将官に対して、本来あるまじき言葉遣いだ。テントの中の面々は驚き、誰もが思わず肩越しに振り返った。ソラリスも驚いて、ファイルで顔の下半分を隠して様子を窺う。
「……眠りたくない」
 グスタフ大佐に手を伸ばしたまま、イーザー指揮官は呟いた。彼の言葉遣いへの言及はなく、それがさも当然かのように。この二人が士官学校時代からの友人同士なのだと、これも後に知る事になる。
「バカヤロウ」
 そう「暴言」を口にしながら、三歩下がった畏まった位置に立っていたグスタフ大佐は、目端を僅かに歪ませた。大股二歩でイーザー指揮官に歩みより、
「泣きたいのを我慢してるのがお前だけだと思うなよ」
 と、持っていた書類でイーザー指揮官の頭を叩いた。
(な、な…)
 両者の関係をまだ知る由もない、ソラリスを含めた医務官の面々は、グスタフ大佐の「暴挙」にただ呆然と見てみぬ振りも忘れていた。
「…………悪かったよ」
 頭の上に乗せられた書類の束を手にとって、指揮官は小さく笑った。
「私だって、いつかは、こういう時が来ると覚悟していた」
 俯いて呟きながら、彼は無造作に組んだ膝上に乗せた書類を一枚ずつ捲る。紙が擦れる音が、やけに乾いて聞こえた。彼の言葉にグスタフ大佐が眉間に皺を作る。
「でも、慣れる事などできない…な……」
 その言葉の後、重たい静寂が空気を這う。聞こえてくるのは、紙の音だけ。
「そんなもんに慣れたら、人間オシマイだぜ」
 グスタフ大佐の言葉に指揮官は紙を捲る指を止め、上背のある彼を見上げる。
「俺は一生忘れないぞ、あいつの事。だからお前だって、忘れようとしなくていいんだ」
 そう言ったグスタフ大佐と、それを聞いたイーザー指揮官がどんな表情をしていたか。
 何故かソラリスは思い出せずにいる。

「それで…どうなったんですか」
 ラルフの問いかけ。
「え?あ、えっと、結局ね」
 ソラリスの意識は急激に現実に引き戻った。
 その後、大隊の統率は崩れる事なく戦局も持ち堪え、戦勝する事ができた。
 そう答えながら、ソラリスは自分が存在する「今」を意識が再確認しているようだ。手元の書類を手にとってみたり、ペンを指先で転がしてみたり、無意識に感触を確かめている。徐々に現実に立ち戻りつつある女医務官の様子を、ラルフは待つ。
「―泣く事が許されないって、辛いですね」
 ラルフは、ソラリスの言う「戦場特有の静けさ」というのが、少し理解できたような気がしていた。
「………そうね」
 子供がよく見せる、ぽかんとした表情を浮かべていたソラリスは、指先で眼鏡のフレームを押し上げる。それがスイッチのように、両眼に理知的な光が再び灯った。
「士気のコントロールも、大事な軍略テクニックってわけね」
 これは、その後のソラリスが職場である戦場で徐々に学んできた事の一つである。
「…………」
「…………」
 会話の途切れをきっかけに、両者の間に沈黙が降りた。
「じゃ、じゃあ、ソラリス医師はイーザー将軍を見たことがあるんですね」
 無性に照れくさくなり、静寂を打ち消すためにラルフは別の質問をした。
「そりゃそうよ。今話した通り」
 当たり前じゃない、とソラリスが顔を上げた。
「いいなあ。いや、ほら、だってマスコミ嫌いで有名だったじゃないですか」
 大戦当時、ラルフは軍と全く関わりのない立場にいた。民間人に戦局を伝える報の中に、イーザーの名は出ても、写真、パレード、講演等、活字以外の場でその姿を目にした事がほとんどなく、「将軍はマスコミ嫌い」との評判が立つようになっていた。
「そうだっけ?」
「そうですよ。どんな人だったんですか?」
「どんなって…」
 ラルフの問いに答えようとした途端、ソラリスの脳裏で鮮明に蘇っていた諸々の情景が一瞬のうちに崩れて消えた。空気の匂いまで思い起こす事ができた鮮烈な邂逅であったのに、まるで幕を下ろしたように何もかもが消えている。イーザー将軍の顔を思い出そうと試みるが、浮かんでくるのは白紙だった。
「若かったって事ぐらいしか………よく覚えていないわ」
「とても普通の人だったから」と付け加えつつソラリスは首をかしげた。それを見て、少し残念そうな顔をするラルフがいる。
「新米だったソラリス医師と同年代という事は、二十代で将官だったって事ですよね」
「そうなるわね」
 へえ、と声を漏らし「軍も思い切った事をしたもんだ」とラルフは足を組み替えた。
「どうして?」
「だって、いくら軍が実力主義とはいえ、国の命運を二十代の若造に委ねるなんて」
 民間生活が長かったラルフにとって、軍部内での仕来りや常識に、未だ不慣れな部分が多い。士官学校在籍時の十代の頃から軍部と関わり続けてきたソラリスとは、感覚が違った。
「よく見出せましたよね。なんとも巧妙な人事采配というとこですか」
「上層部の考える事なんて私は分からないわよ」
 ソラリスは首をかしげている。だがすぐに「そんなことより」と細い指先をラルフに突きつけた。
「そもそも私達、何の話をしていたのだっけ?」
 大幅に脱線していた会話の戻り道を探して、ソラリスは手元の書類を探った。
「え、嫌だなあ。田舎町殺人事件で検出された血液の話だったじゃないですか」
「ああ、そうだったわね」
 完全に元に戻った空気に安堵して、ラルフはかつかつと笑う。
「ははは。思い出に浸りやすいのと忘れっぽいのは年をくった証拠って言いま……」
 そしてこの直後、高らかな打撲音が研究局中に響き渡ったという。





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