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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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「あれ~、誰か~ケータイ忘れてますよー」
 朝練終了後、更衣室で鴨崎の声が響いた。振り向くと、携帯電話を持った手を頭上にかざしている。
「誰のだろう」
「俺のじゃねーな」
「名前かいてねぇ?」
「書いてある方がおかしいって」
 それぞれが好き勝手を言う中、近くにいた要も鴨崎の手元を覗き込んだ。見覚えが無い。自分の物でもなければ、芥野や清水寺の物でもなさそうだ。
「ここにはいないみたいですね~」
「しょうがねーから、アドレス帳みちゃえば?」
 それでだいたい検討がつくかもしれない。
「いいのかなぁ」と躊躇する鴨崎の手中で、突然携帯電話が震えだした。
「わわ」
 思わず落としそうになり両手でがっしり掴み直す。持ち主からの通話だろうかと、慌てて画面を開くと、『新着メール受信』の文字。
「なんだ、メールか」
 と鴨崎の口から小さな溜息が漏れるが、直後に「ん?」という疑問符が飛び出す。どうしたのだろうと再び要が振り返る。鴨崎はディスプレイを凝視して首をかしげていた。
「持ち主、わかりそうか?」
 鴨崎の挙動が気になり、隣から芥野も上から覗き込む。ディスプレイには、「新着メール受信」の文字の下に、送信者の名前が横スクロールで流れていた。
「送信者、関西秀学・高倉、だって」
「関西秀学?」
「関西秀塾学苑、じゃないか?」
 大阪にある名門学校の名だ。そして、サッカー部が全国大会常連の強豪である。
「高倉って確かそこのストライカーだな」
 と、こういう情報に詳しい正田。
 こういう情報に疎い要は「へえ」と呟いた。
「じゃあそれ、茂森のケータイじゃないのか?」
 そんな人物から朝っぱらにメールが届くのは、この部では彼ぐらいしか思いつかない。過去の選抜合宿や試合で知り合い、アドレスの交換でもしたのだろう。
「そんな感じがしますねぇ」
 ディスプレイを見つめて、鴨崎は目を輝かせている。「全国区」の感覚に触れて感激しているのだろう。そして、関東と関西という限られた地域とはいえ、初めてその「全国区」に一歩近づいたと言っても良い「選抜される」対称になった興奮が未だ冷めやらない様子だ。
「でも、その関西秀学の高倉と、何のメールのやりとりしてるんだろうな」
 誰かがふと何気なく漏らした疑問は、その場にいるほぼ全員の好奇心を刺激した。
「………」
 鴨崎が見つめるディスプレイの中では、待ち受け画面の前面にポップアップで「新着メール」のウィンドウが立ち上がっており、どこかボタンを押しさえすれば中身が見られるはずなのだ。
「ダメですよ、ダメダメ!」
 だけど興味は有りに有る。そんな様子で鴨崎は名残惜しげに携帯電話を折りたたみかけた。すると、
「わっ!」
 また自己主張するように震える携帯電話。
 今度は電話着信か?と再び鴨崎はディスプレイを開く。が、またもや新着メール受信のお知らせだった。
「またメールか」
「今度は誰からだ?」
 プライバシーも何もあったもんじゃないが、誰ももうそんな事を注進しようという人間はいなかった。中を見さえしなければセーフ。そんな暗黙の了解が生まれている。
「えーと、送信者、国一・岡野原」
「くにいち?」
「国立第一中学校、だろうな」
 東京都内にある、ここもまた強豪サッカー部を抱える学校で、今年度の都大会で優勝している。そして岡野原とはそのチームのMFの名前だ。
「………」
「………」
 メール友達人脈の幅の広さに皆が面食らっている中で要は一人、鴨崎の手元から目を離して黙々と着替えの続きを進めていた。そのうち、更衣室の外廊下から足音が近づく。少し慌しく開かれた扉。
「ごめん、携帯落ちてなかったかな」
 そう言いながら姿を現したのは、噂をすれば、の人物だった。ちょうど出口側に背を向けていた鴨崎は、慌てて携帯電話のディスプレイを閉じた。
「は、はい!拾いました!ごめんなさい!」
 勢い良く閉じたそれを、頭を垂れながら両手で茂森に差し出す。
「??あ、ありがとう」
 謝られる意味がよく理解できない様子で茂森は携帯電話を受け取る。するとまた、しつこいぐらいに携帯電話は自己主張を始めた。
「落ち着きないケータイだな」
 制服のセーターを頭から被りながら要がつぶやくと、茂森は苦笑しながらディスプレイを開けた。今度は通話だったようだ。「ごめん」と周囲に断って茂森は電話に出た。
「も…」
 もしもし、と言う前に電話の向こうから喧しい声が突き抜ける。何を言っているかまでは聞こえないが、同年代の少年の声が早口に捲くし立てているのはわかった。どうやら送話者も相当に落ち着き無い人間らしい。茂森は受話器から少し耳を離して「うん、うん」と相槌を打っていた。
「俺も選ばれたよ。―うん、今年は五人で行く」
 受話器の向こうにそう話しながら、茂森の視線が周りを見た。鴨前と、芥野と、清水寺と、そして要へと。先ほどメンバーが決まったばかりの、東西戦トレセンの話をしているらしい。
(あ、そうか)
 要はふと気がつく。関西や東京の強豪選手から届いたメール、そして電話。おそらく彼らも同じ日の同じ時、同じ宣告を受けたのだろう。その報告と確認しているのか。
「じゃあ、もうすぐ授業だから」と相手をなだめて茂森は電話を切った。
「今のは誰からだったんですか?」
 ずっと様子をみていた鴨崎がたずねる。
「西開大付中の榎本だったよ」
「西開大付属中学?!」
 オリンピック選手も多く輩出している体育学部を有する大学だ。その付属中・高校も、桐嬰と同じくスポーツ推薦等で優秀な選手を抱えている。
「キャプテンって顔が広いんですね…」
「よく会うから、なんとなく流れでね。じゃ、俺教室行くから」
「お疲れ様」と言い残し、茂森は携帯電話をズボンのポケットに押し込むと更衣室を出て行った。
「いいなー、俺もアドレスもらえるかなあ」
 イマイチ論点がズレている鴨崎は、楽しそうに着替えの続きに入る。要はその暢気な背中を眺めながら、最後にネクタイを適当にしめて支度を終えようとしていた。
 鴨崎はまだ理解していない。
「よく会う」という事は、相手も選抜の常連だという事だ。そして彼らのサッカーはすでに「学校の部活」の枠を超えたところにあるのだと。

 授業が始まるまでの休み時間、いつものように要は隣のクラスへ足を運んだ。今朝から東西戦トレセン仲間とも化した友人二人は、いつものように教室の出口付近の窓に凭れて話をしていた。
「うす」と顔を覗かせると、今日は教室の隅、窓際にいる茂森の姿が目に入る。うつむいて携帯電話と向き合っていた。今朝のメールの返事でもしているのだろう。
 ちなみに、桐嬰の校則では携帯電話の所持は禁止していない。マナーモードは必須だが。
 茂森はキーの上に指を動かしつつ、時々画面に向かって小さく笑っている。そしてまた、メールを打っている途中に着信があったらしく、少し慌てた様子でまた電話を耳に当てていた。
 教室のざわめきに掻き消されてすべては聞き取れないが、
「去年は移動中にバス酔いしてたよね」
「監督はまた***さんなのかな」
 といった事を言っているのが分かった。話の流れから、電話の相手もまた今回のトレセンに選ばれたどこかの強豪選手なのだろう。数回頷いた後、茂森は時々、くすぐったそうに笑っている。
「何みてんだ?」
 芥野が要の意識が別に向いている事に気がつき、その目線を追う。
「電話やらメールやら忙しい奴だな」
 と苦笑する要の視は、まだ窓際の方を向いていた。
「いつもはああじゃないと思ったんだけど」
「ふーん」
 あれのおかげで鴨崎が、トレセンの場は「ともだち100人できるかな」の場と勘違いしているような気がする。だが鴨崎の前向きすぎる考えを差し引いたとしても、要とて少し不可思議に思う事があった。
「さっきあいつにメールが届いてた…なんだっけ、西開とか国立第一とかのって、どいつも有名な奴らなんだよな?」
「え、ああ、俺も名前ぐらいなら知ってるし」
 要よりはそういう情報に詳しい芥野が頷く。
「そういう奴らってさ、あんな風に他校の奴と、わざわざ筆まめにメールしたり電話したりするぐらい簡単に仲良くなるもんなのか?」
 われながら変な質問の仕方だと思う。が、他に思いつかなくて要は思ったままを口にした。
 年に数える程に会うか会わないか、しかも毎回会える確証もなく、それも選抜の場を離れてしまえばライバルとなる関係性に立つ相手と、あそこまで楽しそうに会話ができるものなのかと。不思議だった。
 思えば、部員や後輩にも、プレゼントを届けにきた女の子たちにも、そして自分達にも、茂森は常に笑みを向けるものの、それはどこか一歩遠慮しているような―そんな雰囲気があった。
「まあ、なんていうか、あいつの人柄もあるんだろうけど」と前置きして芥野が答える。
「天才同士にしか分からないイシノソツウってのがあるんじゃないか」
「天才なあ…」
 呟いて、要は窓際の茂森を見た。芥野が清水寺の方を見やり、その視線を受けた清水寺が軽く肩を竦め、そして茂森と要の間で視線を一巡させる。
 その時の要は、自分の頭上で視線のやりとりがなされている事に気づいていなかった。

 放課後の練習終了後、トレセンに選ばれた五人は部室に呼ばれた。コーチと共に中に入ると、監督の他に見覚えの無い初老の男がそこにいた。桐嬰中等部の理事会委員だという。
(何でこんなところに?)
 と要が思う隣で、鴨崎や芥野、清水寺もぎこちなくこちらを見やってくる。そんな中で、茂森だけはまっすぐ前を見たまま表情を変えていない。これは「慣例」というやつなのだろう。
「トレセン選抜、おめでとう」
 姿を現した要達に、男は開口一斉まず祝辞を述べた。
「茂森君以外は初めてだったね」と机の上に置かれた紙を手に、男は要達一人一人に視線を配った。一番端っこで、鴨崎が必要以上に緊張して背を伸ばしている様子が見える。
「いろいろと良い経験ができると思うよ。のびのびやってきなさい」
 満足そうに男は頷く。うつむくと、顎が二重になった。五人五様、バラバラに相槌を打つ中で、男は言葉を続けた。
「選抜の試合というのは、協会に存在を強くアピールする絶好のチャンスだからね。今回の出来が今後にも影響するから、肝に銘じておくと良い」
 協会。サッカー協会の事だ。国際大会を含む各種試合に選手を召集する際、必ずこの組織を通して行われる。最も大規模なところでは、オリンピックやワールドカップも含まれる。つまり協会に認められる事イコール、選手としての将来を認められる事にも繋がった。
「…………」
 にこやかに人の良さそうな笑みを浮かべる男に、要は何か引っかかりを覚える。「媚びて来い」というニュアンスが感じられて、素直に喜べなかった。そんな要の思いを他所に、男の「激励」は続く。
「優秀なコーチや監督、たくさんの他の学校の選手達と出会う事になると思う。彼らから盗めるものはできるだけ盗んで来なさい」
 そう言う男から一歩後ろに下がったところで、木炭のように直立不動な西浦は、視を瞑ってじっと男の言葉に耳を傾けていた。聞き入っているのか、聞き流しているのか分からない。
「ただ、一つ注意しておかなければならない事がある」
 立ち上がった男は、テーブルの上に置いてあったコートを羽織ながら、締めの言葉を口にした。
「関東代表となる他校の面々のことだがね。トレセンの間は確かに「仲間」かもしれない。だが、終わればライバルだ。その辺りもよく覚えておきなさい」
(………)
 無意識に目端がちくりと痛んで、要は目を細めた。
 という事は茂森の行動はこの男の意に則していないという事だ。男がそれを知ってか知らぬか、得意そうに「では、がんばって来なさい」と締めくくり、コートを着込んで部室を後にした。コーチが出口で見送る。
(何だあれ)
 肩越しに出口を振り向いた要は、闇に消えていった黒コートの残像を見据えた。隣を見ると、鴨崎がぽかんと口を開けて頭上に疑問符を浮かべ、芥野と清水寺はなにやらしっくりしない様子で顔を見合わせていた。その向こうに、西浦監督の方をまっすぐ向いたまま表情の変わらない茂森の横顔もある。
 男は現実的に、まんざら間違った事を口にしていた訳ではない。だが要は胸の内に生まれた不快感を拭い去る事ができずにいた。その不愉快な言葉に遠からずな事を自分もついこの午前中に口にしていた事を思い出したからだ。
「………」
 知らず知らず、要は両手を強く握り締めていた。
「スケジュールについて説明する。適当に座れ」
 瞑っていた両目をようやく開いた西浦が、五人に着席を促す。
「…っ……」
 低い声で我に帰り、要は小さく頷いた。五人の着席を待ってから西浦が片手に持っていた書類の束から、一部ずつを各自の前に配った。表紙に「東西戦トレセン要項」と書かれている。
 合宿と試合の日程や持ち物についてなど、書類の内容はいたって事務的なもので、必要最低限の情報以外は記されていない。内容にそって一通り西浦から説明がなされた。
「質問はあるか」
 説明の後の質疑応答に、誰も手を挙げない。数秒の沈黙が横たわった後、西浦は軽く息を吐いた。そして唐突に、
「楽しんで来い」
 そう切り出す。
「……」
 要を初め、鴨崎達も同時に書類から顔を上げた。
 これまでずっと無反応だった茂森も、ここで初めて反応らしい反応を見せる。
「友達をたくさん作ってこい」
 一席分はなれた場所に座っていたコーチは、静かに西浦の言葉を聴いている。
「試合のスタメンに選ばれる、選ばれないは考えるな。それよりも、そこで何か自分にとって大事な事を一つでも多く掴んで来い」
「………」
「………」
 西浦監督の言葉がそこで終わり、後はじりじりと、空気を焦げ付かすヒーターの音が部室内を支配した。両脇を先輩に挟まれた位置にいる鴨崎がおずおずと、そして次第に落ち着き無く左右を窺い始める。要より高い位置では長身の芥野と清水寺が顔を見合わせている。
 要は、まっすぐ西浦の目を見た。鋭く切れ長の瞳は、仁王監督と呼ばれているいつもの様子と変わらない色をたたえている。その静かな眼差しに、
「―がんばります」
 と、五人を代表する形で静かに茂森が応えた。その表情は、男の言葉を聴いている間の無表情とは違う、和らいだものだった。
「俺も俺も!ともだち千人つくってきます!!」
 その隣で鴨崎が手を挙げる。そもそも、そんなに参加人数がいるのだろうか、という疑問は彼の脳裏には浮かばなかったらしい。
「それから」
 鴨崎に苦笑を向けていた西浦の視が、不意に要を見た。
「…?!」
 少し面食らって要は思わず顎を引く。だが鋭い瞳がこちらを見たと思ったのは瞬間的な事で、一息飲みこんだ頃には無骨な西浦の横顔が、五人へ均等に視線をめぐらせていた。
「余計な事を考える必要はない。そんなものは、大人の仕事だ。やりたい事をやってくればいい。いいな」
 そして西浦は席を立った。「いいな」は彼の中で「解散」と同義でよく使われる言葉。だが五人はすぐにきびすを返そうとしない。それぞれ顔と視点を交差させ、そこでようやく「選ばれた」事を喜ぶ笑顔を向け合う。

 その時、肌に触れる空気が暖かく感じたのは、ヒーターのせいだけではないはずだ。

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 合宿は、連休を利用して三日間行われ、試合は一日置いた土曜日に行われる。関東選抜の合宿場所は、東京都内の郊外にあるトレーニングセンター。プロや日本代表の合宿や練習場にも使われる。広大な敷地内に、芝生グラウンドを複数有しており、トレーニング施設も充実していた。
「うっわあああああ!!!」
 バスを降りたと同時に、広大なグリーンを目の前にして鴨崎が声を上げた。
「芝生グラウンドだ、すっげーーーー!」
 鞄をその場に放り投げ、フェンスまで駆け寄って身を乗り出す。
 他にも到着している他校の選手達がみな、通りすがりに鴨崎の様子を一瞥していった。中には小さく苦笑を漏らして行く者も。
「芝の匂いがするな」
 体いっぱいで伸びをしながら、芥野が深呼吸をした。バスの中では、窮屈そうに長い手足を折りたたんでいたのだから。同じように長身の清水寺も、彼は彼で別方向に気をとられつつ手足を解していた。
「あれ、四条と茂森は?」
 背後に止まったままのバスを振り返り、清水寺が中を覗き込む。
「おーきーろーよ!」
 バスの後方から声が飛んできた。声の主である要は、最後部座席で窓際にもたれかかって完全に熟睡しているキャプテンの肩を、おざなりに揺さぶっている。
「クラクションでも鳴らそうか?」と運転席の運転手が苦笑いして後方を覗き込んでいた。
「図太い神経してやがる…」
 起きるどころか寝返りを打って尚も気持ち良さそうに熟睡を続行する茂森に、要は盛大な溜息を落とした。緊張と興奮で移動中は始終落ち着き無かった鴨崎と対照的に、茂森はバスが動き出すと同時に寝入ってしまって数時間、今に至る。
 時計を見ると、集合時間が迫っていた。合宿場に到着した選手はまずそれぞれに割り当てられた部屋へ行き、荷物を置いてミーティングルームに集合する事になっているのだ。
「しょっぱな遅刻はいやだからな!」
「ぁ~…ごめん……」
 三度目に強く揺さぶって、ようやく茂森は反応を見せた。のろのろと起き上がり、鞄を引き寄せ、目を擦りながら立ち上がった。何もかもが物珍しい残りの四人と異なり、勝手知ったる場所なのだろう。緊張感がまったく伝わってこなかった。
 運転手に軽く詫びて、キャプテンと副キャプテンの二人はようやくバスを降りた。駐車場のフェンスの向こうに、芝生が広がっている光景が壮大だ。周囲は森で囲まれ、空気も澄んでいる。都会の喧騒からは完全に隔離されていた。
「えっと、合宿所はあっちかな」
 地図を見るまでもなく歩き出した茂森を、慌てて鴨崎も追随する。広い駐車場に沿って伸びる遊歩道の向こうに、白い建物が数棟並んでいた。その中で最も大きいのが、食堂やミーティングルームを有する建物。他は選手が寝泊りする宿泊所だ。
「君達が最後ですよ。桐嬰学園の皆さん、五人ね」
 寮母と見られる初老の女性が、受付から五人を出迎えた。
「はい、茂森、四条、芥野、清水寺、鴨崎の五人です」
 名簿を一つずつ照らし合わせながら、茂森が代表で確認をする。受付作業を進めながら、寮母は「また来たね、茂森君」と一度顔を上げて微笑んだ。
「またよろしくお願いします」
 部屋の鍵と施設案内図等の書類を受け取って、茂森は会釈を返す。どうやら常連とあって顔見知りのようだ。
「キャプテンキャプテン!先輩先輩!ここ、でっかいジムもあるみたいですよ!」
 遠くから響いてきた声が急加速して近づいてきたかと思うと、要は背中に衝撃を感じた。入り口で案内板を見ていた鴨崎が興奮して要に飛びついてきたのだ。
「俺じゃなくて芥野か清水寺に飛びつけ!」
 まとわりつく鴨崎を振り解きにかかる。
「俺らに振るなよ」
「でかいんだから飛びつき甲斐があるんじゃないか」
「あ~~~それもそうですね!」
「納得すんなバカモ!」
「そんなうずうずした顔すんな!」
 背中で繰り広げられる騒ぎを受けながら、「にぎやかだねぇ」と笑った受付の寮母と向き合う茂森は、苦笑いで相槌を打った。
「茂森おまえキャプテンなんだからこいつの再教育しろよな!」
「あ!それならキーパーから簡単にゴールを奪う方法教えてください!」
 話を振られて茂森は「―教育の意味が違うんじゃないか」と肩越しに振り返る。
「良かったよ」
 騒がしい面々と対称的に、しみじみとした静かな声で寮母は頷いていた。
「今回は、友達がたくさんみたいだね」
「……」
 鴨崎達のやりとりから視線を外して要は受付を見やった。背中を向けた茂森の向こうから、寮母がこちらを一瞥する。視線がかち合う。目尻に深い皺を刻んで、細められた瞳。
 その意味を受け取る前に、
「さ、もうすぐ集合時間だよ。みんなお部屋に荷物を置いといで」
 寮母は部屋へと続く廊下と階段を指し示した。
「はーい!」
 勢い良く手を挙げて応える子供のような鴨崎にも、寮母は笑みを向けた。

 ミーティングルームは宿泊所から渡り廊下で繋がった別棟にある。茂森が場所を覚えていたので、さほど迷う事なくたどり着く事ができた。桐嬰の寮食堂のように観音開きの扉が半開きで彼らを出迎える。その向こうから、大人数の話し声が漏れてきていた。
「まだ始まってなかったみたいですねー!」
 安堵した様子で鴨崎が先頭をきって扉を開けた。
 と同時に、ざわめきが途切れる。
「?」
 扉を開けた姿勢のまま驚いた鴨崎は目を丸くして室内を眺める。時間ギリギリ、最後にやってきた桐嬰の面々を、室内が一斉に注目していた。
(思ったよりも多いんだな)
 さすがに要も面食らって広い室内を視線だけで見渡した。部室の倍はありそうな室内には、前方にホワイトボードと壇、そして食堂のように八人掛けの長方形のテーブルが規則正しく数組並んでおり、そのほとんどの席が埋まっている。
「あそこ空いてるね」
 五人中で唯一平然とした様子の茂森が、室内の隅に空いている席を見つけて指差した。
「お、おう」
「はーい」
 はりきって先を歩く鴨崎に続いて四人も席へと移動する。また徐々に、静まった室内が話し声を取り戻してざわめき始めた。
「………」
 歩を進めながら、要は周囲を観察する。
 室内を埋めるのは、いずれも自分達と似たようなジャージやTシャツ姿の同年代の少年達。彼らはそれぞれが、所属する学校やチームの代表としてここに集っている者たちだ。その自負心や自尊心からか、いずれもアクの強そうな雰囲気を纏っている。
 そしてその多くが茂森を見ている事にも、気がついた。「桐嬰の茂森だ」という声も聞こえてきて、
「さすがキャプテン、有名人~」
 と鴨崎が楽しそうに声の方を振り返るが、前を歩く本人はまったく意に介さない様子だ。
(見られる事に慣れてるんだな)
 選抜される場で一挙手一投足を観察され、知らない人間にフルネームを囁かれ、それこそファンにはいつの間にか写真をとられていたりする。そんな立場にいる人間の感覚を、要に分かるはずもない。
(居心地いいもんじゃないな…)
 茂森から自分達にも視線が流れているのを、要は背中で感じた。彼のチームメイトというだけで、多少の注目価値があるという事だろうか。
「よう」
 一人が、周囲の視線とは無縁の明るい声をあげて手を振ってきた。前方の席に座っていた少年が立ち上がる。
「岡野原」
 名を呼んで茂森は足を止めた。茂森にメールを送ってきた、国立第一中学校の選手だ。
「後でメシんとき一緒にくおーぜ」
 岡野原と呼ばれた少年は、人懐こい笑みを浮かべていたが、監督やコーチらしき人影が少しずつ入室してくるのを見て、残念そうに肩をすくめてから再び着席する。「ああ」と返事をして茂森も再び席に向かった。さっさと先に座っていた要の隣に座った茂森は、更にまた見知った顔を近くに見つけたようで、椅子の背もたれに肘をかけて後方に体を捩る。
「秋枝」
 そう呼ばれた少年は、隣のテーブルの端に腰掛けていた。声は出さず、軽く手を挙げて口に笑みを浮かべただけで茂森の呼びかけに応える。
「誰だ、あれ?」
 聞き覚えの無い名前だったので、小声で要が尋ねる。
「埼玉にある講学館中学のFWだよ」
「ふーん」と相槌をうって、要はそれ以上の質問をやめた。室内の前方で、監督らしき人物が面々に向き直る様子が見えたからだ。室内が自然と静かになっていく。
(ま、どうせ強豪チームのエースか何かなんだろうし)
 そう考えながら要も前方に視をやる。西浦監督とは正反対の、小柄な初老の男が壇上に立った。
「東西戦トレーニング合宿にようこそ。東軍監督の漆尾です」
 その声は、小柄な体とは裏腹によく通った。
(東軍……)
 要は内心で肩を落とした。
 戦国オタクの委員が作った制度だという噂は本当だったのか。正面で「東軍だって、何かカッコイイですね!」とでも言い出しそうに目を輝かせている鴨崎が憎い。
「この呼び方、いい加減変えたいんだけどねぇ、私も」
 要を代弁するように監督の漆尾は唇を歪めて笑った。上の意向にはおいそれと逆らえないらしい。会場からもまばらに笑いが起こる。
「それは置いておいて」と話を戻しながら漆尾は室内を見渡す。
「何度か見た顔もあるし、初めて見る顔もたくさんありますね。結構結構」
 満足そうに二回頷いた後、「さて」と話を続けた。
「だけどね、満更この名前は伊達ではなくて。まさに「戦」のつもりでみなさん真剣に取り組んでください」
 声は穏やかだが、漆尾の視は決して和らいでいない。
「基本的に皆さんには全てのトレーニングに参加してもらいたいと思っていますが、足をひっぱるような人には帰ってもらいますのでそのつもりで」
 不気味に厳しく光る漆尾の視。さすがに少年達は口を固く噤んで息を呑んだ。
(さすがに厳しいんだな)
 西浦の怒号を何度も食らって耐性がついている要は、あまり表情を変えずに漆尾の言葉を聴いていた。
 場の空気が引き締まった事を確認し、漆尾は自分の傍らに立つ二人の男に視線を戻した。
「今回のトレーニングでコーチを務める面々を紹介しましょう」
 二人立っているうちの左。三十歳半ばほどの男。眠たそうな二重が特徴的だ。
「彼はメインコーチの吉原さん。東京サイズミックウェーブのユースコーチでもある」
 サイズミックウェーブは、東京にあるプロサッカーチームの名である。チーム名は「津波」という意味があるらしい。
 右に立っている男は、身長が抜きん出て高い。年齢はこちらも三十半ばと言ったところだ。
「彼はGKコーチの坂江さん」
 実直そうな男が浅く会釈した。
「で、あともう一人…ちょっと今資料の用意をしてもらっててね。すぐ来ると思うんだが」
 と言っている途中で軽い足音が小刻みに近づいてきた。
「So sorry! 遅くなりました!」
 高い声で流暢な英語が飛び込んでくる。勢い良く扉を開いたのは、華奢な人影だった。
「………」
「………」
 場違いな存在の登場に、室内にいたサッカー少年達は唖然として扉の方を見ていた。無理もなく、そこに現れたのは、色素の薄い茶色いウェーブヘアを結わえた、色白の美女であったから。
 だが、スポーツブランドのジャージの上下という服装で、首からホイッスルを下げている。
「―っぁ……」
 思わず喉の奥から引きつったような声が息と共に漏れてしまい、要は慌てて片手で口を塞いだ。
(あの女、アサミヤ、とかいう…)
 間違いなく、女性は桐嬰サッカー部を観に来ていた、「ソウジ」の「姉さん」だ。一昨年の親善試合にてイギリス側のコーチとしてテレビにも一瞬映った、あの顔。
「…?」
 茂森や芥野や清水寺達が不思議そうな顔で要を一瞥した。
「あら…すみません」
 場の空気にようやく気がついた女性は、両手に抱えていた資料を近くのテーブルに置いて、他二名のコーチの横に並んだ。
「えーと」
 咳払いでざわめく室内を鎮め、漆尾は三人目の名を告げる。
「彼女はサブコーチの阿佐宮さん。ご覧の通り、日本では少し珍しい女性コーチだが、海外のクラブチームでコーチをしていた経験もある。向こうではそんなに珍しい事ではないそうだよ」
「アサミヤです。日本語、少しおかしい所もあるかもしれませんけど、その時は教えてね。宜しくお願いします」
 美しいが気の強そうな瞳を細めて、阿佐宮はぽかんとする少年達に向けて微笑んだ。
「すげー、「美人コーチ」ってやつだ」
 聞こえない程の小声で芥野と清水寺がつぶやく。「美人コーチ」というのが既に彼らの中では一つのブランドと化しているらしい。それを聞きつけた鴨崎がテーブルに身を乗り出した。
「ほんとだ、きれーなおねーさんですね」
 室内いっぱいに、幼い声が不用意に響き渡った。
「………」
「………」
「………」
(馬鹿だ……)
 静寂の底に沈む周囲の空気。室内なのに冷風が通り過ぎた気がした。
 何十もの目が一斉に、その「馬鹿」を振り向く。
 要は深く深く息を吐いた。他人の振りをしようにも、この状況ではできないではないか。
「え、その」
 さすがの鴨崎も周囲の反応を異常事態と理解したようで、見るからに脂汗をかいて慌てふためいていた。そしてどうするべきか分からないままとった行動が、
「すみません!でもウソついてません!」
 と精一杯のお詫びをこめて声を張り上げる、これだった。
 当然その結果、室内に苦笑が入り混じった爆笑が湧き上がる。当の美人コーチは少し青みがかった茶色い瞳を丸くして、くすぐったそうに肩を揺らして笑っていた。
 そして要の目に、壇上の監督が太い腕を胸の前で組んでふと視を伏せたのが見えた。西浦もそうだが、大人の多くは、怒鳴る前、または厳しい事を口にする直前、ああして目を伏せる。
(やばい)
 要は、苦々しい顔を作りながらも鴨崎のフォローに入ろうとして椅子から腰を浮かしかける。だがその横で、「監督」と先に茂森が椅子から腰を上げた。一瞬、「俺に任せろ」という視線が要を通り過ぎる。
「桐嬰学園中、キャプテンの茂森です」
 まず名乗り、
「中断させてしまい申し訳ありません。今後は静かにしていますので、ミーティングの続きをお願いします」
 そして慣れた風に謝罪を述べて頭を下げた。
「お前もあやまんだよ」
 困り果てて呆然とする鴨崎の頭に手をやって、要も立ち上がった。そして鴨崎の頭を下げさせながら「同じく、すみませんでした」と自分も体を折り曲げる。
「ごめんなさい!」
 室内中の視線を集めている三人を前に、芥野と清水寺は顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
「すみません、言いだしっぺは俺でした」
 長身二人が同時に頭を下げる。なかなか迫真だ。
 茂森が頭を上げたタイミングから少し遅れて、四人も顔を上げた。特に鴨崎は恐る恐る監督の顔を窺う。
「そうしてもらえると助かるよ」
 茂森の言葉へ皮肉っぽく応え、だがさほど激怒している様子はなく、漆尾は苦笑と共に大きなため息を零した。こうして潔く連帯責任を被って全員で謝られては、怒るに怒れない。「大人」としての引き際を弁えている監督は、余裕の面持ちを崩さなかった。
「もういい。座りなさい」
 着席を促され、「はい」と口々に五人は席についた。要の右隣に座る鴨先は肩を縮めて俯いている。顔が真っ赤だ。恥をかいた事はもちろんだが、先輩四人にまで責任を被せてしまった自分の失態を悔やんでいるのだろう。
(……)
 要は軽く肘で鴨崎の腕を小突く。
「………」
 顔を上げた鴨崎の視線を感じたが、要はそれを見ずに前方の監督へ意識を戻した。
 それから三十分程、練習メニューやスケジュールについて説明が続いた後、監督はコーチの一人にプロジェクターを用意させた。ホワイトボードがそのままスクリーンとなり、パソコンにつないだプロジェクターから映像が流れ始め、室内の電気が消された。
「これは去年のトレーニングと、試合の様子を短くまとめたものだ。これでだいたい、雰囲気が感じとれると思うが」
 スピーカーから人の声と、ボールを蹴る音、そしてホイッスルの音色が混在して流れ出す。
 映像はまず合宿所でのトレーニング光景が次々と映し出された。
 ランニング、ドリブル、パス等の基礎練習風景や、特定の状況を想定したシミュレーション練習。
 また場面が切り替わり、オレンジと緑のゼッケンの二組に分けられた選手達が動き回っている。人数の組み合わせを見ると、ミニゲームだろう。誰も彼も、試合さながらに真剣な面持ちで汗だくになって走り回っている。
「あ、キャプテンだっ」
 向かいから鴨崎の小さな声。それでもやはりよく響く彼の声は、暗い室内で際立った。監督がまたこちらを一瞥したのが要からは見えたが、諦観した様子で苦笑するだけで、また視線をスクリーンに戻してしまった。
 反省していないわけではなく、これはもう直しようのない鴨崎の特性なのだとわかってもらえたようだ。
 鴨崎の言葉通り、スクリーンにオレンジゼッケンの茂森が映った。緑チームがオレンジゴールを攻める場面。前方を見据える茂森、それと対峙する緑チームの中に、先ほど茂森と目を合わせた国立第一の岡野原や講学館の秋枝の姿もあった。
 三人ほぼ同時にボールに飛びつき、一瞬速かった岡野原が上半身を撓らせてヘディング、茂森の手が一度は触れたものの、ボールはそのままゴールへ零れていく。
「あー」と声を漏らしている既に周囲が見えていない鴨崎は、スクリーンに見入って体を乗り出した。
「ゴールされちゃっ……ぁ!」
「!」
 鴨崎の語尾が跳ね上がると同時に、要もスクリーンに向けてテーブルに身を乗り上げかけた。
 縺れ合った三人が、ゴールの中へ重なり合って落下しのだ。
『うわ、大丈夫か!?』
 カメラを持っていた人物、コーチだろうか、も酷く慌てたようでカメラが激しく揺れた。
「痛そ……」
 思わず要は口端に呟いていた。
 岡野原や秋枝は顔から、茂森は背中から落ちて、それぞれまともに地面に打ち付けていた。
 あ、一瞬、気を失ってたな。
 そう自覚する瞬間というものがある。
 要も過去に経験があるが、相手チームと接触したり、ディフェンスのスライディングをまともにくらって地面に転がったりした時、体を打ち付ける直前から時間が止まる、そんな時。
 今スクリーンに映っている三人がまさにその状態で、ゴールの中で折り重なったままで動かない。置き去りにされたカメラのレンズは、慌ててゴールへと駆け寄るコーチと監督達を映し続けていた。
「え、ええ…キャプテンたち、し、死んじゃったんですか……??」
 泣きそうな声で鴨崎がスクリーンを指差しながら、茂森を振り返る。
 また室内のところどころから笑いが起きた。
「じゃあ今お前が話しかけている相手は誰なんだよ。前向け、前」
 要は低く呟くと、テーブルに乗り上げてくる馬鹿の頭を掴んで前を向かせた。「あ、そっか」とようやく悟った鴨崎は呑気な顔に戻ってでまたスクリーンに見入っている。映像の状況は、監督やコーチに声をかけられた三人が起き上がるところだった。
「「あ、いま気を失ってたな~」って、なんとなく覚えてるよな」
 画面を向いたまま両腕を組んでいる茂森が、要に話しかけてきた。ちょうど同じことを考えていたようだ。
「わかるわかる。真っ暗になる直前に時間がスロウダウンするっていうか」
「そうそう、あの時もそうなった」
 そこでお互いに顔を見合わせる。笑うと椅子の背もたれが小さく軋んだ。
 画面の中でも、起き上がった三人がお互いに顔を見合わせ笑いあっていた。
―お前もわかった?
―わかったわかった
 向こうからも、そんな会話が聞こえてきそうだった。
「ま、これは極端な例だが」
 スクリーン横に座っていた漆尾監督のコメントが、映像に重なる。
「それこそ「戦国」じゃないけど、気持ちの上ではみんなこれぐらい必死になって挑んで欲しい。ああもちろん、ケガには気をつけるように」
 どうやら、今回の映像を見せる趣旨は今の言葉に全て集約されているようだ。そのうち映像は再び切り替わり、今度はどこかのフィールドが映る。どうやら試合のダイジェストに入ったらしい。
 監督と反対側に座っていた吉原コーチが、解説を引き継いだ。
「去年の東西戦は、2-1で関東代表の勝ち。この中にも何人か、この時のスタメンがいるね」
 暗闇の中で、何人かが首や視線を巡らせた様子が見えた。誰と言われるまでもなく、先ほどから何回かスクリーンに登場する茂森、岡野原、秋枝の三人だ。
「地域の性格というものもあるのかもしれないが、関西選抜にはとにかく気持ちがアグレッシブな選手が多い」
 断片的に試合の様子を切り取った映像が流れると共に、吉原コーチの解説が続く。
「とにかくファールギリギリのプッシング、スライディングが多いのも関西出身の選手に見られがちな特徴だ」
 解説通り、KANTOのロゴ入りユニフォームを着た選手が、KANSAIのロゴ入りユニフォームを着た選手に引き倒される様子が流れる。
「接触事故も多いが、それを恐れていては何もできない」
 キーパーがキャッチしたボールに対して、勢いが止まらずに蹴りこんでくる場面も映った。これは当然、たとえ故意ではなくとも反則になる。
「うわ…」
 誰からとも無く声が漏れた。顔を蹴られて蹲るキーパーや、鳩尾にボールを食らって動けなくなるDF、競り合いの末に肘が額に当たって切ったFWなど、中学生の試合とは思えない場面が次々と編集されて映し出される。
(なんかすっかり関西人は野蛮人っていう事になってる気が…)
 映像を見つめながら要は苦笑した。
 だが確かに、関西出身の要が桐嬰に入って関東の選手を目にする機会が増えた時に「関東は大人しい優等生サッカーをする奴が多いんだな」と思った事は否めない。
「一番基本的な事だが、気後れして力が出し切れない事が一番馬鹿らしい負け方だ」
 話を続けながら平然と画面を眺めるコーチ。一旦言葉を切って、対面に座る監督に次を促した。そういう段取りになっているのだろう。
「関西のアスリートは海外の選手と傾向が似ている事が多い。今後君達の中でどれだけ日本代表にのし上がる人間がいるかは未知数だが、良い経験材料になるのは確かだね」
 さりげなく言葉の中に、挑戦的な叱咤激励が含まれていた。
 そして必ずそれにノる人間がいる。たとえば―
「ナショナルセンバツっ」
 両手に拳を作った姿勢で、すっかり映像と監督の話に入り込んで独り言を呟く鴨崎のような。
「とはいえね」
 試合映像がフェイドアウトしたところで監督は停止ボタンを押した。ドア付近にいたコーチが明かりを着ける。
「我々には我々の「やり方」「特性」がある。相手が力で押して来た時、それをまた同じく力で押し返すだけじゃ能がない」
 ホワイトボードの前に立つ監督を、プロジェクターの白い光が照らし出す。まるであつらえたスポットライトのように、改めて面々を見渡す漆尾監督の様子が浮かび上がった。
「この合宿では、そういった事を君達に教えていくつもりだ」
 演説にしては淡々と、講義にしては辛辣な漆尾監督の所信表明が終わった。
 まずは明確なビジョンありき。
 ミーティング前と、今現在とで、選手達が作る室内の空気が完全に変化しているのを、要は感じていた。
 隣で茂森は、表情を変えずにただまっすぐ監督の方を眺めていた。


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21

 夜。
 宿泊所の食堂は広く、選手全員が着席しても半分以上の席が余っていた。食べ物のメニューは栄養士によりガチガチに計算された内容であらかじめ決められている。その代わりデザートとなるフルーツと飲み物は取り放題だった。
 トレーニングが始まる前日とあって、まだ初対面同士が多く、選手達はそれぞれの顔見知りや学校同士で固まっている。
 フリードリンクコーナー近くのテーブルを陣取っているのは、要ら桐嬰の五人、そして「一緒に食おうぜ」と約束していた岡野原と、そしてミーティングルームで茂森が声をかけていた秋枝の計八人だ。秋枝は講学館中から唯一の選抜選手で、岡野原は同校から三人と共に参加しているが、食事は別行動をとっている。
「いやあ、お前ってケッサクだな!」
 剣山みたいにツンツンと尖った黒髪の短髪が目印の岡野原は、隣に座った鴨崎が気に入ったようだ。しきりにミーティングルームでの出来事をネタにして、鴨崎をいじくりまわしている。
「もぉ、やめてくださいよーーー」
 天然ぶりで押し返す事もできず、珍しく鴨崎は顔を真っ赤にして身を縮めているだけだ。
「ダンナ、あんまりうちのエースをいじめないでやってくださいよ」
 そこに愛想の良い芥野と清水寺が加わり、
「お、彼、エースストライカーなんだ??ちっちゃいのになあ、エラいなあ」
「これから伸びるんです!お父さんは180以上ありますし!」
「じーちゃんばーちゃんは?」
「え、ふ、普通…かな」
「隔世遺伝かもしれないぞー?」
「覚醒偉伝!??凄そうっす!」
「お前絶対に違うモノ想像してるだろ」
「お前らおもしれーなーー!」
 すっかり四人で打ち解けていた。
 その一方で、斜向かいに座る秋枝と茂森は静かな会話をかわしている。
 秋枝は茂森とタイプが似ていて、黒目がちの瞳と、その瞳に影を落とす少し眺めの前髪が、良く言えば大人しい、悪く言えば暗い印象を与えた。お互いに波長が合うのか、会話の流れにゆったりとした空気が漂う。
 その様子を眺めながら、要は黙々と食事を口にしていた。先ほどからタイミングを見計らっているのだが、なかなかチャンスが訪れない。あの阿佐宮というコーチの事を、茂森に話すべきかどうか、それも含めて迷っている。さすがに他人の目や耳があるところでは話せない。
「なんか、元気ないな?」
 要の様子に気がついた茂森が、秋枝から一度視線を離した。
「いや、なんでもない」
「本当に?」
 疑わしげに覗き込む顔に「本当だって」と返す。喉の渇きを覚えたので、要は飲み物と果物を取りに席を立つ。
 ドリンクコーナーには果汁100%ジュースが数種類、牛乳、紅茶、水と白湯が置いてある。グレープフルーツジュースが入ったジャーに、要とほぼ同じタイミングで延びた手があった。
「あ」
 要が躊躇すると、相手は微塵の遠慮を見せる様子も見せずにジャーを手に取ると、残りのジュースを全部注いでしまった。
「………」
 手を引っ込めかけたまま一瞬固まった要。
(…別にいーけどさ)
 わざわざ文句を言うのも大人げない。せめて相手の顔を見てやろうと横を見る。
 太い眉に丸い瞳、への字に結ばれた唇と、トータルして負けん気の強い顔の少年だった。
 気を取り直してオレンジジュースを注ぎ、果物が欲しくなったのでデザートコーナーに行く。グレープフルーツの小皿が一つ残っていたので手を伸ばすと、またもや別の手に奪われた。
「………」
 あの少年だった。
「なんだよ」とでも言いたげな目で睨まれる。
「グレープフルーツ、好きなのか?」
「………」
「なんだお前」と言いたげな目が要を真っ直ぐ見つめて来た。
「柑橘が好きだ。というより、果汁の無い果物は果物じゃない」
「ああそう」
 ヤバイ。鴨崎に近い匂いがする、気がする。
 本能がそう感じ取った。早く離れようと要は踵を返しかけるが、
「おい」
 と呼び止められる。
 無言で振り返ると、今度は上から下まで全身を観察された。
「どこ?」
 唐突に短い質問。主語がない。
「へ」
「オレ千葉の梅ヶ丘中」
 と、自分を指しながら少年。どうやら学校名を聞いているらしい。
「ああ……俺は桐嬰」
「桐嬰?神奈川の?」
「うん?そう、桐嬰学園」
 要の答えに、少年は大きな瞳を細めた。笑うためにではなく、嫌悪感を示すために。
(なんだなんだ?)
 要が疑問符を浮かべていると、少年はそれきり何も言わずに背を向けて、そのままどこかへ行ってしまった。
(変な奴)
 少年は他に誰もいないテーブルにつくと、一人で黙々と食事を続けた。どうやら彼の学校では唯一の代表だったようだ。寂しさを紛らわせるかのようにジュースを喉に流し込んでいる。
 誘ってやればよかったのかな。
 ほんの少し、後ろ髪を引かれる気持ちを残しつつ、同時に二度にわたって食べ物を横取りされた小さな恨みを遺しつつ、要は自分のテーブルに向かった。その道すがら、要はまたある事に気がつく。食堂全体に散らばる合宿参加者達、その視線が桐嬰の面々らが座るテーブル方向に流れる頻度が高い気がするのだ。
 だがそれは無理も無い。茂森は勿論、選抜常連の岡野原も秋枝も中学サッカーでは名がよく知られている。いわゆる「豪華なメンバー」が一つのテーブルに集まっている状態がそこにある。
 要がその価値をイマイチ実感できていないだけなのだ。
「おかえり。なんかやな事でもあった?」
 戻ってきた要を出迎えたのは、茂森のそんな言葉だった。
「ほんとだ、食い物でも取られたか」
 気がついて芥野や清水寺も、こちらを見やってきた。
「俺はそんなにみみっちい奴に見えるのか」
「そんな感じのカオしてたぜ」
 遠慮の無い言葉が芥野から飛んでくる。
「………」
(小さいこと考えるのはやめよう)
 百パーセントで無いにしろ、もやもやの二割はグレープフルーツが占めていたので、まんざら否定できないまま要は席についた。
 その時、食堂の端においてあったテレビから『ワールドベースボールが―』というアナウンサーの声が聞こえてきた。
「?」
「?」
 背後を振り返ると、少し高い位置に設置されたテレビモニターでは、スポーツニュースが流れていた。番組では、野球の世界選手権とも言える大会の模様を伝えている。
『松坂、本日の試合で怒涛の十五奪三振』
「「松坂!!」」
 要が声を上げて椅子の背から身を乗り出すと同時に、まったく同じ行動をとった人間が隣にいた。
「………」
「………」
 茂森だった。要と同じく体を捩り、椅子の背もたれに肘をかけた姿勢でニュース画面に乗り出している。思わず、顔を見合わせた。
「野球、好きなんだ?」という問いに、
「プロ野球も、MLBも全般的に」
 要は即答した。すると「俺も!」とうれしそうな表情が戻って来る。
「メジャーに行った日本人選手では誰が一番好き?」
「好きなプロ野球チームは?」
 と次々と質問が投げかけられる。要もそれに応酬しながら同じ質問を投げ返す。質問が重なるごとにお互い、内容がマニアックになっていった。
「詳しいな~、お前ら」
 岡野原が感心して言葉を挟む。デザートに出されたゼリーをつつきながら頬杖をついていた。
「野球をやろうとは思わなかったのか?」
 と話に加わってきた秋枝は、やたら箸が遅く、まだご飯を噛んでいる。
「実は小学生の時、野球もやってみたかったんだよな」
 茂森が答え、
「ポジションは?」
 要が尋ねる。
「やっぱりピッチャーかな。憧れる」
 画面に映る松坂の姿を見上げる茂森の目は、まさに羨望のまなざし、といった風だ。
「茂森の場合は肩が強いしな。俺も小学生の時に野球のリトルリーグかサッカーか、迷った頃あったっけ」
「じゃあお互い、もしかしたら桐嬰野球部でプレイしてたかもしれないな」
 茂森の言葉に、要は「いや」と低声を挟んだ。
「そりゃねぇな。俺、体大きく無いし肩強くないし」
 言いながら自分の右肩をぐるりと回してみせる。遠投も得意ではなかった。「これから大きくなるんじゃないか?」と隣から茂森が覗き込んでくるが、要は苦笑を向けた。
「もしお前が野球を選んでたら、一緒にプレイできなかっ……」
(ちょっと待て俺)
 とっさに要は口を噤んだ。
 自然と口をついて出た言葉に自分で驚いた。
「……」
「……」
 急にテーブル一帯が微妙すぎる空気に包まれる。唐突に会話を遮断された茂森はもちろん、外周から会話を聞いていた秋枝や岡野原、そして鴨崎いじりにひと段落がついた芥野や清水寺達も、奇異な物を見る目で要の様子をいぶかしんでいた。
 ひしひしと伝わる妙な空気が肩にのしかかり、じっとりと要の額に脂汗を浮かしつつあった。テレビのスポーツニュースは日本のプロ野球のキャンプ情報に変わり、取材先のVTRが流れていた。耳に飛び込んでくる好きな野球選手の名前を読み上げるナレーションの声が、やけに遠くに感じた。
 自分で断ち切ってしまったこの場の空気をどう修復するか、脳裏でぐるぐると考えをめぐらせていると、隣に座り、こちらを驚きいっぱいの顔で見つめていた茂森が、その面持ちを崩して和らげた。
「そういうことなら、俺サッカー選んでよかったよ」
「……俺は別にそういうつもりじゃ…」
 強情にごまかそうとする要の様子を見透かしていたか、茂森は目を細めて笑った。
「いいな~~~キャプテンと先輩ラブラブで~」
 デザートのゼリーを食べていた鴨崎が、迷惑なほどに通る声で世迷言を言い、
「はっはっはっ。こういうのを「人目もはばからず」って言うんだぞ~」
 その隣で岡野原が鴨崎の背中を叩いて豪快に笑い飛ばす。
「……」
 要は無言でテーブルに設置されたソースを手に取ると、それを鴨崎のゼリーにたっぷりと流し込んでやった。
「ああああ!先輩ひどいっす!」
 不気味に変色したゼリーを見下ろして嘆く鴨崎の両隣で、いずれも長身の芥野、清水寺、岡野原の三人はいつまでも笑い続けていた。

 ごく短時間のうちに、こうも大ハジを連続してかく機会はそうそうないだろう。食堂から部屋に戻るまで、要は自分に向く好奇の視線をひたすら無視して突き進んだ。
「四条」
 そんな要の後を追いかけてくる茂森の声。
 空気が読めないのか、図太いのか、鈍いのか。
 さっきの今で何故こうして声を上げながら自分を追って来れるのか、理解に苦しむ。
「し~じょ~う~」
「なんだよ」
 渋々振り返る。目の前に鍵を差し出された。
「まだ渡してなかったろ?」
「……そうだった」
 格好悪いったらない。だが受け取らないわけにも行かず、要は手を差し出す。
「俺に、何か話があったんじゃないか?」
 要の手のひらに鍵を落として、茂森は高い上背をかがめて要を覗き込んだ。
「なんで」
「何か言いたそうだったから」
 確かに、今はチャンスなのかもしれない。宿泊所へ向かう渡り廊下の途中、周囲に人影は少なく、鴨崎達は合宿所内を探検に行くと言っていた。
(………)
 だが、要は躊躇した。
 阿佐宮コーチが自分達の存在に気がついているのは明らかだ。この合宿に参加する前から選抜選手の資料ぐらい目を通しているのだろうから。だがミーティングの最中、彼女は一度たりとも茂森の方を見ようとはしなかった。
(向こうから何も言ってこないなら、俺が言う事じゃないよな)
 それに、余計な情報を与えて、茂森が合宿中に調子を崩しても困る。
「なんでもない。本当に何でもないから」
「…そう」
 頷くものの、物足りない顔の茂森に背を向けて、「じゃ」と要は部屋に向かった。
「ジュース買って来るけど、何か欲しい?」
 背中にかけられた声に「グレープフルーツ」と答える。
「そんなジュースあるかなぁ」
 茂森は、首をかしげながら遠ざかっていった。


22

 部屋割りは、他校の選手とも交流が持てるようにと、それなりに余計な考慮がなされていた。部屋は四人部屋、六人部屋の三種類。個人部屋はプロや監督、コーチ用だ。
 五人も代表がいる桐嬰の場合、二人と三人に分けられ、要と茂森は、他校の二名と一緒に四人部屋に割り当てられた。
(いないのか)
 まだ誰も部屋に戻っていないようで、部屋の鍵は閉まっていた。鍵を開けて灯りをつけると、部屋の真ん中や隅に四人分の荷物が置かれている。部屋はビニールの畳で、押入れがある。小さな卓袱台が一つと冷蔵庫、そして出口の右手に洗面台がある。トイレと大浴場は共用だ。まさに寝るためだけの小さな部屋だが、清潔感があって居心地は悪くなさそうだ。
 押入れを開けた。四人分の布団一式が積み重なっている。まだ寝るには早い。まもなく、廊下から人の気配が近づいてきた。同室者の他校の選手だろうか。身構えていると、
「あったよ、グレープフルーツジュース」
 両手に缶を持った茂森だった。
「本当にあったのか…」
「ん?」
「なんでもない」
 放り投げられた缶を片手で受け取り「いくら?」と尋ねると、
「いいよ」
 と返ってくる。
「前に野菜ジュースもらったから」
 要にとって衝撃的な人事発表の夜。踊る電子ヒヨコと野菜くん(しっかり野菜生活のキャラクター)が脳裏に蘇る。
「あれはタダだった」
 要が言うと茂森は得意そうに、目を細めた。
「俺も、当たったんだ」
「マジで!?」
「びっくりした。初めてだよ」
「じゃ、もらっとく。サンキュ」
 納得して要はプルリングを引いた。
 また廊下方面から聞こえてきた。ノブが回されて、今度は同室者の残り二人がやってくる。
「あ…ども」
 不意を突かれたように二人組は部屋の入り口で足を止めた。
「神奈川の桐嬰中二年、茂森です。よろしく」
 茂森が先に自己紹介をしたので、要も倣うことにした。
「同じく四条」
 それに「ども」と付け加えて必要最低限の挨拶に留めた。むしろ自己紹介など必要ないのは茂森のほうなのだが。
 対して同室者は東京都の稲井中の森下と川西と名乗った。それぞれMFとDF。こちらも強豪チームとして知られており、都大会ベスト4の成績から学校推薦枠と協会推薦枠を得て四人が派遣されているのだという。要たちと同じように、半分に分かれて部屋を割り当てられている。
 部屋の真ん中で飲み物を囲んで話をしていると、一際騒々しい声と音が廊下から響いてきた。推測するまでもない。
「あそびにきましたーーーーーーっ!!!」
「寝るには早いぞコラァア!」
 鴨崎と、今やすっかり意気投合している岡野原が、第一陣としてドアを蹴破ってきた。
「……」
「……」
 呆然とする室内の四人。そして少し遅れて、
「ちぃーす」
 と芥野、清水寺が秋枝を巻き添えにしてやってきた。
 両手に菓子袋を抱えた鴨崎が、室内の唖然とした空気を押しやって、部屋の真ん中へ入り込む。中央に菓子袋を広げ「すごいっすよ、ミニローソンがあったんですよ!」と興奮している。
「飲み物も調達してきた」
 岡野原が2リットルのペットボトル数本を、菓子袋の傍らに並べていく。ご丁寧に、紙コップまで用意していあった。「よう!」と要達の同室者二人にも気さくに笑いかけて、自己紹介が始まっている。鴨崎と二人であっという間に場の空気を一つに馴染ませつつあった。
「すげーな」
 思わず呟きとして漏れた要の言葉。コップに飲み物を注いでいた茂森がそれを聞きつける。
「岡野原と鴨崎って、似てるんだよな」
「そうみたいだな」
 手渡された菓子袋の一つを開けながら、要は騒ぎあう岡野原と鴨崎の様子を見ていた。根岸は鴨崎の突飛行動を吸収緩和する事でウマのあう関係性を作っているが、岡野原の場合は完全に同じ空気に同調している風だ。
(黙ってりゃフツーなのに)
 長身で大柄な体躯、太い眉毛に短髪と、一見すると岡野原は硬派なアスリートにも見えるのだが。口を開いた時とのギャップに、要の目はまだ慣れていない。
「四条は、鴨崎が入部してきた時のこと、覚えてるか?」
「へ?」
 茂森から突然の質問に、要は一瞬目を丸くするものの、すぐに「当たり前」と苦笑した。

 鴨崎と初めて会ったのは、去年の春。新入部員テストの時だった。
 三年生と一軍達は別グラウンドで練習をしており、二年生の要達が二軍グラウンドでテストの手伝いをする事になった。
 シュートのテストで、要はセンターサークルに立ってテストを受ける新入生にボールを渡す役目だった。
「GKがもうすぐ来るから、ちょっと待っててくれ」
 と、テストを進行するコーチ。このシュートテストの時だけ、別グラウンドで練習をしている茂森が呼ばれる事になっている。
「1番!1年A組、鴨崎隆一、よろしくお願いしまーーっす!!」
 頼んでもいないのに、高々と名乗りを挙げながらやってくる一年生。「1」番のゼッケンをつけていた。
「……」
 ボールを持ったまま要が奇異な目で鴨崎を見ていると、
「あ、先輩!!FWの四条先輩っすよね!」
「え?ま、まあ」
 目を輝かせて詰め寄ってくる鴨崎に、要は一歩引いた。
「見学会の紅白戦みましたー!すっごい接戦で面白かったです!先輩のフェイク、シビれました!!」
 この年の紅白戦も、GK茂森と一軍二人を含んだ二軍チームと、一軍チームの対戦という図式だった。そういえば、見学者席から奇声が聞こえてきた気がするが、これはこのアホから発せられたものなのだろうか。
 あまりの勢いに唖然とする要の様子を見かねてか、
「空気を読めバカモ」
「2」番のゼッケンを身につけた少年が、鴨崎の背中をどついた。これが当時新一年生の、根岸だった。
「いってぇ!」
 半泣きで抗議する鴨崎を無視し、根岸は要に向き直る。
「先輩すみません、こいつバカなんです」
(言われなくても分かったけどな)
 鴨崎と根岸の凹凸ぶりに口を出す隙もなく、要はただ二人のやりとりを眺めているだけに留めた。
「バカっていう奴がバカなんだぞ!あ!!」
 根岸への猛抗議を唐突に打ち切った鴨崎の視線が、九十度旋回する。
 要も振り向くと、一軍グラウンドの方からキーパーユニフォームがゴール前に駆けて来るのが見えた。シュートテストのキーパー役をするために呼ばれた二年生。順番待ちのために並んでいた新入生達の間で軽いざわめきが起きた。それを全て蹴散らす奇声が、
「茂森一司きたー!!!」
 要の目の前で炸裂する。
「………」
「………」
「………」
 いくつもの唖然が、鴨崎に向けられた。
「……???」
 フルネームを叫ばれた本人は何事かと、まるで天災に遭遇したかのように「ぽかんとした顔」で、動きをとめていた。
「―じゃない、茂森センパイ!!」
 感慨深げに言い直してから鴨崎は、呆然とした要の手から、半ば奪うようにボールを受け取ると、それを足の下に転がした。
「俺!ゴール決めますからっっ!!」
 ある意味「天災」のような鴨崎少年は、ゴール付近に立ち止まったままの茂森に指を突きつけた。

「忘れるわけねーよ」
 要は回ってきた菓子の袋から一口二口つまみながら応える。徐々に頭の中に当時の光景が鮮明になってきた。間近で鴨崎の奇行を全て見ていたのだから。
 シュートテストでのシュート回数は、一人につき五回。センターからドリブルして、シュート位置は自由だが、必ずペナルティエリアの外からでなければならない。
 あのテストは、シュートが入る・入らないを計るものではなかった。新入生の中には当然、初心者も混ざっているので、全体のセンスを見るものである。そうでなければ、新入生にイキナリ中学日本一のキーパーをあてがうわけがないのだ。趣旨についてコーチから冒頭に説明があったが、鴨崎にはまったく聞こえていなかったようだ。
「この日をまってたんっす!!」
 と息巻いている。
「…あ~あ…」
 可哀相な子を見る眼差しになっていた要は、一つ深い息を吐いた。
「いいよ」
 一方で茂森はいつもの面持ちに戻って、ゴール前にスタンバイした。
「そのつもりで」
 こちらもそのつもりで迎え撃つ。
 茂森の返事にはそんな意図も含まれていた。
 本来このテストで茂森は、「必ず取ろうとしなくても良い」とコーチから言われていたはずなのだ。
 要にもコーチらの意図は分かっていた。例えただ立っているだけでも、ゴール前に人がいるのといないのとでは、それだけで感じるプレッシャーが違う。それでなくてもこの桐嬰の正GKは、戦闘モードになると存在感が雲泥に違う。
 その圧迫感に気後れする事なくボールに集中しゴールに執着できるか。技術よりむしろそのメンタリティを見る為のテスト。
「よし」
 ゴール前でグローブを締め直した茂森は小さく頷くと、
「いいぞ、来い」
 僅かに背を屈め、胸の前で両手拳を突き合わせた。これがスイッチとなる事を要は知っている。途端、目つきが変わり、ゴール前に黒く巨大な鉄扉が現れるのだ。
「お願いしまーす!!」
 気後れどころか顔を紅潮させたこの新入生は、先ほどから早くボールを蹴りたいとうずうずとしていた。
(ある意味こいつは既に合格してるのかもしれない)
 寒くもないのに素肌から湯気が立ち上りそうな背中を眺め、要は次のため息を唾と共に飲み込んだ。
「いきまあーす!」
 声をあげ、鴨崎はボールをけりだした。

「結局シュートは全部とられたってオチでしたけどね!」
 と、いつの間にか思い出話に加わっていた鴨崎。
「わはははは!カッコイイなおまえ!!」
 岡野原はその話をいたく気に入ったようで、今も鴨崎の隣で豪快に笑っている。
「そうそうできる事ではないな」
 秋枝が冷静なコメントを残す。
「逆に感心したな」
 と言う要に続いた岡野原も「そうだよな」と頷く。
 だがそんな三人の反応へ、茂森は「よく言うよ」と笑い出した。
「なんだよ」
 といぶかしがる要を見て、その視線を秋枝と岡野原へも向けた茂森。
「俺にとっては、秋枝も岡野原も、四条も・・・かなりインパクトの強い出会い方だったんだけどな」
「「「そんなことないだろ」」」
 三重唱した三人のリアクションを受けて、また茂森は笑う。
「聞きたい!聞きたいっす!」
 鴨崎が身を乗り出す。
「他の二人はともかく、俺はちがうだろ」
 と要。
「俺、そんな衝撃的な出会い方した覚えねーぞ」
 言いながらペットボトルに手を延ばし、別に飲みたくもないお茶を口に含む。ただ唇が乾いている。要には、少し嘘をついている自覚があった。
 お互いに初対面だった時には、確かに茂森が言うほどの事はなかったはずだ。だが要の一方的な遭遇は、確かに「インパクト」と呼ぶのに相応しい。関西でずっと噂でしか耳にしたことがなかった「関東の凄いGK」、その試合を初めて見た時。
 要にとっての茂森との出会いはその時だったのだから。
「少しずつ話してやるよ」
 と鴨崎を宥めた後で要を見やる茂森の目が、なぜか少し寂しそうに見えたのはきのせいか。
(そんな顔される覚えはないぞ・・・)
 茂森の視線から逃げる為に要はコップの中身を飲み干した。
 会話が途切れかけたタイミング、まるで句読点のように軽快な着信音が鳴り響いた。
「わりい」
 要の携帯だった。
 ディスプレイをよく確認せずに通話ボタンを押すと、電波にのって甲高い声が届いた。
『カナ兄元気~~~??』
 受話器から耳を離しても、声が突き抜けてくる。周囲にも、電話の相手が女の子である事がすぐに分かったようだ。
「ああ…元気だよ…何の用だ?」
 要はその場から立ち上がりなら電話に応える。部屋にいる面々、特に芥野と清水寺と茂森以外が興味津々の様子で要の背中を眺めている。
『やーだな~~~、初めてのセンバツだっていうから、ご機嫌うかがいだよ?』
「お前は母親か」
『なによ~~、シボられて落ち込んでるかなーって思ってかけたのに』
「まだトレーニング始まってもいねぇよ」
『あら』
 しばらくそんなやりとりをした後に電話を切る。振り向くと、
「センパ~~~~イ、カノジョさんっすかぁああ??」
「おお、やるなあ、桐嬰の副キャプテン君」
 予想通りのリアクションが鴨崎と岡野原から戻ってくる。一歩離れた場所から、秋枝や稲川中の二人もじっと要の方をうかがっていた。
 事情を知る桐嬰二年生の三人は、そんな彼らの様子を面白そうに眺めている。
「バーカ。妹だよ、妹」
 やれやれ、という風な顔で携帯のディスプレイを閉じながら、要は輪に戻る。
「先輩の妹さん!?」
「仲いいんだな~」
「どんな子なんですか??」
「カワイイ子か?」
「写メとかないんですか~?」
 やたらと鴨崎と岡野原の追及がしつこい。
「妹の写真なんて持ち歩くかっての」
 苦笑して携帯をパーカーのポケットに仕舞う。
「え~~芥野先輩達は知ってるんですか??」
 要から聞き出すのは難しいとして、鴨崎は別のルートから情報を聞き出そうとしはじめる。
「もう哉子の話はいーだろ」
 視線を振り払うように要は片手で空気をかいた。
「カナコちゃんっていうんだ~」
「………」
 しまった。
 今日は厄日だ。
 言い訳するのも疲れてくる。要は視を伏せて肩を落とした。
「明るくて良い子だし、可愛いよ」
 隣から、そんな声。コップにお茶のお替りを継ぎ足している茂森だった。
「な、お前…」
 要は思わず慌てて振り返る。
「おお、お前も会ったんだ」
 芥野が煎餅を食べながら呑気な事を言っている。
「お~~、可愛いんですか~~」
「いいな~、可愛い妹って男子の憧れだぜ?」
 何を想像してるんだか。
「そうでもねーよ」
「キャプテンが可愛いっていうんだからきっと可愛いですよ!」
 どういう基準と理屈だ。
「ところで何コ違いなんだ?」
 また、冷静な声で秋枝から言葉が挟まる。
「そういやそうだ。これで幼稚園生、とかいうオチかもしれないしな」
 と岡野原。
「同い年だよ」
 さっさと話を終わらせようと、鴨崎が何か言う前に要が即答する。
「同い年?」
 岡野原が、膝についていた頬杖から顔を離した。
「双子なんだって」
 半ばヤケクソな勢いで要は答えた。最初からそうネタばらししておけば、こういう話にはならなかった。内心で後悔しながら三杯目のお茶をコップに注いだ。やたらと喉が渇く。
「双子…え、でもだってさっき」
 岡野原が斜向かいに座る茂森を指差す。
 鴨崎も振り返った。
「?」
 何故自分が面々の視線を集めているのか理解できていないようで、茂森は頭上に疑問符を浮かべている。
 岡野原は何度か茂森と要の間で視線を行き来させた後、明後日の方向を見上げた。そして、Oの字にしていた口に、笑みを浮かべる。
「―まあいいや。そうかそうか」
 そんな頃。
 兄に電話をかけた妹哉子は、自分の電話のせいで兄が窮地に陥った事など知る由も無く。
「チュートリアルの片方って、言うほど男前かなぁ」
 などと言いながら、ルームメイトの同級生とテレビを観て笑っていたのであった。


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guardians22
22

 部屋割りは、他校の選手とも交流が持てるようにと、それなりに余計な考慮がなされていた。部屋は四人部屋、六人部屋の三種類。個人部屋はプロや監督、コーチ用だ。
 五人も代表がいる桐嬰の場合、二人と三人に分けられ、要と茂森は、他校の二名と一緒に四人部屋に割り当てられた。
(いないのか)
 まだ誰も部屋に戻っていないようで、部屋の鍵は閉まっていた。鍵を開けて灯りをつけると、部屋の真ん中や隅に四人分の荷物が置かれている。部屋はビニールの畳で、押入れがある。小さな卓袱台が一つと冷蔵庫、そして出口の右手に洗面台がある。トイレと大浴場は共用だ。まさに寝るためだけの小さな部屋だが、清潔感があって居心地は悪くなさそうだ。
 押入れを開けた。四人分の布団一式が積み重なっている。まだ寝るには早い。まもなく、廊下から人の気配が近づいてきた。同室者の他校の選手だろうか。身構えていると、
「あったよ、グレープフルーツジュース」
 両手に缶を持った茂森だった。
「本当にあったのか…」
「ん?」
「なんでもない」
 放り投げられた缶を片手で受け取り「いくら?」と尋ねると、
「いいよ」
 と返ってくる。
「前に野菜ジュースもらったから」
 要にとって衝撃的な人事発表の夜。踊る電子ヒヨコと野菜くん(しっかり野菜生活のキャラクター)が脳裏に蘇る。
「あれはタダだった」
 要が言うと茂森は得意そうに、目を細めた。
「俺も、当たったんだ」
「マジで!?」
「びっくりした。初めてだよ」
「じゃ、もらっとく。サンキュ」
 納得して要はプルリングを引いた。
 また廊下方面から聞こえてきた。ノブが回されて、今度は同室者の残り二人がやってくる。
「あ…ども」
 不意を突かれたように二人組は部屋の入り口で足を止めた。
「神奈川の桐嬰中二年、茂森です。よろしく」
 茂森が先に自己紹介をしたので、要も倣うことにした。
「同じく四条」
 それに「ども」と付け加えて必要最低限の挨拶に留めた。むしろ自己紹介など必要ないのは茂森のほうなのだが。
 対して同室者は東京都の稲井中の森下と川西と名乗った。それぞれMFとDF。こちらも強豪チームとして知られており、都大会ベスト4の成績から学校推薦枠と協会推薦枠を得て四人が派遣されているのだという。要たちと同じように、半分に分かれて部屋を割り当てられている。
 部屋の真ん中で飲み物を囲んで話をしていると、一際騒々しい声と音が廊下から響いてきた。推測するまでもない。
「あそびにきましたーーーーーーっ!!!」
「寝るには早いぞコラァア!」
 鴨崎と、今やすっかり意気投合している岡野原が、第一陣としてドアを蹴破ってきた。
「……」
「……」
 呆然とする室内の四人。そして少し遅れて、
「ちぃーす」
 と芥野、清水寺が秋枝を巻き添えにしてやってきた。
 両手に菓子袋を抱えた鴨崎が、室内の唖然とした空気を押しやって、部屋の真ん中へ入り込む。中央に菓子袋を広げ「すごいっすよ、ミニローソンがあったんですよ!」と興奮している。
「飲み物も調達してきた」
 岡野原が2リットルのペットボトル数本を、菓子袋の傍らに並べていく。ご丁寧に、紙コップまで用意していあった。「よう!」と要達の同室者二人にも気さくに笑いかけて、自己紹介が始まっている。鴨崎と二人であっという間に場の空気を一つに馴染ませつつあった。
「すげーな」
 思わず呟きとして漏れた要の言葉。コップに飲み物を注いでいた茂森がそれを聞きつける。
「岡野原と鴨崎って、似てるんだよな」
「そうみたいだな」
 手渡された菓子袋の一つを開けながら、要は騒ぎあう岡野原と鴨崎の様子を見ていた。根岸は鴨崎の突飛行動を吸収緩和する事でウマのあう関係性を作っているが、岡野原の場合は完全に同じ空気に同調している風だ。
(黙ってりゃフツーなのに)
 長身で大柄な体躯、太い眉毛に短髪と、一見すると岡野原は硬派なアスリートにも見えるのだが。口を開いた時とのギャップに、要の目はまだ慣れていない。
「四条は、鴨崎が入部してきた時のこと、覚えてるか?」
「へ?」
 茂森から突然の質問に、要は一瞬目を丸くするものの、すぐに「当たり前」と苦笑した。

 鴨崎と初めて会ったのは、去年の春。新入部員テストの時だった。
 三年生と一軍達は別グラウンドで練習をしており、二年生の要達が二軍グラウンドでテストの手伝いをする事になった。
 シュートのテストで、要はセンターサークルに立ってテストを受ける新入生にボールを渡す役目だった。
「GKがもうすぐ来るから、ちょっと待っててくれ」
 と、テストを進行するコーチ。このシュートテストの時だけ、別グラウンドで練習をしている茂森が呼ばれる事になっている。
「1番!1年A組、鴨崎隆一、よろしくお願いしまーーっす!!」
 頼んでもいないのに、高々と名乗りを挙げながらやってくる一年生。「1」番のゼッケンをつけていた。
「……」
 ボールを持ったまま要が奇異な目で鴨崎を見ていると、
「あ、先輩!!FWの四条先輩っすよね!」
「え?ま、まあ」
 目を輝かせて詰め寄ってくる鴨崎に、要は一歩引いた。
「見学会の紅白戦みましたー!すっごい接戦で面白かったです!先輩のフェイク、シビれました!!」
 この年の紅白戦も、GK茂森と一軍二人を含んだ二軍チームと、一軍チームの対戦という図式だった。そういえば、見学者席から奇声が聞こえてきた気がするが、これはこのアホから発せられたものなのだろうか。
 あまりの勢いに唖然とする要の様子を見かねてか、
「空気を読めバカモ」
「2」番のゼッケンを身につけた少年が、鴨崎の背中をどついた。これが当時新一年生の、根岸だった。
「いってぇ!」
 半泣きで抗議する鴨崎を無視し、根岸は要に向き直る。
「先輩すみません、こいつバカなんです」
(言われなくても分かったけどな)
 鴨崎と根岸の凹凸ぶりに口を出す隙もなく、要はただ二人のやりとりを眺めているだけに留めた。
「バカっていう奴がバカなんだぞ!あ!!」
 根岸への猛抗議を唐突に打ち切った鴨崎の視線が、九十度旋回する。
 要も振り向くと、一軍グラウンドの方からキーパーユニフォームがゴール前に駆けて来るのが見えた。シュートテストのキーパー役をするために呼ばれた二年生。順番待ちのために並んでいた新入生達の間で軽いざわめきが起きた。それを全て蹴散らす奇声が、
「茂森一司きたー!!!」
 要の目の前で炸裂する。
「………」
「………」
「………」
 いくつもの唖然が、鴨崎に向けられた。
「……???」
 フルネームを叫ばれた本人は何事かと、まるで天災に遭遇したかのように「ぽかんとした顔」で、動きをとめていた。
「―じゃない、茂森センパイ!!」
 感慨深げに言い直してから鴨崎は、呆然とした要の手から、半ば奪うようにボールを受け取ると、それを足の下に転がした。
「俺!ゴール決めますからっっ!!」
 ある意味「天災」のような鴨崎少年は、ゴール付近に立ち止まったままの茂森に指を突きつけた。

「忘れるわけねーよ」
 要は回ってきた菓子の袋から一口二口つまみながら応える。徐々に頭の中に当時の光景が鮮明になってきた。間近で鴨崎の奇行を全て見ていたのだから。
 シュートテストでのシュート回数は、一人につき五回。センターからドリブルして、シュート位置は自由だが、必ずペナルティエリアの外からでなければならない。
 あのテストは、シュートが入る・入らないを計るものではなかった。新入生の中には当然、初心者も混ざっているので、全体のセンスを見るものである。そうでなければ、新入生にイキナリ中学日本一のキーパーをあてがうわけがないのだ。趣旨についてコーチから冒頭に説明があったが、鴨崎にはまったく聞こえていなかったようだ。
「この日をまってたんっす!!」
 と息巻いている。
「…あ~あ…」
 可哀相な子を見る眼差しになっていた要は、一つ深い息を吐いた。
「いいよ」
 一方で茂森はいつもの面持ちに戻って、ゴール前にスタンバイした。
「そのつもりで」
 こちらもそのつもりで迎え撃つ。
 茂森の返事にはそんな意図も含まれていた。
 本来このテストで茂森は、「必ず取ろうとしなくても良い」とコーチから言われていたはずなのだ。
 要にもコーチらの意図は分かっていた。例えただ立っているだけでも、ゴール前に人がいるのといないのとでは、それだけで感じるプレッシャーが違う。それでなくてもこの桐嬰の正GKは、戦闘モードになると存在感が雲泥に違う。
 その圧迫感に気後れする事なくボールに集中しゴールに執着できるか。技術よりむしろそのメンタリティを見る為のテスト。
「よし」
 ゴール前でグローブを締め直した茂森は小さく頷くと、
「いいぞ、来い」
 僅かに背を屈め、胸の前で両手拳を突き合わせた。これがスイッチとなる事を要は知っている。途端、目つきが変わり、ゴール前に黒く巨大な鉄扉が現れるのだ。
「お願いしまーす!!」
 気後れどころか顔を紅潮させたこの新入生は、先ほどから早くボールを蹴りたいとうずうずとしていた。
(ある意味こいつは既に合格してるのかもしれない)
 寒くもないのに素肌から湯気が立ち上りそうな背中を眺め、要は次のため息を唾と共に飲み込んだ。
「いきまあーす!」
 声をあげ、鴨崎はボールをけりだした。

「結局シュートは全部とられたってオチでしたけどね!」
 と、いつの間にか思い出話に加わっていた鴨崎。
「わはははは!カッコイイなおまえ!!」
 岡野原はその話をいたく気に入ったようで、今も鴨崎の隣で豪快に笑っている。
「そうそうできる事ではないな」
 秋枝が冷静なコメントを残す。
「逆に感心したな」
 と言う要に続いた岡野原も「そうだよな」と頷く。
 だがそんな三人の反応へ、茂森は「よく言うよ」と笑い出した。
「なんだよ」
 といぶかしがる要を見て、その視線を秋枝と岡野原へも向けた茂森。
「俺にとっては、秋枝も岡野原も、四条も・・・かなりインパクトの強い出会い方だったんだけどな」
「「「そんなことないだろ」」」
 三重唱した三人のリアクションを受けて、また茂森は笑う。
「聞きたい!聞きたいっす!」
 鴨崎が身を乗り出す。
「他の二人はともかく、俺はちがうだろ」
 と要。
「俺、そんな衝撃的な出会い方した覚えねーぞ」
 言いながらペットボトルに手を延ばし、別に飲みたくもないお茶を口に含む。ただ唇が乾いている。要には、少し嘘をついている自覚があった。
 お互いに初対面だった時には、確かに茂森が言うほどの事はなかったはずだ。だが要の一方的な遭遇は、確かに「インパクト」と呼ぶのに相応しい。関西でずっと噂でしか耳にしたことがなかった「関東の凄いGK」、その試合を初めて見た時。
 要にとっての茂森との出会いはその時だったのだから。
「少しずつ話してやるよ」
 と鴨崎を宥めた後で要を見やる茂森の目が、なぜか少し寂しそうに見えたのはきのせいか。
(そんな顔される覚えはないぞ・・・)
 茂森の視線から逃げる為に要はコップの中身を飲み干した。
 会話が途切れかけたタイミング、まるで句読点のように軽快な着信音が鳴り響いた。
「わりい」
 要の携帯だった。
 ディスプレイをよく確認せずに通話ボタンを押すと、電波にのって甲高い声が届いた。
『カナ兄元気~~~??』
 受話器から耳を離しても、声が突き抜けてくる。周囲にも、電話の相手が女の子である事がすぐに分かったようだ。
「ああ…元気だよ…何の用だ?」
 要はその場から立ち上がりなら電話に応える。部屋にいる面々、特に芥野と清水寺と茂森以外が興味津々の様子で要の背中を眺めている。
『やーだな~~~、初めてのセンバツだっていうから、ご機嫌うかがいだよ?』
「お前は母親か」
『なによ~~、シボられて落ち込んでるかなーって思ってかけたのに』
「まだトレーニング始まってもいねぇよ」
『あら』
 しばらくそんなやりとりをした後に電話を切る。振り向くと、
「センパ~~~~イ、カノジョさんっすかぁああ??」
「おお、やるなあ、桐嬰の副キャプテン君」
 予想通りのリアクションが鴨崎と岡野原から戻ってくる。一歩離れた場所から、秋枝や稲川中の二人もじっと要の方をうかがっていた。
 事情を知る桐嬰二年生の三人は、そんな彼らの様子を面白そうに眺めている。
「バーカ。妹だよ、妹」
 やれやれ、という風な顔で携帯のディスプレイを閉じながら、要は輪に戻る。
「先輩の妹さん!?」
「仲いいんだな~」
「どんな子なんですか??」
「カワイイ子か?」
「写メとかないんですか~?」
 やたらと鴨崎と岡野原の追及がしつこい。
「妹の写真なんて持ち歩くかっての」
 苦笑して携帯をパーカーのポケットに仕舞う。
「え~~芥野先輩達は知ってるんですか??」
 要から聞き出すのは難しいとして、鴨崎は別のルートから情報を聞き出そうとしはじめる。
「もう哉子の話はいーだろ」
 視線を振り払うように要は片手で空気をかいた。
「カナコちゃんっていうんだ~」
「………」
 しまった。
 今日は厄日だ。
 言い訳するのも疲れてくる。要は視を伏せて肩を落とした。
「明るくて良い子だし、可愛いよ」
 隣から、そんな声。コップにお茶のお替りを継ぎ足している茂森だった。
「な、お前…」
 要は思わず慌てて振り返る。
「おお、お前も会ったんだ」
 芥野が煎餅を食べながら呑気な事を言っている。
「お~~、可愛いんですか~~」
「いいな~、可愛い妹って男子の憧れだぜ?」
 何を想像してるんだか。
「そうでもねーよ」
「キャプテンが可愛いっていうんだからきっと可愛いですよ!」
 どういう基準と理屈だ。
「ところで何コ違いなんだ?」
 また、冷静な声で秋枝から言葉が挟まる。
「そういやそうだ。これで幼稚園生、とかいうオチかもしれないしな」
 と岡野原。
「同い年だよ」
 さっさと話を終わらせようと、鴨崎が何か言う前に要が即答する。
「同い年?」
 岡野原が、膝についていた頬杖から顔を離した。
「双子なんだって」
 半ばヤケクソな勢いで要は答えた。最初からそうネタばらししておけば、こういう話にはならなかった。内心で後悔しながら三杯目のお茶をコップに注いだ。やたらと喉が渇く。
「双子…え、でもだってさっき」
 岡野原が斜向かいに座る茂森を指差す。
 鴨崎も振り返った。
「?」
 何故自分が面々の視線を集めているのか理解できていないようで、茂森は頭上に疑問符を浮かべている。
 岡野原は何度か茂森と要の間で視線を行き来させた後、明後日の方向を見上げた。そして、Oの字にしていた口に、笑みを浮かべる。
「―まあいいや。そうかそうか」
 そんな頃。
 兄に電話をかけた妹哉子は、自分の電話のせいで兄が窮地に陥った事など知る由も無く。
「チュートリアルの片方って、言うほど男前かなぁ」
 などと言いながら、ルームメイトの同級生とテレビを観て笑っていたのであった。
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guardians23
23

 翌朝。トレーニングの初日だ。
 六時に起床した選手達は、七時までに朝食を含む準備を終えて、七時十五分にグラウンドへ集合する。桐嬰の面々がグラウンドに到着する頃には、ほぼ全員の選手達がすでに集合していた。
「よう」
 少し離れた場所から岡野原が手を振ってきた。国立第一中の面々達と一緒だ。ここでも昨晩の食堂と同じく、学校ごとにグループが出来ている。一人で来ている者は、それぞれ単独で柔軟を行っていた。
(あいつ…)
 要の視界に、端の方で黙々と屈伸をするグレープフルーツ少年の姿が入った。黒い長袖ジャージの上下を身につけている。
「集合!」
 ホイッスルが鳴り、監督から声がかかった。ばらばらに集まってきた面々を眺めて、監督は手にしていたボードをペンの尻で叩いた。
「まず、四組のグループにわけて順々に各種テストを行う。これから名前を呼ぶ順に整列すること」
 トレーニングの冒頭、まず体力テストと技術テストが行われる。ちなみに技術テストは、GKのみ別メニューとなる。グループ分けに恣意性はなく、五十音順に振り分けただけのようだ。
 その結果、Aグループには秋枝、岡野原、茂森が入り、Bグループには芥野と清水寺、Cグループには、
「わーい、先輩と同じチームだ!」
「………」
 要と鴨崎が入った。ミーティングルームでの出来事で一躍有名人となっていた鴨崎は、他のメンバー達にあからさまな好奇の視を向けられている。だが本人はまったく気づいていないようで、
「Aグループ、なんかゴーカですね~、キャプテンや秋枝さん、岡野原さんもいますよ~」
 と暢気にグループ分けの行方を観察していた。
「中路、Cグループ」
 そしてまた新たに要達のグループに新メンバーが加わる。
「ハイ」と低く不機嫌そうな返事と共にCグループに合流したのは、
「あ、柑橘の奴」
「……」
 グレープフルーツの少年だった。
「なんですか、カンキツのヤツって」
 鴨崎が不思議そうに目を丸くしている。
「……中路だ」
 少年は大きな目を極限まで細めて要を睨み付ける。
「悪い、俺は…四条」
「さっき聞いた」
「ああそう…」
 監督が名前を読み上げていた事を指しているらしい。それきり少年は要から明後日の方向へ視線を逸らしてしまった。
(やりにくい)
 何の巡りあわせか、しばらく彼と行動を共にしなければならないようだ。要の隣で「ああいうのをニヒルなヤツっていうんですかね~」と能天気な様子の鴨崎が理由もなく憎い、そんな気分だった。
 体力テストは、瞬発力を測る五十メートル走、そして持久力と回復力を測るVMAテストの二種類だ。
 CグループとDグループは先に五十メートル走を行っていた。
「四条、六秒四」
「お~~」
 コーチがストップウォッチの数値を読み上げ、鴨崎がゴール地点で手を叩くと同じタイミングで、周囲からも小さくざわめきが起こる。先ほどから誰かが六秒台前半を出すたびに、感嘆の声が上がっていた。
 人が出す記録にいちいち反応を見せている鴨崎の記録は、六秒一。ここにいる面子の中で、上位を争う記録である事は間違いない。
「中路、六秒四」
 背後にコーチの声が聞こえてきて、要は振り返る。グレープフルーツの中路がゴールライン付近で足を止めた瞬間が目に入った。
(同じか)
 淡々とした表情で息を二度、三度と吐き出して呼吸を整えた中路が、不意に要の方を振り返って目が合った。
「……」
 そしてコンマ一秒以下直後にはあからさまに逸らされる。
 何か恨まれる事でもしたのだろうか。要にはまったく覚えが無い。
 もやもやしていると、
「すげぇ、まだ続いてる」
 別方向から複数の声が上がった。AグループとBグループのVMAテストが行われている小トラックを観察していた面々からだ。
 VMAテストとは「有酸素性最大スピードトレーニング」の事だ。1本目は125メートルを45秒以内で走り、その後は距離を6.25メートルずつ延ばしていく。走破するごとに15秒間の休憩。距離が延びても45秒の走破タイムは変わらず、時間内に走りきれない場合は測定が終了となり、最終的に何本走れたかを測るものだ。
 脱落式のテストのため、トラックに残って走っている人影は数人に減っている。一方でトラックの外周では脱落者がグロッキーになって転がっていた。その中には芥野と清水寺も含まれていた。
「キャプテンまだ残ってますよ!」
 鴨崎が興奮した様子で要の袖を引く。コーチのホイッスルが鳴り、トラックに残った四人が再び走り出した。そのうちの一人は走り出した早々に足がもつれてその場にへたり込んでいた。残った三人に目をやると、茂森、岡野原、秋枝のいずれもAチームの選抜常連組が汗だくでトラックを並走していた。
「何本目だ?」
 真っ直ぐ前を見たまま要が口走ると、誰からともなく「二十越えたぞ」と答えが返ってきた。
「二十……」
 要は目を見開く。いつだったか、ワールドカップ日本代表のある選手のトップは二十本半ばを出したと雑誌の記事で見たのを覚えていた。
「休憩!」
 また、コーチのホイッスル。速度を緩めた三人は懸命に呼吸を整える。その中で、やはり瞬発力を持ち味とするFWの秋枝が最も苦しそうに背を丸めていた。それを肩越しに気にしながら、茂森と岡野原はトラックをゆったりと歩く。急激に足を止めては心臓に負担が掛かるからだ。
「二十一本目!」
 という声と共に、非情にもまたコーチのホイッスルが鳴る。茂森と岡野原が前方を走り、その後ろを追いすがるように三歩遅れて秋枝も懸命に足を運ぶ。
 二十二本目に入ったところで、秋枝が脱落。トラックの外周に倒れこんだ。
「岡野原、茂森、秋枝……あいつら怪物だな」
「どっちが勝つと思う?」
 そんな声が後方から聞こえてくる。
「やっぱ走る量が多いMF…岡野原じゃねぇ?」
「でもGKで普通ここまで本数稼ぐ奴も珍しいっていうか」
 何か不可視の存在に突き動かされているように、トラックに残った二人は、もはや意識が半分以上どこかに飛んだ状態で尚も前に進む。
「休憩!」
 コーチのホイッスルが鳴る。
 二十三本目を終えた時点での休憩、ここでついに岡野原が崩れた。
「マジかよ…」
 そう呟きながら、彼は平均感覚を失ったようにトラックの外周側に逸れて、尻餅をついて座り込んだ。
「おいおい」
「二十四本目!」
 ざわめきの中、コーチのホイッスルが鳴る。
「………っ」
 一人残った茂森の足が、速度を上げた。休憩時にはおぼつかなかった足取りも、走り出すと力強くクレイを踏みしめる。腕の振りはバラバラ、体も傾きかけ、フォームは完全に崩れていたが、それでも足元だけは確かな意識を持っているように見えた。
「キャプテンー!」
 鴨崎が叫んだ。だが誰も振り返らなかった。要も含め、みながトラックに残った一名の「生存者」を見ていた。
「休憩!」
 また、ホイッスル。一瞬、足を止めた茂森は空を仰いだ。
(!)
 要は思わず一歩を踏み出し、
「陥ちる」
 そして呟いていた。
「…え?」
 鴨崎が要の横顔を振り返り、そしてまたトラックに視を戻す。
「二十五本目!」
 コーチの事務的な声が、また非情な宣告をする。
 声に揺らぎはないが、ホイッスルとボードを片手にトラックの内周に立つ吉沢コーチの目には、一種の疲労感が漂っていた。
 そして、陥落は突然訪れる。二十五本目を走りきり、休憩ゾーンに入った地点で、突然最後のランナーは右に傾いたかと思うと、そのまま足を止め、まるで泣き崩れるかのように膝を折って横向きに地に伏した。
「あっ」
 鴨崎が声を上げて、大袈裟すぎるほどに両肩をびくつかせた。
「………」
 要は我ながら不気味なほど冷静に、生存者のいなくなったトラックを眺めていた。呼吸をするのも困難な様子で、茂森、岡野原、秋枝はクレイの地に背中をつけて大の字になっていた。
 様子を見て回る吉沢コーチの問いかけに、三人とも半分以上が上の空で頷いている。
「記録、何本だ」
「?」
 斜め後ろから要に声が掛かった。
「あ…」
 振り向くと、中路がいた。
 彼もまた、トラックの外側に転がる面々を見つめている。
「二十五、だけど」
「誰の記録だ?」
「茂森。岡野原は二十三で、その次は秋枝の二十一、かな」
 彼の必要最低限の問いかけに対して、要はあえて訊かれていない事も加味して答えた。だが、中路から拒絶の反応は戻ってこない。
 珍しく「そうか」と素直に受け取って、大きな瞳をいっぱいに開き、無人のトラックに未だ残る熱を見つめていた。
 要はしばしその横顔を眺めた後、再び視線を茂森達に戻した。
「ぼーっとしてるんじゃないぞ」
 背中からは、CグループとDグループのテスト進行をしていたアシスタントコーチの声。目覚ましのように怒りっぽい音色で、ホイッスルが鳴り響く。
「次はお前達がアレをやるんだからな、気合いれてけ!」
 この言葉にC、Dグループの面々が一斉に表情を変える。反応はそれぞれだが、多くが顔色を悪くしていた。
「げっ」
「俺まえにやったことあるけど十ちょっとで死にそうだったのに」
 そんな声を背で聞きながら、要はトラックに足を踏み入れた。
「……オイ、生きてるかよ」
 そして仰向けに転がったままの怪物を見下ろした。
 空に向いただけの、焦点が定まらない両眼が、
「…………………あ、うん」
 数秒の時間を要した後でようやく要をとらえた。
 続いて、空気を求めて開いたままの口が、「笑う」という意思を形にする。
「はは……」
「…酸素不足で脳障害でも起こしたか?」
 ランナーズハイというやつか。それは喜びや安堵ではなく、恍惚感に似た艶っぽい笑みだった。要の皮肉へ、茂森は表情を変えず緩やかに首を横に振った。
「去年……、岡野原に、二本差で負けたんだ。だから…―」
 その当の岡野原も、少し離れたトラック脇で「大」の字を描いたままでいる。広い胸板を懸命に上下させて呼吸の建て直しをはかっていた。
「岡野原に?」
 要は肩越しに、そんな地面と一体化しつつある大柄なMFを一瞥した。
 だから今年は二本差で勝ってやったと。
「お前さあ。MFがGKに持久走で負けるってのは、逆よりショックの大きさが違うんだぜ?」
 同じなのだ。立場とか条件とか、関係ない。茂森にとって。
 自分で言いながら要は既に、分かっていた。
「あ~~~~っくショー!メチャクチャくやしい!!」
 突然、岡野原が絶叫しながら起き上がる。そして咽ていた。
「なんなんだテメーは」
 そして、四つん這いながら凄い勢いで茂森と要の元に詰め寄ってきた。体が大きいので、四足の獣が襲い掛かってくるような迫力だ。
「急に六本も記録増やしやがって!」
「すごいだろ~~」
 寝転がったまま茂森が「へへ」と笑う。まだ、テンションがおかしいようだ。そこへ、年中無休でテンションがおかしい鴨崎が「キャプテンたちすごいっす!!!!」と飛び込んでくるのであった。
「げほっ」
「うへえっ」
 三人で団子になっている様子を眺めながら、要は思案する。
(分かんねぇ)
 片や中学日本一のGKで、片やそれと並ぶMF。下らない小競り合いでさえ、世界が違う。こんな次元の違うところでサッカーをしている奴が何故、
『俺が一番負けたくない相手は四条』
 あんな事を言うのだろうか。
「AとBグループ、十五分休憩したら五十メートル走テストを始めるぞ」
 吉原コーチからの指示とホイッスル。
 外周に寝転がっていた選手達が少しずつ復活して、隣のトラックへ移動を始めている。反対に、CとDグループが少しずつこちらのトラックへ来ていた。
「いこうぜ~」
 先に復活していた芥野、清水寺や秋枝から声がかかる。
「うーっす」
 岡野原が先に立ち上がり、続いて茂森も起き上がった。二人ともだいぶ回復しているようで、足取りは確かだった。
「じゃあ、頑張って」
 振り返って片手を振り、茂森たちは隣のグラウンドへと行ってしまった。
「がんばりまーす!!」
 鴨崎が大きく振り返している隣で、要は小さくため息を吐いてきびすを返した。
「…!」
 そこへ、アシスタントコーチと共に次の技術テストの準備をしている阿佐宮サブコーチの姿が目に入った。砂のグラウンドにラインを引いていくアシスタントの隣で、石灰の袋を手にして、一点を見つめていた。五十メートル走トラックへと移動していくA、Bグループ達の方。
「!」
 向こうもこちらの存在に気がつき、要と視線が交差する。
 そのまま逸らそうとすると、阿佐宮コーチが小さく首をかしげて微笑んできた。そして、彼女の方からゆっくりと視線を外して、またライン引きに意識を戻す。
 彼女が何を見ていたか、要には分かった気がした。


「十本目!」
 十回目のホイッスルが鳴る。
(うーん)
 速度を上げながら、要は唇を舐めた。乾いていた。
「苦し~~」
「無理無理…」
 そんな弱音を苦笑と一緒に口にする選手達と対称的に、要は黙々と足を動かしていた。
(これの二.五倍か。つか、無理だな)
 要とて、口に出さないだけで、あまり彼らと変わらない事を考えている。ただ、顔に汗が出ない体質と、弱音を顔や口に出さないタチとあって、
「先輩ヨユーっすね~」
 と言う鴨崎の言葉通り、第三者からは淡々と余裕に見えている。ただそれだけだ。
「休憩!」
 十回目の休憩ホイッスルが鳴る。そこでまた数人、トラックの外へと脱出していった。
「これきっつー。キャプテンよく二十五本もいけたな~すごいな~」
 鴨崎が大きく息を吐きながら伸びをした。
 色々と泣き言を漏らしている割には、まだ顔に笑顔が残っている。
「十一本目!」
 またホイッスル。
 要が速度を上げかけると、隣を追い越した人影があった。
(あいつもまだ残ってるのか)
 中路だ。彼もまた、最初から一言も発さずに黙々と課題をこなしている。だが、大きな瞳の輝きは雄弁で、やる気に満ちている様子がありありと分かった。A、Bグループの奮闘振りをみて感化されたのだろう。
(それにしても…二十五本はねぇよな)
 一定の幅を延々と描くトラックの白線を見つめながら、要は機械的に手足を動かし続けた。
(一昨日のワールドカップ日本代表のトップ記録が…二十五~六とかだろ、確か)
 サムライブルー特集、という文字が表示を大きく飾った雑誌、その合宿取材記事の一節に書いてあったはずだ。代表チームの合宿で行われる、各種テストやトレーニング内容や結果を図説つきで紹介しているもので、クラブチームの友達と真似してやってみた事がある。
 主に上位にランクインしていたのは、九十分走り続けるMFやFWで、GKの名は無かったはずだ。
(馬かっつーの)
 そこで桜台アークス時代の茂森が思い浮かぶ。キーパーを始めた頃からずっと「防ぎ続けて相手のミスを誘う」というあの戦略を続けてきたのだろうか。確かにあのチームではそれしか手段が無さそうではある。それならば、他のポジション並みに動き回って持久力がつくのも多少は頷ける。
 そもそも彼がキーパーを始めたのも、もしや「人材不足だから、一番背の高い人がキーパー」的な選ばれ方でなったのかもしれない。
(そういえばキーパーを始めたきっかけって聞いたことがなかったな)
 芥野や清水寺からは、理由を聞いたことがあった。
 芥野曰くDFになった理由は「背が高かったから」。
 清水寺曰くFWになった理由は「背が高かったから」。
「同じじゃねーか」
 と言う要に、
「そんなもんだって。小学生だもん」
 と二人は笑っていた。
 だがそれにしても。
 それだけの持久力を誇る彼が、試合ごとに他の誰よりもグロッキーになるのは何故だ。つい先日の紅白戦も、フルタイムに満たない試合時間であったにもかかわらず、試合終了間際は立てなくなっていた。
(確かにゴール前で動き回ってたけど…これ二十五本やるよりは楽だと思うんだけどな……あれ?)
 そういえば、今は何本目だろうか。
「休憩!」
「え?」
 ホイッスルの音。要は自然に速度を緩めていた。
 気がついたら、並走している人数が五分の一に減っている。
「センパイ…さすが……っすね!」
 隣を歩く鴨崎が顔を真っ赤にしていた。まだ面持ちに笑みが残っているが、言葉が息で切れ切れになりつつある。前方に目をやれば、中路の黒いスエットの上下がいる。背中が丸まって大きく上下していた。限界が近そうだ。
「……今度何本目だ?」
 要の問いに応える形で、
「十九本目!」
 次のホイッスルが鳴った。
「……え、ウソ」
(きいてねーよ!)
 確かに聞いていなかった。
 並走者が次々とスピードを上げたので、要も慌てて速度を上げる。
 確かに、気がついてみれば脹脛がだいぶ張っている。息も苦しい。喉の奥が痛い。自覚した途端に苦痛が頭の上から圧し掛かってきた。
「休憩!」
「も……ダメ…っす……」
 ホイッスルの直後、消えそうな声で鴨崎が前方に倒れこんだ。内周で待機していたアシスタントコーチがあわてて鴨崎に駆け寄り、肩へ腕を入れて立たせ、外周へと連れて行く。同じ時、中路も咳き込みながらよたよたと外周へと逃げ、その場に座り込んでいた。
 気がつけば、残っていたのは要一人だった。
「センパイかっこいーっすっ!!」
 外周に寝転がっていた鴨崎が腹ばいの姿勢になって、要に右手を振っていた。
(てめー元気じゃねーか!)
 目をキラキラさせてこっちを見てくる鴨崎を睨み付ける。背中に複数の視線を感じるので肩越しに恐る恐る振り返ると、
(げ…!)
 A、Bグループ達が遠巻きに「C、Dグループの生存者」である要を見ていた。その中には当然、芥野、清水寺、茂森、そして岡野原や秋枝の姿もある。彼らがどんな顔をしてこっちを見ているのか、今の要には見えない。息苦しくて、視界が霞みつつあったからだ。
「二十本目!」
 背中を押すホイッスルの音。ついに大台だ。
 複数の視線から逃げるように要は再び走り出した。
(見ない見ない、聞かない聞かない)
 極力、外野からの情報を取り入れないように、要は再び視線を白線に戻した。決して交わることのない、どこまでも同じ無限ループ。これを見ていると、やけに脳裏に浮かべたモノが鮮明になってくるのだ。
「彼やるなあ。副キャプテン君」
 と、岡野原が感心しながら頷いた。
「体型的に持久走は得意そうな感じではあるが」
 秋枝が呟く。
「あんま表情変わってないけど、ソートー苦しいはずだなありゃ」
 走る要の表情を視で追っていた清水寺に、芥野も「そうだな~」と同意を示した。
「でも」
 と言葉を継いだのは茂森。
「またスイッチが切り替わったみたいだよ」
 長身二人の脇に立つ茂森が、両手を胸の前で組んだ。
「スイッチ?」
「うん。十一本目のあたりでスイッチが入って、十九本目の後の休憩で一回切れて、またさっき入ったみたいだ」
「よく見てんな。ていうかなんのスイッチだ?」
 岡野原が尋ねると、茂森は目を細めた。要の様子を凝視しているのだろう。
「なんていうか……コントロールのスイッチというか」
「?」
 首を傾げる岡野原から、茂森は芥野と清水寺を振り返った。
「四条の妹さんて、弓道部なんだよな?」
「ああ、すげー腕前らしいぜ」
 芥野が答える。なぜか自慢げだ。
「そうだな、双子ならそうかもしれない」
「どういう事だ?」
 一歩後ろから、秋枝が静かに尋ねる。
「四条って…、メンタルのコントロールが凄く上手いんだ」
 それが先天的なのか後天的なものなのかは分からない。
「あいつが二年の春に代役で急遽スタメン出場した時の事、覚えてるだろ?」
 茂森の目配せを受けて清水寺が「ああ」と応えた。
 昨年春の新人戦。
 スタメン出場を予定していた三年生が体調不良。たまたま控えの選手達も故障者が多く、急遽二軍から代役を選ばなくてはならなくなった。
 スタメン選手の控室にやってきた監督の西浦が、その旨を告げる。
「二年の四条を使おうと思う」
 三年生達が顔を見合わせる中で、茂森は沈黙を保っていた。
「監督、三年のFWは他にもいますし、二年なら清水寺もいるじゃないですか」
 当時のキャブテン前田が進言する。一理ある意見だが、西浦は首を横に振った。
「四条でいく。こういう時はあいつが適任なんだ」
「こういう時」。
 その時は計りかねたその意味を、茂森は後になって理解した。
 試合開始十五分前に出場を告げられても、全く平常通りに動く事ができる適応力。そして年間を通して一定のコンディションを保ち続けられる能力。
「それって、身体的なものだけじゃなくて、メンタルの強さもかなり影響してくるんじゃないかと思う」
 ホイッスルの音を聞きながら、茂森はトラックを見つめた。
「まあ確かに・・」
 芥野も清水寺も、顔を見合わせて納得している。これまでの付き合いを振り返ると、思い当たるふしが幾つもあった。
「二十三本目!」
「おいおいマジかよ」
 ざわめきが起こる中、要が速度を上げた。
 場は異様な空気に包まれる。淡々と表情を変えず、フォームを崩さず、まるで永久機関のように走り続ける要へ、自然にある種の期待が発生していた。
「さっきの記録をぬりかえるんじゃないか」
 という期待。
「休憩!」
 二十三回目の休憩ホイッスル。
 そして、終わりが唐突に訪れる。
「もう走れないです」
 そう言ってコーチへ片手を上げた後、要は外周へ逸れた。
「おろ?」
 鴨崎が声を裏返した。呆気ない終わり方に面食らったのだろう。そんな反応を見せたのは彼だけではなかった。
「まだ余裕ありそうだったのになあ」
 そんな声も聞こえてくる。
 ギブアップ直前までフォームが崩れていなかったのだから。
(死ぬって)
 だが当の要はその場に腰を下ろし、途端に襲って来た全身を地面に押し潰す疲労感と闘っていた。
 余裕があったんじゃない。
「フォームを崩して走る余裕」が無かったのだ。
 無駄を最小限に抑えたからこそ、ここまで走り続けられた。
(もう一歩もあるけねーよ)
 意識が朦朧としてきた。足が痺れて感覚が残っていない。
「センパイセンパイセンパイ!」
 騒々しい声で現実に引き戻された。鴨崎が、うずくまる要のもとに滑り込んで来た。
「すっげーっす!!あと二周でキャプテンとタイじゃないすか!!」
 すっかり体力を取り戻していた。無駄話とペース配分、そしてフォームをどうにかすれば、鴨崎はもっと記録を伸ばせそうだ。
「馬鹿」
 とだけ呟いて、要は再び顔を伏せた。
(こんなんであと二周……無理、絶対無理だ)
 折り曲げた膝に突っ伏して、要はひたすら体の中で暴れまわる呼吸を鎮めようとしていた。呼吸をし過ぎて喉がヒリヒリと痛んだ。水が欲しい。
 水持ってきてくれ。
 隣にいる鴨崎に短い頼みごとをする気力も残っていなかった。
(…やば、吐くかも……)
 カラカラに乾いた体の内側から、不快感が込み上げてくる感覚が生まれた。
 そんな時。
 膝を抱える手の甲に、何か冷たいものが当たった。
「………」
 のろのろと顔を傾ける事で視線を上げると、
「飲む?」
 いつの間に移動してきたか、隣に腰を屈めて自分を覗き込んでくる茂森がいた。その手には、紙コップ。ベンチにコーチが用意してあった水だった。
「―飲む」
 自分でも驚くほどに声が掠れていた。要は微かに震える腕を伸ばしてコップを受け取り、一口飲んで、そして二口目から一気に飲み干した。
「はー……」
 空になったコップを持ったまま、要は深呼吸とともに膝に顔を伏せた。胸元までせりあがっていた不快感が、押し流されたようにすっきりしていた。
「死ぬかと思った。お前やっぱりムチャクチャだ」
 そしてまた顔を上げる。
 眩暈は消えていた。すっきりした視界の中で、空になったコップを受け取って笑う茂森の顔が正面に見える。
「考えてみればこのあと、技術テストあるんだよなあ」
「…………」
 笑顔で恐ろしい現実を口にしている。
「全然体力配分考えてなかったよ」
 頭の後ろをかきながら茂森は、
「五十メートル走も散々な成績でさ」
 とまた笑った。すっかり開き直っているようだ。
 もうすっかり冴えを取り戻した頭で、要は今日一日のスケジュールを思い浮かべていた。三日間のトレーニング行程全てが、選考の参考になるとコーチが話していた事も、思い出した。
「バカだな、俺たち」
 そして要も、笑う。
「本当にね」
 苦笑を向け合う二人の背中で、またホイッスルが鳴り響いた。
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