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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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opening

 カーブを描くボールを追うために地を蹴ったキーパーの足が、不自然に滑った。
「うっわ!」
 素っ頓狂な声と共にオレンジと黒のジャージが前方に倒れ、ボールはそのままゴールの左隅へと吸い込まれていった。
「ありゃあ?」
 滅多にお目にかかることが無い光景を目の前に、ボールを蹴った張本人は間の抜けた声を漏らした。背後でPK練習の順番待ちをしていた面々から、驚きの声が次々と上がる。
「おいおい、珍しいな、大丈夫か?」
 騒然とした声で我に返って、ボールを蹴った張本人、四条要はゴールに駆け寄った。派手に転んだオレンジ色、ゴールキーパーの茂森は笑いながら「悪い」と上半身を起こした。左足のシューズの紐が切れて、脱げかかっている。
「もうだいぶ長く履いてたからな」
「代わりのスパイク持ってきてるのか?」
 要の質問に、茂森は首を横に振る。
「持ってないんだ。でも、紐を変えればまだ使えそうだ」
「ジジくせえな。新しいのにしろよ」
 そう笑って要はゴールの隅に転がるボールを拾った。
「紐、ちょうどスペア持ってるから貸してやるよ」
 拾ったボールを次に並んでいた部員に放り、要はゴール裏のベンチを指差した。そこに鞄が置いてある。
「ありがとう、貸してもらうことにする」
 立ち上がり、自分の代わりになるキーパーを呼んでから、茂森も要の後についてベンチに向かった。途中、コーチが「変な転び方してなかったか」と茂森を気遣う言葉をかけに来る。
(さすが、チームのお宝には過保護なこった)
 背中に聞こえる会話を耳に、要はそんな事を考えた。
「…………」
 鞄の中から靴紐を取り出しながら、ふと思う。
 初めて会ってから二年。思えば、試合中の指示や作戦会議以外でこいつとまともに会話をしたのは、初めてじゃなかろうか、と。

 そして、この時は何気なく口にしていたある言葉に後悔する事となるのは、もっと後の事である。

*

 私立桐嬰学園。神奈川県内にある、中高一貫校で大学部も有する、世間が言うところの名門校だ。「文武両道の桐嬰」を標語に、スポーツや一芸等の各種推薦、奨学制度を設け、各分野に優秀な卒業生を輩出している。
 特に各運動部は全国区の強豪が多く、中でもサッカー部は有名で、ナショナルチームからお呼びがかかる選手がいる程だ。
 四条要は中等部の二年。もうすぐ三年になる。サッカー部に所属していて、ポジションは「とりあえずフォワード」。京都出身の要は、小学校卒業まで関西のリトルリーグに所属し、主にアタッカーとしてフォワードを務めてきた。リーグでの成績をネタに、桐嬰学園中等部にスポーツ推薦入学。サッカー部では二年生の時にレギュラーの座を得てから、「とりあえずスタメン」として使われ続けている。要の持ち味は「安定感」だという事だが、これはいわゆる可も不可もないという事だ。故障が少なく好不調の波も少ないので、監督も使いやすいのだろう。要自身はそう自分を分析している。
 今は二月。気象情報では暖冬と報じられているが、日が落ちかけた夕刻となれば寒風が肌に痛い。
 冬の選手権も終わって三年生が引退となるこの時期、中等部のサッカー部では次期キャプテンと副キャプテンが監督の口から発表される。冷たい寒空の下、練習メニューを終えてグラウンドに整列した部員達を前に、監督が結論を告げる。
「次のキャプテンは」
 その次に出て来る名前を予測するのは、簡単な事だった。「彼」に決まっている。
「茂森。お前だ」
 当然だろ。
 最後に「しっかり頼むぞ」と付け加えた監督の言葉を聞きながら、要は思う。そして、
「やっぱりな、茂森」
「先輩、おめでとうっす!」
 と新キャプテンに群がるメンバー達も、同じ考えだったに違いない。誰が異論なんてあるものか。茂森とはそういう奴だ。そうなるべき奴だから。
 当の茂森本人は、監督に名前を呼ばれた瞬間は、まるで迷子のような顔をしていた。一拍遅れて「はい!」と優等生な返事をして、メンバー達に囲まれようやく笑顔を見せている。
 新キャプテンに任命された茂森一司は、要と同学年。ポジションはゴールキーパー。中学サッカーでは敵なしの「鉄壁守護神」と称される名選手で、一年の頃から名門桐嬰の正GKの座にいる。京都にいた要でさえ、「茂森」の名前は聞いたことがあった。「関東に凄いGKがいるらしい」と。
 そんな彼がキャプテンとあれば、誰も文句を言えるはずが無い。要は茂森の人となりをよく知らないが、こうしてメンバーが群がるぐらいだ、人望もあるようだ。
 これ以上無いくらい、よくできた人事采配だ。監督も楽で良い。誰からともなく拍手がまばらに起こり、少し離れた場所から茂森を眺めていた要も、それに合わせておざなりに手を叩く。
「お祝いムードは後にしろよー」
 監督の静止が挟まった。
「次、副キャプテンを発表する」
 みな、そうだったとばかりに我に返って振り返る。こういう時、副キャプテンといえばミッドフィルダーかディフェンダーと相場は決まってる。少なくとも「前へ前へ」「俺が俺が」と自己主張とアクが強い傾向にあるフォワードではないだろう。
(ま、キャプテンが奴なら副キャプは誰がなっても同じだろうし)
 要はそんな事を考えながらすっかり他人事として、隣に立つ後輩の枝島と「腹減ったな」と無駄話を始めていた。
「こらそこ、四条、ヨソ見してるんじゃないぞ」
 目ざとく要の私語を見つけた監督から声が飛ぶ。
「やべっ、はい!すんませーん」
 肩を竦めながら頭を下げて謝る。全く反省している様子はないが、いつもの事だ。
「他人事みたいに聞いてるんじゃないぞ、四条。しっかり茂森をサポートしてやってくれよ」
「はいはい」
 一呼吸分の静寂の後、
「って、え?」
 間の抜けた要の声が寒空の下に転がる。あまり表情を変えずに監督が、手にしていたボードで要の顔面を指し示した。ジャンパーコートの布が擦れ合う音だけが、広いサッカーグラウンドに響く。
「副キャプテンはお前だ、四条」
「え、副キャ…誰ですか、四条…って、俺?」
 戸惑う要の台詞に被って、部員達の間からざわめきがわく。
「馬鹿者。他に誰がいる」
(そりゃそうだ)
 周囲の空気が変わった事に気がついた要は、どこか冷静なもう一人の自分が首を捻っているのを感じていた。もう一人の自分は言う。俺だって「何で四条が?」って思うだろうよ、と。
「えっと……」
 間がもたなくなり、要は無意識に茂森に視線を向けた。前方の監督に近い位置に立っていた茂森は、体を半分こちらに向けていた。年齢不相応な落ち着いた面立ちに、驚きとも微笑ともつかない中途半端な表情を浮かべている。
「ああそれから」
 言葉を失っている四条を置いてきぼりにして、監督はボードの角で己の肩を叩きながら、話を進めていった。
「お前にはフォワードからミッドフィルダーにポジションを移ってもらう」
「え」
 また、場が少しわいた。
「別にいいですけど、何で急に?」
 ポジションに思い入れがあるわけでもない。副キャプテン任命と関係があるのかと思い尋ねてみたが、それについては日を改めて説明する、と話を打ち切られる。騒然とした場を均すべく、監督は首にかけたメガホンを口元に当てて「以上!今日は解散だ」と締めたのであった。
「お前が副キャプテンかあ」
「びっくりしたよ」
 途端、近くにいた同級の部員らが数人、要の元に集まってくる。ディフェンスの芥野、フォワードの清水寺、男子マネージャーの倉本、そして、
「先輩おめっス!全然予想外でしたよ!マジ驚きましたもん!」
 後輩のフォワード、一年生ながら時々スタメン入りする天才肌のルーキー鴨崎だ。よく考えれば失礼な言葉を全く悪気なく口にしているが、これは一種の特技だと要は思う。
「俺が一番びっくりしたっての」
 人懐っこい犬のように飛び掛って来る鴨崎を押しやって、要は手荒な祝辞に軽口で応えるが、二軍や後輩らも、遠巻きに自分を見やっているのが感じられる。
「なんか視線が痛ぇな…」
 呟きながら、痒くもない後頭部を掻くが、居心地悪さは拭いきれなかった。
「納得できない気持ちはよーくわかるけど」と付け加えると、
「というより、意外すぎて驚いてるだけじゃね?」
 そう芥野が言う。彼は最近のディフェンスに多い長身が持ち味の選手だ。ポジションといい存在感といい、彼が副キャプテンで良かったのではないかと、要は思う。それを告げると「嫌だよ、大変そうだし」と苦笑していた。
「四条、君」
 外野から遠慮がちな声がかけられ、要をはじめ、その場にいる全員が振り向いた。そこにいたのは、茂森だった。周囲の一軍部員達や、少し離れた場所にいる二軍部員らも、こちらの様子に注目していた。
「おめでとう、これから宜しく」
 微笑みながら、手を差し伸べてくる。ご丁寧に、わざわざキーパーグローブを外してから。
(どっかの紳士かお前は)
 茂森という人間は、外見ばかりか、やる事なす事が年齢不相応だ。中学生離れした落ち着きぶりは、170を越した身長に伴い、彼をまるで大人の様に見せる時がある。
「そっちもな」
 握手なんて青春芝居は性に合わないと、要は差し出された茂森の手のひらを軽く叩いて応えた。
「さっきの紐、やるよ」
「え?」
 一瞬、目を丸くした茂森は、自分の足元に視線を落とした。
「シューズと色が合ってるし。ちょうどいいんじゃん?」
「駄目だ、後でちゃんと返す」
「いいって。キャプテン就任祝いって事で」
 見た目通り律儀なのだろう、茂森は申し訳なさそうに眉を下げるが、再び顔をあげた時には大きな笑顔を向けてきた。
「ありがとう。じゃあ、ありがたく使わせてもらうよ」
「…………」
 彼と話をしていると、何だか調子が狂う。要をはじめとする面々はすっかり毒気を抜かれていた。その中で唯一、鴨崎はマイペースぶりを崩さない。
「あ、いいなー、四条先輩、俺にも何か下さいよー」
 と茂森の足元を見て無邪気に笑っている。
「お前がキャプテンになったわけじゃねえだろ」
 いつもの様に毒づきながら、要が鴨崎の頭をはたく。「いてぇっス」と言いながらも鴨崎は笑う。人に構って貰える事が嬉しい、犬のような奴なのだ。その様子にくすりと微笑んだのは、茂森だった。
「鴨崎がキャプテンになったら、今度は俺が何かプレゼントしてやるよ」
「マジで!やった!俺キャプテン目指しまっす!」
 単純にも程があるはしゃぎっぷりの鴨崎と、それを菩薩よろしく笑顔で見守る茂森を見て、
(駄目だ。天然同士の会話のテンポについていけない…)
 要達は内心で溜息を吐いた。

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guardians01
01

 フォワード清水寺がボールをキープしセンターラインを超えると同時に、同じフォワードの鴨崎が速度を上げ、要も後に続いた。
「下がれ谷矢!」
 走り出す直前、要は後方へ叫ぶ。
「っえ」
 半ば脅された様な形で、ボランチの谷矢(たにや)は咄嗟に足を止める。その直後、相手チームのディフェンダーが、強引なスライディングで清水寺からボール奪った。大きく蹴り上げられるボール。
「!」
 高いアーチを描いたボールは、カウンター気味に相手チームのフォワードと、足を止めた谷矢との間に落ちた。
(あのまま俺が走っていたら、抜かれていた…!)
 素早く反応を見せた谷矢が一瞬速くボールを奪い、センターライン側にいた二年生の緒車(おぐるま)にロングパスを回す。
「おし、ナイス」
 要が指先を「おいでおいで」と動かし緒車に視線を寄越すと、それに応えてボールが飛んできた。待ち構えていたディフェンダーがプレッシャーをかけてくる前にすかさず鴨崎にパスをやる。後はセオリー通り。鴨崎がシュートと見せかけてゴール前に突っ込む清水寺にボールを回し、清水寺がそのまま得意のボレーシュート。格下相手なら、確実にこれで一点が転がり込んでくる。
「四条ナイス判断!」
 後方から仲間の声が上がる。自分の読みがもたらした結果に満足そうに要が振り返ると、ディフェンスの芥野がガッツポーズをしていた。それにピースサインで応え、立ち位置に戻ろうと踵を返す。その一瞬、視界によぎるオレンジと黒。
(茂森……)
 芥野の後ろ、自ゴール前の守護神が視に入った。大きく吸い込んだ息を吐き出して、仰ぐように視線を空に向けているその姿が、車窓の景色のように通り過ぎていく。
「………」
 後ろ髪を引かれるみたいに気になったのは一瞬の事で、審判のホイッスルが高らかに鳴り響く次の瞬間には、もう要の脳裏からその光景は消えていた。

(あの試合が原因だったのか?)
 つい数週間前に行われた他校との練習試合を思い出し、要は首を捻った。他のフォワード達が相手ゴールに向けて一斉に動き出している時に、要は一人だけ半拍遅れて後方に指示を出していた。それがミッドフィルダーに転向する事になった理由だろうか。
 だがいつもそうしていた訳ではない。前だけを見てアタッカーに専念する事も多かったはず。
(あの時はたまたまだったんだけどな)
 それを目ざとく監督に見られていたという事だろう。だがそれにしても、何故あの瞬間の自分はアタッカーの責務よりも、後方に注意を促すことを優先させたのだろうか。
「うーん…わからん」
「何してんだ、風邪ひくぜ」
「う?」
 気がつくと更衣室に残ったのは、要を含む三名のみになっていた。半裸状態で考え込んでいた要をヨソに、芥野と清水寺は既に着替えを完了している。
「悪い悪い」
 青天の霹靂の如く次期副キャプテンに任命されたからといって、すぐに何が起こるわけでもなく。「とりあえず副キャプテン」となったその日の解散後、要がとった行動は至極いつも通りだ。シャワーを浴びて着替えて、芥野や清水寺(しみずでら)らと自販機で飲み物を買って、今晩観るテレビ番組の話をしながら寮に向かう。
 桐嬰学園には寮があり、早朝練習や、夜間練習のために運動部の学生の多くが寮を利用していた。サッカー専用グラウンド、テニスコートなど、数多くの運動部用グラウンドを有している桐嬰学園は、広い敷地を確保する為に郊外に位置している。最寄の沿線駅から必ずバスを利用しなければならなく、神奈川県内在住者であっても通学の便が良いとは言えないのだ。
「あれ、茂森って自宅生?」
 サッカー部員の多くが寮生である中、外来用の校門方面へと向かう茂森の背中を見つけて、要が呼び止めた。
「ああ。バスと電車で三十分ぐらいかな」
 雨でバスが遅れても、四十五分ほどで通えると言う。
「ふーん。朝練来るの、けっこう大変そうだな」
「そうでもないよ。慣れた」
「あ、そう」と気の無い相槌と共に自販機のボタンを押すと、派手な電子音が鳴り出した。
「アタリだ」
 オメデトウ!とディスプレイに文字が表示され、電子の卵から生まれたドットのヒヨコが踊っている。
「茂森、三秒以内に飲みたいやつ答えろ」
「え?あ、っと、「しっかり野菜生活」」
 答えの直後、乱暴な音と共に取り出し口に缶が落下する。出てきたのはベストセラーの野菜ミックスジュース。
「渋いセレクトだなオイ」
 缶に描かれたキャッチコピーは、「これ一本で一日分のお野菜」。要は目を細めつつ毒づいた。
「そうかな」
 茂森は笑う。皮肉が通じていないらしい。
「誉めてるんじゃねえって。ほら」
 おざなりに、擬人化された野菜たちが微笑むイラストのプリントされた缶を、茂森に放った。
「あ、ありがとう」
 綺麗な放物線を描き、缶は茂森の手に収まった。それを見届ける前に要は反対方向に踵を返し、芥野や清水寺を促して歩き出す。
「じゃあな茂森ー」
「おつー」
 と手を振る芥野と清水寺に「またな」と微笑んで、茂森も校門方向へと歩いていった。
「やけにお前、今日は茂森に優しいな」
 肩越しに、遠ざかっていく茂森を気にしながら清水寺が言う。
「はあ?俺がか?」
 低い脅しのような声と共に、要はアミノ酸飲料缶のプルリングを引いた。
「やっぱ早速気にしてんのか?キャプテンと副キャプテンってことで」
 と言う芥野の言葉を薄甘い液体と共に飲み下して、「んなわけあるか」と否定する。だが「あ~でも」と思い直して缶の飲み口から口を離した。
「あいつのファン多そうだからな。優しくしとかないと女子に殺されるかもしれね」
「それは言えてるかも」
 そんな他愛も無い話に笑いながら歩く三人の背中を、「四条、ちょっと」と低い声が呼び止めた。
「悪いが時間をくれ。さっきの事で話がある」
 監督の西浦だった。部の創設から携わり、桐嬰の名を全国区に押し上げた立役者だ。アメフトの方が似合うのではと思わせる大柄な体躯に、低くよく響く声は学生達を威圧するに十分で、「関東の仁王」という異名が付いているとか、いないとか。
 説明は「日を改めて」じゃなかったのかと言いたいところだったが、この監督に命令されればおいそれと断れない。観たかったテレビ番組に未練もあるが、ここは大人しく従うが得策と、要は「了解っす」と頷いた。
「でも茂森は帰っちゃいましたよ。走って追いかければ追いつくかもですけど」
 気がついて、要は校門方向を指差すが、西浦は太い首を横に振った。
「今日のところはお前だけでいい」
「ふーん」
 芥野らと別れて、つれて来られたのは部室の片隅。部員の姿は無かったが、コーチとトレーナーが一人ずつ居残っていた。入ってきた西浦と要に気づき、書き物をしていた手を止める。
 適当なところに座れと言われて、要はヒーターの近くの席に腰掛けた。その正面に西浦が座る。コーチとトレーナーは再び手を動かし始めたが、耳をこちらに傾けている様子は見てとれた。
 話の端を切ったのは、「まず訊くが」という西浦の前置き。
「東高との練習試合、お前何度かわざわざ前に出るのが遅れてまでディフェンスやボランチに指示出してたな。あれは何でだ?」
 東高は、まさに数週間前に練習試合をした相手だ。
「ええっ、今更そんな話!根に持ってたんスか!」
 まるで自分の思案を全て読み取られていたようなタイミング。珍しく動揺した要は、思ったことを全て口走ってしまった。慌てて両手で口元を押さえたが、出してしまった失言を飲み込めるはずもなく。
「ス…スミマセン、今のは、ナシで…」
 難しい顔の西浦に見据えられて、要は素直に謝るしかない。
「いいから答えてみろ」
 だが存外、西浦の声は平静だ。
「うーん…」
 唸りながら頭の中を冷やして気持ちを落ち着かせ、更衣室で巡らせた思案の続きを探る。西浦は要の様子をうかがいながら、辛抱強く待っていた。
「それが、自分でもよく分からないです」
 だが結局、たどり着く結論はこれだ。
「分からない?」
「あの時は妙にディフェンスの動きが気になって仕方なかったんですよ」
「ほう」
 太い両腕を組んだ西浦の巨体が、椅子の背にもたれ掛かる。
「前だけ見てりゃいいっていう場面でも、何か後ろから呼ばれているような……肝心なところは清水寺やカモに任せれば良いやって思って、何度も振り返っちゃって」
 ちなみに、カモとは鴨崎の事だ。
「夏の大会は…こんな事なかったかな、でも春の大会では一回ぐらいあった…ような、あと練習試合とか紅白戦とかでも時々、ある、かな」
「やっぱ俺フォワードに向いてなかったって事っすかね」と苦笑いすると西浦は、
「なるほどな」
 と口元に笑みを浮かべて頷く。安物の椅子が哀れな軋み音をたてた。
「四条、気がついてたか?東高との試合で茂森が体調を崩してた事を」
「体調崩してた?茂森がですか?」
 西浦の言葉を鸚鵡返しにして、要は動きを止めた。
 そうか、それか。
 脳裏でパズルがはまったような音がした。
「実は俺も後で知ったんだがな。微熱があった事をずっと隠してたようだ」
「微熱……」
 呟くと、脳裏にあの光景が蘇る。一瞬だけ視界の端に映った、ゴール前で空をぐ茂森の姿。深呼吸していたように見えたのは、呼吸が苦しかったからなのか。
「その顔じゃ、お前もはっきり気がついていたわけじゃなかったんだな?」
「―てか、今知りましたけど」
 苦笑する要を見る西浦は、いっそう低い声で「だが」と言葉を継ぐ。
「お前は本能的に気づいていた」
 だから極力キーパーにボールを行かせない為に、ディフェンスが防御を固め易くなるよう、後方を気にしていた。結果、桐嬰は無失点で勝利。あの試合で茂森が触れたボールは、正面に来た苦し紛れのシュートと、ボテボテのゴロだけだった。
「考えすぎですって」
 要は左手の平を振って西浦の推測を一笑するが、本心がそれを否定しきれていない事を自覚していた。
「四条、俺はな」
 改まった様子で西浦が椅子の背から体を離した。思わず要もつられて背筋を正してしまう。
「茂森とは違う意味で、お前も中学生離れしてると思っている」
「俺はフツーの中坊ですよ」
 静かに、要は首を横に振った。
「天才じゃないですもん」
 茂森の実力は、いわゆる超中学級。身体も能力も未だ成長過程で、学生級を超越するのは時間の問題だという。対して要の場合、確かに強豪桐嬰でレギュラーを勝ち取り、全国区で競り合うだけの力はあるという自負はある。だが、そこまでだろうという自覚もある。このまま成長が続き、プロとして通じる素材になり得るかは分からない。
「そーいう意味では、悔しいけどカモなんかは茂森に近いタイプっすね」
 正した姿勢を少し崩した要は、言葉と裏腹に楽しそうに口端に笑みを浮かべていた。
 一年生フォワードの鴨崎隆一。試合中はボールをゴールに入れる事しか考えない、典型的なアタッカー気質。だがボールしか見えていない訳ではなく、流れの中で自分が置かれている立場を本能で理解している天才肌だ。要もそれを認めている。
「そうだな」
 西浦もそれに同意する。
「鴨崎はエースとして育てるつもりだ。相性の良い同じく一年の根岸とツートップにしようと思ってな」
「カモとネギ……確かに相性は良い…」
 要の呟きに「アホ」と呆れた笑いを挟んで、西浦は言葉を続ける。
「だが長身で動きの速い清水寺も捨てられない」
 そうなると、必然的にフォワードに要の席がなくなり、中等部を卒業していく三年ミッドフィルダーの席が空くというわけだ。
「あ~…確かに清水寺のパスに対する反応の良さはすごいすね」
 長らくフォワードとして共にプレイしてきて、よく知っている。どんな難しい角度からのパスにも対応する、清水寺の反応力。チーム一と言っても良いだろうと、要は感じていた。
「カモネギツートップと組み合わせれば、戦略が広がりそうだ」
「ふっ」
 楽しそうに語る要に、西浦は低い笑いを漏らした。
「お前、他人の事はよく分かるくせに、自分の事はまだイマイチ分かってないんだな」
「え?」
 不満と疑問を視に浮かべた要を見おろす形で、西浦は席を立った。要はしばしその長身を見上げたまま動けない。浩々と灯るヒーターの熱が、背中を炙る。
「お前自身の事は、そのうち茂森が教えてくれるだろう。そうなれば俺の意図も分かるはずだ。自分の事をもっと知れば、お前は伸びるぞ」
「ちょ、監督っ」
 部屋を出て行こうと動きかけた西浦を呼び止め、要は椅子を倒す勢いで立ち上がる。
「まあそういうわけだ。副キャプテンとして、しっかり桐嬰の守護神をサポートしてやってくれ」
「………っ」
 机を隔てた向こう側から、大きな手で頭をかき回された。驚いて反射的に身を縮める。
「桐嬰の目標は全国制覇だ。桐嬰が強くなればなるほどこれから色々、難しい事があるだろう」
「―?」
 西浦の声に翳りが生じているのを、要は感じた。顔を上げて西浦の様子を確かめたかったが、頭をかき回す大きな手に邪魔される。結局確かめる前に、西浦は部室を出て行ってしまった。取り残された要は答えを求めるように、トレーナーやコーチを振り返るが、止められているのか、
「明日の練習から早速、キャプテンと副キャプテンとしての仕事を始めてもらうからな」
 と事務的な言葉以外、何も聞き出すことは出来なかった。


 もやもやした気持ちを残したまま部室を出た要は、グラウンド脇を歩いていた。人影はとうに無く、時計はとっくに見たい番組が始まっている時刻を過ぎていたが、このまま寮に戻る気にならずに体育館沿いを遠回りする。
「カナ兄ー!」
 駆け寄ってくる声に振り返ると、袴姿の女子学生が手を振っていた。腰まで届きそうな長いポニーテールも歩幅に合わせて揺れている。
 要の双子の妹、哉子(かなこ)だ。弓道部員のシンボルたる、身長の倍はありそうな長弓を手にしていた。通常は部室に保管場所があるのだが、これは祖父から譲り受けた大事な「マイ弓」で、哉子は寮の自室に置いているらしい。ルームメイトにはえらく迷惑がられているようだ。
「カナ兄どうしたの、血色悪いよ?「ためしてガッテン」、今日は血液サラサラ効果の話らしいから観たら?」
 いかにも血液がドロドロになっていそうな兄の顔色を見て、哉子は悪戯っ子のように笑った。笑うと目が細くなって子狐か柴犬のようになる。
「誰がそんなジジくさいの観るかっつーの」
 茂森じゃあるまいし、という一言は飲み込んだ。
「まあいいやそんなことより聞いて!」
 要の様子を置き去りにして、哉子は一人で喋り続ける。
「私、弓道部の次期主将に選ばれたの!」
「………」
 哉子、お前もか。
 ありきたりな台詞が、ありきたりなタイミングで思い浮かぶ。そこは「奇遇だな」とごまかして応えた。
「カナ兄も!?双子ってこういうところも似るんね」
「副キャプテンだけどな」
「ほおお。マイペースとジコチューの権化のようなカナ兄がね……」
「否定はしないが。お前は人の事が言えるのか?俺達双子だし」
「私は違うもん。だからこうして主将に選んでもらったのよ。双子だからって性格まで似るとは限らないんだから」
(さっきまでと言ってる事が違うじぇねえか)
 そういう言い草で既にマイペースとジコチューぶりを発揮しているのを、この妹は気がついていないらしい。余計な茶々は飲み込み、要は学生食堂の方を指差した。
「久しぶりに、一緒に夕メシ食うか」
「おやああ?」
 黒い瞳を丸くして、哉子は大げさに声をひっくり返した。要の前に回りこみ、顔を覗きこんでくる。
「どうしたの、カナ兄。今日は優しいじゃない?」
「………」
 芥野らと同じ事を言われた。要の眉間が不機嫌そうに皺を寄せる。
「行こう行こう、偶然わたしもそうしたかったんだ」
 兄の心中を全く気に留めず、哉子は要の腕をとって先を歩き出した。要はされるがままに腕を引かれて、共に歩き出す。
 要が哉子と出くわしたのは偶然ではない。つまらない悩みに頭をかき乱された時、要は無意識に弓道場がある体育館脇方面へと出向く。双子ながら自分と違う、この嘘の無いまっすぐな性格の妹と接していると、自分の悩みがどうでも良く思えてくるのだ。
 当然こんな事を、絶対に本人には告げられないのだが。

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02

 翌日。
 桐嬰学園中等部、第一サッカーグラウンド。
 コーチの予告通り、早速新キャプテンと副キャプテンに初仕事が割り当てられた。
「一軍FWとMFのシュート練習の進行を任せる」
 二人に渡された表には、春からの一軍メンバーとポジションが記されていた。
「とりあえず初日だからな。好きなようにやってみなさい」
 そういい残してコーチらは二軍の面倒を見るべく隣のグラウンドへと行ってしまった。監督は一軍DFと控えGKのトレーニングに付き合うらしい。
 第一グラウンドの真中では、一軍のFWとMF達が柔軟運動をしていた。体を動かしながら、誰もがこちらを気にしているのが感じられる。気のせいか、背中が痒くなってきた。
(どうするかな)
 表を眺める要の隣で、
「グラウンドの半面を使って、パスからのシュート練習にしようか」
「ん?」
 表にざっと目を通した茂森の方から、提案が出された。
「そうだなあ」と呟きながら、要は肩越しに柔軟をしている面々を見やる。
「MF一人、FW二人の組み合わせで回していくか?」
 答えながら、要は表を指差した。
「そしたらカモネギツートップも何回か組み合わさるだろうしな」
「カモネギ?」
 要の指先が「鴨崎」と「根岸」を指している事に気がつき、
「なるほどな。了解」
 と笑った後、茂森は背後を振り返った。
「柔軟やめ!集合!」
「!」
 よく通る声が至近距離から上がった。隣にいた要を始め、柔軟をしていた面々も目を丸くして動きを止め、今日は紺と黒のキーパーユニフォームの主を見やる。
「俺、何かヘンな事言ったか?」
 動きを止めた面々の様子に驚いて、子供のように首を傾げた茂森が要に問いかける。
「あ?いや?」
 我に返った要は、肩を竦める仕草でそれに答えた。
「おーい、キャプテンが集合って言ってんだぞ」
 手にしていた表をヒラヒラ振りながら、要も隣で声を出す。
「お、おう」
「すみません!」
 同じように我に返った面々は慌てて立ち上がりり、二人のもとに駆け寄る。集まった面々に、茂森はキーパーグローブをはめながら口を開いた。
「これからグラウンドの半面を使ってパスからのシュート練習を行う。MF一人、FW二人の組み合わせ。GKは俺。パスの回数は二回以上、誰がシュートを打つのか、ローテーションは自由だ。俺がボールをキャッチしたら終了、次の組と交代だ」
(決まったローテーションもなしか)
「なるほどな」と内心で頷きながら、要は茂森の指示するトレーニング内容を聞いていた。三年生が引退し、新体制となった初日では、お互いの呼吸を探り合える機会が必要だ。ミニゲーム感覚の柔軟なメニューの方が良いだろう。
 だが、メンバー達から返事が上がるものの、未だ戸惑いを見せている部員も見える。組織されきっていない集団に「自由」という選択肢を与えると、まず起こりうる現象が「迷い」の連鎖だ。
 こういう時は「副」キャプテンがフォローするべきなんだろうか。部員らの反応を見て要は考える。だが、茂森の様子は落ち着いていた。というよりマイペースなのか、率先してボール籠をセンターサークルへと運び始める。慌ててそれに倣おうと動き出す面々に向けて、茂森は立ち止まって振り返った。その面持ちは、笑顔。
「どうすれば三人で「俺」からゴールを奪えるか。それを考えて動いてくれ」
 そしてまた前に向き直り、ゴロゴロと籠を転がしていく。
「………」
 同じくボール籠を運びながら、要は軽く絶句し茂森の背中を眺めていた。
(思い切った事言うなあ。まるっきり挑発じゃねえか)
 大人しい草食動物系の外貌とは裏腹な台詞。試合中でもあまり聞いたことの無い類の言葉だったように思う。
「?」
 ふと背後が気になり、振り返る。
 準備を整えてセンターサークルに集まってくる面々に、変化が生じていた。茂森の「俺からゴールを奪ってみろ」という事実上の挑発に、面々の目つきが変わっているのだ。名門桐嬰の一軍を担う自負心と、アスリートとしての闘争心が強い連中なのだから。
(……おや…)
 と要は思う。
 キャプテンの隣という位置は、人の顔がこんなにもよく見えるのか。場の空気が引き締まったその変化も、客観的によく分かる。
(茂森にしかできない挑発だな)
 要の思案の前に、当の茂森は何事も無かった顔で、両手を組んで手首を回している。キッカーが有利といわれるPKにおいても、圧倒的セーブ率を誇る実力と自信があるからこその挑発。その裏付けが、一軍メンバー達の本気を引き出した。
「よおし!今度こそ先輩からゴールを奪ってやる!」
 両手で拳を作って落ち着きなくガッツポーズするのは、鴨崎。真っ先に挑発に乗って、いの一番にセンターサークルに駆け寄ってきた。そのすぐ後ろからネギこと根岸拓海も続く。普段は感情の起伏に乏しい生徒だが、今はその切れ長の瞳に鋭利な光が見え隠れしている。内心で沸々と闘争心を燃やしているのだろう。
 後輩の静かな陽性反応を知ってか知らぬか、当の茂森は、
「そろそろ、その台詞は聞き飽きてきたぞ」
 と鴨崎の挑発返しに笑みを向ける。「先輩からゴールを奪ってやる」は鴨崎が入部した時から、何度となく聞かされてきた台詞なのだ。だがPK練習やフリーキック練習において、鴨崎はまだ一度も茂森からゴールを割れずにいる。
「うへ、先輩酷いっす!本当のことですケド!」
 そう言う鴨崎の表情は、あくまでも底抜けに明るい。某少年漫画の主人公よろしく、強い相手と対峙する事で高揚するタイプなのだ。その雰囲気に、周囲も牽引されている。
「じゃあ、俺はゴールに行くから四条、後は頼むな」
「え?」
 片手を振って茂森はゴールへと歩いていく。その背中を、FWやMFの面々が見据えていた。
(俺が今のチョーハツをフォローすんのか!?)
 今の要に文句を言っている暇はない。せっかく上がった彼らのモチベーションを下げずに進行させていくには、どうしたものか。今度は副キャプテンたる要に、面々の視が向く。「早く始めさせろ」と息巻いているような迫力だ。
「んじゃまあ、とりあえず」
 手にしていたメンバー表を籠の上において、要は腰に手を当て軽く伸びをした。
「俺、カモ、清水寺の元FW三人で口火をきってみるか」
 慣れた面子の組み合わせだ。今年の夏は、この三人体制で大会にスタメン出場した事もある。
 名前を呼ばれた鴨崎は「よっしゃ!」と気合を入れる。
「でも、どうする?いつものパターンじゃ、奴には確実に止められるぜ」
 対照的に冷静なのは、清水寺。
 奴、ゴール前の茂森は、伸びをしたりその場で飛び跳ねて体をほぐしている。鴨崎や清水寺をはじめ一軍メンバー達に、敵を見るような緊迫感の宿った目で見られている事に、彼は気付いているのだろうか。
「まずいつも通り、四条からカモ、俺に回してみて、茂森が俺に反応したところでバックパスってのは?」
 提案してきたのは、清水寺だ。
「ノールックじゃないと意味ないな」
 そう答える要の視は、茂森に向いていたが、
「できるか?」
 と挑戦的な視線を清水寺に戻した。
「馬鹿にすんなよ「副キャプテン」」
 それを受け、口端に不敵な笑みを浮かべた清水寺も、肩越しにゴール前を振り返った。
「俺は四条とカモのド真中にパスを出す」
「オッケー。シュートはカモだ。俺も同時に走って、オトリになる。そのまま前に出て、弾かれた時に備えとく」
「了解っす!」
 要の補足に同意してから、鴨崎が籠からボールを取り出した。気合と共に地面に叩きつけて、足で止める。純粋な熱を感じながら、要は「よっしゃ」と順番を待つ面々に向き直った。
「誰でもいいから、とにかくあいつからゴール奪ってやろうぜ」
 親指でゴール前の茂森を指し示す。
「中学日本一のGKからさ」
 要の口元に浮かぶ、いつもと変わらない皮肉屋のふてぶてしさと、いつもと違う高揚感が混在した笑み。
「おし!」
 誰からともなく気合を入れる声が上がり、自然に隣同士が声をかけあい、グループが作られていく。
「茂森ー、一番手、行くぞー」
 ゴールに向かい要が手を上げると、
「元フォワード三人衆、いっきまーす!」
 どこかのロボットアニメの主人公の口調を真似た鴨崎も、勢い良く手を上げた。
「よし、こい!」
 と答えて茂森は拳で手の平を叩いた。中腰に背を屈め、戦闘態勢に入る。これだけの些細な動きだけで、まるでゴール前に鉄壁が現れたような圧迫感が生まれる。
「はい、先輩」
 鴨崎から転がされてきたボールを、要が徐に蹴り出す。
「走れ!」
「おう!」
 要からかかった号令に、二人のフォワードは即座に反応し両サイドから走り出す。茂森の視は、ボールをキープする要を追っていた。
(ギリギリまで近づく)
 ペナルティエリアまでの距離と、二人のフォワードとの距離を図りながら、要はボールを蹴り進める。下手にペナルティエリア内にボールを持ったまま侵入すれば、茂森は積極的に前に出てボールを奪いに来るだろう。弾丸のように足下にもぐりこんでくるスライディングキャッチは驚異だ。
(今だな)
 鴨崎の足がペナルティエリア手前まで踏み込んだところで、要はパスを送る。清水寺は既にペナルティエリアに入り込んでいた。ボレー気味に鴨崎はすかさず清水寺にボールを回す。茂森の体が清水寺の方に傾ぎ、だが反して視線は鴨崎に動いたのを、要は見た。
(読まれてる!?)
 どう指示を出すかを迷う一瞬の間に、清水寺のバックパス、直後ボールに追いついた鴨崎がシュート体勢に入った。得意のゴール右隅ギリギリのコース、必ずそこを狙うだろう。
「それじゃ取られる!」
 要は真後ろから追い越しざまに鴨崎の耳元に叫んだ。
「!!?な、わ、たっ!」
 咄嗟に反応したものの、見事に体勢を崩した鴨崎の足はボールの軸を外す。ボールはイレギュラーな動きでゴール左の清水寺の頭上に上がった。
「えぇえ俺!?」
 ボール目掛けて清水寺がジャンプするのと、
「くっ!」
 右に出かかった茂森が無理やり体を捻りながら左に飛ぶのは、ほぼ同時だった。
「いけるか!」
 様子を見守っていたメンバーらから声が上がる。だが清水寺のヘディングより一瞬速く、茂森の手がボールを弾いた。バウンドしながらゴール左方向へ転がっていくボールに追いついたのは、要。
「なっ…!」
 茂森は清水寺ともつれ合うように着地。要は間髪入れずに鋭角からシュートを打った。無理やりな角度からのシュートは、咄嗟に伸ばした茂森の指先を掠ってポストに当たる。
「おしい!」
 勢い良く跳ね返ったボールは、鴨崎と茂森の間を突き抜けるように転がっていく。鴨崎が駆け出し、片膝立ちの状態だった茂森は腕と片足の力だけで、ボールに飛び込んでいく。
「わあっ!」
 足下に滑り込んできた茂森の体に跳ね飛ばされる形で、鴨崎が前方に放り出された。
「!」
「ボールは!?」
 第一グラウンドに走った、刹那の静寂。誰もがボールの行方を捜して、言葉を忘れている。
「危なかった……」
 ボールは、起き上がる茂森の両腕の中で従順に収まっていた。
「!」
 静寂を破ったのは、鴨崎の嬌声。
「っくしょー!とられた!」
 地団駄を踏んでグラウンドを蹴りつけ、悔しがる。
「なあ、三人ともやたらムキになってないか?殺気すら感じたぞ」
 立ち上がった茂森の面持ちには苦笑が浮かんでいるが、そうは言いながらも余裕がうかがえた。
「自分で挑発しといてよく言う」
 茂森からボールを受け取りざまに、要は一言呟いた。その後ろから「俺はいつでも本気っす!」と鴨崎が未だ興奮冷めやらない様子。
「我ながらナイスパス、反応だと思ったんだけどなあ、悔しいなあチクショー」
 清水寺は独り言を洩らしながら、しきりに首を捻っている。
「うん、危なかった。正直、入れられるかと思った」
 茂森は土のついたキーパーグロープをはたく。伏せた瞳に浮かぶ静かな色は、安堵だろうか。だがそれもつかの間で、
「鴨崎」
 と後輩の背中に呼びかける面持ちは、既に「キャプテン」のそれになっていた。
「は、はい」
 真剣な声に呼ばれて、鴨崎は勢いよく振り返る。
「得意シュートのコースを増やした方がいいな。俺は鴨崎が右隅狙いが得意だってのを知ってたから、四条の機転がなければあそこで止めていたと思う」
「はい……」
 弱点を指摘されて鴨崎は肩を落として小さくなる。立ちすくんだ小動物のような有様は、いつもの豪胆、単純、明朗な態度からは想像できない。
「お前はシュートが正確で鋭い。あの場面でもし左隅の低い位置にボールが来ていたら、俺は取れなかったかもしれない」
「え……」
 鴨崎の顔が上がる。それに微笑んだ茂森は「それにだ」と言葉を続けた。
「桐嬰でエースになるって事は、全国に研究されるって事だからな」
「っはい!」
 打って変わって今度は輝くような笑顔に変わる。怒ったり落ち込んだり喜んだり、鴨崎の表情は忙しない。
「よし」と満足そうに頷いて、茂森は後方で待つ面々を向いた。
「こんな感じで、どんどん来い!」
 青空に突き抜けて通る声と共に、高らかに手を振る。
「茂森の奴、マジモードじゃねぇか」
「今の、入ると思ったんだけどなあ」
 様子を見ていた面々の間にざわめきが生まれ、顔を見合す動きが連鎖する。
(やっぱりとんでもねえ運動神経だなあいつは…)
 センターサークルに戻りながら、要は肩越しに茂森を一瞥した。
 鴨崎がスカったシュートが偶然にも、上手い具合に清水寺の頭上へ上がった時は、イケると思った。茂森の重心は完全に右へ傾いていたし、高身長の清水寺のヘディングに追いつくのは至難だと思っていたのに。
「おし。次は誰がいく?」
 清水寺や鴨崎と共にセンターラインまで戻った要は、籠の上に置いたメンバー表を手に取った。
「俺達が行ってもいいかな」
 すかさず、手が挙がる。二年のMF、寺野英嗣だった。春の時点では二軍にいたが、夏の大会前から急成長して一軍に上がった選手。調子次第でスタメンも狙えるだろう人材だ。この寺野と組んでいるのは、同じ二軍仲間だった二年の控えFW船越、そして一年の控えFW庄司だ。
「ほー」
 要の口から感心したような声が漏れる。
「力不足かもしれないけど…」
「チャレンジしたいって思って」
 遠慮がちに伏せられた寺野達の視線は、一度要を見やった後で、その背後に見える茂森にも向いた。当の本人は、ゴール前で体についた泥をはたき落としている。
「いやあ面白いんじゃね?」
 探偵みたいに顎の下に指先を当てて、要はもっともらしいポーズで寺野に向き合い頷く。
「寺野たちってある意味、茂森にとって未知数なところが大きいだろ?」
「ずっと二軍だったしね」
「そういう後ろ向きな考え方すんな。伏兵って言え」
 苦笑いのために俯いた寺野の顔面に向け、要は人差し指を突き出す。
「ふ、伏兵?」
 目を丸くする元二軍三人衆。要は大きく頷いた。寺野達を囲む面々からも笑いが上がる。
「よしいけ、ダークホースども」
 有無を言わさぬ勢いで、要はゴールに立つ茂森を指差した。
「おーい茂森、第二弾いくぞ」
 と声を上げると、ゴール前から「来い!」と返ってくる。
「頑張れよ!」
 誰からとも無く上がった応援の声が、三人の背を押した。連鎖するように「頑張れ」と複数の声が次々と届く。
(いい感じに機能してるな)
 要は確かな「手ごたえ」を感じた。
 既に二年間を過ごしてきた部活動の中で、初めて生まれた感覚だ。
「…………」
 ボールを蹴り出した寺野ら三人の背を見つめながら、要は軽く唇を引き締めた。

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guardians03
03

「あああおしい!」
 要の背後で、誰かが叫んだ。
(おしい…!)
 声に出さずとも、要も両手に作った握りこぶしを更に強く握り締めて同じ言葉を飲み込んでいた。
 三対一のミニゲーム。面々が見つめる先のゴール前では十人十色の攻防が繰り広げられている。あれから更に数組が挑戦したが、誰一人ゴールを割れていない。圧倒的に攻撃側が有利なルールでありながら。たった今も、五組目が惜敗したところだ。
「あのバケモノめ」
 呟く要の視界の中で、バケモノ呼ばわりされているキーパー茂森はグローブを外した右手で額の汗を拭っていた。ゴールポスト付近で転がっていたFWが起き上がり、茂森から言葉をかけられている。スライディングでボールを押し込もうとしたが、惜しくも飛び出した茂森にボールを奪われた。二、三言葉を交わして頷いている。何かアドバイスを受けているのだろう。残りの二人も近くでそれを聞いていた。
「楽しそうな事をやってるな」
 センターサークルの後方から、要に声がかかる。コーチの泉谷だった。桐嬰が全国区の強豪になった初期の頃に活躍したOBだ。大学部でコーチングを学び、今は桐嬰専属のコーチ。高等部とをかけもちしている。
「誰の案だ?」
「んー…茂森です。で、俺がちょっとルールを付け加えました」
「そうか」
「楽しそうなのはアイツだけっすよ。どんな手を使っても尽く止めてきやがります」
 軽い溜息と共に要はゴール前を指差した。その先に、再びグローブをはめる茂森がいる。
「さっきの組、五十嵐と磐田の連続フェイントで結構翻弄できたと思ったんですけど…結局、焦りを突かれて終わりです」
「ほ~、五十嵐と磐田がフェイントなあ。他には?」
 泉谷はセンターサークル周辺に集まる面々と、要の手元にあるメンバー表交互に見渡す。要はこれまでの経緯を、地面にしゃがみこみ指先で図を描き、メンバー一人一人の動きを細かく説明した。頷いて訊いていた泉谷コーチが、途中からペンを取り出して、手元のボードに要の報告を書き取っていた。
「―というわけで、一度もゴールを奪えず、ですよ」
「ははは」と軽い笑いを飲み込んだ後、泉谷コーチは考え込むように低声で呟いた。
「あいつは本当になあ……どうなることやら……」
「え?」
 言葉の意味を分かりかねて要が訊き返すが、
「それにしても関心だな四条。よく細かく覚えてるもんだ」
 と急に話題の方向を転換される。まるではぐらかすように。
「で、戦略は誰が考えてるんだ?」
 僅かな違和感を覚えながら、要は泉谷の問いに答えた。
「グループそれぞれが、です。それに俺や皆で細かいところを付け加えたり」
 要の答えは泉谷コーチを満足させたようだ。「そうかそうか」と大きく頷いて、コーチは輪を作って作戦会議をしている面々を見やった。
「楽しそうなのは茂森だけじゃないぞ?」
「………」
 促されて要も視を向ける。先ほどよりも更に輪を縮めて、みなで地面に描いた図を真ん中に議論を戦わせている。
「共通の敵がいると人は団結するって、よく言うよな」
「そう、ですね」
 どこで誰が言った言葉かは分からないが、要は頷いた。立ち上がった要の背を二度軽く叩き、泉谷はまた笑みを口元に浮かべた。
「その敵が、強ければ強いほど、絆と連帯感はよりいっそう強くなる。皆、ムキになって楽しそうじゃないか」
「もちろん、お前もな」と付け加えられ、思わず要は目を丸くする。そのうち、輪の一人が「四条~!」と手を振り要を呼んだ。会釈を残してそちらに駆け寄る要の背を再度、泉谷は呼び止める。振り向く要に、自分も二軍がいるグラウンドの方へ体を半分傾けながら、泉谷コーチは言葉をかけた。
「あらかじめ決まったカードを出していってばかりじゃ、茂森にパターンを読まれるぞ」
「決まったカード…?」
「攻撃に参加する三人だけが、プレイヤーじゃない。それは通常のプレイでも同じなんだ」
「?」
 アドバイスの意図を完全に汲み取りかねて、要は眉間に浅い皺を寄せた。その背に再び「四条―」と呼ばれて、軽い会釈を残してセンターサークルに駆け寄る。それを見届け、泉谷は二軍が練習をしているグラウンドへと踵を返していった。
 センターサークルでは、地面にしゃがみこむ清水寺を中心に輪ができていた。
「次、こう行こうと思うんだけど、お前どう思う?」
 地面に描いた図を示しながら、清水寺がたった今ねり上がった戦略を説明する。
「面白そうだな。とにかく、なんでもぶつけてみよう」
『決まったカードでは読まれるぞ』
 泉谷の言葉が唐突に蘇り、脳裏に引っかかる。
『どうすれば三人で「俺」からゴールを奪えるか。それを考えて動いてくれ』
 次いで、何故か茂森の言葉も浮上してきた。
「……どうすれば、三人で「茂森」から……どうすれば三人で…?」
「四条?」
 清水寺達がいぶかしげに顔を覗き込んでくる。
―どうすれば「三人で」俺からゴールを奪えるか
(そういう意味か)
 漠然とした、だが何かを掴んだ気がして要は顔を上げた。
「茂森、次行くぞ!」
 ゴール前に呼びかけると、また「来い!」と返事が上がる。最初の集中力が全く落ちていない様子だ。
「メンバーは?」
「はい」と答えて鴨崎、根岸の一年ツートップ、そしてトップ下に置くと動きが良いと評価の高い、二年のMF正田が前に出る。攻撃的な組み合わせとなった。
「……カモとネギと……しょうゆ(正油)……完璧だな」
 要の呟きに、
「鴨鍋かっ」
 某若手芸人の持ちネタを真似た清水寺が突っ込む。一瞬の静寂の後、
「だからそれはやめてくださいって!」
 と鴨崎の抗議が上がるが、直後に沸いた面々の爆笑にかき消されたのであった。
「楽しそうだなあ」
 茂森は前方姿勢を崩さぬまま、センターサークルでの様子を眺めている。回を重ねるごとに、要を中心に雰囲気が和らいでいくのが、ここからだとよく見えた。それに伴い、攻撃も手強くなっていく。
「カモと根岸とトップ下の正田……正念場だな」
 深く空気を吸って、そして吐き終えた頃、茂森の面持ちから笑みは消えていた。
 このとき偶然、要も全く同じことを考えていた。
(ここが正念場)
 ゴール前の茂森の表情が変わっている事にも気がついている。練習とはいえ、これまで以上に本気で止めに来るだろう。
(この面子で上手く行かなかったら……正直戦力的にもうカードが無い)
 だが、戦うのはこの三人だけではない。
「いきます!」
 手を上げて、鴨崎が小走りに進みだした。根岸もサイドから続く。正田がボールを蹴りだし、三人は逆二等辺三角を描いて緩やかなスピードで進む。正田が左の鴨崎にボールを送り、それが更に根岸に渡り、そしてまた、正田に回された。
「?」
正田に再びボールが回った瞬間、一斉に三人がスピードを上げてゴールに向かう。カモネギツートップが同時にペナルティエリアに足を踏み入れた。まだパスは出ない。逆二等辺三角形のフォーメーションは崩れていない。
「!?」
 キーパー茂森の目つきが変わった。正田がどちらにパスを出すかを読み取ろとする。その視界を妨げるように、鴨崎と根岸が左右から交差するように茂森の前に走り寄った。ペナルティエリアの手前から正田がパスの体勢に入る。逆二等辺三角形はこの時、キーパーの茂森も含めて一本の線を描いていた。
「よし!」
 センターサークル付近からの声の直後、正田がボールを蹴る鈍音がする。同時に、鴨崎が左、根岸が右に傾いだ。
「っ!!」
 突如開いた茂森の視界の中、正田が蹴ったボールが低い弾道を描いてゴール左下を抉ろうとしていた。正田が蹴ったボールは、パスではなくシュート。
「くっ!」
 手では間に合わないと判断したか、茂森の右足が伸びた。
(弾かれる!)
 コンマ数秒前、要の脳裏に結果が映し出される。
「正田、動くな!」
 無意識に要は叫んでいた。
「へ…っ!?」
 背中からの声に正田が反射的に足を止めた。
「ああ!」
 叩きつけるような音をたてて、ボールは茂森の足に当たって弾かれた。糸が切れた風船のように空に上がるボールは鴨崎の頭上へ。すかさず鴨崎が飛ぶ。茂森はボールを弾いた右足で踏み込み、ボールに向かい手を伸ばす。再び平手打ちのような音。
「!」
「っ!」
 空中のボールは、鴨崎の額とパンチングする茂森の拳の間で動きを止めた。
「逃がせ!」
 また、要が叫ぶ。
「逃……っ」
 声に従って反射的に鴨崎は首を後方へ反らした。
「!」
 ボールを留める抵抗が無くなり、茂森の手が前にすり抜けてボールを遠くへ弾いた。その落下点に、正田がいる。
「正田先輩!」
「しまった!」
 鴨崎と共にゴール左側に着地した茂森の目に、シュート体勢に入った正田の姿が映る。体の向きと視線が狙うのは、茂森がいる位置と真逆の、ゴール右隅。
「止める!」
 この日はじめて、茂森が叫んだ。全身のバネを使ってゴール右隅へ飛ぶ。万全の体勢からの正田のシュート、ボールは真っ直ぐ冷たい二月の空気を突き抜けた。
「行け!」
 迷いの無い渾身を載せたボール。全身全霊で止めに行くキーパー。
 スポーツ雑誌のカラー紙面でみた画みたいだ。
 全てがスローモーションのように見えた世界の中、要の脳裏でもう一人の自分が、そんな暢気な事を考えていた。
 音が消えうせた世界の中で、ボールは再び鈍い音を立て、
「っぐ…!」
 くぐもった茂森の声と共に、ゴールライン手前に転がった。その傍に茂森の体がうつ伏せに滑り込んだ。
「な……」
 ボールは茂森の指先に当たり、ゴールライン手前で鋭角にバウンドしたのだ。地面に勢いを殺され力なく転々と転がるボールは、立ち尽くす根岸の足元にたどり着いた。
「っ…あ」
 その瞬間、周囲から人の声が渦となって沸きあがる。「すげえ」という感嘆の声が複数箇所から飛び交った。
「なんだなんだ?」
気がつくと、いつの間にか第一グラウンドを囲む金網の周辺に、人だかりができている。別グラウンドで練習していたはずの二軍や一軍のDF達が様子を観に来ていた。泉谷コーチと監督の姿も遠巻きにある。
 騒がしい声で、要は我に返った。
「ストップ!ネギ、ストップ!」
 声を上げながら、センターラインからゴールに向けて駆け出す。
「キャプテン…」
 転がってきたボールを片足で止め、それを後方にやり過ごして根岸は茂森に駆け寄った。
「っは…」
 息が逆流する音の直後、上半身を起こそうとした茂森が激しく咳き込みだした。胸からまともに落ちたようだ。気道が圧迫され、呼吸が詰まった。なりふり構わずボールに飛びかかり、受身が取れなかったのだ。
「おい、大丈夫か?」
 跪く茂森の背中を、要は手荒に撫でた。
「なんで……」
 咳の合間に掠れた声。赤くなった顔で必死に呼吸をしながら、恨めしそうに要を見上げてくる。
「止めたんだ」
「は?」
「あそこで根岸が蹴ってれば…、ゴールだろ」
「バカかお前は」
 ここまでばっさり切り捨てられれば、逆に清清しい。心底呆れたような顔をする要に、茂森は苦しさを忘れて目を丸くした。
「あんなアホみたいなセービングされちゃ、こっちの負けだろ、どー考えたって」
「ほら、立てるか」と要は茂森の腕をとって立たせる。しばらく呆然としていた鴨崎と正田も駆け寄ってきた。
「いや…」
 俯き呼吸を整える茂森は、ゆるりと首を横に振った。
「正田にボールが行った時点で……俺が負けた」
「なんでだ?」
 訝しげな要と同じように、珍しく大人しい鴨崎も、眉根を潜めて話を聞いている。
「今までで一番オフェンシブな構成で、俺は絶対に正田も前に出てくると思ってた」
 だからパンチングでボールを遠くに飛ばして凌ごうとした。だが正田の動きを止めたのは、要の判断。
 茂森は胸元を押さえて数回、深い呼吸を繰り返す。息が整ったのを確認すると、集まってきた面々に向けて大きな笑みを見せた。
「やられた。凄いな」
「………」
「………でも」
 要が言葉に詰まる後ろから、鴨崎の声。少し震えているように聞こえたのは気のせいか。振り向くと、鴨崎は両脇に垂らした拳を強く握り締めて、茂森を睨み付けていた。
「これが試合なら、あそこでディフェンダーがクリアしてたし、最悪カウンターでこっちがピンチっす!」
(まあ、そうだろうけどな)
 要は内心で同意した。鴨崎の結論は、やはり茂森の護りが攻撃側を圧倒的に上回っていたという事だ。それは要とて、根岸も、正田も分かっている。負けず嫌いな鴨崎からすれば、この状況では到底、勝った気になれるものではない。なのに茂森が笑顔で負けを認めるのが悔しかった。
 悪くなりかけた空気の中、茂森は「うーん」と他所を見ながら首を傾げ、
「それはそれ、これはこれ」
 と両手を左から右へと移動させる仕草と共に、再び笑みを見せた。
「ええ~~…?」
「てか茂森、その手の動きって「それは置いといて」って時に使うものじゃ………」
 ぼそりと呟いたのは、正田。力説がよくわからないボケに受け流されている。敵わないと悟って、鴨崎が助けを求める視線を要に向けてきた。
(また俺がこいつのむちゃくちゃな発言をフォローするのかよ)
 何となく、キャプテンと副キャプテンの関係性の図式が見えてきたような気がした。だが果たして前任のキャプテンと副キャプテンがこういうやりとりをしていたか…なんて事は覚えていない。
「まあ、キャプテンがそう言ってんだからそういう事にしておけ」
「四条先輩!」
「悔しいなら、一対一のPKやFK練習ん時にでもゴールを割ればいい」
 反論を抑えられて、鴨崎は拗ねた子供のように目を伏せる。その時、センターラインの方からホイッスルが鳴った。
「そこまでだ。次のメニュー行くぞ。集合!」
 二軍や一軍DF達を連れて来た西浦監督だ。黒いダウンジャケットを着込む姿は遠目から、巨大な木炭にも見える。正田と根岸が先立って小走りに駆け出す。鴨崎も、名残惜しそうな視線を茂森と要に残し、根岸の後を追って自分も駆け出して行った。
「四条」
 ゴール前に二人残ったところで、横から名前を呼ばれた。顔を向ける事で返事をすると、茂森の静かな横顔が、要に向いた。鴨崎に見せていた笑みは消えている。
「俺は、お前には負けない」
「へ?」
 無の面持ちで静かに告げられた。意味が全く分からず、要は眉間に皺を寄せる。勝つも負けるも、どこにそんな判断材料があるというのか。そもそも、サッカー選手として括れば、要は茂森に敵う立場ではないのに。
 寸時の無言の後、また茂森が破顔する。
「言ってみたかったんだ、この台詞」
 楽しそうに、笑ったのだ。
(ますますわけわからねぇ)
 先にセンターラインに向けて駆け出した茂森の背中を、要はしばらくその場で見送っていた。「1」を示す茂森の背番号が、とても大きく見えた。

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guardians04
04

 理由がよく分からない宣戦布告を受けた。
 一人でゴール前に突っ立ったまま呆然としていると、「コラァ!四条!」と木炭から怒鳴られてしまった。
(そんなにさっきのが悔しかったのか?)
 こっそり横目で茂森の様子を見やると、彼はもういつも通りの大人しそうな横顔で、監督の話を聞いている。「止める」と叫んだ瞬間の面持ちとは大違いだ。あれが彼の本気。試合中も度々見かけた目だ。フリーになったFWと一対一になった時、茂森は殺し屋のような目で相手を威圧する。ホンモノの殺し屋なんて見た事ないけれど、多分あれはそういう目なんだろう。
 一般的に「キッカーはキーパーの目を見るな」と教えられるのは、次の行動を読み取られないためだけではないと、改めて思う。
(あんなありえねぇセーブしといて、物足りないって事かよ)
 要は奥歯を強くかみ締める。
 ボールを逃がせという指示に、鴨崎が最高の動きをしてくれた。正田にボールが渡った時は、「今度こそ」と確信した。
(だけど防がれた)
 確かに要の読みは茂森の裏をかいたかもしれない。だが彼は運動神経をもってそれを上回る補いをしたのだ。何が不満だというのか。
「………」
 よく考えると腹が立ってきた。変な負けん気で宣戦布告される身にもなって欲しい。それに―
(本当なら悔しがらなくちゃいけないのは俺の方だ……)
 感情を素直に表に出せる鴨崎や、妹の哉子は得な性格だなと思った。腹底から沸々とわいてきた複雑な感情をどう処理して良いか、要には分からない。
「四条ー。………四条ー?」
「え、あ、はい」
 遠くから、数回名前を呼ばれて要は我に返った。西浦が手招きしている。
「部室から日誌を持ってきてくれ。鍵の場所は知ってるだろ?」
 部室には、トレーニングメニューファイルや日誌、部費管理ノート等の重要資料や書類を管理する棚があり、その鍵は監督やコーチ陣のほか、部員ではマネージャーやキャプテンと副キャプテンにしか扱いが許されていない。
「日誌?」
 日誌は、練習終了後に部員が日替わりでその日の気がついた事や感想を書いていくものだ。今すぐに必要だとは思えない。訝しげに見上げてくる要の肩を軽く叩き、
「頭冷やして来い」
 と西浦は小声ですれ違い様に言い残して、指示を待つ一軍達の方へと歩いていってしまった。
「……」
 自分はそんなに煮詰まったような顔をしていたのか。日誌を取ってくるよう命じたのは名目で、散歩して頭を切り替えて来いという事なのだろう。内心を見透かされたのは少々悔しいが、この際ありがたい。要は素直に部室に向かう。
 桐嬰のサッカー部用グラウンドは広い。一軍用の練習グラウンドが二つある他、他校との試合や紅白戦等で使う、観戦席を設けた試合用グラウンド、そして二軍用のグラウンドの他、PKやFK練習用の片ゴールだけを有したエリアもある。部室小屋は、それらグラウンドを横断した先に建っており、広いミーティングルームや仮眠室と治療室を有している。
「?」
 ドリブル練習が行われている二軍グラウンド脇を通りかかった時、要は見知らぬ二つの人影を見た。
 練習用グラウンドは高い金網フェンスで区切られている。二人は二軍グラウンドと、倉庫が並ぶ歩道を区切るフェンスの向こう側にいた。一人は男。一人は女。男は黒いダウンジャケットにジーンズ、スニーカーという私服姿で、年恰好は要と同じか、それより若干上に見える。上背があり、髪の毛の色素が薄く、日本人のようでもあり、外国人のようにも見える風貌だ。二軍の練習の様子をじっと眺めている。もう一人の女も、男と似た印象を持っており、緩やかなウェーブがかかった長い髪が印象的な、海外セレブのような美人。こちらは明らかに年上だ。
(……他校の奴らか?てか、外人か?)
「あのー」
 基本的に構内は関係者以外は立ち入り禁止となっており、サッカー部は外部偵察を避ける為に練習は特例を除いて非公開となっている。規則に忠実なつもりは無いが、気付いてしまった以上、仕方なく要はその人物に声をかけた。
「サッカー部に何かご用ですか?」
 二つの視線が、同時に要を向く。通じているのかいないのか、軽く首を傾げた動作が戻ってくるだけで、返事が無い。西に傾きかけた冬の陽光を浴びて逆光となる姿は、西洋絵画のようにきれいだ。
「えーっと……メイアイヘルプユー?」
 思わず見惚れたが、習いたてのフレーズで再び問いかけてみる。もっとも、これが通じたとしても、これ以上しゃべれないのでこの先の会話は成り立たないのだが。
「………」
「………」
 男と女は目を丸くして、何かを言おうと口を開きかけたまま、固まっていた。
(なんだよ…何語なら通じるんだ?)
 さすがに要が気恥ずかしくなってきた頃、
「ぷっ」
 沈黙を破ったのは、女の笑い声だった。
「あははははははは。ソウジ、また外国人に間違われてる」
 顔に似合わず豪快に笑う。しかも、
(バリバリ日本語じゃねぇか)
 まったく淀みない、自然な日本語を話していた。
「笑いすぎ!今の「you」には姉さんも含まれてるんだろが」
 と女を窘める男の日本語も、普通だった。女はひとしきり笑った後、「勝手に入ってごめんなさい」と表情を正した。
「立ち入り禁止だって、知らなかったのよ。フェアじゃないって思われたら嫌だから、すぐ出て行くわ」
「?」
 女の言葉に少し引っかかりを感じるが、要は言及を控えた。
「一つだけ、訊いて良いか」
 と、ソウジと呼ばれた男。金網に指先をかけ、二軍の練習風景を眺めたまま問いかけてきた。
「カズシはここにいないのか?」
「カズシ?」
 すぐに顔と名前が思い浮かばない。
「お前、学年は?」
 首を傾げる要に、男は訝しげに目を細めて違う質問を口にした。
「え、二年、ですけど。今度三年」
「というと、十五……十四歳?」
 言葉を挟んだのは女の方。
「ですけど」
「あら、ソウジと同じじゃない」
 女が笑顔で両手を叩く。
「「え、同い年??」」
 要とソウジ、二つの声が重なった。言葉は同じだが、二人とも正反対の事を考えているようだ。
(デカいな……180以上は余裕であるよな……)
 思わず無遠慮に要はソウジの全身を眺める。日本の中学生でも運動部内であれば170センチ代は珍しくなく、要もようやく170に届くかというところだが、そんな要よりソウジは頭半分ほど大きい。日本人離れした体格や、髪の毛や肌の色素といい、ハーフだろうか。
「じゃあカズシの事も知ってるだろ。あいつも同い年のはずだ」
「カズシねえ…」
 部外者のくせに尊大な態度だな、と思いつつ、要はそれを飲み込んだ。
「ごめんなさいね、この子、言葉と礼儀を知らないの」
 後ろから、女が片目を瞑って微笑みかけてくる。美人にそう言われれば無条件で許してしまうのが、悲しい男の習性。
 背後に「うるさいな」と投げた後、ソウジは要に向き直る。茶色い瞳が冬の陽光を受けて薄い闇をたたえていた。この瞳を、要はいつか見たことがある気がする。
「カズシはゴールキーパーをやってるはずだ。日本のジュニアハイ…えっと、中学サッカーでは有名だって聞いたが?」
 言いながら、再びソウジの瞳が二軍の練習風景に向く。そこにキーパーの姿は無い。中学サッカーで有名なキーパーといえば、この学校では一人しかいない。
「キーパー?茂森、か?もしかして」
 深く考える前に自然と要の口からその名が出た。
「シゲモリ?」
「茂森。茂森一司。有名なキーパーつったら、ウチではこいつしかいないけど?」
 答えながら、そういえば奴の名前は「一司」だったなと思い出した。
「「コクリョウ」じゃないのか」
「コクリョウ?」
 今度は要が繰り返す。弟の独語のような発言に、姉は形の良い目許を細めた。
「ソウジ」
 弟の名を低く呟きそれを窘める。姉の声を受けたソウジは、口内で聞こえない舌打ちをした。
「茂森、呼んで来ようか?ここは二軍のグラウンドだから、あいつはいないよ」
「ううん、良いわ。ありがとう」
 それ以上の会話を制したのは姉の方だった。その面持ちには既に、柔らかい微笑みの仮面が被されている。
「驚かせてごめんなさいね」
 最後にまた微笑んで、姉は不服そうな様子の弟を伴いグラウンドから去って行った。
(何だったんだ?)
 取り残された要は、しばし遠ざかる二人の背中を見送った。疑問符ばかりが頭上を浮遊する。
「まあいいや」
 考えたところで何も解決しない。要は早々に思案を諦めて、部室へ向かった。
 日誌を持って要が戻ると、一軍グラウンドでは二対一のパス練習が行われていた。地面に描いた小さな四角形の中で、二人がパス回しをして鬼役がボールを取りに行く。ボールを外に出したり、鬼にとられたら交代。狭いエリア内で如何にボールをコントロールしてパスを出せるかが鍵だ。
「俺に客?」
 鬼役でボールを追いかけながら、茂森は要の言葉を繰り返した。キーパーは別メニューで練習する場合が多いが、今日はポジション関係なくこの練習に参加している。
「ああ。私服だったから、他校の奴だと思うんだけど」
 要は芥野にパスを出す。またすかさず戻ってくるボールをキープして体をターンさせて、茂森の足から逃げる。
「外人みたいな奴らだったぞ。流暢な日本語話してたけどな」
「外人?」
「男の方は俺達と同い年で、やたらデカかったな。180以上はあると思う。名前は~なんだっけな、新撰組に出てくる奴と同じ名前…ソウジか」
「ソウジ?」
 ボールを追いながら、茂森は首を傾げる。
「それで、その二人は?」
「何もしないで帰ってったけど」
「何の用事で来てたか、聞いたか?」
「さあ。お前を呼んでこようかって言ったんだけど、いいって言われた」
「他には?」
「うーん、別に…」
 と言いかけて、要は一つ思い出す。
「ああ、お前の事を「コクリョウじゃないのか」とか」
「こくりょう………」
 突然、茂森が足を止めた。
「どうした?」と芥野も、止まる。
「茂森?」
 要は足でボールを抑えて止め、立ち尽くす茂森の顔を覗き込んだ。逃げるように、呆然とした視線が泳ぐ。何がまずかったのか。さすがに要は訝しく思い、心配する言葉をかけようとした瞬間、
「もらいっ」
 茂森の足が、要からボールを奪った。
「ちょっ、お前!」
「あははは」
 慌てた要の前で、茂森はつま先で軽く蹴り上げたボールをリフティングして、嬉しそうに笑っている。次はボールを取られた要が鬼役だ。
(こいつマジでタチわりぃーー!)
 奪い返そうと足を伸ばすが、トウとインサイドを巧く使って芥野にボールを回された。また戻されたボールも、リフティングの要領でボールをあしらい、巧みに要の足から逃げる。
「ずる賢い上に器用だなお前っ」
「あはは。ありがとう」
「だから誉めてねぇって!」
「て」と同時に、茂森が蹴り上げたボールを要が膝で横取りする。また鬼が交代した。
「一人で遊んでる事が多かったから、リフティングは得意なんだ」
 要に奪われたボールを再び取り返そうと、茂森の面持ちがまた少し、真剣になる。
「一人っ子なんだ?」
 要からのボールを受けながら芥野が問う。さっき騙された事はもう忘れているようだ。
「ああ。二人は?」
 もちろん、茂森の方もだ。そもそも、元から悪いと思っていない。
「俺は姉貴が一人。大学でバレーやってる」
 何フツーに答えてんだよ、と思いつつ。
「俺んとこは妹」
 と要も渋々短く答えた。
「四条んとこ、双子なんだぜ。しかも兄妹そろって桐嬰。弓道やってんだっけ?」
 何故か芥野が補足する。
「へえ、双子かあ。性格も似てるのか?」
 ボールを追いながら、茂森が要の顔を覗きこんでくる。この顔がこの世にもう一つあるのかあ、とでも思っているのだろう。
「それがさ、全然違うんだよな」
 と、何故かまた芥野。
「カナちゃんは素直な良い子なんだけどな」
「俺の方は素直じゃない悪い子で申し訳ねぇな」
「いでっ」
 芥野から回ってきたボールをわざと強く蹴り返してやった。膝に当たったボールはラインの外へと飛び出していく。また、要が鬼になる番だ。
「ちっ」と小さく舌打ちして、要は遠くへ転がっていったボールを追いかける。
「芥野はそのカナちゃんて子、好きなのか?」
 ボールを追いかけていった要を待つ間、茂森がそんな質問を投げかけた。
「うーん、どうだろうな」
 慌てるかと思えば意外と表情を変えず、唐突な質問をされた方は首を捻って苦笑するだけ。
「確かに良い子なのは本当だけど、顔がアイツと同じだからなあ」
「アイツ」のところで芥野が顎で要の背中を指す。
「すっげー違和感あるぜ」
「あははは」
 茂森が笑ったところで、ボールに追いついた要が踵を返した。何やら自分について笑っている二人の姿が目に入る。
「お前ら笑いすぎ!」
 要は二人に向けて、緩やかにボールを蹴った。

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05


 陽が落ち、夜間練習用グラウンドにライトが灯る。
 桐嬰では日替わりで「夜練日」を設けており、一週間のうち決まった曜日にのみ夜間にライトが照る。
 大会前以外、基本的に夜練は自由参加だ。特に決まったメニューはなく、走りこみ等で基礎体力作りをする者、その日の復習をする者、時に監督直々に居残りを命じられる者など、各自が思い思いに時間を使えるのだ。
「今日は、以上だ」
 監督の解散号令がかかる。要はいつものように芥野と清水寺に声をかけた。
「帰ろうぜ~」
「夜練いかねぇの?」
「今夜は寒いらしいから、俺はパス」
 朝に聞いた天気予報によると、今日の夜は低気圧の影響で冷え込むらしい。こんな日は体が硬くなり怪我もし易い。そういう理屈で、要は夜練をパスする気満々でいた。
「そうだな~、俺も宿題残ってるし」
「だなあ」
 そんな三人と正反対なのが、
「鴨崎、残るのか?」
「シュート練習してくっ!」
 鴨鍋の主役だ。ボールが入った籠を引っ張って、ゴール前を陣取ろうとしている。茂森のアドバイスが随分と効いているようだ。
「じゃあ俺も」
 と根岸も籠をもう一つ追加して鴨崎の隣に並ぶ。
「上達したら、キャプテンに勝負を挑んでやろうぜ!スーパーミラクルシュートをお見舞いする!」
 鼻息荒い鴨崎と対極的に、
「うん。せめてPKのゴール率は上げたいね」
 冷静な根岸は現実的だ。要にはついていけない鴨崎のノリを、上手に受け流す方法を体得している。
(おもしれー二人組)
「ん?」
 グラウンド脇を横切りながら要が二人の様子を眺めていると、一人、また一人と一年生が鴨崎達に加わっていくのが見える。主に二軍のメンバー達だ。更に良く観察していると、今日はいつもよりも夜練をする人数が多いように見える。
「どうしちゃったんだ?イキナリ」
「……俺もやってこうかな」
 そう呟いた清水寺へ、芥野と二人で大げさに驚いて見せると「何だよ」と照れ笑いが戻った。
「ヨソはヨソ、ウチはウチって美しい言葉が日本にはあるんだぜ」
「どこがだ。茂森と同じような事言ってんなよ」
 気がついたら、要も両手を左から右へ動かす仕草をしていた事に気がつく。一瞬、自己嫌悪しかけるも内心で一蹴することにした。
「でもまあ、せっかく一年同士で盛り上がってるから、あのままやらせとこうぜ」
 カモネギ中心にゴール前で盛り上がる一年生達。どうやら、シュートとボール拾いの順番を決めているようだ。
「そうだな」
 あと二ヶ月足らずで新入生がやって来て、最下級生だった彼らも「先輩」となるのだ。その自覚が自主性となって現われている。それに、桐嬰には関東各地から、ジュニアリーグ出身の有望選手達が入学を志願してくる。年長たりとも油断ならないのだ。
 そして、最上級生となる要たち二年生は、監督が掲げる全国制覇目標の中心を担う。後輩達の様子を眺める彼らの横顔にも、つい先日までとは違う光が宿っている事に、彼ら自身は気がついていなかった。
(そういえば……)
 たった一時間弱のミニゲームで後輩達をやる気にした当キャプテンは、どこに行ったのか。要は茂森の姿を探した。口実として持ってこさせられた日誌を、渡さなければならない。今日の当番は彼だった。
「茂森はどこいった?」と声に出しかけたが、とどまった。グラウンドの隅のベンチ脇に立つ人影が、目に入ったからだ。試合中は他メンバーと異なる色を身にまとう事を義務付けられているキーパー。桐嬰では練習用ジャージもキーパーとその他で色を変えているので、どこにいても目立つ。
「悪い、先に着替えててくれ」
「どこ行くんだ?」
「日誌、次の奴に渡して来る」
「ふーん、分かった」
 誰に、とは言わず要は茂森の方へ駆け寄った。要に背を向けるキーパージャージの主は、携帯電話のディスプレイを眺めている。
「茂森」
「え?」
 少し離れた場所から声をかけると、大げさに肩を揺らして振り返られた。
「な、なんだよ…驚きすぎじゃねぇ?」
「ごめん…なに?」
 答える代わりに、日誌を差し出した。
「あ、そうだった。ありがとう」
 日誌が手渡り、「おう」と要が返したきり言葉が途切れた。
「………」
「………」
 うっかり立ち去るタイミングを逃し、お互いに沈黙したままになってしまう。
「あのさ」
 先に口を開いたのは、茂森だった。
「今晩、家に誰もいないから、夕飯を学校で済ませてこうと思うんだ」
 桐嬰の学食には専門の栄養士がついており、運動部員の寮生には特別メニューが決められている。自宅生には栄養表とレシピ表が渡され、運動部生の栄養と体調管理を徹底してもらうよう、通達しているとか。
「誰もいない?」
 思わず、要は訊きかえす。
「うん、俺の家、共働きだから」
 大人しい苦笑が戻ってきた。
「そうなんだ」
 意外だ。庭にサッカーフィールド…とまでは行かなくとも、金持ちで息子に英才教育をしているような家庭を、要は勝手に想像していた。
「じゃあ……俺いつも芥野や清水寺と食ってんだけど…お前も来るか?」
 話の流れから、否応なしにそうなる。嫌なのではない。言わされた感が少し悔しかっただけだ。
「うん、ありがとう」
 静かに、だが確かに嬉しそうな顔で頷かれた。
「……行こうぜ。寒くなってきた」
 首筋を冷風が通り過ぎて行き、要は小さく身震いした。
 更衣室に向かう途中、シュート練習をする一年生達の脇を横切る。ちょうど鴨崎が蹴る所だった。
「あいつ、素直な良い奴だよな」
 金網越しにその様子を眺める茂森が呟く。
「馬鹿がつくぐらいな」
 それが要なりの肯定だ。鴨崎の、才能を全く鼻に掛けない素直さ、純粋にサッカーを楽しむ姿は常に、周囲をも牽引する輝きを放っている。
 鴨崎のシュートがゴール左端に突き刺さった。
「今の良かったぞ!」
 隣から茂森が声をあげた。
「あ!キャプテンと先輩!」
 夏の大花のような笑顔が振り向いた。鴨崎を始め、二人に気がついた一年生が次々と振り返る。
「スーパーミラクルなんちゃらシュートでリベンジ」がどうこう言う鴨崎を適当に笑いながらあしらって、二人は更衣室に向かった。
 帰宅組は既に出払い、シャワー室は空いていた。
「お、茂森も一緒か」
 シャワーの湯に当たりながら長話をしていた芥野と清水寺が両名を出迎える。
「茂森、今日は学食で夕飯済ませてくんだってさ」
「そか。じゃ一緒に食おうぜ」
 要の説明に、芥野と清水寺は気の良い笑みと共に頷く。また茂森が嬉しそうに頷くのを、要は横目で見た。サッカーの才能のみならず、人に構ってもらうのが嬉しいという点でも、鴨崎と同じ人種なのかもしれない。
「うわ、ひでえ痣」
 芥野の声の方を見やると、茂森の上半身が目に入った。インナーを脱いだ裸の胸元に、赤黒い痕が目立つ。
「最後のセーブん時についたんだな」
 と、後ろから清水寺も覗き込む。茂森は少しバツが悪そうに胸元を指先で撫でた。
「ったく。ミニゲームでケガしてりゃ世話ねぇよ」
 シャワー室は個々に分かれて横に並んでおり、天井までの仕切りと、胸元までの開閉板で区切られている。要は開閉板に腕をかけて顔を乗り出していた。
「こんなのケガのうちに入らないよ」
 要の言葉に少し笑って、茂森はぬるま湯で濡らしたタオルで胸元を拭う。確かにキーパーは、ボールに飛びついたり、突っ込んでくるFWと接触する機会が多いポジションだ。それでなくとも茂森は、前へ前へと出て積極的にボールを奪いに行くスタイル。シュート体勢に入ったフォワードの足下に、恐れる事なく突っ込んでいく事も多かった。
「それに、本気じゃなきゃ一組目でゴールされてた」
 と少し拗ねたように唇を尖らせる。
「他校との試合より、校内の紅白試合の方が難しい事が多いんだ」
「………」
「………」
 と、茂森はまだ少しの悔しさが残る表情で、体についた痣を丁寧に拭っている。要達三人は顔を見合わせた。
「でも俺、試合中の怪我は少ない方だと思うよ」
 今度は表情が一変して、明るいものとなる。
「そう、か?」
「ああ。FWがしっかり攻めて、MFがしっかりボールをまわして、DFがしっかり防いでくれるから、あんまり俺の所までボールこないし」
 GKが活躍するチームは弱い、GKが活躍する試合は負け試合、と言われる。
 だから桐嬰は強い。
 タオルを絞りながら笑顔を向けてくる茂森に、また三人は相槌のタイミングを失った。
「お前って、誉め上手だな」
 シャワーを止めて要はタオルで顔を乱暴に拭った。照れくさそうな顔になってしまうのを、隠すために。
「そうかな」
「んじゃどうしてGKのお前が有名人になれるってんだっつーの」
「一人だけ派手なユニフォーム着てるからじゃないのかな」
 しれっとした顔で茂森は答えた。
 桐嬰の試合用ユニフォームは、二種類ある。
 まずGK以外が着用するものには、黒と白を基調としたタイプと、紺と水色と白を基調としたタイプ。対してGKは何故か突出して派手で、オレンジと黒のタイプと、黄色と赤と黒のタイプの二種。
「一年の時」
 茂森はシャワーブースの一つに入り、お湯の温度を調節する。
「みんなで俺のこと『南国の人食い毒花』って言ってたろ」
 顔に湯を浴びながら、少しだけ意地悪な顔をして三人を見た。
「げっ、覚えてたのかっ」
 わざとらしく後ずさりし、要は仕切り板に背を預けた。
「ああ、覚えてる覚えてる!」
「あれはウケた」
 清水寺と芥野が手を叩いて豪快に笑い飛ばした。
 あれは、一年の夏の事。夏大会のレギュラーを発表する場で、二年、三年を退けて茂森がスタメンに選ばれた。監督から渡された正GKの派手なユニフォームを手に、困惑気味の新守護神。居並ぶ部員、特に先輩達から浴びせられる様々な負の感情が混在した視線の中心で、肩を縮めていた。
 続けてFWから順番に監督がメンバーを発表していくが、初っ端のセンセーショナルな発表が尾を引きずり、空気は重苦しかった。そんな中、
『キーパーのアレ、色が人食い花みてえだな』
『南国のな』
『毒もってそー』
 偶然にも監督や部員の声が途切れた絶妙な瞬間に、要と清水寺と芥野による私語が、浮き彫りになってしまったのだ。
『あ…………』
『………』
『…………』
 予想外に響いた自分の声に驚いた三人。固まった空気。恐る恐る肩越しに前方を振り向くと、監督、コーチを始めメンバーの全員が要達に注目していたのである。
 その二秒後、周囲は監督の怒声と爆笑に包まれたのは言うまでもない。
「なんだよまだ根に持ってんのか?」
「悪かったって」
「立派に着こなしてるから安心しろ」
 フォローになっているような、いないような、三人は笑いながら苦しい言い訳をする。
「怒ってないよ。あの時は俺、嬉しかったんだ」
 シャワーを止め、茂森も小さく笑う。
「人食い花って言われるのがか?」
 複雑な顔をしている清水寺や芥野の様子に首を横に振ってから、
「本当は、ずっとその事を伝えたかったんだけど、やっと言えた」
 また大きな笑みを見せた。
(………)
「変なヤツ」と肩を竦める二人の横で、要は絞ったタオルから水が落ちていく様子を眺めていた。
 あの時、監督が茂森の名前を口にした瞬間、斜め前方に立っていた先輩GKの拳が強く握られたのを要は見た。横顔しか見えなかったが、口元が固く、きつくかみ締められていた。そして、おずおずと前方に出てユニフォームを受け取った時の茂森の目が、泳いでいたことも。だから、空気が読めてない場違いに派手なユニフォームが、余計に滑稽に見えたのだ。
 監督が怒鳴って、同級生は笑った。先輩も、笑っていた。あの瞬間、茂森は、どんな顔をしていた?
(別にあいつの為じゃなかった)
 好んで仁王監督に怒鳴られる奴などいない。要はいつもの皮肉を口にしただけ。何でこんな事を今頃思い出すのだろう。
「行こうぜ、腹減ったあ」
 清水寺の声に顔を上げると、三人は既に脱衣場の方へと歩き始めていた。要もタオルを引っつかんで慌てて後を追った。
 学食は腹を空かせた寮生達でごった返していた。食べ盛りの若者が集うそこは、ある種異様な熱気に包まれている。窓際の空いている席を陣取った要達は、「いただきます」の挨拶もそこそこに、まさに「かっ食らう」という言葉が似合う有様で食べ始める。
「………」
 目を丸くして箸を止めている茂森に気がつき、要は口にキュウリをくわえたまま顔を上げた。
「どした?」
「元気だなあと思って」
「お前は食うの遅いんだな」
「そっちこそ、よく噛まないとちゃんと体に吸収されないぞ。せっかく栄養バランスを考えて作られた料理なのに」
「うへ」と顔を背けながら要はキュウリを噛み潰した。
「そんな説教きくの久々だぜ」
 水で口の中の物を流し込む要の横から、
「四条んとこ、家が厳しいからな」
 と芥野が横入りした。
「実家、京都の老舗旅館だっけ?」
 清水寺が補足する。
 老舗といえば聞こえは良いが。実のところ古くてデカくて親戚がやたら多いだけだ。そして事実、しつけは厳しかった。両親がほぼ年中無休で忙しい身の上なので、主に子供達のしつけはご隠居である祖父母が行っていた。今の要の少々曲がり角な性格は、この時の反動から来ているのかもしれない。
「へえ」
「共働きって事は、お前んとこもじーさんばーさんが親代わりって感じ?」
 思考や発言に古臭い香りがするのも、それなら頷ける。
「うーん」と茂森は視線を天井に向け、そして首をかしげた。
「まあ、それに近い…のかな。お婆ちゃんはもういないけど」
「茂森んとこ、親は何の仕事してんの?」
 肉を頬張りつつ、芥野が何の気なしに尋ねる。
「ええと。技術者と、看護士」
 なるほど、両方とも忙しそうなイメージはある。
 妙に納得が行き、要も頷いた。
「親が看護士って、何かいいな。ケガとか観てもらえそうだし」
「栄養管理もちゃんとしてくれそうだね」
「だから順調にのびてんのか」
 茶碗を手にしたまま、要はちらりと隣に座る茂森を見た。彼より頭半分ほど身長が足りない要は、否応なしに上目で見上げる事になる。
「親父が技術者なら、JPFリーガー養成ギプスとか作ってもらえるな」
 要と違い身長にコンプレックスの無い清水寺が笑っている。少し古い野球漫画が元ネタだ。ちなみにJPFとは、Japan Professional Footballの略で、JPFLは日本のプロサッカーリーグを指す。
「「「うわ、いらねーー!」」」
 要と芥野と茂森から見事にブーイングがユニゾンし、その瞬間、要らのいるテーブルは、食堂中の注目を集めてしまう事になるのであった。

 食事を終えて食堂を出る頃には完全に日が落ちており、構内に降りた闇に照らされるいくつもの灯りがトワイライトのように浮かび上がっていた。
「あ、キャプテンに先輩!」
 食堂に入っていこうとする鴨崎と根岸、そして共に夜練に付き合っていた一年生の集団とすれ違う。
「なんだあキャプテン、今日は学食だったんすか!?」
 まだ髪の毛が乾ききっていない様子の鴨崎は、首からタオルをかけていた。
「ちぇー、一緒に食べたかったのに」
 タオルの両端を引っ張りながら口を尖らす鴨崎。
「ごめんな。今度は声かけるから一緒に食べよう」
 小さい子供をあやすように茂森は、落ち着き無く動く黒い頭に手を置いた。
「絶対っスよ!」と言い残して食堂になだれ込んでいく一年坊主の様子を要も見送った。
「あいつ俺達にはあんな事言ったことねーぞ」
「言われたくねえけど」と付け加えて要は苦笑いする。
「鴨崎は単にサッカーの話がしたいのさ」
 肩のスポーツバッグを掛けなおし、茂森は食堂の外に向かう。同じ流れで要ら三人も続いた。
「選抜とか、ナショナルチームとか、そういう話ばっかりだよ」
 なるほど、と要は声に出さずに頷いた。
 チーム内で実力が際立つ茂森は、学校外での活動も多い。地域内で選ばれた選手でチームを構成して地域対抗戦を行う選抜や、有望な選手を招待、選抜して育成プログラムに参加させるトレーニングセンター制度、それに全国から選手を選抜するナショナルチーム等から頻繁に声がかかる。他の部員では経験する事のできない話を、鴨崎は聞きたがるのだ。
「カモなら、そう遠くないうちに声がかかるだろうに」
 という要の言葉を誰も否定しない。
「俺もそう思う」
 食堂のおばちゃんと親しげに会話する鴨崎の姿を、茂森は肩越しに見やった。
「あいつのシュート、だんだん取り難くなってきた」
 そしてまた背を向けて歩き出す。
「………」
 その背中を、要は思わず振り返った。
 茂森は、鴨崎に対抗意識を持っているのか。
 確かに鴨崎は日単位で著しい成長を見せている。実のところ、入部当初は「他の新入生より少しサッカーが上手」程度の認識しかなかった。それが夏の大会に入った頃にはスタメン控えとなり、出場すれば高確率で点に絡むほどになった。
 鴨崎の成長度合いが来期の桐嬰の成績を左右する。要はそう見ていた。
 だが同時に、茂森の安定度も大きく関わっているのだ。
「その言葉、カモに言ってやりゃいいのに」
「あいつ茂森信者だしな」
 清水寺と芥野の冗談が転がってきて、要は我に返る。
「喜びのあまり、木に登るんじゃねぇ?」
 しれっと、いつものように悪言を口にして、考え事にふけっていた事を誤魔化した。
「あはは。今度言ってみようかな」
 食堂玄関前の分かれ道で四人は足を止める。
 真っ直ぐ進めば外、右に曲がると寮棟へ通じている。
「じゃ、俺はここで」
 振り返って茂森が片手を振った。
「おう」
「またなー」
「おつー」
 三人三様に見送って、寮へ続く渡り廊下へと向かう。
「案外、茂森って普通に話せるんだな」
 先を歩く要は、何の気なしに呟く。背中で一瞬、無言の間が空いた。
「あ、そうか。お前クラス違うもんな」
 と芥野。
 一年生時は三人揃って同じクラスだったのが、二年次の時に要だけが外れてしまったのだ。そして、どうやら茂森は芥野らと同じクラスらしい。
「ときどき話すよな」
「まあな」
「………」
 どうりでシャワー室につれてきた時、驚かれもせずにあっさり受け入れられていたわけだ。
(ますますわかんねー)
 それなら尚のこと、芥野か清水寺あたりが副キャプテンになるのが丁度よかったのではないか。
(なんで俺なんだ?)
 二人に背を向けて歩きながら、要は再び同じ問いを繰り返した。

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06

 翌日、一時間目の授業が始まるまでの休み時間。要が芥野や清水寺のいる教室に足を運んでみると、入り口付近の席で雑談している二人と茂森の姿を見つけた。
 なるほど。よく話すというのは本当だったらしい。
「あ、四条、おはよう」
 最初に要の姿に気づいたのは茂森で、連鎖するように芥野と清水寺が振り返った。「ウス」と頷いて輪に加わってみると、話題は今日から始まるグラウンド工事についてだという。
 大グラウンドの一つが今日から数週間、使用禁止となるらしいのだ。
「芝生グラウンドになる??」
「グラウンドキーパーも雇うって話だぜ」
 公式の試合で使われるグラウンドは芝生が多いが、桐嬰は面数だけは多いものの、土グラウンドばかりだった。
「すげえー、このガッコって金もちなんだな」
 と言いつつ、相変わらず要は無関心のような顔で腕を組んでいる。
「どっからそんな金がはいってくるんだ」
「国や県からじゃないかな」
 答えたのは茂森。
「国と県??」
 規模の大きな話をしているという感覚がないのか、茂森はいたって普通の顔で頷いた。
「文部科学省の「アスリート育成プロジェクト」って言って、運動部が好成績を残した学校や、優秀な選手を有するクラブチームに、成績に応じて支援金が出されるっていうやつだよ」
 アジア各国が、芸術やスポーツ分野において世界チャンピオンを育成する国をあげてのプロジェクトを立ち上げている中、日本でもそれをに倣って長期を見据えた育成支援が始まった。
 夏の県大会で優勝し、関東大会でベスト4、新聞社と放送局が主催した秋の大会でも好成績を残した桐嬰には、それ相応の支援がなされたに違いないというのだ。
「すげーな」
「俺達の成績がご褒美になって還元されるわけか」
「ご褒美だってんなら、美女コーチとか欲しいよなー」
 美人女子マネでもいいけど、という清水寺に芥野が全面的に賛同している。
「詳しいな、お前」
 要は純粋に思った事を口にした。サッカーが学校の部活動の範囲を越えない要にとって、国だの地域だのの都合や思惑は考えの範疇外だった。
「俺も、ちょっと新聞で見ただけ。あと、人から聞いた話とか」
 茂森はそう言うが、ナショナル選抜にまで声がかかる選手ともなると、やはり視野や聞こえてくる話の規模が違うのだろう。
 それに、恐らく今回の芝生グラウンドはほぼ茂森の功績が為しえた産物であろう事は、要にも推測できた。
 県大会で優勝した時、勝敗を分けたのはPKだった。0-0のまま延長戦も平衡状態。勝負の行方はPKにもつれ込んだ。茂森は相手チームのキックをことごとく防ぎ、桐嬰を優勝に導いた。結果的に、点を入れる事ができなかったFWやMF陣ではなく、守りきったDFと、最後の砦となった茂森が勝利の立役者であったのだ。
 あの決勝だけではない。DFやGKが守りきって相手のミスから打ち崩す、事実これは桐嬰の勝ちパターンだ。上級生やレギュラー陣に決定打を持つアタッカー人材が不足している事は、要にも感じられていた。鴨崎が成長を見せるまで、FW陣が連携でなんとか点をもぎ取っていた印象がある。
 全国大会に一歩手が届かなかった原因は、そこにあった。
(ま、俺もその原因の一つなんだけどさ)
 もやもやと考えが膨らんだ先に到達した結論に、要は内心で軽い溜息を洩らした。
「茂森くーん」
 教室の前方から響いてきた女子の声が、要の意識を引き戻した。
「なに?」
 名前を呼ばれて、茂森は四人の輪から一歩外れる。見ると、教室の前扉から同じクラスの女子生徒が「おきゃくさんだよ」と手招きしていた。
「あ~、また差し入れかな」
 いつもの事だ、と言うように清水寺が言う。
「差し入れ?」
「ほら、廊下見てみろよ」
 一人で訳の分からないという顔をする要に、芥野が教室の外を指差す。後方の扉から廊下に顔を覗かせると、小柄な女子が三人かたまって、茂森を待ち構えている。制服のリボンの色からすると、一年生たちだった。皆、小さな紙袋を持っている。廊下を行き交う通りすがり達は「またか」というような顔をしていた。
「おはよう。俺になにか?」
 律儀に挨拶して茂森が微笑むと、一年生達は「きゃーっ、おはようございますぅ!」と肩を寄せ合って黄色い声を上げる。
「うへ、なんだアレは」
 ダンゴのように三段重なって扉から首を出す要達。上から身長順に、清水寺、芥野、要だ。
「あの、これ、使ってください!」
「これ、召し上がってください!」
 と、三つの紙袋が同時に差し出される。ピンクの可愛い袋だったり、赤いリボンがついていたり、それぞれ趣向が凝らされていた。目の前に突きつけられたまばゆいばかりの色に少し驚くものの、直後にまた笑って茂森はそれらを受け取った。
「どうもありがとう」
 するとまた、黄色い声がこだまする。
「では、失礼します!」
「これからもがんばってください!」
 勢いよく同時にお辞儀をして、一年生三人娘は回れ右をして駆け出した。
「走っちゃ危ないぞ」
 その背中に茂森がやんわりと声をかけると、面白いぐらいに従順に、「はあーい」と声を揃え、三人は足を止めて歩き出した。
「すげぇ光景」
 要は口元を歪めるが、清水寺と芥野は平然としていた。
「まさかこれ、日常の光景なのか?」
「毎日ってわけじゃないけど」
「たまにあるよな」
「うちの運動部の自由見学が禁止されてるのは、ああいうのが多いからっていう理由もあるらしいよ」
 中、高、大学部通して、桐嬰には全国区の選手が数多い。特に高校、大学部のメジャージャンルのスポーツ選手となるとマスコミに取り上げられる機会も多く、学外にもファンができるのだとか。
「へえ……」
 要とて、差出人不明の差し入れをもらった事ぐらいはある。要自身が封を開ける前に、哉子が面白がって開けてしまったのだが。いずれにしろ要は見ず知らずの女子生徒になど興味はなく、プレゼントも受け取ったきり何も起こらないので、その後はどうしようもない。
「別にカナ兄のことが好きなわけじゃないのよ。そういう子たちって、そういう事をする行為そのものが楽しいんだもの。恋に恋するっていうの?「甘酸っぱい恋愛ごっこ」をしたいわけよ」
 現実的なところは性格的に似ている双子の妹、哉子の言葉が思い出された。
「つまり、カナ兄は「ごっこ」のエサなわけ。たまたまフォワードという目立つ
ポジションだから、ターゲットになっただけなの」
 明るい顔と声でずいぶんとえげつない事を言われ、さすがに要も多少はショックを受けたものだった。でも今となっては全くその通りだと思う。
 そんな事を考えているうちに、両手に袋を抱えた茂森が戻ってきた。
「すげーな。何もらったんだ?」
 出迎える要が、プレゼントの袋に視をやると、慣れているのか悟っているのか、茂森は手放しで喜んでいるような素振りを見せずに「何だろうね」と肩をすくめた。
「多分、こっちはお菓子で、こっちは……タオルとか、かな?」
 重さと手触りで分かるらしい。
「差出人不明のプレゼントとかもあんの?」
「ああ、うん、ときどき。ロッカーとか、机の中に入ってたりする」
「そういうプレゼントって、どうすんの?」
 そう要が尋ねた理由は、ほんの些細な興味から。ちなみに要の時はクッキーが入っていて、ほとんど哉子が食べてしまった。
「どうするって、ありがたく使わせてもらうけど」
 どうしてそんな質問をするのかと、不思議そうな顔で茂森は僅かに首をかしげた。
「不気味じゃねえ?どんな相手かもわからないのに」
「…………」
 茂森は、ぽかんと僅かに口を開けた顔。だが三秒後にはその顔に悪戯な笑みが乗る。
「四条も、もらったことがあるんだな?」
「な…!」
 何でそこで俺の話になるかな!
「え、そうだったのか!」
「知らなかったぞコノヤロー!」
 不覚ながら、口ごもる要。その様子に目ざとく反応した芥野や清水寺は、両側から要の頭を乱暴にかき回した。
「いだだだだっ!二~三回だけだっつーの!しかもどれも誰だかわかんねぇから気持ち悪いだけだし、興味ねーよ!」
「二~三回「だけ」って嫌味かテメーはっ!」
「「興味ねーよ」って言ってみたいぞコノヤロー」
「んなのは言葉のあやだっっ」
 なんでこんなに必死に言い訳してるんだ、俺は。
 そう思いながら、要は頭を振って二人の腕から逃れた。
 三人のやりとりを見て笑っていた茂森は、ふと視線を手元に落とす。
「確かに、相手が誰だか分からない時は、ちょっと残念だね」
 手にした三つの紙袋を見おろす茂森の口元には、静かな笑みが宿っていた。
「でも、自分のためにわざわざこれを用意してくれた気持ちは、同じだと思うんだ」
 だから、どのプレゼントもありがたく使わせてもらう。
 茂森はそういう奴なのだ。
「ファンも冥利に尽きるなあ」
 妙に素直で物分りの良い性格をしている清水寺は、感心して大きく頷いていた。
「そういえばこの間使ってたイルカ柄のペットボトルホルダーって?」
「うん、もらった物」
「……」
 三人の会話を聞いていて、何かが閃いた。要の脳裏に浮かんできたのは、昨晩のシャワー室での光景。茂森が使っていたタオルの柄だ。
「……昨日使ってたバスタオルもか?」
 寝ている仔虎や仔ライオン、仔アザラシや仔猫のプリントされた濃紺地のバスタオル。
「うん、もらった物」
「じゃあまさか練習中に使ってたなんかよくわからないキャラクターのフェイスタオルもか?」
「うん、もらった物」
 道理で趣味の傾向が支離滅裂なはずだ。
「お前なあ、勘違いされねえの?」
「勘違い?」
 本当に分かっていないようで、茂森は目を丸くして首を傾げる。要としては、この顔をされると無性に頭をひっぱたいてやりたくなるのだ。
「プレゼントした物を堂々と使ってくれてるって事は、向こうも自分が好きなんじゃ、っていうさ」
 要の推測に、清水寺と芥野が「こえー」「ありそうありそう」と無責任に喜んだリアクションをする。
「でも……使わないままでいるのはもったいないし…せっかくもらったのに」
 肩を下げて視線を下げて、茂森は独語のように呟く。
(イ ラ つ く)
 ハリセンがほしい。要は心からそう思った。
「そうやって使ってくれるからプレゼントし甲斐があるってんで、差し入れする奴が絶えないんだなきっと」
「まあでも、一応、そういう奴もいるかもしれないって事は覚えといたらいいんじゃね?」
 被差し入れ経験者同士が二人で顔を見合わせる。
「俺らも一度ぐらいはもらってみてーよな」
「芝生グラウンドより嬉しいかも」
と無害な笑いを浮かべていた。
 そうしているうちに、授業開始五分前を知らせる予鈴のチャイムが高らかに鳴り響いた。プレゼントの話は適当に打ち切って、昼休みの約束をしてから要も教室に戻る。
「あ、いたいた、四条」
 要が戻るなり、待ち構えていたように同級生でサッカー部の男マネ倉本が駆け寄ってきた。喘息持ちのために激しい運動が出来ないがスポーツ観戦が好きで、生徒会書記も任される管理能力をかわれてサッカー部のマネージャーをやっている。
「ごめん、昨日言い忘れたんだけど、今度の見学会のこと」
「見学会?」
 まったく記憶に無い話だ。要の反応に倉本は呆れ顔で口を開けた。
「関東リトルリーグが見学に来るって話だよ」
「ああ、そうなんだ?」
「しっかりしろよー、副キャプテン」
 そんな事を言われても、恐らくその話が出たのは要が副キャプテンになる前の事であろうし。そう思ったが言い訳が面倒だったので、要は生返事で受け流した。
 前述したが、関東圏内のジュニアチームの中には、桐嬰への入学希望者が多い。そうした入学志願者や、既に合格を決めている次期新入生達のための見学会が時おり開かれるのだ。ちなみに要の場合もこの見学会に参加した事があるクチだ。関東の親戚宅に遊びに来ていた時、同じくサッカーをしていた従兄弟につれられて来たのだ。
「それで?」
「で、その時にミニ紅白戦をやるらしいから、そのチーム分け案を明日までに提出してくれって」
見学会の内容は様々で、普段どおりの練習風景を見せる場合と、今回のように紅白戦や他校との練習試合を行ったりと、イベントめいた形式をとる場合とある。
(んなもん、茂森がいるチームが勝つにきまってんだろ)
 と思ったが、顔には出さなかった。
「って、ミニって?」
「見学会の前半は通常の練習で、後半に紅白戦っていうメニューらしいよ。前半二十五分、後半二十五分」
「ふーん。ずいぶんと今回は念入りなんだな」
 前回の見学会は、夏だったと要は記憶している。大会直前という事もあり、イベントめいたことはせずに通常の練習を行っている様子を見てもらっていただけだったはずだ。今はオフシーズンという事もあり、監督達にも余裕があるようだ。
「というわけで、キャプテンにも伝えといてくれないかな」
「へ?」
「二人で相談して案をまとめて来なさいってさ」
「明日までにか」
「だって見学会、明後日だし」
 土曜日だ。
「きいてねーよ」
「二週間ぐらい前に監督からお知らせがあっただろ」
 まさしく「(話していたけど)聞いていなかった」。言い訳のしようがなくなったので、要は大人しく監督命令を受け取ったのであった。

 健康管理のために、運動部の生徒は学食で昼食をとることが勧められている。学食には通常メニューのほか、運動部用に栄養バランスを考えた特別メニューが数種類揃っており、学校ぐるみでアスリート育成に力を入れているのがよく分かる。
「俺、大抵は弁当持参なんだ」
 昼休みに紅白戦のオーダーを決めてしまおうと要が茂森を昼食に誘うと、戻ってきた返事はそれだった。なるほど。二年近く同じ部活動のチームメイトでありながら、食堂で彼の姿を見かけた覚えがあまり無いのはそういう理由だったのか。
「しゃーねえ。じゃあ購買で適当に何か買ってくるかな。打ち合わせはここでやろうぜ」
 学食に人が流れるために、昼休みの教室は空く。適当に空いている席から椅子を失敬してこようと思っていた。
「分かった。待ってる」という茂森に見送られて教室を出ると、清水寺と芥野に出くわした。いつもならば、彼らと学食で落ち合うのが常だ。
「悪い、今日は茂森と打ち合わせがあるから教室で食う」
「そっか。何の打ち合わせだ?」
「見学会の時にやる紅白戦のオーダー案をキャプテンと考えてこいだと」
「あ~、明後日だもんな、そういえば」
 知らなかったのは俺だけか。少々バツが悪くなりつつ要は二人と別れて購買へと急いだ。
「ん?」
 混雑する購買内、レジに並ぶ列に見知った人影を見つけた。要はパンとオニギリと飲み物を適当にひっつかみ、その人影に近づいた。
「カナ、これも頼む」
 双子の妹、哉子だった。ちょうどレジの順番が来たところへ、要は要領良く自分の買い物を哉子の買い物に付け足した。
「何よー、学食じゃないの?」
と頬を膨らませつつも、「あ、袋わけてくださーい」とレジ係にきっちり指示を出してくれている。代金を精算しながら二人で購買を出ると、入り口で哉子を待つ女子生徒がいた。
「ユリちゃんお待たせー」
 ユリちゃん、と哉子に呼ばれた女子生徒は、要の姿に気がついて会釈を向けてきた。黒い瞳を丸くして若干の驚きを見せているのは、要が哉子と同じ顔をしているからだろう。
「ユリちゃん、これがうちの兄さん。これでもサッカー部の副キャプテンなんだってさ」
哉子の紹介に「うるせーな」とケチをつけた後、「どうも」と要は「ユリちゃん」に会釈を返す。
「カナ兄、こちら弓道部副主将のユリちゃん」
「神田百合です。哉子さんにはお世話になってます」
 丁寧な動きで改めて深々とお辞儀をしてくる。肩まで切りそろえた黒髪が日本人形のようで、袴と弓が似合いそうだと要は思った。
「お前の相棒ってわけか」
 隣に立つ哉子に視線を向けると、満足そうな顔で「そうよー」と返って来た。
「入部した時からずっと一緒だったの」
哉子が両手で百合の首に手を回し、人形を抱くように引き寄せると「か、カナちゃん…」と少し焦った声が漏れてくる。白い顔を赤くして、百合はされるがままになっていた。
(茂森に差し入れにきていた一年生といい、女ってのはどうしてこう一緒にくっ付きたがるんだ)
 自分と同じ顔が女子生徒とひっつきあっているのを見るのは、なんとも複雑な気持ちだ。もちろん、相手が男子なら尚更である。
「よろしくやってろよ」
 長時間の鑑賞に耐えず、要は「じゃあな」と言い残して立ち去ろうとする。その横顔へ、
「そっちの相棒とはどうなのよ?」
哉子から問いがかかった。
 思わず足を止めてしまい、要は「しまった」と思う。
「サッカー部のキャプテン、茂森君だっけ、ずいぶん凄い人みたいじゃない?カナ兄で釣り合いとれるの~?」
「何で知ってんだよ」
 名前まで話した覚えはなかった。
「だって有名だもの。よくうちのクラスの女子も噂してるし。野球部エースの杉本君、バレー部の竹岡君、バスケ部の伊中君、サッカー部の茂森君といえば、桐嬰四天王って言われてて」
「何の四天王だ。漫画かそりゃ」
 要は呆れて肩を竦め、教室に戻ろうと今度こそ踵を返しかけた。
「四大賞金王とも言うらしいけどね」
「…え?」
 言葉の意味を汲み取れず、要は再び足を止めた。大げさに振り返ってしまい、逆に哉子が目を丸くする。
「カナちゃん」
 哉子に抱えられた腕の中で、百合が眉を下げて困った顔をしている。それが彼女なりの怒り顔なのだろう、哉子はそれに気がついて「ごめんごめん」と体を離した。
「そうじゃなくて、カナちゃん…」
 抱きつかれていた事を嗜めたのではなく、もっと別の事。それを伝えようと百合は精一杯の真摯な目で哉子を見上げる。
「ああ…うん、あんまり良い話じゃないね、ごめん」
 百合の意図に気がついたらしい哉子は、素直に反省を面持ちに見せた。
「話がよく見えないんだけど」
 取り残されたような気分の要は目を細める。不本意ながら、拗ねたような声調になってしまった。
「もうっ。普段から新聞くらいよみなさい!」
 哉子から細い指を顔面に突きつけられる。
「今度説明してあげる。じゃあ、私達打ち合わせがあるから行くね」
 そう言って哉子は百合を伴い、隣の校舎へと去っていった。
最後に百合が体半分だけ振り返り、要に会釈を残していった。
「何なんだ一体」
 残された要は、口元で独語を零す。ふと校舎の大時計が目に入り、無駄に時間を浪費しつつある事に気がつく。
 とりあえず目下は、片付けなければならない課題がある。
 要は哉子の言葉を頭の隅に追いやって、教室に向かった。

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07

 哉子と別れて教室に向かう途中、全校舎にアナウンスが響いた。
『ただいまより、約三分間、スプリンクラーが作動します。生徒の皆さんはグラウンドから離れてください』
 グラウンドが乾燥して砂塵が舞うのを防ぐためだ。
「四条」
 教室に戻ると、窓際に立つ茂森が手招きしてくる。誘われるままに窓の外を覗くと、サッカーフィールド二個分の広いグラウンドいっぱいにスプリンクラーの花が咲いていた。その中に、見知った人影が……
「カモ!?」
 思わず要は声に出していた。
 水を吐き出しながら狂ったように回転するスプリンクラーの花々、その合間を潜り抜けて走り回るバカ一人。
 桐嬰サッカー部次期エース、鴨崎だった。
 巧みに水しぶきをかわしながら、楽しそうにグラウンドを駆け回っている。足下には、サッカーボール。
『グラウンドから離れてください』
 生真面目な口調で警告アナウンスが流れるが、端から聞こえちゃいない。
「あははは。楽しそうだな」
 隣で呑気に大ウケしている茂森。気がつけば、他の生徒も次々と窓の外を覗きに来ていた。
「こらー!バカモ崎ー!」
 そんな声と共に、鴨崎を追って数人がグラウンドに飛び出してくる。恐らくクラスメイトか。中にはサッカー部の仲間も混ざっていた。ますます楽しそうに鴨崎はボールを蹴りながら、水とクラスメイト達をかわして走り回る。
 スプリンクラーは緊急停止し、ついには教師や用務員が鴨崎を追ってグラウンドに現われる始末。蜘蛛の子散らすように悪餓鬼共はそれぞれ逃げていった。そんな騒ぎを尻目に要は茂森の席の隣から椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。
「スプリンクラーが動くと、必ずああいう奴がいるよな」
「でもあいつ、ほとんど濡れてないんじゃないかな」
 席に戻ってくる茂森が呟く。口元には、微笑が浮かんでいた。
「………」
 笑いながらも、鴨崎の細かい動きを全部観察していたのか。
「俺が用務員なら、水量と回転数の調整弁を全開にしてやんのにな」
 そうなりゃ流石のバカモ崎とて無事ではいまい。そう意地悪に笑いつつ、要はメンバー表を手にとった。
「スプリンクラーって用務員さんが動かしてるんだ?」
 向かいの席に茂森が腰掛ける。
「ああ。メイングラウンドのコントロールパネルは用務員室の隣なんだけど、サッカー部のグラウンド用のは、倉庫の横にある用務小屋んとこにあんだ」
「へえ~」
 素直に感心しながら茂森も、メンバー表の写しとシャーペンを手にとった。
「四条、何でそんな事知ってるんだ?」
「だって俺、一年のときにイタズラでスプリンクラー動かした事があっから」
 鴨崎の姿を見ていて、唐突に思い出した。
「あはは。鴨崎より大胆だな」
 と茂森は笑う。
「そりゃバカモ崎より上を行くバカって事か」
 我ながらそう思うが、面と向かって言われるとなんだか面白くない。要は「うっせー」と苦笑しつつシャーペンをノックした。
「一軍グラウンドをビチャビチャにしちゃって、監督に怒鳴られた怒鳴られた」
 すげー武勇伝だろ、と要が顔を上げると、茂森はメンバー表から視線を外して要を見ていた。
「それ、一年の、いつやったんだ?」
「え?いつだっけな。今みたいな寒い時じゃなくて、暖かい時期だったと思うけど」
「夏の選手権の前……とか?」
「あ~、そうそう。「お前のお陰で練習できなくなったじゃないか」って、すっげー怒られて……あれ?」
 俺、なんだってそんな大事な時期にスプリンクラーのイタズラなんて。
 シャーペンを回す手を止めて、要は眉を顰めた。
(何だか物凄く、嫌な事を思い出しかけている気がする)
 自然と要は身構えるように背を丸めていた。
「あの時のアレは、四条だったんだな」
「…………」
 机を挟んで向かい合う茂森は、まっすぐに要を見つめてくる。気後れせず至近距離から視線を向けてくる目の前の顔に、要は思わず体を後ろに倒して背もたれに体重を預けた。
「あ」
 そうだ。
 思い出した。
 あれは一年時の初夏。
 夏の選手権を控えた、土曜日の練習中。
 茂森が一年生で唯一スタメンに選ばれ、要達が「人食い花発言」をした翌週だった。
 監督やコーチ、キャプテン達は大会出場前の手続きやら、学校との打ち合わせやらで留守にしており、部員達に自主練習を命じていた。二、三年生で構成される一軍達は一軍用グラウンド、一年生と二年生中心に構成された要達二軍は二軍グラウンドに分けられる。要は芥野や清水寺を含む一年生メンバーの友人らと、日常のメニューを消化していた。
 そんな中、一軍グラウンドの方向から青い顔をした倉本マネージャーがやってきた。近くにいた二年生に声をかけ何やら言葉を交わすが、つっぱねるように首を横に振られて話を遮られている。その後、倉本は他の二年生にも声をかけるが、いずれも同じようなリアクションで遠ざかられる。
(?)
 ドリブル練習をする要の視界の端で、倉本は途方に暮れていた。大きな溜息をつきながら、要達がいる一年生が固まるエリアへやってくる。最初に声をかけられたのは、たまたま二軍グラウンドの端にいた芥野。
「どした?」
 芥野が気の良い返事をするが、倉本の表情は冴えない。
「ちょっと…一軍グラウンドで……」
 近くにいた他の一年生達も、足をとめている。
「監督やコーチもまだ戻ってないし、どうしようかと思って」
 他の先輩たちにも声をかけたが、誰もとりあってくれなかったらしい。
「一体どうしたんだ?」
「………」
 倉本は無言で一軍グラウンドの方を指差した。一軍と二軍のグラウンドは高いフェンスで仕切られており、用具倉庫が狭間に並んでいるためにここからでは向こうの様子が見えない。
「ちょっと見てくるな」と芥野がそちらへ向かい、
「おう」と要達はその場でドリブル練習を再開する。そして一分後、複雑な表情と共に芥野は戻って来た。
「何だったんだ?」
 清水寺の問いに、「うーん……」と芥野の返答は曖昧だ。
「PK練習、してんだよ。隣」
「ふーん。で?」
「茂森がゴール護ってて、三年の先輩達がシュート……っていうか、多分あれはそうじゃないよな…」
 芥野がしきりに首を傾げると、側にいた倉本が「やっぱりそう思うよな?」と詰め寄ってくる。
「はっきりしねぇな」
「俺もみてこようっと」
 煮え切らない芥野の説明にしびれを切らして、清水寺や正田等、数人の一年生が一軍グラウンドの方へと様子を見に行った。野次馬根性に希薄な要は、そんな彼らを見送って再びコーンの間を8の字に回るドリブル練習を再開した。
 そしてまた一分後、彼らは芥野と同じような顔をして戻ってくるのだ。
「あれって、やっぱそうなのかな…」
「そう、なんじゃね…?」
 やっぱり煮え切らない言葉を呟く面々。
「何なんだ一体」
 目許をしかめる要に、
「じゃあ四条も観にいって確かめてみろよ」
 と清水寺が一軍グラウンドの方を指差す。
 メンドくせーな、と呟いてボールをその場に残し、要も一軍グラウンドの方へと小走りに向かった。歩道を行くと遠回りになるため、やぶれた網と倉庫の隙間をくぐって一軍グラウンドを覗き込む。矢継ぎ早にボールが何かにぶつかる音が響いた。
「?」
 その光景は、確かに「PK練習」の形をとっていた。
 一軍グラウンドにいるのは、今度の夏の選手権に出場するスターティングメンバーと、その控えたち。ゴール前にいるのは、唯一の一年生レギュラーにして唯一の正GKの座をかちとった茂森。そして、そのゴールに向かいシュートを打つ他のメンバー達。
(シュート位置がおかしくないか??)
 異変は数秒後に判明した。
 シュートをするキッカーの立ち位置が、ペナルティーエリアよりも内側、つまり通常のPK練習の位置よりも遥かにゴールに近かったのだ。それだけならともかく、最大の問題はキッカーの蹴るボールの軌道、そして間隔。
「そんな正面の球もとれねーのか!?」
 三年生FWの声、そして蹴られるボール。キーパーの真正面だ。
「っ!」
 至近距離からバッティングマシーンのように真っ直ぐ放たれたボールを、茂森は体全体で受け止める。だがほぼ同時に、そのFWの隣にいた別のFWから次のボールが蹴りだされ、同じく真正面を狙ったボールは、対応し切れなかった茂森の腕に当たる。
「そんなんでレギュラーに居座るつもりなのかよ?!」
 また先輩の怒鳴り声が響き、間髪入れないタイミングで正面を狙ったボールが蹴りだされる。
「ぃっ…」
 両手で受け止める余裕もなく茂森は何とか片手でパンチングして弾き返すも、また直後に別のMFが蹴ったボールが斜めから突き刺さり、これも対応しきれずに脇腹に直撃した。
 足元がよろめいたところにすかさず低い位置を狙ってボールが来る。そちらに気をとられると今度は頭を狙った次のボールが襲い掛かる。
「はっ…!」
 反応しかけた時にはもう遅く、ボールは咄嗟に避けようとした茂森の顔面に直撃した。
「!!」
 要は思わず身を乗り出す。
 横にバランスを崩した茂森がゴールの中に倒れこんだ。両腕で頭を抑え、背中を丸めている。
 だが、蹴りだされるボールは止まらなかった。
「寝てんじゃねーよ!」
「起きろ一年!」
 籠から次々とボールを取り出し、三年生達はゴールに向かって、正確にはキーパー目掛けてボールを蹴り続けた。
(これって……)
 要は呆然とその光景を見つめた。
 これは、PK練習なんかじゃない。
「………くだらねー……」
 くだらなすぎる。
 幕が引き下ろされるかのように、脱力感に襲われる。まったくもってこんなのは興醒めだ。
「マジくだらねぇ」
 もう一度同じ言葉を呟き、要はその場から踵を返した。三歩進んで、足を止める。そして九十度角度を変えて早足に向かった場所は、倉庫の脇に設置された、「スプリンクラー制御装置」「さわらないで下さい」の二つの札が掛かったコントロールパネル。
「頭悪すぎだろ」
 最後にそう呟いて要は、無感慨に箱の中のハンドルを最大レベルにまでおろした。
 途端、グラウンドに横殴りの滝が降り注ぐ。
「うわっ!」
「ななななんだ!?」
「つめてっ!」
 突然足元に生えたスプリンクラーに驚いた三年生達。これでもかと盛大に降り注ぐ水から逃げるために、散り散りに走り去っていく。
「…………」
 ゴールの中で身を起こした茂森はただ呆然と、グラウンドに咲き乱れる水の花々を眺めていた。
「なかなか荘厳な眺めだな」
 当の要はそうつぶやいて、スプリンクラーの弁を開けっ放しにしたまま何食わぬ顔で二軍グラウンドへと戻っていったのであった。その数十分後、打ち合わせから戻ってきた監督に何故かバレて呼び出され、これでもかと怒られる事となる。
 だが要がその理由を口にする事はなかった。
「………思い出した」
 思い出してしまった。
 背もたれに寄りかかったまま、要は苦々しく呟いた。
「なんだ、忘れてたのか?」
 目の前の茂森は、呆れた顔で苦笑を向けてきた。ボールを当てられて顔を歪めていた時の彼ではない。
「俺は、ずっと忘れた事がなかったよ」
 少し照れたように、茂森はまっすぐ向けていた視線を一度手元に落とす。そしてすぐに顔を上げて、再び要をまっすぐ見つめてきた。
「ありがとう」
 そして、微笑むのだ。ゴール前に倒れていた時とは全然違う顔。
「………別に、お前のためにやったんじゃねえし」
 両手を胸の前で組み、要は茂森から顔を逸らした。
 先輩たちの下らない嫉妬と所業に我慢がならなかっただけだ。
「うん、でもありがとうな」
 また少し視線を伏せて、茂森は二回目の「ありがとう」を口にした。一回目の「ありがとう」より、柔らかいが明るかった。
「オーダー、さっさと決めちまおうぜ」
 要は背もたれから体を離して、メンバー表を引っつかむ。
「そうだね」
 最後にまた大きな笑顔を見せてから、茂森もメンバー表を手に取った。
 視線と意識をメンバー表に向ける事で妙な照れを隠しつつ、要はオーダーを考える。一軍と二軍をバランス良く混在させて、戦力にムラが出ないようにする、それがオーダー決めのポイントだ。
 だがメンバー表と睨めっこしてわずかに数十秒後、要は早速さじを投げかける。持っていたシャーペンを茂森の顔面に突きつけた。
「お前がいるせいでバランス悪くてかなわねーよ」
 茂森と、第二以下のGKの実力差が激しすぎるのだ。
「お前が故障したらどうするつもりなんだろうな、監督は」
 購買から買ってきたパンをかじりながら、要は二軍メンバーリストにも目を通す。
「しない」
 短く答える茂森は、お茶のペットボトルを手に取った。
「あ?」
「俺は、怪我も病気もしない」
 ムキになっているように聞こえる茂森の返答。要は苦笑してメンバー表から視を上げた。
「嘘付け、こないだ熱だしてたくせに」
「え?」
「東中との試合んとき、お前調子悪かったんだろ」
「何だ。バレてたのか」
 一口飲んだペットボトルを置いて、茂森は鞄から弁当箱を取り出す。
「なに練習試合なんかで無理してんだよお前は」
茂森は「うん……」と小声で頷く。
(何でいつの間にか説教モードになってんだ、俺)
 はたと我に返った要は、またパンをかじる。
 対面の茂森は、箸箱をいじりながら俯いている。
「弁当、毎朝親が作ってくれんの?」
「ん?」
 何となく間がもたなくなり、茂森の弁当が目に入ったので要は適当に話題をそこに逸らした。どこにでもありそうな少し大きめの弁当箱に、魚の切り身や野菜の煮物等がきれいに並んでいる。純和風おかずのラインアップが、要の祖母の手作り料理と似ていた。
「大体は蓉子さん……家族が作ってくれるけど、忙しい時は俺が」
 蓉子さん?
 少し引っかかりを感じつつ、要は「ふーん」と呟いてから、
「え、お前も弁当つくんの?」
 一秒遅れて驚いた。
「栄養管理って結構奥深くて面白いよ」
 学校側から自宅生に出される栄養管理表。どうやら忠実に従っているようだ。
「変わってんなお前。そんなメンドーなことようやるわ」
 頬杖をついてパンをかじりながら、要はため息を漏らした。要が桐嬰を進学先に選んだ理由の一つに、寮制度の存在がある。学校側による食生活の徹底管理、これが両親の了承を得られた最大の要因の一つである。また、よほど問題がない限りこのまま大学卒業までエスカレーターで上れるのも、親元を離れたがっていた要にとっても都合の良いものだった。
「俺、コーチングにも興味があるんだ。大学部まで進めたら、泉谷コーチが卒業した教育学部のスポーツコースに入りたいと思ってるんだ」
食事を進めながら茂森は目を細めた。
桐嬰大学部の教育学部スポーツコースでは、コーチング、つまり指導法の他にも栄養学やスポーツ医療までトータルに学ぶ事ができる。外部入学希望者も多いのだとか。
「へえ。コーチになりたいのか?お前」
 プロを目指しているんじゃなかったのか、と要はパンを飲み込んだ後に問う。この場合の「プロ」はおのずと「サッカーのプロ選手」を指すのは言うまでもない。
「もちろん、一番の目標はプロだよ」
 さも当たり前かのように茂森は頷いた。これに対する揶揄や異論は、無い。夢としてプロ志望を語る子供は多いが、茂森の場合は現実たりえる。要は否定も肯定もしなかった。
「でも」
 否定したのは、茂森自身。
「さっきの四条の話じゃないけど…いつ故障でサッカーが出来なくなるか、わからないだろ」
 怪我も病気もしないと言っていたくせに。
(やっぱりただの負けず嫌いか)
 子供のような強がりだったのかと、要はペットボトルの飲料水を口に含みながら苦笑した。対面の茂森は、箸を持つ手を止めたまま、まっすぐ要を見据えていた。
「……何だよ」
 PKを挑む時のような視を向けられ、要は思わず身を引いた。
「俺はいつもその覚悟でプレイしてる」
 静かに呟いて、茂森はゆっくりと要から視線を下に外した。
「………」
  ―俺はいつでも本気っす!
 何故かその時、要の脳裏に鴨崎の決まり文句が思い浮かんでいた。

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guardians08
08

 見学会を明日に控えた日の練習後。要と茂森は部室に残り、監督やコーチ達と最終打ち合わせを行った。
 結局オーダーは、二軍中心プラスGK茂森と一軍DF芥野と小野寺の白組と、カモネギ2トップと清水寺、下に正田を据えた一軍中心の紅組で落ち着いた。三年生が抜けたばかりで、新体制としてまとまりきれていない時期ではあるが、とりあえずゲームとして成り立たせる事が目的のオーダーだ。
「見学会はいわゆる『広報活動』でもあるんだからな」
 これは、打ち合わせの席で西浦監督が口にした言葉だ。
 将来有望な生徒がいかに桐嬰サッカー部に興味を持ってくれるか。クラブチームの指導者や両親が、子供を預けるのに相応しいと思ってくれるか。
 見学会は、学校側が訪問者にアピールする場でもあるのだ。
「企業みたいだな~」
「私立だしね」
 要と茂森が小声で交し合った感想に、監督の西浦は広い肩を大きく竦めた。
「ま、ドライに言っちまえばそうだな。だけどそれはあくまでも「学校側」の都合だ」
 キャプテンと副キャプテンという立場上、多少オトナの事情も知っておいて貰う必要が出てくる。西浦はあえてその話をしたのだ。
「だけど俺としちゃ、サッカーが好きな子供が少しでも多く、桐嬰というチームに魅力を持ってくれて、ここでプレイしたい、成長したいって思ってもらえる事を願っているんだ」
「奇麗事に聞こえるか?」と尋ねると、茂森からは「いいえ」と返事が来た。
 一方の要は、奇麗事とは思わなかったものの、「にあわねー」と思ってしまったので無反応を通す事にした。数年前の要とて、見学会で感銘を受けた一人なのだから。
「まあそういう訳だ。新体制でチームプレイがままならない時期ではあるが、お前らの力でゲームを盛り立ててくれ。課題も多いがな」
 そう締めくくり、この日のミーティングはお開きとなった。
 部室を出た頃にはすっかり日が暮れて、夜間練習用ライトも一部を除いて既に電源が落とされていた。
「お前さ」
 グラウンド脇を歩く要は、前方を歩く茂森の背中に声をかけた。濃緑のブレザーの背中が一瞬止まり、そしてすぐにまた動き出す。要も歩調を合わせた。
「アレか茂森。明日の紅白戦も公式戦さながら本気モードってか?」
「ああ」
 即答。
 茂森チームは前衛が二軍選手中心に構成されており、多得点が望めない以上、ゴールを死守するしかない。
「あ、でも、どうかな」
 一度断言したものの、茂森は小さく首を傾げた。
「そっちのチーム、ツートップの連携もまだまだだろうし、正田との組み合わせも経験値が足りないし、それに四条だって、「司令塔」のポジション初めてだろ?」
 要が就くMFというポジションには様々な役割が存在し、アタッカーに近い役割を果たす者、守備を重視した動きをする者、その両方をこなす者、そして「司令塔」と呼ばれるフィールド上で前衛全体の動きを制御する役割を果たす者と。
 先ほどのミーティングで要が監督から申し渡されたのは、この「司令塔」の役割に挑戦してみろという課題だった。フィールド全体の動きを把握し、声をかけて指示を送るほか、有効な攻撃や守備に繋がる効率的なパスをつなぎ、そして時には自身もゴールに直接絡むのも、司令塔の重要な役割だ。
「チームとしての完成度がまだ低いのは確かだな」
 要が認めると、前を歩く茂森が振り返る。
「確かにうちのチームは二軍中心だけど、MFの寺野が中心になってよくまとまってる。あとは芥野と小野寺、そして俺がしっかり背中を護ってあげる事ができれば…」
 芥野と小野寺は一軍のDFだ。さすがに茂森以外が全員二軍というのは無理があり、一軍メンバーから二人移動させてやろう、という監督の提案に茂森が選んだのが、DFの二人だった。
「うちのチームが勝てるかもしれないな。もしかしたら、俺が本気になるまでもなく」
「お前そのうち寝首かかれるぜ」
 立ち止まった茂森を一歩追い越しがてら、要は茂森の腕を小突いた。
こいつの挑発は筋が通っているから、タチが悪い。そして更に、悪気が無いところがなお、凶悪だ。
「四条のチームの場合、二つの大事なポイントがあると思うんだ」
 再び歩き出した茂森の声が、要のすぐ背後から聞こえる。
「あ、それ当ててやろうか」
 要は体ごと茂森を振り返り、後ろ向きに歩く。
「俺とカモ、だろ」
 茂森に向けた手で人差し指、中指を順番に立ててVサインを作った。
ゲームの流れを支配するべき「司令塔」が初心者だというのは、チームにとって致命的だ。要が如何に迅速にMFのポジションに慣れるかが勝敗の鍵となるのは明白だ。そして二つ目の要素である鴨崎。これまで桐嬰に不足していた決定力、この成長の指針がチームの勝率の指針ともなるのだから。
「うん。当たり」
 暗がりの中で、茂森が笑うのが見えた。これまでの話の流れから、大して難しい問いではない。意識確認の為に問いかけたのだろう。
「俺、前から思ってたけど…、四条って他のFWに比べて得点数が極端に少なかったんだよなあ」
「……」
 言った後に「あ」と口を開けて茂森は慌てた声を出す。
「ご、ごめん、四条の力不足って意味じゃないよ!」
「ハハハ」
 要は、わざと乾いた声でリアクションをしてみる。慌てた茂森が要の隣に追いついて、困った顔を覗かせてきた。叱られた犬のようだ。
「四条はパスが多かったんだ」
 無理やりゴールにボールを押し込むようなプレイではなく、確実にゴールを決めるために、ゴール付近でも周りへどんどんパスを出す。
「鴨崎もそういうところはちゃんとしてるけど、たまに強引なところもあるだろ?でも四条は絶対にそういう事はしなかったよな」
 だから、珍しいFWだとずっと思っていた。茂森はそう言う。
「俺は、四条ってMFに向いてるんじゃないかって思うよ。だからきっと、すぐに何かを掴めるはずだ」
 励ましているつもりだろうか。
 要は前を向いたまま、自分の横顔へ懸命に話しかけてくる茂森の言葉を聞いていた。
「………」
 反応が無い要の様子に不安になったか、無言になってしまった茂森は目を伏せる。
「―ライト」
「え?」
 ぽつりと呟いた要の言葉に、今度は弾かれるように顔を上げてきた。
(意外と分かりやすい奴なんだな)
 横目で茂森の反応を見て内心で面白がりつつも、それを顔に出さず要は前方を指差した。半面グラウンドの一つが夜間ライトに照らされている。
「ああ」と茂森が小さく頷いた。
「鴨崎だよな、多分」
「だな」
 要がライトの方へ歩き出すと、自然に茂森も後に続いた。暗がりを選び、ライトの下にいる人物に気付かれないように移動する。倉庫の影になった場所からフェンスごしに半面グラウンドを見ると、そこにいたのはやはり鴨崎だった。
 ボール籠を三つペナルティサークルの手前に並べ、黙々と無人のゴールに向かってボールを蹴り続けている。右に、左に、正面の高い位置、低い位置、様々に狙う場所を変える。
「昨日も、一昨日も夜中までやってたみたいだぜ」
 消灯時間ギリギリまでライトが照っていたのが、寮の窓からも見えた。帰宅生の茂森にそれを知る由が無く、要の言葉に驚いた顔をしている。添えていただけの指先が、フェンスを強く握り締めたのが見えた。
「あ"ー、うまくいかねーチクショー!」
 息を切らせた苛立たしげな声を上げながら、鴨崎はペナルティサークル上に転がった。二月の夜半、冷え切った夜気の中で鴨崎の白い息と、全身から上り立つ白い湯気が、白光に照らされる。そして、無数に散らばる白と黒のサッカーボール。そこだけまるで、色の無い切り取られたモノトーンの空間のようだ。
 ふいに茂森が動いた。
「あ、おい」
 要が呼び止める間もなく、「鴨崎」と後輩の名を呼びながら茂森は、後輩が転がる半面コートに足を踏み入れた。
「キャプテン!」
 弾けた栗のように飛び起きた鴨崎に、渋々と後から続いた要も「よう」と声をかける。
「先輩もっ!?」
「明日の打ち合わせだったんだよ」
 低く呟く要の答えに、
「あ、そっか、そうっスよね」
 と納得しながら鴨崎は立ち上がった。どうやら見学会の事をすっかり忘れていた様子だ。
「毎晩遅くまで頑張ってるんだってな」
 そう尋ねる茂森は、足元に転がるボールをつま先で蹴り上げ、膝にバウンドさせた。
「そりゃそうっすよ!」
 鴨崎は大げさに体全体で振り返った。疲労困憊しているはずだが、テンションが変わらない。
「キャプテンからゴール奪うのが、俺の目標っすから」
「俺が目標?」
 リフティングする茂森の脚が、高くボールを蹴り上げた。
(……?)
 要は目を細めて、ライトの逆光となって影に包まれた茂森を見やった。彼の声が低く、不機嫌に聞こえたのだ。茂森は落ちてきたボールを鴨崎の方に軽く弾くと、その場から踵を返した。
「キャプテン?」
 何をするかと思えば、茂森はフェンス手前に鞄を下ろして徐にその場でマフラーとジャケットを脱ぎ始めた。
「何やってんだ?」
 訝しげに要が問うと、Yシャツを腕まくりした茂森は、次に鞄からキーパーグローブを取り出す。
「悪い、四条。ボール拾いやってもらってもいいかな」
「あ?」
 事態を飲み込みきれない要と鴨崎の前で、茂森はごく当たり前のようにゴール前に立ちこちらを振り返る。
「とりあえずそこから打ってみろ鴨崎」
 スニーカーと制服姿のゴールキーパーが、薄暗いゴール前から手を振る。
「は、はいっ」
 突き動かされるように鴨崎は足元に転がるボールの一つを拾い、ペナルティサークルの上に置く。
(しょーがねぇな)
 白い湯気と共に溜息を吐き出しつつ、要は数歩下がって両者の様子を窺った。鴨崎は三歩下がって助走をつける。右足で蹴りだされたボールは、ゴールポスト右下を抉るように突き進んだ。
(際どい…!)
要は無意識に身を乗り出しかける。初っ端に鴨崎が狙ったそこは、右利きのキーパーにとって最も防ぎ難いとされる位置。
「っ…!」
 手ごたえを感じたのもつかの間、薄闇の中で影が横に動いたかと思うと、ゴールに吸い込まれかけたボールは無情に弾き返された。
「次」
 造作無いとばかりに落ち着いた声が短く命じてくる。要は足元のボールを鴨崎の方に転がしてやった。鴨崎はペナルティサークルの上でボールを止め、今度は斜めに角度をつけて助走の距離をとった。ボールの脇に切り込むように足を踏み込ませ、体ごと捻るようにボールを蹴り込む。キーパー正面に向かっていったボールは、その手前で大きく左にカーブを描いた。
「!」
 正面に手を伸ばしかけていた茂森は、手を左に払ってボールを弾いた。
「次」
 また、表情の無い声が命じてくる。
 やれやれと要は再び鴨崎に向けてボールを転がした。
「ってい!」
 鴨崎はそれを止める事なく、今度はダイレクトに蹴り込む。ボールが描く軌道は、得意の右隅。まるで予測していたように茂森の体も右に動いていた。伸びるキーパーグローブの手めがけてボールは緩やかなカーブを描く。
 これも獲られる。
 要がそう溜息を吐きかけた瞬間、
「!」
 ボールが急激な伸びを見せた。
「っな…!」
 思わず漏れた声は、要のものでも鴨崎のものでもなく。
鎌の刃先のように、鋭く速度に乗って曲がるボール。咄嗟に踏み込んだ足に更に力を込めて、茂森は伸ばした手の甲で辛うじてボールを弾いた。
糸が切れた凧のように力を失ったボールは鴨崎の足元に転がっていく。
「……やっぱ、まだまだ全然ダメっすね」
 自嘲気味に笑って、鴨崎は足でボールを止めた。この三日三晩その気になって必死で夜間練習を重ねたが、やはりいざ本人を目の前にすると、全くゴールできるイメージが沸いて来ない。
(まだまだ……か?)
 肩を落とす鴨崎を眺めながら、要は内心で問いかける。
 ゴール手前で鋭い伸びを見せたボール。これまでの鴨崎のシュートでは見たことがなかった現象だった。茂森は明らかに、得意の右隅コースだと読んで動いていた。にも関わらず、「辛うじて」弾き返すのが精一杯だったのではないか。
「……」
「……」
 ゴール前の茂森と、要の視線がぶつかった。
―お前も同じことを考えているのか?
 と、その視は語ってくるようだ。
 思わず、要は頷き返す。それを受けて、茂森は再び鴨崎の名を呼んだ。しおらしく顔を上げた鴨崎に、
「一歩、前に出てみろ」
 茂森はペナルティエリアの内側を指し示した。
「…へ?」
「いいから」
 戸惑う後輩に有無を言わさず、また短く促す。おずおずと、鴨崎はペナルティエリアの内側に一歩を踏み出した。
「今度はそこから、蹴ってみてくれ」
「ここ……ペナルティエリアの内側からですか?」
 問いかける鴨崎へ、茂森は無言で両手を前に構えた。
 しばしの戸惑いの後「分かりました」と飲み込んで、鴨崎はつま先でボールをペナルティエリアの内側に引き寄せた。
 細かい歩幅で助走をつけ、今度はゴール左隅を狙った。土を切るような音と共にゴール前の影が動き、やはりボールは外側に弾かれる。
「次。また同じ位置から」
 そして次を促す命令。先ほどと同じように、ペナルティエリアの内側から再び鴨崎はボールを蹴りだす。今度はキーパーの左足下。バウンドするかと思われたボールはまたゴール手前で急激にホップした。
「!」
「っふ…!」
 息を強く吐き出す音と共に、茂森が左に足を踏み込みがてら体を沈める。下から突き上がってきたボールを、両手の平で包み込んで衝撃を吸収し、止めた。バランスを崩しかけて思わず後ろに一歩退く。
「次」
 だがすぐさま体勢を整えてボールを鴨崎の方へと転がした。またペナルティエリアの内側から蹴るように指示をする。納得し切れない面持ちながら素直に従って、鴨崎は先ほどと同じ位置でボールを止めた。
「おい、カモ」
 助走距離をとろうとステップバックする鴨崎へ、無言を保っていた要が声を発した。
「え、は、はい」
 意識を茂森にばかり向けていた鴨崎は、目を覚ましたように瞬きを繰り返して要を振り返る。
「迷ってんじゃねーよ」
 要は両腕を組み、少し上から見おろすように首を後ろに傾げた。
 バカモ崎のくせに生意気だぞ。
 某ガキ大将よろしくそう付け加えると、鴨崎は泣き出しそうな、笑い出してしまいそうな、そんな複雑な顔で「了解っす」と頷いた。
二歩、三歩と更に後退し、これまでで一番長い助走距離をとる。走り出す前に足を止め、大きく深呼吸をした。白い息が、水中で生まれた気泡のようにふくらみ、そして消えていく。
と同時にボールに向かい大きく足を踏み出し、
 体全体を撓らせた鞭のようにバネにして、ボールの中心を瞬間的にとらえた。
「!」
 地を離れた瞬間から、爆発的な速度をもってボールはゴール左隅に直進した。やはり確実にボールの動きに反応を見せた茂森は、左足から同方向に体の軸を移動させている。体を捻らせ最後に右足で力強く踏み込み、ボールの描く軌跡に飛びつこうと左手を伸ばした。
「っあ…!」
 今度は要の口から声が上がる。
 茂森のキーパーグローブの指先に当たりかけたボールが、また不規則に加速したのだ。
「!!」
 その刹那、要の視に、目を見開く茂森の表情がはっきりと焼きついた。
 次の瞬間に聞こえてきたのは、ネットが激しく揺れる音。
「ぇ……」
 間の抜けた呟きがこぼれる。呆然とする鴨崎の目の前で、モノトーンのボールは白いネットを突き刺していた。空を切った茂森の左手。ボールは確かにその向こう側、ゴールネットへ沈み込んだのだ。
「………」
 危うく転びかけながらもポスト手前で着地した茂森は、力なくゴールの中に落ちたボールを振り返る。
「入った……?」
 ゴール前の鴨崎から、間の抜けた問いかけ。
「見りゃ分かるだろ」
 その横から投げられる要の平坦な応えが、鴨崎を現実に押し上げる。
「は、初めて入ったっす……ペナルティエリアの中だけど……」
 嬉しさに飛び上がりたい気分と、ハンデという負平等感が、ぐるぐると鴨崎の感情をかき混ぜる。同時に、ゴールを奪われる茂森の姿を間近で見てしまったという、一種のショックも生じていた。
「とうとうゴールされちゃったな」
 ゴールポスト内に転がるボールを拾い上げ、茂森は鴨崎のもとに歩み寄る。
「キャプテ……」
「分かっただろ」
 何かを言いかけた鴨崎の言葉を、茂森は遮った。薄暗いゴール手前から、ライトが当たる位置に足を踏み入れた茂森。ようやく鮮明に見えた彼の面持ちには、厳しい色が浮かんでいた。威圧感に押されるように、言葉を失くした鴨崎はおもわず体を退いた。
 茂森はそんな鴨崎と対面する位置に立つと、手にしていたボールを地面に転がし、先ほど鴨崎が蹴った位置に置く。
「な、何をです、か?」
「鴨崎」
 顔を上げた茂森は、まっすぐに鴨崎を見据える。
「………」
(茂森……)
 要も腕を胸の前で組んだまま、まるで試合中のように厳しく引き締まる茂森の横顔を見ていた。いつもは穏やかに笑うその口元が、
「俺なんかを目標にするな」
 静かだが、吐き捨てるように言葉を発した。
「キャプテン……?」
 呆然とするしかない後輩を置いて、茂森はその場から踵を返した。
 グローブを外し、捲くった袖を元に戻しながら、フェンス前に置いた鞄の元へ歩み寄る。ジャケットを掴んで無造作に羽織り、彼には珍しい乱暴な仕草で鞄を持ち上げ肩に担ぐと、そのまま振り返らずにグラウンドを後にしてしまった。
「………」
 後に残された鴨崎は、遠ざかる茂森の背中をただ呆然と見送るしかできない。
 暗闇の中に濃緑のジャケットの背中が消え行くまで見送った後、
「あの、先輩…」
 鴨崎は助けを求めるように要を振り向いた。
「俺キャプテンに、怒られた、んですよね?」
「怒ってたなあ、茂森のやつ」
 要が平静な様子で肩をすくめると、鴨崎は「なんでですかっ!」とテンションを突き上げて詰め寄ってきた。
 寒いのに、暑苦しい奴だ。
「俺がゴールを決めたから?でもあんなの、ペナルティエリア内じゃないですか。あんなハンデじゃ俺嬉しくないっすよ!」
 泣きそうな顔ですがり付いてくる鴨崎を、要は手荒に押し返した。
「だからてめーは「バカモ崎」なんて呼ばれるんだっつーの」
「どーせバカですから!」
 顔面を掴まれつつ鴨崎は、自慢じゃないけど自覚してます!と本当に自慢にならない事をわめいている。
「あのなあ、あいつが言いたいのはこういう事なんじゃないか」
「多分」と言い加え、要は鴨崎の足元を示した。
「見ろ」
 要の指先は、鴨崎が立つペナルティエリアの内と外を示す白いライン、そして茂森が置いていったボールの置かれた場所、つまり鴨崎がボールを蹴った場所、を順番に示した。
「これが、お前とあいつの距離だ」
「え??」
 目を丸くした鴨崎が、要と足元との間で何度も視線を行き来させた。
 その距離はたったの一メートル。
 鴨崎の足で、たったの一歩分。
 茂森からゴールできるか、できないか。その境目は、このたった一歩の距離。
「たったの一歩。こんな短い距離なんだぞ」
「俺とキャプテンの距離……?」
 似合わない神妙な顔で、鴨崎はラインとボールの間に空いた距離を見つめる。少しだけ考える時間を与えてから、要は言葉を続けた。ここからは、推測でしかない。
「あいつはお前をただの後輩だと思ってないんだ。多分だけど」
「え……」
 鴨崎が顔を上げる。額に浮かんでいた汗の玉がこめかみを伝って飛び散った。
「じゃあ何だっていうんすか」
「ライバル?」
「……え、俺が…、ええ?!」
 鴨崎の素っ頓狂な声が静かな夜の闇に包まれグラウンドに、酷く突き抜けて響き渡った。
「嘘だー、そんな。あるわけないじゃないすか!」
 大口を開け、目を丸くして、言葉にならない言葉の羅列を零しながら両手をあたふたと動かしている鴨崎は、さながら配線が間違った不良品電動オモチャのようだ。落ち着き無さが、普段の三割り増しとなる。
「じゃなきゃあんな事で怒るかよ」
 頭の回転が悪い、というより鈍感な後輩に苛立ちを覚え始めた要は、眉間に皺を寄せた。
「あいつは見た目以上に負けず嫌いでプライドが高いんだ。そんな奴がだ、自分がライバルだと思ってた奴から「自分が目標」だなんていわれてみろ、気分が悪いだろうが」
「なんでですかっ!俺はそんなこと言われたら嬉しいですけど?」
「~~~は~あ…」
 どこかの格闘ゲームのキャラクターがそうしていたように、要は大げさに肩を竦めて見せた。
「あいつは絶対に自分の実力に満足していない。なのにライバルがそんな低い目標を持ってたと聞かされた。だから失望したんだよ」
 俺って役者に向いてるんじゃねえ?
 頭の片隅で、もう一人の呑気な要自身がそんな事を考えて笑っている。
「失望って…」
 一方で鴨崎は、胸を刺すような重い言葉を突きつけられ、瞳に一縷の怯えを乗せていた。
「低いって、何が低いってんですか!キャプテンは、U-14でヨーロッパ選抜と戦ったりしたような、中学日本一のGKじゃないすか!」
「あいつの基準なんて俺が知るかよ」
 食って掛かる鴨崎を軽く交わして要は足元のボールをつま先で蹴り上げた。軽い動きでリフティングをしつつ、鴨崎の興奮が収まるのを待つ。
「じゃあ、ちょっと、来てくださいよ!」
 突然袖を引かれた。
「な、なんだよ!」
 膝で受け止め損ねたボールが遠くへ転がっていく。鴨崎は要の袖を引っ張って、グラウンドを仕切るフェンスの前に連れてきた。
「ここにいてください」と要をフェンスの前に残し、自分は扉を潜ってフェンスの向こう側に移動する。フェンスごしに、要と向き合う場所に鴨崎が立った。
「この場合はどうなんすか?」
「何がだ」
「俺と先輩の距離は一歩分です。でも、このフェンスは三メートルっすよ」
「………」
 要は空を見上げる。二階建ての一戸建て分はあろうかという背の高いフェンスが、要と鴨崎の間を遮っていた。
「こんなに近いのに、俺は先輩に手を伸ばす事もできないし、これを乗り越えるのはかなーり無理があるでしょ」
「………」
 お前も役者に向いてるかもな。
 そんな戯言は飲み込んで、要は無言の苦笑に代えた。
「キャプテンは十分すごいのに、分かってないんす」
 フェンスの向こうで、鴨崎は口を膨らませている。
「だから。あいつは負けず嫌いの高慢ちきなんだって」
「高慢ちきて…死語じゃないっすかそれ」
「うっせーな!俺はお婆ちゃんっ子だったんだよ!」
 思わぬ痛いところを突かれた要は顔を赤くして怒鳴った。鴨崎はフェンスに凭れ掛かって爆笑している。咳き込むほどに笑い続ける後輩を他所に、要は回れ右をした。
「いい加減、片付けて帰ろーぜ」
 ボールを足で拾って籠に向かって蹴り上げる。そのままボールは籠の中へシュートイン。
「あ、それ楽しそう」
 涙を拭きながら鴨崎もやってくる。要を倣って足でボールを蹴り上げ、籠を狙う。緩やかなアーチを描いてボールは再び籠にイン。鴨崎はその後も次々と籠にシュートを決めていく。茂森に怒られたショックはすっかり忘却の彼方。完全に機嫌を直していた。
「先輩~」
 ゴールポスト中心に無数に転がるボールを一つ一つ片しながら、鴨崎が要を呼ぶ。目はつま先で拾ったボールを向いていた。
「ん?」
 答えながら、要も同じく足先で拾ったボールに目を向けていた。
「なんかもー俺、ますますキャプテンと先輩に惚れそうっすよ」
「情操教育上、それは推奨しねーぞ」
 何言ってやがる、と毒を吐く要に、鴨崎は「いひ」と満面の笑みで返した。
「俺、このチームに入れて良かったです」
 高く蹴り上げたボールを頭に乗せた鴨崎が、要を振り返る。
「明日の見学会でも、色んな奴がこのチームを気に入ってくれたらいいっすよね」
「………」
 ボールで一杯になった籠を転がしていた要は、顔を上げた。ボールを頭に乗せてバランスをとりながらも、足元のボールを次々と蹴り上げて籠に入れていく鴨崎を肩越しに眺める。
「そうだな」
 要の鞄の中には、明日の見学会予定表と明日のオーダー表が入っている。
(晴れるといいんだけどな)
 白い息を吐き出しながら、要は満点の星空を見上げた。

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guardians09
09

 寮の部屋に戻ると、同室の芥野の他に清水寺と、正田や寺野も遊びに来ていた。
「遅かったな」
 間延びした声に出迎えられる。三人は煎餅の袋を囲んで漫画を廻し読みしているところだった。
「色々長引いてさ」
 ベッドの上に鞄とジャケットを投げ捨てて要は煎餅の袋から、一枚失敬する。
「食堂のおばちゃんが弁当作っといてくれてるぜ」
「お、助かるー」
 寮生が食事の機会を逃すと、調理師が折り詰めにしてくれるのだ。
「テレビでも観ながら食うかな」
 談話室と呼ばれる、テレビが置いてあるロビーがある。部屋にテレビを持ち込んでいる生徒もいるので、意外と空いているのだ。
「あ、んじゃ俺も」と一人が立ち上がると、部屋にいる全員がそぞろに談話室へと流れていく。
 談話室には先客がいた。ソファに腰掛け前のめりにテレビ画面に見入っている背中は、誰かと問うまでもなく正体は分かった。
「あ、先輩!」
 要がもらった弁当の中身と同じおかずを頬張った顔が、振り向いた。その対角線上に根岸のほか、数人の一年生らの姿もある。
「またお前か」
 要が弁当片手に不機嫌な顔をしてみせると、先客、鴨崎は「隣きます?」と気さくに笑う。
「遠慮させてイタダキマス」と適当に空いた場所に腰を下ろし、画面を見やった。緑色のサッカーフィールドが映っている。
「何の試合だ?これ」
 身を乗り出して画面を凝視する。プロリーグの試合かと思ったが、見覚えの無いスタジアムの風景だ。
「一昨年の、U-14の試合っすよ」
 桐嬰からただ一人、代表に選ばれた茂森がスタメン出場した試合だ。
 学校やクラブチームを含む日本全国から十四歳以下のサッカー少年を選抜して代表チームを作り、イギリスの選抜チームと親善試合を行ったのだ。場所はイギリス。海外遠征だ。
「え、マジで?」
「実況つきじゃん。そんな番組あったんだ」
 国際試合とはいえ、ジュニアの、しかも親善試合とあって、日本国内の地上波放送で試合中継をとりあつかうところなどなく、当時の要たちは選抜チームのコーチ陣が民生カメラで撮影した、質の悪い映像を一部しか見ることが出来なかった。
「CSのスポーツチャンネルの番組録画みたいですけど、先輩達観た事なかったんすか??」
 鴨崎の質問に、二年生達は顔を見合わせて口をつぐんだ。
 彼ら以上の学年にとって、この試合は「禁句」なのだ。
「どこにあったんだ、そんなもん」
 刹那に生まれた静寂を覆い隠すように、要がテレビ画面を指差して尋ねる。
「パソ室のDVD棚っす」
 寮のパソコン室は壁面に本棚が設置されており、娯楽DVDの他、運動部生のために様々なスポーツの試合映像等も豊富に取り揃えられていた。
「ふーん」
「でも何だってこんなの観ようって思ったんだ」
 何気ない芥野の言葉に、鴨崎は「別に、何となくっす」と応える。きっかけは夜練の時の会話なのだろうが、要は黙っていた。
「面白そうだな、観ようぜ」
 それに、自分も興味がある。割り箸を片手で割りながら、要はソファの後ろに立ったままの清水寺達に空席を勧めた。
「でも…」と躊躇する声。
「もう時効だろ。先輩達だっていねーんだから気ぃつかう必要ないし」
「どういう事ですか?」
 弁当を頬張る鴨崎に代わり、根岸が問う。要ら二年生達の反応を、一年生の面々がいぶかしんでいるのが傍目に感じられた。
「お前ら、この試合の結果、知ってるだろ?」
 選手が登場する前のフィールドが延々と映されているテレビ画面。根岸の問いに対応しつつ要はリモコンの一.五倍速早送りボタンを押した。
「はい、一応…。1-4、ですよね」
 試合は、日本選抜の大敗だった。
「あのキャプテンが一試合に四失点なんて、想像できないんすけどね」と鴨崎。
 グラウンドキーパーが立ち去り、審判員が入場してくる映像に変わったところで、要はDVDの早送りを止めた。もうすぐ選手が入場するはずだ。
「今だからぶっちゃけられるけど、先輩たちのやり方がエラくえげつなかったよな」
 要から言葉を次いだのは芥野。ここで言う「先輩」は、要達より二学年上の先輩部員達の事だ。現在一年生の鴨崎や根岸達に接点は無い。
「茂森この試合から帰ってきてから、しばらく俺達二軍と練習するしかなくてさ」
「四失点で負けたから二軍落ちなんですか??」
 厳しいー、と一年生の間で誰からとも無く呟かれる。
「いや、そういう訳じゃないんだけど」
 次の句を口に出し難そうに苦笑する芥野の視が、自然に要へと助成を求めていた。
(また俺がこういう役割か)
 ペットボトルのキャップを開けながら、要は聞こえない溜息を吐いた。
 副キャプテンとはそういうものなのか。役職を貰ってからというもの、何かとフォローの役目を強いられるのが定石になりつつある。
「一軍の三年生達から一斉無視くらったんだよ」
 だから練習にならなかったのだ。
 心の内を現さず、要は淡白に事実を口にした。反して一年生達の間ではざわめきが起こり、当時を知る二年生らは気まずそうに目を伏せる。
「負けたのは全部が全部キャプテンの責任じゃないじゃないですか」
 根岸の呟きは正しい。要だってそう思う。そして、当時の先輩達だってそのはずなのだ。
「んな事関係ねーんだよ」
 要はテレビの音量を上げた。テレビの中で、聞き取れない英語の場内アナウンスが流れ始めた。どうやら選手が入場するらしい。
「勝ったって同じ事だったと思うぜ」
 代表に選ばれた時点で、もうアウトだったのだ。
「………そんなん…」
 鴨崎の言葉に覆いかぶさるように、『日本選抜の選手達が入場します』と実況が再び喋りだした。談話室にいる面々の意識が一斉にテレビを向く。赤と白の日本選抜のユニフォーム集団がピッチに飛び出してきた。対面に、オレンジと黒のイギリス選抜のユニフォームが並ぶ。
「あ、キャプテンだ!」
 鴨崎が画面に向かって声を上げる。他メンバーと異なる、濃紺のキーパー用ユニフォームを身につけた茂森が、列の最後に現われた。
「ほんとだ、先輩わっかーい!」
「俺達と同学年んときかあ」
「なんかかわいー」
 先刻までの気まずい空気を蹴散らすように、一年生達は画面にうつるモノの珍しさに嬌声を上げている。
「あいつこんとき身長どれくらいあったんだろ」
「今よりはだいぶ小さくね?」
「相手チーム全員でっけーな」
 一方で二年生達も、初めてみる映像へ好奇心を向けている。テレビカメラは、ゴール前に歩いていく茂森を斜め上から映していた。実況によると、両チーム中の最年少だという。遅生まれの為、同学年の中でも最年少なのだ。
 中学生の平均より大柄であるはずの日本選抜の面々。だがいずれも長身ぞろいのイギリス選抜の面々の前では、さながら高校生と中学生の対決のように見えなくもない。
 映像の物珍しさにわいわい騒いでいた談話室の面々だが、試合開始のホイッスルが鳴りゲームが進むにつれて言葉が途絶え始めた。始めはゲームの流れに沿って、選手の動きや戦略について所々で談議が生まれるが、それも後半戦以降に無くなる。
 前半にイギリスが先制。後半序盤に辛うじて日本が一点を返して同点とするが、そこから疲れが見える日本は立て続けに二点を失う展開となる。
「………」
 ふと視線の端に映る鴨崎の様子が気になり、要は画面から視線を外した。普段は落ち着きの無い鴨崎が、身じろぎ一つせずに画面に見入っている。手に持った箸にミートボールを突き刺したまま、固まっていた。
 ゴールを奪われるたびに、苦々しく唇をかみ締める茂森の様子が画面に映し出される。試合はほぼ一方的にイギリスが日本を攻め立てる展開になっていた。その分、日本側のゴールキーパーが忙しくなるのは必然で、テレビに映る回数も多い。
 ロスタイムに入った試合終了間際も、イギリスは攻撃の手を緩めない。何度も日本ゴール前に両チームが団子になる現象が起きた。
 終了直前にはイギリスのFWが、やる気を失くした日本のDFを突破し、茂森と二対一になる。
「…っ」
 鴨崎が更に体を乗り出し、開けたまんまの口から息を洩らす。弁当と箸はいつのまにかテーブルの隅に追いやられていた。FWと何度も接触しているために、茂森は全身が泥だらけだ。それでもまた、シュート体勢に入ったFWに向かって飛び出し、シュートコースを防ぎにかかった。
 相手FWが打ったシュートは至近距離から茂森の正面に当たり、高く跳ね上がる。
「おっ!」
 ナイスセーブ。誰からともなく声が上がる。だが―
「DF何やってんだ!」
 画面に向かって鴨崎が声を荒げた。
 弾いたボール、それを処理してくれる味方DFが、誰もいなかったのだ。
 グラウンドに倒れたままの茂森を通り越し、別のFWがボールを奪ってそのまま四点目のゴール。そしてホイッスル。実況アナウンスが試合終了を告げ、観客席が沸き、画面には3D文字で大きく点数が表示されていた。
「………今のは…」
「何だかなあ…」
 寮の談話室にいるのに、そこにいる誰もが全力疾走したような脱力感に見舞われていた。
「最悪…」
 呟いた鴨崎は、八つ当たりをするように勢いよくソファに背中を沈める。一瞬浮いたソファの足が騒音を立てた。
 番組の実況は言う。日本チームで最後の最後まで相手に喰い下がろうとしていたのは、最年少のGKだけだ、と。そしてカメラは、立ち上がれない日本チームのGKと、彼を気遣い声をかけに来るイギリスチームの選手達の様子を追っていた。
 相手チームの選手に支えられて立ち上がった茂森は、土で汚れた顔を、土で汚れたグローブで何度も拭っている。泣いていた。遠くから歩み寄ってきた相手チームのGKがハグをしてくる間も、十二歳の茂森は手の甲を顔に当てて俯いている。
「最悪の代表チームっすよ」
 テレビ的にイイ場面を映し続ける画面の前で、鴨崎は低く吐き捨てた。
「キャプテン可哀相だ」
 負けたのはキャプテンのせいじゃない。
 誰に向けるでもなく発される厳しい声は、鴨崎の感情そのままの言葉なのだろう。画面の中の茂森は、まだ泣いていた。顔もユニフォームも腕も、土と涙でドロドロだ。教室までプレゼントを持ってきた女子達は、彼のこの姿を見ても気持ちは変わらないのだろうか。
(あんだけ泣いたら、逆に気持ち良さそうだな……)
 モニターが発する光に照らされながら要は、いつか見たテレビ番組で「泣くとストレス解消になる」と紹介されていた事を思い出す。
「誰の責任とか、あいつは多分そういうの関係ねーんだよ」
 実況のコメントを聞きながら、要は呟いた。
「四点もゴールされたのが悔しくてたまらないんじゃねーか?」
 めちゃくちゃプライドが高い奴だから、自分の為すべき仕事に対して完璧を求める。それが茂森個人の性質なのか、GKという最後の砦的ポジションの性質なのかは、分からない。
「でも、サッカーはチームでやるものっすよ!」
 ソファから飛び上がるように、鴨崎は要の方に体を捩らせた。テレビ画面では、試合のリプレイが流れている。
「キャプテン、チーム運が悪すぎたんです。だから抱え込んじゃうんだ」
「……」
 なるほど、そういう考え方もあるか。要は、珍しく建設的な意見を口にした鴨崎に感心の目を向けた。
 番組はエンディングに差し掛かっており、もう誰も画面を見ていない。約一名を除いて。
「でも、あの茂森先輩がイジメにあってたなんて…なあ」
「うん……驚いた」
 一年生達が顔を見合わせる。無理もない。諸悪の根源である当時の三年生が卒業してからはイジメがなくなり、別チームのように雰囲気が変わったのだ。
「なんで……」
 ただ一人、テレビ画面をぼんやりと眺めていた鴨崎が、弱々しく呟いた。番組のエンディング音楽と共に、再び試合後の茂森が映し出されている。
「こんなに一生懸命な人をいじめるんだろ」
 しんじらんねー、と呟く鴨崎の横顔も、泣いていた。
「カモ………」
 隣の根岸が沈痛な面持ちで、相棒の横顔を見ている。
「オラ」
「いでっ!」
 斜め後ろから背中に衝撃を感じて鴨崎が振り返ると、要が蹴り出した足が、そこにあった。
「何するんすかっ!」
 と、今度は背中を足蹴にされた痛みで半泣きになる鴨崎の背中を、足裏でぐりぐりと押しながら、要は目端を歪めた。
「俺はなあ、自分が痛くも痒くもないのにそーやってすぐ感化される奴は大っキライなんだよっ」
「そんなこといわれても…先輩は映画見て泣いたりしないんすか!?」
「断じてしねぇ!」
「っははは。そういう奴だよな、四条って」
 要と鴨崎のやりとりに目を丸くする面々の中、芥野と清水寺だけが平然さを保っていた。
「「呪怨」観に行った時は途中で寝てたしなあ、こいつ」
「ええ~?」と幾人かの声が上がるが、要からしてみれば「ありえない話」で怖がる方の感覚が理解できない。
「ったく、湿っぽいもん発掘してきやがって」
 番組はいつの間にか終わって、メニュー画面に戻っていた。要はリモコンのエジェクトボタンを押し、ソファ脇に置いたペットボトルに手を伸ばした。
「先輩だって面白そうって言ったくせに」
 反論を呟きつつも鴨崎はプレイヤーから吐き出されたディスクを取り出した。大事そうにケースにしまっている。
「なにせ明日は、いかに俺たちが清く正しく美しいかを見学者にアピールしなきゃいけないらしいからな」
「なんすかそれ」と苦笑した鴨崎。涙は止まっていたが、まだ目が赤かった。
「なんか女子校みたいじゃないっすか」
「ぶ……っ」
 要がお茶を噴出しかけたのを皮切りに、静まりかけた談話室に爆笑が渦巻いた。
「女子校が清く正しく美しいとこなんて、お前まだまだだな!」
「女の花園なんてのが存在すると思うなよ!」
「変な漫画の読みすぎじゃねーの」
「えええ、じゃあ先輩達は何を知ってるって言うんすか、学年一コしか違わないのに!」
 顔を赤くして反論する鴨崎の努力も空しく、
『消灯時間まであと十五分です。寮生の皆さんはお部屋に戻りましょう』
 と、冷静な寮内アナウンスが響き渡ったのであった。
「帰るか」
 スイッチを切り替えたかのように、平坦な面持ちに戻った要が呟くと、面々もぽつぽつとその場から立ち上がり、それぞれの場所に散り始める。
「そうだ」
 立ち上がり、空になった折り詰めをゴミ箱に放り投げ、要は鴨崎の手にあるDVDケースを指差した。
「俺寝る前にパソ室寄るから、それ返してきてやるよ」
「え?」
 どうも感情の切り替えが不得手らしい鴨崎は、目と顔を赤くしたまま、キョトンとした顔で要を見上げた。
「お前は顔洗ってもう寝ろ」
「あ……、はい。どうもっす」
 おずおずと鴨崎の手が要にDVDケースを手渡す。
「じゃ、俺らは先に戻るな」という芥野と清水寺、そして鼻をすすりながら談話室を去っていく鴨崎を見送ってから、要は反対方向にあるパソコン室に向かった。メールのチェックだけしようと思ったのだ。
 パソコン室は、元々は物置であった場所を改築し、生徒達の要望に応える形で作られた部屋だ。中には十台のラップトップパソコンが並んでいる。生徒はそれぞれアカウントを持っている。
 部屋に入ってまず要は、パソコンの一台を起動させる。IDとパスワードを入力して、デスクトップが表示されるのを待つ。その間、DVDを棚に戻し、他に何かめぼしい物は無いか何となく壁一面を眺める。背後で起動音が流れたので、要はパソコンの前に戻った。
 届いたメールに目を通しながら、
「………あ、そういえば…」
 ふと思い出す。
 ブラウザーを立ち上げて、Googleにアクセスした。
(哉子が言ってた……なんだっけ…)
―桐嬰の「賞金稼ぎ」
 妹が口にしていた言葉が思い浮かぶ。
 検索窓に「賞金稼ぎ」と入力する。検索ボタンを押す前にふと考えた。
(これだけじゃすごい数がヒットしそうだな…)
 だが他に手がかりが無い。とりあえず検索してみると、二十万件以上がヒットする。
「うへ…」
 素直に哉子に訊いた方が良さそうだ。げんなりしてブラウザを閉じようとしたところで、一番上に表示された検索結果に目が行った。

『「生徒は賞金稼ぎ」発言で委員が辞任―文部科学省アスプロの問題点―』

「………文部科学省……」
 どうやらニュースの見出しが引っかかったようだ。クリックして間もなく開いた記事ページ。日付を見ると、そう古い記事ではなかった。
「文部科学省が打ち出したアスリート育成プロジェクト、通称アスプロは、優秀な成績を収めた運動部を有する学校やクラブチームに、成績内容に応じて援助金を配当するという、長期育成を見越した教育施策で……」
 要は小声で記事を読んでいく。つい先日、茂森の口から聞いた話だ。
 記事の冒頭はプロジェクトの概要を説明し、二節目でようやく本題に入っている。
「だが援助金の使用用途を明らかにしている教育機関は少なく、不透明なプロジェクト運営を懸念する声は多い……それが学校側による特定生徒の囲い込みや熾烈な獲得競争に拍車をかけている……優秀な成績を残した生徒は学校にとって大金を稼ぐ賞金稼ぎだ、と表現した教育委員会の○○委員の発言は波紋を呼び、このたび委員会は○○委員に辞任を求め……」
 内容にざっと目を通した後、要はブラウザのバックボタンを押して、検索結果に戻った。ずらりと並ぶ結果に目を通していると、上位表示はいずれもこの、教育委員会の委員による「賞金稼ぎ発言」を取り上げた記事である事が分かる。「波紋を呼んだ」は嘘ではないようだ。
「ふーん…」
 パソコン画面から目を離し、要は一呼吸分の間を置いて考える。
『野球部エースの杉本君、バレー部の竹岡君、バスケ部の伊中君、サッカー部の茂森君といえば、桐嬰四天王って言われてて』
 哉子がそんな事を言っていた。
 言われてみれば最近、体育館やグラウンドのバスケット用ゴールが取り替えられたり、野球部グラウンドのフェンスが全面修理され、土が総入れ替えされたり、クラブハウスが増築されたり等、立て続けに相当の金額が投じられたと窺える改築、新設工事が相次いだ。言うまでもなく、サッカー部の土グラウンドが芝生に生まれ変わるのも、その一環。
(いわゆる「設備投資」に代わるわけか…)
 環境が整えば、それだけ呼び物が増えて入学希望者も増える。学校にとって良循環というわけだ。
「まあ、確かに「賞金稼ぎ」だわな」
 無感慨に感想を述べて、要はブラウザを閉じた。
「もうすぐ消灯時間ですよー」
 廊下を見回る寮母の声が背後から聞こえてくる。
「ウース」
 間延びした声を返しながらパソコンをシャットダウンさせた。
「…………」
 ガリガリと音を立てながら終了作業を行っているパソコンを、要はしばし無言で眺めていた。

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guardians10
10

「おはよう四条、鴨崎を見なかったか?」
 朝っぱらの開口一番、茂森から尋ねられたのはそんな質問。
 間もなく始まる見学会を前に、部員達がそぞろにグラウンドに集まりつつある。その中で、言われて見れば確かに鴨崎の姿が見当たらない。
「朝メシん時にはいたけどな」
 昨晩のこともあるので念のために気に掛けていたのだが、食堂で見かけた鴨崎の様子に変わった点は無かったように思う。
「ぼちぼち、見学者が入ってくるからなー」
 遠くから監督の声。その予告通り、見学会開始の午前十時を前に、少しずつ小学生やその親、そしてジュニアクラブチームの関係者と思われる人影がグラウンドの外周に増え始めた。
「………鴨崎遅いな…」
 茂森は時計を気にしつつ、グラウンドを落ち着き無く見渡している。十時過ぎたらキャプテンと副キャプテンが柔軟運動の指示を行う事になっていた。
「……」
 何となく、要は茂森の横顔を見やる。困惑すると眉が下がって、本当に昔飼っていた犬が見せた表情に似ているのだ。「寂しい」「かまって」「ごめんなさい」。
「昨日の夜のことでか?」
 懐かしさに笑いがこみ上げるのを誤魔化す為に、要はあえて分かりきった問いを口にした。「え」と黒目がちな瞳が要を振り返り、そして要より少し高い位置にある頭が縦の揺れる。
「酷い事言っちゃったからな……」
「そうでもないんじゃねーか?」
「え…」
「オハヨーございまーす」
 二人の会話に割って、フェンスの向こうから高い声が聞こえた。
「?」
 同時に振り返ると、傍らのフェンスの向こうに、見学に来ている小学生達の列があった。自チームのジャージを来たサッカー小僧達が、こちらに向かいお辞儀をしてくる。よくしつけられていた。付き添いの親達も、監督やキャプテンマークをつけた茂森に会釈を向けてくる。
「おはようございます」
 監督から昨晩言われた通り、「チームの顔」として要は茂森と並んで見学者達と挨拶を交わした。通り過ぎる幾人かが茂森を見て、「GKの茂森だ」「ホントだ茂森だ」と囁きあっていく。
(有名人と珍獣って、紙一重だな)
 背後で聞こえる様々な反応を聞きながら、要は思った。見知らぬ人間から呼び捨てされるなんて、考えてみたらあまり気分の良い事ではなさそうだ。だが見学者達の様々な反応を他所に、茂森は晴れきれない面持ちでグラウンドを眺めている。
「あいつなら平―」
 要の言葉と重なり、今度は背後に気配が現われた。
「キャープ」
「ん?」と振り向く間もなく、
「テーーーーンッッ!」
 で茂森の腰から背中にかけて、衝撃が襲い掛かった。
「んあっ!?」
 完全に不意を突かれた茂森は、裏返った声と共に前方へつんのめる。
「……カモ…」
 呆れた要の目に入ったのは、茂森の背中に飛びついた鴨崎だった。にゃんマゲに飛びつくCMの女のように、鴨崎は茂森の背中に絡み付いていた。フェンスの向こうの見学者達がざわめきだす。これでは本当に自分達は檻の中の珍獣である。
「鴨崎!」
「キャプテン!先輩!おはよーっす!」
 茂森の背中にしがみついたままの鴨崎が、満面の笑みを要にも向けてくる。
「ちょ……離れろって」
 周囲の寒い視線に我に返った茂森は、健康に悪そうな汗をかきながら鴨崎の腕を外しにかかる。なかなか容易に解けず、茂森が要に助けを求める視線を向けてくるが、面白そうなので気付かない振りをする事にした。
「キャプテン、昨日の話なんすけど」
「あ、ああ、俺が悪かった。八つ当たりみたいな事言って」
 腰に巻きつく顔に向かって弁明する茂森の姿が妙に可笑しい。見学者どころか、異変に気がついた部員全員の視線も集中している。
「俺、目標はペレにしました!」
「ペレ???!」
「ぶっ」
 ペレは、ブラジルの元サッカー選手で、サッカー史上最高の選手と呼ばれる名選手である。「サッカーの王様」とも呼ばれているほどだ。
(いきなりそこに飛ぶか)
 要は呆れるしかない。さすがの茂森も困ったように口を開けていたが、やがて腕を解く事を諦めて小さく笑うのだった。
「うん。目標は大きい方がいいよな」
「えへへ」
 鴨崎は、ほめられた幼稚園児のように笑っている。
「えへへ、じゃねーよ。それに認めちゃうのかソレ」
 体感温度をこれ以上に下げられてはたまらない、と要は鴨崎の襟首を後ろから引っ張って茂森から引き剥がした。
「そろそろ柔軟始めるから、あっちいってろ」
「はーい」
 素直に要の指示に従って、鴨崎は根岸たち一年生達が輪になっている方に駆けて行った。
「っとに、あいつは発想が突飛だな」
 嫌いじゃないけどなそういうの、と思ってはいるが口に出さず、ゴム鞠みたいに飛び跳ねていく鴨崎の背中を見送る。
「そうだね」と笑って要に同意してから、茂森もその様子を見ていた。
「でも、少なくとも俺を目標にするよりは全然いい」
「……だけどあいつ、」
 ん?と要の横顔に茂森が振り向いたのが分かったが、前を見つめ続けたまま要は次の言葉を続けた。
「お前のプレイ観て泣いたんだぜ」
「泣……なんで、いつ?」
 あの鴨崎が泣いた、という事実に驚いているらしく、茂森は文字通り目を丸くして要の顔を覗き込んだ。
「U-14のイギリス戦中継を観たんだ」
「アンダー……ああ…あの試合って……え、あああああ」
 恐らく一つ一つ段階的に思い起こし、最後に自分が大泣きした事実に到達した茂森は、傍目から見ても分かるほどに顔を赤くして口を開けた。
「あれ…は、その」と浮気の言い訳をする男のように両手が無意味に中空を彷徨い、言葉も支離滅裂になっている。最後は「はは…」と苦笑に落ち着いた。
「観たのか…あれ…恥ずかしいな…」
 寮生部員のほとんどがそれを一緒に見ていた事実は、隠しておいた方が良さそうだ。要は茂森の反応を見てそう判断した。見学会どころではなくなりそうだから。
(いざって時にとっておくか)
 代わりにそんな意地の悪い事を考えつつも。
「あれは…あんまり見られたくなかった…」
 片手で首の後ろをかきながら視線を泳がす茂森に、
「だろうな」
 と要は淡白に応えた。
「かっこ悪かったよな。俺あの時はもう、必死でさ」
 周りなんて見えていなかった。
「それでも四点もとられてるんだから、情けないよな」
 段々と声が小さくなっていく茂森を横目で見やり、要は「そうじゃなくて」と苦々しく目端を細めた。
「あの試合でお前一人だけすげー泥だらけで汚ねーし、挙句立てなくなってるわ、つーか、泣きすぎだしさ」
 要の一言が出るたびに、巨大な矢印が胸に次々と突き刺さるようで、茂森は胸元に手を当てて苦笑いを浮かべた。
「カモはそこに感動して泣いたんだぜ」
「………」
「目標ってのは。レベルの高い低いだけじゃないだろ?」
「四条……」
 呟く茂森から、要は視線を遠くにいる鴨崎に向けた。
「ペレとか言ったって、多分カモ中での目標は変わってない。昨日の今日だしな」
 要に向いていた茂森の視線も、ゆっくりと鴨崎の方を向いた。何も知らない鴨崎は根岸達とふざけて笑っている。
「あいつたぶん、ペナルティエリアの外から百発百中でお前からゴール決められるようになるまで、諦めないぞ」
「っははは」
 くすぐったそうに茂森が笑う。その笑みが、太陽に雲がかかって影が指すように、静かに引いた。
「じゃあ俺は、百発百中ペナルティエリアの中からでも止める」
「お前……」
 呆れるような負けず嫌いだ。要が目を丸くした後に、
「―なんてね」
 その様子を笑うように、またふっと緊張の糸を切った面持ちの茂森が要を振り返った。
「良い組み合わせだなおめーらは」
 またやられた。
 要は大きく溜息を吐いて茂森から顔を逸らせた。時計を見上げると、長針がちょうど十二を指そうというところだ。グラウンドの周囲は見学者で埋まり、小学生の声が騒がしく背後を通り過ぎていく。
(そろそろ柔軟始めるか…)
 と思い要が視線を下げると、
「でも、俺が一番負けたくないのは四条だってこと、知ってた?」
 茂森の目がまっすぐ突き刺さってきた。
「―は?」
 一呼吸分の思案も空しく、要は茂森の言葉の意味を全く理解する事ができなかった。また数秒後に「なんてね」とタチの悪い微笑みが続くかと思ったが、それも来ない。
 本気だという事らしい。
「何でって訊いたら、お前それに答えてくれんの?」
 要の問いかけに、茂森は笑った。それは悪意のあるものではなく、「ありがとう」と言う時に見せた笑みと同じもの。
「自分で気がついた方が、いいよ」
 分からないから訊いてるんだっつーの。
 毒づくかわりに要は不機嫌そうに眉根をしかめた。
「自分で気付く事ができたらきっと…四条はもの凄く強くなると思う」
 監督と同じことを言っている。自分の事を知れば、お前はもっと強くなる、と。そして同時に、それを茂森が教えてくれるだろう、とも言っていた。が、どうやら教えてくれる気が無いらしい。
「だから、早く気付いてくれよな」
 羽織っていただけのジャージのチャックを閉めながら、茂森は時計を見上げた。
「俺に負けたくないんじゃねーのか?」
 よくわからないライバル心を剥き出しにしてくるかと思えば、塩を送るような事も言う。要はますますこの茂森という人間が分からない。
「負けたくない。でも、今のままじゃ勝つこともできないから」
「………」
 次につなぐ言葉を見失った要へ、茂森は「柔軟始めようか」と最後にまた笑顔を向けた。
「―おう」
 気持ちを租借しきれないまま要は渋々と頷いて、部員らの方へ歩き出した。

「昼食休憩を挟んで、紅白戦を行います」
 柔軟と基礎訓練が終わり、メインイベントの紅白戦の準備が進められる。
 コーンが並ぶグラウンドをスタメン出場のメンバーを除く二軍が片付け、マネージャーの倉本が手早くラインを引きなおす。傍らのベンチには、紅と白のゼッケンがすでに用意されていた。コーチからの知らせを受けて、見学者達もそれぞれ昼食をとりにまばらに散っていく。中には弁当を持参している子供達もいて、試合がよく見える場所にシートを広げて場所を確保していたりする。
「メシどーする?」
 伸びをしながら清水寺と芥野がやってくる。昼食休憩は残り三十分。これから食堂に行くには時間が足りない。
「購買で適当に買って軽く済ませるか」
 満腹になる訳にはいかない。オニギリとバナナで済ませとくかな、と考えつつ要は二人と共に購買に向かった。
「あ、茂森はどうすんだ?」
 一歩進みかけて、先を歩く芥野が振り返った。
「茂森?」
「一緒に食わねえの?この間も打ち合わせとかで一緒に食ってただろ?」
「なんで俺とあいつをセットにすんだよ」
 当然の事ながら何もしらない無邪気な様子の友人に、無性に腹が立った。長身の二人の間を追い越し、要は購買の方向へ足を速める。
「ケンカでもしたのか?」
「いや、あれだろ。紅白戦前でお互い闘志をメラメラと―」
「燃やしてねーよ!」
 強引に言葉を遮って、友人二人の憶測をシャットアウトさせる。
「俺はそういうノリが嫌いだっての知ってるだろ?」
「まあな」
「ジャンプとかに出てくる熱血主人公とか大嫌いだもんな」
 早く行こうぜ、と二人を急かそうと要が振り向くと、遠目に茂森の姿がよぎった。同学年の寺野や一年生の庄司や船越ら白組のメンバー達と、グラウンド隅のベンチを占領していた。今日も弁当かと思いきや、試合に臨む腹具合を考慮して持参してきたらしきオニギリを食べている。更に、膝の上に黄色い物体が見えるが、あれはバナナだろうか。
(………)
 要は目を細めた。
 自分が食べようとしていたモノと同じメニュー。何となく面白くない。
「バナナはやめてリンゴにするか……」
 無意識につぶやいていた。
「バナナのほうがスタミナつくぜ?」
「リンゴは試合の後だろ」
 無邪気な友人二人は「基本だろー」と笑っている。
 結局その三分後、「一本オマケするよ」と購買のおばちゃんにバナナを一本ずつオマケしてもらっている三人がいた。
「それにしてもさ」
 グラウンドに戻る道すがら、歩きながらバナナの皮をむく清水寺がつぶやく。
「今回の見学会、やたら盛況だな」
「あ~、そうかもな」
 どこへどのような告知をしているのか知らないが、桐嬰スポーツ部の見学会はいつも盛況だ。関東圏内の子供とその親、クラブチーム関係者のみならず、都内や地方からの来訪者もいる。
「関東大会ベスト4が利いたのかな」
 その数は直前までの大会成績で上下する。もし全国大会に進むことが出来れば、その数は更に膨れ上がるだろう。
「来年、入部希望者が増えたら三軍を作ろうかって話も出てるらしいぜ」
 これは打ち合わせの中で監督が雑談レベルで漏らした情報だ。確かに二軍の規模が膨れ上がりすぎて、練習のレベルを合わせるのが難しくなっている。「マジでー!?」「やべーな」と清水寺と芥野は驚くが、今更この二人が心配する事ではないだろうと要は思う。
「別にお前らが二軍、三軍落ちなんてするわけじゃないんだから」
 バナナをかじりながら要は呆れたように笑った。
「清水寺のパス対応力とスピードは外せないし、芥野の、上下左右の守備範囲の広さは重要だし…―」
 どう考えても、と言葉を続けかけたところで、要は左右両隣の友人らが奇妙な顔をしている事に気がつく。
「なんだよ」
「うれしい事言ってくれんなあー」
「まさかお前が誉めてくれるとは」
 嬉しさよりも物珍しい動物を見るような目で両側から凝視され、
「って監督が言ってたんだよ!」
 要は手にしていたバナナを振り上げた。
「気色悪い誤解すんなっ」
 わりーわりー、と二人の友人は笑ってそれを軽く受け流す。要の反応を面白がって、芥野が後ろ向きに歩きかけたところで、
「おっと」
「あ、すみません」
 グラウンドへと続く曲がり角で出会い頭に誰かと肩がぶつかった。相手は黒いスタジアムジャンパーを羽織った男。サングラスをかけている。百八十を超えた芥野や清水寺と変わらない長身だった。手に携帯電話を持っていた。学校職員ではなさそうだ。
(見学者?)
 要は下から見上げる。
「すみません、前みてなくて」
「こちらこそ。紅白戦、楽しみにしているよ。頑張ってください」
 男は丁寧に会釈を向けてきた。やはり見学者だったようだ。三人も「ありがとうございマース」とお辞儀を返す。男は「じゃ」と三人に背中を向け、離れて行きながら携帯電話を耳元に当てた。
「Sorry, it’s nothing」
 その口から英語が飛び出す。
「?」
 驚き思わず振り返ると、男はその場に立ち止まり、携帯電話の相手に英語をしゃべりながら片手で懐から手帳を取り出す。外見はまったくの日本人で、少し角ばった印象の発音だが、男の英語は早口で淀みない。
 見学にきている子供の親が、仕事の電話をしているのだろうか。
 そう思う事にして要は「戻ろうぜ」と再び歩き出しかけた。と、
「――カズシ・シゲモリ―――」
「?」
 英語と英語の合間に聞きなれた日本語、というよりも名前がはっきりと聞こえた。芥野や清水寺にも聞こえたようで、三人同時に振り返る。
「―あ…っと…」
 会話が要達に届いていたと気がつき、男は肩越しにこちらを一度振り返ると、慌てた足取りでその場を離れて行った。
「何だったんだ?今の」
「……さあ」
 両隣で長身二人が同時に首をかしげる間で、要は遠ざかる男の背中を見ていた。
(…スカウトマン……か?)
 いつかテレビで観た事がある。その時はニュースに映ったメジャーリーグのスカウトマンの映像だった。スーツやジャケットといった事務的な服装ではなく、一見ラフなスポーツ用ジャンパー等を羽織り、サングラスをしている人が多い。そんなイメージが、あの電話の男と重なったのだ。
(まあ……本当にそうだとしてもおかしくないけどな)
 あいつなら。どっかからオファーが来ていてもおかしくはないだろう。
 そう納得して要は「いこうぜ」と再び、二人を促してともにグラウンドへ向かった。

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guardians11
11

「先輩!遅ぉおい!」
 グラウンドに戻るなり、突き抜けた鴨崎の声に出迎えられた。大仰に両手を振り回して、「こっちこっち」と要を呼んでいる。見ると、紅組メンバー達がゴール裏で輪を作って昼食をとっていた。
「何だあ?」
「作戦会議っすよ!作戦会議!」
 早口に捲くし立て、鴨崎は待ちきれないと要の袖を引く。
「ほら、清水寺センパイも!あ、芥野センパイはダメっすよ!」
「え、俺だけ仲間ハズレか?」
「だって敵ですもん。芥野センパイはあっちっす!」
 鴨崎が示すのは、グラウンド隅のベンチ周辺に集まっている面々。茂森を中心に、白組のメンバーが輪を作っている。ふと顔を上げた茂森と視線がぶつかり、向こうがにこやかに手を振ってきた。
「へえへえ」
 苦笑いしつつも「じゃあな」と芥野は白組の方へと向かった。
「作戦会議つったってなあ」
 オニギリのビニールを剥きながら要は集まる面々を見渡した。一軍中心なので同学年が多い。
「何言ってるんすか。司令塔でしょ、司令塔!桐嬰のヒデになってもらわないと!」
 無茶苦茶を言うな。
 苦虫を噛み潰すと同時にオニギリをかじり、要は鴨崎に促されるままに紅組面々の前に腰を下ろした。
「えーっとだな」
 鴨崎同様にやる気になっている者、一方で冷静な者と、二種類の視線を感じる。
「まあとりあえず、今俺が持ってる情報は、白組が俺達に勝つ気満々だという事だ」
「へえ」
 と、すぐ側に腰を降ろした清水寺の声。と同時に軽いざわめき。二軍中心チームが一軍チームに勝つ気でいる。その事実が面々の感情を刺激したようだ。一方で対面に座る鴨崎は「おお」と目を輝かせている。
「場合によっちゃ、自分が本気を出さなくても勝てるかもしれない、なんて茂森がぬかしていた」
「ほほー」
「さすがキャプテン」
 何が流石なのかわからないが、ひたすら鴨崎は感心して頷いている。
「でも正直、俺もビミョーだと思うんだな、そこんとこ」
 溜息と共に残ったオニギリをかじる付け焼刃司令塔。「おいおい」と隣から清水寺が苦笑するのが見え、当然のように立ち上がった鴨崎からは、
「なんでですかー!勝たないと!チームまるごと二軍落ちっすよ!?」
 と猛抗議。
「うるせーなしょーがねぇだろ!俺MF初心者なんだぜ!」
 要の反論に場が鎮まる。
「そうだった……」
「今日が初めてか……」
「初心者か……」
 乾いた苦笑いが漂う。
「って事で」
 同じ声調を保ったまま要は面々に向き直る。
「負けても俺のせいだから、失敗とか考えずにやってくれればいいだろ。二軍落ちするとしたら俺一人だ」
 何せ、桐嬰の一軍を担う面々だ。「いつも通り」の実力が出せれば勝てるのだ。問題は、その「いつも通り」を要自身が潰してしまわないか、ポイントはそこだけだ。
「四条…」
 肩を落とした面々が、顔を上げた。
「何言ってんすか!俺絶対負けたくないっす!だからガンガンいきますよっ」
「先輩だって負けたくないっすよね?」と、鴨崎は遠くにいる茂森を指差した。そこに、何やら白組の面々と楽しそうに笑っているキャプテンの姿が。キャップをしたボールペンの頭で、地面やグラウンドを指し示しながら喋っている。見学に来ている小学生の数人が、物珍しそうにそれを後ろから眺めていた。
「まあ、なんだ。この間のシュート練習で分かったと思うけど」
 改めて要が前置きをすると、同じく茂森を振り返った面々は再び要を見上げた。
「ここで付け焼刃の戦略をヒネっても、あいつはそうそうゴールを許してくれない。オマケに今日は芥野と小野寺付きだ」
 長身の芥野、小柄故に小回りと速度が持ち味の小野寺。このDFの組み合わせはやっかいだ。さながら、釘を使わない日本古来の木組み建築のように、凸と凹がはまり込んで、頑強な壁となっている。そんな壁を突き崩すとしたら、僅かな綻びを作り、そこを一気に突き破るしかない。
「あと要注意は寺野の動きだな」
 寺野は白組の司令塔だ。二軍の面倒見役を長い間になってきた為に下級生からの人望が厚く、また意思疎通も円滑だと思われる。
「あっちは守りのサッカー、こっちは攻めのサッカーだ。相手をペナルティエリアに一切近づけさせないつもりでとにかく押すしかない」
 要は食べ終わったオニギリのビニールを、強く握りつぶす。一瞬、場が静まり返るが、
「って口で言うのは簡単なんだけどさ」
 力が抜けた要の呟きに、一同はまたがっくりと肩を落とすのだった。
 お茶を一口喉に流し込み、要は時計を見上げた。間もなく休憩時間が終わる。お昼を済ませた見学者達が徐々に集まり始めていた。「おし」と呟いて要は立ち上がる。
監督の指示を受け、メンバー達はゼッケンをつけてチームごとに別れて整列する。
「これから紅白戦を行います」
 見学者に向けてコーチが簡単に試合時間とチームの割り振りについて説明を始めた。
 その間、要は視だけで周囲を見渡した。対面に立つ茂森はコーチの方を見ている。見学者達も衝立の向こうからコーチの説明に耳を傾け、頷いていた。小学生や親達の群から離れた場所に、先ほどの英会話男が立っている。両手を胸の前で組み、じっと動かない。サングラスのせいで視線が判別できないが、恐らく茂森を映しているのだろう。
「では」
 と説明を終えたコーチが回れ右をしてコイントス。要達紅組の先攻となった。ラインマンがそれぞれ位置につき、審判役のコーチの号令で
「お願いします!」
 と互いに礼。そして各々のポジションへ散って行く。自陣地に下がりながら要は相手チームを振り替えった。ゴール前に歩いて行くDF芥野、小野寺、そしてGK茂森の姿がやけに大きく目立った。やはり一軍と二軍選手がもつ存在感の差というものなのだろうか。
 だがボールを足で押さえてスタンバイする鴨崎を見据える寺野ら二軍の面々も、油断ならない顔をしている。
 そして胸をすくホイッスルの音が高らかに透明な青天を突き抜けた。
 鴨崎がボールを蹴りだし、前進する。
「っえ…」
 突然目の前に影が迫り、鴨崎は一瞬、足を止めた。白組のFWが一斉に鴨崎と根岸を取り囲むように前に出てきたからだ。特に大柄な体躯が持ち味の二年生、五十嵐は、迫り来る津波のように迫力がある。
「!」
 要は目を丸くする。
 予想に反して白組の動きが攻撃的なのだ。寺野を始め、MF陣もFWさながら前へ前へと出ている。
「おっと」
 ボールを奪いに来た白組FWをかわして根岸は鴨崎にパスを送る。そこへすかさず左右から回り込むようにまた別のFW達がボールを奪いに来た。
「一旦さげろ!」
 要が声を上げる。
「なっ」
 要の指示が間に合わず、パスを繋げてFWを振り切ろうとした鴨崎と根岸の前に、また壁が襲い掛かってきたのだ。
「あ!」
 前に出ていた清水寺に送ろうとしたパスがカットされる。
「マジか」
 思わず要は声に出していた。
 白組は、芥野と小野寺を除いたDFまでが、センター付近にまで上がってきているのだ。逆にその両名はペナルティエリア内に留まったまま、まるで門番のように直立している。
「寺野!」
 白組のFWが奪ったボールが、司令塔の寺野に回る。それを合図にするように、白組の前衛陣が一斉に広がった。まるで紅組の陣地に網を投げ入れたかのようだ。
「マンツーマン!」
 素早いパス回しで小刻みに前進してくる、そう読んだ要は咄嗟に指示を送った。要は寺野のマークにつこうと、ボールを持った彼に向けて駆け出す。
「羽鳥!」
 寺野は後方にいた白組の一年生の名を呼び、ボールを送った。センター付近まで上がっていたDFだ。
(?)
 要は一瞬、困惑する。攻撃に出たと思えば、突然下がる。その緩急差のある動きに紅組の面々が意識を奪われた、その瞬間、
「寺野先輩!」
 再びボールが寺野に渡る。要がボールを奪いに動く直前、ボールが大きく蹴り上げられた。
「!?」
「あ」
 ぽかんと鴨崎が空を仰ぐ。
 高く上がったボールは一気に紅組のペナルティエリア付近へ飛んできた。完全にマークがつく前に振り切った白組前衛陣が一斉に紅組ゴール前に雪崩れ込んでくる。
「清水寺とカモ、ステイ!」
 ボールの動きにつられかけた清水寺へ、センター付近に留まるよう声をかけて要はゴール方向へ駆け出した。
「俺らは犬かーっ!」と二人のクレームが聞こえてきたが、とりあえず受け付けない事にする。
(…この強烈なメリハリは何だ)
 ゴールに遅い掛かろうという白組を追って要も駆け出す。
「DF固まるな!」
 迎え撃つDF陣がボールの動きに引き寄せられつつあるのが見えて、要は指示を送った。二年の乾が素早く反応を見せて反対側に動きかけると、案の定、残りのDFの動きを裏切る方向へ白組のパスが出された。その先に、ゴールを狙うFWがほぼノーマークで滑り込んできている。
「ってぁ!」
 団子の中から飛び出した乾が突っ込む。
「!」
 咄嗟に対応ができなかった白組FWの船越から、乾のスライディングがボールを弾き飛ばした。
「乾の奴、ナイスセーブだったなあ」
 遠くから紅組ゴール前の様子を見ていた芥野が、左隣と背後に同意を求めた。
「そうだなあ。俺もあの場面だとつられてたかもしれない」
 小野寺が足首を回しながら答える。
「良い反応だったね」
 茂森はゴールポストに片手を添えて眩しそうに目を細めていた。
 ボールは紅組ボランチの鷹島へ。その動きを見てカモネギ二人が前方へ駆け出した。
「DFだけもどれ!」
 白組司令塔が声をあげる。ゴール前の集団が動きかけた直後、紅組FWの位置を目視した鷹島が大きく前方にボールを蹴り上げた。高いアーチを描いたボールは、センターライン付近に留まっていたカモネギの間に落下する。白組は一斉に攻撃参加していたために、ガラ空となっている。
「よしっ!」と思わず要は声に出していた。
「おー、きたきた」
 ゴール前に立つ芥野、小野寺、茂森の視界の中で、鴨崎がボールを拾った。背後から追いすがりボールを奪いに来る白組のDFをかわした鴨崎は、ほぼノーマークで白組ゴールに迫り来る。サイドから清水寺が積極的にゴール前に上がろうとしていた。
(やりにくい状況だな)
 背後の白組の動きを気に留めつつ、要は前進するFW三人の背中を見ていた。ほぼ三対三の状況では、こちらの事をよく知っている白組の一軍三人に動きを読まれやすい。ゴール前で入り乱れてイレギュラーが多々発生してくれたほうが、総合力で勝る紅組が、力で押し切れる確率が高い。
 ゴールに向かう鴨崎を出迎えるべく、小野寺が動いた。愛嬌のある外見からは想像できない、しつこく足元に絡み付いてくるような、敵になれば「いやらしい」粘り強いディフェンスが持ち味だ。
「カモ、つっこむな!」
 小笠原を突破しようとする鴨崎の動きを読み取り、要はボールを戻すよう声をかける。
「でも」
 生じた刹那の戸惑い、そのスキを突いたタイミングで小笠原の足が伸びた。
「あっ・・」
 ボールが小笠原の足に捕らえられる。だが直後にサイドから追い付いた紅組MFが、体勢が不十分だった小笠原から再びボールを奪った。
「四条!」
 要にボールが戻る。咄嗟に周囲を確認し、要は斜め後方へ上がってきたMFにパスを送る。
「体勢を整えてくる気か」
「そうみたいだな」
 芥野の推測に、茂森が同調する。紅組の動きを察して小笠原もゴール付近に戻って来た。
(MFが誰も戻ってこない?)
 白組の異質な動きに要は目を細めた。
 残りのDF、俊足の一年コンビ羽鳥と高塚の二人が戻って来ただけで、白組が誰ひとり自ゴール前に戻ってこようとしないのだ。
 一方で、ゴール前には戻って来た二人を加えたDF四人が、まるでペナルティラインが国境線であるかのように防御を固めている。
(ペナルティエリア内でシュートを打たせない気か)
 いつだったかマネージャーの倉本が作ったデータが思い浮かぶ。試合における茂森のペナルティエリア外からのシュートセーブ率が、全国の中学生GKの数値と比較してずば抜けている事を。実際、チームのストライカーである鴨崎も、正面から対峙した場合はペナルティエリア内からしかゴールを割れていない。
 芥野と小野寺に守らせて時間を稼ぐ間に、俊足の羽鳥と高塚が戻り壁を補強するという算段か。FW二人とMF四人は攻撃に専念させ、DFを守備と遊撃の二つに分ける。
(無茶苦茶だ)
 要は内心で苦笑する。その無茶苦茶を通す茂森は、やはりイレギュラーな存在だと思い知る。
「先輩!」
「!?」
鴨崎の声に我に返り、背後の気配に気付いて振り返ると、戸惑い気味の一年生からボールが渡る。
 迷っている暇はない。白組の防御が鉄壁なら、紅組は徹底的に綻びが生じるまで壁を叩かなければならないのだから。
(清水寺)
 横目で清水寺を見やると、一瞬だが確かに視線が戻ってきた。チーム随一のパス対応力を信じる。それが今の要ができる事だ。
 要がボールをゴール前に高く蹴り上げると同時に、清水寺が動いた。カモネギの二人もゴール前に走りこみ、そのすぐ後ろから正田も上がってくる。
「芥野!」
「マカセロ」
 茂森に促され、芥野がボールを追った。高身長の清水寺に対抗できるDFは、このチームでは芥野しかいない。そして零れ球を処理すべく小野寺もボールを追って移動し、その前後を挟むように鴨崎と根岸が体を差し込んだ。
「くっ!」
 清水寺のこめかみが一瞬早くボールに触れた。だが弾いたところで芥野の額に当たって後方にこぼれる。ボールの落下点にいたのは正田。
「四条!」
 声と共に真横にボールが蹴られた。無理矢理な体勢から正田が奪ったボールがボテボテと要のいる方向に転がってくる。それを追って動き出す、白組の一年生DFの二人。
「っと」
 踵で後ろにボールを送り、振り向きざまにつま先で蹴り上げてDFが伸ばしてきた足からボールを逃がした。
「!」
 空を切って前方に足を取られた二人のDFをかわして、要は体を半回転させて前に出た。視界に茂森が入る。自分は要のシュートコースを防ぎ、左手で小野寺へ鴨崎をマークするよう指示を出していた。
 右はダメだ。
 咄嗟に判断すると同時に、左頬にわずかな風を感じた。左肩越しに紅いユニフォームが動いたのを感じる。直感のままに要は左前方にボールを軽く蹴り上げた。
「った!」
 同時に要の左脇から飛び出した紅いゼッケン。紅組MF、サイドから上がってきた谷矢だった。ちょうど頭の高さに蹴り上げられたボール目掛けて前傾姿勢で突っ込んでくる。
「キャプテン!」
 白組の一年生DFが焦燥した声をあげた。対照的に冷静な面持ちの茂森は、ヘディングに行こうとする谷矢の動きに合わせて確実に防御する体勢にある。
(取られるか!?)
「たあっ!」
 要の思考をかき乱す声が、右側から突然現れた。直後、肌でボールを弾く鋭い音、
「い!?」
 そして、次の瞬間に要の目がとらえたものは、谷矢がヘディングしたボールへ、真横から全身を躍らせてぶつかってきた根岸の姿だった。
「なっ」
 どこから飛んできやがった。
 周囲半径数メートルの範囲内にいた面々はこのとき、同じことを考えていたに違いない。
 谷矢の頭が弾いたボールを、根岸は飛び上がって右足インサイドで止め、胸に軽く当てて前方に浮かせて右足で着地し、そのまま体をひねって左足のインサイドで高く浮かせた。
「!?」
 ボールは茂森の頭上を越える緩やかなアーチを描く。
「はいれっ!」
 と叫ぶ根岸の言葉に従うように、ボールは茂森の向こう側へと落ちていこうとしていた。そこへ、既に鴨崎がボールを押し込もうと走りこんで来ている。
 だが何を思ったか、茂森はボールを追わずに左手前方に向けて大きく踏み出したのだ。
「っあ…」
 最初に、そして唯一気がついたのは要。
「小野寺だ!」
 反射的に口から声が出ていた。
 長身の芥野や清水寺の足元から抜け出した白組DFの小野寺が、鴨崎よりも速くボールに追いつこうとしている。そればかりか要に抜かれた二人の一年生DF達が、いつの間にか紅組ゴール方向に向けて走り出しているのだ。
「な…」
 ゴールラインを割ろうかというボールに、スライディングした小野寺の足が追いつく。地に背をつけたオーバーヘッドキックのように、下からボールを掬い上げた。そこに赤と黒の色鮮やかなキーパーグローブの手が伸びる。
 ボールを追わずに前方に出ていた茂森だった。
「戻れ!」
 言いながら同時に要も自陣地に向けて走り出す。ボールに反応した清水寺や正田より瞬時速くボールをつかみ取った茂森は、
「カウンター!」
体を翻しがてら二歩の助走を踏みボールを大きく蹴り上げた。ボールは軽々とセンターラインを超え、あしらえたように待ちかまえていた寺野の足元に落ちた。紅組ボランチやDFが対応に動くが、人数で勝る白組に邪魔される。
 ―やられた。
 自ゴール前に戻ろうと走る要達の目の前で、ボールは紅組GK碓井を抜けてゴールに突き刺さる。
「あーーーーーっ!」
 鴨崎の声。
 直後にホイッスルが鳴る。
 試合さながらのタイミングで、見学者席からも声が上がった。
(………おいおい)
 足を止め、要は気づかれない深呼吸を吐いた。
 顔を上げて辺りを見渡すと、紅組の誰もが同じ心境のようで、当惑したように白組の面々を見つめていた。
「おっしゃあ!」
 白組ゴール前では小野寺が飛び上がって喜び、芥野と茂森は満足そうに目を細めていた。そして紅組ゴール前ではさながら優勝でもしたかのうように、白組の面々が輪をつくって喜び合っている。
「………」
「四条」
 声をかけられて振り向くと、清水寺がいた。
「思ったよりだいぶ動きがいいな、白組」
 と言う清水寺の表情から、あまり焦りはうかがえない。要に気を遣っているのだろう。
「動きが良いというより…」
 それが分かるから、要は余計にバツが悪かった。白組が予想外の動きをしたとはいえ、満足な指示を出せなかった自分のせいでまさかの先制を許したのだ。
「思いっきりが良いというか、迷いが無い感じ…―」
(!)
 自分の言葉に閃いて、要は白組ゴール前を振り向いた。
 ゴール前で腕を組んで悠然と立つ茂森と、二等辺三角を描く位置に立つ芥野と小野寺が目に入る。
(安心感か)
 背中を守る鉄壁の存在、それが絶対的な安心感となって白組の面々から迷いを捨て去らせた。DFまでが攻撃に加わる白組のやり方は、ペナルティエリア手前からセンターにかけてがガラ空きになるために、大きな危険もはらんでいる。だが、ゴール前にはあの三人がいる。あの三人が守る限り、大丈夫、失敗しても何とかしてくれる―その気持ちが二軍の面々を奮起させ、いつも以上の思い切りと実力を発揮させているのだ。
(背中がスースーする……)
 要は自ゴールを振り返る。紅組GKの碓井が冴えない顔色をしていた。彼も決して悪い選手ではない。だがやはり、こうして立っているだけで背中に感じる空気の重厚さが全く違う。茂森と比較するのは酷だと理解していても、そう考えずにはいられない。
「いやー今日は珍しいモノが見られるな」
 要とは対照的に、ゴール前で悠々とフィールドの様子を眺めている芥野。
「珍しいもの?」
 茂森が問うと、芥野は視で要を指し示した。
「四条が焦ってる顔なんて、あんま見られねーだろ?」
 多分アイツいま相当焦ってるぜ、と芥野はやんわりと笑んだ。彼の言葉通り、数人のチームメンバーに囲まれる要の横顔に、いつもの精彩が無い。あまり表情に出ていないが、視線にいつもの自信が窺えない。
「やっぱいきなり試合で「ハイ、司令塔やってください」ってがそもそも無理なんだよな」
 と言う小野寺は、頭の後ろで手を組んで、ぶらぶらと体を揺らしている。
「動きを見てると、あんまり周りが見えてないっていうか」
 MF、特に「司令塔」と呼ばれる要のポジションは、前後左右に動き回る事を求められるのだ。
「見え過ぎてるんだ」
 小野寺の推測を、茂森が静かに否定した。
「キャプテン?」
 二人のDFが、振り返る。
「頭と体が、まだうまく連動しきれていないんだよ」
「そうか?」
 芥野が再び要の方を見やる。清水寺と言葉を交わす背番号十番がそこにいる。
「間に合わなかったけど、四条は俺の動きもちゃんと見てたよ」
 キーパーグローブのテープをきつく締め直しながら、茂森は目を細めた。
 あのゴール前で団子になった状況の中、ボールに気をとられずに小野寺や自分の動きを確実に視界に捉えていた。
 どんな状況でも周囲を見渡す事ができる冷静さと、動体視力。司令塔に必要な条件は備えているのだ。
「FWの時と違って、真中の位置で、前後左右から次から次へと入ってくる情報をとらえすぎて、整理しきれないんだと思う」
「はー、なるほどなあ」
 芥野は再び要を見やり、どこか楽しそうに茂森の話に耳を傾けていた。

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guardians12
12

「何だあ、紅組の十番、あれで一軍の司令塔なんだ?」
 見学者の小学生集団から少し外れた位置で、そんな会話が交わされた。リトルリーグの制服集団と異なり、スポーツ用品ブランドのブルゾンではあるが私服の装い。一人は少年、そして一人は保護者と思わしき中年の男だ。いずれも上背があり、特に少年の方は年齢相応の顔立ちに見合わない体躯が人目をひく。
「今日が初めてらしいから無理もないだろう」
「頑張ってるほうさ」と男が呟く。目深にキャップを被っており、庇が作る影が目元を隠しているが、彫りの深い顔立ちをしている。
「え、なんでそんな事わかんだ?」
 少年の言葉に男は呆れて肩を竦めた。
「試合前にコーチがそう説明していたじゃないか」
「そうなんだ」
 聞いてなかった、と笑って少年は悪戯っぽく笑う。
「それにしても」
 グラウンドに視を戻す前に、少年は横を見遣る。付き添いの男が立つ位置と逆方向だ。白地に薄いピンクのストライブが入ったスエットをお揃いで着ている4~5人の女の子グループがいる。白組が得点した時に黄色い声を上げていた。
「なんなんだ、あの連中。さっきからうざいし」
 苦々しく呟く少年と対象的に男は薄い笑みを漏らす。
「女子サッカーチームの子…と見せかけて、ファンの集まりだろうね」
「ファン~ん??だってプロじゃねぇのに??」
 大きな瞳を更に大きくして、少年はまじまじと女の子集団を凝視した。その中の数人と不意に目が合ってしまい、「なにみてんのよ」という目で睨まれる。
「こえぇ…」
 と呟いて少年はすごすごと視線を逃す。
「最近はジュニアの頃から気に入りの選手に目をつけて、成長を追いかけるっていうタイプのファンが多いらしい」
 男曰く、アイドル集団のジュニアチームファンの心理と同じで、インターネットのブログ等を通じてのファンコミュニティも形成されるほどだという。
「ま、ああいうのも大事な『サポーター』だ。邪険にしちゃいかん。どういう形であれ応援してくれる事をありがたいと思わないと」
 男はゆったりとした姿勢でグラウンドを眺める。キャップの庇に見え隠れする両目は、温和に笑っていた。
「そりゃまあプロならそーだろうけどさ?」
 合点しきれていない様子で肩をすくめる少年も、再びグラウンドに意識を戻した。
「お?」
「おや」
 二人が眺める中で、白組の一番が持ち場を離れ、紅組十番に歩み寄ったのだ。
「四条」
 茂森の手が後ろから肩に触れ、
「…何だよ」
 要は振り返る。声が不機嫌そうに低くなってしまい、大人げ無かったと内心で後悔が生まれた。茂森は気にしていない様子で、少し首を傾げながら要の肩から手を離す。
「あ、考えてなかった」
 茂森の第一声はそれだった。
「は?」
 思わず要は声を裏返らせた。
 何か言いたい事があって来たものの、かけるべき言葉を考えていなかった。そんなところだろう。茂森は「えーと」と顎に手をあてて考え込んでいる。
「おーい、試合再開す…」
 遠くで審判役のコーチから声がかかったが「好きにやらせとけ」と監督がそれを止めた。既にそれぞれのポジションに戻っていた面々が、何事かと二人を遠くから眺める。
「五円玉でさ」
 しばらく考え込んだ茂森が再び口を開くと、出てきたのはそんな言葉からだった。
「はあ」
 疑問符を複数浮かべつつ要は気が抜けた返答をする。
「五円玉の穴から遠くの景色を覗くと、よく見えるだろ?」
「そうだろうけど…??」
 子供向けの科学マメ知識だ。要も昔、試した事がある。
「そういう感じが良いと思うよ」
「……え??」
「頑張って」
 頭上で疑問符が躍りまわる要を他所に、茂森は最後ににこやかな笑みを見せると、片手を振って自ゴールの方へと戻って行ってしまう。
(何が言いたいんだ、あいつは)
 呆然とその場に取り残されたまま、要は茂森の背中から視線を外して焦げ茶の地を見た。
「………」
 湿った土から視線を上げて、再び遠くのゴールを見つめる。
(………)
「カモ!」
「は、はい!?」
 突然呼ばれて鴨崎は要の元に駆けつける。
「キャプテンと何はなしてたんすかー?」と軽い口調で尋ねるが、いつもと違う要の面持ちに気がつき咄嗟に口をつぐんだ。
「セン…パイ?」
 神妙な顔でグラウンドを見つめる要の横顔を、鴨崎は恐る恐る下から覗き込む。そして突然、大きめの両目が振り返り、思わず身を仰け反らせてしまった。
「さっきは悪かった」
「へ?」
 今度は突然謝られ、鴨崎は半開きにした口から腑抜けた声を零す。
「これから、お前にボールを集めるように動く」
「センパイ…?」
「だからお前は、できるだけマークを振り切る動きをするようにしろ」
 蕾が開花するように、鴨崎の表情に光が差し込む。シュートさせてもらえる事が嬉しくて仕方ないらしい。
「ただし、ゴール前で混戦状態になった時は別だからな。周りをよく見て判断するようにしろ」
「もちろんです!」
「お前が万全の体勢でシュートを打てるようにしてやる」
 だから―
「最低二本以上はゴールを決めろ」
 要は指を鴨崎の顔に突きつけた。
 勝つのは俺達だ。
「了解す!」
 暗黙に含まれた要のメッセージに、鴨崎は嬉しそうに頷いた。
「ネギ、清水寺、正田!」
 近い位置に固まっていた三人を呼ぶ。
「お?」
 と目が覚めた顔で、だがどこか楽しげに三人が要の元に集まってきた。
「何か名案でも浮かんだのかな。ていうかキャプテン、何をアドバイスしたんだ?」
 要達の様子を白組ゴール前から眺めていた小野寺が、背後の茂森に尋ねる。
「小学生の頃に聞いた科学の話を少し」
「なんだそりゃ?」
 芥野の長身が振り向く。その顔はいつものように笑っていた。そうしているうち、要の周りに今度は残りのMFとDFの面々が集まっており、試合中にもかかわらずさながら即席作戦会議の様を呈していた。
 監督やコーチは黙認している。時計も止められていた。彼らの目的は一軍チームと二軍チーム間に勝ち負けを着ける事ではないのだから。
「最初はどうなる事かと思ったのですが」
 ホイッスルにつながった紐を手持ち無沙汰に回しながら、泉谷コーチは傍らに立つ監督の西浦に視をやった。ライトの柱に片腕をもたれさせていた西浦は「ん?」とそれに応える。
「四条にああいうリーダーシップがあるとは、意外でしたよ」
 冬休み明け、西浦から新キャプテンと副キャプテンについて相談を受けたときの事を、泉谷は思い出す。キャプテンはともかく、副キャプテン候補に挙げられた生徒の名にまず「え、誰ですって?」とコーチ陣の誰もが聞き間違いをしたように問い返したものだ。さながらその瞬間は、コントか漫才をしているような空気だった。
「彼は口が悪いというか…キツいというか…ストレートなところがありますからね」
 四条要という生徒は、協調性が無い訳ではないがやはりマイペースで、常にどこか冷めて乾いている雰囲気を持っている為に近寄りがたい。好不調の波が少なく器用なので、選手としては扱いやすいが。
「俺もそう考えていた」
 西浦はコーチ陣の意見を否定しない。事実、要が新入生として入部テストを受けに来た時から、「変わった子だ」という印象が残っている。現代っ子特有のどこかスレた雰囲気を持ちながらも、練習に対しては真面目できついメニューも涼しい顔で黙々とこなし、着実に実力をつけていた。彼が初めてスタメン出場したのは二年生の春で、体調不良の三年生の代わりに使ったのだが、特に不可もなく仕事をこなしてコーチ陣に「使いやすい」と印象付けた。それ以来、始めは便利な代役として出場機会を得、そして気がつけば固定レギュラーの一員となっている。
「与えられた課題や仕事はきっちりこなす。副キャプテンや司令塔という役割も、与えられた課題としてこなそうとしている」
 あいつにはそういう天性の器用さがある。
 西浦は要を中心に輪を作る紅組の様子を見つめた。
(あと四条に足りないものは……)
 次に西浦の視線は白組ゴール前の茂森に向く。
(あいつが教えてくれるだろう)
DF二人と会話を交わしているGKの姿がそこにある。彼もまた、見かけに拠らない負けん気の強さがあるが、柔軟性のあるところは要と似ている。
(逆に茂森が必要なものも……)
 口元に微妙な笑みを浮かべ、西浦は再び要を見た。
(四条が与えてくれるはずだ)
 それが適った時、誰もが自分の下した人事采配を理解するに違いない。
 西浦には確信があった。
「……監督…?」
 その視線に気がつき泉谷コーチも白組ゴール前へ意識を向けた。
しばらく顔を突き合わせていた紅組の面々が最後に頷き合い、それぞれの持ち場に散って行くところだ。それを確認して審判役の泉谷がホイッスル。試合が再開される。
「紅組、どう攻めてくのかな」
見学者の小学生の一人が、隣の友人に話し掛ける。同じチームロゴの入ったジャンパーを着た隣の子供がそれに答える。
「やっぱ白組は守りにはいるよな」
少し得意げに腕を組み、大人ぶった口調で語っている。
「茂森いるし、白組が本気で守りになったらかなーりゴールすんの無理だろ。DFも上手いし」
小学生たちの議論に耳をそばだてていた長身の少年は、苦笑して肩を竦めた。
「茂森、だって。呼び捨てかい。友達かっつーの」
まったく最近の小学生は、と自分も歳回りがかわらないのを棚上げする少年の横から、
「逆だよ」
と長身の男。
「お前だって有名人の事は呼び捨てするだろ?イチロー、とか中村、とか。それだけ彼らにとって桐嬰の一軍選手は憧れの対象なのさ」
「憧れね~」と漏らしながら少年は、再び動き始めたゲームを見つめる。
「『関東に桐嬰あり』が実のところ単に『関東に茂森あり』で終わらないといいんだけどな。ま、春から俺が『関東に鹿嶋あり』に変えてやるけど」
 少年の言葉に男は「馬ァ鹿」と笑う。
「同じチームに「馬」がつく名前の子がいないことを祈っとくんだな」
「それを言うなってっ!!!」
 顔を真っ赤にする少年の声に、近くにいた小学生集団が奇異な目で振り返った。オマケに「ちょっとー、うるさいんですケドー」と少女達からクレームが入ったのであった。
「………スンマセン…」
肩を落としてしょ気る少年を他所に、隣の男はボールの行方を目で追っていた。ボールが、白組の十番に回る。と同時に、白組は再び最初と同じように一斉に紅組陣地に攻め込む動きを見せた。
「守りに入らないのか」
ほう、と感心したような息が男の口から漏れる。鹿嶋少年も「お?」と身を乗り出した。
「声だしてくぞ!」
 紅組司令塔から声が上がる。応じる声が上がり、それぞれがマークすべき標的に対して走り出す。白組の動きに対して、今度の紅組メンバーらは冷静だ。
「サイドだサイド!」
「フリーにすんな!」
 序盤と打って変わって両チームから次々と声が上がる。白組の司令塔も、紅組が本格始動した事に気がつき、動きが緻密になって来ている。
(何となく分かって来た…)
 要は寺野をマークしつづボールの動きと、自チームの動きを確認する。寺野が抜きにかかろうとすると、自分も上半身を使ってそれを食い止め、パスを断たせようと動いた。
 がっちりとマークされてライン際に追い詰められた白組MFが焦ってボールを後ろに送る。そこへ動き出そうとする寺野より速く、要は飛び出した。つま先分だけいち早くボールに追いつき、それを軽く蹴り上げて回転させて寺野をかわす。
「上げに来るぞ!」
 寺野の声に応じて白組のMFがボールを奪いに来た。「四条!」と斜めから声がかかり、正田がマークを振り切ってフリーになろうとする姿が目視される。一人目のMFをかわして白組のゴール方向を視線がよぎる。その瞬間、芥野と小野寺の向こうに茂森が見えた。
(茂森)
 彼が守りの体制に入るよう指示するはずがない。
 要には分かっていた。分かりつつあった。
(お前が顔に似合わず、そういう奴だって事がなっ)
 視線が通り過ぎる瞬間に強く睨み付け、要は迫り来るMFからボールを逃がしてマークを突破した。
「鴨鍋走れ!」
 要の声。
「紅組マジギレモードだな」
小野寺は不適に笑う。パスを繋ぎながら確実に上がって来る紅いゼッケンの波。ファウルすれすれの強引な突破を繰り返している。
「羽鳥!鴨崎を徹底マークだ!」
ゴールから茂森の声。
「はい!」
不気味に上がってくる鴨崎に、駿足の羽鳥を宛がう。
「やっぱカモにボール集めて来るのかな」
と芥野。
「まともにシュートしてゴールを奪えるのは鴨崎だけだしな」
茂森の回答を「ふーん」と聞き流した後、芥野と小野寺は「え?!」と目をまるくして同時に振り返る。
「ほら、来るぞ」
茂森は余裕の伺える顔で前方を指し示した。
その言葉通り、根岸がマークを振り切りボールをキープして上がって来た。
「カモにパスさせなきゃ良いんだな」
小野寺が飛び出した。さすがに紅組の気迫を感じて白組のMFも一部が戻って来ている。
(羽鳥の脚が厄介だな)
鴨崎に張り付く羽鳥。鴨崎も駿足が持ち味だがドリブルで羽鳥を抜くのは簡単ではない。
「………」
すぐ背後で寺野が自分をマークしているのを確認し、要は羽鳥に向けて走り出した。
「根岸!」
ボールを持つ背中を呼ぶと、すぐにパスが来た。走る要の速度を想定し、根岸は羽鳥と要の間にボールを送る。
だが、要は足を止めた。後ろから追ってくる寺野を肩ごしに見遣り、道を明け渡すように自分はゴールに向けて方向を変えた。
「え」
「え、え?? 」
うろたえた寺野と羽鳥は近くに転がるボールへ反射的に足を向けた。その間を後ろから滑り込んでくる紅いゼッケン。
鷹島だ。
長い足を生かしたスライディングで、ボールを捕りかけた寺野と羽鳥の足からボールを弾いた。その先にいるのは要、そして更にその先に、フリーになった鴨崎。
「あ……!」
マズい。
その三文字が思い付いた頃、ボールは既に要の足元を離れていた。
「上手い事するなあ」
呟いて、茂森が動く。
手元で急加速する鴨崎のシュートを警戒して前に出る。加速する前に叩き落としてやればいい。
「やっぱカモか!」
小野寺と芥野もそれぞれ対応に向かう。
「いけっ!!」
しなやかな全身の筋肉をしならせ、鴨崎がシュートを放った。角度があるが、ペナルティエリアの内側だ。
「!」
シュートコースを切断するように茂森が前傾姿勢でボールの軌跡に割って入った。
空気をえぐってカーブを描きつつあるボールを横から弾いた。
「止めた!」
小学生が騒ぐ。少女達からも黄色い声。
「あれぐらいのシュートなら止めるだろ」
反して鹿嶋少年は首を横に振る。
零れたボールに両チームが一斉に群がり、芥野がクリアする。
「確かに良いシュートだけど、全国レベルならいくらでもいるぜ?」
白組がボールを回して体制を整え、紅組が再びボールを奪いにかかる。一旦緊張が緩和したグラウンドを眺めつつ、鹿嶋少年は、なあ、と隣の男に同意を求めるが、頷きは戻らなかった。
「たいしたことないシュートなら、わざわざキーパーが前に出てくる必要はないんじゃないか?」
「ん?」
「シュートコースは把握していたようだし、十分な距離を取ってキャッチする事もできたはずだ」
「―つまり?」
鹿嶋少年は横から男を見る。キャップのひさしが作る影に隠れかけた目許は確かに笑っていた。
「茂森はかなりあのシュートを警戒していた。あれ以上の距離を取られると危険だと判断したんだろうな」
勿体振るなよ、と言う鹿嶋少年の抗議を男は受け流した。
「あの子のシュートにはかなりの回転がかかっている。恐らく手元でひどく加速してホップするんだろう」
「そうなる前に止めたってか」
ようやく男は頷いた。
「強敵がいたもんだな?イチ」
「・・・」
頬を膨らませた鹿嶋少年は再び試合に視を戻した。再び白組ゴール前は混戦状態となっている。お互いに零したボールを奪い合って、紅組が幾度とゴールを割りかけるがDF二人とGKで防ぎ、その零れた球をまた奪い合う、その繰り返しだ。
 そんな中で、ふとした切っ掛けで羽鳥の注意が鴨崎から逸れた。団子状態になった集団の中から鴨崎が横に飛び出す。
「正田!」
 呼ばれた正田が顔を上げる。小野寺の執拗なマークから逃れ、要の指先が示す方向へ無我夢中でボールを送った。
「っくそ」
 不意を突かれた小野寺が毒づく。鴨崎がシュートに来ると読み、あえて追いかけずにシュートコースを読もうと背後の茂森を気にしながらその場を動く。代わりに鴨崎を追い飛び出す羽鳥。
「よっ…」
 巧みに体を回転させて振り切り、鴨崎はゴール前の人波を迂回した。緞帳が開くように視界が開け、構える茂森と正面で目が合った。シュート体勢に入ると同時に、
「へへ」
 鴨崎の口元が笑う。悪戯を仕掛ける子供のように。
 湿った土が飛び散り、白と黒のボールが蹴られた。高速回転がかかったボールは内回りのカーブを描く。茂森の体も合わせて左に動いた。
「であっ!」
 その横から飛び出す白い影。
「!!」
 初めから鴨崎の動きを見ていた小野寺だった。ピンポン球のように小柄な体を弾ませてボールの軌跡に飛びつく。茂森の元にボールが達する直前、小野寺の伸ばした足先がボールを弾いた。
 止めた!
 小野寺の顔に刹那の安堵が浮かんだ直後、左から右に紅いゼッケンが走りぬける。
「四……っ!」
 気がついた茂森がその名を口にするより速く、小野寺が弾いたボールを奪い取った要が左に動いていた茂森の右側へ、そのままボールを押し込めた。
「あぁっ!?」
「やったああ!」
 小野寺と鴨崎の対照的な声が同時に上がり、ネットが揺れる。
「……」
 そしてボールは目を見開く茂森の足元に、弱々しく転がった。
 スコアボードの数字が変わる。1対1。
「よしっ!」
「ふいー…」
 紅組の面々は歓喜するよりも安堵を面持ちに浮かべて息を吐く。その中で鴨崎は一人飛び上がって喜んでいる。
 ゴールを割られた茂森は表情を変えずにボールを拾い上げる。
 振り返ったところで、深い呼吸をしている要と目が合った。
「………」
 喜ぶでもなく、安堵するでもなく、要はじっとその視線を受け止めた。そして不意に目の前の顔が、
「ナイスゴール」
 と微笑んで、そこでようやく要は次の表情を見せる。
「感謝なんてしてねーからな」
 憮然とした顔で茂森に告ぐ。
「ん?」と目を丸くしてから、茂森は「ああ」と思い出したように口を開いた。
「という事は、分かってくれたみたいだね」
「んな…」
 しまった、と要は口元を歪める。
「とにかく、最低あと二点はとってやるからな」
 顔が赤くなる前にさっさとそう言い捨てて、要は自陣地へきびすを返した。途中で鴨崎が飛びついて来たので「やめろよ」と引き剥がす。
「久々に四条のゴールを見たな~」
 さほど悔しげな顔を見せない芥野が、小野寺の方に歩み寄る。尻餅をついたままの小柄な彼に「大丈夫か」と手を伸ばすが、小野寺は自分で立ち上がる。俯いた面持ちは、悔しそうに歪められている。
「ごめん……俺が余計な事したから…」
 強く握られた両手。自分が突っ込まなくても、茂森は鴨崎のシュートを受け止めていただろう。鴨崎に抜かれた事でヤケになっていたのだと、小野寺は唇を噛んだ。
「ナイスセーブ。あれはしょうがないよ」
「……」
「鴨崎のボール、あの距離だと俺も弾くのがやっとだったと思う」
 茂森の説明に、小野寺は顔を上げた。
「左から清水寺が来ていたから、弾いたところをヘディングで押し込まれていたかもしれない」
「え、そうなんだ…」
 清水寺の動きも、小野寺には見えていなかった。
「俺のコーチングも不十分だった」
 茂森はわずかに目を伏せた。己に言い聞かせているように。
 鴨崎のシュートコースを読む事に手いっぱいで、DF達に声をかける余裕がなかったのだ。
「よし」
 と顔を上げた茂森は明るい笑みを見せた。
「最初に戻っただけだ。頑張ろう」
 落ち込みかけた小野寺に発破をかけ、
「勝ち越しに行くぞ!」
 遠巻きにこちらを気に遣っていた二軍のMF、FWの面々に向けて手を振った。
「………」
 奮起する白組の声を背に、要は口元を引き締めた。勝ちにいける確かな手ごたえを拳の中に握りこむ。何より、茂森からゴールを奪った瞬間に内心で込み上げた興奮が、まだ息衝いている。
「気合はいってきたあー!」
 興奮をそのままテンションに替えて外に出すタイプの鴨崎は、先ほどから一人で「おっしゃー」だの「うしっ」だの気合を入れて落ち着かない。だが他の紅組の面々も、反応は違えどそれぞれが集中力を高めて来ている様子が分かる。
「良いゲームですね」
 ホイッスルを口に含む前に、泉谷コーチは西浦に声をかけた。
 関東の仁王はあまり表情を変えず、だが確かな手ごたえと共に大きく頷いた。

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guardians13
13

 高らかにホイッスルが鳴った。
 直後、いくつもの声が同時に青天へ突き抜ける。
 見学者席の小学生達、ファンの少女達。
 そして、
「おっしゃ勝ったああああああああああっ!!!」
 紅組エース鴨崎の声、
「っきしょおおおーーーーーーーーーーー!!!」
 白組DF小野寺の声、
「疲れた……」
「っしゃああ!」
 安堵したり、歓喜する紅組の面々、そして、
「…………」
健闘したがやはり及ばなかった白組の面々の、言葉にならない声やため息。
スコアボードは3対2を示していた。
「ナイスゲーム!」
 見学者席から声が上がる。
 鹿嶋少年の隣にいる男だ。長身が長い両腕を前に出してゆったりとした拍手を送っている。渋々、照れながらそれに倣う鹿嶋少年、そして他の見学者達からも拍手が続いた。
 前半は1対1で折り返した。後半、とにかく紅組はファウルを辞さない勢いで白組を攻め立てた。白組前衛陣も当初は冷静に対応し踏ん張るが、時間の経過と共に紅組の怒涛の攻めにリズムを崩される。
 後半の中盤、調子を崩された白組の前衛が茂森の視界を塞いだポジショニングをとってしまい、茂森が一瞬ボールの行方を見失った隙にゴールを許して1対2。そのまま競り合いを続けた中で、鴨崎のシュートをキャッチした茂森のカウンターにより再び白組が得点し2対2。PK戦にもつれこんでしまっては圧倒的に不利と判断した紅組は、更に攻撃姿勢を強めて五人がファウルの警告をくらいながらも、白組を圧倒する。そして終了間際に紅組FWの三人が、同時に茂森に体当たりする勢いでボールを押し込んで2対3。
試合終了となった。
(フルタイム出場した時より疲れた………)
 空を仰いで、要は深く長い息を吐いた。喉の奥が乾いて声が枯れている。前後左右にとにかく走り回り、あらん限りの声で指示を叫びまくったのだから。疲労が、頭の先から体の芯を通ってつま先まで、ドロドロと緩慢に流れているような感覚。
 早くすべて洗い流してしまいたい。
 周囲で上がる様々な歓声を遠くに聞きながら、要は固い瞬きを三度繰り返した。瞼の上を汗が通り過ぎていく。
 おそらく紅組のシュート数は白組の三倍以上。にも関わらずたった一点差。結果的に辛うじて勝ったものの、素直に歓喜する気にはならなかった。それに、茂森からの言葉が無ければ、方向を見失い続けたままズルズルと負けていたかもしれないのだ。
 五円玉を例にとった話。無駄に広がる視界をあえて狭めて不必要な情報をシャットアウトする事で、本来の標的周辺が鮮明に見えてくる。その感覚が、何となく分かってきた。
「ぁ…」
 そういえば、と我に返った。顔を振って汗を飛ばし、ゴール前を見る。正に「団子」になった状態で、ゴールの中で上から鴨崎、根岸、清水寺、そして茂森が転がっているのが見えた。
「バカモ重いーーー!」
「フォアグラ早くどけっ!」
「ぐるじぃ……」
 三人の先輩を尻に敷いたまま喜んでいた鴨崎は、
「わわわわわ、ごめんなさいいいいいい!!」
 ようやく自分がどこに乗っかっているのかを自覚する。慌てて飛びのいて、下敷きになっていた三人の先輩の救出作業を始めた。他のメンバー達もゴール前に駆け寄ってくる。要もその方向に歩み寄った。
「フォアグラって、オレって高級って事っすか?」と相変わらず馬鹿全開な事を言っている鴨崎の脇を通り過ぎる際、
「バーカ。フォアグラつったらブクブクに太らされた鴨の脂肪肝の事だ」
 と言い残す。
「ええ!!オレ体脂肪率一桁キープしてるのに!!!やっぱりヒデみたいに5%以下目指さないとダメっすか!!??」
 という鴨崎の嘆きを無視して要は茂森の様子を覗き込んだ。
「いってー…」
 折り重なっていた根岸と清水寺の体からようやく解放された茂森が、ゴールの中に座ったまま上半身についた砂をはたいている。
「どっか打ったか?」
 すぐに立ち上がらない彼に、要は上から呼びかけた。頭についた砂を拭き取りながら、茂森が見上げてくる。すぐに「いや、平気」と笑みが戻ってきた。そしてすぐに苦笑に変わる。
「実は疲れて立てない」
「またか」
 試合の後に茂森がグロッキーになるのは有名だ。立てなくなるまで全力を出し尽くす。「負ける事より後悔する事の方が嫌だ」と、いつかのインタビューに答えていたほどだ。だが練習中の紅白戦にまでこの状態になるのは初めてではないだろうか。しかも実際の試合時間よりも短いのに。
「さっきはごめんな。大丈夫かよ」
 隣から、要に代わって長身の清水寺が茂森の腕を引っ張り上げる。立ち上がったものの、平衡感覚が定かでないのか、一歩ふらついた。
(試合中ほとんどずっとゴール前で気ぃ張って動き回ってたからな……)
 ゴールポストに手をついて俯く茂森の様子を、要は黙って見つめる。気の利いた言葉も、気遣う言葉も思い浮かんでこない。お互いに、疲労のために酸素が足りなくて頭の中が真っ白なのだ。
「キャプテンすみません、痛かったっすか?」
「どこかケガしてませんか」
 鴨崎と根岸もやってくる。
 本心から心配する後輩二人にも同じ笑顔で、茂森は「平気」と応える。
「おーい、大丈夫か?」
 センターライン付近から、試合終了後二度目のホイッスルと、審判役の泉谷コーチから声がかかった。試合終了後の挨拶が終わっていない。幾人かは既に整列ライン上にいて、こちらを見遣っている。
「すみません、今いきますー」
 言って茂森が歩き出すのに伴い、要達もセンターへ並んだ。
 二つのチームが向かい合って二列に並び、その端に監督が立った。いつもの強面を崩すことなく、集まった部員達の顔に視線を一巡させた。
 また何か怒鳴られるのか。部員達は内心で恐々と監督の様子を伺う。ざわめいていた見学者席も静かになった。
「問題点、課題がはっきり浮き彫りになったな。反省すべき点が山ほどある。各々自覚していると思うが」
 静かだが、低くてよく響く声が降りる。部員達は各々が違う表情で監督の声を聞いていた。目を伏せる者、じっと目を見つめている者、目を閉じている者。要の正面に立つ茂森は、顔ごと監督を見つめていた。要も、わずかに顔を動かして監督に視をやる事にした。
「だがそれは、この新しいチームの方向性、道筋にはっきりと光が照らされたという事だ」
 この監督には珍しく詩的な物言いに、部員達は「おや」と目を丸くし、顔を上げた。あまり表情の変わらない監督の口が、確かに笑みの形を作っている。
「今日は良い試合だった」
 西浦の後ろで、コーチ達も頷いている。おもむろに西浦は首にかけていたホイッスルを吹き、両手で礼を促した。
「ぁりがとうございましたあ!」
 紅いゼッケンと白いゼッケンがお互いに礼を交わす。見学者席から再び拍手が沸いた。
「……」
 顔を上げた要の視界に、ほぼ同時に顔を上げた茂森の顔が映った。
「……お疲れ様」
「……ぁぁ…」
 途切れた言葉と共に生まれた微妙な空気。
 その間に割って入るようにコーチから次の指示が飛んだ。
「試合に参加していないメンバーで後片付けを開始してくれー。試合をしたメンバーは軽くミーティングをするから、十五分休憩した後でベンチ脇に集合な」
 ベンチの方向から「はーい」と声が上がる。他のコーチは見学者達に向けて見学会が終了する旨を説明し、来場の礼を述べていた。
 見学に来ていたジュニアリーグの関係者らしき人間達が、挨拶にきたコーチへ色々と質問を投げかけている。それを横目に、男は傍らの鹿嶋少年を呼んだ。
「どうだイチ、お前がもうすぐお世話になるチームの印象は」
 試合の後半からずっと両手を組んだ姿勢のまま身動ぎしなかった鹿嶋少年は、そこでようやく両手を解した。それを頭上で組みなおす。
「―悪くないんじゃねぇ…かな。ゲーム、面白かったし」
 唇を尖らせた、素直じゃない少年の物言いを笑って男は「そうだな」と肯定した。
「面白いゲームは、良いゲームだ」
 そこで男は視線を見学者席にいる小学生達に向ける。まだ誰も帰ろうとせず、フェンス付近に近寄って、休憩する部員達の様子を眺めていた。「面白かった」とか「凄かった」という、言葉は稚拙だが素直な感動が聞こえてくる。
「面白いスターを抱えたもんだな、西浦さん」
「ん?」
 いつもと異なる口調でつぶやく男を、鹿嶋少年は振り返る。目深に被ったキャップのツバを押し上げながら、「なんでもないよ。帰るか」とはぐらかす笑顔が戻ってきた。
「だなー」
 と頷いて鹿嶋少年は、最後にもう一度グラウンドを振り返る。休憩を言い渡された部員達が疲労した様子でグラウンドの中央から捌けて行くところだった。
「喉かわいたー」
「俺は腹減った」
「うへ、気持ち悪くて食欲ねーよ」
 いつものように、要の元へ芥野と清水寺がやってくる。汗で変色したゼッケンを脱いで、回収にやってきたマネージャーに手渡す。
「キャプテン、センパイ、おつかれさまーっす!喉渇いて腹減ってる時はアイスですよ!後で買いにいきましょーよー!」
 相変わらずテンションが高い鴨崎が根岸と小野寺を伴って近づいてくる。「なんでだよ」と要は表情をしかめるが、鴨崎は一向に気にしない。
「冬のアイスは美味いよな」
 と変に同調する茂森へ表情を輝かせて「ですよねですよね、風呂上りも最高ですよね」から始まって何アイスが美味しいか談義になっていく。
「あの…」
 話の途中で声がかかり、要達は背後を振り返る。そこに、寺野を中心とした白組の面々がいた。
「えっと、その」
 言葉を出しあぐねている寺野に、要は目を細めた。
「どうした?お前も『どのアイスが美味しいか』議論に参加するのか?」
「違うって。それも楽しそうだけど」
 要の言葉に苦笑した寺野。固くなっていた表情が崩れた。
「どうしても、言いたい事があって」
 畏まった寺野達に、要を始めとする一軍の面々は目を丸くする。
(後半以降、ちょっとやり過ぎたかな……)
 内心で要はじっとりとした汗を流す。勝ちに行く為に手荒いプレイを重ねて、ファウルの数も白組の三倍以上とっていた。紅組の誰もが「本気」モードになっていたのだ。その事を抗議されるのではないかと、要は疲れた頭で言い訳を考えた。
「言いたいこと?」
 促され、ぽつりぽつりと寺野が語りだした。
「最初、一軍対二軍のチーム構成になるって聞いたとき、二軍チームに入れられて茂森も芥野も小野寺も…本気になってくれないんじゃないかって思ってたんだ」
 視線がどこを向いて良いのかわからず、周囲に立つ面々の間を泳いでいる。
「だから一軍チームにも適当にやられちゃうんだろうなって思ってて」
「………」
 黙りこんだ面々に向けて、寺野は「一年生の時にさ」と言葉を継いだ。懸命に考えて用意していたのだろう。
「一軍の先輩達に言われたことがあるんだ」
『ヘタクソのお守りなんてしてらんねーよ』
 一軍と二軍の合同練習でミニゲームを行った時の事だった。要も、よく覚えている。
「それがずっと忘れられなくて…せっかく頑張って受かった桐嬰なのに、その一軍がこんな人たちなのかってがっかりしちゃってさ……」
 今回のゲームでも、一軍の皆が過去の先輩らと同じこと考えていたらどうしよう。
 白組二年生の胸の内には同じ思いがあった。
「あと、もう、この際正直に言っちゃうけど」
 ここで寺野の視線が要を見た。
「え、俺?」と思わず要は顔を退く。
「四条が副キャプテンって聞いたときに、「ああ、今年もダメなのかな」って思ったんだ」
 話を聞いて唖然とする面々の視線が、恐る恐る要を向いた。
「ほんとにぶっちゃけたな。俺も同感だけどさ」
 腕を胸の前で組んだ要は、苦笑する。
「四条って、涼しいカオして何でもこなすし……同学年の中で、初めてスタメンに使われたのが、茂森の次に早かったろ?」
 二年生の春大会。一回きりの代役だったが。
「―そうだっけ?」
 要自身は覚えていない。
「ほら、そういうところも」
「い?」
「だから、いくらやっても上手くなれない俺の事とか…二軍の事を気にもかけないんだろうって思ってた」
「うはは、めちゃくちゃ人望ねーなお前」
「ウケる」と清水寺が笑って要の背中を叩いた。その隣で芥野も、
「無いとは思っていたが、そこまでとはなあ」
「天晴れだ」と爽やかな笑みでそう言ってのける。
「………」
 我ながら全てにおいて同感であるが、さすがに要は目を細めて苦笑するしかない。
 さすがに鴨崎や小野寺達は軽口を忘れて、寺野達と要達の間で視線を泳がせ、他の面々も目を伏せていた。
 そんな中で、
「『思ってた』、んだろ?」
 茂森の表情だけが穏やかなのを要は見た。
 視線で寺野に続きを促して茂森は口をつぐむ。背中を押されるように寺野は再び口を開いた。
「でも、今日のゲーム、みんなすごい本気になってくれてびっくりした。茂森も芥野も小野寺も、二軍チームなのに勝つつもりで本気になってくれて…紅組も、四条が初めて見るような怖い顔してたし、他のみんなも容赦なくて」
 そんな凄いカオしてたんだろうか。
 思わず要は自分の頬に手をあてた。
「だから俺らも精一杯やれたから、嬉しかったし、楽しかった。とにかく、それが言いたくて」
 言い終えて満足した寺野が、力の抜けた笑顔になった。一緒にいる二軍の面々も、同じように和らいだ表情を見せていた。
「………」
 首の後ろが熱くなって、要は寺野から視を逸らした。
(それは、逆だ)
 要がムキになったのは、茂森ら一軍の三人と、寺野を中心によく組織された二軍達の思いがけない動きの良さのせい。頭の中が真っ白になるぐらい全力を出せたのも、白組のおかげなのだ。
 それをどう説明しようか、要が言葉に迷っていると、
「もー、寺野センパイ何言っちゃってるんすか!!!」
 言葉よりも体で表現する鴨崎が、大きな両目を輝かせて寺野に飛びついた。
「だって白組、超強かったっすよ!先取点取られたときに俺、泣きそうになりましたもん」
 その時の気持ちを思い出したのか、鴨崎は幼稚園児のように口を膨らました。
「重たいって」と鴨崎を引き剥がしながら、寺野は茂森と要を交互に見た。
「とにかく今は、今のキャプテンと副キャプテンのチームでなら、俺、もっともっと頑張ろうって思う、よ」
「………」
 ―あ。
 要は頭の中で何かが弾けるのを感じた。
(認めてくれたって事、か?)
 副キャプテンとして。
 首の後ろで生まれたむず痒い熱が、脊髄や神経を通って前進に波立つのが感じられる。条件反射で肩がぶるりと震えた。
「………」
 ぎこちなく、要は茂森の方を見る。
「………」
 彼もまた、驚いたような顔をして、要の方を見た。
 無言の視線が交差する。
 その合間に割り込んで、
「ほーらー、やっぱり!さすが俺っす!」
 鴨崎がタオルを持った手でビシッっと前方を指差した。その場にいる全員が何事かと目を丸くする。
(またこのバカは何を言い出すんだ)
 要は疲労の残った顔で鴨崎の様子を見守った。
「でも寺野センパイ、残念ながらちょ~っと気付くのが遅いっすよ~~」
 ちっちっ、と人差し指を左右に揺らす仕草で寺野に詰め寄る鴨崎。さすがの寺野も、このテンションに少々ひいていた。
「え?」
「俺なんてもう三日前に『このチーム大好き宣言』してるんですから!」
「何だそれ??」
「しかも『キャプテンと副キャプテン大好き宣言』もしてるんですよ!」
「「だから何なんだそれは!!?」」
 複数の声によるツッコミを受けた鴨崎は「ね、センパイ」と要を振り向いた。答えを求める複数の視線も一斉に要を振り向く。
「え!?」
 おそらく夜練グラウンドで交わした言葉の事を指しているのであろうが、それを最初から説明する気力は、今の要に残っていなかった。
「まあなんだ。その。ポツダム宣言みたいなものだと思えばいいんじゃないか」
 いくない。
 だがどうにも要には説明のしようがないのだ。
 そんな時、背後から神のが救いの手を差し伸べるが如く、監督から「ミーティングするぞ!」と声が飛んできたのであった。
 そしてその三十分後―
「解散!」
 と監督の口が告げる。
 心身ともに疲れている時に聞くこの言葉は、これもさながら神の声だ。
試合の反省会と、今後のスケジュールについての説明を終えて、この日のメニューは全て消化された。この時点で見学者のほとんどは帰っている。
「ドロドロだ~」
「早くシャワーいこうぜ」
 紅白戦に出た面々は口々にそう言いながら、まばらにグラウンドを去っていく。要も、いつものように芥野や清水寺と共にグラウンドを横切った。歩道へ続く出口付近では、残っている見学者達から試合に出た部員達に声がかかっている。
「お疲れ様です」
「ゲーム面白かったです」
 という小学生や、女子の集団。そして、
「茂森君」
「―はい?」
 茂森を呼び止めた、サングラスの男。他の見学者達の中で一人だけ異彩を放っている雰囲気に、通り過ぎる部員達がみな不思議そうに視線をやっていた。
「あ、さっきの英会話男だ」
 清水寺が気付き、要も振り向いた。自然な動作でサングラスを外した男が、呼び止めた茂森に話しかけている。ホメ言葉から入っているらしく、茂森は照れくさそうに男の言葉にただ頷いていたが、次第にその表情が堅くなって行くのが分かる。離れた場所から、監督やコーチ達が、その様子を窺っていた。
 三分としないうちに、男は茂森に何かを手渡すと足早に去っていってしまった。残されたキーパーユニフォームの背中が、何やら手元を見ている。
(名刺でも渡されたのか?)
 茂森の側を通り過ぎる際に要が軽く覗き込むと、
「―あ」
 ちょうど振り返った茂森と目が合った。
 要の予想通り、グローブを外した茂森の手が、白く四角い紙を持っていた。
「お、お疲れ…」
 ぎこちなく笑い返しながら、茂森はさりげなく手にしたそれをポケットに差し込んだ。この流れから行くと、またこちらから夕飯に誘うべきなのだろうか。要が一瞬迷っていると、
「あのー」
 背後から声がかかった。振り向くと、白地にピンクストライプの揃いのスエットを来た少女達。見学者の中で、あのサングラス男とは違う意味で目立っていた集団だ。
 振り向き様に、携帯電話カメラのシャッター音が連続した。
「試合、すごかったですー!」
「かっこよかったー!」
 鼓膜に悪い黄色い声。律儀に「ありがとうございます」と礼を言おうとする茂森をも遮る勢いで、少女達は一方的に黄色い言葉のシャワーを茂森や要達に浴びせる。
「……」
「……」
 要達はひたすら嵐が過ぎるのを待った。
 しばらくして気がすんだのか、
「これからもがんばってください!」
 と少女達は自己完結して去っていく。
「―お前ら、あれでもモテたいと思うか?」
 その後ろ姿を見送りながら要が問うと、両側に立つ芥野と清水寺から「いやあ~…」と煮え切らない返事が漂う。
「あははは。元気だよね、ああいう人たちって。あ、そういえばさ」
笑いながら少女達を見送った茂森が振り返る。
「シャワーあびたら、皆でアイス買いに行くみたいだよ」
と更衣室の方を指差した。
「あの話まだ続いてたのか」
おおかた鴨崎が先頭に立っているのだろう。気分が落ち着いた今、確かに要も体が甘い物を欲している事に気が付く。
「俺らも行くか」
呟いて、要は先を歩き出した。

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guardians14
14

 夜の寮、消灯時間まで一時間をきった頃、要はパソコン室へとやってきた。
さすがに疲れて体が鉛のように重たい。夜行性の要には珍しく、小学生が寝るような時間で既に意識が泥に足を半分踏み入れていた。
 今日はさっさとメールやニュースをチェックして寝てしまおう。
 そう思ってやってくると、
「?」
 珍しく一台の端末を囲んで数人が盛り上がっている光景に出くわした。見れば、 サッカー部の面々だ。
「あ、先輩」
 目ざとく要に気がついた一人が手招きしてくる。
「何見てんだ?」
 規制がかけられている為、当然アダルトの類は閲覧する事はできない。ただ、今時の子供がアダルトサイトごときでこうして盛り上がるのかどうかはまた別の議論だが。
「こういうのがあるって知ってました?」
 後輩が指差す画面の中は、目がくらむようなピンクやら黄色やその他パステルカラーが支配していた。水玉のイラストパーツがあしらわれた、どうやらブログのようだ。一目で女が作ったと分かる。本文パートは活字に混じり様々な絵文字が狂い咲いていた。
「目に悪いブログだな」
「まあまあ、これ見てみろよ」
 中央に座ってマウスを動かしていたのは正田だった。画面がスクロールされて下から現れた、一枚の写真。
「ああ!!」
 思わず叫んでいた。
 紛れも無い、その写真には、自分を真ん中に、茂森、芥野、そして清水寺が写っている。四人とも視線がバラバラだ。振り向きざま、少女達に撮られた時のものに違いなかった。
「な、な・・・」
 正田の手からマウスを失敬し、要は画面をスクロールさせる。
「『残念ながらカズシくんのチームは負けちゃったケド、でもでも、一軍対二軍で一点差はサスガってとこだよね』」
「『なにやら真剣なカオで議論中のカズシくんたち。今日の反省会かな?』」
「『なんと、カズシくんたちを至近距離からの激写に大成功!左から、カズシくん、四条くん、芥野くん、清水寺くん。近くでみると、四条くん以外はおっきかった』」
「って何だこれ!?」
 画面に映る文章を後輩達がおどけて朗読する。
「カズシくんカズシくん連呼ですね」
「『四条くん以外はおっきかった』ってウケるんですけど」
 忙しなくマウスのホイールを回してみると、次々と写真が現れる。いつの間に撮ったのか、試合中のメンバー達のありとあらゆる場面が写されていた。写真の下にはそれぞれ説明文がついていて、恐ろしい事に紅組・白組双方のメンバー名とポジションを全て把握していた。
「この管理人の辞書に「肖像権」って文字はないのか……」
 呟きながら他の記事も手当たり次第にクリックしてみる。
 過去の公式戦ばかりか、他校との練習試合の様子を報告した写真と記事までがずらりとアーカイブに名を連ねている。
 さらにこのブログのみならず、別サイトもあるようで、そこでは他の地域に住んでいるらしきファン仲間による、それぞれが追いかける学生チームのファンブログのリンクが充実している。
「すげーなコレ…」
 要がマウスから手を離す。
「まるっきりアイドルファンと同じなんだな」
「いや、でもよく見るとそうでもなくてさ」
 要の言葉をやんわりと否定した正田は、再びマウスを握って画面を動かし始める。最新記事である今日の紅白戦レビューを開いた。
「今日、反省会で俺達が監督に指摘された事とか、ほとんどそれに当てはまる事を書いてるんだよ」
「え…?」
「ここ読んでみ」と示された画面に、要は顔を近づける。
「『後半十五分、芥野君が良い感じで四条君のセンタリング(ちょっと焦ってタイミングに無理があったかな?)をカットしたんだけど、寺野君や一年生達が焦っちゃったのかな~。ボールの動きにつられちゃって、キーパーの視界を塞いでしまった!小野寺君がカバーに動いて(略)』―、本当だ…」
 文章を口にして、要は息を飲み込んだ。FWがフリーになった時に焦りが生じていた事も、見抜かれている。
 躍り狂う絵文字に気をとられそうになるが、冷静に読んでみれば、試合の様子が時系列に並んで細かく解説されているのが分かる。しかも、記事についている他ファンのコメントを読めば、「**君がかわいい☆」だの「かっこいい♪」といった言葉に紛れて鋭い指摘が光る内容だ。
「これだけの事が書けるんだから、サッカー経験者なんじゃねーのかな」
 正田の言葉を聞きながら、要は見学者席にいた女子集団の様子を思い出す。揃いのスエットを着ていたが、どこぞのチームユニフォームには見えなかった。格好を真似ただけのファン集団だと思っていた。
「でも、熱心なファンってこういうもんじゃねえの?」
 と言いつつもこっそりURLを覚えてから、「そうかなー」と言う正田を横目に要は端末から体を離した。
「中坊サッカーに熱烈なファンってのもどうかと思うけどさ」
 別の端末の前に座り、日課となっているメールチェックやらに取り掛かる。
「このブログだけじゃないんだぜ」
 と、背中を向けたままの正田。お互いにパソコンとネット好きのため、要とはよくその手の話題で盛り上がる相手なのだ。正田の話によれば、特にサッカー、野球、フィギュアスケート等の日本人が世界レベルで活躍できる競技でジュニア世代を応援するファンが増えているのだとか。ファンの質も、経験者から、単純にアイドル視しているものまで様々だという。
「ふーん」
 よく見つけたものだ。感心しつつ要は先ほど諳んじたURLから、再度同じブログにアクセスする。ロードが遅いのは、やはり大量の写真や絵文字のせいなのか。少し苛立ちつつも、記事のバックナンバーを見る。最も古いのは二年前の春。タイトルは「ブログはじめました」。そしてその次が「関東に大型新人現る!」で、内容は見るまでもなく茂森の紹介だった。
 これを見る限り、元は茂森のファンブログとして始まったようだ。バックナンバーを遡ってみると、茂森が出場した試合の報告記事に混じり、次第に他校の選手を扱う内容が増えて、現在に至っている。
 アーカイブの中で目を引くタイトルがある。
『U-14イギリス親善試合』
このところ、やけに縁がある言葉だ。指が自然にそのタイトルをクリックしていた。開いた記事はやはり茂森が代表として出場したあの国際試合で、さすがに資料が少なかったのか、写真はなく文字だけだ。日本とイギリス双方の選抜チームメンバー一覧表が載っている。
 イギリス選抜メンバーの中に、要の意識を縫い付けた名があった。

#9 Souji Ren Asamiya

「日本人か?ソウジ………?」
 思い浮かんだのは、練習場で出会ったハーフのような外貌の少年。
「まさか」
 そんな短絡的な事があってたまるか。己の発想を否定し、だがどうしても確認したくなり席を立つ。壁の棚から、つい先日見たDVDを手に取り席に戻る。パソコンで再生させて番組冒頭を早送りで飛ばし、イギリス選抜スターティングメンバーがテロップで表示されたところでポーズした。
 そこに、ソウジ・レン・アサミヤの名前はない。
(あれ?)
 拍子抜けして再生ボタンを押して先に進めると、ベンチが映った。イギリスチームの監督、コーチや控えの選手が見える。
「あ…の女!」
 また驚きのあまり口から声が出た。そこに、イギリスチームのスタジアムジャンパーを羽織った美人がいる。ソウジの隣にいた美女だ。一瞬表示されたテロップには、

Coach Kaoruko Maya Asamiya

とあった。
「Coa…コーチ?」
 驚きはだいぶ収まったが、今はただ感嘆に似た息が口をついて出る。
そしてカメラは監督を映してテロップで無言の紹介をしたあと、背後に座る三人の控え選手を映し出す。その一人が、要の見たソウジだった。怪我でもしたのだろうか。
「へえ」
何に感心したのか分からないが、要は長いため息と共に画面から顔を離した。
(茂森…イギリスからも追っかけが来るなんてすげーな)
 ぼんやりとそう考えながら映像を早送りしたが、それきりアサミヤ姉弟は画面に映らなかった。どうりで談話室で観た時は気が付かなかったはずだ。
DVDの再生を止めて、二人の名前を検索してみる。英語によるニュース記事と、 イギリスのクラブチームのサイトらしきページが引っ掛かる。
「読めないし」
対訳ソフトを使ったところで意味不明の訳しか出てこないだろうし、これから辞書を引っ張り出して来て読む気力はない。気にはなるが、気にするべき事ではない。そう結論づけて要はブラウザを閉じた。背後ではまだ正田達が騒いでいる。既に先程のサイトから話題は別の事に移っているようだった。
 要が部屋に戻る途中、尻ポケットに入れていた携帯電話が鳴った。
『カナ兄、明日練習休みよね??』
 でるなり挨拶なしにそう切り出してくる。哉子だ。
「そうだけど?」
 何でも、県内に住んでいる伯父を見舞ってほしいと、実家から連絡があったというのだ。
『おじさん、最近まで入院してたらしいのよ。母さんから連絡があったの。退院したみたいだから、お見舞いにいかない?』
「入院してたのか。聞いてなかったぞ?もちろん行く」
 要は決して、伯父に関してNOとは言えない。
『そう言うだろうと思った。じゃあ、明日十時に正門前でね』
 手早く明日の約束を済ませ、電話を切る。通話の切れた携帯電話のディスプレイを眺めたまま、要はしばし廊下に立ち止まる。
(伯父さん…そういえばここ数日メール来てなかったしな……)
 無意識に親指がアドレス帳を開き、伯父のページを開いていた。
『間もなく消灯です』
「………」
 思案していた要の頭上で、今日もまたいつもと同じ、事務的なアナウンスが流れた。

 伯父の四条聡(さとし)宅は、学校からバス一本と電車を二本乗り継いだ場所にある新興住宅街にある。要の父の兄にあたり、本来は旅館の後継ぎであったが、大学から東京に進出しそのまま就職、今は大手機器メーカーにてそれなりの役職にいる。
 ギックリ腰かと思って病院にいったらヘルニアだったそうだ。
「主将に副キャプテンか!すごいじゃないか!」
 退院したもののまだ歩き方に不自然さが残る伯父の聡は、それでも二人の話を聞いて大いに喜んでくれた。
「まあ」
 と明るい声でキッチンから姿を表した義伯母。ケーキとお茶を出してくれた。ちなみに要と哉子が持って行った見舞い品は、果物である。
「あ…スポーツ選手だから、甘い物はいけなかったかしら?」
 義伯母の四条凛子は良妻を絵に描いたような穏やかで綺麗な女性で、哉子はよく「私も年を取ったらああなるんだ」と言っている。上品な趣味のインテリアは、彼女の趣味によるものだという。
「大丈夫ですよー、全部消化しちゃいますから!」
 と言っている時点で既に半分を平らげていた哉子は、テーブルに出されていたクッキーにも手を伸ばしていた。ゆったりとした柔らかい四人がけのソファと、一人がけのソファ二脚が、ガラステーブルを囲んでいる。
(よく食うなぁ……)
 カップを手に持ったまま、要は横目で妹の食欲を眺めた。
「カナちゃん、よく食べてくれるから作り甲斐があるわ~」
 満足そうに凛子は微笑んでいる。
 女同士の会話を横に、伯父はソファに背中を預けたまま要に向き直った。
「要が副キャプテンと言う事は、キャプテンは例の子なのかい?」
「例の子」。訊くまでもなく、茂森の事だ。入学して間もない頃、要が「チームに有名なGKのやつがいるんだ」と伯父に話した事があるからだ。
「うん、例のやつ」
「名前なんだっけ?」
「茂森。茂森一司」
「ああ、そうそう。茂森くんか。すごい選手なんだろ?そんなのと並んで副キャプテンなんて凄いじゃないか」
 聡は元々サッカーに詳しくなかったが、要の話に興味を示してくれる。夫婦の間に子供がいない事もあり、関東で要たちの親代わりとして可愛がってくれていた。
「そうだそうだ、あの子はどうしてる?ほら、一年生で上手な子が入ってきたって言っていただろう。キジ鍋くんだっけ?」
 鴨崎のことだろう。
「エースに育てるって監督が言ってた」
 苦笑しながら要が答えると、「ほほー」と感心した声を洩らして聡は目を細くした。
「ちなみに、鴨崎な」
「そうそう、鴨スキくん」
 違うし。
 気にした様子もなく、聡は「あの子はどうした、あの試合はどうなった」、と次々と要に質問を向ける。。
「おじさん、どうしてサッカー部の事そんなに詳しいの?」
 凛子とお菓子について語り合っていた哉子が、ふと男二人の会話を耳にして口を挟んできた。
「私達メル友だから」
 要が説明する前に、聡が白い歯を見せて答える。よく会社のアドレスから要の元にメールが届く事があり、要もまた、折を見ては携帯やパソコンから聡に返事を出していた。
「そうそう、最近この近くに「スポーツポート」っていうのができてね」
 ひとしきりサッカー部の話をした後で、聡が話題を変えた。
「スポーツポート」は、新興住宅エリアの呼び物にしようと、区が各スポーツ関係企業を誘致して作った大規模なスポーツアミューズメントエリアだ。各種室内・屋内コートやプレイグラウンドを有したスポーツクラブや、スポーツ用品店を集めたモールなどがある。「心も体も健康タウン」を標語にした区が総力をかけて作り上げた一大プロジェクトなのだ。
「へ~、面白そう!帰りに寄ってこうよカナ兄」
 すっかりケーキを平らげた哉子。どうやら体を動かしたい気分らしい。
「ぜひそうするといい。店も充実しているみたいだし」
 言いながら聡は懐から二通の封筒を取り出した。それを二人に向けて、テーブルの上に差し出す。
「必要なものとか欲しいものを、そこで買って行きなさい」
 要と哉子は、同時に首を横に振った。
「ありがとう。でもいらないよ。この間も、送ってもらったばかりだし」
「子供が変に気を遣うと可愛くないぞ。小遣いみたいなものだから遠慮するな」
 笑って聡は封筒を手に取り、改めて要と哉子に差し出した。凛子は何も言わず、微笑みの表情のまま三人の様子を見守っている。
「……」
「……」
 目を見合わせて困った顔をする双子。
「まだ反対されてるんだろ?」
 聡はそんな二人の顔を、覗きこむ。
 四条家の親戚一同は、長男である要がサッカーを続ける事を快く思っていない。四条家一同が、双子を関西圏内の名門に進学させようとしていた事を、聡は知っていた。その学校に弓道部はあってもサッカー部が無い事も。
「うん…、まあ…ね」
 要は苦笑して声調を落とした。
 首都圏内に住む聡を頼って保護者に立て、強引に桐嬰へ入学を決めた要と、「カナ兄と一緒がいい」とついていった哉子の「暴挙」を、親戚達はまだ許していないのだ。「いちおう桐嬰も名門校だからヨシとしよう」と辛うじて生活費と学費は出してくれるものの、部活に関わる援助をしてもらえなかったのだ。それを全面的に工面してくれているのが、聡だった。
 だから要と哉子は、聡に決して頭が上がらない。
 それに、自分らのせいでこの伯父は「子供二人をたぶらかした」として、すっかり親戚一同から絶縁状態になっているのだから。
 唯一連絡をとっているのが双子の母親だった。
「おじさんは、罪滅ぼしでこういう事してるんじゃないんだぞ」
 渋る二人の手をとって、聡は強引に封筒を握らせた。
「確かに私は均に旅館押し付けて家出した…それは悪いと思っているし、さらに私は均と文枝さんを裏切ってしまったしね」
 均は双子の父親で、文枝は母親の名前だ。
 両親を裏切った聡の行為とは、双子を桐嬰に入学させた事の他ない。
「………ごめん、伯父さん……」
 それを強く頼んだのは要だった。
「でも、それとこれは話が全然違う」
 謝罪の言葉を口にする要に、聡は封筒を押し付けて手を離した。その面持ちはいつもと同じ、明るく穏やかだ。
「私は、君達二人を応援し続けたい。打ち込める何かがあるのは素晴らしい事だし、それを奪う権利は誰にも―たとえ親にだって、無い」
 同じ顔と目でじっとこちらを見つめる双子へ、聡は満面の笑みを見せた。
「せっかくこれまでの努力が実りつつあるんだ。頑張れ。それは、主将と副キャプテン就任祝いという事にしよう」
 それ、で聡は要と哉子の手に押し付けた封筒を指差す。聡の隣で、凛子がゆるりと頷いた。双子が見舞いにやってくると聞いて、前日の夜から用意していた物だった。
「カナ兄、有り難くいただこうよ」
 花柄のプリントがされた封筒を大事そうに撫でて、哉子は隣に座る要の顔を覗きこんだ。複雑な顔をしている要に「ね」ともう一度推して、
「おじさん、おばさんありがとう!いただきます!」
 と両手でもった封筒に軽く頭を下げた。
「じゃあ…使わせてもらい、ます」
 目を伏せて、要も封筒を手に改めて頭を下げる。
 聡と凛子は満足そうに頷いていた。

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guardians15
15

「桜台スポーツポート」は、主に親子連れを中心に賑わっていた。
 新興住宅街とあって、この町周辺には学校が多く、越してくる面々も就学児をもつ中流家庭が多数を占める。さらに最近では、定年を迎えたいわゆる「団塊の世代」組も多い。
「すっごーい、プール、テニスコート、バッティングセンター、スカッシュコートやスリーオンスリーコート、ほら、フットサルコートもあるよ!」
 入り口の案内図を見て、哉子が嬌声を上げる。
「すげー」
 要も驚きのあまり、ボキャブラリーが少なくなる。
 すぐ近くにある壁打ちテニスコーナーで、様々な年齢層の客が楽しんでいる姿が見えた。
 二人はまず、様々なスポーツ用品メーカーが出店しているという「スポーツショップモールエリア」を探索する。競技ごとにブロックが分かれており、サッカー、野球、バスケ等のメジャースポーツは勿論、バレエ、新体操といったアートスポーツの他、柔道、空手、剣道といった日本武術等、ありとあらゆるスポーツジャンルに対応したショップ構成になっていた。
「さすがにアーチェリーはあっても弓道は無いわね~。袴とかは売ってるみたいだけど」
 哉子は歩きながら案内マップを読んでいる。二人はまず「サッカーショップコーナー」を目指して歩いていた。さすがにメジャースポーツとあってショップ面積が広く、各プロチームやワールドカップチームのユニフォーム等、ファン向けの商品も豊富に取り揃えられていた。
「スパイクはどこにあんのかな…」
 天井からぶら下がる案内パネルを眺めていると、
「何かお探しですか?」
 と店員の男から声がかかった。胸元の名札に「ショップマネージャー酒井」と書かれている。店長という事か。要はスパイクを探している旨を伝える。
「お客様、部活動かクラブチームでサッカーをおやりですか?」
「え?はい、部活やってます」
 何故そんな事を訊くのだろうと思いつつ要が素直に答えると、店長は「ではこちらへどうぞ~」と店の奥を指し示して歩き出した。着いた先は、シューズコーナーで、世界中の様々なブランドのシューズが目移りするほどに展示されていた。
「うわ~、スパイクってみんな同じに見えると思ってたけど、こう見るといろいろあるんだあ」
 と後ろで哉子が関心した声を上げている。その様子に微笑んだ店長は、腰に差していた無線機のようなマイクを取り出した。
「詳しい店員がおりますので、お呼びしますね」
「あ、はい、どうも」と要が返事をするまでもなく、店長はマイクを口にあてていた。
「山本くん、シューズコーナーまでお願いします」
 呼びかけに対して二秒後、
『山本くん、向かわせました』
 と女性の声で返事があった。
「高校の部活でサッカーをしているという子で、いろいろ詳しいんですよ」
 言いながら、店長はマイクを腰にしまう。
「そうなんですか~、助かります~」
 何故か哉子が代わりに愛想の良い返事をしている。待っている間、要は店内を見渡していた。ここに来れば何でも揃いそうだ。学校からは遠いが、伯父宅を訪ねる時についでに寄るようにしよう。そんな事を考えていると、隣で店長の「あ、来ました来ました」という声。
「お待たせしました」
 との声に要が振り返ると、
「あ」
「あ」
「あ」
 見知った顔が、口を「あ」の形に開けてそこにいた。
 要と哉子も同様に、間の抜けた顔で口を開いたまま、固まった。
 そこにいたのは、スタッフTシャツの胸元に「スタッフ:山本」という名札をつけた、紛れも無い桐嬰中等部サッカー部キャプテンの茂森一司。
「おや、お知り合い?」
 固まった三人の間で、店長はにこやかな顔で首を傾げる。
「えっ、あ、はい、まあ」
 店長の問いに対応したのは茂森で、
「そーなんですよー!親戚のおにーちゃんなんですぅー」
 不自然ながらアドリブで哉子が同調した。
 目の前にいるのが兄の同級生でサッカー部のキャプテンで「山本」ではない事と、桐嬰学園中等部と高等部がアルバイトを禁止している事を、知っていたからだ。
 何もしらない店長は「そうなんだ~、あんまり似てないね」と悪気なく微笑む。
「……」
 フォローのつもりが墓穴を掘ったと、哉子の顔に脂汗が浮かんでいる。三人の焦りに全く気がついていない店長は笑顔で「高校生アルバイトの山本」に振り向く。
「なら、そろそろ時間だし、山本君、上がって良いよ。約束通りヤールフースのシューズ、好きなの一つ持ってっていいから」
「あっ、はい、ありがとうございます!」
 困惑と喜びが交互に入れ替わる複雑な表情で応えた茂森に、
「じゃあお疲れ様。選んだ商品の注文票は後で坂口君にでも渡しておいて」
 と言い残し、店長はその場を去っていった。見送る三人の間に、微妙すぎる空気が漂う。
「……」
「……」
「……」
 賑わう店内、三人の間にだけ気まずい沈黙がのさばっていた。
「………えーっと…」
 最初に口を開いたのは、茂森。
「ヤールフースって?」
 それを遮ったのは要。「え?」と茂森は戸惑う反応を見せるが、すぐに柔和な微笑みに落ち着いた。
「北欧のスポーツ用品メーカーだよ。あんまり有名じゃないけどね」
「好きなブランドなんだ?」
「うん。デザインもシンプルだし、ウェアとかも裁断が俺の体に合ってるみたいで好きなんだ」
 答えてから、茂森は要の傍らに立つ同じ顔をした哉子に視をやった。
「もしかして、四条の妹さん?」
「はい、哉子です。兄がお世話になってますー」
 待ってましたとばかりに要より前に出て、哉子は茂森を見上げた。
 哉子の方は(これが噂のキャプテンか~)と無遠慮に茂森を眺め、
 茂森の方も(本当に同じ顔なんだなあ)と思いつつ、
「こちらこそ」
 と微笑んで哉子の視線を受け止める。
「バイト料が現物支給なんて珍しいな」
 最初の一足を試着しながら、要は隣の棚を見ている茂森に問いかけた。
 結局、シューズが展示されている棚の前でそれぞれが目的の靴を物色し始め、今にいたる。
「うん…バイト料もらっても俺がここで買い物して帰るから、それで自然にね」
 店長の好意のおかげで現金を貰っていた頃より、割安で欲しい物が手に入っているという。
「ふーん」
 そう応えただけで、要は二足目のシューズを試着する。立ち上がって歩いてみて、足の感覚を確認した。
「………四条は、よくこの辺りには来るのか?」
 言いにくそうに、茂森の声調が落ちる。学校から一時間以上もかかるこの場所に、まさか部の人間が来るとは思っていなかったのだろう。その表情には疲労感に似た焦燥が浮かんでいる。
「誰にもいわねーよ」
 要はその場で軽く飛び跳ねて、中敷の感触を確認した。分かり安いほどに茂森の顔が安堵に変わる。
「ありがとう、助かる」
「いつからやってんの」
 自分はもう選び終わったのか、茂森は両手で大事そうに靴を抱え、要が試着する様子を見ていた。
「一年の夏頃、かな」
「そんな前から?」
 驚いて顔を向けた要に、茂森は苦笑を返した。
「不定期にだけど、歴は長いな。俺、この店ではいま高校二年生って事になってる」
「お前、背伸びたからバレにくいんだな」
 話したいのはそういう問題じゃない。
 要は試着した靴を脱ぎながら、言葉を継いだ。
「なんでこんなとこでバイトなんか?」
「近くでヤールフース扱ってるところがここぐらいしかなくて」
「そうじゃねえよ。なんでバイトしてるかってこと」
「なんでって……」
 苦笑いのまま、少し考えた後の茂森から答えが戻る。
「欲しい物があるから」
 至極当然の事だろうと言う風に、彼は手にとった靴を軽く掲げた。
「………」
 腰を屈めたまま、要は茂森を見上げた。
 数日前、唐突に副キャプテンになったあの日が思い浮かぶ。
 転倒したゴールキーパー、切れた靴紐、使い古したシューズ。
 そして今、彼の手の中にある新しいシューズ。
(「欲しかった」んじゃない……?)
「必要だった」のか。
―新しいのにしろよ
 そう何の気なしに口にした言葉を、要はいま軽く後悔した。

 一旦レジの前で別れたが結局、要達はバイトから上がった茂森と同じタイミングで店を出る事となった。
 左から哉子、要、そして半身分の間を空けて茂森と並ぶ。
 普段見ない私服同士、そして片や校則違反の帰りという事もあり、ぎこちない空気をこれでもかとお互いに発しあう、そんな二人を、哉子が端で眺めている構図だ。
 そのうち、店を出てから会話が全く無い二人に痺れを切らす。
「ねね、三人でフットサルコート、覗いて行ってみない?」
「なんで」
 そっけない要の即答。だが哉子は慣れた様子で両目を細めた。
「こういうところで遊ぶのに、理由なんているの?」
「土日はよくミニゲームやってるんだよ」
 茂森が言うと、味方を得たとばかりに哉子は要の腕を引いてフットサル場へ向かわせようとする。
 気は乗らないが、頑なに拒否する理由もない。半ば渋々と要は哉子に引かれて茂森も三人でフットサル場に向かった。
 茂森の言葉通り、四面あるフットサルコートではそれぞれに人でうまっていた。社会人の同好会や、大学のサークル、主婦の集まりなど、チーム模様は様々だ。要らは一番手前のコートを覗く。社会人の同好会らしく、年齢幅の広い男達がゲームの準備をしていた。
 コートの周囲にいる見物人達に気がつき、リーダーと思わしき中年の男が周囲に呼び掛ける。
「よければゲームに参加しませんか?」
 フットサルは通常五人チームで行われるが、こうした場では飛び入りを募り自由な形で遊ぶ事が多い。
「はーいはーい!!」
 すぐに応じる声が、要の真横から上がった。
 哉子だ。
「ここにサッカー部員が二人いまーす!!」
「おい、待てよ!」
「お、いいですね~、ちょっと一緒にやりません?」
 呼びかけをしていた男が手招きをする。要が次の言葉を出す前に、背後の哉子が「ぜひお願いしまーす!」と答えてしまった。
「守護神カズ君と司令塔の要ちゃんでーす。キャプテンと副キャプテンでーす!」
 哉子に強く背中を押され、二人はつんのめってコート内に足を踏み入れるハメとなった。
「頼もしいな~」
「キャプテンと副キャプテン?」
「おまけに守護神と司令塔かあ。まさにチームの要が二人そろってるわけだね」
「どう?少し遊んで行かない?」
 グループのリーダー格らしい中年の男が、にこやかに提案してくる。
「ぜひぜひー、よろしくお願いしまーす!」
 何故か背後から哉子が答えた。それを二人の了承と強引に合点して男が改めて、
「えっと、という事は君が普段GKで、君はMFって事かな?」
と、左から茂森、要を交互に見やった。
「「は、はい…」」
 勢いに押された形で二人の答えがユニゾンする。男は「そっかそっか」と笑って背後に声を上げた。
「おーい、平山さん、グローブ貸してくれません?」
 チームのキーパーらしき別の男が「はいよー」と答え、ほぼ同時にグローブが飛んで来る。キャッチした男は、それを要に差し出した。
「え?」
「?」
 目を丸くする二人に、男は白い歯を見せて笑う。
「こういう時は、いつもと違うポジションをやってみる方が面白いだろ?」
「いいですねー!面白そう!!」
 また背後から哉子。
 お前は少し黙ってろ!
 そう言いたかったが、男が「でしょうでしょう?」と嬉しそうに応えるので、言えなくなってしまった。
「じゃあ、カズ君だっけ?君は僕、石橋チームで、要君、だね?君は平山さんチーム」
 男、石橋のもとに他のメンバー達も「よろしく」と集まってくる。二十代の若い男から、父親ほどの年齢の男まで幅広い。
「「よ、よろしくお願いします!」」
 また二人の声がユニゾンすると共に、お辞儀もシンクロする。
「……」
「……」
 思わず顔を見合わせる二人へ、
「礼儀正しくていいねー」
「部活っ子は爽やかでいいなあ」
 大人達は暖かい視線を送って出迎えた。
「サッカーとフットサルって、意外と細かいルールの違いが多いけど、今日はそういうの抜きでやるから、あんまり気にしなくていいからね」
 と石橋の口から軽くルール説明が二人になされる。コートの広さ、ボールの大きさ、ゴールの大きさ等の仕様の違いはもちろん、もっとも大きな違いはファウルの基準がサッカーよりも厳しいこと。サッカーでは許されるスライディングやプッシング等が、フットサルでは簡単に警告対象となる。
「ま、基本的に紳士的なプレイをしてくれれば何の問題もないよ」
 最後にそう締めくくると石橋は背後のメンバー達に、ゲームを始める旨を知らせる。
「カズ君も要ちゃんも頑張れ~~」
 コート脇にいた知らない女性達から声が上がった。いずれも子持ちで、おそらくここにいるメンバーの家族だろう。
 その隣で哉子が楽しそうに笑っていた。
「ったくあいつは…」
 呟きながら要はジャンパーを脱いで哉子に放り、渡されたグローブを手にはめた。
「結構似合うよ」
 隣でコートを脱ぎながら、茂森が要の手元を覗き込んでくる。
「うるせー」
 グローブに似合うも似合わないもない、と思っていたら、着けてみると意外と自分には似合わないと思う。違和感というやつだ。
 逆に、素手のまま腕まくりをする茂森の姿が、不自然に思えてしまう。
 やっぱり「これ」は、あいつの手を護っている方が似合う。
(………何考えてんだ俺)
 グローブをはめた己の手を見つめ、要は首を振った。
「キーパーするコツって何かあるのか?」
「コツ?そうだなー、何だろう」
 要の質問に茂森は小気味良く笑った。
「基本的な感覚は、いつもと同じで良いと思うよ。とにかくキーパーは、体のどこにボールが当たってもいいんだから」
「―ふむ」
 なるほど。そう言われれば分かりやすい。
 要は再び己の手のひらを見て、頷いた。

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 ゲームが始まって十分。
(……結構ムズいぞ)
 ゴールの中に吸い込まれたボールを見て、要は大きく息を吐いた。
 両手が使えるし、ゴール幅はサッカーの半分だし、簡単簡単…―と思っていたのが大間違い。普段のサッカーで使わない手が、思うように動かないのだ。頭では分かっていても、とっさの時に動いてしまうのはやはり足の方で、なかなかボールに手を出す、という行為と反射神経が結びつかないのだ。
 それに、同好会といえど過去にサッカー経験があるメンバーも多く、チームの連携もとれていて巧い。
 試行錯誤しているうちに、気がつけばあれよあれよと三点取られていた。
「コラー!要ちゃんしっかりしろー!」
 哉子の声が響いてくる。
「わーってるよっ!」
 意地になって応えると、ベンチにいる他の主婦達からも「要ちゃんしっかり~」と声が飛んでくる。
「………」
 どう応えて良いか分からず、迷っているうちに顔が赤くなる。気を取り直してグローブをした手をきつく握り締めた。相手ゴール前では、小さな競り合いが起きている。平山チームがシュートしたボールを、茂森が長身で横から飛びつきヘディングでクリアした。彼は先ほどから、前へ出ずにゴール前でディフェンスの役割を担っている。アタッカーではない自分の特性を活かしての動きだ。
(俺最近までフォワードだったんだけどな……)
 それが何故か今、こうしてキーパーなんぞをやっている。
(それにしても、何でこんなに入れられるんだ)
 いとも簡単にボールが自分を通り抜けてゴールに入っていく現象。まるでゴールの向こうに磁石があるように、ボールは吸い込まれていく。これがゴール前に立つのが茂森だと、逆にボールの方が茂森の手や体に吸い寄せられていくのだ。
(そんなわけねーんだけど)
 そう見えてしまう。
(あいつは…どういう動きをしていた?)
 試合中、練習中の茂森の動きを思い浮かべる。長い手足と身長、驚異的な反射神経は真似しようにも出来るものではない。だが、常に数秒先を見ている視線、相手の読みの裏のさらに裏を読む動き、それを盗めれば中背の要にも補えるはずだ。
「要君、来るよー」
 チームリーダーの平山から声がかかる。茂森がクリアしたボールを受けた石橋チームのエース(三十二歳・会社員)が平山チームのディフェンスを突破してくるところだった。
 これまでのパターンからすると、最終的にボールはこのエースか石橋に集まる傾向にある。両者の動きと距離を素早く確認する。コートの右端と左端それぞれに距離を開け、中央後方から遊撃的な動きをしていた石橋チームの男が上がってくるのも見えた。
(あの人が石橋さんへのパスを継ぐのかな)
 要の推測通り、右端にいた石橋がボールをキープするエースへの距離を縮めつつある。
(シュートは石橋さんか)
 要は、中央に意識を向けつつ石橋の動きを注目して構えた。
 その時、ふと後方で不自然に影が動いた。
「……?」
 不意に頭の隅に差し込んだ違和感、だがそれを確認する間も無く、予想通りにエースからパスを受けた中央の男が、石橋に向けてパスボールを蹴った。万全の体制から石橋がシュートに入る。
 弾道は真っ直ぐ。
 要は石橋のシュートコースへ横滑りするように駆け出した。
「ぃっ…!」
 差し出した手にボールが弾かれる。グローブ越しとは言え、痛い。
「おぉ??」
 哉子が目を丸くする。ゲーム開始から十五分。要が初めてボールに触れる事ができたのだ。だが喜んだのも束の間、こぼれて空中を泳ぐボールにいち早く追いついた長身の影があった。いつの間にか後方から上がっていた茂森。
「んなっ」
 さっきの違和感はコレか。
 要が自覚する前に、石橋の後方から飛び出した茂森のヘディングが、要の脇からボールをゴールへと押し込んでしまった。
「あー、おっしぃーい」
 スコアボードが「1-4」に変わる。
「守護神やるねー」
 石橋チームはシュートを決めた茂森にハイタッチを求めて輪を作る。
 ずっとセンターラインの向こう側で護りに徹していた茂森が、初めて攻勢に出た。それが、さきほどよぎった違和感の正体。
「どんまい、でも、いい感じだったよ!」
 平山チームの面々が、ゴールの中に落ちたボールを見下ろす要を激励する。
「………」
 それに応えながら、要は考える。
 感じ取った「違和感」をもっと具体的に理解していれば、もっと早くボールに反応できたはずだ。
 ゴールを奪われたのは、要が「パスが石橋に通る」と読んだ時点で既に茂森が要より更に先読みして実行動に出ていたからだ。
(何か分かったような気がする)
 パスが石橋に通ると読んだ時点で同時に、茂森が前に出てくるところまで予測できていれば、二重にゴールを防げたはずだったのだ。
(……次はいけるかもしれない)
 要はボールと、自分の手を交互に見やった。
 まだ、ボールが当たった痛みの感触が残っている。ゴールを狙う弾道に乗ったボールを打ち落とした、あの感覚。
 気持ちよかった。
 シュートを決めた時とはまた異なる快感だ。
 次は、両手でしっかりとボールを掴み取ってみたい。
 新たな感情が沸き起こり始めていた。
(なんか、こういうの、久々だ)
 茂森がよくやるように、要はキーパーグローブをはめた手を互いにぶつけて気合を入れた。
 中学に入る前まで、GKやDFは地味なポジションだと思っていた。
 特にGKは、体育の授業でも、クラブチームでも、小学生は誰もやりたがらない役目。要とて、そんな数多い小学生の一人だった。

 だがまず最初にその認識が変わったのは、中学入学前の夏。

 クラブチーム対抗の夏の選手権も終わり、夏休みも残すところ十日を切った頃。小学生の双子は、二人で京都から叔父夫婦を訪ねた。
 要が「暴挙」に出る数ヶ月前の事で、まだ聡と四条家本家の関係が円満だった頃の話だ。
「どこか行きたいところはあるか?」
 という、双子を出迎えた聡の問いに、
「東京の競技場に行きたい」
 要はそう答える。小学生サッカークラブチーム対抗全国大会が行われる場所だ。つい先日、要が所属するクラブチームが関西代表を決める地区予選決勝で敗退した為に切符を逃した、因縁の大会だった。
「そうかそうか」
 聡は快諾してくれた。
 サッカーをよく知らないにも関わらず、聡は他にも要の為に横浜のプロサッカーチームの観戦チケットを手配してくれたりと、この当時から色々と良くしてくれた。こうした聡の好意も、数ヶ月後には「たぶらかし行為だ」として四条家本家衆から絶縁状を突きつけられる要因となるが、この頃の要に予測し得るはずもない。
 全国大会が行われるグラウンドは二箇所あり、各所で午前二試合、午後に二試合の計四試合を二日間行い、三日目に決勝を行う。要達が訪れたグラウンドは、地元の住人が使う多目的競技場らしく、芝生ではなく土のグラウンドだ。
「お?」
 この日行われる対戦カードを見て、聡が裏返った声を出した。
「どうしたの?」
 要が聡の手元を覗き込むと、パンフレットを手渡してくれた。全国大会に出場するチームとメンバーの紹介と、スポンサー一覧が掲載されている。
「これから試合するこのチーム、うちの近所にあるチームじゃないか?」
 聡が指さすところに、「えー、どれどれ?」と要の後ろから、一緒についてきた哉子も覗き込む。
「桜台アークス?」
 要がチーム名を声に出して読む。確かに、「桜台」は聡が住む新興住宅街一帯を指す地名だ。
「……」
 要は手早くパンフレットをめくって中身に目を通す。
 全国大会に出場するクラブチームはいずれもプロリーグチーム付属のユースチームばかりで、これらはいわゆるプロ選手候補のエリート集団、対して「桜台アークス」は一地域、しかも区が運営し、所属するのは地元の小学生という、小さなクラブチーム。このような小規模チームが全国大会進出など、クラブチーム対抗リーグ戦では、前例が少ない。
 現に、桜台アークスは全国大会初出場のようで、チーム名の横に(初)の文字が付帯されていた。隣で聡と哉子が「(初)だって」「紅白歌合戦みたいだね~」と呑気に笑い合っている。
「ああ…このチームか」
 要が呟くと、
「カナ兄、知ってたの?」
 と哉子が背中に巻きついて横から覗き込んでくる。聡も「ほう」と関心した声を漏らす。「噂だけなら」と短く答え、要はパンフレットを捲る。
 もともと、人口が密集している関東圏の代表は、必然的に強豪チームが多いために注目度が高い。金廻りのいいプロチームのユースが全国大会常連となるのが定石となる中、激戦区神奈川で、プロチーム「横浜リーガルズ」のユースを破って勝ち上がったのが、一地区クラブだという―その事はクラブチームサッカー小僧の間ではちょっとした噂だった。
「ほら、あいつだよ」
 パンフレットから目を離し、要がグラウンドに姿を現した選手の方を指差すと、聡と哉子が同時に顔を向けた。
 SAKURADAIと背中に大きく書かれた、ほんのり桜色ユニフォーム集団、その中で一人だけ黒いユニフォームのゴールキーパーがいる。背中に番号一番と、左腕にキャプテンマークを身につけていた。
「あのキーパーが凄い奴らしいんだ」
「どう凄いの?」
 聡と同じくあまりサッカーを知らない哉子は首を傾げる。
 だが要も耳に聞くだけで、実質的にどうあの少年が凄いのか、知らない。
「どう凄いかは、これから観られるんだろう?」
 両腕を組んでゆったりと腰掛ける聡の言葉通り、間もなくキックオフだ。
 対戦カードは大阪レジスタンスユース対、桜台アークス。ちなみに大阪レジスタンスユースは、要の所属していたチームを破った相手だ。
(………桜台を応援してやろうかな)
 複雑な気分で要はパンフレットを閉じて膝上に置いた。
 そして試合開始からものの三十秒程で、素人の哉子や聡にも理由を実感できる出来事が起こる。
 試合開始間際で緊張が残っているせいか、桜台チームは極端に動きが悪い。ゆるゆるのディフェンスを、大阪レジユースはいとも簡単に突破して、まず開始三十秒でシュートチャンスに遭遇する。桜台ゴールに詰め寄る大阪FW陣。
「……?」
 違和感がこめかみをちくりと刺す。要は片目を細めた。その正体が判明する前に、大阪FWがシュートを撃つ。ボールはまるで狙ったかのように桜台キーパーの腕の中へ収まった。
「おー、キーパーとったね!」
 隣で哉子が観たままを声に上げる。隣で聡が「落ち着いてたなあ、あの子」と感心したように小刻みに頷いている。
「…あれ?」
 再び、違和感が要の五感をよぎる。思わず呟きが漏れていた。頭上に疑問符を生やしつつも試合の様子を観察し続ける。それから更にわずか十五分の間に大阪チームは七度のシュートチャンスを得た。だがいずれもボールは、桜台キーパーの手に吸い寄せられるようにして阻まれる。
「凄いねー、シュート全部防いでるよ」
「点をとられなければ「負けない」って事かあ」
 隣で素人二人がただひたすら感心している。素人故に、もやもや悩む要と違い、率直で核心を突く感想だ。
「でも、勝敗の行方がまるごとあの子一人にのしかかっているのは、危ういね」
「だなあ…」
聡の意見に要は頷く。桜台にはキーパーの他に小慣れたメンバーが三人ほどいるようだが、いずれにしろキーパーへの依存度はかなり高い。
「だとすると、状況的に、大阪有利、かな?」
要が負けたチームと知っていたので、聡は様子をうかがうように問いかけてくる。
「うーん、そうでもないかもしれない」
不明瞭な反応を見せる要を、隣の二人が物珍しげに眺めてくる。
「どうして?桜台の方は、あの子が駄目になったらおしまいじゃない」
「確かにそうだけど」と前置きする要の語気は平常だ。
「でも、桜台は引き分けにさえすれば、勝てる可能性が相手より圧倒的に高いんだぜ」
これは精神的にかなりのアドバンテージとなるはずだ。
「引き分けにすれば勝てるって??」と咀嚼しきれない哉子の横で、
「ああ、PKか」
一般常識程度にはサッカーが分かる聡が答えた。この大会ルールでは、引き分けのまま試合を終えた場合、延長戦ではなくPK戦となる。キーパーに最後の望みを託すこの場面、どちらが有利となるかは明白だ。
「あ~そっかあ」
ふうん、と呟き哉子は膝に頬杖ついて桜台のゴール前を眺めた。
桜台はチーム一丸となってゴール前を死守している。
大阪は何度もシュートチャンスを作りながら、得点に結び付ける事ができない。
「でも、こんな調子で90分も守りきれるものかな?」
ゴール前の競り合いを眺める聡が、要に尋ねる。
得点して勝つほうがリスクが少ないに決まっている。当然の疑問だ。
「まあ、みてなよ」
要も頬杖をつき前のめりにフィールドを眺める。双子揃って同じ姿勢で並ぶ様子に、聡は楽しそうに微笑んだ。
「見てると、どうなるの?」
と哉子。
「そのうち大阪は焦ってくるはずだ」
要の言葉通り、無得点のまま進む時間に業を煮やした大阪が、防御を担っていた面々までじりじりと、気がつけば前方に迫り出してしまっていた。
「んで、防御ががら空きになったところを……」
「カウンター!!」
要の解説を補うように桜台のキーパーがキャッチしたボールを遠くに蹴り上げ、叫んだ。
「おおっ!?」
急激な状況の変化に哉子は身を乗り出す。声にはしなかったが、要も同じ顔で同じ動きを見せた。ボールは一気に大阪陣営へ飛び込み、絶妙なタイミングで追い付いた桜台FWに渡った。
「んで、そのまま、」
ゴール。
「おお~」
先程から「お」しか発音していない哉子は、おもちゃのように両手を顔の前で叩いている。
「なるほどねえ」
聡もしきりに感心している。
「あのチームじゃ、この作戦でいくしか無いんじゃないかな」
これで桜台に乗ったバッファは実質二点。競り合いの中でこの差は大きい。案の定、焦った大阪はミスを連発するようになり、そのままPK戦になるまでもなく一対ゼロで桜台の勝利を示すホイッスルが鳴り響く。
「おお~…勝っちゃったよ」
 その瞬間、隣で大きく息を吐く哉子と同様に、観客席からは歓声よりも深い息が伴うざわめきが生じた。そんな中で、
「お父さん、やったっ!」
 同じ列、要の近くに座る客席から高い声が上がった。そちらを見やると、若い女が立ち上がって顔を輝かせていた。頬を紅潮させ、隣に座る初老の男の肩を片手でしきりに叩いていた。
「お父さん凄い!カズ君、勝っちゃったよ!」
 嬉しさのあまりその場で二度飛び跳ねた女は、ふと我に返り周囲との温度差に気がついて、照れ笑いしながら席に腰掛けた。足元に杖を横たわらせている初老の男は、目を糸のように細めて「凄いな、凄いな」と女の言葉に応える。
 グラウンドでは、ゴールキーパーを中心に桜台のメンバー達が輪を作って喜び合っている。対称的に、大阪チームは目に分かるほどに落胆した様子だ。
(ちょっと、かわいそうかな)
 いい気味だと思う一方で、大阪からわざわざやってきて一回戦敗退は少し気の毒にも思う。共感を覚えそうになり要は大阪チームから目を離す。喜び合う桜台チームに視線を移すと、ひとしきり喜び終わったメンバーの中で、ゴールキーパーの少年が客席を見上げて誰かを探しているのが見えた。左右隅々を見渡し、中央付近でその視線が止まった。
「?」
 一瞬、目が合った気がした。
 桜台キーパーは要らがいる方向で視を止め、表情を和らげた。遠慮がちで控えめな笑みをたたえ、グローブをしたままの手を大きく振ると、要の右方向にいた人影が大きく振り返した。
 さきほどの、若い女だ。初老の男も、控えめだが手を振っている。応援に来ていた家族だろうか。母親にしては若すぎる女は、姉なのかもしれない。だがそれにしては「お父さん」と呼ばれた男は少年の父親にしては年を取りすぎているようにも思える。
「いやあ、要の言う通りになったなあ」
「え、う、うん?」
 聡の声に我にかえり、要は大げさに振り返った。
「大阪チームにとっては災難だったけど、桜台住人としては楽しい試合だったよ」
 満足そうな顔で頷いている聡は、グラウンドの中央で整列する小学生達を眺めて目を細めていた。
「しかしどの子も一生懸命で、実にいい」と老けた台詞を言いながら。
「キーパーって、あまり動かないのかと思ったら、けっこう激しいんだね」
 哉子が要を振り返る。
「……」
 要は一瞬、その言葉への答えに詰まって、少し遅れてから「うん」と小さくつぶやき返した。
(俺も哉子とおんなじレベルか)
 多くの試合を経験してきたが、要もこれほど激しく躍動的な同年代のキーパーを見るのは、初めてだった。桜台のキーパーは他の前衛陣と変わらない、むしろそれ以上に汗と泥で汚れている。
 この時の要は初めて、ゴールキーパーというポジションが地味ではない事を知った。

「要君!」
 男の声。
「!」
 よぎった追憶の靄が掻き消え、意識の中にボールが飛び込んできた。
 自分の脇を通り抜けていこうとする弾道に向け、足で地を蹴り、手を伸ばす。
「っ!」
 息を止めて更に両手を伸ばした。
 白と黒の残像を描いた球体は、空気を包み込む要の両手に飛び込んで回転を止めた。
「わっ、とっ、うわ!」
 そのままバランスを崩してゴール脇へ転がる。全身で土の匂いを感じ、世界が回った。そして天と地を再認識した直後、腕の中に納まるボールの存在を感じ取る。
「やったあ!カナ兄!」
 語尾が裏返った哉子の声。嬉しくなって思わず振り返って応えた。
「取れた……!」
「ナイスセーブ!」
 平山チーム、石橋チーム双方から声が上がる。平山が頭の上で手を叩いて喜んでいた。
「やっ…」
 た、と言いかけて前方に向き直ると、面々の後方からこちらに笑顔を向ける茂森がいた。
「………」
 我を忘れて喜んだ自分に気がつき、要は己の頬が熱を持ち始めているのを感じる。
それは体の芯から込み上げてくる照れと、
そして自分でも気がつかない新たな感情のせい。

 小六の夏、「ゴールを護る」キーパーというポジションの激しさを知った。
そしてこの日、要は「ゴールを防ぐ」という事の気持ち良さを知った。

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 フットサルコートの周辺には、いつの間にか人だかりができていた。ファミリー向けスポーツ施設に不向きの異様な熱気に、通りすがる人々が足を止めていくのだ。
「え、なになに?」
「なんか凄い白熱してる」
 プレイしている面々のみならず、家族達の応援もどんどんボルテージが上がっていた。例外なく哉子も他のメンバーの奥さんや子供と一緒になって騒いでいる。
 スコアは4-3。要がキーパー初心者だった事を考慮しあれから一旦ゲームが仕切り直され、20分が経過していた。点を取り合うスピーディーな展開も手伝い、観戦
者が増え続けている。
「あれ、あの二人桐嬰サッカー部の一軍の先輩達じゃねぇ?」
 集まった面々の中にいた小学生数人が首を傾げ合う。
「だよなあ、あのキーパー、紅組の10番だよね?」
(紅組?)
 近くにいた哉子が耳聡く聞き付ける。そういえば要が、見学会で紅白戦をやると言っていた事を思い出す。結果は聞いていなかった。
「あっちのチームのディフェンスはキーパーの茂森だよな?」
 二人を指さして顔を見合わせる小学生達。
「ねーねー、君たちあの二人知ってるの?」
 その間に哉子は顔を割り込ませた。小学生達は驚いて一斉に振り返る。
「う、うん、桐嬰のサッカー部の人達だと思う」
 動揺しながら一人が答える。それを聞いて哉子の隣にいる奥さまが「あら、名門じゃないの」と感心している。それへ適度に相槌をうってから、
「ふーん。なんでわかるの?」
 と哉子は知らない振りをして尋ねた。
「サッカー部の見学会にいったから」
 予測通りの答え。
「よく覚えてたね~」
 という哉子の反応に、小学生たちはきょとんと目を丸くする。
「え、だって茂森は有名だし、紅組の十番だって桐嬰の副キャプテンだから覚えておかなくちゃだよ」
 他の小学生にも異論はないようで、何かのオモチャのように同時に頷いている。
「はあ~、そ~いうもんなんだぁ」
(あのキャプテン無用心だなあ、ばっちり面が割れてるじゃない)
 感心しつつも哉子は苦笑する。
 バイト中にこれまでバレなかった方が不思議だ。
 もっとも、有名プロじゃあるまいし「バイトの山本君です」と押し切られたら「そうなんだ」と納得してしまうものなのかもしれない。
「?」
 一際大きい歓声がして振り返ると、前に上がってきた茂森が零れたボールに追い付く場面だった。難しい角度からゴール前にいたチームメンバーにセンタリングを上げる。寸時早く反応した要が、ダイレクトに打たれたシュートを弾く。高く上がったボールを、ゴール前まで出てきた茂森と平山チーム最高身長の若い男が取り合う。
 マークから抜けたチームリーダーの方を確認しながら、茂森が落ちかけたボールを踵で受け止め、背後に回す。
「あっ」
 男は、不意を突かれ声を漏らす。茂森の意図を汲み取った石橋がボールに向けて駆け出した。
 だが、小さな弧を描くボールに、割り込むように飛び付く影。
「!」
 抱きつくようにボールを腕に収めたキーパーの要だった。
「ナイスセーブ!」
 誰からともなく声が上がる。チームメイトの労いに応える要に、少し驚いた顔で茂森も「ナイスセーブ」と声をかけてきた。
「今のが読まれてたとはなあ」
「へへ」
 要は思わず口元に悪戯な笑みを浮かべた。
 顔を見合わせる二人の頬が赤いのは、寒さと息切れのせいだけではない。本番の試合さながらに、お互いが高揚していた。「暑い」と呟きながら要がシャツの裾をはためかせると、茂森も襟を掴んではたきながら首に風を送っていた。
「キーパーグローブって、思ったよりムシムシしないんだな」
 グローブのために膨れ上がった自分の手を、握ったり離したりをして要が笑う。存外に通気性が良く、厚ぼったい見た目と違って軽いのだ。その手元を茂森が覗き込む。
「uhlsportの新しいのだから、通気性が良いんだな」
「やっぱ高いのか?」
「良いのだと1万円近くしたり」
「うへっ、たかっ」
「プロも使ってるしね」
「へえ…」
 これがねえ、とつぶやきながら目を細め、要はグローブの両手を繁々と眺める。言われてみれば確かに、分厚い布に包まれているにもかかわらず、指を握りこむ動作が容易い。
「………」
 お前はどのブランドを使ってるんだ、と尋ねようとして、要はとっさに口を閉じた。uhlsportのロゴマークを見て、これと同じ文字を練習や試合で何度も目にしたのを思い出したからだ。
(天才は道具にもこだわる、か)
 日本では無名のブランドだが、自分の体に合ったウェアとシューズを―そしてグローブは、プロ仕様を選ぶ。
(そんで、それを自分で稼いで手に入れる…って…?)
 再び自チームのゴール前へ歩いていく茂森の背中を、要は眺めていた。
「だいぶコツをつかんだみたいだね」
「次もがんばってこー」
 平山チームが次々と要に声をかけ、そしてセンターへと駆けていった。ゲームはまだまだ、これからだ。
「なんか、あっちのほうやたら盛り上がってない?」
要達がいるコートから最も遠い奥のコートでは、白地に淡いピンクのラインのスエットを揃いで身につけた集団が練習をしていた。
「ね、咲子」
同じ服装の少女が、グループのリーダー格である少女に駆け寄る。
「一番端っこのコートなんだけどさ」
やけに騒がしいからと、様子を見に行ってきたところだ。
「石橋さんや平山さん達でしょ?」
常連の石橋や平山と同じく、彼女達もここの施設をよく使う。リーダー格の少女はあまり驚く様子を見せない。
「そうなんだけど、なんか飛び入り参加がいるみたい」
「よくある事じゃない」
交流を楽しむ石橋達のやりかた、少女達はよく知っている。
「その子たちが凄く上手くて盛り上がってるみたいだよ」
「……へ~」
咲子と呼ばれた少女はボールを足元に置いた。後頭部で結ばれた髪が、小動物の尻尾のように揺れる。切れ長の黒目がちの瞳は、小さいながら油断ならない肉食動物のようでもある。
「ちょっと見てくる」
と踵を返した咲子の後を追って、他の少女達も続いた。
「ほらほら、あの子たち」
 咲子を誘導するように先を歩いていた少女が、コートの中を指差す。「ふーん?」とつぶやきながら、勝手知ったる場所とばかりに咲子はフェンスをくぐってコート内に入っていった。野次馬達の列を避けて、見晴らしの良い場所へ移動する。
「あれ、うそっ、マジでー?」
 途端、咲子の隣で少女達が声を上げた。
「里佳、どうしたの?」
「あれ、カズシ君だよ」
 首をかしげる咲子の隣で、里佳と呼ばれた少女をはじめ、数人が目を丸くしている。
「カズ……誰、知り合い?」
 訝しげに目を細める咲子に、里佳は視線をコートに向けたまま少し興奮気味に答える。
「知らないの??茂森一司君だよ、咲子と同じGK。中学サッカー界で知らない人はいないんだから」
「あっちは桐嬰の新副キャプテンの四条君だね、なんでこんなとこにいるだろ?」
 その隣にいた少女も、里佳と似通ったリアクションでコートを見つめている。
「なんで高校生の私が中学サッカーを知ってなきゃいけないの」
 そんな狭い世界知らないわよ、と咲子は呆れたように肩を竦め、三秒後に「ああ」と思い出したように口を開けた。
「あんたたちまだ飽きてなかったんだ?」
 ジュニアの有望選手を「観察」するのが趣味で、ブログまで開設していると聞いたことがあった。聞いた当時は「いつまで続くのやら」と冗談半分で聞いていた事を、咲子は思い出す。それでももう既に、二年近くが経過していたような気がするが。
「馬鹿にできないよ?プロ野球と違う面白さが高校野球にあるみたいに、ケッコウ面白いんだから」
 悪戯っぽく里佳が振り向き、そして「ほら」とコートを指し示した。
 振り向くと、キーパーの要がボールをキープしたままセンター付近まで上がって来る所だった。石橋チームの壁を次々とかわして、進んでいる。
「カナ兄ぃーーー!」
 と近くで叫んでいる女の子の声と共に、野次馬達からも歓声が上がった。
「さすが元FW」
 楽しそうにつぶやいて、ゴール前にいた茂森は歩を進めた。
「高橋さん!」
 茂森が動き出すのを見て、要は自チームのストライカーにボールを蹴り上げた。そして自分はボールの行方を目で追いながら、ゴールへと戻る。ボールは茂森がいる場所とは反対方向にいた高橋の足元に上手く落ちていく。
「パスが上手い子だなぁ」
 茂森の後ろにいる石橋チームのキーパーが感心している。チーム最年長の四十歳。会社では副部長だというエリートらしい。
「はい、うちの司令塔ですから」
 ボールを目で追いながら背中で答える茂森。「そっかそっか」と満足そうに答える声が戻ってきた。それを背中で受け止めて、茂森はゴールを狙ってくる高橋を阻止するべく動き出した。
「元FW?」
 石橋チームのゴール前で起きている競り合いを眺めながら、咲子は里佳の情報を繰り返した。
「うん、あの子、四条君っていうんだけど。最近までFWで、この間の紅白戦は司令塔やってた」
「じゃあ、あれは即席のGKってこと?っていうか、何でそんなに詳しいのよ」
 驚いた後に呆れて、咲子は里佳を振り返った。
「そりゃ、ファンですから」
 里佳と、その隣にいる数名が同じように笑って頷いている。
「はあ」とため息と苦笑を同時にこぼした咲子は再び、ゴール前に戻った要に視線を向けた。
「即席にしては……ずいぶんと飲み込みが早いというか…。あっちのDFやってる子も良い動きしてるし。あっちはもともとGKなんでしょ?」
「うん。ね、面白いでしょ」
 まるで自分の事のように自慢げに頷く里佳。それを一瞥して咲子は小さく笑った。
 そんな咲子らからそう離れていない場所から、
(さっきから聞き覚えのある名前が何度も聞こえてくるような)
 長いポニーテールが特徴的な少女が、隠れるようにちらりちらりと横目で視線を向けていた。噂の「四条君」の妹、哉子である。無論、さすがにそこまで里佳達が知る由もない。
 白地にピンクのラインが入ったおそろいのスウェットを来た、高校生らしき女の子集団。サッカーについてずいぶんと詳しいようで、試合の動きに対して他の野次馬達とは違う反応を見せていた。その中でも特に哉子の意識を惹いたのが、リーダー格と見られる女の子。まるで視察でもしているかのように冷静な瞳で表情一つ変えずにコートを眺めている。
「お互い、不慣れな部分を読みでカバーしてるって感じね」
 胸の前で腕を組みなおしたリーダーの女の子。
(ほうほう)
 哉子は試合を見ながらも、耳をダンボにしてリーダーの女の子、咲子の方に傾けた。
「一見、試合展開がハデだから「動」のぶつかり合いに見えるけど、私にはあの中学生二人の頭脳戦に見えるわ」
「咲子って相変わらず戦国武将みたいなんだからあ」
 と咲子の隣にいた女の子、里佳が笑う。
 戦国武将がそうである根拠は何も無いが、妙に哉子は里佳の言葉に納得して頷いた。
(頭脳戦かあ…なるほどぉ)
 他の野次馬と同じように、自分も緩急差がある試合展開に飲まれていた。咲子のコメントに、哉子は軽い驚きを感じると同時に目の奥でフィルターが一枚剥がれ落ちたような感覚を覚える。
「平山さん、右!」
「いったん後ろへ!」
 声が飛び交うコート。咲子の言葉を踏まえて、哉子は改めて試合の様子を見つめる。広くはないフットサルコートいっぱいを使って、メンバー達が縦横無尽に動き回る中、ゴール前の要とディフェンス位置に立つ茂森の動きは緩やかだ。だが、
「行ったぞ!」
 ここぞという場面で、瞬発的に二人の動きがどのメンバーよりも俊敏になる。
「シュート来るぞ!」
「くっ!」
 石橋チームのゴールを狙い、鋭角からシュートが放たれる。息を吐き出しながら茂森が踏み込み、長い足でそれを止めた。零れたボールを石橋が拾い、再び平山陣を攻めに行く。
(今度は誰だ…?)
 ゴール前の要は、再びメンバー達の動きを読む。
「……」
 要が纏う空気が変わった。それを遠くから見ていた茂森は、平山ゴールに向けて走り出した。
「?」
 いつもと違う動きに、要は目を細めた。これまで茂森は、ボールがセンターラインを越える前から前に飛び出す事が無かったのに。
(攻めて点差を広げようって事か?)
 そうはさせるかと、要は茂森の動きを意識の隅にとどめつつ、ボールを取り合いながら徐々に前進してくる石橋チームの動きを見つめた。陽動的になっている茂森に気がついた石橋が、要を揺さぶろうと長いパスを茂森に送る。すかさずそのボールは真後ろから上がってきたエースに送られる。
(また石橋さんに戻る…!)
 キャッチし損なえばおそらく、サイドにいる茂森に拾われて入れられる。
 絶対に取る。
 案の定、石橋から放たれたシュートボール。要は全神経を弾道に集中させた。蹴りこんだ位置が僅かに芯から外れたボールは、途中からカーブを描く。その弾道に合わせ、要も動いた。
「四条、待…!」
 音と周囲の景色が消えた意識の隅で、誰かが叫んだのが聞こえた。
「―っえ…」
 ゆっくりに見えたボールが、急に速度を上げ、伸ばした要の片手に当たった。直後、背中と肩に何かがぶつかる。
「い…っ」
 すぐ耳元で自分ではない誰かの声がして、
「っわ…」
 誰かと確かめる前に、バランスが崩れて要はその場に落ちた。地面の硬い感触が襲う前に、また背中に弾力を感じる。それが緩衝材となって地面への直撃を避けられた。黒と白のボールが視界の端で外へと転がっていくのが見え、周囲から沸いたざわめきが耳に飛び込んでくる。
「な…に…」
 現状を理解しようと要が背中を起こすと、「緩衝材」となっていた影も動いた。薄い水色のパーカーの布地。
「あっ……な、」
 自分もろとも横倒しになった茂森が、片腕で起き上がるところだった。その向こうに、白いゴールポスト。
「………」
 要は咄嗟にゴール周辺を見渡した。
 忘れていた。サッカーのゴールに比べて、フットサルのゴールが小さい事を。
 この時ようやく、要は自分がゴールポストに激突する寸前だったと気がついた。
「二人とも大丈夫か!?」
 両チームの面々がゴール前に集まってくる。
「すみません、大丈夫です」
 なんとも無い、と微笑んで立ち上がる茂森。要も慌てて立ち上がった。
 ほぐれ掛けた袖を再びまくる茂森の腕には、面積の広い擦り傷ができている。ところどころ、生々しい赤色が小さな珠を作っていた。
(腕……)
 本職キーパーの腕に、傷をつけてしまった。
「茂森、悪い…俺…」
 その事実に要は愕然とする。
腕だけでは無いはずだ。背中や肩も、ぶつけてはいなかっただろうか。
「そろそろ、やるかな~って思って見てたんだ」
 だが茂森の声は拍子抜けするほど平然としたもので、
「え?」
 要は眉を顰めて顔を上げた。
「俺もよく、夢中になるとポストにぶつかるから」
 だから、要の目つきと気配が変わった時に「もしや」と思って前に出た。
 あのまま突っ込んでいれば、要はポストに頭をぶつけていただろう。何のことはない。ボールをキャッチするのと同じ要領で、だけどいつもより慎重に要へと手を伸ばした。
それだけのこと。
 そう笑う彼に、要は無性に腹立たしさを覚えた。
「だからってお前なぁ!」
 急に声を荒げた要の様子に茂森は当然ながら、大人たちも驚いて目を丸くする。
「四条?」
「キーパーが無闇に手ぇ怪我する真似すんじゃねえよ!」
 要は、感情のままに近くにある肩を強く押して遠ざけた。
「………」
 軽く体を傾げた茂森は、唖然や驚きというよりもむしろ、子供が珍しい発見をした時のように罪の無い顔で目を丸くしている。それがますますムカついて、要は顔を背けた。借りていたグローブを外して丁寧に重ね、心配になって近寄ってくる平山に差し出した。
「……すみません…俺、門限あるんで…そろそろ失礼します」
「え、ああ、遅くまで引き止めてごめんね、参加してくれてありがとう」
 驚きつつも、そこはやはり大人な平山は、笑ってグローブを受け取った。
「いえ、凄い楽しかったです、今日はありがとうございました」
 最後に深々と礼をして、要はきびすを返して駆け出した。
「ちょっとお、カナ兄ぃい!」
 慌ててそれを追いかけようとした哉子も、一旦足をとめて面々を振り返り、
「ごめんなさい、ありがとうございましたあ!」
 要のコートとリュックを抱えてお辞儀をした。
「待ってよお!」
 そして忙しなく要の後を追いかける。
 その場の事態に所在をなくした野次馬達の間で、ざわめきと顔を見合わせる動きが連鎖する。だがそれも、一分としないうちにおさまり、ゲームは終わったと知った面々は「ナイスゲームでしたよ~」といくつかの声を残して散り始めた。
「あらら~、四条君、怒って帰っちゃったね」
「セイシュンって感じだ~」
 そんな里佳達の言葉を聴きながら、咲子は要が去っていった方と、そしてコートに残った茂森を眺めた。副キャプテンに説教されたキャプテンは、腕の傷を隠すように一度はまくりかけた袖を伸ばしてた。
「すみません、こんなところでケンカなんかして」
 面々に頭を下げる茂森。
石橋は「いいからいいから」と笑って大人の対応をする中学生の肩に手を添えた。
「君たちをキャプテンと副キャプテンに選んだ監督の気持ちが、なんとなくわかるよ」
「え?」
 驚いて顔を上げた茂森へ、石橋は父親か教師のような微笑を見せた。
「君たち二人は、正反対でもあり、同じでもあるんだね」
 石橋の後方で、平山を始めとする大人の面々は、それぞれに場を見守る目をして二人のやりとりを眺めていた。
「………」
石橋の言葉を完全に理解するにはまだ経験値の足りない中学生キャプテンは、相槌も返せずにいた。
「ね、里佳」
 野次馬達が捌けて行く中、最後までコートの中のやり取りを見ていた咲子は、傍らに声をかけた。
「ん?」
「今日の事も、ブログに書いたりするの?」
「あはは」と笑って里佳は首を横に振った。
「書かないよ~、私たちゴシップ記者じゃないんだもん」
自分達は「アスリート」である彼らのファンなのだ。各種試合や催し物の外にまで追いかける事はしない。それが里佳達のポリシーだ。
「ま、今日みたいなのは単なるラッキーなハプニングってことよ」
「そう」
 咲子は切れ長の瞳を細めて、傍らのチームメイト達に微笑んだ。
 その頃。
「もー、恥ずかしいじゃないのさー、カナ兄ったら!」
 新桜台駅の手前でようやく要に追いついた哉子は、乱暴にコートを兄に押し付けた。
「なんでキレるかなー?カナ兄が悪いんじゃない。あれじゃ逆ギレだよお?」
 黙々とコートを着る要を他所に、哉子は二人分の切符を買いながらぶつぶつと文句を垂れている。頬を膨らませつつも「ほら、切符」と要の手をとって切符を握らせる。
 すると、
「だからだよ」
 ようやく反応が戻ってくる。
 だがその声は微かで、遠くに流れるアナウンスと改札口が発する電子音にかき消された。
「聞こえないよ」
「だからムカついてんだよ」
 今度ははっきりと聞こえた。
「意味わかんないってば」
 ため息と共に百八十度向きをかえて、哉子は改札口を通り抜けた。背後からついてくる要の気配を確認し、隣に並ぶために歩幅を合わせる。
「明日、ちゃんとお礼いいなさいよ?」
「………」
 ホームへ向かう階段を半分上ったところで、
「―わかってる」
 また小さな返事が戻ってきた。
 電車が到着するアナウンスと重なったが、今度ははっきりと、聞こえた。

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guardians18
18

 目が覚めてみると、朝練が始まる時間よりもだいぶ早かった。
「………」
 携帯電話の時計を見つめて、要はしばしベッドに腰掛けたままぼんやりとした時間を過ごした。寝なおそうにも中途半端な時間だ。同室の芥野の寝息が、時計のように規則的に室内の空気を刻む。
 同室者を起こさないようにベッドから立ち上がり、ベッドに横付けして設置された机の上においてあるミネラルウォーターのペットボトルを掴み取った。乾いた喉を水で湿らせながら、要はカーテンの裾をそっとめくって外を見た。良い天気だ。
(散歩でもしようかな)
 桐嬰は郊外に広がっているために、キャンパス周辺は緑に囲まれている。一部のエリアは緑地公園として開放しており、地域住民の散歩コースにもなっていた。
 そのまま朝練に行けるように練習用スウェットを身につけ、薄暗くまだ朝もやが立ち込める冬の朝へ足を踏み出した。
「さみぃ~…」
 春以降は、朝練前に走りこみをする寮生の姿もみられるが、大会シーズンも終わった二月中旬の今、そうそう寒中ランニングをする物好きの姿は見られない。舗装された遊歩道が緑のトンネルの中に敷かれており、両脇の茂みは鬱蒼としていて時々何か潜んでいるのではないかと思わされるほど深い。
 小高い丘が複数連なっているため、散歩コースとはいえなかなか緩急があって歩き甲斐がある。マラソン大会のコースにも使われる事があるのだ。
「バス停か」
 緩やかな坂を上りきったところで、バスロータリーが見下ろせた。最寄の私鉄駅から出ている、この学校のために敷かれた市バスの終点だ。始発がちょうど朝練に間に合う時間に動くようになっている。
「あれ?」
 そのバスロータリーの脇の歩道を走り抜ける人影が見えた。目の前に茂る植木に隠れてしまったため、要は小走りに土手縁に移動して人影を探した。
 白地に黒のストライプとメーカーロゴをあしらったスェットを身につけ、小振りなザックを背負った人影は、ロータリー脇の道から正門につづく坂道を駆け上がるところだった。
 嫌なことに、とても見覚えがある。
「月曜の朝から元気だな…」
 茂森だった。
 かなりのスピードで坂道を駆け上がった茂森は、正門にゴールインすると速度を落として空を見上げた。遠目からでも、肩で息をしているのが分かる。そのうち、要からは死角になる校舎の向こう側へと姿を消してしまった。サッカー部のグラウンド方面だ。
「………」
 要は足を止めて考えた。
 謝るにしろ礼を言うにしろ、他の連中の目や耳に触れる場所では後々が面倒だ。ある意味でこれはチャンスと言えよう。短く一言二言、昨日の事をわびた後は、芥野を起こしに行くとでも理由をつけてその場を離れれば良い。そう考えて要は方向転換してグラウンド方面に駆け出した。
(何やってんだあいつ)
 整備されていない土手を登ってサッカー部グラウンドへの近道を通り抜けると、要の目に茂森の姿が入った。
 一軍用の広いグラウンド、一組のゴールが遠く離れて静かに向き合っている。茂森は、そのうちの一つの前に腰を下ろして膝を抱えていた。じっと目の前に広がるグラウンドを見つめたまま、動かない。
「そりゃイメージトレーニングか?」
 率直な感想を口にしながら要は彼に近づいた。
「―?」
 膝を抱えた姿勢のまま首だけ振り返った茂森は「おはよう」と表情を和らげた。
「そんな感じ、かな」
「ふーん」
 再び視線をグラウンドに向けた茂森の隣に立って、要もグラウンドを眺めた。人のいないグラウンド。対面に立つ向こう側のゴールが、ぽっかりと口を開けて佇んでいる。
「普段の練習や試合だと見えにくくなる距離感を、こうして時々確認するんだ」
「距離感?」
 このグラウンドは、国際大会用グラウンドと同じ寸法で作られている。縦が105メートル、横が68メートル。
「なんていうのかな、ゲームを「面」でも捉えられるように」
「面?」
「うん。点と、線と、それから面、だね」
「よくわかんないけど、主観と客観ってことか?」
「そんな感じ」
 また「ふーん」と相槌を返して要は大きく白い息を吐き出した。そして、用意していた言葉を口にする。
「悪かったよ、昨日は…。んで、ありがとな」
「うん?」
 茂森が見上げてきたが、要は前を向いたまま言葉を続けた。
「腕の怪我」
 必要最小限の言葉に「ああ」と笑って茂森はスエットの腕のボタンを外した。
「こんなのは怪我に入らないから大丈夫だよ。大会前や試合中はこれぐらい当たり前につくしさ」
 前にも聞いたことのある台詞だ。下を一瞥すると、ウエットの下から薄く包帯を巻いた腕が見えた。当てられたガーゼが薄っすらと見える。傷自体は大した事ないが、面積が広いので包帯でおさえているだけだ。
「そういえば、親が看護師だっけ?」
 きれいに手当てされた跡を見て、ふと要は思い出した。「うん」と静かに頷いた茂森は、包帯の上に手を添えた。まるで動物を撫でるように優しく、白い布を指先でなぞっている。
「たいていの事は蓉子さんが何とかしてくれる」
 蓉子さん。
 前にも聞いた名前だ。
(親を「さん」付け?)
 要は不思議に思ったが、口にするのを思いとどまった。あ、と先に気がついた茂森が再び顔を上げる。
「親っていうか、保護者、かな」
『やった、お父さん!』
 突然、要の脳裏に女の声が蘇る。
 小六の夏、東京の競技場で近くに座っていた若い女性。桜台アークスのユニフォームを着た茂森が手を振っていた相手。彼女が「蓉子さん」だろうか。
(はっ、しまった)
 ほんの数秒間考えてしまったことで、またこの場を離れるタイミングを失ってしまっていた。
「今日さ」
 訪れかけた沈黙をかき分けたのは、また茂森の方だった。最近、このパターンが多い。
「新しいスパイク?」
「え」
 昨日、お互いに気まずい沈黙の中で選んだ新しいシューズ。
「まあ…な」
「俺も」
 茂森は尻についた砂を叩き落としながら立ち上がった。
「軽くシュート練習、しないか?」
「あ?」
「朝練前に、スパイクを足に慣らしとこうかなって」
「あー、それもそうだな」
 ナイスアイディア、とばかりに要は表情を緩めた。近くのクラブハウスのロッカーから昨日仕舞っておいた新しいスパイクを取り出して戻ってくると、茂森はボール片手にゴール前で待っていた。こちらに放り投げられたボールを軽く足でさばいて受け取り、要はペナルティアークに向かう。
「そうだ、四条」
 呼び止められて振り返る。
「PKじゃなくて、いろんな角度から蹴ってみてくれないかな」
「正面以外からってことか?」
「そう。ペナルティエリアの内外は問わないから」
 確かにその方が、今の要にとって様々な角度から狙った場所へボールを送る練習にもなる。
「オッケー」
 軽く蹴り上げたボールを斜め前方に転がして、要はゴールに向けて駆け出した。

「あれ、もう誰か来てますね」
 少し眠たそうな顔が否めない泉谷コーチは、クラブハウスの扉の前で小さく首を傾げた。ドアの鍵が既に開けられている事に気がついたのだ。
 オフシーズンの朝練は、数人のコーチが交代で練習指導にあたる。監督は来たり来なかったりだが、この日の西浦は泉谷と共にいた。
選手たちに、ある発表をするために。
「鍵の閉め忘れじゃないだろうな?」
「そんな事はないと思うんですが」
「まあいい」
 グラウンドを見に行ってくる、と泉谷をクラブハウスに残して、西浦は歩き出した。今日も大柄な体に真っ黒なスタジアムジャンパーを着込み、巨大な木炭と化している。
「?」
 グラウンド方向から、物音と声が聞こえてくる。
(オフシーズンなのにずいぶんと殊勝な奴がいたもんだ)
 感心するものの、平坦な面持ちを微塵たりとも崩さずに西浦はフェンスの向こうに広がるグラウンドを覗いた。
「………」
 朝靄が晴れたグラウンド、ゴール前で二人の選手が動き回っている。一人はキーパー、そして一人はキッカーとして。紛れも無く、キャプテン茂森と副キャプテン四条の両名。
 西浦は、しばし黙って様子を観察した。要が蹴るボールを、茂森がパンチングで弾き、その弾いたボールを追いかけた先から再び要が蹴る。様々な距離と角度からシュートを打ち、それをキーパーがあえてキャッチせずに弾いていく。お互いに全力ではなく、一歩分下がって力を抜いた状態。シュートをしながら、ボールを追いながら、合間合間に会話をかわしている。
「………ふむ」
 西浦は無意識に頷いた。
(思っていたより、早いな)
 二人をキャプテンと副キャプテンに任命して、まだ一週間経っていない。
 あの人事采配へ特に違和感を示していたのが副キャプテンの要で、彼の適応力を買っての判断ではあるものの、多感な年頃の子供のことだと、不安要素が西浦の算段から拭い切れなかったのは、正直なところだ。
 だが今、どのような経緯があってか、二人はこうして朝練前のウォーミングアップを共にしている。
(こいつはもしかしたら、もしかするかもしれん)
 スタジアムジャンパーのポケットに突っ込んでいた両手を出して、西浦は厚い胸の前で組んだ。
 人と人を結びつける「相性」には様々な種類がある。その中には、性格や趣向といった環境や後天的要素とは無関係なところに存在する、原始的なところで繋がっている線も確かに存在するのだ。
 これは、「チーム」という限られた世界の中を通り過ぎていく、数え切れない多くの選手を見つめてきた西浦の持論だ。
(だが俺は、二年も時間をかけてしまったんだな……)
 朝もやが晴れようとしている空から、白い朝陽がヴェールとなってグラウンドに降りる。その中で、一定の距離を行ったり来たりを繰り返す白と黒の球体。眩さに細めた目に、西浦は追憶を浮かべていた。
 二年前。要や茂森が桐嬰に入学した年。
 その一年は、チームコンディションは創部以来最悪の状態で、成績も周囲の期待より奮わず、桐嬰サッカー部の名に影が差した年だった。原因は分かりきっている。上級生を差し置いて当時一年生だった選手を正GKに採用したからだ。
「だがな……仕方ないじゃないか?」
 聞こえない独語を、西浦はゴール前の白と黒のスウェットに向けた。
「俺は出し惜しみが嫌いなんだ」
 続いた西浦の独語は、要がボールを蹴る音に掻き消された。
 西浦は再び左右を行き来するボールを目で追う。徐々に、左の要と、右の茂森に、前任のキャプテンと副キャプテンの姿が重なった。
「………」
 眩暈を払拭するように、西浦は軽く頭を振った。
 前を見据えて、改めて前任のキャプテンと副キャプテンを思い浮かべる。両者とも、あまりチーム内で突出して目立つタイプではない、性格も穏やかな選手だった。その為に衝突の少ない、無難にまとまりのあるチームが形成された。無難すぎて決定力に欠ける、という外の評価もあったが、西浦自身は己の采配が正しいと評価している。チームの建て直しを図る為の人選だった。接着しかけたヒビを再び壊してしまわない為にも、彼らでなければ駄目だったのだ。
 ちなみに現在の彼らは既に進学が決まっており、中等部から引退扱いとなった今は高等部の練習に参加させている。
(小泉と前田が固めた地盤に、お前ら二人は何を築くのか……)
 小泉と前田。前任のキャプテンと副キャプテンの名だ。
「ストップ」
(……?)
 突然の声が、西浦の意識を現実に引き寄せた。
 声の方に視線を向けると、ボールを足で止めた要がいる。
「どうしたんだ?」
 不思議がるゴール前の茂森に向かって、要は大股で歩み寄る。
西浦は二人の様子を眺めた。小泉と前田の幻影は、もう消えている。
「背中、痛いんじゃないか?」
 ゴール前まで歩み寄った要は、茂森の背中を覗き込むように視線を下げた。
「え」
「なんか、かばってる感じがする。動きが」
「……」
 要に指摘され、茂森の片手が背中にまわった。丸くなった瞳が、次に苦笑へと変わる。
「何でバレるかな」
「昨日ポストにぶつけたんだろ?」
「ちょっと痣になってるだけだ。皮膚が引っ張られるときに少し痛むだけで」
「見せろ」
 要の手が茂森のスエットを掴んだ。
「いや本当だって」
 茂森は身を捩って逃げる。
「いーから」
 また手を伸ばす。
「やだよ」
 小走りに駆け出して逃げられる。要はまたそれを追う。
「ところで四条って50メートル走いくつだっけ?」
 逃げる茂森が肩越しに振り向いた。
「は?6秒…いくつだっけな」
 律儀に答えた要に「そうか」と笑い、再び前に向き直った茂森が急激に加速した。
「ぃ!?……この…負けず嫌いがっ」
 白と黒の背中を追いかけて要も加速する。はためく茂森のスエットの端に指が届きかけるが、また離される。近づいては離されるを繰り返しながら、二人はグラウンドを駆け回った。
(………ガキ二人が何やってんだ)
 肩で大きくため息をつく西浦の視界の中で、いつの間にかボールを置き去りにした二人が今度は追いかけっこを始めている。桐嬰の一軍は俊足揃いで、レギュラーの多くは五十メートル走で六秒台をたたき出す。
「なーーーにーーーしてんでーすかああーーーーーーー」
 あらぬ方向から新しい声が響いてきた。
「?」
「え?」
「うわっ!」
 いつの間にか二人の真後ろに、犬コロのような人影が増えている。
「鴨崎!」
 だった。
「もうこんな時間か」
 西浦は冷静に腕時計を見やると、朝練集合時間まで十分をきっていた。よく周囲を見れば、寮の方向からそぞろにサッカー部ジャージの部員たちの姿が見え始めている。
「準備準備」
 そうつぶやきながら西浦は、グラウンドを駆け回るガキ三人を尻目に、自分はクラブハウスへと戻って行った。
「鬼ごっこですか?ケードロですか?」
 ほぼ全速力で走る二人の背後にぴったりとついてくる鴨崎は、息を切らす様子もなくにこやかに尋ねて来る。さりげなく、怪物ぶりを発揮していた。
「二人でケードロして何が面白いんだ」
 鴨崎の言葉に呆れつつ要は、視界の端に羽鳥の姿を見つけて名案を思いつく。一年生の羽鳥。二軍ながら、チーム一の俊足だ。
「羽鳥ー!」
 速度を緩めて振り返り、手を振って呼ぶ。
「え、僕?」
 グラウンドの端で三人の様子を見ていた羽鳥が、弾かれるように肩を竦めた。
「茂森捕まえろ!」
「え?」
「いーから!」
「は、はあ」と事態を飲み込みきれない顔で、羽鳥は手にしていたタオルをベンチに置いた。グラウンドに足を踏み入れ、茂森とそれを追いかける鴨崎の方へと走り出す。
「四条ズルいぞ!!」
 羽鳥の脚の威力を知る茂森は「マズい」という顔で速度を上げるが、陸上部エースにも負けないという羽鳥はあっという間に距離を縮めてくる。
「人事采配も立派な作戦なんだよ」
 唖然とするほかの部員や、満足そうに意地悪な笑みを浮かべる要達の視界の中、キャプテン、バカ、俊足の三人ははるか遠く、陸上部用の砂場に転がったのであった。

「何があったかは、きかないでおこう」
 集まった部員を前に今日も仁王立ちする監督西浦は、頭から砂まみれのキャプテン、バカ、俊足の三人について、それ以上の追求はしなかった。そしてコーチの泉谷は、わざとらしく三人から視をそらして笑いをこらえているのが、部員達からは見え見えで。
「そんな事よりも、今日は発表する事がある」
 西浦は肩越しに泉谷を振り向き、目で次を促した。「はい」と気を取り直した泉谷はボードを片手に監督の隣に並んだ。
「今日は、東西戦トレセンのメンバーを発表する」
 東西戦トレセン。
 サッカー協会がジュニア育成のために実施しているトレーニング制度の一つだ。昔、戦国時代ファンだった役員の一人が考えたジョークのような催し物の一つなのだが、何故だか好評で今も残っているという。
 その名の通り、関東地区と関西地区の選抜を戦わせるというものだ。十二歳以下部門、十五歳以下部門、十八歳以下部門の三つがある。
 流れを簡単に説明すると、まず協会の推薦条件に見合った選抜選手が集められ、試合の前に選考会を兼ねた三日間の合宿トレーニングが行われる。合宿をパスした選手による選抜チームが、試合に臨むのだ。
 ちなみに、この東西戦トレセンと類似した他の制度には、東海東北戦トレセン、別名ホトトギス対竜虎戦トレセンといった風に、他にも役員の戦国オタク趣味の名残がまざまざと感じられる物があったりするのだ。噂では維新戦トレセンたる九州地方で行われる物もあるようだが、定かではない。
 由来はともかく、このトレーニングには有名指導者も招聘されるなど、選抜選手達にとってメリットは多いため、誰も表立って文句を言う者はいない。
 シーズンを終えたこの時期行われるトレセンでは、主に次年度に主力を担う選手達を召集する事になる。春先に行われる新人戦と似た意義を持っており、学校側にとっても選手にとっても大きな意味を持つ。
 合宿に参加する選手の選出基準は二つ。一つは協会から直々の推薦枠。そしてもう一つはその年の各地区大会でベスト8以上に入った学校の監督者からの推薦枠が二名。
「今年はうちから五人、選手を選べる事になった」
 五、という数字に、面々が微かにざわめいた。去年は協会推薦枠が一名、そして監督推薦枠二名の計三名だったからだ。つまり、
「今回は協会から推薦された者が三人いる」
 という事だ。
 その一人は分かりきっている。去年も協会推薦枠で選ばれた、茂森だ。当然のように泉谷の口からその名が呼ばれる。前髪に残る砂をはたきながら茂森が「はい」と頷く。
「おー、さすがあ」
 後ろで鴨崎が自分の事のように手を叩いて喜んでいる。そんな彼を一瞥し、
「二人目の協会推薦枠は、鴨崎」
 さりげなく泉谷の口からその名前が出た。
「え!!!!!!」
 真後ろから突き刺すような声が上がって要は思わず両手で耳を塞ぐ。鴨崎は両手を顔の前に拍手の形に掲げたまま固まっていた。
「おめでとう」
 茂森が振り返って微笑む。
「うわ、俺初めてっすこういうの!!!」
 鴨崎は完全に舞い上がってしまっていた。垂れ下がった眉と瞳が零れそうだ。小さく笑ってから泉谷は再びボードに目を落とす。
「三人目は、芥野」
「え、俺?」
 要の隣で、長身が勢い良く振り向いた。だが鴨崎と同様に芥野も初めての経験だが、彼は落ち着いている。性格の違いだ。
「うわーびっくりした」
 と大きく息を吐く芥野の両側から、要と清水寺が腕を小突いて「やったじゃん」と祝福を送る。それからようやく芥野に笑みが浮かんだ。
「で、ここからは監督とコーチの間でよく相談して決めた、学校推薦枠だ」
 まだ発表は終わってないぞー、と前置きし、泉谷はボードから顔を上げた。
「四人目は、―」
 ここで泉谷が一瞬、言葉をとめる。ボードの上で二度ほど視線が動いた後、微かに頷いた。
「四人目は、清水寺」
「……はあ」
 これも性格がよく表れた反応だ。清水寺は芥野を小突いた姿勢のまま、数秒ほど動きを止め、そしてゆるゆると視線を一度空中で泳がせた後に頷いた。
「おー、仲間仲間」
 今度は芥野が清水寺を小突き返す。
 要は喜ぶ友人二人に「土産わすれんなよー」と祝福に代わる言葉を向ける。
「こら、四条、ヨソ見すんなーー」
 前方の泉谷から注意が飛んできた。
「はい、すんませんー」
 他の部員よりも何故か私語を注意される確率が高い要は、もう慣れたとばかりにまったく悪いと思っていない様子で肩を竦めた。
「五人目はお前なんだからな」
「……」
「聞いてるのか」
 場が静かになると同時に完全に固まった要へ、泉谷に代わり西浦から低い声が飛んできた。
「………」
 ぎこちなく要の首が前を向く。
 まず最初に茂森の顔が視界に飛び込んできた。

 これはデ・ジャヴか?

 明日でちょうど、副キャプテンとなって一週間が経つ。
 この時の要は、六日前の夜を思い出していた。

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