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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師ACT12-12
12

 長いこと、無言が続いていた。
 赤さびた鉄骨の骨子だけが残った、古びた建造物。白く真新しい設備の群れを遠目に、忘れ去られた廃屋の影に潜む、三つの人影。
 一人は鉄階段の中二階の踊り場にあたる位置で、鉄柱を背に腰を下ろしていた。視は白い建造物が立ち並ぶ方向を見据えている。沈みかけた夕日の赤色に照らされる考え込んだ横顔は、感慨に耽る画家か詩人のようにも見えた。
 その様子を見上げる二人目は三人の中で最も年若く、同じように鉄柱を背にして座っていた。居心地悪いのか、視線が落ち着き無く後方を気にして泳いでいる。
 その二人目と柱を挟んで背中合わせになる位置に座るのが、三人の中でも最も大柄な体躯を持ち、鋭い瞳と金髪が印象的な若者。時おり手元から金属音が漏れるのは、武器の調整を行っているからだ。
「―あの…」
 遠慮がちな「二人目」の声が呟かれる。返事は無い。
「レイブリック……中尉?」
「………なんだ」
 お前に位で呼ばれる覚えは無い、とでも言いたげな数秒の沈黙の後、名を呼ばれた「三人目」、ノア・ジェイス・レイブリックは低い声で答えた。問いかけをした「二人目」、イルトは体を捻って柱の向こうに座るレイブリックを見た。国軍の肩章がついた戦闘服を着込んだ広い背中が、武器と語り合っているように静かだ。
「信じる、のか?」
「何をだ」
 武器を触る手を止めず、レイブリックはイルトの質問に問い返した。
「その…、グレンの言う事を」
「………」
 金属音が止んだ。
「それはこれから証明される事だ」
 再び、音が再開する。
「それ」がこれから展開される戦略を指すのだと、イルトは気がついた。
「そっちじゃなくて」
「?」
 鋭い瞳が広い肩越しに振り向いてきた。光の加減で青にも緑にも見える不思議な色の瞳が珍しく、一瞬イルトの視線はその一点に奪われかけた。
「ああ、あいつの素性についてか」
 肩越しに振り返るレイブリックの視線が、中二階にいるグレンに向いた。こちらの会話が聞こえているのか、いないのか、彼の視線は前方を向いたまま微動だにしない。
「大戦の英雄がかつて父の部下であった事は、話に聞いたことがあった」
 そしてまた、視線は手元の武器に戻っていった。広い背中は何事もなかったかのように静かなままだ。
「でも、普通、ちょっとおかしいだろ?計算合わないし」
「計算?」
 予想外なレイブリックの反応に、イルトは思わず腰を浮かして鉄柱の向こう側を覗き込んだ。
「え、だって、グレンていくつに見える?」
「俺よりは上だろうが、まだ若いのだろうな」
「その「若い」奴が大戦ん時に何歳だったっていうんだよ」
「………ああ、そういえばそうだな」
「ええええええ~……」
「失念していた」と簡単に認めてしまったレイブリック。肩から力が抜けてイルトは危うくその場に崩れかけた。
「では逆に訊くが」
 揺れが全く窺えない声調が尋ねてくる。イルトは両腕で体勢を整えて顔を上げた。
「お前はその年齢で自称「民間人」ながら、何故あの男に付き従って護衛など?」
「うん…」
 イルトはこれという簡潔な答えが算出できず、間延びした相槌で考えた。
「色々、本当に色々あるんだけど…―」
「結局のところは理由なんて無い。そうなんだろう」
「…!」
 イルトの返答に、レイブリックの言葉が続く。
 経緯を語ればキリがない。だが、結論は彼の言う通りだ。
「俺とて同じ事だ」
 再び武器を触る手を動かし始めて、レイブリックは言葉を継いだ。
 父親の元部下である事、提示された戦略内容、一見控えめな外見ながら妙に図太い性格、命令慣れしている態度、等、様々な判断材料を脳裏に並べたが、結局最終判断を下したのは、己の「直感」。
「その直感を導いたのは、これだ」
「これ」のところでレイブリックは前方に投げ出した己の長い足、その膝上辺りに手を添えた。そこに、彼の「印」がある。レイブリック家の当主に受け継がれた、「狼の印」。
「俺は、この印によって生かされてる」
「え…」
 どきりとした。かつて、誰かが同じような言葉を口にしてはいなかっただろうか。イルトは身を乗り出すような姿勢のまま、レイブリックの言葉を聞いた。
「数多くの現場を、任務を、この印のお陰で駆け抜る事ができた。これがなければ、俺はとっくに死んでいた」
 それを彼は「生かされている」と表現した。印の表出には、必ず意図が存在する。そうとなえる人は多い。それは決して、神の気まぐれ故ではありえないのだと。全てが摂理という裏づけに沿った一本の琴線につながり、共鳴しあっている。
「言うなればこれは俺の命そのもの。それが、奴やお前を目にした時に何かを俺に訴えかけてきた」
「何か?」
「それが何かは、まだ分からない。それに、重要なのは、俺がこなすべき課題を如何に良い形でクリアできるか、だ。奴が本当に大戦の英雄なのかどうかなんて、今は関係のない話だ」
「そういうもんか」と呟き、イルトは座る位置をずらしてレイブリックに一歩近寄る。レイブリックも視線を武器に、だが意識はイルトに向けていた。
「その中で重要なのは、お前だ」
「俺?」
 突然自分について話を振られて、イルトは目を丸くする。
「指揮系統がつぶされては戦力が半減する。どんな小さな組織でも、同じだ」
 どこかで聞いた話だ。そう、あれは確か、グレリオ・セントラルで押印持ちの子供たちやラースルと対峙した時。
「奴は、頭は切れるようだが身体的戦闘能力が無い」
 レイブリックが出会い頭にグレンを組み敷いた時に、大方の身体能力は見て取れた。
「俺程度の腕力があれば、片手で殺せる。そうでなくとも、流れ弾の一発でも当たればおしまいだ」
「………」
 イルトの脳裏に、ラースルの姿が浮かんだ。「命が失われる」という事を初めて目の当たりにした瞬間。当たり前だが、人は死ぬ時は死ぬのだ。その瞬間は、思い描いていたよりもあっけなく淡白に訪れ、そして過ぎていく。父のライズだってそうだった。
「護衛官という職種は、戦闘職士官の中でも特に秀でた人間が就く」
 いわゆる「エリートだな」と、レイブリックの言葉が続いた。
 通常は然るべき訓練修了、数年の実務経験を経て更に特別訓練を受けなければならないのだという。
「それだけ組織における『指揮官』の存在は重い。二人以上で組んだその瞬間からそれは「組織」だ」
 お前の役割の重大さが分かるか、とレイブリックは締めくくり、調整の終えた銃を握って空に構えた。

―私の右腕は生半可なポジションではないぞ

 イルトが大きな決断をした日に、グレンから送られた言葉を思い出す。
(同じなんだ)
 イルトは思う。表現方法は異なるが、彼もグレンに可能性を賭けている。指揮官という立場の人間は、配下の人間から可能性を託されるのだ。そして、その可能性を守るのが護衛官という人間。今は三人だが、これが何十、何百何千という規模になれば、護衛官は指揮官と共にその重さを背負う事となるのだろう。
「…………」
 イルトは再び鉄柱に背をつけて、紅に染まり始めた空を見上げた。
 若い二人の青年の思いを他所に、当のグレンは沈み行く陽光の行方を見据えたまま、相変わらず微動だに動かないのだった。


 肩が熱い。鉄の床に転がされ、頬に当たる冷たい感触がやけに心地よく感じた。
「…………」
 すぐ耳元で轟音をたてるボイラーの音を遠くに聞きながら、セイラは重たい瞼を恐る恐る開いた。さっきとは違う部屋。ミソラの姿も、レイカの姿も、首謀者の女の姿も無い。コールタールのような黒色の金属の床の部屋に、セイラは一人寝かされていた。
「私…また失敗しちゃったんだ…」
 感覚が麻痺し痛みにも慣れ、少しずつ思考する力が戻りつつある。冷たい床に背中を預けたまま、セイラはパイプが這う天井を見上げて呟いた。
 幼い頃に誘拐犯から助けてくれた国軍人に憧れて、自分も人の命を救う仕事をしたいと、両親の反対を押し切って士官学校へ進学した。だけど現場は、憧れだけでやっていける世界ではなかったのだと、セイラに容赦ない現実を突きつけた。失敗が重なりに重なって、今や生命の危機にまで状況は悪化している。
 精霊の印もなく、押印の適応力もなく、運動能力に秀でているでもない自分は、両親の言う通り、経済を学んで大人しく父親の事業を手伝っていれば良かったのだろうか。
 このままここで、十数人の隊員の命まで危機に晒し、足を引っ張ったまま自分も殺されるのだろうか。
「ごめんなさい………」
 自然と口から謝罪が零れた。隊の皆や両親の顔が次々と脳裏に思い浮かぶ。肩を抑えて体を丸め、痛みと寂しさをやり過ごした。
「………」
 一通り涙を流し、呼吸も整ってくると、妙に頭が冴えて来た。遠い雷鳴のように思えたボイラーの音が、明瞭に耳に入ってくるようになる。
「…よい、しょ…」
 傷を負った肩の負担にならないように体を起こす。
 何を差し置いてもまず最初にやらなければならない事。
「現状認識、現場確認…」
 鼻をすすりながら、まず自分の体を見渡した。肩に負った傷には、簡易的に布が硬く巻きつけられている。出血は止まっているようだ。目を閉じて、痛みの度合いを測る。痛いことは痛い。だが皮膚を走る、表面的な痛みだ。神経や骨はやられてはいない。
 次に、周囲三百六十度を見渡した。ボイラー管が入り組んだところは先ほどの部屋と似ている。ただ違うのは、少し部屋に奥行きがあるところ。
「…!」
 膝立ちで移動しようとすると、柱に繋がれたロープの端に引っ張られる。
「くっ…」
 振動が肩に伝わり、痛みが広がった。きつく目を閉じて耐えて、呼吸を整える。
「ここで…ここで役立たずのまま死んだら……私は何のために…」
 両手首を縛るロープを柱の角に擦りつける。摩擦で引きちぎれるまでに、そう絶望的な時間は要しないはず。手錠でなかったのが幸いだ。筋肉に力が入る度に肩がじんわりと痛むが、無視して手首を上下に動かし続ける。
(それにしても……)
 手を動かしながら、セイラは室内を再び見渡す。
(何故こんなにボイラーがたくさんあるのかしら)
 しかも、狭い範囲内に集中している。園内に大規模な温室は他にも多くあるというのに。作戦会議中に横から詳細な図面を覗き見した時には、確かに今セイラがいる場所周辺以外に、ここまで大規模なボイラー設備は他に据えられていなかったはず。
「『動力源の把握』」
 ライトが灯るように唐突に、学校で習った単語が思い浮かんだ。現場にてまず行うべき事は、現状認識、現場の把握、そこから更に確認事項は細かく枝分かれしていく。例えば地形の把握、高低差がある場合その次は高地の確保、といった風に。現場が人工的建造物内の場合は「動力源の把握と確保」もその一つだ。
「ボイラーや電力の動力源…これだけ大規模な施設だもの、中央制御装置が必ずあるはずだわ」
 人質を残し単独で逃走する事は、セイラにとって許しがたい事だ。一方で、ただここでこうして捕らわれたままの身でいる事も。それならば、隊の皆に少しでも報いる方法を考えたい。
 動力を止めてしまえば敵に損害を与える事ができ、または場所を先に把握しておけば、隊が突入する際の手助けになるかもしれない。それに、停電させる事ができれば、騒ぎに乗じてミソラを助ける事が可能かもしれない。
 全て「かもしれない」論を出ないが、少なくとも今のままではマイナスだ。
(現状は把握した。次は『機動力の確保』)
 自分の身を自由にするために、セイラは一心不乱にロープに摩擦を与え続けた。同時に、ミソラから聞いた扉を開ける番号パターンを計算し始める。
「何のことはないわ……できるだけ多くの計算をすればいいんだから…」
 五分おきでも一時間に十二パターン。日付が変わるまで七時間。これからの一時間を計算の時間に使っても残り六時間。たった七十二通りだ。暗算や暗記、瞬間記憶の訓練は受けた。得意科目だった。
 初めから冷静に、己にできる事をまず考えて行動を起こすべきだったのだ。すなわち先ほどは、「現状把握」を怠っていたために失敗した。
「……2235……2535…」
 無心に手首を動かしながら、セイラは口の中で数字を呟き続けた。

 別室に連れ去られたセイラは、今どうしているのだろうか。
 床に残った、セイラのものと思わしき血痕を見つけてミソラは眉をひそめた。酷い扱いをしないと、メアリーは約束してくれた。だが、ここで十分な外科治療をしてもらえるとは思えない。傷が痛むであろう事は変わらないだろう。
「レイカ」
 相変わらず人形のように部屋の隅で膝をかかえる少女。ミソラの呼びかけに視線だけが反応した。
「レイカ、お願いがあるんです」
 縛られた両手でミソラは襟元に手を入れる。鎖で首からさげた、少し大きめのロケットがついたペンダントを取り出した。いつも身につけているもので、体の一部のようなものだ。均等な十字を象ったロケットを開けると、中に小瓶が入っている。小瓶の中には、白く小さな錠剤が詰め込まれていた。
「これを、セイラさんに持って行って下さい」
 その小瓶を、少女に差し出した。
「………」
 首を傾げて小瓶を見おろす少女。
「お薬です。鎮痛…えっと、痛みが少なくなるお薬」
「オクスリ……?」
「そう。セイラさんは今、怪我をして「イタイ」んです。それを、失くすお薬です」
「イタイ……」
 少女は受け取った小瓶を顔に近づけて、しげしげと覗き込んでいる。振ると錠剤がぶつかりあって小気味良い音を立てた。
「お願い、届けてあげて下さい」
「『イタイ』を治すお薬?」
 ミソラは頷く。この薬は、外で怪我か病気でもした万が一の時に使うようにと、父親に渡されていたものだ。幸いな事に、これまでミソラはこれを一度しか使ったことがない。今回で、二回目となる。
 ちなみに一度目は、数年前のグレリオ・セントラルの学校で。相手はグレリオ村長の孫息子だった。
(思い出に浸ってる場合じゃないですって)
 脳裏に思い出しかけた光景を振り払い、ミソラは再びレイカに詰め寄る。
「そう、『イタイ』のを治すお薬なんです」
「………メアリー…」
 小瓶を見つめていたレイカが、無表情で呟いた。
「メアリーも……イタイの。これで治るの?」
「え?」
 セイラと取っ組み合いになった際に、どこか怪我をしたのだろうか。ミソラには覚えが無かったが、
「治ります。メアリー…さんにもあげても良いですから、まずセイラさんに」
 とにかくレイカを動く気にさせなければと、頷いた。
「分かった」
 短く答えて、レイカは立ち上がる。瓶を握り締め、扉の鍵を作動させて外へと駆け出した。ボイラー音に混在して軽い足音が遠ざかる。再び室内に静寂が戻った。
「……どうしたらいいんだろう」
 ミソラは盛大な溜息を漏らす。セイラから話を聞く限り、事態が良好とは言えない事がよく分かった。明後日には突入するという、その部隊の到着を待つべきなのか。その騒ぎに乗じて逃げる事は可能なのか。その前に「処分」される運命にあるのか…―。セイラの話をもっと聞きたかった。あそこで、ナイフや鍵の話をするべきではなかった。
「やっぱり、自力で逃げる方法を考えなきゃ」
 セイラならばそうするだろう。ミソラは思う。接したのは短い時間だが、彼女の性格はわかりやすかった。素直で、一途で、真っ直ぐなのだ。そして考えを行動に現さないと気が済まない。
(誰かに似ている?)
 思い浮かんだのは、イルトだった。
「ふふ……」
 一度そう思うと、可笑しくて仕方が無くなる。やる事なす事が唐突である点も、似てはいないだろうか。
(セイラさんがあの薬を飲んで…体が動くようになったらきっと行動を起こす)
 もしそうなったとしたら、自分はどう動くべきなのか。
 ミソラは考えた。




ACT12-13⇒
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押印師ACT12-13
13

 時刻は夕方の六時になろうとしていた。キルギストック第一植物園は、間もなく閉園の時間を迎えようとしている。
 秋にさしかかり日が短くなってきているとはいえ、この時間のキルギストックはまだ陽光が残る。だがこの日は都合の良い事に夕方から天気が下り坂に差し掛かり、今は厚い雲が太陽を隠して夜のように暗い。
「見廻りが出始めた」
 白い建造物を凝視し続けてきたグレンが、静かに呟いた。素早くその場を立ち上がったレイブリックが隣に並び、同じ方向を見つめる。言葉通り、一人、二人と警備官の装いをした男たちが白い建造物の周囲に姿を現し、ゆったりとした足取りで周囲を廻り始めていた。
(ここにいて大丈夫なのか…?)
 意外と距離が近い事にイルトは驚く。こちらから見えているという事は、向こうからもこちらが見えてしまうのではないだろうか。だがイルトの懸念は徒労である事が分かる。曇り空に加えてイルト達が待機する場所は背後と脇に生い茂る草木の陰となり、また鉄骨の色が赤茶けているために周囲と同化し、向こうからは非常に見え難くなっているのだ。そして、階上に上がれば高い位置から前後を見渡せる。セオリーに全て当てはまる絶好の待機場所である事を、イルトは後に知る事となる。
「閉園が六時。一般人と一般職員が完全に出払うまでに一時間として…」
 レイブリックが腕時計を確認する。
「二十時ちょうどだ」
 とグレン。
「二十時になっても君の隊が動き出さないようであれば、起爆剤を投下してやろう」
「起爆剤?」
「閃光弾、あるか?」
 グレンが尋ねる。
「ある」
 レイブリックは答えて、懐の鞄から手のひら大の手榴弾を取り出した。
 友人のスタニア少尉が開発、もとい勝手に改造したものだ。見た目は軍で使われる一般的な型である。それを見たグレンの口から、
「十秒か…間に合うか…」
 と独語が漏れた。
「何がだ」
とレイブリックが問うと、グレンの指先が斜め前方を指し示した。
「それを二時の方向にぶつけ、光が収まらない内に玄関に進入する」
 二時の方向には、植物園の管理部局が集まる二階建ての建物がある。
「ただ、この距離だ。君の脚とはいえ、十秒で抜けられるかどうか」
 進入前に目撃され、駆けた方角からこの待機場所を割り出されてしまっては不都合だ。
「十三秒」
「え?」
 グレンが振り向くと、手榴弾を片手でお手玉するレイブリックの横顔がある。目は二時の方向を見据えているが、口元に微笑が浮かんでいた。
「十三秒あれば、余裕で抜けられる」
 少し自慢げでもある。
「………」
 グレンは黒茶の瞳を僅かに見開いた。軍で使われていた閃光弾の効力は十秒間であったはず。
「へぇ…そんなに改良されていたのか」
 感心するグレンに向き直ったレイブリックは、お手玉していた手榴弾を握りこんで苦笑する。
「ただ、チャンスは「これ」一回きりだがな」
「これ」の所で、再び手榴弾がレイブリックの手の中で跳ねた。その意味を即座に理解したグレンは「なるほど」と笑い返す。
「一回で十分だ。素晴らしい」
 握った手の指先で手榴弾の表面を撫でながら、レイブリックは口端をわずかに上げる。
「それの開発者に伝えるといい」
 その黒い塊を指差し、グレンは頷いた。
「更に十五秒、二十秒まで伸ばせる事ができれば、世界を変える事になるかもしれないとね」
「………」
「?」
 グレンの言葉を受け動きを止めたレイブリックに、グレンは疑問符を浮かべる。すぐ後ろにいたイルトからも、レイブリックらしからぬ面持ちが見て取れた。
「どうした?」
「―いや…。伝えておく」
 握った手榴弾を鞄に仕舞いがてら、レイブリックは心配そうにこちらを見やる二人から視を逸らした。
 数時間前にレイブリックが同様のフレーズを口にした時、
『へっ。誰の受け売りだ?』
 そう友人スタニア少尉に苦笑されたのが、脳裏に思い浮かんだのだ。
 引用元は、一冊の本だ。
 かつて著名な軍事研究家が記した書籍。その中で、「名将の言葉」としてある言葉が紹介されていた。それは、
『あと一秒。あと一歩。あと一ミリ―その僅かな差が世界を変える』
 というもの。
 これは「決して地道な努力を怠ること無かれ」という教訓を含んだ名言として解説されている。才能や与えられた環境に奢らず、「継続と努力」を信条とするレイブリックがこの言葉を好んでいた事を、スタニアも知っていた。
 この言葉を残した人物の名は―
(まさかここでその言葉を聴くことになるとは)
 レイブリックは青灰色の瞳をグレンに向けた。
「どうした?」とでも問うて来るような笑みが戻ってくる。
「六時だ」
 複雑な心の揺れを誤魔化す為に腕時計へ目をやり、レイブリックは呟いた。と同時に、高らかに低音のチャイムが鳴り響き始めた。三人は音の方向を見上げる。
「閉園のチャイム、か」
 空を覆う雲を伝導するように、低音のベルが頭上から降り注ぐ。
冷たくなりつつある気温と共に、空気も張り詰めていった。


 メアリー・マクレガンは事務室の時計を見上げた。植物園は閉園の時間を伝えるチャイムが鳴ってから、数十分。一般人が完全に出払い、昼間と夜間の警備官が交代する時間となる。ただ、今晩に限り明後日に突入して来るという国軍の一隊、その対処について早急に検討する必要がある。夜間の警備は最低限に留め、人員を集わせる指示はダグを通して既に出してあった。ちなみにダグは、メアリーが雇い入れた傭兵集団のリーダーにあたる男である。
「ま、潮時ではあったわね…」
「何か?」
 呟いた独語に、警備官の一人が相槌を寄越した。この男も、メアリーが雇った私設の傭兵だ。「いいえ」と平坦に返し、メアリーは手元のファイルに目を落とす。これまでに彼女が裏に流してきた「ソラリス」を始めとする薬物の取引リストだった。
 元より情報が漏洩し、国軍に目をつけられる事は想定内だった。その期間を如何に引き延ばすかがメアリーの使命であり、事実十年近くこの植物園高等研究機関を取り仕切ってきたのだから、上出来だ。
(「私達」は始めからわかっていた)
 ファイルを閉じ、メアリーは二冊目を手に取る。持ち出すべき書類を選別しなければならない。
 裏切り者の取引相手を処分する役目のレイカが犯したミス、そこから期せずして舞い込んだ人質が、セイラという思わぬ情報源を呼び寄せてくれた。国軍が自分を探っている事は薄々と分かっていたが、こんなに早急だったとは不意打ちだったから、怪我の功名どころかレイカの思わぬ手柄である。
 当初計画時から最終手段について算段済みだ。追っ手もろ共この施設を「処分」し遁逃する手筈である。追っ手の国軍部隊の壊滅はもちろん、この地域を取り仕切るレイブリック一族の顔に泥を塗る事も、国軍に傷をつける大きなチャンスだ。
植物園のこの一画は、その計画の為にメアリーの手によって改築が加えられている。
「メアリー」
 入り口から幼い声。振り向くと、レイカがそこにいた。
「レイカ……駄目でしょう、こんな所にまで来ては」
 自分を咎める言葉を聞き流し、少女はメアリーの前に歩み寄ると小瓶を手渡した。
「何よ、これ」
 白い錠剤が詰め込まれている。振ってみると、軽い音が転がった。
「ミソラがくれたの。「イタイ」の治るって」
「ミソラ…ああ、あの人質の子ね。それは薬ってこと?」
 レイカが頷く。
「「イタイイタイ」のお姉ちゃんにって」
 怪我をしたセイラの事だろうか。止血処置は施したが、薬は与えていない。
「鎮痛剤…?」
 改めてメアリーは瓶の中身を覗く。市販の鎮痛剤には見えない。白い錠剤の表面は平らだ。一般市場に出回っている錠剤には、かならず国軍の厚生局による検査印が彫られる決まりになっているのだ。
 蓋を開けて一錠取り出し、手のひらに乗せた。刻印が無ければ一見してラムネ菓子のようにも見える。鼻に近づけて匂いを確かめる。
「………?」
 無機質な薬品の匂いに混じり、有機的な薫りもする。
「え……これ…」
 舌の先で触れてみる。
「!」
 もう一度、触れてみる。舌先についた錠剤の粉を唾液に絡めて口の中で味わい、飲み込む。ハーブの匂いが鼻腔を通り抜け、そして舌先に微かな刺激が残った。
 これは。
 メアリーは思い当たった単語を脳裏に浮かべた。
「メアリー、イタイの治った?」
 愕然としたメアリーの横から、少女が無垢な瞳で顔を覗き込んでくる。だがその声は届いていないようで、メアリーの視線は空虚向けて見開かれている。わなわなと口元が震えていた。
「どういう事なの…」
 席を立ち、鬼気迫る勢いでメアリーは部屋を出て行った。パンプスの足音が焦燥したリズムを刻んでいる。
「どうしたんだ、彼女は」
 入れ違いで打ち合わせ室にやってきたダグは、入り口付近でぼんやりと立ち尽くすレイカに尋ねる。無言で首を傾げるだけの少女の反応に、ダグも相槌のように肩を竦めた。端から答えを期待していない。やがて少女もメアリーの後を追うように部屋を出て行ったが、ダグは後を追わなかった。
「!?」
 鍵が開けられ扉が開かれると、雪崩込むようにメアリーがミソラの元に詰め寄ってきた。
「貴方、これは何なの?」
 そして目の前に小瓶を突き出され、ミソラは「あ」と声を洩らした。先ほどレイカに託した、薬の瓶である。当のレイカは、メアリーの背後から相変わらず無の面持ちでミソラの様子を眺めていた。
(やっぱりこの子に頼んだのが間違いだったのかしら…)
 仄かに抱いた何かしらの期待が、音もなく崩れ去った感覚。ミソラは溜息を零した。
「答えなさい。これは何?」
 再び突きつけられた厳しい声で我に返ると、鼻先に小瓶が突きつけられていた。
「錠剤…ですが…」
「何の錠剤?」
「薬、だと思います」
「何の薬か分かる?」
 ミソラの鼻先から小瓶を離し、メアリーはその場に片膝をついてミソラと視線の高さを合わせた。
「………」
 メアリーが何の目的で何を探ろうとしているのか、ミソラには分からなかった。答えを小出しにする事でそれを引き出そうと試みるが、見当がつかない。
「どこで手に入れたの?」
 ミソラが無言になったのを「分からない」と解釈し、メアリーは質問を変えた。
「貰い物です」
「誰から?」
「……何故そんな事を聞くんですか?」
 怒らせるかもしれないという覚悟で、逆にミソラの方から問いかけてみた。だが意外やメアリーの面持ちは変わらない。
「あなた、これをあの怪我をした士官の子に渡そうとしたんですってね」
「………」
「という事は、これは鎮痛薬ね?」
 内服薬という事もあり、まず傷薬であると考えるよりも自然だ。そう推測されては言い訳も無駄だと判断し、ミソラはおずおずと頷く。
「そう、ですけど」
「市販の薬じゃないわよね。刻印が無いもの。これがどういう薬かは、知っていたの?」
「どういうって…」
 畳み掛けるようなメアリーの問いかけの連続に、ミソラは訝しげに眉根をひそめた。
「ただの手作りの薬です。薬草の自家栽培で…」
「自家栽培なわけないでしょう!」
「え?」
 意味が汲み取れない。声調が鋭くなるメアリーに向けて、ミソラは首をかしげた。
メアリーが手にしている薬は、ミソラが父親から渡された自家製の薬。患者の治療にも用いられる時がある。父親が治療に使う薬は全て、彼が薬草の栽培から始めて作り上げたものばかりだ。そんな薬に一体どんな深い価値と意味があるというのか、ミソラには理解できなかったのだ。
「誰が作ったの、この薬」
「父…が……。町医者なので」
「父親?名は」
「―なぜそんな事を訊くのですか?」
 父親について追求され、ミソラはメアリーから体を引いた。一呼吸を挟み、立ち上がったメアリーの視を見上げる。
「答え次第では、あなたの命の保障をしてあげるわ。もちろん、望むならあの士官の子も」
「……状況が、よくわかりません……」
 手持ちのカードを出し尽くしたが、ミソラが答えを得る事はできなかった。今はメアリーが秘める解が知りたい。
「この薬の名を、父親から聞いたことは?」
「いいえ」
 ただの鎮痛薬だと、教わった。
 その答えを聞き、苦笑してから「これは」とメアリーは指先につまんだ小瓶を二度振った。錠剤が軽い音を立てる。
「この薬の名は」
 そしてメアリーは、ある女性名を口にする。
「ソラリスというの」
 ソラリス。
 同名の女医が開発したとされる、国軍による厳重取締対象の薬剤。
「ソラリス……」
 ミソラの黒い瞳が丸くなる。驚き、というよりも、夢から醒めた子供のような目でメアリーと薬瓶を交互に見やった。
「その薬、ソラリスっていうのですか」
「知らなかったのね?」
「はい」
 メアリーの問いに、ミソラは頷く。「でも…」と言葉をつなげながらその知的な眉目は、強く顰められていた。
「…?」
 その表情の変化に、今度は逆にメアリーが頭上に疑問符を浮かべる。気丈にメアリーを見上げていたミソラの視線が、糸が切れた人形のようにうなだれ、俯かれた。
「ソラリス…何故あの人と同じ名前の薬なんか…………」
 憎々しげで乾いた呟きが、ミソラの口から漏れる。
「………」
 耳にかけていた髪の毛がほつれ、メアリーの目元を覆いかけた。その下で、訝しげに目を細めて、じっとメアリーはミソラの様子を見下ろす。
(この娘は一体……)
 彼女の動揺に、静かに瞳を伏せたミソラは気付く由もない。だがそれもつかの間、
「それで、そのソラリスという薬が何だというのですか?」
 再び顔をあげ、ミソラから本題に立ち戻ってきた。その面持ちは平坦なものに戻っている。年齢に見合わず冷静な娘だ。
「―もういいわ」
 薬瓶を上着のポケットに入れ、メアリーはきびすを返した。
「え、え?」
 背中にミソラの唖然とした声が向けられたが、無視してふたたび扉に手をかける。
「あなたには、生きていてもらう価値がありそう」
 部屋を出て行こうとするスーツの背中が、最後につぶやく。
「一体……何なんですか!?」
 膝で立ち上がり、ミソラは縛られた両手を伸ばして答えを求め縋るが、目の前で重たい音をたてて扉は閉められた。レイカもメアリーと共に部屋の外だ。
「あ………」
 ミソラのつぶやきは、背後でうなり声を上げ続けるボイラー音にかき消されて消えた。

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