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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師 ACT12-9
09

 植物園は広大な面積で、一般客に解放しているエリアはほんの一部に過ぎない。実際に歩いてみて、セイラはそう感じた。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた札がかかったチェーンを潜り抜け、研究所と繋がっている建物の間をすり抜けていく。
「思ったより、簡単に入れちゃうんだ」
 想定よりも職員の姿が少なく、温室の為にかボイラーの音が響くので、気配も消しやすい。しばらく歩いていると、スモークガラス張りの巨大な天窓を有する建物が見えてきた。
(温室…かしら。研究所?)
 または、近現代的調のコンサートホールにも見える佇まい。植物園の中にあって幾何学に従った造りは、言い知れぬ圧迫感を見るものに与えた。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止ですよ?」
「!」
 背後からの声に、セイラは背筋を伸ばした。
振り向くと、庁舎職員の制服を身につけた女がいる。
「迷われたのですか?」
 若いセイラの事を学生だと思っているのだろうか、にこやかだが少し事務的な笑みで会釈をしてくる。
「あ、あの、申し訳ありません、私、怪しい者では」
 慌てて姿勢を正したセイラは敬礼する。その動きに、「あら」と女職員の口から軽い驚きが漏れる。
「もしや、国軍人様?任務でこちらへ?」
「は、はい。少々、調査をしているうち、迷ってしまい」
「ご調査、でございますか……」
 職員の女は僅かに首を傾げて相槌とする。
 このときのセイラは、自分が致命的な失言をしている事に気がついていなかった。
無理もない。OJTの雑用係として従隊している彼女には、作戦の全体情報を知らされておらず、だがレイブリックの騒ぎで聞かなくても良い事を耳にしていた。また経験の浅さから、現状理解がなく、咄嗟の事態への対応力も無かった。
「なるほど、分かりました。任務、ご苦労様です」
 にこやかに笑う女につられ、セイラは安堵の笑みを漏らす。だが気まずさは拭えず、セイラはとりあえずこの場から立ち去る事を考えた。
「勝手に立ち入って申し訳ありません、では、私はこれで…」
 頭を下げて回れ右をし、小走りに駆け出す。その背中に、
「あ、国軍人様、お待ちください」
 女から声がかかる。
「はい、何で……」
 振り向いたセイラの顔面に、
「詳しいお話、聞かせて頂けるかしら」
 銃が突きつけられた。
 女、メアリー・マクレガンは、事務的な微笑をたたえたまま、銃の安全装置をゆっくりと外した。


 植物園に到着したグレンが最初にした事は、入り口に設けられた案内板を眺める事だった。イルトも倣い、横に並んで地図を見上げる。さんざんレイブリック家で設計図まで見て来たが、グレンは数分の間身じろぎ一つせず案内板と向き合っていた。
 一般客用の地図は、植物園の敷地内を大きく三つのブロックに分けて書き表しており、南向きの最も大きなエリア一つが一般に開放しているのみで、残りの二つは研究機関向けとなっており、立ち入り禁止となっている事が記されていた。
(あ…この日付……)
 グレリオ・セントラルでのグレンの行動を思い出したイルトは、案内図の左端に小さく記されている年月日に気がついた。この案内板が改定された日付だ。今回も、これが何かのヒントになるのだろうか。動かないグレンの横顔を一瞥しつつ、イルトは考える。
(うーん。思い浮かばない)
 あっさりと諦めかけたところで、グレンが動いた。
「こっちの方から廻ってみよう」
「う、うん」
 イルトがすぐ斜め後ろから追随する。人波に溶け込み紛れながらも、迷い無く歩き進むスーツの背中。彼は今何を考え、計算しながら動いているのか、尋ねてみたい。
「想像力」
 歩きながらの背中が、ぽつりと呟いた。まるでイルトの心内を読んでいたかのようなタイミングだった。
「ん?」
「想像する事が大切だ」
 斜め後ろから視線をよこす事でイルトは相槌とした。
「ミソラという人物はどういう人間で、彼女が何をしていて、どう移動して、その結果何があったのか。対して犯人の行動が、どうミソラの行動とクロスし、どのような要因がそこで発生しうるのか」
 どれだけのパターンを即座に想像できるかで、作戦の成功率も決まる。
「想像……か」
「軍略に限った話ではない」
「え?」
 話を進めながらも、グレンの瞳は油断を許さない動きで園内を見渡している。
「学科の勉強でも、家事でも、オフィスワークでも。それから、コミュニケーションにおいても」
 全て、想像力が大切だと彼は言う。
「コミュニケーションに……想像力?」
「想像力」という単語にそこまでの応用力があるという事が、いまいちイルトの発想に及ばない部分もある。
「うん」とグレンが足を止め振り返る。
「どうすれば相手が喜ぶのか、何をすれば相手が苦しんでしまうのか。自分に置き換える想像力があれば、まず相手を傷つける事はしないだろ?」
「ああ、なるほど」
 対人術というビジネスライクな単語は知っていたが、言い方を変えれば新鮮に聞こえる。それが不思議だ。
「彼女の性格を考えると」
 話題を戻すと同時に、再びグレンは背中を向けて歩き出す。
「全ての展示物を系統立てて隅々まで観ようとしたはずだと思うのだが、どう思う?」
「あ、俺もそう思った。すごい几帳面だしな」
「だけど、自分の感情に素直で、それを貫くためにルールを破ることを厭わないところもある」
 薬草園に忍び込んだり、父親に反発したときの彼女が、それだ。そして、困っている人間を放っておけない。
「恐らくは、他人のために何か行動を起こそうとして……ルートを外れた」
 出店が連なる広場の手前で、グレンは足を止める。
「一方の「相手」は、何か見られては困る行動を起こしている最中だった」
 面持ちはそのままで、視線だけで静かに周囲を見渡した。
「それをわざわざこんな場所で行うとしたら、逆に人込みを利用して―」
 親子連れや社会見学の子供の姿が目に付く。
「子供を使っていたのかもしれないな」
「子供か……そういえば、あいつ子供にも慕われてたみたいだから、子供は好きなんじゃないかな」
 イルトは、グレンがミソラ宅に運び込まれた直後に、診療所を尋ねてきた少女を思い出す。それを知らなかったグレンは、イルトの情報に確信を抱く。
「こっちへ行ってみよう」
 人の流れの支流に入るように、グレンとイルトはごく自然な動きで広場から裏の小道へと入っていった。関係者立ち入り禁止区域から建物の裏を抜けていく先に、大きな温室を有する建物があるはず。地鳴りのように空気を振動し続けるボイラーの音に紛れながら、二人は奥へと進んだ。
「この辺りは新しいんだな……」
 前を進むグレンから、時おり独語が漏れてくる。
「脱出路の確保は……ん?」
 グレンの足が止まる。真新しい白いタンクやパイプが連なる中、左手奥に錆びて赤茶けた建造物が目に入る。壁がほとんど崩れ落ち、鉄筋や階段といったフレームのみが残っている状態だ。二階建てのようで、屋上だったと思われる場所には貯水タンクらしき残骸も乗っかっている。
「………」
 ふらりと、グレンの足がそちらに向かう。他の方向に気を取られたイルトは、少し遅れて後に続いた。
 鉄筋の柱だけで支えられている状態の入り口に足を踏み入れた瞬間、「それ」が姿を現した。
「!」
 突如、柱の影から飛び出した人影がグレンに襲い掛かったのを、イルトは見た。
「っな…!」
 グレンは咄嗟に身をかわそうとして身を逃がすが、巧みに片足を掛けられて重心を崩す。懐から銃を出そうとした手を捕まれ、そのまま背中から地に落ちた。相手の顔を確かめる間もなく、首下に硬い物を押し付けられ、
「ぐっ…」
 呼吸が詰まる。
「やめ…」
「動くな!」
 前方に動きかけたイルトを、鋭い声が制した。反射的に足が止まる。
 威嚇するイルトの目に、金色がよぎった。稲穂色の髪の男が、地面に引き倒したグレンの体に馬乗りになり、少し長めの銃身を使って押さえつけていた。突き刺すような鋭い視線が、イルトを向く。
(レイブリック……!)
 首筋に押し当てられた銃で呼吸を奪われ、喘ぐような呼吸をしながらも、グレンは自分の上に跨る人影を見た。
「あんた……レイブリック家の……」
 イルトもその正体に気がついた。その男は、つい先ほどレイブリック家の書斎で見た、写真の男。ジョルジュ・ジェイス・レイブリックの末息子、ノア・ジェイス・レイブリック。
「………」
 名前を呼ばれ、レイブリックの表情が変わる。片方の手で素早く腰から拳銃を取り出し、それをグレンのこめかみに突きつけた。国軍の、制式拳銃だ。
「お前達は誰だ。ここで何をしていた」
 地の底から這うような、低い声。
「……っ」
 さらに強く首を押さえつけられ、グレンが小さく呻く。言葉を発せられる状態ではない。
「その人は……」
 無闇に体を動かしては発砲されるかもしれない。その危機感から、イルトは目と顎先だけでグレンを示した。
「あんたの父親の」
「なに?」
 父親の話を持ち出され、レイブリックが目端を細める。
「………」
 厳しい警戒の色を宿したまま、レイブリックは苛立つほど緩慢な動きで銃を持った手をグレンのこめかみから離した。銃口が床を向いたその瞬間、
「っ!」
 イルトは前方に地を蹴った。
 一瞬のうちに間合いを縮められたレイブリックは、体当たりをかわして体を翻す。不自然な姿勢で三歩下がり、グレンの体を乗り越えたイルトに向けて、下がりざまに銃を向けた。
「!!」
 指先がトリガーを押し込む直前、レイブリックとイルトの間に不可視の壁が音を立てて張り巡らされた。
「この気配……精霊印か……」
 危うく引きかけたトリガーから指を外す。レイブリックは鋭さと驚動の混在した視を、二人に向けた。片膝を立てて両手を広げる青年、そしてその後ろで若い男が咳き込みながら体を起こそうとしている。気配はこの両者から感じられた。
「大丈夫か」
 イルトが背後を気にする。深い咳の後に頷いて、グレンはようやく上半身を起こすことが出来た。胸元から銃を取り出し、それを地面に放る。
「制式銃……?」
 足下付近に転がってきた銃を見下ろし、レイブリックが呟く。
「驚かせて、悪かった」
 謝罪の言葉と共に、グレンは立ち上がった。両手の平を見せて、自分に敵意がないことを示す。
「私達は、君の邪魔をしに来たのではない。レイブリック中尉」
「………何故その名を」
 しらばっくれるのは無意味だとして、レイブリックは己の名を認めた。
「私の名はグレン。君のお父上レイブリック准将の、元部下だ」
「部下……国軍人なのか?」
「今はもう、退役している」
 イルトより前方に足を一歩踏み出すグレンを、レイブリックは油断を緩めない視で見据える。
「民間人か。それがこんな場所で何をしていた。父の命なのか?」
「敵側に人質が取られた可能性があるという事を、君も知っているだろう」
 直接は答えず、僅かに顔を上げることでレイブリックは肯定の意を示した。
「人質は、私達の連れだ」
「………」
「脅迫状めいた物も送られてきた」
 そうグレンが付け加えると、レイブリックが「やはり」と呟く。
「父の情報は正しかったわけだな」
 自分の意見に全く取り合わなかった隊長を思い浮かべ、口端を噛み締めた。
「レイブリック中尉、君の協力が欲しい」
「!」
 グレンの申し出に、レイブリックの瞳が僅かに見開かれる。
「何がしたい」
 レイブリックの低声が、敢えて漠然とした詰問をする。それは暗に、この人数で何をしようというのだ、という問いでもあった。
「課題は三つ」
 面持ちを変えず、グレンは答えた。
「一つは敵の威力偵察および人質の所在確認。二つ目は人質の救出」
 そして最後、
「三つ目は、主犯の身柄確保」
「生け捕りだと?」
 レイブリックの隊に用意されていた作戦では、主犯格の射殺は止むを得ないと記されていた。それをこの男は否定している。殲滅作戦より、生け捕りは数倍難しいのだ。
「それだけのこと……この人数で何をしようというんだ」
 思わず、レイブリックの口から問いの核心が漏れる。
(ごもっともだよなあ)
 全面的にイルトはレイブリックに同感だった。グレンがどう答えるのか。二歩下がった後方から様子を窺う。
 当のグレンは静かに笑うと共に、「まさか」と首を横に振った。
「私が借りたいのは、君の能力と、そして立場だ」
「立場?」
「ただ殲滅するだけであればこのメンバーで成せるのだが、さすがに人質救出に伴う犯人捕獲となると難しい。そこで重要になるのが、君の「立場」だ」
「………」
 野生動物のようなレイブリックの両眼が僅かに歪み、それが「呆れ」を現しているのだとイルトの目に映る。グレンの言葉の前半、さりげなく無茶苦茶な事を言ってのけている事に、さすがのイルトも気がついていた。
「待て貴様…自分が何を言っているのか分かっているのか」
「ああ」
「俺に簡単に組み敷かれているようでは、とても戦力になるとは思えんがな」
 レイブリックの静かな皮肉に、グレンは「確かに」と笑って自分の首筋に指を当てた。赤い痕が残っている。その指を徐にレイブリックに向けた。
「動くのは君だ」
 そして再び指を自分に向ける。
「そして動かすのが私だ」
「何?」
 反論しかけたレイブリックを制してグレンは、「元より君は」と言葉を継ぎ一歩足を踏み出した。
「状況次第では単独で乗り込む気でいたのだろう?君にはその実力と自信があるはずだ」
 何せこの若者は、あのレイブリックの血と印を引き継いだ者なのだから。遠い過去に部下が引き起こした様々を思い起こしながら、それを口にせずグレンは静かに微笑んだ。
「だがどうせなら、次に繋がる最も良い形で終わらせたいじゃないか」
 人質救出、及び犯人の身柄確保。
「お前、指揮官職か………できるのか?最良の終わり方を」
 しばらく足下に転がった制式拳銃を眺めていたレイブリックが、顔を上げた。頑なに敵愾心をむき出しにしていた表情が、僅かに雪解けを見せているように、イルトは思う。かつての自分のように。
「できるよ」
 グレンの返しは即答だった。
「君が私を信じてくれたら」
 そしてまた、笑った。
「…………」
 レイブリックは、返すべき言葉を選んでいるようだ。イルトも同じだったから、彼の考えている事がよく分かる。無茶苦茶な事でもこう淀み無く断言されると、信憑しても良いのではという錯覚に襲われる。
「隊の作戦書を読ませてもらった」
 先に無言を打ち消したのはグレンだった。
「作戦決行日は明後日。出入り口を予め封鎖し、隊が展開しやすい場所に獲物を追い込む、セオリー通りの陽動作戦。だから君は、我慢ならなかった」
最後に「そうだろう?」と付け加えられた言葉に、レイブリックは無言を保った。だが真っ直ぐで鋭い視線は雄弁だ。
「君の上官は、この作戦内容を変更する様子は無いのだね?」
「………ああ、そうだ」
 吐き捨てるようなレイブリックの返答。「人質」というたった一つの追加要素が、従来の任務を何倍も困難なものにしている。応用を利かせるには、あの年若い隊長では経験も技量も不足していた。
「ならば、作戦の内容を変える必要はない」
「何?」
(?)
 レイブリックが目を細めると同時に、イルトも面持ちに不可思議な色を乗せていた。現行の作戦のままでは、ミソラの命を脅かすと言っていたはずではないのか。両者の反応に対し、グレンは表情を変えなかった。
「作戦内容を変えず、ただ決行日時を本日の夜半に変更するだけでいい」
 声調も、一定を保っている。
「同じ内容で、今夜?」
「そうだ。ただ時間を一日半ずらすだけだ。それぐらいなら出来ると、君からその上官に言わせてほしい」
「………」
 借りたいのは、レイブリックの「力」と「立場」。
「お前が借りたい俺の「立場」が、これという訳か」
 一度は動揺に似た色を表していたレイブリックだが、合点が行ったという様子で再び鋭い視に戻っていた。グレンは一度頷き、そしてレイブリックの視線に応えるようにまっすぐ前方を見つめて言葉を続けた。
「地点AとNの交点を地点Pとし、地点Pと中央事務所の中間地点をQとする。私達のスタート地点は、そこだ」
(……?)
 突然、様々な記号が会話の中に現れてイルトは一瞬気後れしかけるが、それがレイブリック家で見た作戦資料内で使われていたものだと気づいた。レイブリックの様子を見ると、彼は最初から理解しているようで、先より更に鋭い光を瞳に宿してグレンの話を聞いている。
「最初の課題は序盤の三十分以内に解決できる。A及びDグループが五分以内に中央事務所に侵入できれば、必ず地点TまたはUに向かって敵の動きがあるはずだ。それを見計らい、君はQから同方向に移動する」
「地点TやUの手前に地点Rの待機班がいるが?」
「AかDが移動すればそれも動かざるを得ないから、クロスする心配はない」
 盤と駒を使わない暗記チェスを行っているかのように、グレンとレイブリックは記号だけで早口に会話を進めていく。途中まで把握を試みていたイルトだが、専門用語が増えるにつれて脱落することになる。だが、従来の作戦を軸にグレンの指示とレイブリックの動きを加える事で、応用を利かせたまるで別の作戦内容へと変貌する、そのロジックのフレームはおぼろげに見えた気がした。
「まったくもって理想論だな」
 しばらく会話を続けた後、レイブリックは短い溜息を吐いた。歯車同士が噛み合うように完全な論理は、今のレイブリックの立場から見れば奇麗事に見えてしまう。
「指揮官という人間は常に最良を想定する生き物なんだ」
 皮肉を全く気にしていない様子で、グレンはそれを受け止める。
「そして同時に、最悪も」
 想像力の幅。グレンの話から、イルトは先ほどの話を思い浮かべる。
 レイブリックも危惧している、隊長ロイスらの優柔不断さ、迷いが生む致命的なミス。それが生み出すであろう、最悪の事態。
「もちろん、カンフル剤は用意する」
「…………」
「愚図った子供の尻を叩くのは、得意なんだ」
「…………」
 微笑を絶やさぬグレンを前に、レイブリックは無言だった。相槌となる言葉を捜しているのではなく、自問自答を繰り返しているのだ。鋭い野生動物のような視が、グレンを向いたり離れたりするのを、イルトは斜め対面から眺めていた。
 己の考えを上回る、納得の行く命令にしか従わない。それがレイブリックの信条、全ての行動の指針だった。目の前の人物から提示された言葉はまさしくその物である。己の力量で実現させてやろうと、闘争心と挑戦欲が沸きあがりかけたのが、その証だ。
 何より、神経のレベルで感じる、精霊印の気配。張り巡らされた一本の糸の上で繋がっている感覚。
それを信じて良いのか、迷っていた。
「お前、名を「グレン」と言ったな」
 長い沈黙の後、レイブリックは静かに問うた。
何を愚図愚図と迷っているのか。ロイスと同じ事をしていると気がついて己を恥じる。拒絶か肯定か。選択肢は二つしかない。
「そうだよ」
 意を決したレイブリックの問いへ、一呼吸置いたリズムで答えが戻る。
「姓名と、退役前の役職を答えろ」
 父親の部下だと言うのなら、相応を名乗るだろう。証拠は実施で示してもらう。偽りならばそれでも良い。一人で補ってやる自信が、無いわけではない。そう計る意図でレイブリックは最後の質問をグレンに突きつけた。
 そして出される答えは、
「イーザー」
 予測を超えたものとなる。
「…………何…?」
「…………」
 絶句したレイブリックの斜め向かいで、イルトも黒目がちな瞳を丸くしていた。
「私の名はグレン・イーザー。退役時の位は中将、役職は防衛総司令官、及び高等軍略顧問…―だった」
「もう十三年も前の話だが」と最後に付け加えられた声が、レイブリックには遠い音に感じられた。
「っは……、それを信じろと?」
 不適な、油断を許さない笑みを口元に浮かべ、レイブリックはようやく言葉を吐き出した。
「信じさせてみせよう」
 だから、協力しろ。
 目の前の男は暗に、そう「命令」している。
「…………」
 一息の呼吸のあと、レイブリックは最後の選択を口にした。







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押印師 ACT12-10
10

 ボイラーの轟音に混じって、軽いが慌しい足音が近づいてくる。
「!?」
 縛られた両手の指で空気に計算式を書いていたミソラは、身を縮めて入り口に向き合う。鍵が開く音の直後、少女が駆け込んできた。ミソラから奪った両袖を持って外に遊びに行っていた少女、レイカだ。
「お、おかえり、なさい」
 どう出迎えて良いかわからず、とりあえずミソラの口から出たのはそんな言葉。
「………お友達、増えるよ」
 ふーふーと口で呼吸を整えながら、レイカはミソラの傍らに尻餅をつくように腰を下ろした。そして両手で膝を抱える。
「お友達??」
 疑問に思うまもなく、扉の向こうから、今度は複数の足跡が近づいてくる。なにやら騒々しい声も伴っていた。そして、ミソラをつれてきたあの若い女の声が時刻を告げ、レイカが四桁の数字を答えて扉が開いた。
「!?」
 姿を現したのは、庁舎職員の女メアリーと、ミソラを運んだ大柄な男、そしてその肩にミソラと同じように担がれた三人目。両足をバタつかせて暴れている。男は迷惑そうな顔で面倒くさそうに肩に担いでいた体をミソラの隣に放り出した。
「いたっ!」
 若い女だった。ミソラより、少し上なのだろうが、まだ学生くささが抜けない年若さだ。したたかに尻を打って顔をしかめたが、ミソラの存在に気づいて表情を変えた。
「あ、貴方がまさか…人質?」
「え?その…」
 突然そう尋ねられても、ミソラに己の置かれている立場を知る由も無い。言葉に詰まるミソラを他所に、若い女はメアリーに意識を移転させる。
「こんな事をしても、罪が重なるだけですよ!」
(わ、凄いなこの女の人…)
 気丈にメアリーに食って掛かる女を、ミソラは感心して見つめる。
「せっかく拾った命、無駄にしたいの?」
 植物園で見せていた笑みとは正反対の、冷めた目でメアリーが新しい人質を見おろす。
「……っ」
 言葉に詰まった女は唇を噛んで目を伏せる。間もなくメアリーは男を伴い再び姿を消した。小さなボイラールームの中に、ミソラとレイカ、新しい人質の合計三人が残される。
「………何てこと……っ」
 悔しそうに小声で雑言を吐き捨てる若い女。レイカは膝を抱えて座ったまま、無表情でその様子を眺めているだけだ。
「あのう」
 気まずい空気を恐る恐るかき分けつつ、横からそっとミソラが声をかけると、弾かれるように女の瞳がミソラを向いた。
「ごめんなさい、私が無力だから貴方を助ける事ができないばかりかこんな……っ」
「情けないです」と悔恨を吐き捨てる。
「助けに…?」
 伏せられた瞳を覗き込むと、女は再び顔を上げた。
「私、セイラ・ブルックナーと申します。国軍の者です。といっても…まだ学校を卒業したばかりの研修生ですが……」
「国軍人!」
 黒目の瞳を丸くしてミソラが繰り返すと、セイラは自嘲気味に苦笑した。
「あの、どうして、どうやって私の事を?あ、私ミソラと言います」
「別件の任務で、我々の隊は明後日にこの植物園に突入する予定だったのです。それが本日になって、どうやら人質がとられているのではという情報が入って」
「どこからそんな?」
 もしかしたら、グレンやイルトが気づいてくれたのだろうか。そう思いながらミソラは尋ねた。
「レイブリック家からだそうです」
「レイブリック家?」
 首をひねるミソラの反応に、セイラは目端を細めた。
「あなた、ミソラさんは、地元の方ではないのですか?」
 頷いて「旅行者です」と答えると、セイラは首をかしげた。地元の人間でない者がどうやってレイブリック家を通じる事が出来るのか。だがこの状況で重要なのは、そんな事ではない。
「明後日突入という事は…明後日まで大人しく待っていた方が良いって事…でしょうか?」
「………それが…」
ミソラの問いにセイラは弱々しく首を横に振った。
「私……その事をしゃべってしまって…」
―せっかく拾った命、無駄にしたいの
 メアリーの言葉が思い出される。恐らくは脅されて自白させられたのだと、ミソラにも想像できた。
「私、情けなく…て……」
 セイラは丸めた肩を震わせている。肩まで伸びたストレートの髪の毛がはらりと垂れ、心の振るえをあらわすように揺れる。評価と考課に影響する大事なOJT。卒業までに学んだ事を発揮して己を認めてもらえるチャンスだった。求められる以上の働きをしようと意気込んでいたのに、全てが裏目に出てしまっている。悔しくて堪らなかった。
「セイラさん…」
ミソラは膝立ちのままセイラに歩み寄る。
「いま命があること、それが一番大事です。何も間違っていません」
 子供の「いやいや」のように首を振るセイラの目許から、しずくが散る。
「このままでは私のせいで、隊が甚大な被害を……、敵に作戦内容が漏れているなんて、知らせる術が無いのに…!」
「………」
「そうなれば、いずれにしろ私達の命も保障されるものではないと思います……」
 語尾が掠れる。セイラはそのまま項垂れてしまった。
 やはり、
(自力で逃げ出すしか)
 扉端に据え付けられた装置を見上げてミソラは唇を噛む。
(でも……)
 次にミソラの目は、部屋の隅で膝を抱えて座るレイカを向く。まるで人形のように、動きを止めたままで、天井を見つめてぼんやりしている。出会った時から行動に謎が多い子だが、彼女に見られている限り、脱走の相談ができない。
(なんとか今日中に逃げ出さないと……)
 または、この娘を取り入れる選択肢もあるのではないか。鍵の解除方法のみならず、建造物の内部にも詳しいだろう。だが、こんな赤ん坊同然の娘をどうやって説得できるのか、それが分からない。
「あの……レイ、カ?」
 ミソラは恐る恐る、少女の名前を呼んでみる。膝を抱える小柄な人影から「なあに?」と返事が戻った。
「さっき、ずいぶん長い間どこかに遊びに行ってたけど…どこに行ってきたの?」
 自分で言いながら、そういえば私の袖はどこへ持っていったのだろうと、疑問が浮かぶ。
「おそと」
「お外の、どこ?」
 抱えた膝小僧に顎を乗せて背を丸くするレイカの顔を、ミソラは覗きこんだ。この少女をその気にさせて、外に抜け出す機に乗じられないだろうかというのが、ミソラの考えだ。
 その意図を汲んだか、セイラは思いつめた目で二人のやりとりを見つめている。
「うん……~」
 肯定になりきれない曖昧な相槌を零し、レイカは膝小僧に額をつけて顔を隠してしまった。機嫌を損ねてしまったのだろうか。
「わかんない」
 ミソラの焦りを読み取ったか、レイカは少し怒ったように目を細め、顔を背けてしまった。そしてそのまま、再び動かなくなった。


「ブルックナーと一緒じゃなかったのか?」
 廃ビルに戻ってきたレイブリックに向けられた言葉は、罵声でも非難でもなく、問いだった。
「え?」
「セイラ・ブルックナーだ。あの研修生。お前を追いかけて行ったようだが」
 隊長のロイスが出迎えざまに言う。声には少々の苛立ちが含まれていた。
「確かに途中まで植物園で一緒でしたが」
「途中まで?」
「早いうちに帰れと追い返しました」
「戻ってないぞ」
「そんなはずは」
 変化を見せたレイブリックの様子で、それが偽りでない事がロイスにも分かった。ロイスはレイブリックを嫌っているが、苦手としているのはその真っ直ぐさであって、彼が嘘偽りを口にするタイプではない事をよく知っている。その意味では、彼はレイブリックの理解者の一人でもあった。
「まさかな…」
 呟いてからロイスは「ところで」とレイブリックに新たな質問を向ける。
「お前は何故もどってきたんだ。何か新しい情報でも拾ってきたのか?その事とブルックナーが戻ってこない事に関係があるのか?」
 最後の質問には「分からない」と返してから、
「人質の身内と会いました」
 とレイブリックは、二つ目の質問に答えた。
「ほう。その人物がレイブリック家に通報を?」
「そういう事です」
 相手が父親の元部下であることは伏せた。当然、彼が口にした名についても。
「その行方不明者は植物園を見学中に姿を消しており、脅迫状めいた物品が送られてきました。行方不明者の衣服の一部と、植物園の備品だったそうです」
「………」
 レイブリックが戻ったと聞きつけて集まりつつあった、スタニア少尉を始めとする隊の面々から、ざわめきが上がる。
「容疑者が人質を植物園に拘束している確率が、かなり高くなってきました」
 静かにレイブリックが結論を述べ、顰められるロイスの眉根と共に場から声が消えていく。
「このままブルックナーが戻ってこなかったら、彼女も捕らわれている可能性も出てくるって事ですか」
 と呟かれたスタニア少尉の言葉に、「かもな」とロイスは聞こえない舌打ちを飲み込んだ。
「そうなれば、こちらの情報も敵に漏れていると考えるべきです」
 尋問訓練を受けていない研修生は、実質的に一般人と変わらない。命を脅かされれば容易く口を割るだろう。
「俺にどうしろってんだ……なんで今回に限ってこう色々と…っ」
 選択と決断を迫られ、ロイスは奥歯をかみ締める。
「だいたいなあ」
 そしてレイブリックに詰め寄った。
「お前が勝手な行動をとらなければ、ブルックナーまでこういう事にはならなかったはずだ!」
「………」
 レイブリックは鼻で軽い溜息を吐いた。論点のレベルは低いが、間違ってはいない。自分の行動が、未熟な彼女を煽って軽はずみな行動をとらせたのだろう。帰れと追い返した時に、ここまで送り届けるべきだったのかもしれない。
「否定はしません。ですが、いま討議すべきはそういう事ではないでしょう」
 こちらの突入時間と作戦内容が漏れているという、最悪の状況を仮定した対応策を見出さなければならない。だがこの隊長一人にそれを決断する権限、技術と経験が足りない事はこの場にいる誰もが分かっていた。だが、本部に連絡をとり上の支持を仰いで援軍を待つ―そんな悠長に時間を過ごせるとも思っていない。
 沈黙が降りた室内、レイブリックが口火を切った。
「作戦を決行して下さい」
 その提案に、ロイスが眉を大きく顰めた。
「早いうちが良い。今晩。植物園が閉園して二時間以内に」
「なに?」
 ようやくロイスは問いを声にする事ができた。レイブリックのやけに具体的な提案を聞いて訝しがる。
「俺は別行動を取りますが、基本の作戦内容は変えなくて結構。ただ、突入日時が変わるだけです」
「俺に命令するのか」
「提案です」
 レイブリックは短く答える。位が下に位置する彼の立場上、これは提案以上になりえない。現場における決定の権利は隊長にあった。
「今晩、植物園閉園から二時間以内だと?」
 焦りが混在した声に怒りを加え、ロイスはレイブリックに厳しい視を向けた。
「伊達に明後日を突入日に設定したわけじゃないんだぞ。突入時間も、本来は闇を利用しての作戦内容に沿った時間だった。日時を変えただけでどれだけ作戦内容に影響が出るかわかってるのか!?」
 ロイスの反論はもっともで、レイブリックも重々承知していた。明後日は一般的にブラックマーケットが動くとされる週末手前の金曜日、この日に何かしらの動きがあるとふんでの曜日設定だ。閉園から二時間以内、この季節ではまだ日が完全に落ちる前の時間帯であり、ロイスの言う通り夜間奇襲作戦とされている今回のプランでは、十分に効果が発揮できない。
「全部説明しなければならないのか」
 あて付けのように大げさに溜息を吐いてから、レイブリックはロイスに反論を向ける。言葉遣いに変化が生じていた。モードが切り替わった証拠だと、付き合いの長いスタニア少尉は感じ取って生唾を呑んだ。
「明後日突入だと敵に知られたなら、準備をされるそれ以前に設定を切り替える事が有効だというのは分かるだろう?容疑者メアリー・マクレガンは私設の警備隊を仲間につけている。我々に対処するために作戦を練る時間がとれるとすれば、業務終了後の本日閉園時間からだ。対策がこうじられてしまえば明日の突入では遅い。そうなれば、今晩、しかも閉園から間もない時間しかないだろうが」
「ああ理論上はそうだろうともさ!」
 激昂しかけながらロイスは腕時計を指差した。
「もう今で既に閉園二時間前だ。本部に連絡して支持を仰ぐ時間なんてない。そんな決断の責任を俺に被れってのか!?」
「………」
 やはりそう言うだろうと思っていた。
 思っていただけに、苛立ちが倍増する。レイブリックは厚皮のブーツでコンクリートの地面を蹴った。
「ならばその責任の所在、レイブリック家が預かる」
 レイブリックの宣言。水を打ったように場が静かになる。全員の見開かれた視線が自分に集中するのをレイブリックは感じた。
 責任の所在をレイブリック家が預かる。それはすなわち―
「これはレイブリック家からの「命令」と受け止めてもらおうか」
 正式な「命令」となり得る。
「ま、ま、待てお前、そんな勝手な事を決めて」
「俺は次期当主だ!」
 怒鳴ってロイスの語尾を全て蹴散らした。
「この町で起こる事について、誰にも文句は言わせない」
 誰もが次に出すべき言葉を失った。
 その十五分後、レイブリック家の書斎に電話のベルが鳴り響く。
現当主ジョルジュ・ジェイス・レイブリックが電話に出ると、ロイスと名乗る国軍の尉官が訴えかけてきた。
「っはは。倅がそんな事をな」
 事情を聞いて現レイブリック家当主はゆっくり低く、笑った。
「倅に任せよう。言うとおり、責任は当家がとるとする。次期当主がな」
 そう言い終えて、ロイスが言葉を継ぐ前にレイブリック家当主は電話を切ったという。
「あの親子はどうなってんだ!」
 受話器を置いたロイスがそう叫んだのを、スタニア少尉は複雑な面持ちで眺めていた。
「どうなさるんで?」
 念のため、尋ねてみる。
「仕方ないだろう」
 ロイスは足元に立てかけた長銃を拾い上げ、乱暴に背負う。スタニアに顔を向けないように踵を返し、一員が待っている部屋に向けた歩き出した。
 部屋に戻ると、ロイスを出迎えたのはレイブリックを始めとする、隊の面々。皆、彼が何かを言い出すのを待っている。肩に背負った銃を足元に音を立てて置き、ロイスは口を開いた。
「三十分後に、植物園に向けて出発する」
 場がざわめいた。
「陽があるうちだからな。私服で潜入し、現地で着替えだ」
「各自支度しろ」という号令と共に、それぞれが動き出す。その中で足を止めて残ったレイブリックとロイスが向き合った。
「レイブリック、お前は別行動をとると言っていたな」
「そうだ」
 ロイスの問いに、レイブリックは簡潔に答えた。「命令」を受理してくれた事に礼を言うつもりはないが、隊長としての立場をないがしろにした事への侘びのつもりで、言い分を聞いてやるつもりだった。
「お前は何をするつもりなんだ」
 支度を続けながらも、隊員らが背中や、横目で、二人の会話に聞き耳をたてている様子が見て取れた。
「人質の所在を確認し、確保し、容疑者を捕縛する」
「一人でか!?それに、容疑者の捕縛って……」
 隊の作戦では射殺をやむを得ないとしている。
「俺の動きは全く気にせず、作戦通りに動いてくれて良い」
 作戦書にある「容疑者射殺」は選択肢の一つであって、マストではない。
「その状況が発生しないだけの事だ」
 レイブリックの答えを聞き、しばし無言で思案を見せていたロイス。
「………お前がしようとしている事の意図は分かった」
 下手な相槌を避け、レイブリックは表情を動かさずに聞いた。手袋をはめたロイスの指先が、突きつけられる。
「いくらお前でも、一人でやれるとは到底思えない。協力者がいるんだろ?誰だ」
「…………」
 彼とて、伊達に大尉の位を授かっているのではないらしい。レイブリックは寸時、返答に詰まる。
「レイブリック顧問か?」
「父は関係ない。この質問に答える必要はないだろう」
「俺は隊長だ。任務終了の暁には軍部に報告する職務ってものがあるんだ」
「そんなもの、俺を除いたこのメンバーでやったと書けば良いだろ」
「分かってないなお前は」
 突きつけたロイスの指先が拳となり、レイブリックの胸元を軽く押した。
「俺はこれでも自分の力量は分かってる。お前が俺を応用が利かない奴と思っている事だって分かってる。その俺がだ、こんな機転の利かせた作戦をもし成功させたとすりゃ上から不審がられて当たり前なんだよ」
「…………」
 思わず、レイブリックは目を丸くする。この隊長から聞かれる台詞としては想定外だった。
「そんな心配は任務が終わってから考えればいい。俺は先に植物園に向かう」
 ロイスの拳を片手で軽く払ってレイブリックは踵を返した。この言葉は自分への言い聞かせでもある。
「一つ言っておくが」
 ロイスの声が呼び止める。レイブリックは振り返らずに背中で言葉を聞いていた。
「俺だってできる事なら、人質は助けたいと思う。だが俺にはその力が無い。だから俺は隊員の命の安全を優先させるしかないんだよ」
 入り口に差し掛かった足を止め、レイブリックは首だけ動かし肩越しに隊長を振り向いた。部屋の中央に立つロイス、そしてまだ部屋にいた幾人かが、動きを止めたまま一様に彼を見つめている。プライドの高い彼の、精一杯の弱音。肩にかけたライフルのストラップを握る手が強く固められていた。
「それが俺にとっての最優先事項だからな」
「……それも分かってる」
 感慨を微塵も表に出さずに、レイブリックは短く言い残して再び隊に背を向けた。





⇒ACT12-11
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押印師ACT12-11
11

「損な役回りをさせて済まないね」
 本気で「済まない」とは思っていない声に出迎えられる。
 植物園内。レイブリックがやってきたのは、最も人通りが多い広場の隅に置かれたベンチ。グレンはそこに座っていた。少しだけ離れた隣のベンチには、案内地図を広げて座るイルトの姿もある。レイブリックの姿を見止めて、グレンが座るベンチの方へと歩み寄ってきた。
「やらせてからそういう事を言うな」
「はは、ごめん」
 よく言われる、と笑ってグレンはレイブリックが背負うザックに目をやった。その視線に気がつき、レイブリックはちらりと肩の向こうを見やる。
「この格好は動きやすいんだが、収納に難があるからな」
 弾薬や武器を収納する内ポケットや付属ポーチの事を指す。彼が本気装備を持参してきたという事は―
「了承はとれたのかい?」
「ああ。納得させた」
 という事だ。
 必ずそうしてくれると信じていた。口には出さず、微笑み返す事でレイブリックを称えてグレンは立ち上がった。時計塔を見上げると、閉園時間まで一時間をきっている。後片付けのためか、少なくなりつつある客の姿に混じり、職員の制服も見られるようになってきた。
「隊長に、誰の差し金かと問われた」
「どう答えたんだい?」
「終わってから考える事だと」
「なるほど。終わるまでに言い訳を考えておかなければな」
 ベンチの前で立ち話をする二人を、イルトは一歩離れた距離から眺めていた。片やスーツの男に、片や黒のスウェットにカーゴパンツとブーツの男。そしてついでに、ベージュと白のシャツにカーキのクロップトパンツの自分。組み合わせはともかくとして、傍から見れば立ち話をしている民間人だ。まさかこれから数時間後にこの面々が、園内を戦場にするとは誰が想像するだろうか。
(まあ、俺もまだ全然実感というか、想像もつかないんだけどな)
 小さく息を吐いたところで、唐突に「ところで」とレイブリックの視がイルトを向いた。
「お前は、何なんだ」
「え」
「どこかで、会った事があるか?」
 イルトの全身を無遠慮に観察してから、レイブリックの両眼が僅かに細められた。
「ない、と思う」
 少なくとも、今の彼らは。
「彼は、イルト」
 答えたのはグレン。
「イルト・グレリオ・サイファ。私の護衛をしてくれている」
「護衛?」
 一度はグレンに戻した視線を再びイルトに向けて、またレイブリックは無遠慮にイルトを上から眺めた。
「護衛って、お前年齢は」
「…十八」
 躊躇いがちにイルトが答えると、案の定レイブリックの面持ちは一種の呆れ顔に変容した。
「武器は」
「ない。俺民間人だし」
「軍事訓練の経験は」
「ない。半年前に地元の学校卒業したけど」
「………」
 黙ってしまったレイブリックと、正直に質問に答えているのに何故か罪悪感を抱きつつあるイルトと。グレンは「何か問題でも?」とでも言い出しかねない平和な顔で、二人のやりとりを見ていた。
「そうか」
 しばしの無言の後の呟きと共に、レイブリックの右手が動いた。
 その瞬間に発せられる、黒い殺気。
「!」
 下からせり上がる鋭い風。異変を感知した瞬間、イルトの右手はその原因を捕らえるべく動いていた。
「っ!」
 筋肉と骨がぶつかる鈍い音。がくりと不自然にレイブリックとイルトの体が斜めに傾いだ。沸き起こった鎌鼬の名残尾がグレンの前髪を僅かに揺らして消えた。
「………」
 面持ちを変えないグレンの視界には、自分の喉元を狙ったレイブリックの手刀が間近にあった。その手首を掴む、もう一つの手。イルトの右手だった。突き上げようとするレイブリックの力と、下へと押さえつけるイルトの力が均衡し、両者とも微かに腕が震えていた。
「―よく止めたな」
 尚も右手に力を込めるレイブリック。
「二回目だしな…父子そろって物騒だぞ」
 掴んだレイブリックの手首を懸命に押し戻そうとするイルト。余裕が窺えるレイブリックとは逆に、口をかみ締めていた。
「父が同じ事を?」
 不本意そうに眉を顰めてレイブリックは不意に右手の力を抜いた。
「ぅわわ」
 バランスを崩しかけたイルトの体が大きく傾ぐ。レイブリックは下に押さえつけられていた手首を解いて逆に上へ回し、イルトの手首を取った。そのまま捻り上げる。
「っい…」
 骨と筋肉を引き裂かれるような痛みにイルトが顔をしかめた瞬間、
「!?」
 その右手の平が輝いた。
「待て!」
 グレンの声。
「!」
「!」
 同極の磁石が弾かれあうように二人が体を離した。イルトの右手から光は消え、レイブリックから放たれていた殺気も、消失している。
 側を通りかかる人波の内から数人分の目が、何事かとこちらを気にしているのが感じられた。目立っては困る。それとなくイルトとレイブリックは居住まいを正した。
「…なるほど。お前の武器は「それ」か」
 刀から水を払うように、右手を一度強く振ってから、レイブリックはその手を無造作に組んだ。声も態度も変わらず平静さを保ち、目はイルトの右手を見ている。レイブリックの言う「それ」は「精霊の印」を表していた。
(それを確かめるためにいちいち…?)
 捻られた右手首を左手で撫でながら、イルトはレイブリックを見据えた。
「大丈夫か?」
 後ろから、肩にグレンの手が置かれる。
「あ、うん…痛くはないけど」
 手首の痛みは既に消えているが、そう言うものの動悸がなかなか治まらない。ジョルジュ・レイブリックの時より更に一回りも鋭い殺気にあてられてか、イルトは体内に火照りを感じていた。あの凶器のごとき右手がグレンの喉を抉る、そんな光景が一瞬脳裏に思い浮かんで、胸郭の奥から吐き気に似た嫌悪感が込み上げる。
「ふっ」
 刻一刻と自分を見据えるイルトの眼光が鋭くなるのを見て、レイブリックは僅かに口角を上げた。赤い痕がついた自分の手首を一瞥する。イルトがつけた痕は、レイブリックの手首の骨に沿って痣となっていた。
(あのタイミングと速度から、確実に俺の手を固定して止めた)
 イルトの動きは、体術のセオリーに沿ったもの。
「確かに、良いボディーガードのようだな」
 最後にレイブリックは、低く笑った。


 会話がなくなり、狭い室内は低いボイラー音に支配されていた。ミソラの隣で、セイラは何か深く考え込んでいるように視線を床に向けたまま無言だった。
「?」
 そのうち、低音に混じって小さな寝息が聞こえ始めた。振り向くと、部屋の隅に背を預けて座っていたレイカが、抱えた膝に頬をあてた状態で眠っているのが見えた。
「セイラさん…」
 今だとばかりにミソラは声を潜めてセイラに話しかける。
「私、あの扉の鍵の開け方を知ってるんです」
「え?」
 顔を上げたセイラも小声で応えて来る。二人は肩が触れるほどの距離に顔を寄せ合った。
「それと、これも」
 上着の下に隠していたナイフを見せる。これで、いつでも腕を拘束するロープは切れる。セイラの両手も、ミソラと同じように前で縛られていた。
「逃げ出す条件は、揃ってますね」と頷きながら、セイラが小さく呟いた。
「でも、私ここまで運ばれてくる間はずっと眠ってたから…道が分からないのが問題なんです」
 ここがもし植物園内だとするなら、そう広大な建造物ではないと祈りたいところだ。
「道は、なんとかわかります」
 とセイラ。「え!」とミソラは思わず声を上げた。
「担がれていたので詳しく周囲は見えませんでしたが、大方の道筋と方向は記憶しています」
「さすがですね」
 素直に感心したミソラが笑みを見せると、セイラは苦笑して頷いた。こんな状況に陥っている時点で「さすが」でも何でもないのだから。
「問題は、どのタイミングで行くか…やっぱり夜中かしら」
「あ、それなんですけど…」
 ミソラは鍵の仕組みについて説明する。0時がタイムリミットである事、ある程度時間を狙って計画を立てる必要がある事など、制約が生じる事を伝えた。
「……」
 それを聞いて数秒ほど考えこんだセイラの口から、
「ならば、目には目を…ですね」
 ぽつりと結論が落ちる。
「目には目を、ですか?」
「こちらも人質をとるのです」
「人質!」
 柔軟にタイミングはかれないなら、切り札を用意して堂々と逃げる方法をとる、とういわけだ。
「人質って…じゃあ?」
 ミソラは恐る恐る肩越しに背後を振り返る。そこには、壁際で眠っているレイカ。この娘を使うという事だろうか。だが、セイラは首を振る。
「この子は、私達の監視役という事ですよね?それぐらいの立場の人では、人質として効力が弱いと思うんです」
「………」
(そっか、セイラさんは知らないんだっけ)
 この幼い少女が、大の男一人を殺害したり、とてつもない計算能力を備えた天才だという事を。
「あの、セイラさ…」
 説明しようとミソラが口を開きかけると同時に、扉の向こうに再び人の気配が近づいてきた。セイラもそれに勘付き、厳しい視で振り返る。部屋の隅で、冬眠から醒めたようにレイカも顔を上げた。いつものやりとりの後、扉が開かれる。姿を表したのはメアリーだった。手にしたトレイには、二人分の軽食。
(もう、夕方なのかな…)
 最初に出された食事から、すでに数時間が経っている。ミソラは最初の食事に手をつけていなかったが、空腹感はあまり無い。
「大人しくしているようね」
 メアリーは部屋に足を踏み入れると、壁際の机にトレイを置く。新しい水と食べ物を机に置き、手をつけていない最初の食事をトレイに載せる。その、ミソラとセイラに背中を向けた僅かな間、セイラは上着で隠したミソラの手からナイフを奪うと手首のロープを千切った。
「!」
 ミソラが驚く間もなく、両手が自由になったセイラはナイフを片手にメアリーの背中に跳びかかった。
「なっ!」
 ステンレスのトレイが耳障りな音をたて、ガラスのコップが落ちて盛大に割れる音を響かせる。もみ合う二人の女、その様子をミソラは呆然と見守るしかない。部屋の隅のレイカも、表情をかえずにぼんやりと目の前の光景を眺めていた。
「くっ!」
 セイラがメアリーの腕をとり、後ろに捻り上げる。巧みに関節に入ったようで、メアリーは苦痛を面持ちに浮かべて身を捩った。ナイフを持ったセイラのもう片方の手が、メアリーの首筋を捕らえた。最終的に、後ろから羽交い絞めにして首元にナイフをあてた形となる。
「動かないで!動脈を切りますよ!」
「っ……」
 メアリーの端整な面持ちが舌打ちをするように歪んだ。
「武器を捨てなさい」
 上着の内ポケットに拳銃を隠しているはず。セイラの言葉通り、おずおずと動いたメアリーの手元が制服の胸元に差し込まれ、出されたのは黒い拳銃だった。セイラの指示に従い、床にそれを放り投げる。
「ミソラさん、それを拾ってください」
「あ、はいっ」
 慌ててミソラはセイラの言葉に従い、縛られたままの両手を銃に伸ばす。
「残念ね」
「―え」
 呟かれたメアリーの低い声。ミソラが顔を上げるのと、セイラが眉を顰めるのは同時だった。直後、不自然な発光が小さな爆発を起こした。
「きゃあ!」
 悲鳴。
「!」
 それがセイラのものであると気がつくまでに、一秒とかからなかった。気がつくと、背中からメアリーを捕らえていたセイラの体が弾かれて、壁際のボイラー管に激突していた。
「っセイラさん!?」
「ぅ……」
 慌ててセイラの元に駆け寄る。肩を庇うように体を丸める彼女の様子に、ミソラは眉を顰めた。
(どこかケガを?)
 ミソラの疑問は驚きに変わる。
 先ほどまでメアリーの首筋に突きつけられていたナイフが、何故かセイラの肩に突き立っているのだ。しかも、刃先が酷く変形している。
「ナイフの刃が……」
 まるで蹄鉄のようにU字に変形したナイフの刃先が、セイラを襲ったのだ。
「度胸とアイディアは認めてあげるわ」
 新米といえど、軍人なのね。メアリーは低く呟くと、落とした銃を拾い上げた。表情には勝ち誇った様子もなく、冷たい仮面は変わらない。
「これは一体……っ」
 倒れたセイラを庇うようにミソラが前に出る。
「私に「こんなモノ」がなければ、成功していたのに、ね」
 懐に銃を仕舞い、メアリーは足下に落ちているトレイを拾い上げた。それを片手に持ち、徐にミソラの方へかざす。訝しがるミソラの目の前で、金属の円形トレイが三叉に裂けた。
「!!?」
 口を開けて驚くミソラの目の前に、メアリーは「元トレイ」だった物体を放る。金属の床に当たって硬い音を立てて、元トレイは不規則にはねて転がった。
「………金属を変質させる印……?」
 自分につきたてられていたナイフを変形させ、セイラを襲わせたのだ。こんな芸当を可能にするならば、その正体は「精霊の印」しかありえない。それが押印なのか、そうでないかの判断はできないが。
「まったく。下手に変な知識があるからやっかいね」
 倒れているセイラに歩み寄り、メアリーはその場にしゃがみ込む。肩に刺さっている変形したナイフの柄を握り、力任せに引き抜く。セイラからくぐもった悲鳴が上がった。
「酷い事をしないでくださいっ!」
 思わず飛び出しかけて、管に縛り付けてあるロープに引っ張られてミソラはバランスを崩す。
「……仕方ないわね。レイカ」
 ミソラの存在を無視し、メアリーは部屋の隅で動きを見せないままのレイカを呼び寄せた。
「ダグを呼んで来て」
 だんまりのまま頷いて、レイカは部屋を出て行った。「ダグ」とはあのミソラやセイラを運んできた男の事か。
「どうするんですか、怪我人なんですよ!」
「場所を移すだけよ」
 熱がこもるミソラと逆に、メアリーは呆れた風に言い捨てる。
「これ以上この子にヘンな事を企まれたら、あなた達二人とも命を縮める事になるわよ」
「………」
 何故だろう。メアリーの言葉と声、そして視線の中に不可思議な柔らかさを感じてミソラは口を開きかけたまま、動きを止めた。その答えが出せない内に、大柄な男が姿を現す。肩を抑えてうずくまるセイラを見やり「とんだお転婆拾ってきたもんだな」と、溜息と苦笑を同時に漏らした。
「よっと…」
 そして徐にセイラに歩み寄り、来た時と同じように肩へ担ごうとセイラの腕を取った。セイラの呻き声が漏れる。
「ま、待ってくださいっ、そんな持ち上げ方したら傷が…」
 ミソラがダグに体を向ける。
「………こうか?」
 寸時、動きを止めてからダグはセイラの腕から手を離し、背中の後ろに手を回して抱きかかえる形で持ち上げた。そのまま部屋を出て行こうとする背中に、再びミソラは体を乗り出して訴える。
「あの、お願いします、絶対に酷いことしないでください、怪我の手当てもしてあげてください」
 共に出て行こうとするメアリーも足を止め、ミソラを見やる。「いちいち煩い子ね」と呟いて再び背中を向けて、扉を閉めた。
「お願いします!」
 厚い扉の向こうへ遠ざかる足音に、ミソラは叫んだ。
 返事は無かったが、きっと聞き入れてくれるだろう、何故かそんな確信が持てた。





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