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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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ACT11-8
08

「それはさておき」と言葉を挟みながらレイブリックは再びグレンに向き直る。
「現在の君の捜索担当者はシールズの筈だ。ジョシュ・シールズ。大佐だ」
 それを聞いてグレンは「ふむ」と小さく呟く。グレンが知る限り、前任者はいずれも中佐だった。新任者の位が上げられている事から、軍の焦りが見え隠れする。
「聞いた事のない名です」
「まだ若いからな。三十半ばといったところか」
 グレンが退役する間際にようやく士官学校を卒業した年齢だが、三十台で大佐の地位についたとあれば、中々の逸材だ。
「何でも奥方が社交界出身らしくてな。えらく美人らしい」
 やり手の実業家の婚約者から奪い取ったというシールズの愛妻に関する噂は、浅からず広まっているようだ。グレンも、似たような話をライアンから耳にした事があった気がしている。無論、レイブリックの言葉は単に他人の妻を誉めているのではなく、つまりシールズが妻を通じて軍部外にも顔が利くのだという事を示していた。
「それから、研究局にも顔が利くそうだ」
 続くレイブリックの言葉を受けたグレンは、目線だけで頷きを返した。精霊印関連案件を得意としているなら、厄介な相手であると同時に、使い勝手も良さそうだ。
「それで―」
 会話を遮り、部屋の入り口付近で電話が高らかに鳴った。ワインをグラスに注いでいた執事が手を止めて受話器を取る。
「セントラルの警察局薬物取締班地方管轄課からですが」
 長い部局名を難なく読み上げた執事が、受話器をレイブリックに手渡す。
「君が顧問の肩書きを蹴った気持ちが良く分かる。ロクに静かな隠居生活を送らせてもらえんのだ」
 低く呟きながらそれを受け取った老将は、抑揚の無い声で受話器の向こうに応えた。馴染みの相手であるようで、挨拶がなく直ぐに本題に入っている。
(薬物取締班……)
 二十年以上前、かつてグレンがこの町で一隊の指揮を執る事になった時にも関係した部局である。そこからレイブリックに連絡が入る理由は、深く考えなくても推測に容易だ。
「……イルト」
「ん?」
 グレンは傍らに立ったままのイルトを見上げた。振り向く彼に、ホテルの鍵を差し出す。
「先にホテルへ戻ってくれないか」
「今すぐ?」と応えながらイルトが鍵を受け取る。
「どうやら、治安が回復し切っているとは言えないようだ」
 ミソラが心配だ。
「―わかった」
 イルトもその意を汲み取り、電話中のレイブリックと執事に一礼して中庭へと続く扉から出て行った。
「サイファの倅はどうしたのだね」
 間もなく受話器を置いたレイブリックは、窓の外を一瞥する。イルトが中庭を抜けて門から出て行くところが、見えた。
「先に宿泊先に帰らせました。もう一人、別行動している連れがいるのです」
 というグレンの説明を聞いて頷く。
「そうだな。その方が良さそうだ」
「と申しますと?」
「倅の奴め。久しぶりの里帰りだというのに連絡の一つも寄越さん」
 口ぶりよりは腹を立てている様子はない。
「本日未明、ACCからストック局を経由してキルギストックに十二人編成部隊が派遣されたそうだ」
「ご子息がその中に?」
 グレンは「何故」と質問を続ける。
「サドバス家がまだ?」
 サドバス家は、大戦時前までストック地方でレイブリック家と肩を並べる程の実業家一族であった。軍需の波に乗り急激に台頭したいわゆる成り上がりで、違法取引など裏での顔も利かせていた。軍はレイブリック家の要人管轄のもとサドバス一派を泳がせていたが、取締り対象の劇薬取引の裏ルートに関わっていると情報を掴んだ時点で摘発を断行。それを皮切りに、芋づる式にサドバス一派が引いていた裏ルートが露見し、一族は次々と逮捕され事実上、解体状態となった。それが二十年近く前の話である。
「まさか。奴らの末路は君もよく知っての通りだった」
 答えるレイブリックの声には、保安管轄の一旦を担う身として、少々の意地が含まれているようだった。
「新手ですか」
 相槌を返してからグレンは、己の記憶を掘り起こす。先日、グレリオ庁舎で新聞の縮刷版に目を通した時には、思い当たる様な項目は無かったように思う。また、退役してからも時事情報には気をかけていたが、そこでも耳に入って来なかったはずだ。もっとも、主なマスメディアの発行物には軍の検閲が入る為、あてにはならないのだが。
「ストック一帯で他にサドバスと並ぶ程の一派なんて……」
 違法稼業、特に薬物に関わる裏事業には金がかかるものだ。それこそ、規模だけで見ればレイブリック家しか思いつかない。グレンの考えを暗黙に汲み取っていたレイブリックは無駄な会話を避けて言葉を続けた。
「終戦からしばらく経ってからだ。民間における押印の暴走による事故、事件の件数が急増した」
 続く「理由は分かるか」との問いに、グレンは軽く首を傾げる。可能性の示唆は可能だが、知ったかぶりは嫌いだった。
「クランテイジアという薬草があってな。これは二十年前に取締り対象になったものより格段に即効性と効用に優れる強い麻酔薬の原料になるらしい。これを元に作られた「ソラリス」という名の薬がある」
「ソラリス。女性の名ですね」
「「クランテイジア」の「クラン」も女の名だそうだがね」
「女は怖いな」とでも言いたげにレイブリックが肩を竦め、それに相槌を打つ形でグレンが小さく苦笑した。
 前者は薬品開発者である女医の名。後者は新種の開発、栽培に成功した古き時代の女医の名だと言われている。
「「ソラリス」の開発者は現役の軍医だ。名はソラリス・クリューガー。医学博士の称号を持っている。警察局の鑑識課と研究局を兼務しており、研究局では被押印者のケアとメンテナンスに携わっているそうだ」
「………」
 話がそれとなく読めてきたが、グレンは沈黙を保って元上官の話を聞いた。
 レイブリックの話によると、「ソラリス」は元々、軍部内で被押印者の苦痛を和らげる目的で作られた薬物、一種の麻酔であり、医局の管理の元、厳しく使用が制限されている。その薬物がどこからか外部に漏れ、民間の一部押印師の間に広まった事で、本来は被押印者に受け付けない強い印の押印が不用意に為されるようになった結果、暴走が続発するようになったという。
 被押印者用の麻酔は通常の医療麻酔と異なり、強い故に依存性がある為に取締り対象となっている。専門的な医療知識無しに使用されると、容易に廃人を生み出す、つまりは麻薬なのだ。
「その「ソラリス」が、キルギストックで取引されていると?」
 一通りレイブリックから説明を受け、グレンが確認の意味を込めて応える。
「ただ、サドバス事件とは違い、今回は裏市場の一端に過ぎない可能性も高いのだ」
 老将の眉間に刻まれた深い皺に、暗い影が落ちたのをグレンは見た。導き出されるであろう答えが、色の良いものではないという事だ。聞こえない溜息をゆっくりと吐いてから、グレンは示唆を言葉にした。
「つまり、元締めが不透明だという事なのですね」
「現段階ではな」
「では今回派遣された部隊の摘発対象は何なので……―あ」
 質問を口にしてから、グレンは言葉を止めてふいとレイブリックから視線を伏せた。
「申し訳ありません。出すぎた真似でした」
 気付かぬ内に、コンフィデンシャルな案件に土足で踏み込んでいる事に気がついたのだ。あくまでも現在のグレンは、民間人である。だが、ジョルジュ・レイブリックは、はたからそのつもりではなかった。
 グレンの言葉に「何をいまさら」と笑いつつ、彼は背後に控える執事へ肩越しに振り向く。小さな頷きの後、無言で執事は文机の引き出しから手帳を取り出し、主人に手渡した。
「編成された部隊の構成だがな」
 徐に老将は話し始める。背後に控える執事の目には、主人がどこか楽しげにも見えていた。
 
 レイブリック家を出てから十数分後、イルトはホテルに到着していた。交通手段を使う以外はほぼ全速力で駆け抜けた為、往路の半分の時間で辿り付いていた。
 焦る気持ちと共に部屋のノブに手を置くと、扉は鍵を開ける事なく容易に開いた。
「ミソラ、戻ってるのか?」
 切れ切れとなった息を整えつつ、中に足を踏み入れイルトは室内に声をかける。返事はない。入り口廊下に面したバスルームから音は聞こえてこない。
「………」
 不用意に声を発するのを止めて、逃走路を確保するためにドアを開け放したまま部屋の奥へと足を忍ばせて進む。そう広くは無い室内、他に人の気配はない。
 短い廊下の向こうに並んだベッドとソファ、広い文机が見える。部屋を出た時と同様、整然と片付いていた。物盗りが入った様子はないようだ。
「?」
 二度ほど室内を見渡したところで、イルトの目に違和感が止まった。窓際に置かれた小さなサイドテーブルの上に、小さな白い物が置いてある。近寄って見ると、それは幾重かに折りたたまれた白い布の束だった。
(……こんな物あったっけ?)
 摘み上げると、折りたたまれていた布が解れ、中に包んであった何かが床に落ちた。帯状の長方形の白布に見えたそれは、
「これ……!」
 白い洋服の片袖。そして床に落ちた物は、イルトが持っている物と同じ、この部屋の鍵だった。
「まさか…ミソラ……っ」
 急激に背中から血の気が引いていく気がした。頭を振る事で、一瞬真っ白になった思考を奮い立たせ、イルトは部屋に設置された電話の受話器を掴み取った。





ACT11-9⇒
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ACT11-9
09

 イルトがホテルに戻る、約一時間程前、ミソラは混濁した意識の中にいた。
 赤ん坊の頃の記憶なんて無いけれど、例えて言うならこれは「ゆりかご」だろうか。体が一定の刻みで上下左右に緩やかに揺れる。
「………」
 時おり、それが変則的なリズムとなって、その不快感がミソラの意識を緩慢に浮上させた。
(痛い……)
 だが目を覚ましてみると現状は「ゆりかご」どころではなく、ミソラは男の肩に麦袋のような状態で担がれていた。腹部が圧迫されて、少し痛い。薄目を開けてみると、石畳と男の足が見える。地下室なのだろうか、足の動きにあわせて音が反響する。
(そうか…私……)
 まだ薬が残っているのか、痛みは無いが、頭の奥が重い。
「どうするんだ、この『荷物』」
 ミソラを担ぐ男の声。「荷物」とは自分の事らしい。意識の無い振りをして、さらに少しずつ薄目を開けた。
「まだ分からない。だけど、どうやら旅行者のようだし、使い勝手は良さそうだ」
 すぐ隣から、若い女の声。庁舎職員の女だ。この男女の足音のほかに、もう一つ別の軽い足音も混在している。先ほどの女がいるという事は、この足跡は花売りの少女のだろうか。気付かれてしまう為に顔が上げられず、音だけを頼りにミソラは現状を把握しようと試みる。
「使い勝手か」
 男が肩を竦めたらしく、担がれたミソラは腹部に圧迫感を感じた。前で縛られた状態の両手がぶらりと揺れる。
「この子をどうするかは、数日間は時間があるでしょうから、それまでに決断してもらえばいい」
 決断。
 自分を生かすか殺すかを示しているのだろうと、男の肩に揺られながらミソラは思った。
「そんなに余裕があるか?」
「行方不明者が出たとあれば、まず同行者は庁舎に届けるでしょうね。ここには警察支局がないから、そこしか連絡するアテが無い。地元の人間なら直接、レイブリック家に直訴…という事も考え付くかもしれないけど、旅行者がそんな事情を知るはずもないでしょう」
「なるほどな」
「改革云々いっても、地方はまだまだ「お役所」なものよ。連絡の手渡しに次ぐ手渡しの連続で、結局一つの案件が肝心なところの届くまでに数日かかるんだから。呑気なもの」
 女の言葉が終わるとほぼ同時に、足音が止まった。すぐ頭上で間髪置かずに金属の蝶番が軋む音がしたが、顔が上げられないために確認できない。
「レイカ」
 女に呼ばれて、「…うん」と短い声がした。まだ幼い少女の声だ。ミソラの視界に、赤い靴が入ってきた。植物園でみた少女が身につけていた物と同じ。
「えっと…、10時46分よ」
 と、時計を確認した女が言うと、
「5557」
 ほぼ間髪いれずに少女の声が答えた。それに続いてカタカタと、金属が擦れるような音。そして、大きな錠前が開く重たい音が最後に響いた。最初に聞いた音よりも大きな蝶番の音と共に扉が開き、また男はミソラを担いだまま歩き出す。くぐもっていたボイラーの音が間近で聞こえ始めた。
「とりあえず、適当なパイプに繋いでおいて」
「あいよ」
 そんな会話が聞こえてきて、ミソラは咄嗟に目を閉じた。何故だかここは、気を失った振りをした方がいいような気がしたのだ。妙な浮遊感と共に体が揺らぎ、床に寝転がらされた。ロープの端をパイプに繋いでいるらしい音が耳元で聞こえたが、ミソラは懸命に息を潜めて寝た振りを続けた。
「行くわよ」
「おう」
 女の声と共に男が立ち上がり、二人の気配が出口へと向かう。
「レイカはその子を見張っていて」
 最後にそういい残して、女は扉を閉めた。また、鍵がかかる音が響く。ミソラが薄目を開けると、分厚そうな扉の前に立つ少女の後姿があった。二人の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなると、赤い靴が突然ミソラを振り返る。ミソラは咄嗟に瞳を閉じた。
「……」
 一歩、二歩と緩慢な足取りで赤い靴が近づいてくる。ミソラの顔の目の前で止まり、しゃがみ込んだ。
「こちょこちょ」
「ぁはあははははは」
 脇をくすぐられて思わず声が出てしまい、観念してミソラは目を開けた。
 上半身を起こし改めて周囲を見渡すと、そこはむき出しのパイプや配線が四方を取り囲む小部屋で、天井には裸電球が釣り下がっていた。部屋の奥には巨大なパネルがあり、恐らくボイラーか何かを調節するものだろうと思われる。床はむき出しのコンクリートで、冷たかった。
 轟々と、荒い流れの川のような音が飛び交っている。
「なんで、きたの?」
 間延びした少女の声。見た目は十歳ほどだが、だいぶ幼い口調のように思える。
「何でって……」
 男と共に物陰に消えていく少女の後を追った事を思い出し、ミソラは「ああ、あの時ね」と頷いた。
「あなたが変なことされそうだと思ったからです」
「ヘンなこと?」
「まあ、その、つまり…ですね、とにかく、危ないこと」
「アブないこと?」
「………」
 この場合の「危ない」の意味を上手く説明する自信がないので、ミソラはとりあえず頷いた。
「そう、アブないことです」
「ふーん」
 少女はその場から立ち上がり、部屋の隅においてある机の引き出しを探り始める。「あった」と呟き振り向いたその手には、一本のナイフが握られていた。
「それ、ちょうだい」
 言いながら少女は鞘から刃を抜いた。
「え……何…を」
 刃がむき出しのナイフを手に、近づく少女。ミソラは体を捩じらせて後ずさりするが、パイプに背中をぶつけ、動きを止めた。
「やっ…」
 何も考えられずにただ、体を強張らせて固く目を瞑っていると、耳元で布が引き裂かれる音がした。それと共に、袖を引っ張られる感触。恐る恐る目を開くと、白いブラウスの両袖が肩口から引き裂かれていた。
「あー!」
 呆然とするミソラが眺める中、少女は黙々とミソラのブラウスの袖をナイフで引き裂き、結局両袖とも無惨な姿で切り取られてしまった。
「それ、どうするつもりですか?!」
 気に入っていたブラウスだったのに。抗議するミソラを尻目に、少女は両手に持った切り裂かれた長袖を振り回している。何が楽しいのか、空虚を見つめたまま少女はただひたすら、長袖を振り回したり、引っ張ったりを繰り返した。
(………この子……)
 知能障害でもあるのだろうか。言動が、外見よりも著しく幼稚だ。まるで赤ん坊を相手にしているような気分で様子を見ていると、突然、少女は袖を弄んでいた手を止めた。それをワンピースのポケットに押し込んで隠し、床に無造作に投げ捨ててあったミソラの茶色いコートを掴むと、ミソラの頭に被せてきた。
「!?ちょっと、なに」
 声をあげるも、被せたコートの上から圧し掛かられ、そのまま床に倒れこむ。起き上がってコートを振り払おうとしたが、小さな両手で上から押さえつけられて動けない。思ったよりも、力があった。
(何なのこの子??)
 もがく事を諦めると、間もなく扉の向こうから気配が近づいて来るのが感じられた。ボイラーの低音の中でも、確かに聞こえてくる靴の音。
「レイカ、私よ」
 先ほどの女の声だ。
「11時7分ね」
「2327」
 また、女が時刻を言い、少女が謎の数字を口にするというやり取りが為されて扉が開けられた。
(何の暗号だろう)
 床に転がり、コートを頭と上半身に被せられた状態のまま、ミソラはふと考える。
「どう、その子」
「おねんね」
「そう。強い薬だったから仕方ないわね」
 気を失った振りを続け、ミソラは耳を澄ます。
「水と食べ物を置いておくわね」
 ステンレスの食器だろうか、軽い金属同士が擦れる音がした。
「外に遊びに行きたいよ」
 間延びした声で、少女がねだる。
「もうちょっと待っていて」
 希望を否定されたが、少女はさほど愚図る様子を見せずに「うん…」と大人しく頷いた。女はまた踵を返し、ヒール音を響かせながら部屋を出て行った。また、ボイラーの低音に紛れて足音が遠ざかっていく。程なく、ミソラの上に圧し掛かっていた体重が消えた。
「………ねえ」
 上半身を起こしてコートを振り払い、ミソラは少女に問いかける。
「貴方達は、何なのですか?何故あんな…人を殺したりしたのですか?」
 そして、自分が連れ去られた理由を知りたい。
 だが少女は、一つ一つの質問に対して、首振り人形のようにゆらりと首を傾げるだけで、ミソラが満足する答えを出してはくれなかった。
「分からないのですね」
 質問を諦めて、ミソラは溜息を零す。傍らを見やると、机の上にステンレスのトレイが置いてあり、水が入ったグラスとパンが置かれていた。
「じゃあ、これは答えられる?あの扉の仕組み」
 女が時刻を口にして、少女が数字を答える。恐らく、鍵が時刻に連動していて、何かしらの関係性のある数字を入力することにより開錠するのであろうが、ミソラには、どういった技術が使われているのか皆目検討がつかない。
「?」
 その質問にも、少女は首を傾げた。
「質問の仕方を変えましょうか。今は…11時9分ですけど、答えは?」
「2275」
 今度は何の躊躇いもなく答えが戻った。
(………)
 ふと、ミソラは脳裏に引っかかりを覚える。一度目に聞いた数字、二度目に聞いた数字、そして今の数字には共通点がある。
「……1桁の素数の組み合わせ……なのかしら?」
「そすう?」
 ミソラの独り言に、少女が反応を示す。時刻や数字に対しては、反応が良い。
「えっと、つまり、1とその数以外では割り切れない数字のこと」
「……?」
 また少女が首を傾げる。
「うーん…と、同じ数の組み合わせで、その数字を分けようとすると、数字が余っちゃう…ってこんな説明じゃ余計わからないですよね……」
「2と3と5と7をとるの」
 やはり一桁の素数である。だが、時刻との関連性が分からない。
「どこから取るの?」
「1より小さい数から4つとるの」
 小数、という事だろう。
(うーん……)
 両手が自由ならば、頭を掻き毟りたい気分だ。だが、更に他例を聞けば法則性が見えてくるかもしれない。
「じゃあ、夜中の0時ちょうどはどうなるのです?」
「開かないの」
「開かない?」
 ミソラの鸚鵡返しに少女は頷く。
 ここがどのような施設か分からないが、単に夜中で営業時間外だから、という理由でだろうか。
「いつから開くんです?」
「0時1分」
「???」
「営業時間」から現在地のヒントが聞ければ、というつもりで尋ねたが、意外な答えが戻って来る。
「他に、開かない時間は?」
 この少女に直接的な思考で挑んではダメだ。
 ミソラはそう直感して、発想を転換させた問いを考える。
「いっぱいあるよ」
「いいから、教えてください」
「11時11分、12時21分、1時31分、2時41分、3時51分、夜の9時12分、10時22分、11時32分…―」
「……1111、1221、1331、1441、1551……」
 二十四時間時計で時刻を読んだとき、鏡のように最初の二桁と後の二桁が背中合わせになる四桁の数字、という法則が見出せた。
「1111だと答えが出なくて、0001だと答えが出る……って??」
 縛られたままの両手に額を当てて懸命に考えるが、あと一歩、閃く何かが思い浮かんでこない。「あのね」と少女は、唸るミソラの前に膝を抱えて座った。
「1111と1111だと、1111になるから、2と3と5と7がないの」
「まあ、そうですよね」
 11時9分、つまり1109でも一桁の素数など存在しないのだが、この場合は答えが「2275」と出ていた。
「2222と2222だと、2222になるから、2と3と5と7がいないの」
「………」
 鏡あわせの数字、小数点以下の素数、答えが出ない時間、それはつまり、何かしらの計算をした結果、小数点以下の数字が発生しない「割り切れる」数字。
「分かってきた気がする…」
 だがこの少女は、女から提示された時刻に間髪入れずに答えを引き出していた。十歳前後の子供が暗算可能な四桁の計算で成し得る計算式になる必要がある。
「足し算…引き算……?」
 だが解せないのが、「2222と2222だと、2222になる」という少女の言い草だ。2222に2222を足し算したところで、当然2222にはなりえない。割り算の場合は確かに割り切れるが、答えは「1」であり、「2222になる」という少女の言葉が当てはまらない。
「あの…、0時1分だと、どうなるの?」
「2277」
 また、まるで機械のように謎の数字が少女の口から出る。この答えは常に四桁のようだ。
「そうじゃなくて、えっと、0001と…」
「1と1000だと、1000になるから、2277なの」
「1と1000?」
 つまり、0001と1000だ。
「鏡あわせ……なるほど」
 喜んだのもつかの間。そのからくりは分かったが、何故1000から2277という数字が出るのか見当がつかない。
「1000がどうなると2277なの?」
「1000は622776601683792になるでしょ?」
「は?」
 ますます分からなくなってきた。紙と鉛筆が欲しかったが、縛られて繋がれている状態ではそれも望めない。
「もう一回」
「1000は622776601683792になるの」
 懸命に途方もない桁数を暗記するべく、ミソラは口の中で何度も少女の言葉を繰り返した。すると、位の高い順に現れる素数を上位四つ拾っているのだと、分かる。だが、先ほどの少女の言葉によれば、素数は小数点以下から拾っているはず。つまり、その長い桁数は小数点以下の数字で、1000という数字に何かしらの計算を施した結果、割り切れない回答となった、という事なのだろう。
「ちょっと待って……」
(じゃあこの子は一体………)
 瞬時のうちに、小数点以下を十桁以上までも暗算する事ができる、という事なのか。
 聞いた事がある。世の中には、何か一つの物事に対して極端に秀でた能力を持つ人間が生まれてくる場合が稀にあると。数百年前までのカレンダーを完璧に覚える子や、一冊数百ページある全百巻の辞書の内容を一言一句間違えずに覚える子や、天文学的な計算式を一瞬で答える子や。
 それらは「天才」と呼ばれる人々だ。
「うーんと……三つのリンゴを七人で食べる時って、何個ずつになります?」
「0.428571428……」
「もういいです、ありがとう」
 途中で少女の言葉を遮って、ミソラも脳裏で懸命に暗算した。小数点以下を数桁下がったところで諦めたが、ミソラが暗算しうる範囲で出た答えと、少女が出した答えは一致していた。
「1234個の飴が入った袋が5678個あったら、飴は全部で何個?」
「7006652個」
「……」
 人差し指で空気に計算式を書いて、ミソラが懸命に計算する。数分要して、少女の答えが正しい事が分かった。
「987654321の中に、123456789はいくつありますか?」
「8.000000072….」
「もういいです、ありがとう」
 暗算して確認するのも億劫になってきた。
(考えを元に戻そう)
 どこまで考えたのか忘れかけていたが、二十四時間時計を四桁の数字にしたものと、それと逆の数字をどうにかする必要がある、というところまで分かったはずだ。
「1111+1111…1111-1111……1111×1111……」
 1111と1111だと、1111になる―という少女の言葉を再度思い出す。
「また元に戻る……1111に1111を足して1111を引くと、また1111……でもそれだと、鍵が開く時刻じゃ説明できない……」
「ちがうよ」
 また、少女がミソラの独り言に反応する。
「1111と1111で1234321だけど、1111になるでしょ?」
「………1111×1111ってこと……?でまた1111に戻るには1111で割る……?」
 頭の中でパズルのピースが一つはまった音がした。ミソラは縛られた手のまま、指先を床に這わせて計算する。確かに1111×1111は1234321だ。別の言い方をすれば、1111の二乗。逆から言えば、1234321の平方根が、1111。
(平方根……?まさか、それを暗算で??)
「0時1分…0001×1000は1000で…………えっと……」
「31.622776601683792だよ」
「………」
 ミソラは絶句した。
 つまりこの鍵を開けるには、一分以内に4桁の掛け算を行い、更に平方根を小数点以下、少なくとも十桁近くまで求める必要があるという事なのだ。
「でも明日は0時1分が開かない日なの」
「―え?」
「明後日は開くよ。昨日は開かい日なの」
「……」
 カレンダー要素により、計算方法か何かが変わるようになっているのだろうか。ミソラは内心で盛大な溜息をつく。目の前に膝を抱えて座る少女は、この状況を楽しんでいるようで、無垢だった面持ちに若干、陽の表情が現れていた。次の問題は何?とでも言いたげだ。無邪気さが、空恐ろしく感じる。
「そうだ」
 ミソラは縛られた腕に巻かれたままの腕時計を見る。
 少なくとも、今日一日の計算式ルールは把握できた。となれば、予め計算しておいてから、その時間を狙って逃げる事が可能ではないか。
 傍らには、落ちたままのナイフ。少女が袖を切り取った際に使ったものだ。ミソラは膝立ちで起き上がると、縛られた両手をナイフに伸ばした。




ACT11-10⇒
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押印師ACT11-10
10

 イルトの焦りをそのまま伝えるかのように、レイブリック家の代表電話がけたたましく鳴った。
「少々お待ち下さいませ」
 と冷静な動きで執事が取り継ぎ、
「先ほどのお連れ様よりお電話でございます」
 と冷静な言葉と共にグレンに受話器が渡った。様子を見ているジョルジュ・レイブリックに、受話器の向こうから若い焦燥した声が、そして数度頷いていたグレンの顔色が良くない方向に変わっていくのが見られた。
「君は平気なのか。そうか…ではそれを持って、すぐにこちらに来なさい。部屋はちゃんと鍵をかけて。室内は極力いじらないように。ホテルの人にも知らせてはだめだ。いいね」
 グレンは「うん」「そうだ」を数度繰り返し、低く、緩やかな声を保つ事で電話の向こうにいる相手を落ち着かせようとしている。効果があったようで、受話器の向こうから漏れてくる声が小さくなっていた。
(相変わらず、目下の人間の扱い方が上手い奴だ)
 電話の対応を眺めてレイブリックは思う。口調が生意気な十代の青年が、受話器の向こうでしおらしく頷く様子が目に浮かぶようだ。
 最後に「気をつけるんだよ」と言ったグレンの口調は穏やかだったが、電話を切った時の面持ちには沈痛の色が浮かんでいた。
「どうしたのだ」
 とのレイブリックの問いに、グレンから即答は戻ってこなかった。少し躊躇うように間を空けて、彼は静かに答える。
「先ほどお話しした連れが……どうやら何者かに連れ去られたようなのです」
「何だって」
 流石に驚きを隠せず、老将は背もたれから体を離した。少し離れた場所にいる執事も、僅かにこちらを振り向く。
「犯行者の心当たりは?」
「ありません」
 短い即答が返る。
「原因の心当たりは?」
 この質問に、グレンは一呼吸を置いて答えた。
「……恐らく、植物園に行ったのだと思います、が」
「植物園か」
 そう相槌と共に深い溜息を洩らす老将の様子に、グレンは眉根を顰めた。
「さっき説明した部隊だが」
 レイブリックは席を立ち、文机上のブックエンドに無造作に挟まれていた書類を取り上げる。それをグレンと向かい合うテーブルの上に広げ、緑色の面積が広い部分を指差した。
「突入先はここだ」
 キルギストック国立第一植物園。
 地図にはそう書かれていた。
「植物園……」
 レイブリックの説明によると、植物園を管理する庁舎内に、裏ルートとの癒着疑惑のかかった人物の存在が明らかになったという。
「どうやら、巻き込んでしまった可能性があるようだな」
「…………」
 グレンは口元に手を当て、溜息を隠した。そして低く呟く。
「私も鈍ったものです……このところ、読みが外れてばかりだ…」
 グレンの言葉の後半は、独語となり空気に消えいった。
 俯き、肘をついた手を額に当てたグレンの面持ちには暗い影が落ちており、負けん気の強い子供がやるように、固く結んだ唇を噛んでいる。
(こういうところも、相変わらずだな)
 その様子を見て、レイブリックは内心で苦笑する。必要以上に責任を己に圧し掛からせる所も、昔から変わっていない。
「その行方不明となった連れについて、詳しい話を聞こう」
 言いながら、老将は立ち上がる。
「できるだけの協力はする。この町で起こった事は我が一族の責任でもあるからな」
「―っ」
 顔を上げたグレンの頭を、レイブリックは無造作にかき回した。
「教官…」
 前髪をくしゃくしゃにされたグレンは、心底驚いた様子で目を丸くして元上官を見上げる。誰かにこんな風にされたのは、暫く無かった。久々に見た部下時代と同じグレンの表情に、レイブリックが不敵ながら満足そうな笑みを浮かべる。
「『俺が間違ったんじゃない。世の中の方が間違ってるんだ』なんて都合のいい名言もあるのだぞ」
「それは……」
 グレンは思わず苦笑する。
 それは負けず嫌いな悪友、ライアン・グスタフがよく口にしていた言葉であった。


 路面電車が止まりきらない内に、イルトはタラップから飛び降りた。そのままレイブリック家屋敷に向けて走り出す。正午過ぎであるせいか、午前中よりも人波が濃くなっている。
 上着のポケットに突っ込んだ、ミソラの物と思われる千切られた袖と、二人分のルームキーを気にしながら、イルトは人込みの間を縫いながら早足で通り過ぎる。
(何でグレリオを出て早々、こんな事が起きるんだ…)
 考えても仕方の無い事がぐるぐると脳裏を高速巡回する。
(世の中ってこんなに物騒なのが普通なのか?)
 酷い誤解だが、グレリオしか知らずに育った十代の若者にとって、故郷を出て早々この非常事態はあまりに突飛すぎた。
 ミソラは無事だろうか。結局たどり着くのはそこだ。
(まさかどっか遠い所に売り飛ばされたりしてないよな……)
 相も変わらず発想が貧困である自分に、イルトはまた辟易するのである。
「いてっ」
 角を曲がった所で、鳩尾に圧迫感がぶつかって来た。バランスを崩しそうになるのを堪えて前方を見ると、イルトの体にぶつかり跳ね返された小さな子供が、地面に尻餅をついていた。この道を真っ直ぐ行くと、じきにレイブリック家屋敷だ。
「悪い、大丈夫か?」
 屋敷が近づくにつれて、焦りの為に周囲が見えていなかったようだ。イルトは慌てて子供に手を伸ばす。よく見れば、幼い少女。ワンピースに、赤い靴を履いている。この辺の子だろうか。ぶつかった拍子に、甘い匂いが漂ってきた。
「………」
 少女は無言で首を横に振り、そそくさと立ち上がってそのままイルトの横をすり抜けていった。
「おーい、怪我は無……いみたいだな」
 走り去る少女は角を曲がってあっという間に姿を消した。傷を負った様子もなく、イルトは追随を諦めて屋敷に向かった。広い敷地を取り囲む塀が真っ直ぐ伸びる道は、幸い人通りが少ない。イルトは走る速度を上げて再び屋敷の正門にたどり着いた。
「?」
 来た時は固く閉じられていた門が、半分開いている。予め開扉しておいてくれたのだろうか。
「あの」
 と顔を覗かせると、門扉の裏に門衛の男の姿があった。
「あ、先ほどの」とイルトの姿を見止めて門衛は顔を上げる。再びレイブリックの書斎へ通して欲しい旨を伝えると、
「勿論ですよ」
 と愛想の良い頷きが戻ってきた。その手には、小さな花束が握られている。
「?」
 垣根を通り抜けて風がそよぎ、その瞬間、甘い微香が匂いたった。
「……それ、いつ届いたんですか?」
 頭で考える前に、言葉が口から出ていた。門衛が手にしている花束をイルトが指差すと「ああ、恐らくつまらん悪戯ですよ」と苦笑が戻ってきた。
「チャイムが鳴ったんで来てみたら、誰もいない代わりに門の前にこれが置かれていて」
「すみません、ちょっと貸して下さい」
 胸騒ぎがして、イルトは花束を受け取る。桃色の小ぶりな花々の根本が、白い布で結ばれている。リボンかと思ったそれは、白い布。嫌な予感がしてイルトはその布を解いた。
 広げてみると、それは千切られた長袖の片方だった。
「うわ、何ですかそれ」
 今度は門衛が驚いて尋ねる。
「こういう家ですから、悪趣味な悪戯を受ける事が無い事も無いのですけどね」
 一度は驚いたものの、すぐに諦観的な面持ちと共に門衛は肩を竦めた。
「いつ届いたんですか、これ?」
 同じ質問をもう一度言いながら、イルトは花束を顔に近づけた。
 甘い香り。
「ええ、お客様と入れ違いに…―」
 門衛の言葉が終わらぬうちに、イルトは踵を返して駆け出した。長い一本道を駆け抜けて、角を曲がる。
(畜生…!)
 その先に見えるのは人気の無い閑静な住宅地の光景だけで、少女の姿はもうどこにもなかった。


「グレン!」
 騒々しい足音と共に、書斎へと焦燥した息遣いが駆け込んできた。
「これを見てくれ」
 室内にいた二人が何かを言う前に、示すが早いとイルトは二つの白い長袖、そして花束をテーブル上に突き出した。
「これは……」
 眉根をしかめるグレンの呟き。問いかけに答える前に、イルトは右側の袖に上に、ホテルの鍵を置く。自分が持っていた鍵は「これが、グレンから渡されて俺が持っていったキーだ」とテーブルの隅に置いた。そして右の袖を指差す。
「ホテルに戻ったら、部屋の鍵が開けられていた。室内にこれが、置いてあったんだ。キーは、ミソラが持っていたはずだった」
「それから」と今度は左側を指す。
「こっちは、たったさっき、俺と入れ違うタイミングでこの屋敷に届いた花束と片袖だ」
「この屋敷にだと?」
 と、レイブリック。
「門衛の人が見つけたんだ。後で確認してもらってもいい」
 イルトの説明に、老将は「ふむ」と頷く。グレンが両方の袖を手に取り、眺める。付けられているボタンや、袖に施された小さな刺繍が左右同じもので、位置が対象となっていた。
「ミソラのものだな」
「俺、届けに来た奴とぶつかったのに、気付かずに見過ごした………」
「どんな人物だった?」
「女の子だ。小さな。十歳……ぐらいだと思う。その花束と同じ匂いがした」
「匂い?」
 言われてようやく、グレンは花束を手にとり、鼻先に近づけた。人工甘味料のような、胸に重い匂いだ。レイブリックも顔を近づけ、香りを確かめる。
「植物園で売られている花だな」
 そう呟いた老将は、眉間に更に深い皺を刻んだ。ゴムバンドで結ばれている花束の根本を指差す。よく見ると、バンドに「植物園」の文字が見える。その上に、ミソラの袖がリボンのように結ばれていたわけだ。
「やはり植物園で連れ去られたという事でしょうか」
 グレンがレイブリックに視を向ける。
「だがあからさま過ぎる。犯人の意図がよくわからんな」
「ええ。罠であるにしろ、不自然です」
「今件とは無関係の輩によるものかもしれんな……」
 元軍人両名の間で交わされる会話に疑問を覚えて、イルトは強引に割り込んだ。
「何にしろ、なんで要求が無いんだ?普通、誘拐なら金とか要求してくるもんだろ?それに、ホテルならともかく、何でこの屋敷にもこれが届くんだ?」
 この問いに、グレンとレイブリックが顔を見合わせた。何か阿吽のやりとりがその一瞬で為されたようで、再び顔をイルトに向けたグレンが、諭すようにに口を開く。
「イルト。本日未明の事だ。この町に、ACCから一小隊が極秘に派遣された」
 突然何の話だと戸惑いながらもイルトはグレンの言葉に、耳を傾ける。
「隊の任務は、薬物取締法違反者らの摘発。突入先はここ、公立植物園だ」
「ここ」と指差しながら、グレンは地図をイルトに示した。ミソラが持っていた街の案内地図と同じ、広い面積の緑色が目立つ。
「ちょ、ちょっと待て」
 地図を凝視したまま、イルトは混乱しそうな頭で懸命に情報を組み立て直していた。
「ミソラを誘拐した犯人が、その摘発する奴らだって事なのか?」
「その可能性は考えられる」
「人質って事か?何でミソラを?」
「偶然、だろうな」
 手にしていた白い袖を静かにテーブルにおいて、グレンは地図を畳んだ。イルトはレイブリックに向き直る。
「偶然て……巻き込まれたのか…?それに、ミソラが人質だっていうなら、軍の動きが筒抜けだったって事じゃないか」
 現役の軍事顧問を前にして、イルトの言葉は大胆な発言と言える。だがレイブリックは面持ちを動じさせなかった。
「今回の作戦が漏れているとは考え辛い。だが日頃より摘発を危惧し、警察局の動きを探って懸念しているのは確かな筈だ」
 内部に密通者がいる可能性があるとすれば、当然の事だ。
「……つまり?」
 考えが纏まりきれなくなり、イルトは小さく唸る。
「相手にとってミソラは、想定外―そうだな、つまり、人質にせざるを得なかった状況だったかもしれないという事だ」
「……あいつ確かに余計な事に首つっこみそうだしな…」
 言われてイルトはまた唸った。
「時間が無いな。すぐに派遣されている隊に警察局を通じて連絡をしよう」
 少々早口に言い流し、レイブリックは踵を返してり口付近に立つ執事を呼ぶ。
「時間が無いってどういう事なんだ?」
 イルトは傍らのグレンに尋ねる。
「こういう場合、時間が経過する程、相手に最悪の選択肢を与えてしまう可能性が高まる」
「最悪」という言葉にイルトは眉を顰めた。理屈はともかく、それが何を意味するのか想像に容易だ。
「脅かすなよ…」
「この「脅迫状」の意図が不透明だが……可能性が捨てきれないのは事実だ。奴らがミソラを連れ去った理由が、見るべき、聞くべきではないものを見た、聞いた結果だというなら、最終的に生きて帰れない確率が高い」
 だから「時間が無い」のだ。グレンは低く、そう答えた。





ACT11-11⇒
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押印師ACT11-11
11

 昼過ぎになってからようやく、隊長から声がかかった。
「レイブリック」
 廃ビルの屋上に移動していた、老将の倅ことレイブリックは、後ろから上官に声を掛けられた。今作戦部隊の隊長、ロイスだ。
「作戦会議は終わりましたか」
 おざなりに答えつつ振り向くと、隊長の浮かない面持ちがそこにあった。
「それが、面倒な事態になっているようなんだ。お前にも関係する話だ。来てくれ」
「……はい」
 素直に了承し、レイブリックは傍らに立てかけてあったライフルを背負って隊長の後に続いた。ミーティングのためにメンバーが集まった廃部屋に戻ると、一同が一斉にレイブリックを振り返った。
「?」
 奇異な印象を抱きつつ、沈黙したままレイブリックは適当な位置に立って隊長ロイスの言葉を待った。ロイスは溜息を洩らしながら手にしていたメモを一瞥した。
「レイブリック顧問から局経由で報告があったそうだ」
(親父から?)
 口には出さず、レイブリックは眉を顰めた。人前で父親の話を口にするのは、好きではなかったからだ。どれだけ己が努力しようと、必ず親の存在がフィルターとなる。それが我慢ならなかった。
「人質が取られている可能性がある。考慮されたし、と」
「人質?」
 誰からともなくそう声を洩らし、室内がざわめいた。
「我々の情報が筒抜けていたという事ですか?」
 低く、レイブリックはロイスに問う。「そうでもないらしい」と曖昧に返してロイスは首を横に振る。
「この町に来ていた旅行者が誘拐され、脅迫状が届いた」
「その誘拐犯人が、今回の我々のターゲットだったと?」
「どうやらその可能性が高いらしい。このタイミングで、何のためにそんな行動に出たのか分かりかねるが」
「らしい」「ようだ」という推測が多い物言いが気になったが、その前にレイブリックは最も気に掛かる事を口にした。
「では、当初作戦は却下で、その事実確認と人質救出作戦に切り替わるわけですか」
 問うまでもなく、レイブリックはそれが当然のものとして認識していた。だがロイスからの答えにより、覆される事となる。
「いや、我々は当初計画通りに動く。予定通り、明後日の閉園後に突入だ」
「何だと?」
 無意識に口調が変わり、声が一段と低くなっていた。レイブリックは一歩片足を踏み出し、ロイスに詰め寄った。
「人質の存在を無視するのか。現行の作戦のままでは人質も巻き込む」
「馬鹿野郎。よく考えてみろ。「らしい」「かもしれん」と持ちかけられた話に、いちいち右往左往してたら、せっかく掴みかけた尻尾を逃しかねない」
 詰め寄るレイブリックに対し、ロイスも怯む事なく頑と言い据えた。
「二十年前の国軍がサドバス家を根絶やしに出来たのは、敵のボロを確実に拾い上げて逃すことなく潰して行ったからだ。根深い悪事の蔓は、掴める時に掴まないと更に蔓延し状況が悪化する。敵の正体が不透明な今は、確実な戦法をとるのがベストなんだ」
 ロイスの言い分も尤もだ。だが、誰のうけうりか知らないが、その詩的な物言いがレイブリックには気に食わない。
「父が……信憑性の無い情報をわざわざ寄越す筈がない」
 こうは言いたくなかったが、レイブリックはあえて父親を引き合いに出した。父と子としての感情はともかく、悔しいが、軍人として敬うに値する人間であるという認識はあった。
「ふん。こんな時に親の威勢を借りる気か?」
 鼻先で笑うロイスの言葉。覚悟していたが、いざ口にされると腹立たしさ極まりなかった。
「そんな下らない話をしているんじゃない!」
 つい、声が荒くなる。
「何の事実確認の努力もせず作戦敢行なんて、俺は納得しない!」
 怒声を吐き捨て、レイブリックはそのまま踵を返した。大股で部屋を出て行き、ありったけの力でドアを閉める。廃ビル全体に、けたたましい音が響き渡った。
「出ましたね。「納得しない」が」
 嵐が過ぎ去った後、ひんやりと空気が冷え切った中で、尉官の一人が呟いた。「納得しない」はレイブリックの口癖で、彼を象徴する文言だ。「納得いかない」ではなく「しない」ところが、彼の性格を現している。
「勝手にさせればいい」
 隊長ロイスは、うんざりと肩を竦めた。
「どうせ今回は奇襲だ。あいつがいなくとも成功率は高い」
 そういって彼は、手にしていたメモを丸めて投げ捨てた。


「容疑者は、メアリー・マクレガン。公務員だ。庁舎の管理課に所属している」
 ジョルジュ・レイブリックがもたらす情報に、グレンは一つずつ頷いた。
「管理課、ですか」
「植物園の警備を民間に委託して総入れ替えし、大幅なコストダウンスキームを確立させたという、優秀な人材だそうだ」
「その総入れ替えされた警備関係者は恐らく?」
「全て息のかかった「黒」なのだろうな」
「黒」とは警察局でよく使われる言葉で、「犯人」「容疑者」「疑わしい人物」「(悪事の)関係者」等を指す。
「委託先総入れ替えとなると、入札がありますね。それが意図的に操作されているのなら…結構な上層部にまで黒が侵食しているという事ですか」
 グレンの示唆に、ジョルジュは「ううむ」と小さく唸った。
「地方は公務員不足気味で、一概にそうとも言えないが」
「なるほど」
 元軍人二人の会話を、イルトは一歩離れた場所で聞いていた。慣れた流れ作業のように、淀みも迷いもなく言葉がスピーディーに交わされている。容疑者の素性の話をする中で会話は、地方執政、公務員についてと、次々と枝葉を伸ばしていく。軍人は戦いの知識さえあれば良いというものではないらしく、何故士官学校が国内最高峰の学域であるのか、イルトは実感した気がした。
「植物園の設計書はありますか」
「勿論だ。取り寄せてある」
 グレンの要求を受けて、レイブリックが執事を振り返る。「はい」と一言頷いて、執事は机上の本立てから紙束を持ってきた。
「おっと」
 大判の地図がばさりと広げられ、イルトは咄嗟にテーブルの上に置かれたままのグラスを取り、隅に寄せた。
「なかなか気が利くな」
 テーブル上に地図を敷きながらジョルジュ・レイブリックは低声で笑った。
「………」
 未だ幾分かの警戒心を残した視で、イルトは老将の誉め言葉を受け止めた。レイブリックは内心で小さく笑う。この若者は、レイブリックがグレンに向けた一瞬の殺気を確実に感じ取っていた。これは現役軍人といえど万人に備わっている感覚ではない。
 元上官とイルトの間に交わされた視線のやりとり、それに気付いた様子がないグレンは、既に意識が設計図に集中していた。広げられた図面に手をつき、食い入るように線と面を睨みつけている。時々、腕時計を確認していた。
「短いな…」
 そんな独語が呟かれる。
ミソラと別行動をとった時間から、袖とキーが届けられた時間までのごく短時間の間に、しかも客の入りがある開園時間内、拉致されたのが園内であるならそう遠くには行けないはずだ。
「………この線」
 ぽつりと呟いて、グレンは図面の一点を指し示した。レイブリックが覗き込み、
「何かの配管か」
 と顎の下に手を添える。
「青い線が配水管で、赤い線が、ボイラー…スチーム管ですね」
「何が気になる?」
 また、イルトの視界の中で二人の元軍人が難しい話をし始めた。話を要約すると、配水管やスチーム管の無駄な配線構造が生み出した空間が、複数存在する点が怪しいとか何とか。だがグレンの結論は、
「とにかく、先ずは実際に確認しない事には何とも」
 つまるところ、そうたどり着く。グレンは図面から一旦視を放し、今回の突入部隊のメンバーリストを手に取った。
「このロイスという隊長はどのような判断を下すと思われますか?」
「まだ若いからな。今回のような想定外事項に対して、柔軟な対応ができるとは思えん」
 元部下に意見を求められ、元上官は淀みなく答えた。
「若い内から老獪な君と違ってな」
 この言葉にグレンは一瞬だけ、表に向けていた視線を元上官に向けた。
「誉めているのだよ。そんな目で見るな」
 そう笑ってから、レイブリックは「それに」と言葉を続けた。
「決行の選択権はこの隊長にある。正式にACCから「指令」として情報が降りない限り、現行維持だ」
 諦観の色を眉目に乗せ、レイブリックは小さく首を横に振った。顧問には発言する立場が与えられるが、あくまでもオブザーバーである。大戦時の特別体制なら兎も角、現状で正式な指令を短時間の内に現場まで降ろすのは、不可能だ。新たな作戦内容を実行できる人材の派遣にも、時が必要だ。
「それでは遅すぎます」
 グレンは低く呟く。現行作戦は、翌々日の閉園時間後の突入となっていた。
「彼らの動きをアテにしないほうが良いぞ」
 レイブリックは、グレンが手にするメンバー表の裏を手の甲で弾いた。その言葉は正しく、グレンは既に出していた次の行動指針を口にした。
「植物園に、出向きます」
 確認しない事には何とも結論が付けがたいが、時間が無い事に変りは無い。グレンはイルトを振り返り、一度ホテルに戻ってから植物園に向かう旨を伝えた。そして最後に、また元上官に向き直る。
「またご連絡させて頂きます」
 その言葉には、暗に「事と次第によっては権力を濫用して頂く」という申し出が含まれており、レイブリックは既に了解しているようで短く頷いた。
「倅を宜しく頼む。良いように使ってくれ」
「え?」とグレンは踵を返しかけた足を止めて再度、レイブリックに視を向けた。
「今頃、ロイスの決断に反発して単独行動でもとっている頃だろう」
 肩を竦めるように、レイブリックの片眉がぴくりと上がった。
「倅は私で、私は倅だ。ようく分かる」
「………ええ」
 静かに瞳を伏せて、グレンは口元に微笑を浮かべていた。
 そこにまた、「追憶」が生まれている。
 横から様子を眺めていたイルトには、そう見えた。




ACT11-12⇒
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押印師ACT11-12
12

「毎度の事だから止めねぇが」
 同期の男が、オーバーに両手を広げながら部屋に入ってきた。彼は既に呆れる事を諦めた顔で、武装ユニフォームから私服に着替えているレイブリックを眺めている。
 ノア・ジェイス・レイブリック。軍事顧問ジョルジュ・ジェイス・レイブリックの末息子。士官学校卒業から間もない若年にして、アリタス国軍中尉。声をかけてきたのは、彼と同い年の同期。今回の部隊に共に組み込まれた戦友だ。ここは、待機場所として充てられた、廃屋の一室。
「現場に行くって、一人で何が出来るんだ」
「誰も何もやらないよりはマシだ」
 愛想なく答えながらレイブリックは、淡々と着替えを進めていく。私服の下に防弾服を着込み、武器を隠し持つ。
「下見なら済ませただろ」
 同期の言葉の通り、主な戦闘要員のみで植物園の下見は済ませてあった。だがそれはあくまでも、人質の可能性を知らされる前の、現行作戦の為のものである。
「下見じゃない。偵察だ。親父の情報の真偽を確かめる」
「顧問殿ご本人にお話をうかがいに行けばいいんじゃないか?家、近いんだろ?」
「……そんな時間はない」
 正当な理由があって答えたつもりが、意地から出た言い訳をしているように聞こえてレイブリックは軽く自己嫌悪した。
「時間がない」は、「忙しい」と並んでレイブリックが嫌う言葉の一つだ。仕事ができない奴ほど、よく使う。
「しょうがねぇな」
 苦笑して、同期の男は内ポケットから取り出した物体をレイブリックに差し出した。
「悪いけど俺は一緒に行けないからさ。代わりにこれやるよ」
 手渡されたのは、小ぶりな手榴弾だった。
「俺が改良した閃光弾だ」
「どう違うんだ」
 レイブリックはおざなりに手の中で鉄の塊を転がしつつ、尋ねる。
「従来品より、発光時間が三秒長い。画期的だろ?」
「………」
 沈黙する事で「たった三秒か」という文句を暗黙に浮かばせ、レイブリックは手榴弾を腰に装着した鞄に仕舞いこんだ。
「三秒を馬鹿にすんなよ?その僅かな差で命拾いする場合だってあるんだぜ?」
「そうかもな」と苦笑しつつ、最後の身支度を終えたレイブリックは持って行く武器の整備を始めた。
「俺もさ」
 少し小太りの憎めない同期は、壊れかけたドアに背中を預けて呟く。
「お前の言う事はもっともだと思ってるんだぜ。でも隊長の言い分も正しいと思うんだ」
 レイブリックは黙々と準備を進めながら、同僚の話を聞いた。
「それに、俺は…できる限り死にたくない。先月子供が生まれた」
 手馴れた動きで弾を装填しているレイブリックの指が止まる。武器から目線を上げ、同期を見やった。
「十秒まで伸ばせ。そうしたら誕生祝いの一つぐらい贈ってやる」
「あ?」
 一瞬、きょとんと目を丸くした男は、だがすぐに理解して笑った。
「お前なあ、三秒伸ばすのにどれだけ苦労したか」
「三秒で人が一人命拾いする。十秒なら世界が変わるかもしれないだろう」
「へっ、誰のうけうりだあ?」
 満更でもなさそうな男は、照れを隠すために大げさに胸の前で腕を組んだ。だがレイブリックが準備を完了させるタイミングで背筋を正し、右手で敬礼する。
「無事のご帰還を、レイブリック中尉」
「ありがとう、スタニア少尉」
 あまり表情を変えず、レイブリックは上着の内側に複数の武器弾薬を仕舞いこむと、廃アパートを後にした。人気の無い道を遠ざかっていく、同期であり、上官でもあるレイブリックの背を、スタニアと呼ばれた少尉はしばらく見送り続けた。
「本当に行ってしまわれたのですね」
 間もなく、背後から若い女の声がする。スタニアが振り返ると、先ほど損な連絡係をやらされた、若い新米士官がそこにいた。名はセイラ・ブルックナー。位は一等下士官。今回の作戦ではOJTを兼ねて派遣されている。主に装備品の準備や作戦資料の整理等の雑用を請け負う立場の為、詳細な任務情報を知らされていない。尋問や拷問訓練の施されていない若年士官に、機密を伝えないのは基本ルールなのだ。
「あいつは自分に正直な奴だからな」
 敬礼の姿勢を崩してスタニアは、新米士官セイラの脇を通り過ぎて部屋を後にした。
「自分に正直……」
 スタニアを追おうとした足を止め、セイラはレイブリックが去っていった方を振り返った。
 既に彼の姿は、消えていた。


 ホテルに戻るなり、グレンはまずクローゼットを開いた。荒らされた様子はなく、持ち物や衣服はそのままだ。それを一瞥して確認した後、靴だけ履き替える。
「着替えないのか?スーツのまま?」
「寄らなければならない場所がある。この格好の方が都合が良い」
 簡潔に答えたグレンはイルトに質問する暇を与えない。また言われるままに部屋を後にし、イルトがグレンの後をついていくとたどり着いた先は郵便局だった。隅に設置してある公衆用電話ブースの一つに入り、備え付けのメモ用紙にグレンは素早く文字を書き込む。
「イルト。今から言う番号に電話をかけて、この人物を呼び出してもらってくれ。その際、自分は地方で学生をしている、と名乗るんだ」
 手渡されたメモの一行目に、男の名前が書かれている。
「アーサー・ノーブル?」
 電報の差出人名だ。ライアン・グスタフ准将が、この人物の名を借りてソフィア宅に電報を送り続けていた。所謂、重要な連絡役だ。今回も、その役割を果たすことになるのだろと、イルトは理解する。
「本人が電話に出たら、この台詞を順番に言うんだ」
 名前の下には、三つの台詞が書かれている。
「一つ目の台詞を言ったあと、向こうの様子をよく耳を澄ませて聞いてくれ。従う様子なら、二つ目の台詞を言ってくれ。相手から二つ目の台詞の内容を了承する返事が来るまで、三つ目を言ってはいけない。三つ目の台詞を口にしたら、私に電話を替わってくれ」
「従わなかったら?」
「すぐに電話を切るんだ。別の手段をその後考える。でも…恐らくこれで大丈夫だ」
「わ、わかった」
 イルトは口の中で台詞を数度繰り返す。事細かな指示の一つ一つには恐らく、意味があるのだろう。手順を損なってはいけない、そんな使命感に駆られた。
 受話器を取る。手が少し震えそうになるが、懸命に隠した。グレンから口頭で伝えられた十桁の番号を、電話機に打ち込む。雑音交じりの呼び出し音が鳴り、三度目で途切れて若い女が応対した。イルトは指示通り、自分が地方の学生であり、アーサー・ノーブルに電話を繋いで欲しい旨を伝える。
「少々お待ち下さい」という言葉から数十秒後、「はい、ノーブルですが」と眠たそうな声が出た。
 聞かれないように小さく息を吐き出してから、イルトはメモの二行目を口にする。
「声を出さないで下さい」
『………』
 電話の向こうにいる相手は、何か言いかけた言葉を飲み込んだようで、短い呼吸音の後に、少し長い溜息が聞こえてきた。それを「了解」と汲み取り、イルトは二つ目の台詞を読む。
「今から、何を言っても驚かないで下さい。声を荒げたりせず、こちらの要求を聞いて下さい。了解なら、「分かった」とだけ答えて下さい」
『分かった』
 あっさりと返答が戻ってくる。少々、気抜けしつつもイルトは最後の台詞を口にした。
「ここからは、普段通りに会話をして下さい」
『分かった。話を聞こう』
 最初に電話に出た眠たそうな声は崩れる事がなく、回線の向こうにいるアーサー・ノーブルはただイルトの台詞に従う。もしや既に、気がついているのではないだろうか。イルトにはそんな気さえしてくる。
 アーサーの返事を聞いて、イルトは無言で受話器をグレンに手渡した。
「久しぶり」
 受話器を受け取ったグレンは、まずその一言だけを口にする。
『…………』
 アーサーから即答は戻ってこなかった。
「分かるだろ?」
『知らんな』
「冷たいな」
『冗談だ』
「分かってるよ」
『…それで?』
「久々なのに悪いが、頼まれて欲しい事があるんだ」
 そう話しを切り出したグレンの面持ちが、完全に和らいでいるのをイルトは感じていた。元々、良く言えば人当たりの良い、悪く言えば地味な外貌のため、常に穏やかな雰囲気を絶やさない男ではある。だがグレンの奥に見え隠れする、油断を許さない気概をイルトは常に感じていた。
「ああ。キルギストックだ。ベーシックと9mmを2、いや、3ダース、ライセンスを発行して欲しい。…うん…ん?……うるさいな、私は基本に忠実なだけなんだ」
 微かだが笑い声さえ洩らしているグレンはだが、受話器を持ち帰ると同時に再び真剣な面持ちに戻った。
「頼んだぞ。三十分以内にだ」
『「そっち」にはいつまでいるんだ?』
 一通りの要求を承諾した後、アーサーから初めて問いかけが来た。
「二日もしない内に出る予定だ」
『次はいつに?』
 次に連絡をくれる日はいつか、と彼は尋ねているのだ。周囲に気付かれぬよう、わざと言葉数を減らして対応するアーサーに、グレンは内心で感謝する。何も言わなくとも、友人の彼は事情を把握していてくれる。有難かった。
「近いうちに必ず。会いたがっていると、奴にも伝えてくれ」
『分かった。では、すぐに手配しよう』
「ありがとう。声が聞けて嬉しかった」
『………よせよ』
 平坦な応対の後、アーサーの方から電話が切れた。無機質なトーン音を二度ほど聞いてから、グレンも受話器を置いた。それがスイッチであるかのように、和らいだグレンの面持ちが、真摯なものに切り替わる。
「移動するぞ」
 イルトの返事を待たずにグレンは踵を返した。
「植物園に?」
「いや、もう一箇所」
「どこへ?」と尋ねるのも愚問な気がする。イルトはただ、先を急ぐグレンの後を追った。




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