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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師 ACT11-5
05

「まさか」という気持ちと、「もしや」という気持ち。それぞれが葛藤する中でミリアムはクラースの瞳を覗き込む。
(二十年も前の事……読み取れるかしら…)
 この時のミリアムは、クラースが口にした「二十年」という年月の嵩と、グレンの外貌とが不釣合いである事実に全く意識が無かった。記憶の奥に残っているであろう「将軍」の残像に手を伸ばそうとすると、突如体の奥底から急激に競りあがる意識を感じた。
「だめ!」
 と思った瞬間には既に、ミリアムの意識は体の奥底に押し込められていた。突然周囲の景色が消え、暗闇の中に取り残される。水底に漂うような浮遊感に包まれて、頭上を見上げると光が淡い色を発している。遠いところから、クラースやエルリオの声がした。
「え~、それじゃよくわかんない」と唇を尖らせるエルリオの声を聞きながら、クラースに微笑むのは、自分ではない。
『何故邪魔をするのですか!?』
 自分ではないもう一人、リューシェ。今自分の体を動かしている存在に向けて、ミリアムは精一杯の抗議の声を上げた。
『制御できないうちから力を濫用してはいけないと、言ったはず』
 意識の中に響くリューシェの声は、冷めていた。
『これ以上潜っていたら、相手にも気付かれるわ』
『でも…』
『黙りなさい』
 釈明の猶予もなく言葉を押さえ込まれた。
「写真とか残ってないの?雑誌とか新聞とか」
 リューシェの声の向こう側で、エルリオ達の声が聞こえる。物理的にすぐ隣にいるはずが、ひどく遠い。
「極端なマスコミ嫌いでも有名な方だったわね」
 これはジャスミンの声。それに「そうなんですよ」と頷くクラースの様子も見える、というよりも「感じ」られる。そして、彼らの輪に混じり、微笑で頷くミリアムの姿を借りたリューシェ。
『あの暴走者と同じになりたいの?』
 表情を崩す事なく、リューシェは内に閉じ込めたミリアムに問う。
『……暴走…』
「暴走」の言葉にミリアムの意識は萎縮した。乾きの街シュトル・セントラルで見た暴走者のおぞましい姿は、今でも写真を取り出すかのように鮮明に思い出される。膝を抱えて体を丸めて、ミリアムはせり上がる恐怖をやり過ごした。
『この印が暴走したら…とんでもない事になってよ』
 頭上から、変わらぬ冷たい色のリューシェの声が続く。
『……とんでもない、こと?』
 精神状態が直な感覚となって寒気となり、ミリアムの小さな両肩を撫でていく。身震いする肩をさらに縮めた。
『印の力に支配されてしまうと、意識せずとも頭の中に次々と人々の意識が流れ込んでくるようになる。耳を押さえても、どこに隠れていても、逃れられない。耳を潰しても、目を潰しても、無駄。最期は狂い死ぬしかないのよ』
「そんなの嫌です絶対イヤ!」
 リューシェの言葉を振り払うように、ミリアムは叫んだ。直後、自分の出した声で我に返る。
「ど、どうしたの?」
 目の前に、驚いてこちらを見ている面々の姿があった。一番近くにいたエルリオが、こちらに歩み寄って顔を覗きこんでくる。
「え、あ、私……」
 ミリアムは、自分を抱きしめるように胸の前で交差させた手に、力を込めてみた。己の体の感触がある。手の平に体温と鼓動を感じる。意識がまた、入れ替わったのだ。
「もしかして…リューシェと喧嘩してたの?」
 頬が触れるほどに顔を寄せて、エルリオが囁く。時おり唐突に言動が妖しくなるミリアムに、エルリオやジャスミンはすっかり慣れた様子だが、免疫の無いクラースは内心で首を傾げつつ、身を寄せ合う少女達の背中を眺めている。
「あの……」
 そのクラースへとかかる声があった。
「?」
 全員で一斉に振り向くと、
「先ほどは、大変失礼しました」
 図書館で取り乱していたライフェルという名の学生の、友人がいる。名はローランドといったはずだ。
「さっきの」と思わずエルリオの口から声が漏れる。
 四人で取り囲むようにしていた本が、さきほどライフェルが読んでいたものと分かり、ローランドは目を細める。
「我々に何、か…?」
 だいぶ年上であるクラースの方が、若い学生に恐る恐る尋ねる。ローランドは一度少女達を一瞥した後、クラースに真摯な面持ちで向き直った。
「あいつあの後、急に学校を辞めると言い出して…」
「さっきのご友人が?」
 言葉を確認するクラースの後ろで、エルリオとミリアム、そしてジャスミンは顔を見合わせた。
「なんで、どうして?」
 後ろから尋ねたのはエルリオ。
「……わかりません」とローランド。
「おかしいとは思っていたんです。それまで全く興味を示さなかった歴史の本を読み出したりして…でも、恥ずかしながら俺はそっち方面は全く…だから…」
「クラースさんなら原因がわかるかもしれない、と言うわけね」
 独語として呟かれたエルリオの言葉へ、ローランドの頷きが重なる。
「あの現場に居合わせていた、という理由もあります。あいつのあの様子だと、恐らくあまり他に知られては困る事じゃないかと思いまして」
「辞めるって、誰から訊いたの?本人から?」
 エルリオからの続けての問いに、ローランドは頷く。
「ならきっと、その人は引き留めて欲しいんじゃないかな」
 その言葉に顔を向けたのは、ローランドだけではなかった。
「本気で学校を辞めて姿を消そうというなら、こっそり行動を起こすと思うんだ」
 エルリオに、面々の視線が集まる。ジャスミンは、細いが筋肉質な両腕を胸の前で組み、視線を俯かせて一点をじっと見つめていた。深く思案している様子だ。一方のローランドも眉間に影を落とした神妙な面持ちで、じっとエルリオの言葉を聞いている。
「しかしながら、残念ですが……明確な原因は、私には、分かりません」
 申し訳なさそうに、クラースはそう答えるしかない。傍らのテーブルに置かれた本を手にとって、開かれたページをローランドに掲げる。
「恐らく、ご友人が見ていたページはここであろう事は濃厚なのですが」
 敢えて多く語らずクラースは紙面をローランドに見せて、彼の反応を待つ。だが本当に心当たりが無いようで、文字列を目で追いながら、彼はしきりに小さく首を傾げている。
 会話の流れが行き詰まり、無言による静寂が降りる。だがそれは一瞬で、
「迷っているか……または…」
 というジャスミンの呟きによって再び流れ出す。
「助けを求めているのかもしれない」
 低く吐き出された言葉と共に、ジャスミンの瞳が下からローランドを見据えた。黒く鋭い輝きをたたえる両眼は、彼女の想定する事態が深刻である事を表している。
「助けを……」
 それを受けてローランドはジャスミンと視線を突き合わせたまま、無言を挟んで思案する。ライフェルの様子を思い出しているようだ。そして突然、
「すみません…俺、戻ります」
 水を掛けられて目を覚ましたかのように息を飲んだ後、焦燥あらわに踵を返した。その勢いに公園内で憩を楽しむ人々が振り返る。
「私達も、行こう」
 続いて躊躇無く走り出したのはジャスミンだった。先を走るローランドの背中を指差す。
「え、ちょっと!」
 慌てて長い黒髪が尻尾のように揺れる背中を、エルリオとミリアムが追いかける。一瞬呆けてから、クラースも本を小脇に抱えなおして走り出した。
 ローランドに追い着くのは難しい事ではなかったが、ジャスミンは一定の距離をおいて彼の背中を追随した。肩越しに背後を一瞥すると、少女達も懸命についてくる。エルリオは、ポケットに無造作につっこんだキューが落ちないよう気を遣っているため、少し走りが不自然だ。
 公園を抜け、先ほどの図書館を逸れて大学校棟へ向かう。寮が隣接されており、ローランドは警備員が立つ門を走り抜けていった。咄嗟にエルリオ達はクラースを引っ張り込み、彼に警備員の相手をさせて自分達は何食わぬ顔で敷地内へと入っていく。寮の入り口は三箇所あって、ローランドはそのうちの一つの玄関先に向かっていた。寮棟は七階建てとなっており、鉤型に東西が折れている。入り口は建物の中央と左右の棟に一つずつあった。
 その時。東側の入り口へ駆けて行くローランドを追うジャスミンの背中を追っていたエルリオは、視界の端に白い影が揺れ動くのを見た。
「?」
 ジャスミンの背中から目を離し、走りながら建物の上階を見上げた。
「いやあ!」
「あ!」
 隣でミリアムが声を上げるとほぼ同時に、エルリオも叫び声を詰まらせた。二人の少女の視界の中で、建物の上階の窓から放り出されるように飛び出した影が、地に向かい落ちていったのである。
「!?」
 落ちてきた「それ」は、玄関の手前、ローランドの正面で地に叩きつけられて数回バウンドした。乾いた白い地面に赤い液体を撒き散らし、ローランドの足下で止まった。
「わ、わわあ!」
 少し離れた背後から、クラースの奇妙な声が上がる。
「それ」は、人間だった。
「ライフェル!」
 赤黒い水溜りの中央に転がる人物の名を叫び、ローランドは駆け寄る。数歩背後のエルリオ達も、その光景を見た。「ひっ」とミリアムが喉を引きつらせる声が聞こえる。辛うじて声を上げるのを堪えたエルリオも、血溜まりの中で動かない人間の体から目が離せないまま呆然とするしかない。
「まだ生きているわ」
 と、横からジャスミンの冷静な声。寸時に生死の状態を把握できたのは、軍役経験の賜物なのだろうか。
「た……助かるんですか?」
 だがミリアムのこの問いに、ジャスミンは首を斜めに振った。「わからない」という事だろう。騒ぎを聞きつけてやってきた警備員は仰天し、医務官を呼んで来ると言い残して立ち去った。ぽつりぽつりと、寮の内外から学生達が姿を表し始める。この時間帯、多くの寮生が大学院に出向いているために、不幸中の幸いか、野次馬の数は少ない。
「何で…何でこんな…ライフェル!」
「動かしては駄目。まだ息があるわ」
 友人の傍らに膝をついたローランドを、背後からジャスミンが肩を掴んで止めた。ライフェルの体には触れず、ローランドが彼の耳元に顔を近づけて名前を数度呼ぶと、僅かに反応が戻った。血液に漬かって半分以上が赤に塗れている顔が、懸命に友人を見上げようと首をもたげるが、かなわぬようだ。その様子に「しっかりしろ」とローランドが繰り返す。
「すぐ医務官が来るからな」
 焦燥した声がローランドは励ましの言葉をかけ続ける。
「ダメ……だ」
 ようやくライフェルから反応らしい反応が戻る。
「絶対に……関わる……な」
「え…?何がだ…?」
とぎれとぎれの消え行きそうな呼吸と共に吐き出される単語。ローランドはそれを必死に聞き取ろうとしている。
「ヴェ…」
「離れて!」
 何かを言いかけたライフェルの声をかき消したのは、ジャスミンだった。傍らのローランドの肩を後ろに引き、自らも後方に飛びのいた。そして後方で呆然とする少女達に、
「見ちゃだめ!」
 と叫ぶ。
 水面で巨大な水泡がはじける、そんな音と共に、ジャスミンは露出している自分の腕が赤く汚れたのが見えた。それは、至近距離から飛び散った、血液。生温かった。
「!」
 ジャスミンの視界の中、正面の光景に向き合ったまま呆然としていた少女二人の面持ちが、大きく歪んだ。一拍の呼吸の後、「きゃあああ!」とミリアムが叫び顔を両手で覆い、エルリオは何が起こったのか理解していない様子で丸い瞳を見開いたまま動かない。一方で、ジャスミンに引き倒されたローランドは、体を起こすと同時に言葉にならない音を口から短く漏らしていた。それと似た反応を見せていたのはクラース。
「……遅かった……」
 後悔の言葉と共にジャスミンが肩越しに振り返ると、そこは一面の赤色だった。華麗に花弁を広げた菊のように、血が四方八方に飛び散り巨大な花を描いている。その中心にいたはずのライフェルの姿は、もうどこにも無かった。
「な…な…何が……何が起こったのですか…今…」
 顔を塞いで背中を丸めるミリアムから、呻き声のような小さな言葉が漏れてくる。それに応えられる者はない。
(えーっと………なんで…なんで…消えちゃった、の…?)
 巨大な血溜りの中心を見据えて、エルリオはショートしかけた思考で懸命に考えた。さっきまで、ローランドの側で苦しそうな呼吸に喘いでいたライフェルの姿が、何故忽然と消えてしまったのか。そして何故、自分や、ミリアム、クラース、ローランドやジャスミンの衣服や腕がそれぞれ、赤く汚れているのか。
 他人の血液で汚れた自分の腕を、エルリオは見つめた。赤黒い液体は、思ったよりも熱い。エルリオの肌に纏わりつくような粘着さがある。
「ライフェル……」
 絶望感しか無いローランドの声に、エルリオは我に返る。
 今ある状況を整理するまでもなく、推測するまでもなく、エルリオの目は見ていたのだ。
 それは「爆発」という現象だった。だが、そこに火薬による硝煙や、地が抉られた痕跡がない。乾きの地で見た、暴走者の顔面が弾丸により吹き飛ばされる瞬間とも違う。確かにライフェル自身の体が、中心から吹き飛んだのだ。
「何かあったのか?」
「なんだなんだ」
 徐々に遠巻きに他の学生達の声が、数を増やしつつあった。まばらな人波が、徐々にコロシアムのように円形の空間を作りつつある。その中央に、真っ赤な血の花。
「………」
 呆然とする少女二人とローランド、対照的に冷静な顔色を保つジャスミンは集まり始めた野次馬達を見渡す。
(まずい……目撃者が増えすぎる…)
 ジャスミンの思案に重なり、出口方面からまた新しい声が近づいてきた。
「騒ぎを大きくするんじゃないぞ」
 他と一線を画した沈着した声音。顔を向けるとそこには、白帽を被った一目で医療に携わる者と判別できる装いの男がいた。警備員が呼んできた医務官らしい。群がる学生達を「散った散った」とあしらいつつ、赤く染まった現場に厳しい視線を動かしている。
 厳しい視線がエルリオ達に向いた。何か言いかけて、だが先に片付けておくべき課題を思い出して、踵を返す。医務官は寮棟の玄関に向かい、中から出てきた管理人と言葉を交わす。頷く管理人は慌てた様子でまた寮内へと駆け込んでいく。それから再びエルリオ達の元に戻って来た。
「少しお話しを聞かせて頂きたい」
 事務的な言葉と共に、医務官の冷ややかな視線がエルリオ達に注がれた。




ACT11-6⇒
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押印師ACT11-6
06

 大量の血液を撒き散らした寮の玄関前広場は、管理人と警備員の手により手早く封鎖処置がされた。多くの寮生が出払っている時間帯も幸いし、大混乱にはならなかったようだ。
 エルリオ達は医務官により寮内の一室に通された。簡易のテーブルと椅子が置かれた応接室で、つまりこれは事情聴取なのだと、気付く。
「墜落死したのは、理学科の二期生ライフェル・ルスト。これで正しいかな」
 医務官は、ローランドが口にした言葉をそのまま繰り返した後、確認の相槌を挟んだ。だが対面に力なく腰掛けるローランドからは、気の抜けた応答しか無い。
 医務官はライフェルが自殺をしたという推測の元、飛び降りた瞬間の様子や、最後に会った時の様子をローランドから聞きだしている。「ノイローゼだったのかもしれないな」という独語と共に、医務官は聴取内容を手元のノートに書き写していった。
「………」
 どこか符に落ちない不愉快さを残しつつ、窓際に座っていたジャスミンは閉じられたカーテンの隙間から外を見た。
(?)
 外の光景に、ジャスミンは違和感を覚える。ライフェルが落下した場所、作業着の男が赤黒く汚れた地面に砂を被せて均している姿が見えるのだ。
(鑑識官が来た様子も無いのに…何故…)
 自殺であれ他殺であれ、人が一人不審な死を遂げたとあれば、警察局が関与してかならず鑑識課の検証が行われる筈である。思案していると、僅かに開いていたカーテンが完全に閉められた。
「あまり女性にはお見せできる光景ではありませんので」
 見上げると、テーブルの対面から腰を上げた医務官の姿があった。カーテンを閉め切って再び着席する。彼の態度にも不審を覚えつつ、ジャスミンはそれを表情に出さずに傍らに座る少女達を見やった。見ると、ミリアムの顔色が極端に悪い。
「大丈夫?気分悪いの?」
 エルリオも気がつき、細い肩を寄せ合ってミリアムの顔を覗きこんでいる。ミリアムは俯いたまま数度頷いた。
「お手洗いに行って来ても……いい?」
 言いながら既にエルリオはミリアムの片腕をとって立ち上がっている。駄目とも言えず、医務官は一瞬の躊躇の後、渋々といった口調で「いいでしょう」と答える。
「はあ…」
 部屋を出て扉を閉めたところで、ミリアムは壁に背をつけて大きく息を吐いた。
「吐きそう?歩ける?」
 少し慌てたエルリオに、ミリアムは青白い微笑みを向けた。
「大丈夫です……あの部屋にいると気分が悪くて…。違う空気を吸いたかっただけなんです」
「ちょっと分かる」
 人の心を読み取る力を持つミリアムには、ローランドの打ちひしがれた様子さえも毒になるのだろう。エルリオはそう解釈して閉じられた扉を見やった。
「玄関の方にいかない?外からの風が入ってくるから、気持ちいいかもよ」
 廊下はほの暗く、木造のために湿気た匂いがして薄気味悪い。二人は外の風を求めて玄関方面へと歩を進めた。
「―ええ、はい」
 前方から話し声が聞こえて、玄関へと続く折れ曲がった廊下の手前で、エルリオは足を止める。曲がり角の向こうを恐る恐る覗き込むと、玄関の管理人室前に設置された電話の前に立ち、話し込む作業服の男の背中があった。
「もう、粗方の始末はつきましたから。人はよこさなくてもいいですよ。聞き取りも終わりそうです」
 どうやら業務報告をしているようだ。
「ええ、それも終わりました。鑑識官もとっくにお帰りです。結局、自殺だそうです」
「??」
 男の言葉に、エルリオは不思議な印象を抱いた。
(ありゃ、鑑識官なんて、いつ来たんだろう?)
 鑑識官が来たらライフェルの死について尋ねたい事があったのだが、エルリオは肩透かしを食わされてしまった気分で首を傾げた。
 ライフェルの墜落死から、ほぼ間を空けずに医務官が到着し、すぐに寮内の部屋に通されて間もない。あれから数十分と経っていないはずだ。外の方を覗き込んでみると、広範囲に散っていた赤黒い血痕が、白砂と共に綺麗に均されている。あの作業をするだけでも少なからずや時間を要するであろうに、男の言葉には矛盾が多かった。
 それに、まだ聴取中だというのに何故、自殺だと断言しているのだろうか。
(………)
 考え込んでいると突然、受話器を持ったまま男が振り向いた。
「っ!」
 必要以上に驚いたエルリオは、思わず曲がり角の手前に身を隠した。背後にいたミリアムも突然の事に驚いて後ろに転びかける。
「どうしたんだい、おじょうちゃんたち」
 受話器を置いた作業着の男が、角を曲がって姿を見せる。振り向いた瞬間の面持ちとうって変わって、好々爺のような人懐こい笑みを載せていた。
「あ…あの……お手洗いを、探していたのです」
 代わりにミリアムが答えた。「そうかそうか」と大きく二度頷いて、男は二人が元来た廊下の奥を指し示す。
「大変な現場に居合わせちゃったね。あんなことは早く忘れるといいよ」
 最後にそう柔らかい口調で同情を口にして、男は玄関方面へと踵を返していった。人好きのしそうな男の表情が、薄暗い廊下の中ではやけに恐ろしく感じられた。
 何かがおかしい。
 エルリオはそう思わざるを得なかった。
 一方でジャスミンも、外の光景を目にして一層、目の前の医務官に不審を抱いていた。淡々とした調子でローランドからの証言をとっている様子を見つめるうち、「さて」と今度はその視がジャスミンと、その隣に座るクラースに向いた。
「さて、次はお二人にお話をうかがいましょうか」
「あの…」
 クラースが戸惑いの声を発すると同時に、
「見たものに関しては、そこの彼が答えた内容と同じです」
 ジャスミンが横から畳み掛けた。クラースに余計な言葉を漏らさせてはいけないと、直感が働いたからだ。
「亡くなった彼があのような結果になるまでの経緯も、私達は知りません」
「貴方がたと、亡くなった学生とのご関係は?」
「………」
 ジャスミンはまた、医務官の言葉に異質感を覚える。医務官が検体に関わる質問以外に、警察局員紛いの質問を向けてくるのも、おかしな話なのだ。迂闊な反応を避けてジャスミンは、少し俯き唇を噛む事で、是にも非にも捉えられる面持ちを演じた。
「その本は?」
 ジャスミンへの質問を諦め、医務官はクラースに意識を切り替えた。クラースがずっと小脇に抱えていた本を指差す。
「ああ、その、私、歴史学専攻なものですから、研究資料用に借りていたもの、です」
 所属学科が記された胸元の身分証を見せつつ、クラースが答える。信憑性のある回答だが、医務官の表情は崩れなかった。手帳にペンを走らせながら「そうですか」とだけ相槌を打つ。そして一瞬だけ壁際に視線を泳がせ、すぐにまた正面に戻し、徐に手帳を閉じて席を立った。
「分かりました。今日は結構です」
 医務官が背中を向けているうちに、ジャスミンは彼が視線を泳がせた方向を見た。壁の上部に、時計が掛かっている。カーテンを開けてみると、既に地面は均されており、ライフェルが倒れていた地面周辺だけ不自然に白い砂が敷かれていた。作業をしていた男の姿は、もうなかった。


 まだ意識が半分遠くにあるローランドを伴い、エルリオ達は再び公園に戻ってきた。今度は人影が疎らな貯水池脇の休憩コーナーへとやって来る。人工的なタンクと水門を備えた貯水池周辺は、柳がしな垂れて薄暗く、湿っぽい。だが人影が無い分、空気が洗われている気がした。聞こえる音は、鳥の声だけだ。
「ライフェルが自殺だなんて、ありえない」
 ベンチに腰を下ろして、最初に言葉を発したのは意外やローランドだった。声に揺るぎはなく、思いのほか力強い。
「それは、何か確証があるの?」
 それが感情にまかせた言葉ではない事を、ジャスミンはローランドの声から感じ取っていた。
「あいつは苦労して育ってきたから、打たれ強くて滅多な事では沈まない奴だったんです。それが…あんな死に方をするはずがない」
「……」
 ローランドの答えに、ジャスミンは僅かに反応を見せた。
「苦労って……ご家族は?」
「ライフェルは、戦災孤児なんです」
 そこで、エルリオとミリアムもわずかに視線を寄せ合った。言わずともそれが対帝国大戦によるものだと、分かったからだ。
「生まれ故郷が防衛戦近辺だったという事で、村全体が焼け出されたとかで多くの孤児が出たようなんです。それからは、施設を転々として―」
 最終的には学業成績が優秀だった為に、奨学制度を受け高等教育学校を経て大学校へ進学したという。
「立派な、方だったのですね…」
 ミリアムが呟いて、旨の前で小さな手を祈る形に組んだ。
「私……あの時もっと早く反応できてたら……」
 俯くエルリオは、右手で己の左手を包み込んで握る。地に叩きつけられる直前に、少しでも早く風を起こせていれば、彼を救えたかもしれない。風でなくてもいい、地の精霊を呼び落下地点の土質を泥土に変えられれば―など、思案すればするほど悔恨が連なる。
 じっとエルリオの言葉を聞いていたミリアムが、ゆるゆると首を横に振った。
「それが思考や感覚と直結するようになったら、とても侵食が進んで危ない状態である事になります。仕方の無い事なのです。リオさんのせいではありません」
 諭すように、ゆっくりとした口調でミリアムが語りかける。前半はリューシェから借りた知識だが、後半はミリアム自身の気持ちだ。ちなみに、先日以来、エルリオとミリアムは互いを「リオ」と「ミリー」と呼び合うようにしている。本名を悟られない為の用心でもあり、互いの距離が近くなった結果でもあった。
 少女達の様子を見やりつつ、
「戦災孤児…」
 その隣でジャスミンは両腕を組んで眉を顰める。形の良い胸元が、溜息の為に小さく上下した。一瞬、静寂がおりて、鳥の声が横切る。
「何、か、思い当たる事、でも?」
 神妙な反応を見せるジャスミンに、クラースがまた少し離れた場所からぽつりと声をかける。
「あるなら、聞かせてください」
 ローランドはベンチから腰をあげ、クラースとジャスミンに向きあった。そこにある僅かな希望に縋りつきたい、そんな切実さが感じられる。
「……」
 クラースに窘めるような視線を一瞥させてから、ジャスミンは静かにローランドに向き直った。背後から少女達二人の視線も感じられる。鳥の巣から顔を出して、親鳥を待つ雛のような顔をしているのだろう。
「駄目」
 短く答え、ジャスミンは首を横に振った。
「な、何故ですか!」
「お友達の遺言を忘れた?」
 絶対に関わるな。
 ライフェルが最期に言い遺した言葉だ。
「貴方はそれを守るべきだわ。だから、駄目」
「でも…っ」
 抗議の言葉を続けかけたローランドから視線を外して、ジャスミンはクラースに向き返った。
「貴方も。今すぐこの本を戻した方がいい」
 突然自分にも話を振られて、クラースは返事をする間もなくただ「え?え?」と呆然としている。納得のいかない様子の両者を、ジャスミンは低声と共に見据えた。
「私は、元国軍人です」
 黒曜の瞳が急に冷たい色をたたえ、まるで野の獣のような光を生み出す。いわば草食動物のような学者と学生は、ジャスミンの凄みに一瞬気後れした。
「警察局にいた時期もある。その私が忠告しているのだから……危険性を感じて欲しいの」
「貴方が…元軍人…」
 改めてクラースはジャスミンを見やる。ようやく、細身細腕ながら大の男一人を簡単に殴り飛ばしえたのが頷ける。一方、ローランドの方は「警察局」の言葉に顔色を変えていた。
「警察局がらみって…あいつがどんな危険な事に関わっていたというんですか」
 一介の学生でしかなかったはずの日常に、そんな片鱗はどこにもなかった。
「事実はどうあれ、彼があのような亡くなり方をした時点で、充分に異常でしょう?それに、あの医務官……不審すぎるのよ」
「え?」
 ジャスミンの言葉は予想外だったようで、ローランドとクラースは同時に呆けた反応を見せた。両者とも医務官の言動に疑問を抱いていなかったようだ。ジャスミンは、鑑識官の到着なしに現場が整備された事、それが警察局の手順に沿っていない事を説明する。学生と学者は感心したように複数回頷いている。
「あの…実はね」
 と、エルリオがミリアムと目撃した作業服の男の言動について説明した。ジャスミンは訝しげに目元を細めはしたものの、驚いた様子は見せなかった。
「組織がかっているという事ですか?ならやはり、あれは自殺ではない可能性が高いという事ですね」
 興奮気味に言葉を吐き出し、ローランドはその場から踵を返した。「待ちなさい!」とジャスミンが咄嗟にその腕をとる。
「どこへ行く気?」
「寮棟の、あいつの部屋に行きます」
「部屋?」
「あいつが落ちた窓は、あいつの部屋だったんです」
 自殺、他殺いずれにしろ、何かしらの手がかりがあるはずだとローランドは言う。
「これだから学者肌の人って……っ」
 苛立たしげな小さい舌打ちと共に、ジャスミンは空いた片手を振り上げた。




ACT11-7⇒
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押印師 ACT11-7
07

 爆ぜる音。
「わあ…」
 ミソラは思わず瞑りかけた目を懸命に開いた。まるで間近から頬を叩かれたような音がするのだ。弾けたのはエキュレスというこの地に自生する植物の種袋で、こうして種を遠くへ飛ばすのだ。その瞬間を目の当たりにしたのは、初めてだった。
 植物園の一画。ミソラがいた場所は「ゆかいなしょくぶつたち」と看板が立てられた、親子連れ向けの企画広場だ。集客を目的としていないグレリオの植物園では見られない展示物が多い。休日のため、家族連れが多く見られた。
「お花はいかがですかー?」
 両親に連れられた子供がいる一方で、園内の大通りの隅で花を売る少女の姿もある。歩き過ぎ行く人波の中で、誰も少女の存在に視を向ける者はいない。来園者向けの花屋や売店が園内には点在しているため、ますます少女から花を買う客などいそうにない。
 ただ、自動的に言葉を発する人形のように、手に花束を抱えた少女は空虚に向かって「お花はいかがですかー」と呼びかけながら、園内を小さな歩幅で歩いていた。
「………花売り、かあ…」
 学費を密かに貯める為に薬草を売っていた日々が思い浮かび、懐かしさと寂しさを胸に覚えながら、ミソラは花売りの少女の方へと歩み寄った。
「お花、おいくらですか?」
「……………」
 声をかけられ、少女は不思議そうな面持ちでミソラを見上げた。腕の中いっぱいの桃色の花々からは、甘い匂いが漂ってくる。目に染みるほどに強い香りだ。
「あげる」
 少女は花束の中から一輪だけを取り出して、ミソラに差し出す。幼い声に合わない、子供らしからぬ平坦な口調だ。少女はミソラに半ば押し付ける形で花一輪を渡すと、また何事も無かったかのように「お花いかがですかー」と呟きながら歩き去っていった。
「おかしな子」
 そんな感想を抱きつつ貰った花に顔を近づけて匂いを嗅ぐ。
「??」
 花の香りに、別の匂いが混在している。ミソラは薬草を使ったアロマや石鹸等も作り、売れるものは何でも売ってきた。調合作業時に培われた嗅覚が拾った、匂いの微粒子は、花独特の甘い香りとも違う人工的、加工物的な甘さだ。
「何の匂いだっけ…どこかで嗅いだような」
 薬のような匂いでもあり、ナッツやアーモンドといった香ばしさもある。
 頭を捻るミソラの視界の中で、中年の男が花売りの少女に声をかけた。風景に不釣合いな、少し薄汚れた色の上着を着た男は馴れ馴れしい様子で少女に話しかけているが、少女の方は無表情で数回頷き返しているのみ。そのうち、少女が足を一歩踏み出すのを皮切りに、二人そろって歩き始めた。
「親子…?」
 には見えない。
「……まさか…」
 考えたくは無いが、「幼女売春」という新聞でも目にした事のある言葉を思い出して、ミソラは慌てて二人の後を追随した。悪い予感が当たっているのなら、止めなければならない。だがミソラ一人で大の男を止められるだろうか。その不安も過ぎる。二人との間に適度な距離をおきつつ、ミソラは園内を見渡して庁舎職員の姿を探す。ここは公立なので、管理元は国を通じて庁舎が行っているのだ。
「あれ?」
 一瞬、二人から視線を離した瞬間に姿を見失いかけるが、巨大温室の裏手に入っていく大小の人影を見た気がした。裏は、温室へと水を送り込む貯水タンクとパイプが複雑に入り組んでおり、ゴウゴウと胸に響いてくる音が煩い。人気も全く無く、ミソラは不安を覚えつつもパイプに手を沿わせながら前へ進んだ。
 いた。
 複数あるタンクのうち、メインと思われる最も大きなタンクの影へと入っていく、二人の姿を見つける。太いパイプに身を隠しつつ、ミソラは耳をそばだてた。だが給水の音が邪魔をして、二人の会話を聞き取る事は出来ない。
(見つかったら、走って助けを呼べばいい)
そう思い切ってミソラは、タンクの向こう側に顔を覗かせた。
「!」
 その目の前に、重たい物が倒れこんできた。
「え??」
 ミソラの足元にまで転がってきたそれは、男。少女に声をかけてここまで連れ込んできた、あの男だ。額のど真中に孔を空け、口元から血を流し、木材のように地に倒れている。
「な……」
 顔を上げると、桃色の花束を抱えて立つ少女の姿が、少し離れた場所に。花束の中から、白く細い煙がゆらりと立ち昇っていた。甘い香りにかき消されがちだが、それは紛れも無く火薬の匂い。煙の正体は、硝煙。恐らく銃声は、タンクの音と、サイレンサーにより消されていたのだろう。
 少女の無垢な瞳がミソラを向いた。
「あ……」
 まるで無心な獣の瞳。意を呑まれて金縛りのように体が動かなくなる。少女は未だ硝煙あがる花束をミソラに向けた。
―殺される
 そう思う間もなく背後に気配を感じ、振り向くと庁舎職員の制服姿の女がいた。
「どうしました?」
 園内で花壇の管理をしていた職員だ。
「職員さん、あ、あの子、人を…」
 焦燥したミソラの訴えを受けて、職員は「あらあら」と間延びした言葉を呟きながら、懐から小さなスプレーボトルを取り出す。
「あの」
 とミソラが言いかけたところで顔面に液体を噴射された。
「!!」
 甘く香ばしい匂い。ミソラは両手で顔を覆って体を翻す。逃げようと数歩駆け出しかけたが、膝から力が抜け落ちて前のめりに倒れこんだ。
(この匂い……そうだ…)
 徐々に意識が遠ざかる中で、ミソラの脳裏ではグレリオセントラルの植物園の光景が浮かび上がっていた。園の片隅に、二十四時間、井戸から汲み上げた清水を循環させている温室があった。細心な栽培が必要な植物が厳重に管理されており、立ち入りが禁止されている。硝子ドアで区切られた一画には、取締り対象の非合法な薬草がサンプルとして保管、栽培されていた。興味本位で忍び込んだ際にミソラが嗅いだものと同じ、香ばしい匂いが、今ミソラの意識を混濁させていく。
(麻薬の原料に…なる……薬草……の…)
 そして、完全に世界が暗転した。
「まったく……ぬかったわね」
 足元に倒れて動かなくなったミソラを見下ろして、女職員は深く溜息を放った。そして花束を持つ少女を睨目した。初めて感情らしい感情の微粒子を面持ちに表した少女は、小さな肩を震わせながら竦めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「まあ、いいとしましょう。よくやったわ。場合によってはこの娘、使えるかもしれない」
 女に誉められて、少女は安堵の微笑を口元に浮かべた。女も、少し首を傾げて微笑み返す。両者は、死体となって転がっている男の存在などすっかり眼中に無いようだ。
「さてと」と徐に、女はミソラの傍らに座り込む。
「どこの誰なのかしら、この娘」
 ミソラのコートのポケットを探る。硬い手ごたえを引き抜いてみると、そこにあったのはホテルのルームキー。ホテル名の入った大きいキーホルダーに鍵がぶら下がっている。
「旅行者かしら。都合がいいわね」
 ホルダーに彫られたホテル名を呟き、それが駅から程近い中堅ホテルだと思い出す。学生が一人旅で使うには、些か値段が張る。
「連れがいるか、または良い所のお嬢様か。それならば尚更付き人がいるはずね」
 いずれにしろ都合が良い。女はほくそ笑んでルームキーを自分の上着のポケットに突っ込んだ。そして少女にミソラを見張るよう言いつけて、自分は電話を探しにその場を後にした。



「私と倅の話はともかくとして」と前置きを述べながら、老将はテーブル上に出されたティーカップに手を伸ばした。
「用件は何だね。こうして私と茶を飲んで雑談する為に来たわけではなかろう?」
 ミソラが最悪の状況に陥っている事を知る由も無い二人。その内の一人は、元上官のそんな言葉に「人聞きの悪い」と控えめな苦笑を向けた。
「お言葉の通り、ご機嫌を御伺いしに来ました」
 グレンの言葉と同時に、老将の背後からノックの音が響いてきた。返事と同時に執事が入室する。手に、黒いボトルを携えていた。
「こちら、お客様からでございます」
 恭しい一礼と共に執事はボトルを主人に見せ、そして背後の戸棚へ向かうとグラスの用意を始める。ラベルを一瞥した主人レイブリックは、低く短く笑った。アリタス随一を誇る最高級葡萄酒、しかも五十年以上寝かせたいわゆるビンテージというやつだ。
(いつの間に用意したんだ)
 イルトには酒の価値を知る由もないが、手際の良さに感心して小さく溜息を吐く。同時に目上の人間に頼みごとをする際の社交術というものを、一つ学んだ。
「相変わらず、小癪というか、抜け目が無いというか…」
 酒に目が無い主人は不敵に笑いつつも、悪い気はしていないようだ。もとより土産など無くとも、電報が届いた時から彼は、グレンの話を聞くつもりでいた。
「良いだろう。聞こうではないか」
 くれるというなら、快く貰っておこう。レイブリックは椅子に背中を預けて足を組んだ。彼の背後では執事の男がボトルの栓を抜いている。グレンはその様子を一瞥してから、徐にレイブリックに向き合った。
「教官は確か、退官後に一等軍事顧問となられたと記憶しておりますが」
「ああ、確かに」
 任期を満了し退役した軍人の中には、「顧問」としてその後も軍務に関わり続ける者も少なくない。そうした「顧問」は分野や階級ごとに分けられ、中でも「一等軍事顧問」は将官にまで登りつめた退役軍人に付けられる名誉ある肩書きの一つだ。
「それからご長男が確か、情報局に所属されていましたね」
「よく知っているな。グスタフからの情報か」
 レイブリックの口から親友の名が出るが、グレンはそこに触れずに、
「この三年間における、私の捜索任務の進捗を知りたいのです」
 本題を口にした。
「グスタフからは聞けないのかね」
「……」
 グレンは首を横に振る。
「ここで水面を不必要に泡立てたくありません」
 この三年間で軍の親友に対する懐疑は大分薄れているはず。その状況を利用しない手はない。事情を悟っているようでレイブリックは「そうだろうな」と独語を洩らした。
「知って、どうするのだ。引き続き軍を避け続ける為にか?それとも―」
「復職するつもりでいます」
 あっさりと答えを出したグレンに向けて、イルトが軽い驚きを載せた双眸を一瞥させたのをレイブリックは見た。
「ならばそんな事をせずとも、軍に電話一本でも入れればシールズあたりが飛んでくるのではないのかね」
 低く笑うレイブリックに、グレンも笑みを合わせた。
「私から折れるのは嫌なんです」
 笑みを維持したまま、グレンは言葉を続けた。
「『誰か』が仰っていましたね。「希望を通したい時はそれと反対の態度を示しておけ。ここは天邪鬼が多いからな」と」
 耳に覚えのあるフレーズだったようで、老将はまた豪快に笑う。
(その『誰か』って誰なんだ……?)
 この場所に訪問した時、最初に聞いた迷言も、どうやらその「誰か」と同一人物によるものであろう事は、流れる空気でイルトにも理解できた。
「その後、こうも言ったな」とレイブリックが続く。「「ただし相手が女の場合はその限りではない。気をつけろ」と」
「言われていましたね…」
 添えた手で口元から漏れた苦笑を隠すグレンは、だが少し楽しそうに見える。懐かしいからだろうか。イルトはじっとその様子を見つめる。戦争を憂いていた時の面持ちとは裏腹に、昔馴染んだ話に及ぶ時のグレンの様子は穏やかだ。
「サイファの倅」
「え、はい」
 唐突にレイブリックに振り向かれた。グレンが腰掛けるソファの傍らに立つイルトは不意を突かれてどもり気味に返事をした。「気を抜くな」と言われていた事を思い出す。
「君は総統閣下にお会いした事があるか」
 あるわけがない。実物を見た事さえないのに。
「…ありません」
 警戒を残しつつ、イルトは短く答える。
「なら今の話を覚えておくといい。いずれお会いする機会があるかもしれないからな」
「は」
「イーザーの側にいるという事は、そういう意味だ。今のうちに自覚しておけ」
 全く現実感の無い話に、イルトはただ空頷きを返すしかなかった。




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