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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師 ACT10-9
09

 隣の棟へと繋がる長い廊下を、前にクラースとエルリオ、その後ろにジャスミンとミリアムが二列に並んで歩いた。「言われてみれば」とエルリオは隣の男を見上げる。
「確かにこれまで国の外の事なんて考えた事がなかったって、思った」
 エルリオの言う「これまで」はミリアムに出遭うまでを示していたが、それは口にしなかった。眼鏡の向こうでクラースの瞳が細まる。
「その若さで、自ずとそれに気がつくなんて、凄い事だと思います。私など、今でさえ、国の外を研究対象にしていますが、貴女ぐらいの頃は、そんな事、考えもつきませんでしたから」
「そういうものなのかな」
 急にクラースは饒舌になっている。エルリオは不思議そうに首をかしげながら、人が変わったように揚々としている男の様子を見上げていた。その後ろでは、ジャスミンとミリアムが顔を見合わせて、
「あの二人、実は結構気が合うんじゃないかしら」
「そうですね~、学者さんとお話が合わせられるなんて、エルリオさんすごいです」
 と小声を交わしている。特にミリアムは尊敬の眼差しをエルリオの背中に送っていた。
 クラースの変わり様もそうだが、ジャスミンの目にはエルリオの変化も鮮明に見て取れていた。初めてエルリオを目にした時から感じられた、大人全般に対しての敵愾心が、薄くなっているように思う。常に全身から針を出して、身を縮めて威嚇するハリネズミのような様子が、今は消えていた。それは、ヴィルに対しても同じだった。
「今も、昔も、私の研究内容は学界から見向きもされないもの、であったのですがそれでも、俄かに、一部で外に視を向ける動きが二十年前ほどからあったんです」
 背後を歩く二人の思いを他所に、クラースは弁を続ける。
「二十年前?」
「帝国との、大規模な戦が勃発する、か否か、が実しやかに囁かれ出した頃でした」
「でも、外の国と戦争するなんて事になったら普通、敵の国について知りたくなるんじゃないの?」
「もちろん、軍事的戦略レベルではそうなりました。お陰で、と言っては語弊がありますが、軍が私の研究に興味を向けてくれて、私は食いっぱぐれを免れたのですから」
 ある意味でこれも「軍需」なのだろうかと、エルリオはぼんやりと考えながら次を尋ねた。
「おじさんの研究って、具体的に何なの?」
「言語学からの歴史推察です」
「言語学?」
 聞きなれない単語にエルリオはクラースの言葉を鸚鵡返しにした。エルリオだけではない。ミリアムも形の良い眉を下げて首を傾げている。
「つまり、言葉、です。こうして私達が会話をしている時の、言葉、つまり言語です」
「国語のこと?それとは違うの?」
「理解しづらいのは無理もないです。我々はみな共通の言語を使っています。敵国ライザも我々と共通する言語を使っているのですから」
 話を聞き進めるうちに、エルリオの眉が徐々に顰められる。「うーん…??」と小さく唸りながら首を何度か傾げた。
「よく分からない。「言葉」は「言葉」であって、この世に一つしか無いものじゃないの?だって、例えば」
 言いながらエルリオは手にしていた地図を少し上に掲げた。
「これは「地図」という物で、それ以外に無いでしょ?違うの?」
 少女の問いに手ごたえを感じてか、クラースは表情を曇らせる事なく、応える。むしろ楽しそうだ。
「ええと、では「言葉遣い」や「方言」を例にとります。貴女ぐらいの若い世代と、私では、内容は同じ事を意味していても、言葉遣いが違いますね。それは、考え方や環境が違うから、貴女と私が違う人間だからです」
「うん……でも、通じるよ?」
「そうですね。でも、不思議だと思いませんか。ライザは、アリタスと気候、地形、髪の色、建造物の様式、食習慣、嗜好、何を是とし、非とするかの基準など、多くが、異なるというのに、統一の言葉を使い、会話を成立させる事ができます。これだけ環境が異なるのに、なぜ、アリタスの人間も、ライザの人間も、これを「ちず」という音で読み「地図」という文字で表すのか」
 クラースの長い台詞にエルリオは、随所で「うーん」と唸りながらかみ締めていた。
「……何となく…分かるような、分からないような」
 地図を手にしたまま両腕を組み、エルリオは視線を足下に落とした。自分の小さな足が踏み進める廊下の白い床を見ているうち、脳裏に白く巨大な紙が広がる映像が浮かんだ。
「でもそれは、同じ大陸だからじゃないの?神話では、もともと大陸には国境なんてなくて、一枚の面だったってあるし」
 エルリオの茶色の瞳が、再びクラースを見上げる。眼鏡の奥で、クラースはしっかりとその視線を受け止めていた。初めて出会った時には、目を合わせるどころか迂闊に近寄る事さえ避けようとしていた男とは別人のようだ。
「その通りです。統一された、言語が用いられている事から、もともと、この大陸は、一つの国であったのではないかと、私は思うのです。いえ、「国」という概念、自体が、そもそも、なかったのかもしれません」
「そうだよね…でも、じゃあ今は何故こんなたくさんの国に分かれて、戦争までしてるの?同じ言葉を使っているのに、何で考え方が違って、反発しあうようになったの?」
 少女の疑問は、最も素朴な基点に戻る。
(………)
 後ろを歩いていたミリアムが、じっとエルリオの背中を見つめている。ジャスミンは少し高い位置から、神妙な面持ちの美しい少女の横顔を眺めていた。
 それは単純な、だが最も大切な事。エルリオがたどり着いたその答えに、クラースは満足そうに頷いた。
「そうした歴史を紐解くのが、私の研究です」
 自信がそうさせているのだろう、クラースの声と言葉には、一点の曇りも淀みもなく、自然だった。
「………凄い、大きくて難しい研究テーマだね」
 大きいのは研究内容だけではない。「はい」と答えるクラースの存在そのものも、大きくなっていくように感じられる。
「しかし私は、ここではすっかり日陰者、なのですが」
 自信たっぷりの肯定の後、照れが混在した苦笑と共に眼鏡の研究者は首の後ろを手持ち無沙汰に掻いている。
「でも、軍が認めてくれたのですよね」
 背後から、初めてジャスミンが言葉を挟む。クラースとエルリオが同時に振り返った。少女二人と接する時と違う、落ち着いた色を目許に宿したジャスミンが、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。
「素晴らしい研究だと思います。ですが正直言いますと、実学とは遠い貴方の研究を、実学を好む軍がよく認めたな…というのが私の印象です」
 ジャスミンは彼の研究内容を否定しているつもりはなく、単に己の経験値から事実を口にしただけである。クラースもそれをよく分かっているようで、否定はしなかった。「軍が認めた、というのは、ちょっと、大げさでして」と前置きする。
「私の研究内容に、興味を持ってくれた方が、一人、軍にいらっしゃったのです。仰るとおり、実学的ではない、私の研究は本来、軍部内でだって到底理解して、もらえるものではなかったと思い、ます」
 それ以前に、目に留められさえもしなかっただろう。
「ですが、その方は偶然、史学に精通しておられ、軍部内で影響力のある地位にいらした。私は、運が、良かっただけ、です」
 現存する有史説において、すでにジスノラン大陸は列強数カ国及び、多数の中小国に分かれていた。国が一つであったと唱えると、根拠は「世界は一枚の紙だった」と語る神話にまで飛躍してしまう。到底、学説とするには裏づけに弱すぎた。そんな話を受け入れる頭を持つ軍人がいる事に、ジャスミンのみならずエルリオも不可思議に感じる。
「へえ…軍人にもそういうのがいるんだ……」
 感想が思わず言葉になって漏れていた。
「では、士官学校の有期講師も、その方のご紹介で?」
 そう尋ねたのはジャスミン。クラースは頷いた。ちなみに士官学校有期講師とは、外部から期間限定で講師を招聘し、士官候補生らの視野を広める目的で設けられたカリキュラムだ。招聘には、国軍上層部の推薦か承認が必要となる。
「ちなみに、誰が推薦してくれたの?聞いても多分わからないけど」
 と問うエルリオの言葉は、裏切られる事になる。
「恐らく、皆さんご存知ですよ」
 誇らしげに、クラースは頷いた。
「イーザー将軍です」
「え」
 ハート・オブ・アリタスに佇む像が、エルリオの脳裏に甦る。何故だか最近、よく耳にする機会に恵まれる名だ。一方で実感が伴わなず無感慨な面持ちのミリアムの隣で、
「……零将軍、ですか?」
 ジャスミンがエルリオとは異なる驚きを目の色に表している。口許に手を当てて、零れ落ちそうな独語を飲み込んでいた。
「はい。対帝国大戦の英雄です、ね」
 と、クラースが補足する。言葉に宿る誇らしさとは裏腹に、瞳には影が落ちている。
(………?)
 その微弱な変化は、エルリオにも読み取れた。
「帝国」の単語に反応を示したのはミリアムも同様だが、エルリオは振り向かない。僅かに聞こえた、息を呑む音でそれが感じられたから。
「銅像になるような人が認めてくれたんでしょう?それって凄いんじゃないの?嬉しくないの?」
 訝しがるエルリオの視線が、クラースを覗き込む。
「そん、な、とんでも、ない!光栄な事、ですよ、もちろん」
 慌てたクラースの声が引っ繰り返る。また句読点の位置と回数が異常になっていた。動揺があまりに分かりやすく露見していて、精神と口が直結してしまっているようだ。
「ただ、その…」
 言いよどむクラースの指先は、ざんばらに切られている色素の薄い前髪を弄っている。
「この、私の、髪なのですが…」
「髪が?」
 改めて三人の視線がクラースの頭髪に向く。翳んだ稲穂色の髪の毛は、光の具合により金髪にも見える。金髪はアリタス国内で珍しい色でもない。だがクラースの場合、金色とは呼べない鈍色にくすんおり、僅かに混在している暖色が抜けたら、そのまま灰色へと変わってしまいそうな色だ。
「私には、ほんの僅かなのですが、ライザ民の血が、混ざっているのです。ですから、それと同程度、ほんの僅かですが、複雑な気持ちを拭いきれない、ただそれだけです」
 色素の薄い髪を絡めて抓んでいたクラース指先が、するりと抜けた。




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10

 髪の毛を抓むクラースの指先は、所々に黒インクの汚れが目立った。
「…ふうん」
 エルリオの口から出た言葉は、素っ気無いとも言える力の抜けたものだった。何故だかこんな時に、クラースの指先から視線と意識が吸着したまま離れないのだ。
「驚かないのですか?」
 むしろクラースの方が眼鏡の奥で瞳を丸くする。外面的に反応の薄い三人の女達だが、内心で各々に一応は驚いていたのだ。ただ、置かれている立場から、どうしてもそれを飲み込まざるを得ないだけで。
「驚いた……よ。なんていうの、驚きすぎて、絶句?実は少し気になってたんだ、その髪の色」
 とエルリオ。クラースの指先が、髪の毛から離れた。
「私自身は、生まれも、育ちも、アリタスです…し、親もそのまた親も、更に遡った先祖も、アリタスの国民です。ですが、何百年か前の先祖が、ライザからアリタスに来た、移民であったようで、稀にですが、何代かに一人、私のように先祖がえりな髪の色が、生まれてしまいます」
 アリタス人の平均的な茶の色素を含んだ、銀色になりきれない頭髪。角度や光の加減によっては、灰色にも見える。エルリオは隣から首を何度も傾げて角度を変えて、色を確認した。
「幼い頃は、何も気に留めていなかったのですが、やはり大戦直前頃から、風当たりが強くなりまして」
 エルリオの視線を、クラースは少しこそばゆそうに受け止めている。
「それでさっきの人の態度も悪いの?」
「仕方の、無い事です」
 あくまでも彼は同僚達を庇う。
「それが国民の平均的な感覚なのでしょうね」
 呼応したのは、ジャスミンの声。同僚を庇う事で彼はアリタス国民を擁護しているのだ。
「しかし、私のように、職と居場所を確保し続けられたのは幸運な方です。少なからずこの国に存在する、混血者の中にはもっと大変な思いをされた人もいると思います」
「そう、なんだ…。じゃあおじさんが今の研究を始めたのは、その、自分の血や髪がきっかけなの?ご先祖に興味をもったから?」
「はい。理由の一つではあります」
 他に存在する「理由」を問いだしてみたかったが、触れにくい過去に踏み込んでしまう事を恐れてエルリオは口を噤む。
(混血かあ……)
 代わりに思うのは、過去の自分の記憶。
(私の周りには、いたかな…?そういう人)
 短かった学校生活の記憶を思い浮かべ、数年ぶりに級友達の面影を一人一人思いだしてみる。学校特有の、いじめたり、いじめられたりの応酬は日常的に行われるものだが、それらは児戯を越えるものでもなく、深刻なものではなかったと記憶している。
(……学校……)
「ここです」
 靄に包まれたような、定かでない記憶を掻き分けていたエルリオの意識を、クラースの声が引き揚げた。木製の観音開きの扉が、一向を出迎える。金属の案内プレートには「史料館」と彫られている。
「一般の方も利用可となっていますので、かなり広いのです」
 と説明するクラースの言葉通り、開かれた扉の向こうに広がる光景は、まさに「本の世界」と表現しても良い。レクティカ中央駅の構内のように高い天井は開閉式サンルーフが取り付けられており、柔らかい陽光を広い室内に落としている。光に目が慣れてくるとまず、本の多さに圧倒される。壁一面が巨大な本棚で埋め尽くされている他、並べられたドミノのように講堂並みに広い室内の反面に、レール付きの可動本棚が並べられている。残りの半分は、閲覧用のテーブルと椅子が整然と並べられ、大学校の研究者のほか熱心な勉強好きの市民の姿も混じって本を読んでいる姿が見られる。
「うわ~…」
 エルリオの口から、感嘆が漏れた。
「本って、狭くて散らかった部屋に散乱するモノって印象しかなかったけど、こう整理されていると、むしろ綺麗なんだね」
 色とりどりの背表紙が、タイルアートみたいだ。
「アパートのお部屋、凄惨な状態でしたよね~…」
 背後でミリアムがぽつりと呟く。JN通りのアパートにあった、エルリオの部屋の事だ。生活感が全くないリビングと玄関に比べ、エルリオの私室は足の踏み場も無いほどに、本やその他紙類が散乱していた。片付けようとしたミリアムを、「どこに何があるか分からなくなるから!」と必死で止めた過日が思い出される。
「あ…あれはあれで、機能的なのっ」
 肩を落としてエルリオは、照れ笑いと共にミリアムから視線を反らした。二人の様子に小さく微笑みながら、クラースがミリアムに尋ねる。
「どういった本をお探しですか?」
「ええと」
 返答に迷うミリアムの語尾に重なり、けたたましい音が高い天井に響き渡った。
 張り詰めた糸の様な静寂が引きちぎられ、室内にいた面々がほぼ同時に書物から顔を上げた。
「?」
 音のした方を見ると、クラースと色違いの制服を着た青年がそこにいた。テーブルに両手をついて立ち上がったまま動きを止めている。見開いた両視は、テーブル上に広げられた本の紙面に縫いとめられていた。急に立ち上がったために椅子が倒れたのだろう。
「どうしたのかな。あの制服も学者さん?」
「大学校の学生ですね」
 エルリオの問いに答えてからクラースは学生の元に歩み寄った。
「どうしたのですか?」
 そう静かに声をかけたが、反応がない。学生はテーブルについた両腕を震わせている。顔色が悪く、室内の気温に不似合いな大量の汗をかいていた。
「……この本がどうか?」
 学生の胸元に付けられている身分証には「理学科二期生ライフェル・ルスト」と記されている。クラースが、彼の凝視し続ける本を覗き込もうとすると、
「な、何でも……」
 とようやく反応が戻って来た。学生ライフェル・ルストが顔を上げると同時に、弾みで本が足下に落下する。声をかけてきたのがクラースと知り、「ベル…トラ……」と口走りながら一歩、二歩と下がった。踵に、倒れた椅子がぶつかり、また音をたてる。クラースは学生に見覚えが無かったが、不の意味で大学校内にて名の知れていたクラースを、学生の方は認知していた。
「ライフェル?」
 近くの出入り口から、別の学生が姿を現す。震える学生の姿を見とめて、小走りに近づいてきた。ライフェルと呼ばれた学生は「ローランド」と友人の名を零し、振り向く。
「どうしたんだ」
 同じ「理学科二期生」の身分証をつけているローランドと呼ばれた学生は、ライフェルの側に立つクラースの姿に気がつくと、僅かに目を細めた。友人に事情を尋ねながら、彼がクラースに疑いをかけているのは傍からも分かる。無性にそれが腹立たしくなり、エルリオは二人の学生の元に大股で歩み寄った。
「この人が突然、立ち上がったから椅子が倒れただけです」
 多少の憤慨を声に表してエルリオは「この人」とライフェルを指し示す。
「驚かせてごめんなさい。そこの学生さんの気分が悪そうだったから、彼が声をかけたの。それだけですよ」
 視線で確認してくるローランドに、顔色を青くしているライフェルは二度頷く事で彼を宥めた。己の早合点に気がついたローランドは素直に謝罪を口にすると、顔色の悪い友人の面持ちを覗き込む。
「本が…」
 床の上、開いた紙面を下にして落ちたままの本が気の毒だ。ミリアムは背を屈めてテーブルの影に潜り込んだ。
 ヴェロニカ民。
「!」
 本を引っくり返したと同時に、その単語が目に飛び込んだ。ハードカバーの表紙を見返すと、タイトルは「アリタス民族史概論」。アリタス有史上に存在した民族系統について、仮説・真説を含んだ学説全般を解説している。ライフェルが読んでいたと思われる、開き癖がついたページは、かつてアリタスに存在したとされている今は亡き民族を取り上げた項目だった。その中に、ヴェロニカの名もある。
(この方は…何を見ていたのでしょうか……)
 見上げると、ライフェルと視線がかち合った。こちらが幼い少女だからと安心しているのか、落ちた本を眺めるミリアムの姿を見ても焦る反応を示さなかった。
『迂闊に人の心を読んでは駄目』
 頭の中にリューシェの声が響く。思っていた事を全て先読みされていた。
『奥深くに入りすぎると、あなたの事も読み取られる』
 能力は増幅しているようだが、制御力が伴っていない事をミリアムも自覚していた。ジャスミンの心の深層から浮上し得たのは、リューシェの力に拠るところが大きかった事も。
「なになに?」
 隣に、エルリオも膝をついて本を覗き込んできた。
「民族史概論……?」
 表紙を確認し、これがどうかしたのだろうか、と言いたげにエルリオは首を横に傾げる。だが、
「あれえ……」
 広げた紙面に目をやったエルリオは、そこで動きと視線を止めた。独り言を呟き、眉を顰める。
「どうしたのですか?」
 ミリアムが小声で問いかける。「これさあ」と言いながらエルリオの指先が示したのは、ヴェロニカの項目に挿絵として印刷されている、太陽の印。キャプションには「ヴェロニカの民章」とあった。
「どっかで見たことが……」
「どれ?」
 ジャスミンの細長い手が伸びてきて、本を拾い上げた。紙面に目をやった瞬間、黒曜石の瞳が揺れ動いたのを、テーブルの下からミリアムは見ていた。ジャスミンの異変にエルリオも気が付き、だが理由が分からず丸い瞳を僅かに細めるに留めた。
「民族史概論、ですか」
 テーブルに置かれた本へクラースも目をやる。既読であったようで、一瞥しただけでタイトルを当てた。
「あの…すみません、体調を崩していて眩暈がしただけなんです」
 とライフェルは乱暴に本を閉じる。半ばひったくるように本を手元に引き寄せて、その場から離れようとクラースら一行に背を向けた。友人の行動にローランドは訝しげな色を浮かべるが、本当に顔色を青くしているライフェルの様子に「大丈夫なのか」と手を伸ばしかける。
「その本、戻すなら貸してください」
 立ち去ろうとするライフェルを呼び止めたのは、エルリオの声だった。肩越しにぎこちなく振り向くライフェルは、幽霊にでも出遭ったような脅えを瞳に乗せている。エルリオは彼の手に抱えられているハードカバーの本を指差した。
「……何故」
「え?別に。読みたいから」
 至極単純な答えを出すエルリオの瞳は、何故そんな質問を?と問いかけるような無垢な色だ。
「何を調べようと思ったの?」
 ジャスミンは何も知らぬ素振りでエルリオに尋ねた。ライフェルという学生にとって、これが意地の悪い扇動だという自覚はあった。本当に何も知らないエルリオは無垢に答える。小さな手先は、ライフェルの手の中にある本を示していた。
「そこに太陽みたいな絵が描いてあったでしょ?それが気になって」
「太陽……?」
 隣でミリアムも、大きくなりつつある鼓動を隠した素振りで、首を傾げた。目端に、動揺を隠し切れずにいるライフェルの様子をとらえながら。
「おい、一体なんの話なんだ?」
 会話の流れを全く読み取れないローランドは、軽い苛立ちを眉目に載せてライフェルに問いかけた。
「この本がなんだって?」
 その手から本を取り上げると、無造作にページを高速で捲る。内容にさほど興味が無いようで、一気に巻末までたどり着くと本を閉じた。無造作に再びライフェルに手渡す。
「君…は」
 本を受け取りながらも友人の問いかけには答えず、ライフェルはエルリオに向き直った。
「君、は…宿しているのか、記憶を」
「??」
 質問が含む意図が瞬時に頭に入ってこず、エルリオは思案のために寸時、動きを止めた。それを肯定と捉えたか、躊躇と捉えたか、ライフェルはこちらを探るように目を細めた。
 その一瞬、沈黙が面々の間を通り過ぎる。降りた静寂の幕をおざなりに撥ね退けたのは、「それ『ヴェロニカの記憶』かな」とエルリオのポケットから呟かれた無機質な声だった。
「え?何そ…」
「何それ」とポケットに向ける問いかけを言い終わらぬ内に、エルリオは前髪が風に煽られるのを感じた。目の前に迫る影を動体視力が確認し得る前に、
「やめてっ!」
 真後ろからジャスミンの厳しい声が頭上を通過した。同時に、彼女の細い指先がエルリオの目の前に迫った硬い物質を掴んで、塞き止めた。それは、ライフェルの手に握られていた硬いハードカバーの本。
「……ええっと……?」
 エルリオは呆然と、目の前の光景を眺めた。危うく本で顔面を強打される寸前だったと気が付く。戸惑いに塗られていたライフェルの表情が、白磁器のように硬く冷たいものに変わっていた。
「おい……ライフェル!」
 隣で友人が驚愕を声にする。
「――っ…」
 友人ローランドの叱責にたたき起こされたように、ライフェルの面持ちは再び、喉を引きつらせて息を呑む声とともに、青い戸惑いと恐怖に戻る。
「俺……」
 ジャスミンが手を離すと、ライフェルの手から本が落ちた。床に角が当たり不自然な角度でバウンドする。本の行方を見守らないまま、ライフェルはその場から踵を返すと最も近いドアから外へと駆け出した。「おい!」と訳が分からないままローランドも後を追う。
「何?いったい」
「さあ…」
 更に訳が分からないエルリオと、そして同じくクラースは、頭上に多くのクエスチョンマークを浮かばせつつ、学生二人が飛び出していった扉を見つめていた。
「この本、借りられます?」
 隣のテーブルにまで転がった本を拾ったのは、ジャスミンだった。少し歪んでしまった背表紙の本を、クラースに差し出す。勢いのままそれを受け取ったクラースは背表紙を捲って中を確認した。貸し出し管理カードが貼り付けられている。
「ええ、私の名前で借りる事ができますけれど」
「すみません、それ、借りてきてください」
 間髪いれずにジャスミンが言う。ほぼ、命令に近い声調を帯びていた。
「は、はあ…」
 断る理由もなく、クラースは弱々しく頷いた。
 図書室内からざわめきが完全に消え去るまで、それから数分の時間を要した。





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ACT11:廻る逢瀬II

01

 その光景と状況が、「今」起きている事ではないというのはすぐに分かった。
 だが不思議とそれが「夢」なのだという事には、目が覚める瞬間まで気がつかないものだ。
「貴様!」
 鋭い一喝と共に、己の顔面に向けられていた銃口が火を吹く。その瞬間、肩に鋭く熱い痛みが走った。これは過去に受けた痛みであって、今感じている痛みではないはず。だが必要以上に鮮明で、忌々しいほどの苦痛が体中を駆け巡った。
「―っく…」
 至近距離から撃たれ、衝撃の強さに体が後ろに傾ぐ。銃という物は、至近距離から発砲したからといって狙った的を打ち抜く事ができるとは限らない。使い手の腕が悪いと、発砲の衝撃で大きな手ブレを起こすのが常だ。
 もっとも、その時の自分はそれが幸いして命を取り留めたのだが。
 倒れながら、頭の隅でどこか冷静な自分がそんな事を考えていると、
「グレン!」
 と叫び背中を抱きとめる誰かがいた。
「うわっ」
 そのまま二人で尻餅をつくように床に落ちる。視線を肩越しに背後へやると、懐かしい顔が至近距離にあった。緑地の軍服を身に纏った、かつての親友だった。
「ロス………ぃっ…て…」
 思わず名を呟くと、己の呼吸と共に脈打つ傷が酷く痛んだ。焦点が定まらない様子の自分に慌てた親友は、後ろから羽交い絞めにするように背中を支えたまま焦った声を上げる。
「おい、生きてるか!致命傷じゃないよな!?」
「縁起でもないこと言うな…」
 耳元で大きな声を出されて、鼓膜まで痛むところが現実的過ぎる。これはもう何百年と前に起きたはずの出来事、記憶でしかないこの状況の、あまりの現実感に、グレンは僅かずつ己が動揺していることに気が付いた。
「中佐!」
 少し離れた後方から、懐かしい声が複数飛んできた。グレン直下の部下たちだ。
「ち…外したか」
 と前から聞こえるのは、憎憎しげに正面から吐き出される声。
(………この人は…)
 それはかつての上官だった。名はシェイン・ユーランド。位は大佐。五十を少し過ぎた、年相応の小太りした体型だが、頭部は白髪の少ないこげ茶色を保っていた。太い眉の下に並ぶ厚ぼったい両眼は、常に眠たそうな印象を与える人物だった。
(ああ、そうだ、この光景は…)
 徐々にグレンの目に、周囲の光景が明瞭となる。座り込んでいる床は硬いタイル張りで、壁はむき出しのコンクリート。これは辺境戦線付近に設営された指令部の、簡易建造物の一室だ。そして自分は中佐の肩章を身につけ、当時少佐であった親友ロス・グレリオ・サイファと同じ仕様の軍服を着用していた。
「大佐…どうか、お気をお鎮め下さい!」
 また、部下の声。間髪おかずに「黙れ!」とユーランドの一喝が空気をつんざき、再び銃口がグレンに向けられた。
 数歩はなれた場所にいる数人の部下達から、息を呑む声が聞こえる。
「トラキスの時といい…何故貴様はこうも私に恥をかかせる!」
 唾を飛ばす勢いで、ユーランドは怒気を含んだ言葉を捲くし立てる。銃を持つ手が震えているのは、収まりきらない彼の怒りを表していた。これまで幾度とこの上官を怒らせてきたグレンは、その度に何かしらの制裁を受けてきたが、この状況はその最たる時で、そして最後の時でもあった。
 この顛末を、グレンは知っている。「何故」と問う大佐に自分がどう答えたかも。そして、部下達がどう動いたかも。
「恥もなにも……」
 呟くように低い声が背中からした。過去の親友、ロスが発したこの言葉も、この後に起こす行動も、グレンは覚えている。
「トラキスの時も、それから今回も、大佐のご命令のままに動いていたら我々の隊は全滅しているところでした!」
 反論しながらロスは、グレンのを支えたまま、体を移動させ、自らが壁となる形で銃口に背を向けた。再び「黙れ!」という声が響く。
「ロス、いいんだ、どいてくれ」
 グレンはロスの体を押し返す。これもかつて発した台詞と同じだ。だが痛みのために力が入らず、逆に丸め込まれるように動きを封じられてしまった。
「ロス、本当にいいから…どいてくれ」
「いいわけないだろ」
 繰り返した言葉を、ロスは跳ね除けた。
「お前が死んだらどのみち俺達も死ぬんだ。同じ死ぬならこの方がマシだ」
 彼らしい台詞だ。これもはっきりと覚えている。肩の痛みに目を顰めながらも、グレンは思わず口元に苦笑を浮かべた。
「なら、お前を殺してから中佐を撃ち殺すまでだ」
 邂逅を踏みにじるユーランドの声が続く。毛根から血を噴出しかねないほど紅潮しているユーランドは、ロスの物言いに更に挑発されてトリガーに乗せた指に力を込め始める。これは本気だと、グレンは感じた。
「離せロス!」
 かつての自分も叫んだのと同じ台詞を、再び叫ぶ。無事だった右手で、懸命にロスの大柄な体躯を押し戻そうと試みた。だが彼はグレンを支える腕に力を込めることで頑なにそれを拒んだ。
「そうはさせません」
 新たな声が、別の方向からユーランドに向けられた。声だけではない。
「貴様……」
 銃をロスに向けたままユーランドが声の方に視をやると、銃を手にした若い上背のある男の姿があった。銃口は、真っ直ぐにユーランドの顔面に突きつけられている。
「レイブリック!」
 その人影の名を、ロスが呼ぶ。金に近い明るい茶色の頭髪を持つ男だ。狼のように鋭い眼光を持ち、仲間内では「狼傭兵」だの「斥候のレイブリック」だのとあだ名を付けられていた。フルネームはジェイス・レイブリック。位は大尉。グレンがノースクリフ姓だった時の、部下の一人だ。
「やめろ、銃を降ろすんだレイブリック!」
 グレンは声を荒げた。軍規上、上官に逆らうどころか武器を向けたとあれば、ただでは済まない事態となる。
「レイブリック!」
 銃を降ろそうとしない部下に、グレンは再び声をあげる。だが尚も、レイブリックはユーランドに向ける銃口を微動だにさせなかった。
「利口な不服従って言葉……ご存知ですか、中佐」
 代わりに出てきたのは、そんな言葉だった。
「…は?」
 グレンの口から思わず空気が抜けたような声が漏れる。それは軍用犬や盲導犬など、特殊訓練犬の指導マニュアルで使われている言葉だからだ。「野良犬め」とそれに応えたのは、グレンではなくユーランド。
「その後それをどうするつもりなんだ?貴様は」
 権力の笠の着かたをよく心得ていたユーランドは、銃口を向けられながらも余裕がうかがえる冷笑をレイブリックに向けた。それに対し一縷の動揺も見せず、レイブリックは鋭い両眼に、更に強い光を宿して答えた。
「大佐。理由はどうあれ、銃を使う目的は一つしか存在しません」
 言いながら、安全装置を親指でゆっくりと外す。
 管理職として長年、デスク前で踏ん反り返り続けていた身分とはいえ、ユーランドも軍人だ。同じ軍人が放つ独特の「気」を理解していた。「殺気」という名の、気を。
「わ、私を殺してどうなる」
 若い部下が本気と悟ったユーランドは、声を上ずらせた。助けを求めるように周囲を見渡すが、室内にいる下官達の中にユーランドを助勢しようという者はいなかった。一様に瞳に宿している光はむしろ、銃を構えるレイブリックのそれと同じに見える。
「………」
「この時」のグレンは、部下達の様子にただ、ロスに体を支えられた状態のまま、呆然とするしかなかった。対照的に、ユーランドの口数が増える。
「貴様だけじゃない、貴様らの家族や…こいつらも、ただではおかんぞ、銃殺だ、銃殺刑だぞ!」
「こいつらも」のところでユーランドの手は室内にいる別の若い仕官達を示していた。いずれもグレン直下の部下達。レイブリックにとっては同僚。トラキスの防衛戦を生き抜いた仲間達だ。
「………大佐」
 上官の脅しを受けて、レイブリックは鋭い瞳を僅かに伏せた。口元には失笑が浮かんでいる。
「既成事実なんて「俺達」の手でいくらでも作り上げることは可能なんですよ」
 レイブリックの声に、侮蔑を仄めかした色が混在していた。
 それが、アリタス国軍大佐シェイン・ユーランドが最期に耳にした言葉となるのだった。

「レイブリック!」

 自分の叫び声で、グレンは目を覚ました。
「どうしたんだよいったい」
 真上から、幼い顔と共に若い声が降ってきた。かつての親友、ロス・グレリオ・サイファの血を引く十八才の青年が、上からグレンを覗き込んでくる。彼の背後では、窓の外から差す自然光がヴェールとなって、室内へと麗らかに降り注いでいた。
「夢でも見てたのか?そんなとこで寝るからだぞ」
 半ば呆れた顔で青年は離れていく。
「……夢」
 体を起こすと、グレンはようやく自分がソファの上で寝ていた事に気が付く。そしてここがホテルの一室で、そこにいるのはロスの子孫にあたるイルト・グレリオ・サイファであり、今の自分はノースクリフ姓ではなくてイーザー姓である事も、次第に寝ぼけた頭の中で明確になってきた。
 まがう事なき、これが「今」だ。
「……私はどのくらい、寝ていた?」
 額に手をやると、ひどく汗で濡れていた。
「三十分ぐらいかな」
 窓の外の西日を眩しそうに眺めていたイルトが、答える。
「そうか…」
 手の甲で汗を拭いながらグレンは呟く。
「とても懐かしい夢だった」
「楽しい夢じゃなさそうだな」
「まあね」とグレンの苦笑が挟まる。
「なぜあんな事がいまさら夢に出てきたんだろう……」
 サイドテーブルの上では、地図や本が無造作に重ねられている。気を紛らわそうと、グレンはその一つを何の気なしに手にとった。
「レイブリックって、誰?」
 とイルト。
「……昔の部下だ」
 盛大に部下の名前を寝言で叫んだ自覚は、はっきりとある。少しバツが悪い気がして、グレンは口端に苦笑の色を載せていた。
「ロスは?これも部下?」
イルトは質問を続ける。
「もしかして私は他にも何か言っていたのかな…?」
「いや、それだけ」
 振り返るイルトは笑っていた。窓から降り注ぐ陽光を半身に受けて、居心地良さそうな顔をしている。
「ロスは、幼馴染だった。グレリオの初等学校の時から、彼が軍で戦死するまで……ずっと一緒だった…な」
「もしかしてそれって」
 質問に答えたグレンの横顔に、イルトは己の右手の平を向けた。印が刻まれている肌を一瞥して、グレンは頷いた。
「防人が集団組織ではなく、今の形となった、その一人目だ」
「俺のご先祖ってわけか」
 さほど驚いた様子もなく、イルトは淡々とグレンの言葉を反芻している。
「不思議だな……」
 イルトの様子に小さく微笑んで、グレンはソファから立ち上がる。喉の渇きを覚えていたので、サイドテーブル上の水差しを手に取って備品のグラスに注いだ。
「その印を受け継ぐ人々は、みんな似ているんだ」
「え?」
「ソフィアが君を見て、少し驚いた顔をしていたろ?君は父親にそっくりだよ」
「ああ、そういえば…」
 放牧場の中央に佇む小さな家の、女主人がイルトに向けた懐古の眼差しを思い出す。
「一人目の防人であるロスも、君や君の父親と瓜二つだった」
 だからグレリオで初めてイルトを見た時に、宿命というものを感じずにはいられなかった。一目で「この子だ」と思った。
 グレンの言葉を受けて、イルトは両瞳を俯かせた。
「グレンや…ソフィアさんだけじゃないんだ。爺…長や、親戚、村のみんなもそう言う。でも…」
 イルトの周囲の大人たちは、彼を通して「ライズ・グレリオ・サイファ」という名の男を見ていた。邂逅の視に見つめられると、途方もない孤独を憶える。彼らが見ているのは自分ではなく、遠い幻なのだから。
「でも、俺は俺だからな」
 再び前方を見据えると、グレンの視とかち合った。
「ああ」
 悪夢から目覚めた彼の瞳は、「今」をしっかりと映している。
 イルトは安堵した。
「あーのー」
「!」
 西日に暖められた静寂の中、玄関から少女の平たい声が差し込まれた。必要以上に驚いたイルトが勢いよく振り向くと、紙袋を抱えたミソラが半分開いたドアの向こうから「もう入ってもいいですか?」とクールな視線を寄越してくる。
「い、いつから…」
「ついさっきですけど。でもとっても入りにくい雰囲気なので待ってたんです」
「またこのパターンかよ!…普通に入って来りゃいいじゃないか」
 イルトの軽い抗議を受け流しつつ入室してきたミソラは、相変わらず白のシャツに白のパンツを好んで着用し、今日はその上に茶色の薄手のコートを羽織っている。
「おかえり」とグレン。
「悪いね、遣いを頼んでしまって」
 そう微笑むグレンに、「いいえ、ついでですから」とミソラは紙袋から取り出した一枚の紙片を手渡した。それは、電報送信履歴票。渡された紙面にさっと目を通してグレンは満足そうに頷いた。
「あんな夢を見たのも…何かの導きかもしれない」
「え?」
 グレンの独語に、ミソラとイルトは同時に振り返る。
 だがグレンはそれに答えず、ただ僅かに目を細めて微笑むことで応えるだけだった。




ACT11-2⇒
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押印師ACT11-2
02

 ある早朝。朝靄晴れぬうちの、まだ町全体が眠る時間。
 緑街と呼ばれるその町、キルギストックに、アリタス国軍セントラルから派遣された小隊が到着した。隊は十二人編成。とある一つの任務を背負っていた。対外戦争とは無縁の、国内取締りに関連したごく小さな任務だ。
 キルギストックは、ストック地方と呼ばれるアリタス北東部地域の中にある町の一つであり、他に「ストック」の名を持つ町は周辺に三つ存在する。国軍ストック局が敷かれているのは、その中でもっともセントラルに近い位置にあるエリストックの町であり、小隊は一旦このストック局を経由してキルギストックに入った。
「中尉」
 小隊が陣営として用意した廃屋寸前のアパートメント、その非常階段に腰掛けて煙草を吹かす人影に、女性下士官は声をかけた。
「………」
 返事が無い。男は三階から見える町の景色を無表情で眺めている。大柄な体躯の広い背中は部下の声に興味を示す様子が無かった。
「中尉?」
 再び呼ぶ。彼のことだ、必ず気が付いている筈なのである。
「………」
 だが返事が無い。
「中尉!」
 今度は少し強く呼ぶ。
「何だ」
 三回目に呼ばれて、ようやく男は反応を示した。膝上に乗せていた銃が小さな音を立てる。射抜くような鋭い視に振り向かれ、男を呼んだ若い女の下士官は僅かに怯んだ。色素の薄い男の茶髪は軒の狭間から差し込む朝陽を受けて、秋の稲穂のように金色に輝く。それがまるで、荒原に風を受けて佇む獣を彷彿とさせた。
「……あ、あの」
 一瞬見惚れた後、女下士官は上官からの伝言を言葉にした。
「大尉が、打ち合わせを行うので中尉にもご同席をと」
 彼女の言う大尉は今作戦執行部隊の隊長を指している。打ち合わせとは即ち、作戦会議を意味していた。男は再び下士官に背を向けた。
「作戦が決まったら後でまとめて教えてくれ。隊長の話は長くてかなわねぇ」
「で、でも」
 あまりにおざなりな先輩の返答に、なんとか下士官は食い下がる。今作戦の責任者である隊長から、必ず連れてくるようにと言い付かっていた。命令を無視し、独断で単独行動をとりがちなこの一匹狼に鎖をつけておかねばならないのだ。
「こう伝えろ。「作戦が決まったら短くまとめて報告してくれ。それが正しいと思えばその通りに動く」とな」
「でも……」
「俺がそう言っていたと言えばいい」
 これで後輩への咎めは無くなる。男は彼女の立場を十分理解していた。伝言を渋々受けて下士官はその場を立ち去る。
 気苦労の多い下士官の伝言を聞き、横倒しになっているテーブルに腰掛けている隊長は、側近らに苦笑を向ける。
「あの協調性の無さはどうにかならんのか」
 廃アパートの広い一室には、どうやらここが昔はオフィスとして使われていたと思わしき備品が数々転がっている。正方形に敷き詰められていたタイルはあちこちが剥げ、打ち放しコンクリートの壁は所々が虫食いのように崩れかけている。隊長を含む面々は荒んだ室内の様子を気にするでもなく、思い思いに打ち捨てられた備品の上に腰掛けるなどして自分の場所を確保していた。完全武装の出で立ちや床に置かれた武器らが醸し出す物々しさとは逆に、面々はリラックスした様子だ。
「彼は士官学校時代からああでしたから」と答えたのは側近の尉官。肩を竦めると、背負っていた小銃がホルダーと擦れ合い、無機質な音を立てた。男の事に話題が及ぶと、その場に集う隊の面々はいずれも良い反応を示さなかった。
「何故そんな人があの若さで中尉に?」
 苦しい伝言役をさせられた下士官が小さく毒づくが、総員が同意しているようで誰も咎めない。
「お父上が大層な御仁でね。奴は厳粛な軍人一家の跡取り息子だそうだ」
「では七光りって事ですか?」
 と相槌をうつ下士官の言葉に、だが今度は全面的に同意する者は、いなかった。
「それも少しは関係しているかもしれんが…奴は印保持者なんだ」
 部下の疑問に隊長は答える。「印」の言葉に場が俄かにざわめいた。
「悔しいことに、奴の戦闘能力と俊足が使える事は確かだ」
 動かなくなった戦況に突破口を開ける突撃兵。
 奇襲の火蓋を切って落す斥候。
 時に闇に紛れ、時に爆風をものともせずに突進する弾丸。
 士官学校を卒業して数年の若さだが、男に対する一定の評価が既に軍部内で出来上がっていたのである。それが年齢に不相応な中尉という位が示していた。
 ただ、あまりに協調性が無い事から各指揮官が扱いに梃子摺っているのも事実。「狼」とも称される彼の渾名には、その揶揄も含まれている。まず「命令無視」が彼の基本なのだから。
「俺は何度か奴と組んだが、何故だか今回は特に機嫌が悪いんだよなあ」
 一通りの説明を終えたところで、隊長は溜息を挟んだ。「やはりそうですか」と頷く尉官に理由を求めると、
「キルギストックは奴の実家がある町なんだそうですよ」
 と興味深い答えが挙がった。
「父親とは不仲らしくて、もう数年と里帰りどころか連絡もしていないのだとか」
「不本意にも里帰りってわけか」
 書類を捲りながら苦笑する隊長は「ん?」と顔を上げる。
「じゃあこの町はレイブリック一族の本拠地ってわけか」
「そういう事になりますね」
 部下の相槌に隊長は肩を大げさに竦めた。
「参ったな。みっともないマネはできないぞ」
 予測よりも面倒くさそうな事態に、隊長は小さく舌打ちする。
 その頃、協調性が皆無な若い中尉は、未だ非常階段に座り込んで町を眺めていたのである。

 同じ日の午前。
 グレリオセントラルから夜行を挟んで移動を続けたグレン、イルトミソラの三人は、キルギストックの町に降り立っていた。昼前早々には駅前のホテルにチェックインし、所在をなくしているイルトを他所に、グレンは手早くスーツに身をかため始める。
「人に会いに行ってくる」
 慣れた手つきでカフスを填めながらグレンは、どこへ行くのかと問うイルトの質問に答えた。
「誰に?」
「昔の上官の方に」
 だからこの格好だ、とグレンはきっちりと折られたジャケットの襟を指先で抓んで笑った。
「旅支度でスーツ一式買いこんだのはこのためか」
 グレリオ・セントラルで旅支度をした時から、イルトがずっと不思議に思っていた疑問だった。畏まった仕立ての紺と黒のスーツを、堅苦しさを感じさせずに着ている。正装に慣れているのだと、感じられた。
「悪いが…ミソラは待っていてもらえるかな」
 ミソラの姿を探すと、彼女はバスルームから顔を出す。どうやら室内を吟味していたようだ。
「ここで休んでいても、自由に出かけても構わないから」
 グレンの頼みにミソラは「分かりました」と頷き返す。
「大丈夫です、時間はいくらでもつぶせそうですよ」
 彼女がそう言うのには理由がある。ここキルギストックは、緑と花が豊かな植物の街だ。案内地図を見ると、街の東西二箇所に巨大な植物園を有する自然公園が設けられているのが分かった。街の通りを歩いていると、やたらと花屋が軒を連ねているのが目立つのも納得がいく。アリタス全国各地にも植物を出荷しており、栽培を産業化する事で街の経済は潤されていた。
 つまり薬草マニアのミソラには美味しい事この上ない楽園なのだ。
「……俺は?」
 目を輝かせて街の案内地図を見ているミソラを横目に、イルトは恐る恐るグレンに尋ねた。
「私の元上官だという事は、君の父親の元上官だという事でもある……が」
 そこでグレンは言葉を止めて、ネクタイを締めながら視線をイルトに向けた。暗に「来るか?」と問うている。
 まさか、と思いイルトはふと自分の身なりを見直す。汚れてはいないものの、お世辞にも正装から程遠いし、スーツなど用意していない。
「君はその格好でいい。その方がいい」
「え~、そうか?」
 スーツを着たいとは思わないが、グレンの服装との差異に気後れしてしまう。
「君はまだ軍と何も関係の無い人間だから。そう必要以上に軍人相手に畏まる必要はないよ」
 軍人相手の儀礼は士官学校に入ってから学べばいい、とグレンは付け加えて再度イルトの意思を尋ねる。
「―俺も行く」
 答えは自ずと決まっていた。
 イルトの答えに、グレンは満足そうに微笑んだ。
「では、私は早速いって参りますね」
 やれやれ、と軽く溜息をつきつつ、ミソラは二つあるルームキーのうち一つを手に取った。
「あ、ちょっと待ってくれ」
 地図を折りたたみ、コートのポケットに突っ込みながら部屋を後にしようとするミソラの背中を、グレンが呼び止める。
「君の事だからあまり心配はしていないが―」
 と前置きの後、グレンは口元に指の背をあてて次の言葉を考え込む。
「なるべく、遅くならないうちに戻ってきなさい。それと…もし花屋を見て回るなら、煙草や茶葉類を扱っている店には気をつけて」
「え?はい、わかりました」
 意表を突かれた指示に目を丸くするミソラだが、素直に頷く。
「かなり昔の情報だから、今はどうか分からない。けど、この街で一時期、未認可薬草の違法栽培が行われていて問題になった事があったんだ。軍による大規模な摘発が行われて、あまり治安がよくない時期があったから」
「み、未認可薬草の違法栽培…デスカ」
 ミソラはひきつりそうになる口元を辛うじて抑える。心臓が大量の汗をかきそうだ。何を隠そうミソラには、グレリオ・セントラルでの薬草ドロボウに留まらず、父親が開発した未認可薬草を隠れて栽培し続けていた前科がある。
「麻酔の原料になる薬草らしいのだが、分量を誤ると幻覚症状を引き起こす…つまり一種の麻薬だな」
 未認可煙草や麻薬性茶葉のブラックマーケットの取り締まりを続け、現在では軍部の医療機関や研究機関で一定の資格を持った人間でなければ取り扱う事ができなくなっている。
「麻薬……なるほど」
 思わず安堵してミソラはグレンの言葉を反芻した。彼女が扱っていたのはせいぜい傷や滋養強壮に効くハーブの一種でしか過ぎなかったからだ。
「そういえば君の部屋にも薬草が沢山あったね」
 話の締めくくりにグレンが微笑む。他意の無い笑みがミソラには一瞬、悪魔の微笑に見えた。
「い、いくら私でもそんな危ない物にまでは手をだしてませんから!」
 思わずムキに反論してしまう。
「え?」
「ん?」
 男二人の反応に己の完全なる墓穴掘りを悟り、ミソラは適当に言葉を濁して足早に部屋を出て行くのであった。
「あれ絶対、怪しげな未認可の薬草育ててたな」
 とイルト。笑うグレンはそれを否定しなかった。一つ残されたルームキーを手に取り「行こう」とイルトを促す。
「花が多くて綺麗な街だと思ったけど、結構物騒なんだな」
 ホテルのロビーから外に出ると、視界に駅が聳えて見えるロケーションながら、緑と色とりどりの花々が目立った。歩道に沿って断続的に置かれた石のプランターに、秋の花々が花弁を開き始めている。
「今はどうかな。さっきの話は少なくとも二十年以上前の事なんだ」
 前方を歩くスーツ姿の男グレンは、傍らに並ぶ花に視を向けている。向かいの歩道では、庁舎職員のネームプレートをつけた女性が、筆記用具を手に花壇の一つ一つを見て回っている。こうして街が徹底管理をしてこそ保たれている概観なのだ。
「………」
 イルトの目に見えるグレンの横顔は、昇りきらない朝陽の中で木と石造りの街並みを遠くに眺めていた。




ACT11-3⇒
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押印師 ACT11-3
03

「これから会いに行く元上官って…大丈夫なのか?」
「大丈夫って?」
 イルトの質問の意味を、グレンは肩越しに振り向いて尋ねる。
「どれくらいぶりに会うか知らないけどさ。その…外見のこととか」
 表現に迷うイルトと反対に、グレンは「ああ」と笑った後あっさりと「彼は大丈夫」と頷き返す。イルトとしては何がどう大丈夫なのか全く分かりかねるのだが。
「二十数年前、私がグレン・イーザーとして初めて市街戦の指揮を執ったのが、この街で」
 突然、背中を向けたまま歩き続けるグレンの話題が切り替わる。別の景色に気をとられかけていたイルトは大股でグレンの背後に追いついた。
「さっき話した、ブラックマーケットを仕切っていた集団の摘発、それが与えられた任務だった」
「難しそうだなあ」
 グレン本人が「初めて」かどうか別の話だが、表面上、一若年の軍人が初指揮を執る任務内容にしては複雑なように思える。
「私は当時まだ尉官で、この任務に限って、一人の佐官が顧問として充てられる事となった」
 つまり、グレンの直属の上官という事になる。
「それが、レイブリック元准将、当時の大佐。これから会いに行く人物だ」
「あれ、その名前…部下なんじゃ?」
 夢に出たという、過去の部下の名だった筈だと、イルトが指摘する。
「ああ、ごめん。そっちのレイブリックは三百年前の人間だ」
「三……」
 また当たり前のように提示される現実感の無い数字に、軽く呆れながらもイルトはそれが偶然の一致なのか、それとも別の可能性があるのかを尋ねが、
「これからお目にかかる方のレイブリック氏に会えば、分かってくるよ」
 そうもったいぶられたまま歩き続けること数十分、見えてきたのは白く大きな館へと続く門だった。プレートには流れるような古典字体で「レイブリック」と書かれている。建物の概観からだけでも、随分な名家と見受けられた。
 閑静な住宅街の中央に、その館は静かに聳えている。
「すごい家だな…」
 無意識に独語がイルトの口から漏れていた。
 門番の男とグレンが短く言葉を交わした後、正面玄関を避けて中庭へ続く門の方へと通される。それでもイルトが暮らしていたグレリオの館の正面玄関よりも大きかった。整然と手入れされた芝生の上に、背の低い垣が設けられており、花の姿は見られず、庭全体は緑で統一されている。
 中庭が見渡せるパノラマの窓を有した書斎。そこからこの館の現主は、来訪者を窓から見下ろしていた。書斎の中央に置かれたテーブルには、来客を迎えるために家の者に用意させた茶器一式が並べられている。
 主の名はジョルジオ・ジェイス・レイブリック。先年、国軍を退役した。レイブリック家は代々多くの軍人を輩出してきた名家だ。いずれも高い運動能力を持つ戦闘要員タイプが多く、数多くの武勲を立ててきている。現当主ジョルジオも例外ではない。
 中庭の緩やかな丘陵を登ると書斎への入り口がある。ジョルジオが見下ろす窓の向こうで、よく見覚えのある男が、こちらも見覚えのある顔をした青年を伴ってこちらへ歩いてくる。若い青年の方がジョルジオの姿に気がつき、後ろから男の肩をつついてそれを知らせる。
「…………」
 鳶色の瞳がジョルジオを見上げた。来訪の許可を取り付ける電報の送り主、グレン・イーザー。十数年前にジョルジオの部下だった男だ。その頃と全く変わらぬ外貌がそこにあり、こちらに気付いてゆっくりとした会釈を向けてくる。
 ジョルジオは感慨を現わさない面持ちのまま、中庭と書斎を繋ぐ扉を開けた。
「午前中の早い時間に申し訳ございません」
 先に言葉を発したのは、来訪者であるグレンの方だった。挨拶が謝罪であるところがこの男らしいと、ジョルジオは思う。
「悪い癖は十数年前から治っていないようだな」
 挨拶の代わりに不敵に笑い、レイブリック家の主は二人組を出迎える。年を重ねても変わらぬ、油断の無い鋭い瞳。それに似合う、低い声。だが敵愾心や刺々しさは感じられない。
「え?」
「そうやってすぐに謝るところがだ」
 手の動きで入室を促しジョルジオが先に書斎へと入っていく。
「『謝るよりは礼を言え。その方がお互い気まずくない』。誰かがそんな事を言っていただろう」
 ジョルジオ・レイブリックの言葉にグレンは一瞬ぽかんと目を丸くする。イルトの目にはそれが少し幼く映った。何だか珍しいものを見た気分だった。それに、
(普通に流されてるけど……いいのか…?)
 とイルトが戸惑うのは無理もなく、十数年ぶりの再会と自らも言っていたレイブリック家の主は、恐らくその頃と全く風貌が変わっていないであろうグレンについて、何も言及してこない。
「ひとまずは入りたまえ。そこのサイファに似た君も」
「え」
 突然、グレンを室内に誘う館の当主に名字を呼ばれ、イルトは返答に詰まった。唐突なことに儀礼を忘れて立ち尽くす青年を咎める様子もなく、ジョルジオ・レイブリックはさっさと書斎へと入っていった。我に返り、イルトも慌ててグレンに続いて書斎へと足を踏み入れた。
 入室してまず目に付くのが、四方の壁の高い位置に下げられた数々の額縁。いずれも軍の正装をした人々の肖像写真だった。
「………え…?」
 イルトはそれらを見上げたまま、入り口に佇む。
 ジョルジオは若い来客者の様子を一瞥するが、さほど気にする様子もなくグレンにソファへの着席をすすめた。グレンもイルトを呼ばず、ただ一つ頷いて促されるままにソファに腰を下ろした。それを見届けてジョルジオも自分の木椅子に腰掛ける。
「あ……その、これ…」
 椅子が軋む音でイルトが我に返る。だが視線は未だ壁の上に向いたままだった。森に迷った子供のように、首ごと視線が右往左往する。
「これらは代々の当家当主の肖像写真でな」
 声調の変わらないジョルジオの言葉がイルトに向く。
 フレームの下にそれぞれ生没年が掘られている。東側の壁から時計回りに年代順に並んでいた。生没年が被っているものもある。最も古いものは、三百年以上前に遡る。
 いずれその列に写真を飾ることになるのであろう、現レイブリック家当主は、机の上に立てかけられている額縁を指差した。
「あれが、私の写真だ。いずれあそこに並ぶ事になるがね」
 軽い自虐が含まれた冗談を口にしながらも、ジョルジオの面持ちが動くことはない。促されるままにイルトは、ジョルジオが示した机上の額縁を見る。そこには鋭い眼光の若い男が写っていた。ジョルジオが若年の頃に写したものなのだろう。
「後継者はすでにお決まりなのですか?」
 と尋ねるのはグレン。
「末の倅に印が現われてな」
 答えながらジョルジオは席を立った。机の隣に置かれたカップボードの前に歩み寄り、ガラス張りの引き戸を開けた。
「一昨年に士官学校を卒業したばかりのまだ若輩だが…いずれ奴に継がせるつもりでいる」
(印……?)
 その単語にイルトは顔を上げる。これまで長や姉以外に印保持者を見たことが無く、自分や父以外で、血統から血統へと受け継がれる形で印を保持している人間を見るのも、初めてだった。イルトの視界の中でジョルジュは、棚から小さな写真立てを取り出した。それを手に、再び椅子に戻る。
「レイブリック教官のご子息とあれば、さぞやご活躍の事でしょう」
 ジョルジオ・レイブリックの現役時代を知るグレンは、素直な感想を口にした。
「その呼び方はもうよせ。お互いに退役して長い。それに最終的には君の方が出世したのだからな」
 そうは言いながら息子を誉められれば、この老将といえど満更でもなさそうで、彼の口元には僅かに笑みが浮かんでいる。グレンはゆっくりと、息を吐いた。
「ご子息に、ぜひお目に掛かってみたいものです」
「………」
 少し長い沈黙が通り過ぎた。グレンとレイブリックの間に流れる空気に変化が生じたのが、イルトにも感じられる。
「ふっ…」と軽い咳のような低い笑いと共に、ジョルジオは棚から取り出した小さな写真立てを表返しにして、机の上に置いた。己の写真の、隣に。
「これがその倅だ」
 息子だとジョルジオが指差したのは、右の額縁。そして左側に、ジョルジオ本人の若き頃の写真。そこには、服装が異なる同じ顔が二つ、並んでいた。
「………」
 イルトは聞こえない溜息を吐いた。グレンに履歴書の写真を見せられた時の既視感が甦る。
(「大丈夫」って…これの事なのか…)
 まだ入り口で呆然と立ち尽くすイルトは、再び視線を壁に移した。
 部屋の壁を埋める額縁の写真に写る人々はいずれも、机の上に並ぶ二人の親子の写真と、ほぼ寸分違わぬ外貌で写っているのである。血族同士による容貌の類似とは、レベルが違った。この部屋に招き入れられた時、入り口で壁を見上げたままイルトが絶句した理由は、これだった。同一人物の写真が並べられているのかと思った直後、額縁に刻まれた生没年を見て愕然としたのだ。
「そんなに珍しいかね、君」
 老将の低い苦笑がイルトに向く。
「え……」
 それに応えようとイルトが壁に向けていた視線を下げたのと、ジョルジオがアームチェアに預けていた背を離したのは同時の出来事だった。彼の長い手がテーブルの上のシルバーを自然な動きで、だが凄まじい速さで掴み取る。指先で弾き逆手に持たれたシルバーは、最短の動線に乗って標的目がけて突き立てられようとしていた。ジョルジオの正面に座る、グレンの顔面へ。
「なっ…!」
 イルトの声と、木板を強く踏みつける音が室内に響いた。ほぼ同時に、小さな風が空気を薙ぐ。張り詰めた静寂が降りた一瞬後、
「………」
 ジョルジオ・レイブリックが突き出したシルバーは、グレンの顔面前に差し出されたイルトの手の平の直前で、止まった。書斎の入り口からテーブル脇までの距離を、ほぼダイブするかのように駆けたイルトは、右手をグレンの顔前に差し出し、左手でテーブルの角を掴んだ少し苦しい体勢のまま、固まっていた。
「な、な……」
 窒息しそうに大きく息を肩で吐き出しながら、イルトは混乱しそうになる頭でようやく事態を飲み込んだ。
「何…いきなり何すんだ!」
 ようやく発する事の出来た言葉は、儀礼も外聞も無いものだったのは、致し方の無い事だ。
「っははははは」
 イルトの怒声を受け、老将は豪快に笑う。
「ああ、懐かしいな。その生意気な物言い」
 語感に笑いを残しつつ、手にしていたシルバーをテーブルの上に戻した。元上官の突然の行動に微塵の動揺も見せないグレンは、「ありがとう、イルト」と脂汗をかいているイルトに微笑む。寸止めされる事を知っていたかのようだ。
「いや「ありがとう」じゃなくてさ…」
 再びアームチェアに背中を預けて悠に構える老将に、戸惑いつつもイルトは精一杯の警戒を向けた。そんな若者の様子を咎めるでもなくジョルジオは、毛を逆立たせて威嚇する動物のようなイルトの、顔から足元までを軽く一瞥した。
「流石に、サイファに劣らぬ反射神経だ」
 イルトの姓名でもあるサイファ、ここではつまりイルトの父親を示している。
「だが、気を抜いてはいかんぞ。もし私が本気であれば、食器とはいえこのシルバーは君の手の平を刺し貫いていただろう」
 半ば呆然と立ったままのイルトは、突然始まった老将の講義に目を細める。テーブルの上に戻されたシルバーと、印が刻まれている己の手の平を交互に見やった。
「そうなったとしたら、その後はどうなると思う?」
「どうって……」
「貫いた君の手の平ごと、シルバーはイーザーの眉間に一刺し…または痛みの為に君が躊躇した一瞬の隙に、私の空いたもう片方の手が彼を仕留めていた。いずれにしろ、彼は死んでいただろう」
「………」
 ぞっとしない話だ。イルトはあからさまな嫌悪感を面持ちに表して沈黙する。
「こういう時は、手首だ」
 言いながらジョルジオはイルトの方に差し出した己の右手首を、左手で軽く叩く。
「手首を掴んで止める。腕は駄目だ。すり抜けてしまう。手首であれば、左右の骨の出っ張りに指が掛かりやすい。体術の上級者となれば、親指の付け根部分、急所の一つだが、手首を掴んだ際にそこを攻めて相手の動きを止める事ができる」
「急所、こんなところに…?」
 思わずイルトは自分の手首に指をあてて、感触を確かめた。寸時前までの敵愾心は好奇心に覆いかぶさられて消えてしまっている。お人好しとも言える素直な彼の様子を、二人の元軍人は微笑ましく眺めていた。
「君は本当によく似ている。ライズ・グレリオ・サイファに」
「………そりゃ、父子ですから…」
 射抜くような老将の鋭い瞳から、イルトは視線を逃がした。改めて感慨深げに言われると、無性にむず痒さを感じる。ソフィアといい、この元上官といい、グレンと近しい人間はいずれも父親のライズをよく知っている。彼らのイルトを見る瞳には、浅からぬ邂逅が見受けられる。あまり知る事のなかった父親の姿が、第三者を通じて少しずつ浮かび上がってくるようだ。
「教官が仰る「似ている」は、これと同じ事だよ」
 と、グレンは机上の写真立てに視をやって示す。
「姿形だけではなく、性格、体質、嗜好、能力が、印と共に受け継がれているように酷似する」
 グレンの言葉を継いだのはジョルジオ。
「この写真群を眺めていると、こう思うようになってくるのだ。我々は、別々の人間でありながら、実質上、印の力により一人の人間として存続させられているのではないかと、ね」
 実際は生没年が被っているために、正確に「一人の人間」と表現する事はできない。現に同じ印を受け継いだ父と子が同時に現存しているのだから。
「これは不動印保持者にはよくある現象のようだ。そう驚く事ではない。君の「それ」も同様なのだろうから」
 咄嗟にグレンの前に差し出されたイルトの手の平に、人の知己に届かぬ意思により刻まれた印が存在しているのを、ジョルジオは見ていた。それはイルトの父親であり、間接的にジョルジオの部下でもあったライズにも、同じ位置と場所に同じ形で現われていたもの。
「しかしね、二つだけ、この印をもってしても受け継がれないものがある。何だと思うかね」
 老将の問いはイルトに向けられている。答えが思い浮かばず、イルトは首を横に振った。
「それは、記憶と意思だ」
「記憶と意思……」
「それが、我々が別々の人間であるという事の証なのだ」
 イルトはジョルジオの言葉に思わず、視線だけでグレンを振り向いた。
 グレンはどうなのだろう。
 姿形は勿論、記憶も引き継いでいるという事は理屈上、「一人の人間」だと言えよう。世代を重ねて行くのか、一人の人間が転生を繰り返すのかという根本的な違いはあるが、印が一定の人間を媒介して存続するという点において、グレンの持つ印も不動印と位置づけられるのだろうか。
 考えるほど深みにはまって混乱しそうになる。
「だから私は、倅の事は倅に委ねようと思ってな」
 イルトに向いていたジョルジオの視が、そこでグレンに向き直った。
 真っ直ぐに視線を返す事でグレンは元上官の言葉に応えていた。





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押印師ACT11-4
04

 学匠の街の中央公園は、緑の他に白色が目立った。歩道のタイル、ベンチ、テーブル、モニュメントといった、植物以外のあらゆる無機物が全て白色で統一されているからだ。
 公園の一画に、噴水池が見渡せる広場がある。白い丸テーブルとベンチが等間隔を空けて並んでいるそこで、市民は思い思いの時を過ごしている。読書をする学生、編み物をする老女、お茶を楽しむ婦人達など。そんな中、テーブルを囲む少女二人と若い女がいる。
 テーブルの中央、開いたノートの上で白いぬいぐるみがエンピツを持って不規則な動きをしている。それを、三人は外から見えないように取り囲んで完全防壁を築いているのだ。だが明らかに周囲から浮いている。本人達は気がついていないが。
 ノートの紙面に、ぬいぐるみのキューが描き出した模様は、民族史概論に掲載されている太陽の紋章と酷似していた。完全一致でないのは、キューに覚えさせたそれが手書きによるものであったらしく、線に歪みが生じていたからだ。紋章の下に、走り書きの文字で「ヴェロニカの記憶」とある。
「……これだけじゃ何がなんだか」
 父親ワイヴァンの部屋にあった、書籍を始めとする紙という紙全てを覚えさせたので、恐らくこれも父の手による走り書きメモの一つなのだろう。紙を手に取りエルリオはそこに描かれたものを眺めるが、それで答えが出るはずもない。両脇から覗き込むミリアムとジャスミンは、先ほどから無言だ。
「あの~……何を、なさってるんですか?」
 と、少し離れた距離からクラースの声。縫いぐるみが動いているところを見られる訳にはいかないので、少し離れたテーブルでは、クラースがぽつねんと待たされていた。あまり健康そうだとはいえない青白い肌が、なんとも煌びやかな陽光に不釣合いだ。自覚があるらしく、いい年した学者は所在なさげに肩を縮めて少女達の様子を眺めていた。
「クラースさん、きて~」
 キューをポケットに詰め込み、ノートを閉じてエルリオはクラースを呼んだ。やれやれ、と小さく苦笑を溜息として洩らしながらクラースは少女達に歩み寄る。テーブルの上には、クラース名義で借り出したアリタス民族史概論が置かれていた。開かれているページは、ヴェロニカの項。
「さっきの学生さん、絶対にこれを見て顔色を変えてたと思うんだ」
 太陽の紋章を指差して、エルリオは後ろからやってきたクラースを見上げた。
「ヴェロニカ民の紋章ですか」
「何でだと思う?」
「うーん…」
 少女の素朴な疑問に、クラースは小さく唸ってと腕を組んだ。
「ヴェロニカは、非常に技術力に優れた民なんですよ」
 電力に頼らない動力の開発や、既存技術の応用や、鋲を一切使わないからくりの開発とか、得意にしていたようだと、クラースは説く。「技術力に優れ」とはあるが、そこまで具体的な解説は、本に記されていなかった。
「先ほどの、学生は、理学科でしたから、研究対象にでも、していたのかも、しれないですね」
 確かに一理あるが、それでは彼の行動を説明付ける事はできない。
「あの、一つよろしいでしょうか?」
 遠慮がちにミリアムの声。白く細い指先が、本の一説を指し示した。
「このヴェロニカという民は、アリタス国軍により解体させられ、事実上滅んだとありますが、何故なのでしょうか?」
 史実上、国軍により解体を余儀なくされた民族は、ヴェロニカのみならず、少なからずや存在する。理由は明確で、約五百年前から急速に進められた国の軍国化政策が、防衛強化策として国内統一を敢行した為だ。国軍が提示した譲歩と条件を飲み、統一に賛同する民がいる一方で、徹底抗戦を断行する民もあった。だがいずれも、圧倒的武力差により制圧される結果となる。国軍の武力の前に生き残った反対勢力は無い。ヴェロニカもその一つだ。
 エルリオとミリアムはクラースの説明に、一つ一つ小さく頷く。ジャスミンは、平坦な面持ちのままだった。
「ヴェロニカ民は、他の少数民族と、少し毛色が異なっていて、特定の、棲地といいますか、聖地や故郷といいますか、そういうのを持たないんですよ、確か」
「遊牧……じゃないか、流浪民ってこと?違いがよく分からないけどさ」
 エルリオの返しにクラースは首を傾げる。
「どうなのでしょう。流浪民族は、他にもありますが、でも普通、そういう人々は、元々の故郷や、ルーツに纏わる地が存在し、何らかの理由でそこを離れた人々の事を指します」
 定義をよく知らずに言葉を使っていたので、エルリオはクラースの解説に大きく頷いた。
「なにぶん、既に滅んだ民族なので、資料が、存在しない可能性が高いのです。しかし、私が調べた限りでは、流浪民族のうち、その故郷に関する資料が、無いのは、おそらくこのヴェロニカぐらいではないかと」
「分布は?主な民族分布図でもあれば凡そのルーツが分かったりするんじゃないの?」
「それは私も、疑問に思ったので、一応調べたのですが、ヴェロニカの分布は、アリタス全土に、拡散していて、規則性が、見出せませんでした。かなり古い歴史を持つ民族であるならいざしらず、しかしながら、史料でヴェロニカの名が初めて出たと思われるのは、せいぜい五百年強前ですし」
 四桁クラスにならないと、「古民」とは分類されないらしい。
「え~…」
 クラースの説明に違和感を覚えて、エルリオは眉根を顰めた。
「それってさあ、「民族」って言うのかな」
「……え?」
 顎下に手を添えて考え込む姿勢でそう呟かれたエルリオの言葉に、最初に反応したのはジャスミンだった。クラースが彼女の様子に視線を一瞥させたが、すぐにエルリオに戻される。
「思想団体か宗教団体みたいな感じがするね」
 史実のパターンとして、国の大規模改革案に反対勢力が生じるのは自然な事であり、ヴェロニカも軍事国家化政策に抵抗した結果の滅亡とあれば、そうあってもおかしくないのではないか、というのがエルリオの意見だ。
 ただ、それがどう湾曲して「滅亡民族」と史実に記されるようになったか、その構成員達が高い技術力を持つようになったのかの経緯推測を、エルリオに説く事はできない。専門外のことであるから、出来なくてもいいのだ。ただ思いついたことを口にしただけの事である。
「……面白い事を考えますね」
 だがエルリオの突飛な仮説は、この日陰学者の好奇心を大いに刺激したようだ。クラースは口の中で多くを呟きながら感心したように頷いている。
「軍により滅ぼされた民族の中で、最も長期に渡り抵抗を続け得たのは、ヴェロニカなのです。原因は、その高い技術力もそうですが、人数も、大きな要素だったようです。全国に分布した民の中には、軍内部にまで侵食している者もいたようですよ」
 軍の内部分裂も引き起こし、国軍は内外に痛手を負わされた。
「そこまで大きな存在ながら、民俗学上の実体が伴っていないのは、確かに不自然なこと、です」
 もはやクラースはエルリオを「幼い少女」と認識していないようで、己の専門分野を語り合う事のできる数少ない相手としている。声の張り、速度が再び興奮気味に上がっていた。
 片やエルリオの方も、純粋にクラースとの会話を楽しんでいた。
「すごいね、おじさん。歴史について何でも頭に入ってる感じ」
 打てば響く、生きた本のようなクラースは、エルリオの好奇心を刺激していた。学校の勉強は好きな方だったが、今ほど面白いと思った事はない。
 年の離れた少女に誉められて、クラースは顔を赤くして照れている。「いえいえ」を繰り返しつつ、満更でもない。
「………」
「………」
 二人のやりとりを眺めているジャスミンとミリアムは、お互いに顔を見合わせた。どちらからともなく、「やれやれ」という意味がこもった小さな苦笑が向かい合う。
「ヴェロニカについては、たまたま、個人的興味があって、調べただけなんです。そうでなければ、歴史は深すぎて、私なんぞでは、幾ら年月を費やしても知識を網羅させる事など、できませんよ」
 照れを隠すためか、クラースの口調は一層、早口になっている。
「個人的興味とは……何故?」
 そんな彼の言い訳を含んだ答えに反応を見せたのは、ジャスミンだった。ミリアムは密かに、彼女の様子を一瞥する。同じ質問をしたいと思っていたところであったので、ミリアムにとっては丁度よかった。
 谷での出来事を、ジャスミンの方は覚えていない。如何に成しえたか分からないが、リューシェの力によるものらしい。だから迂闊にミリアムがヴェロニカに興味を示している事を悟られてはならないのだ。
「ヴェロニカの工芸品を見たことがあるのです。その、素晴らしさに感激して、興味をもって」
 楽しそうに答えるクラースに、ジャスミンを訝しがる様子は微塵も見られなかった。むしろ意気揚々と、身振り手振りでその「工芸品」とやらの形を再現している。
「博物館とかで見られるの?」
 と尋ねたのはエルリオ。クラースは首を横に振る。「聞いてくださいよ」と、テンションがまた一段上がった。
「先ほどお話ししました、イーザー将軍です。将軍執務室に飾られていた置物の中に、見事なからくり細工の施された箱がいくつかありまして、それがヴェロニカの工芸品だというのです。何でも古いご親戚が古美術商から買ったとものだという事で、ほとんど現存していない非常に珍しいものでしたから、見せていただいたのです。その時に、ヴェロニカを始めとする滅亡した民族史の話になりまして―」
 そこからクラースの話は延々と続く。将軍と交わした歴史談議の内容、ヴェロニカのからくり技術が素晴らしかったか等を、ひたすら話し続ける。
「それホンモノなの?」
 眉唾だな~、と半ば冗談のつもりでエルリオが応えると、クラースはテーブルの上に広げられた本にある、太陽の紋章を指差した。
「ホンモノだと思いますよ。「ヴェロニカの記憶」と呼ばれるこの太陽の紋章がちゃんと細工に施されていましたし、箱に合う鍵にもちゃんと紋章が細工されていましたから」
(太陽の……鍵…?)
 三人の視線の死角にいたミリアムは、クラースの言葉に瞠目した。
「この鍵もまた、面白いんですよ。銀製の宝飾品のように美しいフォルムは、我々が使っている物とは全く形状が異なって、一目ではそれが鍵とわからない複雑な―」
 そこから先のクラースの一人喋りは全く頭に入ってこなかった。ミリアムが知る「グレン」が持っていた太陽の首飾り、その形状はクラース曰くところの「ヴェロニカの記憶」と呼ばれる紋章に酷似している。その類似品を、ACCに像が立っているという程の高級軍人も持っているというのだ。しかもその人物も、「グレン」。
(嘘……)
 突然舞い込んできた、奇妙すぎる合致。だが一方で、それだけの要素で安易に仮定を結びつける事はできない。
「へ~、これ「ヴェロニカの記憶」っていうんだ」
 ミリアムの内心を全く知る由も無いエルリオは、また感心した声をあげてテーブル上の書籍に再び目をやる。本の中ではどこにもその記述がない。父親のメモにあった事をクラースが知っていたのは驚きに値した。やはり彼の知識量はかなりのものなのだろう。
「クラースさん」
 ヴェロニカ工芸品の芸術性にまで話を及ばせているクラースを、遠慮がちにミリアムの声が止める。
「その将軍って…どんな…方なのですか?」
 か細い声による質問に「どんな?」とクラースは首を傾げる。不審がられたかと、ミリアムは小さな焦りを覚える。
「わ、私、ACCの像を見たことがなくて、だから、どんな方なのだろうと思いまして。覚えて、いらっしゃいますか?」
 ミリアムの様子に少し不可思議さを感じながら、エルリオも、将軍の外貌には少し興味があった。ACCに立てられている像の顔面は、偉人を神格化してデザインしているために、どれも仮面を被ったように無特徴な作りをしているのだ。
「勿論ですよ。もう二十年近く前の事ですが、忘れる訳がありません」
 また少し自慢気に、クラースは目を細める。だが、それを受けたミリアムの面持ちは、笑っていなかった。眼鏡の向こうにあるクラースの両眼を、真っ直ぐに見詰める。人形のような顔に凝視され、クラースは一瞬、ある種の恐怖感さえ覚えた。
 だがそれもつかの間、
「………っ……」
 突然、灰色の両眼が瞑られ、ミリアムは美しい面立ちに僅かな苦痛を載せた。短く息吸って、俯くことで自らクラースから視を逸らす。
「?」
「どうしたのですか」と尋ねようとクラースが唇を開きかけた頃には、既にミリアムの面持ちには柔らかい笑みが浮かべられており、何かを言いかけたクラースに気がついて僅かに首を傾げて応える。
 改めてどうしたのかと尋ねるのも不自然な気がして、
「ええと、あの、そう、普通の方でしたよ。驚くほどに」
 クラースはそれに触れず、向けられた質問にだけ答えた。
「え~、それじゃよくわかんない」
 と唇を尖らせて抗議するエルリオは、その瞬間、リューシェがミリアムと入れ替わっていた事に全く気がついていなかった。
『何故邪魔をするのですか!?』
 頭の中で響くミリアムの声を無視して、リューシェは演技で固めた微笑を口元に浮かべ、クラースの話に相槌を打っていた。







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