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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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押印師ACT5-2
02

 世界は五つの大陸で構成されている。
 最も北に広がるフェイリー大陸。
 最も西に伸びるロストルコ大陸。
 最も東に浮かぶラカン大陸。
 最も南に据えるロザルス大陸。
 そしてそれら四つの大陸の中央に浮かぶは、大国ライザ旧帝国やディノサス共和国、それらに囲まれる軍国アリタスがあるジスノラン大陸。
 緯度や経度で地理学的にアリタスは、このジスノラン大陸のちょうど中央に位置しており、海から最も遠い国領となっている。
 列車がアリタスで最も巨大な湖の側を通過した時に、
「私、海って見たことないんだ」
 とエルリオが言うとおり、多くの国民は「海」をその目にした事が無かった。そして当然のごとく、軍部に水上部隊はあっても海軍はない。
「見たこと…ある?海」
 ふとミリアムの視線が気になり、エルリオは我に返る。照れの混在したごまかし笑いが漏れる。気がついたら両手を窓枠にかけて今にも乗り出そうかという姿勢だった。領地が広大なライザは南西の市区は海岸線に面している。しかしライザに足を踏み入れた事がないはずのミリアムには愚問だったと、言葉にした直後にエルリオは気がついて後悔した。
「はい、一度だけなら。青くて、涼しい香りがするんです」
 微笑と共に、ミリアムの答え。
「………え…?」
「?」
 窓から離しかけた手の動きが固まった。エルリオの様子にミリアムが無垢に首を傾げる。
「え、だって…海だよ…?見たことあるの…?」
「…?」
「アリタスから出た事ないんでしょう?アリタスに海はないんだよ…?」
 結果的に全く同じ質問を繰り返してしまった。少し困ったような顔をしてからミリアムの表情に突然、曇りが差したのはその時だった。
「………」
 ぎこちなく視線を湖に向けて。
「そう…ですよね。海なんて見たことある筈ないのに。だって、湖だって初めてなんです、私」
 窓の外に見える巨大な湖。元は歴史書にも載っていない古代に噴火した巨大火口だという。深い青が真上に昇った陽の光に照らされて時おり漆黒にも見える。
「グレンと二人でいた事…軍部内で与えられた小さな部屋と、シェファルトと過ごした三年間…私の記憶にあるのは全てアリタスでのこと…」
 窓が映す景色から、巨大な湖が徐々に遠ざかっていく。ミリアムの視線が追いすがるように湖に向けられた。つられてエルリオも再び後ろを振り向く。
「でも、湖を見ていたら、頭に浮かんだんです。延々と、止まることなく、波が寄せては返し…砂浜はむせ返るほどの潮の香りに包まれて、水の向こうは果てが見えなくて、それは水平線と呼ばれ、太陽が沈んでいく」
「……」
 海を知らないエルリオにミリアムの言葉の真偽を確かめる術はない。考え込んでいると、鞄の中で何かが激しく動いた。
「海。世界の表面のうち、海水をたたえた部分。」
隣の席に置いたリュックから、白い相棒が顔を出していた。
「総面積は約3億平方キロメートルで、世界の表面積の約四分の三を占める。最深はファルーク海溝の約1万メートル。平均深度は3千メートル」
「忘れてた!!ごめんね!」
「ちょっとちょっと、ぼくが生きモノだったら死んでたよ!?」
 拗ねたように口と目を歪めて二人を恨めしそうに見つめていた。すっかり皺がよってしまった体を捻ったり伸ばしたりを繰り返しながら。
「ミリアムの言葉は信憑性があるね。ライザはアリタスの西。ジスノラン大陸の最西、つまりこれはライザの最西でもあり、そこから先はロストルコ大陸とを隔てる広大なヴェロニカ海があり、東からの昇陽は西へと沈む。時間は東から西へと流れるんだ」
「へ~」
「でも、それは海に関する話なら、だけどね」
 プラスチックの両眼がミリアムに向き直る。今は黒髪に染めている銀髪の少女はびくりと肩を震わせた。
「……」
エルリオは窓枠に肘をついてキューの言葉を聞いていた。
「ミリアムのこれまでの話からまとめると、ミリアムが実際に海を見る事は、物理的に不可能」
「…………」
 ミリアムの瞳が恐る恐るといった風にエルリオを見やった。
「わたし…」
 ミリアムが嘘を吐いているようには見えない。彼女自身が己の言葉と記憶に疑心を抱いているように見えるのだから。一概に信じきる事はできないが、逆に疑いきる事もできない。仮にもし、本当に彼女がこれまでに一度でもライザ国内に足を踏み入れる機会があったとするならば、それはいつ、どういう理由で、そして何の意味があったのだろうか。
「ミリアムがグレンという人と暮らしたのは…何年前から?」
 突然の質問にミリアムが瞳を丸くする。宝珠のような瞳は若干涙で潤んでいて、窓からの陽光を受けて輝いているように見えた。
「え…小さい頃から…です」
「もっと詳しく」
 俯いていたエルリオの瞳がまっすぐにミリアムを向く。
「………」
 白く細いミリアムの指が、ゆるゆると桃色の口元へ運ばれる。そこから顔の輪郭をたどるように持ち上げられ、指先がこめかみにたどり着いた。
「考えても…見ませんでした……何故…何故覚えてないのかなんて…」
 カレンダーや、新聞や、外から入ってくる情報が知らせる「時間」。それを何一つ覚えていない。
「ミリアムに言葉を教えたのは誰?文字の書き方、読み方を教えたのは、誰?」
「言葉………?」
 言葉は自我によって生み出される意思の具現。意思はもっとも深く刻まれる記憶の破片。
 エルリオの記憶にある最初の言葉は、母親だったと思う。母親の動く口を見つめて、歌と声を聞いて、「言葉」とは何かを無意識に知り、そしてそれを意識しだしたのは父親ワイヴァンと共に机に向かい紙に自分の名前を書くことを教わったのが始め。
「………膝の上には本があったわ」
 ぽつぽつと、ミリアムの口から記憶をたどる声が漏れる。
「その本を読む声があって、私はそのそばに腰掛けて、ただずっと、それを聞いていました」
「本を読む声は、誰?」
「グレン…です」
「………そのグレンという人の年齢は?」
「年齢……」
「誕生日は?ミリアムの誕生日も」
「4月です、グレンは12月」
「それは誰が言ったの?」
「…グレンです」
「海の記憶があるのはいつの話?」
「……」
 窓の外の湖は、もうとうに過ぎ去って見えなくなっていた。代わりに高架下に広がる渓谷の底は湖へと続く川が激しい水しぶきをたてながら流れている。
「わかりません、一瞬だけまるで幻のように浮かんで…」
 そう言い淀むとミリアムは両手で頭を抱えてうずくまり背を丸めた。二人の後部に腰掛ける老紳士が物音でそれに気づき、腰を浮かせてこちらを見やった。
「大丈夫かい?」
「あ…」
 エルリオは咄嗟に自分が羽織っていたコートをミリアムに被せるように羽織らせた。
「少し酔ったみたいです。ありがとうございます」
 作り笑みを老紳士に向けて会釈すると、彼に背を向ける形でミリアムの隣に腰掛けた。コートを被せた上に手を添えて背中を優しくさする。
「ごめん、この話はとりあえずやめよ」
 いずれ、全て分かるはずだから。

 いずれ、きっと。




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押印師 ACT5-3
03

「何かが近づいてくる」
 短い前髪を揺らして逃げていった風を追いかけるように、ヴィルは顔を上げた。同時にガチャリと金属が重なり合う音がこぼれる。今度は足元からごく小さな風がつむじとなって下から吹き上げて、薄いモスグリーンのコートの裾を翻した。
「列車が通る時間ではありませんか?」
 低く落ち着いた口調が足元から呟かれる。ヴィルがそちらに目をやると、彼が腰掛けていた岩場の下に若い女が立っていた。傍らには女性が一人で操るには不釣合いなほどに巨大な二輪駆動車(バイク)。
乾いた盆地は風が集まりやすい。ここらは年中どこからともなく吹き上げる涼しげな風が大地に立つ者の肌を撫でていく。麗らかな季節でさえ、肌寒いのだ。ヴィルは肌を風に触れさせるのを嫌い、常にハーフコートをまとう。対照的に若い女は両肩を出した軽装だった。
「ジャスミン」
 ヴィルは女をこう呼んだ。
「ほら」
 ジャスミンの言葉とほぼ同時に平原の向こう、地平線にそって走る線路の向こうから汽笛がこだましてきた。
「だとすると、汽車が来るのは五分後ぐらいだな」
ここいらは地形の関係で、湖を越えてやってくる遠くの汽笛が渓谷を越えて平原まで響いてくる事がある。
だがヴィルが感じた「何か」は汽車の気配ではない。
「この気配があるという事は、“奴ら”も来るはずだ…」
 胸元を握りつぶすように手を当てた後、ヴィルはその場から立ち上がった。傍らにおいてあった皮のポーチを拾い上げると、見栄えに不釣合いな重たい音をたてた。それを素早く腰に巻く。その動きをみてジャスミンはバイクに素早く跨るとクラッチを捻った。
「だからお前は来るな」
「いいえ、ヴィル様」
「…ふん」
 もはや儀式的なものになりつつある、いつものやりとりを交わしてヴィルは皮の手袋をはめた手を前方に突き出した。
「シュトルの風よ」
 ヴィルの呟かれた言葉と同時に大地が呼吸をしたかのごとく、足下から風が巻き上がり、短い前髪がうるさくはためく。風を一つ吸い込むように大きく呼吸をするとヴィルは岩場から中空へと身を躍らせた。そのまま彼の体は重力に逆らい地平線へと文字通り「飛んで」行った。そのすぐ下方、ヴィルを追いジャスミンのバイクが追う。後輪がかきあげる砂煙がまるで羊雲のように広い大地に筆を走らせていた。
「ヴィル様、あそこに!」
 ジャスミンの声と同時に指し示された方向を見ると、はるか彼方から姿を表し始めた汽車と、それと並行して走る数台の車の陰が見えた。
「奴らだ…!」
 舌打ちと共にヴィルの体は加速度を増した。

 水と緑のから一転、車窓が映す景色は一面の褐色となっていた。
「先ほどまでは水でいっぱいだったのに」
 少々青白い顔をしながらもミリアムは窓枠に手を乗せて外を眺めている。肩にはまだエルリオのコートが羽織られていた。
「暑そう~」
 初めて見る景色にエルリオも、そしてキューも窓枠に乗っかり瞬きも忘れて魅入っている。
『あと十五分ほどでシュトルセントラルステーションに到着します』
 そう車内にアナウンスが流れると、乗客は座席に広げた服やら食べ物やらを片付け始める。エルリオもコートを鞄に仕舞ってしまおうと傍らの鞄を膝に乗せた。
「あ」
 ふと、鞄の中にある水筒の中身が少なくなっているのに気がついた。
「食堂車で水を貰ってくるね」
「はい、荷物、見張っていますね」
 新しい大地への期待からか、若干頬が上気したエルリオに、ミリアムも目を細めて見送った。だが突如、
「……っ!」
 美しい少女の笑みが瞠目の面持ちに変わった。
「ダメ!」
「?」
 隣車両への接続扉に手をかけていたエルリオが振りかえるのと、
 ミリアムが座席から立ち上がりかけ、周囲の乗客が数人か振りかえるのと、
「きゃああ!」
「っい…!」
 複数の悲鳴と爆発とがほぼ同時に上がった。
 すさまじい金きり音をたてて列車は左右に激しく揺れ、そして幾度とノックしながら停車した。脱線しなかったのが幸いだが、エルリオやミリアムを含めて中途半端に立ち上がっていた乗客達は通路に放り出される結果となる。
「ぃたた…」
 恐る恐る目を開けると、あたりは煙と砂塵に包まれていた。かすんだ視界の中で倒れた乗客たちが蠢くのが見えた。すえた悪臭はおそらく油と火薬と金属の摩擦によるものだろう。
「ミリアム!キュー?」
 手探りで四つんばいのまま二人を探す。すぐに反応があった。
「エルリオさ…」
 向かい合った座席の間に丸まっていたミリアムが立ち上がりエルリオを呼ぶ。
「怪我はない?痛いところは?」
 外傷がない事を簡単に確認し、エルリオは鞄を拾い上げると散らばった中身を素早くかき集めて詰め込み始めた。
「早くここから離れよう」
「え?」
 問い返しながらもミリアムもそれに倣う。
「事故だとしたら軍の警察局が現場に来る。見つかったら厄介だよ」
「た、大変…でも、エルリオさん…」
「なに?」
 ミリアムの手が止まる。
 釣られてエルリオも、顔を上げた。
「何かが…近くにいるんです」
「『何か』って…」
「これは恐らく、事故ではないのではないかと…」
 ミリアムの語尾を弾き飛ばすように、また爆発音が間近で起こった。
 砂塵と共に乗客の悲鳴が再び上がる。ふりかかる木屑や鉄の破片。エルリオは手にしていたコートでミリアムを包み込むと自分もその場で丸くなった。
「出て来い!人外!」
 喧しいエンジン音と複数の足音、そして低い怒声。恐る恐る座席の背から顔を上げると、車両の天井が破壊され、そこには果てしない青空が広がっていた。そして、列車を取り囲む幾人もの人影たち。
「列車強盗かなぁ」
 キューの呟き。
「列車強盗??」
 思わずそれを鸚鵡返しにしてしまったエルリオは、はっと口を噤んだが、手遅れだったようだ。
「列車強盗??!!」
「きゃーーーー!!」
 乗客の悲鳴を皮切りに、恐怖は次々と伝染していき車両中に悲鳴の波が通り過ぎた。
「死にたくなきゃ静かにしろ!」
 また低い怒声と共に銃声が一発。
 悲鳴は引きつった呻きに変わった。
「……」
 小さな体を座席の間に隠して身を縮めながらエルリオはほくそ笑む。
 迷惑なことには変わりが無いが、事故よりは楽だ。騒ぎに乗じて逃げ出してしまえばいい。
「関係ない奴まで殺すつもりはねぇ。だからケガしたくなきゃ大人しくしてるんだな」
 強盗のリーダーらしき男が車両に乗り込んできた。大型のオートマ式の銃を片手に、そして背にもライフルに似た銃が背負われていた。いずれも、対人用にしては巨大すぎる印象がある。
「この列車に乗ってるはずだ。いるんだろ?精霊の印を持つバケモノが」
(!?)
 エルリオは息を殺した。思わずミリアムを抱える腕に力がこもる。
(まさかこれが……精霊狩り…)
 精霊狩り。
 印保持者や押印師を狙った強盗・誘拐団の総称。
 タイプは幾つかに分かれており、一つは世界全土に広がる精霊神信仰をよしとしない集団の中でも、最も過激行動を行う一派で、印保持者や押印師を狙い見せしめ目的で殺害する宗教的な理由から派生した一派もある。または、人身売買目的の一派もおり、目的は様々だが手段は同じで、そのために役所が管理する個人情報を狙う窃盗団も横行しているという。
(こいつらは何のために…?誰を探しているの…ミリアム??私?それとも他にこの列車に…?)
 乗車券は偽名で買った。乗客リストがこの集団に流れていたとしても、二人が印保持者と押印師である事が知られるはずもない。
「名乗る気はないか」
 無反応に痺れを切らした男は安全装置を解除した状態の銃を指先でくるりと回してみせる。
「あまりゆっくりは出来ないんでね。軍に駆けつけてこられちゃたまんねぇ」
間違って引き金に触れればいつ発射されてもおかしくない状態である。
「メロウ!」
 男が背後に向かって叫ぶ。列車の外、荒野に居並ぶ男の手下らしき面々の中から、前に歩み出る者がいた。細い影。
「………は…い」
 細い声。
 少女だった。
 金髪に近い茶色い髪を無造作に横に束ねられ、来ている物も町娘の物とは違う、男らが身につけている黒い装束に似たワンピースを着ていた。
 まるで人形。そんな印象を与える。
「どいつだ。メロウ。この車両なんだろ」
 人形の細い首が、かくりと縦に振られる。
「……」
 エルリオの心臓が大きく鳴った。焦点がうつろな少女の瞳がふらふらと車両内を漂っている。被せたコートの下でミリアムの体が小刻みに震えていた。
(あの娘は一体…)
「そこ……」
 細い腕が、細い指が、
「!」
 座席の間に身を隠すエルリオとミリアムに向けられた。
「くっ…」
 逃げなければ。
 反射的にエルリオは右手を構え、印を左手に宿そうと意識をこめた。だが次の瞬間には、
「バスクス!!!」
「!?」
 新たなる声が空から降りかかり、エルリオの意識はそちらに向けられた。
 破壊された天井から見える青空。その青に溶け込むかのような、薄いグリーンのコートが視界いっぱいに広がった、かと思うとそれは凄まじい風の塊と共に男の頭上へと突落した。
「やはり来たな!」
 そう叫んで男は風をかわして崩れた天井へと身を移した。車両の周囲に控えていた男たちが武器を手に一斉に動き出すが、目の前に滑り込んできたバイクに妨げられ動きを失い、直後には車上の若い女が放った銃弾の雨により次々と倒れていった。
「???」
 そこで何が起こっているのか、もはや把握する事はできない。さきほどから乗客たちはただ次々と起こる爆発から身を守るだけに精一杯となり、落ち着いたかと思えばまた新しい誰かが現われ…。
「………一体…」
 コートの下からミリアムが顔を出す。腕にはキューが抱かれていた。
 車両の天井には精霊狩りの男。バスクスとは恐らくこの男の名なのだろう。腕にメロウと読んでいた人形のような少女を抱いている。
 その二人を見上げる、薄いモスグリーンのコートの男。短くはねる金髪の青年だった。
 車両のすぐ脇には、両手に銃を構えた若い女がバイクから軽い身のこなしで飛び降りたところ。着地して振り向きざまにまた一発、背後から襲ってきた男に一発、撃った。
 何が起きているのかは分からない。
 だが一つエルリオに分かる事があった。
 あのグリーンのコートの男に死なれては困るという事だった。






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押印師 ACT5-4
04
 傍らでミリアムがエルリオの袖を握った。
「あの人…印保持者ですね」
「やっぱり。そうみたい」
 目に見えない風が足下から木屑や鉄片を巻き上げながら渦を巻いた姿を表している。自然の風向に逆らった動きで、モスグリーンの男の足下から吹き上げている様子が分かった。
 手袋をされた手元を見ると、手の平の中で今にも暴れだしそうな風の子供が渦を巻きかけている。
(なんだろうあの印……凄まじく強力な…)
 簡単な風を起こす印ならエルリオにも扱えた。
 しかしあの男、確か風と共に空から降ってきたはず。しかも鉄と木の塊である車両の天井を突き破るほどの威力となって。
「……」
 風の合間から男の瞳がちらりと肩越しにエルリオを見やり、すぐにまたバスクスとメロウに戻された。
 彼らの間にどんな関係性があるのか知ったことではないが、とにかくモスグリーンの男に倒れられては困る。バスクスと共にいる少女、メロウはエルリオとミリアムの存在を言い当てた。あの男がいなければ、標的となるのは自分たちだ。
「メロウを返して貰おう」
 モスグリーンの男が口を開く。鋭く、憎悪の混在した声だった。
「そう言われてもなぁ。羅針盤がないと困るんでね」
 言いながらバスクスは少女を己に引き寄せた。虚ろを宿した瞳のまま、少女は無表情でバスクスとモスグリーンの男のやりとりを見ていた。
「俺の妹をお前らなんぞの羅針盤呼ばわりするな!」
「ヴィル様」
 激昂した男をバイクの女が静かに窘める。呼び方からみると、モスグリーンの男の配下にあたるのだろうか。ヴィルと呼ばれたその男は瞳に殺気を宿したまま、だが幾分か落ち着きを取り戻したようで食いしばった口元を解いた。
「そんなら、邪魔しないでもらいたいねぇ」
 喉の奥で嘲りを鳴らしながらバスクスはくつくつと哂った。
「次の、もっと良い羅針盤が見つかりゃ、メロウに用は無くなるんだからな」
 「例えば…」と楽しむような視線が、客席の間に身をかがめている二人の少女、エルリオとミリアムに向けられた。
「そこのお嬢ちゃんたちよう、どっちか「そう」なんだろ?」
「え?」
「……」
 突如はなしを振られてエルリオは思わず弾かれるように声をあげた。キューを抱いたままミリアムがエルリオに肩を寄せてくる。
「……それとこれとは話が別だ」
 エルリオの視界にモスグリーンの裾が翻る。長い足が乱暴な音をたてて目の前に立ちふさがった。足下から風が湧き上がる。
 バスクスが肩を竦めた。
「別にお前だっていいんだぜ…ヴィル」
 ゆらりと酒に酔ったような動きを見せたかと思うと、瞬時後にはバスクスの不適な笑みがヴィルの目の前にあった。
「!」
「ヴィル様!」
 バイクの女の声。ほぼ同時にヴィルの足下から吹き上げる風に鋭さが宿った。
「ちっ!」
 ヴィルの全身を纏う風が瞬時に沸点に到達したかのように猛り狂い始めた。右手を前方に薙ぎらせると風の筋が鎌鼬となってバスクスを襲った。切り刻まれてはたまらないと、バスクスの体が今度は車外へと飛び出していった。
「ジャスミン!」
 ヴィルの声がバイクの女をそう呼んだ。車両から飛び出してきたバスクスに向かい銃を放つ。背後から襲い掛かる男から身をかわしながらアイドリングさせていたバイクに跨りざまにスピンさせて人波をかき分ける。車両の後方にスライディングするようにバイクを乗り捨て、片方の銃を棄てると車両の屋根に飛び乗った。
 ぽっかり開いた屋根の上に立ち尽くす虚ろな少女に手を伸ばす。
 ほぼ同時にヴィルがバスクスに向かい地を蹴った。
 全て一瞬の出来事だった。
「風よ!」
 エルリオの視界の中心で、ジャスミンの弾丸を辛うじて避けたバスクスの頭上に飛びかかるヴィル。ひときわ強烈な風が彼の体を中心に輪を描いて広がった。
 視界の隅でジャスミンが少女メロウを抱きかかえる。虚ろな瞳の少女は無抵抗だった。
 凄まじい音がして暴風が車両を巻き込んだ。ヴィルとバスクスを爆心地とし強烈な空気の爆発が螺旋を描いて外周へと広がる。
「ぐおっ!」
 バスクスの低い呻きがくぐもる。
「きゃあああああ」
「ひぃーーー」
 まるで竜巻の中心にいるようだ。その場にある全てのものが渦をまきながら空に巻き上げられていく。乗客たちは悲鳴をあげて床にはいつくばり、飛ばされないように座席や鉄筋にしがみ付いていた。
「すごい…あいたたっ」
 小さな悲鳴をあげてキューがエルリオのおさげにしがみついてきた。隣のミリアムは両手でエルリオの腕にしがみ付いている。
 懸命にあけた目の前に映る光景は、片手に風の刃を宿したヴィルがバスクスの喉を狙い腕を振り上げた瞬間だった。
「っ!」
 だが直後、指一本動かす事さえ困難な猛風の中でバスクスが動いたのが見えた。手にしていた巨大な拳銃の銃口を、ヴィルに向けて上げた。
「な…っ」
 銃声…
 とは言いがたい、むしろ爆発音がバスクスの手の中で発射される。閃光の筋が風の幕に突き立つところまでが、エルリオの視がとらえられる限界だった。
「く…っ」
 全身にビリビリと電気のようにひびく轟音、そして遠く離れたエルリオの肌をも切り裂かんばかりの鎌鼬。本能的にエルリオは両腕で顔をかばい体を丸めた。
「ヴィ…さ…!」
 ものすごい轟音の中で、若い女の声が途切れ途切れに聞こえた気がした。
「―――」
 どれくらい時間が経ったのか。やたら静寂が耳に痛い。
 実際はほんの一瞬だったのだろうが、その場にいる人々にはそれが永遠に近いものに思えた。
「あーらら」
 間延びした声を耳元に聞いてエルリオが顔を上げると、
「ひゃぁ…」
 景色は三百六十度、どこまでも広がる荒野に包まれていた。
 車輌の天井と壁は無残に剥がれ、荒野にその残骸を撒き散らしていた。木造にクッションをあしらった簡易な座席もまるでばら撒かれたチェスの駒のようにあちこちに無造作に転がっている。エルリオ達が乗車していた車輌のみならず、前後数台も含めた車輌が同じ状態となっており、呆然と体を丸めて怯える乗客の姿がここからでも丸見えとなっていた。
 その中央にいたはずの、ヴィルとバスクスの姿が無い。
「!?」
 慌てて左右を見渡すと、
「あんなところに」
 モスグリーンの男、ヴィルは車輌から弾き飛ばされたのか、車輌の外、砂の吹き溜まりの上に片膝をついており、ゆらりと立ち上がるところだった。一方、
「ちぃ…まだまだ足りんな…」
 そう低く呟きながら車輌の反対側に飛び散った瓦礫の下から姿を現したのはバスクス。黒い装束の裾が風に切られたか、ボロ布のように裂かれていた。片腕をやられたらしく、力なく垂れている。
「………ありえない…」
 エルリオが呟く。
 あれほどの強靭な風の印による攻撃を受けながら、なぜあの精霊狩りの男は致命傷を負う事なく立ち上がれるのだろう。
「あの男も、印を…?」
「いいえ」
 砂煙に噎せながらミリアムが顔を上げた。
「あの黒い人からは…感じられません。印の気配が」
「………」
 天啓印や使命印のように精霊から授けられた印を保持する者は、同じくそれを保持する者の気配を感じ取る事が出来るというのは聞いたことがある。だとするとバスクスの言う「羅針盤」とはそれを指すのだろうか。
「…何も感じられないんです」
 ぶるりと小さくミリアムの肩が震えた。
「押印かもしれないよ」
 キューが呟く。
「やっぱりそうなのかなぁ…」
 精霊狩りのルーツを紐解くと、元は宗教上の理由で精霊信仰を拒む輩の集団で「制裁」と称して印保持者を抹殺する事を目的とした過激宗教集団が始めだ。彼らは精霊に強い憎悪を抱くことから当然、印保持者や押印技術を拒んだ。押印を使用しているのであればバスクスはその類とは異なるという事だろうか。
「それにしたって、天性の印保持者とやり合うなんて…」
 印保持者の軍人に結界を容易く破られた事が思い浮かび、エルリオはこめかみにちくりと痛みを感じた。
「ヴィル様」
 ジャスミンの声。吹き飛ばされた列車の屋根から飛び降りたのか、車輌のすぐ側にメロウを抱えたジャスミンがいた。少女の細い体を抱えたままジャスミンがヴィルに駆け寄ろうと足を踏み出す。
「拒め!」
「!」
 バスクスの怒声と共にメロウの体が大きく揺れた。
 瞬間、その体から電流のような閃光が放電される。
「きゃぁ!」
 メロウの体を抱きとめていたジャスミンの全身が弾かれた。
「ジャスミン!」
 数メートル先に弾き飛ばされ辛うじて受身をとるも、両手に大きな痺れが残り立ち上がれない。ヴィルが駆け寄る。同時に、バスクスが地面を蹴るのがエルリオから見えた。
「あぶな…!」
「え…」
 エルリオの叫び。それに気付きヴィルが顔を上げた時には、メロウの体を飛び越え目の前に迫るバスクスの禍々しい笑みがあった。
「護れ!」
 硝子がぶつかり合うような硬い音がこだました。ヴィルの足下にエルリオの小柄な体が滑り込んできたかと思うと目の前に水が膜を貼ったかのように壁が現われた。間一髪、バスクスが打ち込んだ弾丸を受け止める。ミシリと音を立てて巨大な亀裂が生まれていた。
「やっぱ一発しか防げないや」
 素早くエルリオは左手の印に右手をかざし、新たな印を発動させる。音をたてて左手の指を鳴らすと、青い電流が蛇線を描いてバスクスに放たれた。
「ぐ!」
 電流は金属製と思われる武器にまとわりつくと、小さな火花をあげた。
「お前…」
 左手の甲に印を輝かせるエルリオにヴィルが軽い驚きと共に目を見開く。
「ガキが!」
「またくるよ!」
 小さな声が脇から叫ぶ。ヴィルは咄嗟に片手にジャスミン、もう片方でエルリオの体を抱えると横に飛び込んだ。ちょうどジャスミンが倒れていた場所目掛けて弾丸が打ち込まれる。地面から湧き上がる風が三人の体から重力を奪い、エルリオは不自然な浮遊感を感じた。
「くっ!」
 小さくヴィルが息を吐き出すと同時に彼の体を纏う風の一片が撓り、バスクスに襲い掛かる。それを辛うじてかわして黒い狩人は踵を返すと列車の残骸を飛び越えていった。
「戻れ!」
 バスクスの声に従いメロウの体もまた、ふわりと重力を感じさせない動きで車輌の方へと戻っていく。
「メロウ!」
 ヴィルの声。しかし車輌の残骸の上を歩いていくメロウの足取りに反応は見えない。
「待って!」
 が、ふと、その足が止まった。
「あ……」
 車輌の残骸の上、壊れた座席の陰に残っていたミリアムだった。土埃と木屑を全身から被った状態で、通り過ぎようとするメロウの腕にしがみ付くようにつなぎとめていた。一方のメロウも、ミリアムを肩越しに見下ろしたまま、完全に足を止めていた。
「何をしてる!戻れ!」
 バスクスの声も耳に入っていないようだ。
「だ…ダメ…です、…戻ってはダメ…」
 震える声でミリアムがメロウに語りかけた。
「だって貴方は、こんなにも帰りたがっているのに」
「メロウ!」
 またバスクスの怒声とともに電流が流れた。
「っあ!」
 メロウの腕をとる両手に凄まじい熱と痺れを感じてミリアムは思わずその場に倒れ込んだ。
「ミリアム!」
「………」
 一瞬、メロウの瞳に光が宿ったように見えたのは錯覚だったのか、だが直後にはもう、また深い虚ろを視に湛えて少女は踵を返すと二度と振り返らなかった。
 煩い複数のエンジン音、そして黒い狩人達を乗せた車は砂煙を上げながらその場から消えていった。
 それと入れ替わるように遠くからサイレンが木霊となり荒野に流れてきたのであった。
 




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「英雄の屍」と音楽
「英雄の屍」を書きながら聞いている曲、この作品のイメージに近い曲などをご紹介したいと思います。


※映像は全く関係ありません
※ここで紹介している曲の多くは、i-Tunes等のダウンロード販売やCDを現在でも発売しているものです。お気に召したらぜひ、そうしたところでお求め下さいませ。





※07/01/02 それまでご紹介した物をリセットしてリニューアルしました

Clay Aiken "I will carry you"
ttp://www.youtube.com/watch?v=c32vc-7FJXI

Clay Aiken "A thousand days"
ttp://www.youtube.com/watch?v=W0QSimaUI_k

梶浦由記 "Salva nos"
ttp://www.youtube.com/watch?v=zygSFbKl7NI

梶浦由記 "Ship of fools"
ttp://www.youtube.com/watch?v=oSAD-yvh4gU

姫神 "愛を超えて"
ttp://www.youtube.com/watch?v=wV33UDDSOzs

Avalon(映画の予告編)
ttp://www.youtube.com/watch?v=jWD995izWps

Phantom of the Opera-Trance version-
ttp://www.youtube.com/watch?v=u8pkKcHf6uA



*07/01/07追加

秋山雅史"千の風になって"
ttp://www.youtube.com/watch?v=gDMtEIse1eI

Charlotte Church & Billy Gilman "Dream a Dream"
ttp://www.youtube.com/watch?v=hNwPXuJQdI4

"Panis Angelicus"
ttp://www.youtube.com/watch?v=6cL8RteBbGE
(個人的には、シャルロッテ・チャーチ版も好きです)




*07/02/19追加

Road of Major "Play the Game"
ttp://www.youtube.com/watch?v=C4rmlu_VV4I

May "消えない虹"
ttp://www.youtube.com/watch?v=27ReafgSmw8

Scudelia Electro "shout it loud"
ttp://www.youtube.com/watch?v=ufzqko6ELMo

Ali project "赤と黒"
ttp://www.youtube.com/watch?v=iHr9wfCWHpc
※ちょっと映像怖いかも

Maksim "Kolibre"
ttp://www.youtube.com/watch?v=0FmEhbiaUOI

Maksim "Gypsy Maid"
ttp://www.youtube.com/watch?v=aGdasYDnyp8

Maksim "Handel's Sarabande"
ttp://www.youtube.com/watch?v=mdr193k-kRQ

Evanescence "My Immortal"
ttp://www.youtube.com/watch?v=YOTglWNPPJo
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押印師 ACT5-5
05


「やっば、警察局だ…!」
 少女がそんな言葉を洩らしてヴィルの腕からすり抜けた。
 シュトル・セントラルステーション方面から数台のジープが砂煙をあげながら向かってくる様子が見える。未舗装道の多い荒野地区に対応した四輪駆動の軍用車だ。
「大丈夫??」
 それを目端に確認しながら、メロウに弾かれて倒れた少女にかけよるおさげ髪の少女。
 その後ろを飛び跳ねながらついて行くペット。
「……ペット…??」
 土埃に汚れた小さく白い動物。
 それがジャスミンには縫いぐるみに見えて仕方が無い。
 考えが纏まらないうちにヴィルに腕を引かれた。
「立てるか」
「あ…」
 ヴィルの金髪から火薬の匂いが仄かに漂ってきた。白い頬には土煙による汚れの他は、小さい擦り傷が窺えた。
「はい。ヴィル様は、お怪我は…?」
 手足の砂を叩きながら立ち上がり腕をとるヴィルを見上げる。一見して大きな外傷はなく、面持ちにも痛みによる苦悶などは見られない。
「お前は?」
 安堵を覚えながらジャスミンはヴィルの問いに短く答えた。
「どこも。それより―」
 あたふたと瓦礫を掘り返して荷物を探している少女二人と、謎の生き物一匹を見やる。
「……ふむ」
 その光景と、背後に迫りつつある軍用ジープの群れとを二度見比べてからヴィルは次の指示をジャスミンに示す。
「ひとまずここを離れる」
「はい」
 言うが早いかジャスミンは乗り捨ててあるバイクのもとに駆け出し、ヴィルは右手を一振りして風を起こした。モスグリーンの裾が翻り、音もなく彼の足は地面を離れる。すべるように半壊して瓦礫と化した車両の方へと移動し、ようやく鞄を掘り当てて走り去ろうとする二人の少女の行く先をふさぐように降り立った。
「な、なに…」
 訝しげに眉をひそめるエルリオを無視し、
「つかまれ」
 片方ずつの手でエルリオとミリアムの体を掬い抱えた。
「わゎっ!」
「きゃっ」
 という間にエルリオとミリアムの足は地面を離れ、ヴィルに抱えられた状態で宙に浮いた。
「ちょっとちょっと!」
 あわてて小さく白い動物がエルリオの靴にしがみ付く。ヴィルはそれを見なかった事にして腕の中で暴れる少女をしっかり抱える事に意識を集中させた。
「どこにつれてくのよ!」
「警察局と鉢合わせるのはまずいんだろう?」
 バイクで先を飛ばすジャスミンが小高い丘の先を指差し、ヴィルはそれに軽く頷いて風をその方向に吹かせた。
「自分達で逃げられるってば!」
「うるさい、暴れるな」
「誘拐魔、誘拐魔~~~~~っ!」
「………」
 ひたすら暴れるエルリオを叱る気力も失せる。ヴィルは意識的に見えない耳栓をしてただ軍用車の陰が見えなくなる距離を目指して飛んだ。小高い丘を越えた麓で、ジャスミンを乗せたバイクが軽いスピンと共に停車した。ヴィルもそこに着地する。それと同時に両手に抱えていたモノを放した。
「ぎゃーっ」
 急に手を離されてエルリオの小柄な体が砂地に転がった。「ぎゅっ」と寸詰まりの声がその下から聞こえる。無事に着地できたミリアムが駆け寄った。
「…大丈夫?」
 バイクのスタンドを足で立てながらジャスミンが小さく笑った。
 警戒心を盾に身構えるエルリオを見下ろす形でヴィルが右手から水を払うような仕草を見せると、地から湧き出し足元を漂っていた風がぴたりと止み、円を描くように翻っていたモスグリーンのコートの裾がふわりと動きを収めた。その裾から伸びた長い足が一歩踏み出した。
「色々と訊きたい事は多いが、まずは礼を言う」
「え」
「結界の援護がなければ油断の隙を突かれていた」
「あ~…」
 このモスグリーンの男が一瞬だけ、あのバイクの女に気を取られていた瞬間があった。気がついたら守檻の印を発動させながら駆け出していた事を思い出す。
「いや…あれは…別に…」
 あの瞬間を思い出してエルリオは口ごもる。短い金髪がどことなく父親、ワイヴァンを彷彿とさせるこの男の危機を、放っておけなかったのだと気がついたから。
「そんな事より、」
 心の揺れを隠すために勢いよく立ち上がる。ミリアムとキューがキョトンとした顔をして自分を見上げているのが気恥ずかしかった。
「お兄さん、風系の印保持者なんでしょ?」
「ん…?」
「しかもけっこうな上位の。私も風印は使うけど、せいぜい大人一人の体を押しのける程度にしか使えないもの」
 ヴィルとジャスミンが短く顔をあわせる。
「印の気配がないな。お前は押印師か?」
 視線を戻したヴィルが短く問いた。明確な答えが無いのを肯定を受け取ってエルリオも頷いた。
「…うん」
 ヴィルの視線がエルリオの小さな手に向いている。その手の甲に、今は何も描かれていない。視線は次に、エルリオの側で不安そうに二人のやりとりを見ているミリアムに向いた。
「だとするとこの印の気配は…お前か」
「……」
 警戒してか、肯定も否定も戻ってこなかったが、ヴィルは気にしなかった。
「お兄さんて…もしかして竜翼の谷の人?」
 と再びエルリオ。
「ああ、よく知っているな」
 乾いた大地、シュトラルの北西に広がる羊歯森を越えた渓谷地帯の奥地一帯が、「竜翼の谷」と呼ばれている。現存する原始的な印の発祥地の一つとして、エルリオが尋ねていようと考えていた場所だった。
「私達、シュトル・セントラル駅で降りてそこに向かうつもりだったんだ」
 無表情を保っているヴィルの目端が僅かに揺れた。
「竜翼の谷は…お前たち子供二人がとてもたどり着ける場所ではないぞ」
 言いながらヴィルは谷方向を指差す。乾いて荒れた広野の向こう、うっすらと蜃気楼のように山々の灰色の影が並んでいた。
「大丈夫、アシはあるよ」
 エルリオは左手で拳を作って小さくガッツポーズをする。翼の印があれば、ミリアム程度の重さであれば二人で飛んでいける。ヴィルはそれを察してかエルリオに手段を問いはしなかったが、軽いため息をつきながら首を横に振った。
「距離の問題じゃない。あそこは有翼獣らの住処でもある。下手に迷えば餌食だ」
「有翼獣…ドラゴンみたいなの?」
「ドラゴン?」
「そうね、近いかもしれないわ。谷の有翼獣は神妖獣だから」
 ヴィルの背後からジャスミンの声。スタンドで立たせたバイクに凭れてエルリオとミリアムの方を向いていた。
 世界の生態系は捕食する側とされる側によって関係がツリーチャート状に表される。だが神妖獣と分類される存在は、生命維持と祖先継続を目的とした捕食を行わないためにそのチャートに位置づけられず、学術的分類で異例値とみなされている。古典神話からの読み方をそのまま借りて「神妖獣」と呼ばれるようになったという。
「へぇ…神話の通りだね。私たち、谷に行きたいの。一緒につれていって」
「谷に何の用だ」
 ヴィルの声に警戒の色が薄く滲む。
「印について…、その技術や歴史についてもっと知りたいんだ。それだけ。本当だよ?そのために旅を始めたの。竜翼の谷は原始的な印の発祥地の一つだと聞いて、ほら、古典神話にもシュトルの名前が出てくるでしょ?で、旅順的に近かったから立ち寄ろうと思った。」
 エルリオの言葉に間違いはない。創世を物語る古典神話にシュトルを含む現存する幾つかの都市、地域名が出てくるのは確かだ。それに、伝承を元に見聞目的で谷に訪れる人間はこれが初めての事でもない。
「いいだろう。」
 短く答えながらヴィルは背後に立つジャスミンに目配せを向けた。ジャスミンは頷いてスタンドで立ててあるバイクに向けて踵を返した。
「本当!?」
「すごい、ドラゴンが見られるのですね!」
 顔を輝かせる二人の少女。ヴィルは肩を竦めた。
「救ってもらった恩もある。断る理由はない」
「ただし」と続くヴィルの言葉。エルリオとミリアムがほぼ同時にヴィルを見上げた。
「押印師や他所の印保持者を谷に入れるのは、俺の代では初めてだ。シュテラールらがどう反応するか…。何かがあっても責任はとれないぞ」
「シュテラール?」
 ミリアムが繰り返す。
「シュトルの竜翼の谷に生息する有翼獣のことだね」
 エルリオの足下に隠れる小さな声がそれに答えた。






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押印師 ACT5-6
06

 羊歯の樹海を通り抜け、ミリアムの体を抱えたヴィルの体が少しずつ降下していった。それに倣いエルリオも翼の印の力を徐々に緩めた。
「ここからは歩きだ」
 外と内が隔絶された世界の入り口。竜翼谷、シュテラールバレー。
「はーい」
 ヴィルが着地した場所はまさに、そんな境界線に立たされているような気分にさせられる。
 深いクレバスのような渓谷の切れ目。その向こうは湿った岩々が連なり波打って、漣の彫刻のようなシルエットをかもし出している。そこに向かい、クレバスと羊歯森とを渡す橋は木製だったが朽ちかけた様子もなく、表面に加工薬を塗られたまだ新しいものだった。
「あ、みて!」
 空を指差してミリアムは片手でエルリオの袖を握った。その指先を目で追うと同時に巨大な影が落ちる。
「え…」
 影と共に風が通り過ぎていった。帆布を翻したような音。見上げた空を巨大な翼を持った生き物が逆光の影の中、空を一瞬覆い尽くして瞬く間に太陽の光の中に消えていった。
「ドラゴン…あれがシュテラール…」
 物語ではよくドラゴンと呼ばれるそれは、学術名を有翼獣という名で分類され、その中でもシュトルに棲息するものをシュトルの人間はシュテラールと呼ぶ。
「行くぞ。ジャスミンは後で追いつく」
 空を見上げたままの少女達を尻目にヴィルは木橋を渡り始めていた。あわててヴィルの後に続き橋に駆け上がるが、足をかけた途端に大きな軋み音がした。「ひぇっ」と喉の中で小さく悲鳴をあげつつ欄干に手を沿え恐々と橋の下に広がる絶壁景を見やる。前を歩くヴィルからは体重が感じられず、木材が軋む音も一切無い。
(あの歩き方……)
 訓練されたものだろうか、それとも風によるものなのか、エルリオには分からなかった。印を発動させていなくても、彼の体の周りには常に微量の風が衣のように纏わりついている。まるで彼を守るかのように。
『アオオォォオ』
 はるか頭上で獣の咆哮を聞いて再び見上げる。遠く連なる岩山から飛び立った翼ある影。先ほどから幾度と頭上をこの影が遠くに行き来するのが見られた。肌に感じる風も、乾いた広野の地の、そしてアリタスセントラルのそれとは質が違う。湿った、というよりも重いのだ。
(翼ある竜の谷…)
 見上げれば、そこを往くのは鉄の鳥ではなく、生ける神妖の獣、そして目の前の青年は古の谷にシュテラールと共に生く民の一人。よくよくモスグリーンのコートを観てみると、セントラルではあまり見られない縁細工や襟形をしている。この地特有のものだろうかと、エルリオは思った。
「あの、ヴィルさん」
 しばらくの静寂の後、言を発したのはミリアムだった。谷の入り口からずっとエルリオの片腕にしがみ付くように腕をとって歩いている。
 呼びかけに応える代わりにヴィルは肩越しにちらりと振り返る。足は止めず、獣道に張り出した木の根を踏みしめた。
「さきほどの、列車強盗の事なのですが」
 茶色いブーツを履いたミリアムの細い足が時おり木の根に躓きかける。下を見続けて歩く事を強要される悪路だ。
「あの集団は、印保持者を狙う精霊狩りだと聞きました。私達、旅慣れていないのですが…、多いんですか、ああいう方々って」
「さぁな。宗教的な理由で人殺しをする時代遅れな集団は減っているがその代わり、「奴ら」のような集団は増えているのだから…結果的には増えているんだろう」
 また頭上で「ギャー」と獣の鳴き声が動いていった。
「あの人たちは、印保持者の殺戮目的ではないという事なのですか?」
「……」
 ヴィルの足が止まる。
「奴が使っていた武器を見ただろう」
「え」
 二人も足を止める。コートのポケットに隠れていたキューが、ヴィルの声調の変化に気付いて顔を出した。
「それから、メロウ…奴の傍らにいた娘の手首や首に付けられていた器具」
「妹…さんの…?」
 ヴィルの風が作り上げた結界と相殺作用による爆発を起こした、あの武器。そして、全てを拒んだメロウの体から発せられた電流。よく思い返してみれば、彼女の首と手首にアクセサリーだと思っていたが、金属で作られたであろう鈍い光があったのを思い出す。
「あの列車強盗の親玉が使ってた武器はただの火薬使用武器じゃないよね。ふつーの武器じゃ、天啓印や使命印に勝てるはずないもの」
 ヴィルが再び歩き始める。緩やかな坂が、険しさを増していた。張り出す木の根を階段代わりに辛うじて道として開かれている箇所を選んで進んでいく。
「あれらは全て押印技術の応用だろう」
「え…」
「真相は分からない。俺の推測だが。」
「でも」
 足をとられがちのミリアムの手をひいてエルリオは足を速めた。ずんずんと先に進むヴィルの真後ろに追いつくように。
「以前、あの武器が光を放つ瞬間、確かに模様のような物が形を現したのが見えた。あれは武器に細工をして印を施しているのではないかと思う」
「でも、「モノ」に、無機物に押印してあんな凄まじい力がつくなんて前例が…」
 ポケットから顔を出す相棒と目が合った。
「…………」
 おもむろにその白く柔らかい体をポケットから持ち上げる。大きなプラスチックの瞳を持つ相棒が、無機質な顔でエルリオを見つめていた。
「それは縫いぐるみなのだろう?」
 歩幅を若干緩めながらヴィルは背中を向けたまま歩き続ける。
「だが言葉を発し、知識を蓄えている。破壊的威力とは別物だが、それも「凄まじい力」に匹敵する成果じゃないのか」
「あぁ……そっかぁ…」
 あまりに側にいるのが当たり前で気付かなかった事をエルリオは恥じた。父親が残してくれた「お友達」。寂しさを紛らわす「話し相手」、「家族」。あまりにその存在が当然すぎて。
「お前達を谷に入れる事を許そうと考えた理由の一つが、その縫いぐるみだ」
「ぼく?」
 エルリオの手からすりぬけて、再びキューがポケットに飛び込んだ。そこから顔だけ出して前を歩くヴィルの背中をプラスチックの目が見つめる。ばれてるんじゃしょうがないと居直って声を出したのだろう。
「俺は、押印師を見たことがないわけではない。だがお前が扱うような自在押印や、無機質物に押印を施す技術、いずれもまだ理論組成段階の空論でしかなかった…そうしたものがこうしてお前によって具現している」
「……」
 新しい足音が背後から聞こえて振りかえると、そこにはジャスミンがいた。バイクはどこかに止めてきたらしい。背中にライフルを背負い、腰のあたりを見ればオートマ小銃を二挺ぶらさげていた。比較的型が新しいもので、街をあるく軍の人間が使っているのを見たことがあった。
「俺の方にもお前たちに聞きたい話が多いんでな」
「お兄さんたち、軍人なの?」
 エルリオは足を止めた。気がついて前方を歩くヴィルと、後方を歩くジャスミンの歩も止まる。警戒を含んだエルリオの声に、ミリアムがぎゅっと袖を強く握って来た。
 「自在押印」とヴィルが使った言葉は、元・軍の研究員だった父が開発した技術の事だ。エルリオが使っている、複数の押印を自在に自らに付与する事で応用力を高めたもの。その単語は父親が残した論文の中にも残っている記述だ。だが一方で無機質物への押印についての資料は何も残っておらず、手元に残された縫いぐるみのキューだけがその研究成果という事だったのであろうが、エルリオがそれに気付く由はない。いずれもヴィルが民間に出回っていないはずの押印技術について詳しいのは、おかしい。
「だとしたら、困るのか」
 背中ごしにヴィルの低い返答。
「……!」
 内臓が急激に冷めていくような感覚。よく見れば前方と後方を二人に阻まれており、逃げ場が閉ざされている事に気がつく。エルリオが身構えかけたところで肩越しにヴィルが振り向いた。口元に小さく笑みを浮かべていた。
「安心しろ。俺は数年前に退役した。そこの、ジャスミンも。」
「………」
「俺たちは軍と関わる気はない」
 ヴィルが再び歩き出す。その背を追う事に、エルリオは一瞬躊躇った。後方のジャスミンは足を止めたまま。
「エルリオさん」
 ミリアムが顔を寄せてくると、耳元で囁く。
「私、あの方を信用していいと思うんです」
「…どうして?」
「谷の入り口に来るまでの間に心を読みました」
 ミリアムを谷まで運んだのはヴィルだった。
「あ」の形に口を開いたエルリオの面立ちが、陽が差したように明るくなる。
「あの方からは、私達に危害を加えようという意図はありませんでした。ただ強く流れてきたのは、あの列車強盗への憎悪と妹さんへの思いと、それから…」
「それから?」
 急に言葉をつぐんだエルリオの頬が色づいているように見えるのは気のせいだろうか。エルリオが首を傾げていると、ミリアムは困ったように斜め後ろにいるジャスミンの方をちらりと見やった。
「………ははぁ~」
「?」
 意地悪な笑みがエルリオの顔面いっぱいに広がった。後方では、なにやら自分について話を及ばせていると気付いてジャスミンが不思議そうに首を傾げている。
「……あはは…」
 エルリオと暮らして数ヶ月。この顔をした時のエルリオが一番厄介なのだと、ミリアムには十分わかっていたのである。





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押印師ACT5-7
07

 乾燥の地、シュトルセントラルステーション付近で列車強盗。
 その報せはただちに軍の中央本部警察局にも伝えられていた。
「精霊狩りだそうです」
「なんだって?」
 警察局から車輌局鉄道部の職員に届けられた列車事故の第一報は、「精霊狩り」の四文字のために通常の事故処理ルートではなく、本部の情報局諜報部と精霊印研究局にも回された。
「乗客の証言によりますと、精霊狩りは頭領と思われる人物が一人、その配下と思わしき集団を引き連れており、頭領の名は「バスクス」と」
 アイラスがメモを読み上げる声を聞きながら、シールズは手元の書類にサインを続けていた。
「バスクス・レンバッハ。タチの悪い人身売買屋だな」
「すげぇ。前科者リストが頭に全部入ってらっしゃるんで?」
 ランドの驚嘆が混ざった声に「たまたまだ」と答えてまたサインの続きをする。
「…そうっすか」
「奴は『部品屋』の片棒を担いでいてな」
「部品屋?」
「人身売買というより、人体売買というべきかもしれない。要するに臓器や角膜といった体の部品(パーツ)を売買する目的で主に貧困層を狙い誘拐を繰り返していた」
 大量の資料を膝にのせてページをめくっていたランドの手が止まり、その横でアイラスも目端を細めた。
「そいつがなんでまた精霊狩りを」
「さあな。今更宗教観の違いで…なんて事はないだろう。おそらくそれも『部品屋』としての仕事の延長線上なんだろう」
「事業拡大…か。あ、スミマセン、悪い冗談でしたね」
 呟いてランドは肩を竦めた。だがシールズは苦笑しつつ否定する素振りを見せなかった。視線はさきほどから書類を向いたままで、ペンを握る手は動きを止めない。
「『部品屋』として印保持者を狩る需要ができたという事実は、精霊印研究局でも重く見ている。あながち悪い冗談でもないのさ。以前、とある地域の役所の戸籍科から印保持者のデータが盗まれる事件があった。可哀想に、リストにあった何人かは殺されたよ。奴らの仕業だった」
「すでにかなり組織化されているという事ですね」
「列車強盗なんて独りじゃできんな…。」
 眉をひそめたシールズの口から溜息が漏れた。だがすぐに「話しを戻そう」とアイラスに続きを促した。
「はい」と短く答えて表情を崩さない黒髪の部下は手元のメモの続きを読み上げ始める。
「どうも証言に不可解な部分が多いのです。なんでもその精霊狩りと対峙した男女二人組みと少女がおり、男は竜巻を起こし、女は銃を乱射し、少女は「何をしたかよくわからない」がとにかく強盗に立ち向かっていったと。最後は男が車輌を目茶目茶にし、強盗は去っていき、男が少女二人を抱えてどこかに「飛んでいってしまった」そうです。」
「はあ?」
 そこでようやくシールズは手を止めてアイラスを見上げた。
「面白そうなB級アクション映画だな」
 とランドがアイラスの手元のメモを覗き込む。
「証言をそのまま再現しただけだ」
 冷ややかな目でランドにそう応えた後、アイラスはシールズに向き直り再び説明を続けた。
「証言に出ている「二人の少女」ですが」
 ランドの茶々を横目にアイラスは五枚綴りの書類をシールズの机に置いた。
「襲われた列車の乗客リストです」
 シールズがペンを置き、それに手を伸ばすのを確認してアイラスは続ける。シールズの手がページを捲ると、三枚目に赤いインクでバツ印が二つ見えた。
「警察局が現場検証を行った時に、乗客リストに基づき一人一人に証言を求めたのですが、その赤印の二名がおらず、おそらく乗客の証言にあった、その男女と共に去った少女二人がそれだと推測されます」
「ふむ。マリア・ルースとセリア・ルース。姉妹か」
「ちなみにシュトル・セントラルステーション近辺で竜巻を起こす人間がいるとすれば、それはおそらく竜翼谷、シュテラールバレーの人間でしょう。谷の一族は印保持者を継承する血族です。戸籍管理局の印保持者リストでも確認済みです」
「竜翼谷…シュテラールバレー……ドラゴンと共に生きてきた一族がいるっていう話は聞いたことあるな」
 以前、軍部内のどこかでその名と話を耳に入れたことがあった。
「どこで聞いたんだったか…」
 拳で頬杖をついてシールズが短く唸ると同時にアイラスが次の書類を机の上に滑らせた。
「シュテラールバレー集落の現当主ヴィル・シュテラール・レストムは三年前に退役するまで軍部セントラルに印保持者の戦闘員として所属していた経歴があります。」
 机の上には退役軍人アーカイブから引き出してきた、ヴィルの履歴書の写しがあった。
「そうか、だからか」
 履歴書に張られているヴィルの写真を見てシールズは頷いた。かつて辺境警備局の一部隊を統括していた頃に見たことがある顔だった。明るい金髪と、黒に近い深い緑の瞳の持ち主だった。
「その精霊狩りの野郎は誰を狙って列車を襲ったんでしょうね」
 隣からランドの呟きが転がり込んできた。見ると、本人は隅で書類を整理しながら傍らに置かれたコーヒーの入ったマグを手に取っているところだった。何気ない一言だったのだろうが、それは正にアイラスが言葉にしようとしていた疑問。
「乗客リストにヴィル・シュテラール・レストムの名はありませんので、バスクスの「狩り」対象が始めからレストム氏であった事は考えにくいと思われます」
 アイラスが補足する。
「ヴィル・レストムを誘き寄せるために列車を襲ったという線も…強引なところだな。だとすると、そのバツ印の姉妹がそうか」
「ちなみに、役所の印保持者リストを調べたのですが、この姉妹の名前はいずれもありませんでした」
 無論、軍の戸籍科がその全ての数字を把握しているのではない事は、周知の事だった。
「だとすると、バスクスはどうやって標的を定めたんだろうか」
 シールズの言葉の直後、小さくコーヒーをすする音がして、カップに口をつけたままのランドの呟きが割り込んできた。
「ちょっと思いついたんですが。ミリアムはライザ皇室が継承してきた印の保持者っすよね。その姉妹が偽名つかった偽姉妹でセントラルから郊外へ逃亡中の指名手配中の小娘二人なんて都合のいい話はないっすかね、ははは。あ、だとするとそうやってバスクスがそれを知ったのかが説明できないですけど」
「………」
「………」
「………ん?」
 手に書類を持ったまま動きを止めて目を丸くする上官と同僚の異変に気付いてランドはカップから口を離した。パターンとしてこうした「気まずい静寂」の直後にアイラスの口から冷たい視線と共に突き刺さるようなつっこみという名の反論が吐き出されるのだが、今回は予想に反してアイラスの面持ちは平常だった。
「可能性として」
 とアイラス。
「『鍵』はエルリオ・グレンデールの手に渡りました。それを求めてミリアム皇女が行動するとすれば、この両名が遭遇する確率は極めて低いものの動機が存在する限りゼロとはいえません」
 アイラスの言葉を聞きながらシールズが頷く。
「アリタス国内でミリアム皇女が動けるだけの人脈ルートや力があるとは到底思えないが…だが「精霊の印」がもつ我々には理解の及ばない「力」の可能性を思うと…あながち侮れないところがある。『鍵』が何なのかもわかっていないしな」
 言いながらシールズの視線がアイラスを向いた。
 常に片手に手袋を着用しているアイラスの手の甲には、印が刻まれている。いつの頃からから、体に現われた印だった。
「諜報は情報が命。可能性がゼロでない限り動くのがプロってもんだ。念のため事情をうかがいに谷に人を派遣しよう」
 どんな意見も退ける事なく聞き、そして決断が早い。そこがこの大佐の部下から慕われる所以であった。噂には聞いていたが、あまりの即決に驚き、アイラスとランドは寸時顔を見合わせた。
「わかりました。…で、誰を派遣しましょう」
 はたとアイラスがシールズに向き直る。
「下手に事情を知る人間を行かせないほうがいいだろうな」
 悪戯が見つかった少年のように、シールズは肩を竦めた。
「普通に事情聴取として警察局シュトル支部に所属している若い奴で使えそうな奴と、そうだなぁ、ヴィル・レストムと接触経験のある人間を一人、探しておいて派遣要請の手続きをしてくれ。元部下か同僚が望ましい」
「了解しました」
 答えると同時に敬礼し、アイラスは資料室に向かうために踵を返した。






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押印師ACT5-8
08

 軍人というのは存外、一部の部局を除いて勤務時間の大半をデスクワークに費やしている者も少なくない。書士志望のアリサのような非戦闘職務下士官の場合は、戦争中でも実戦を行う事はほぼ無い。
「アレックおつかれさま~」
 そうアリサに資料室で声をかけられたアレック・スタインウェイも、そんな非戦闘職務下士官の一人だ。毎日毎日を紙と過ごすところが二人の共通点だった。士官学校の同期生でもある二人は就職後もよく資料室で顔をあわせる。
「やぁ、アリサ」
 窓からの光を浴びながら振り向くアレックは、両手に巨大な図面を広げていた。一方のアリサも両手に本やファイルを抱えており、いつもの二人は今日も同じ場所で対面する。
「それは、どこの地図?」
 机の上にはテーブルクロスのように大きな地図が広げられており、景色を写した何枚かのポラロイド写真が無秩序に置かれていた。これらがアレックの仕事道具だ。
 アレック・スタインウェイ。情報局に所属する製図士。主な仕事は地図を作る事。
「ベリア山地周辺だよ」
 両手の荷物を開いた本棚に置くと、アリサは地図の上に無造作に置かれたポラロイド写真を手にとった。赤茶けた山々、麓の湿地帯と獣道の写真など、様々な風景が写されていた。
「あら…でも確かその周辺の地図は最近作り直したばかりって聞いた覚えがあるのだけど?」
 士官候補生から制式に下士官として情報局に勤務するようになって最初の大きな仕事がベリア山地地図の再製図任務だったとアレックから直接聞いた覚えがあったのだ。
「あのあたりはつい最近、ちょっとした戦闘があって、少し地形に変化が起こったんだ。強い武器や印の力は丘を吹き飛ばしちゃう時だってあるしね。そしたら地図からも丘を消さなきゃいけないんだ」
「あらら、なるほどね」
 机の上の地図にはあちこちに書き込みが見えた。
 貼り付けてあるメモには、季節による地形の些細な変化や景観の変化について細かく記されているものもある。
「今は国同士の大規模な戦闘がそんなに無いから、地図を整えるには絶好の機会だし。」
「…「今は」って、やっぱりディノサス共和国の動きが怪しいっていうのは、本当なのかな。アレックも聞いてる?」
 下士官が得られる情報は市井とそうレベルが変わらない。ライザ帝国間との戦後処理に一区切りついたところで実しやかに流れている噂。次の大国ディノサスの動きを警戒する国民は多かった。アリタスとの戦争に敗れ、帝国から民生国家に生まれ変わったライザでさえ、アリタス軍部はいぶかしんでいる。
「アリタスは地理的に大陸のちょうど中心にあるからね。周りは全部敵なんだ。ディノサスに限らず、大陸にあるすべての国に用心するにこしたことはないと考えてもいいと思う」
 端に折りたたんであった大陸地図を広げる。中央、指差した場所にARITASの文字がある。
「アリタスには岩盤地帯が多くて、要塞に適した地理的条件を満たした場所が多い。ACCの軍本部も、丘の上に位置しているから敵が万が一都市に攻めてきても動きを見渡せるんだ。外見上はわからないけど、ちゃんと要塞仕様になってる。昔、首都だった聖地グレリオからいまのACCに首都機能が移動したのも、戦略的意味から、国を軍事国家として立国した初代の総統が定めたものなんだ」
「ふむふむ」
「でも都心に敵が入ってくる確率は極めて低いけどね。各辺境地が全部要塞が連なったと同じような形になっているから、たいていは国境近辺で退けられる。それにアリタスを囲む地理条件は厳しくて、水と山が囲んでる。アリタスから外は見渡せるけど、逆は難しいんだ」
「ということは~」
 アリサの指も地図の上に置かれ、アリタスを囲む大国の上をなぞる。
「アリタスは国全体が巨大要塞都市みたいなものなのね」
「そう。だから列強がアリタスを狙うんだ」
 アリサの指が辿ったと同じ筋をアレックの指も辿り、最後にまたARITASの文字の上で止まった。
「列強が他国に侵攻するには、地理的にどうしてもアリタスを経由する必要がある。」
「どういうこと?」
 地図をみながらアリサが首をかしげた。
「例えば、」
 とアレックの指が西のライザを示す。
「ライザがディノサスに侵攻しようと目論んだとする。そうすると、アリタスの存在が邪魔をして、北側に大きく迂回する必要が出てくる。これはディノサスがライザを侵攻しようとした場合も同じ。しかも間に海から差し込むアノス海峡が走っているし、アリタスは北方にも領地を延ばしているから、かなりの迂回が必要だ。極地を進軍させるには莫大なリスクが必要になる上に、北の最果ての国ヴェルェーをも攻略する必要が出てくるからその負担は計り知れない。」
 ちなみにアノス海峡は、地図に「海峡」と名が記されているものの地理学的には「大河」にあたる。だがその渓谷ダムのような深く、そして対岸が見えないほどに巨大なそれは、湖とも海とも分類するのは難しく、「海峡」と愛称のようについたものだ。
 一方で南を迂回したところで、南にはライザやディノサスに継ぐ発展国の一つ、サウザリアン民主国が構えている。
「………という事は」
 手持ち無沙汰にしていた両手を胸の前で組んでアリサはテーブルに身を乗り出した。
「ライザ、ディノサス、ヴェルェー、サウザリアンのいずれかがアリタスを制圧したと推定すると…各列強への侵攻が容易になる…って事?」
「そう!」
 少年が物語に興奮するように、アレックが手を鳴らした。
「こうした地理的状況もあり、いま列強各国はほぼ国交がない状態にある。どこか一国がアリタスを制圧したとなれば、残りの列強が協力して一国を叩くなんて体制はとうていとれない。国交を持とうにも、やはり地理的にアリタスが邪魔をするんだ。」
 だから、
「いまアリタスが崩れたらかつてない規模の大陸大戦争が起こるってことだよ」
「……………ふわぁ……」
 あまりに大規模な話にアリサは面食らう。己が生を受けた国がそれほどまでに重圧を背負う運命にいるのかと、水をかけられたような感覚がした。そして軍人としての責任の重さにも、気がつく。
「あ、ごめん…アリサ」
 急に神妙な面持ちになる友人の変化に気がつき、アレックは両手を顔の前で振った。
「あくまでも地理学的にそういう可能性があるね、って話しだから、気にしないで!それに全部情報部の先輩たちのウケウリだから!軍事オタクが多くてさー、それはぼくも含めてなんだけど」
 それが小さい子供が懸命に言い訳をしている姿のようで、アリサは思わず笑いを洩らした。
 アリサの様子に安堵を覚えながらアレックは大陸地図をたたもうとテーブルに手を伸ばした。それをアリサが止める。
「今のジスノラン大陸は、あやういバランスの上に辛うじて平定が保たれているってことなんだね。執政院は、東西南北の列強との国交政策は考えないのかな。和平交渉とか」
 執政院は別名「元老院」とも呼ばれる場合があり、アリタスの国主はフューリー総統だが、国の政策機関として据えられているのは「執政院」であり、この執政院の決議の妥結権と執行権を持つのが、総統である。
「さぁ…だって、なにせ言い方を変えると、」
 アレックの言葉と同時に、背後の扉が開く音がした。
「アレック、いるかぁ?」
 聞き覚えのある上官の声が飛び込んでくる。片手にこちらも大きな紙巻を抱えた尉官だ。
「は、はい!ただいま」
「諜報部の大尉殿がお前を探しているようなんだ」
「諜報部の…?なんだろ…」
 「ごめんね」とせわしなく言い残してアレックは声がした方に駆けていく。廊下への扉の前で上官に敬礼するアレックの後ろ姿を見やって、アリサはその背中に「バイバイ」と心の中で手を振った。
(「言い方を変えると」…?なんだったのかしら)
 幼馴染が言いかけた言葉を噛み砕きながらアリサは机の上に乱雑に置かれたままの地図を折りたたむ。
「…」
 ふと気になり、アリサは近くの丸椅子を引き寄せて腰掛けた。テーブルに広げられた巨大な地図を眺める。無造作に置かれた写真とたくさんのメモ用紙、テーブルの上にクロスのように広げられた地図に書き込まれたたくさんの手書きの文字。これは全てアレックによる仕事。これだけの細かい仕事をする製図士をアリサは他に知らない。
「うーん、悪い癖だわ」
 こうやって乱雑に置かれた「情報」の断片を見ていると、書士志望としては手と頭が動かざるを得ないのだ。
「ちょうど暇だし~…だいたい、こんな乱雑状態じゃ思考だって纏まらないし~…重要なメモまで捨てかねないわね、うん」
 と様々な言い訳を己に言い聞かせながら、アリサはちょうど余っていた空のファイルを両手に構えたのであった。

「ヴィル・レストム中尉……」
 呼び出しを受けて諜報部の一角に入出すると、ジョシュ・シールズ大佐を筆頭に情報部の中でも名前をよく聞く組み合わせの面々がアレックを待ち受けていた。ジョシュ・シールズ大佐、アイラス・ウェーバー大尉、ランド・ブライトナー大尉である。
 そこで耳にしたのは、かつてアレックが辺境視察のために従軍した際の上官、元中尉のヴィル・シュテラール・レストムの名だった。
「はい!覚えております!たしか風を起こす事のできる天啓印をお持ちで」
 気後れしないようにとアレックは背筋を伸ばして敬礼する。
「レストム中尉の事で、何か…?少し前にご退役なされたと思うのですが。」
「実は現在レストムが在住しているシュトル方面で列車強盗事件があってな。乗客から彼が事件現場に居合わせたという情報があって」
「え!」
 大きいリアクションに逆にシールズが驚いて、組んでいた両手から顔を離した。
「あぁ、容疑者としてではないのだ。目撃者、参考人として事件の様子を聞きたくてね」
「そうでしたか」
 明らかに安堵した面持ちでアレックは微笑む。やれやれと言わんばかりにシールズは傍らのランドを呼んだ。その手から書類を受け取ると一通り目を通した後にアレックに差し出す。
「シュトル・セントラルでまず、シュトル支部警察局のイリオン少尉と合流し、竜翼谷に向かって欲しい。聞き込みはイリオン少尉が行うので、君はそうだな、その辺の視察も兼ねて供をしてくれ。ついでに昔馴染みの上官だ、軽く挨拶でもしてきなさい」
「…はぁ」
「任せたよ。では行って来なさい。職場の上官にはもう伝えてある」
 士官内定から二年目のまだ幼い下士官の、小さな疑問符を面持ちに浮かべている様子にシールズは構うことなく笑みを一つ作ることで命令を了承させた。
「はい!」
 恭しいがぎこちない動きで書類を受け取るとアレックは大きな歩幅で部屋を去っていった。
「なんでまたあの坊主を?」
 威勢のいい足音が遠ざかるのを待ってランドは素直に疑問を口にした。
「製図士の観察力をナメるもんじゃないぞ」
 明らかに企みを含んだ笑みを口元に表すシールズ。以前任務で目にしたアレックの手による地図のきめ細かさに、賭けてみたのだ。無論、士官二年目の新人に過剰期待はしていない。なんでもいい。些細なきっかけでもいいからその目に入れてきたら万々歳だ、その程度で良いのだ。





ACT6-1 聖地の刻印 ⇒
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押印師ACT6-1
ACT6 聖地の刻印

01

 グレリオはかつて「聖地」の冠がその名に付与され、如何な勢力の干渉も受けぬ中立地帯という意義を預かっていた時期があった。歴史書ではなく、古典に記された半神話性の史端である。精霊神を奉ったアリタスで最も古いとされる大寺院が建っており、神話では精霊神が天より地上へ降り立つために、五つの大陸それぞれに雲上を越える塔を建てさせたと記されている。
「もっとも、そうした由来をもつ大寺院は各国にあるそうですがの」
 言って長は苦笑を流した。
「終戦後に任務で訪れたライザでも目にしたことがあります。」
 誰に返すでもない男の声がその後に続く。イルトの前方を歩く英雄の名を持つ男、グレン・イーザーだった。未だにイルトの心は半信半疑、というより一信九疑とでも言った方が良い状態ではあるのだが。
「村一つ分の面積に匹敵しそうな広大な敷地は国立公園となっており、その中央に塔跡とされる遺跡がありました。遺跡を中心に四方に遊歩道が築かれており、その道沿いには様々な神話を象った彫刻や銅像などの芸術品の類が並んでいました」
「まるで観光地ですね」
 呆れた、とばかりに苦笑するアムリに「その通りでしたよ」とグレンは微笑とも苦笑ともとれる笑みを向けた。その隣を歩いていたイルトと、視線がすれ違う。
「『本当かよ』って言いたそうな顔だね」
「え……っ」
 図星を突かれてイルトは思わず足を止めた。それを見やりグレンの目端が細くなる。口元に、今度は明らかに「笑み」が浮かんでいた。
「あ…く…っ、当たり前…だ」
 泳ぐ視線を必死に繋ぎとめようとしてイルトは余計に動揺を力いっぱい表現してしまっている。それ以上の抵抗は諦めて一つ大きなため息と供に顔を下に向ける事で逃れようとした。
 一行は屋敷を出て防人の墓苑へと向かっている。墓苑は村の中心地から外れた西の薬草園の奥にある。先祖が築いた石垣の山道を登り、まるで戦禍のように点在する遺跡の欠片が導く丘を越えなければならない。ここまで来ると、村全体を高みから見下ろすほどの高地となる。村を流れてきた風が足元から吹き上げてくるように、下を向くイルトの顔を撫でていった。
「……え」
 何かが目の前を過(よ)ぎっていった気がして、イルトは顔を上げた。
 赤い何かが、翻った。
 目の前にいる後ろ姿、その向こうに広がっている景色は岩の村落ではなく赤黒く燃え上がる森、そして熱が空気を巻き上げるように上昇させ、裏地が真紅の外套が悶え苦しむ命の如く激しく踊り狂っている。
 シルエットでしかないその人影が、何かに気がつき横を見やる。
 明かりに照らされた頬、浮かび上がる顔のライン、暴れる風の中で微動だにしない落ち着き払った濃色の瞳がこちらを向き、直後に頭上から―
「っ危な…!」
「イルト?」
 アムリの声と同時に全ての紅が瞬時に消失した。
「っは…」
 最初に目に飛び込んできたのは、わずかに瞠目してこちらを見やるグレンの顔、そして、その肩を掴む自分の右手。
「………あ…あれ?」
 分けが分からず、喉から出てきたのはそんな上ずった声だけだった。
「どう…したの…?」
 隣からアムリの戸惑う声が遠慮がちに聞こえてきて、ようやく周囲の景色が見えるようになる。そこは真紅の世界ではなく、緑の色彩と灰色の色彩が半々の世界。風は穏やかに吹いていて、暑くも寒くもない緩慢な気候。
「………」
 グレンの肩から手を放す。その手を見る。まるで自分の体の一部ではないような、別の生き物のような。指先を自らの意思で動かしてみて、確認する。確かにそれは自分の手なのだと。そしてまた前を見た。
 赤いマントなどありはしない。目の前を歩いていたのは、長とグレン。長は白い長衣を身にまとい、グレンはベージュを基調としたグレリオの民装を纏っている。ちなみにこれは、シャツ一枚では肌寒いからと、長が用意させたものだった。
「ね、本当、どうしたの…?」
 アムリの手がイルトの肩に触れた。
「ごめん、よくわからないけど…なんでもない」
 頭の中が掻き回されているように、ぐるぐると眩暈がした。それを振り払うようにぶるりと一度、頭を振る。
「何かが見えていたようだの」
「え…」
「墓苑から漂う強い霊力の影響かもしれん」
 言いながら、長はゆっくりと、踵を返す。再び墓苑に向けて歩き出すと、足を完全に止めていた面々も少しずつ、また墓苑に向けて歩き出した。
「………」
 その中でグレンだけが足を止めてイルトの様子に沈んだ目の色を向けていたが、数泊遅れて同じようにまた墓苑に足を向けた。
 死者が奉られる場所には、長い年月をかけて蓄積された霊気が力となり、生の世に様々な影響を与える事がある。それは一般的に霊力と呼ばれる。精霊がもつ力とも異なる、超常的存在の一つだ。
そのために、神事でない限り人々がこの墓苑に近づく事は許されていないのだ。グレリオでは未成人の立ち入りを禁じており、墓苑に奉られた者の親族といえども子供は立ち入りが許されておらず、アムリはこれが数回目だが、イルトにとっては初めての墓苑参りなのだ。
「何が見えていたの…?」
 隣から囁くように、アムリが耳打ちしてきた。
「……よく、わからない」
 そう答えるしかできない。
「そう…辛かったりしたら言ってね」と柔らかく微笑んでアムリは「あなた体は大きいけど、意外とよく風邪ひいたりしたもの」と悪戯っぽく言い残して再び前を向き直った。
「なんだよ」と苦笑で返してイルトも前を向き直った。
 遺跡の小道を通り過ぎると、菩提樹園があり、その先に石造りの墓苑の入り口がある。イルトの目線からは菩提樹の向こうに石柱の頭が見えかけていた。
 視線を再び前方に向けると、
「……?」
 匂い立って来るような砂嵐が吹きぬけた。グレリオ一帯にはありえない、黄砂。
「っ…」
 足元がズブリと沈む感覚。体が重たい。まるで、砂に足をとられているような。恐怖さえ感じて闇雲にあたりに視線を巡らせると、目を眩ませるほどの強い光が一瞬、輝いた。風が吹き抜けて、黄砂の幕を横に押し流すと、そこに人影が二つ。
「な…」
 強い風に裾がはためくコートか外套を纏う人影と、それを狙い真後ろに迫り来る人影、光の輝きは巨大な刃が振り上げられたもので―
「………!」
 一瞬の強い眩暈の直後、また黄砂の風景は消えうせた。足元を捕らえる砂もない。あるのは固い土と、岩盤と。
(……父さんか……?)
 心臓がうるさく高鳴っている事に気付く。油染みたような重たい汗が頬を伝う。右前方を少し見上げると、菩提樹園の向こうに石造りの門が見えた。まばらに点在していた遺跡が一つになったような、そこに一つだけ荘厳たる姿で建つ、墓苑の祠。
 よく晴れているというのにその周りだけ、空気が霧に霞んでいるように見えた。
 人工的に並べられた石畳が一行を出迎える。
(……俺に何を見せようとしてるんだよ………)
「っは…」
 ひときわ大きく、心臓が波打った。呼吸が止まり、苦しさに目を瞑る。すぐにまた両目を見開くと、そこは水の見える風景だった。
「今度は何だよ…っ」
 素早く辺りに視線を泳がせると、また目の前に人影があった。イルトに気がつき、振り返る。動きと共にコートの長い裾が外套のように揺れた。軍服と一目で分かる出で立ちだった。イルトに気がついた人物は目深に軍帽を着用しており、逆光で見えにくいが露出している口元は確かに笑いかけている。
『――だ……ズ』
(…?)
 何やら話しかけてくる人影の正体を知りたくてイルトは目を細め、その言葉を聴こうと一歩近づいた。
『……イズ?』
「?!」
『疲れたか?ライズ』
 その声は確かに父の名を呼び、微笑みながら軍帽を取ったその顔は、
「グレン・イーザー…」
 すぐ目の前を、背中を向けて歩いていたはずの男だった。
「なんでこんな…」
 言いかけたところで全身に強い揺れを感じた。足の直下から蠢きせりあがって来る地響き。軍服の男グレンの手から軍帽が落ち、イルトの目が一瞬その動きにとらわれた瞬間に、それは起こった。
「な…!」
 すさまじい轟音に弾かれるように顔を上げると、グレンの真後ろの水面が異様な盛り上がりを見せたかと思うと壁を突き破るかの如く破裂し、何かが姿を現した。「人」とも「獣」とも違う、黒く巨大な異形の何か。
 指一本さえ動かそうとする前に、水が風のように空気を撓る鋭い音が響いた。
「あ…っ!」
 視界にぱっと赤い水滴が破裂する。散り行く枯葉のように刻まれた緑の布地が宙を散乱した。その中でグレンの体が一度大きく揺れ、後ろに傾いだ。
 赤い水滴が弧を描き、軍帽を手にしていた左手が宙空に彷徨い―
「やめろ!」
 叫んだ。
「………イル…ト?」
 我に返ると今度は、灰色の石畳が目の前にあった。アムリの声が頭上から降ってくる。
「…………」
 疑問符を口にするのも鬱陶しくなり、イルトは無言で顔を上げた。どうやら両手を石畳について地に膝をついていたらしい。
 子供のとき、怖い怖い夢から目覚めた瞬間のようだ。首や背中が汗で濡れている感触がする。過呼吸で喉がひゅーひゅーと音を漏らしていた。アムリの手が背中をゆっくりと摩ってくれている。顔を上げた視界の中では、長もイルトに歩み寄り、そしてさきほど幻の中で血を散らした男も、今は軍服ではなくグレリオの装束を纏った姿で眉根を顰めてイルトを見つめていた。






ACT6-2⇒
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押印師ACT6-2
02

「く…」
 かぶりを振って立ち上がると、汗は引かないが眩暈は消えていた。直線上に、グレン・イーザーの姿が見える。イルトは一歩、彼に近づいた。
「あ…」
 背中に当てられたアムリの手が離れていく。
「いたんだ」
「?何が…」
 それが、イルトがまっすぐ見据える先にいる人物グレン・イーザーだと分かる。
「墓苑が見せた幻にあいつがいたんだ…、軍服を着ていた。俺を、『ライズ』と呼んでいた、それで…」
「あなたの事を父さんの名前で…?」
 軽い驚きが混在したアムリの声。
 それを背中で聞きながらイルトは更に歩をすすめてグレンに近づいた。数歩前方にて無言のグレンは、微動だにせずその様子を見ている。
「あんた…」
 呟きながらグレンにまた一歩、近づいた。血の匂いがしないか、くんと鼻で一息吸い込む。息をしているか、胸郭あたりを見る。鼓動で僅かに動いているのを見止めて何故か安堵する。
「生きてるよな?」
 グレンは一瞬戸惑う面持ちを見せたが、寸時後にはまた表情を戻して頷いた。
「……生きているよ」
「イルト…何言って…」
 再び背中にアムリの手の感触。ぬくもりを持った掌のはずが、汗で濡れた背中に衣服が密着して、冷たい感触がした。
 グレンとイルトの間で足を止めていた長は、一度イルトの目を見やった後、再びグレンを振り返った。その視線を受けてグレンは深く、深く息を吐いてから頷いた。
「くるかい?」
 体を半分墓苑の方角に向けてグレンが問うた。徐にあげた腕が指が、墓苑の入り口を指し示す。
(……!)
 風に翻る外套、コート。光を反射させて輝く徽章。目深に被られた軍帽。白手袋が覆う指先が指し示す、「道」。開かれた口が、命を下す。
 また一瞬現われて、そして去っていった幻。だけど逆光の中に立つ男のシルエットはそのままそこに、存在している。
「…行く」
 短く応えて三度、イルトはかぶりを振って歩を進めた。
 父がそこで、待っているのだから。

 石柱の門をくぐると、まだ野外であるにも関わらず空気が急激に冷えていくのが感じられた。砦のような厳しさのある祠の入り口は重たそうな石の門が口を閉じており、開け口に小さな円陣らしき模様が描かれていた。
 長に促されてアムリが門の前に立つ。掌を印の上に掲げると、焼け付いたような色の印がアムリがかざした掌の印と同調するように光を宿らせた。
 石と石が擦れ合う重たい音をたてながら石の扉が左右に道を開けて一行を内部へ誘う。入り口から長い一本道が続いていた。両側は石壁で、壁に蝋燭による灯り挿しが点在しており、長とアムリが通り過ぎていくごとに一本、一本と灯りが自ずから灯りだす。グレリオの継承者を迎え入れている証だ。
 死者の眠る祠と聞き湿気た黴の匂いを覚悟していたのだが、空気は冷たく澄んでいた。幻を見せていた霊力の霧も内部には見えなかった。一息吸い込むごとに体内の血液が浄化されるような、そんな清さに溢れている。
 文様が刻まれた壁や柱を抜け、階段を下り、幾つかの扉を越えた先に広いコロシアム(円)状の部屋へと出た。中央に巨大な戦士像が置かれている。グレリオが聖地とされていた時に防人として聖地の守護師を司っていた人々の魂を敬い鎮めるためのものだという。
 像は、戦闘装束に身を固め、両手に長い一本の棒を携えていた。聖地で刃物を携帯する事は禁示とされていたために、グレリオ周辺では棒術や体術が発展し、防人達はそれらを極めた武人だったと。
「…?」
 この部屋に一歩足を踏み入れた途端、イルトは異変に気がついた。
 急に空気が「濃く」なったのだ。
 墓苑までの道のりで感じた「靄」の姿はなく空気は透明さを保ったままなのだが、肌に触れる気の重さはまさにそれと同じだ。
 外界からの音は一切が遮断され、ただ複数の足音だけが澄み切った空気を伝い、一音一音響き渡る。それが、一歩進むたびに音に変化が現われ始めた。
「……なにかしら」
 違和感に気付いてアムリが高い天井を見上げる。イルトは広い部屋の壁に視線を一巡して、それから長やグレンが戦士の像を見上げている事に気がつき、訝しげに己も像に視をやった。
 空気が色づきはじめる。
 部屋の隅々から沸き立つ泉のように、黄金に輝く霧の塊が生まれていき、いつしか部屋を満たしていた。まるで、彷徨う御魂のよう。
「……く…」
 小さくくぐもった声に振り向くと、胸元を押さえて背中を丸めるグレンがいた。
「どうし…」
 言い終わらないうちに胸の襟元を握り締めたグレンの手元が輝きだす。小さな光が瞬く間に部屋全体を包み込むかのように広がり、無碍に近づく事もできないほどの皓光となる。イルトは辛うじてあけていられる目で必死に光の中心にいるグレンの様子を見ていた。
 徐々に弱まる光とともにグレンの面持ちからも苦悶が薄れ始める。手で抑えている箇所が丁度、心臓の真上あたりだなとイルトは思った。
「ライズ…」
 前方を見据えるグレンの口が、父の名を呼んだ。
「えっ…!?」
 弾かれるようにそちらを振り向くと、グレンが放つ光と墓苑に漂う霊力の霧が融合する中に人影が見えた。人影というには、あまりに朧なそれは、でも確かにその場にいる人間が知る顔だった。
「父さん…!」
 悲鳴にも近い、アムリの声。
 上背のある体躯、グレリオの防人が着用する猛々しい装束。だが幻灯機が映した映像のように、ゆらりと空気の中に揺れる父の幻影は、柔らかい微笑みを湛えていた。
 グレンが一歩、踏み出す。
「戻るのが遅くなってしまったんだ。――…悪かった」
 静かにそう告げる。
 父は微笑みを湛えたままゆっくりと首を横に振って応えた。
「幻じゃないの…?あれは、父さんそのものなの?」
 その光景にアムリが長の腕に縋った。
「御霊だよ、アムリ」
 その手に自らの手を添えて長は頷いた。
 ライズの口元が動いた。声は聞こえないが、何か言葉を発している。それに頷くのはグレンだ。彼には聞こえているのだろうか。イルトは知らぬうちに唇を噛んでいた。
「私は、生きているよ」
 何回かのゆっくりとした頷きの後、グレンはこう応える。

―あんた、生きてるよな
―生きているよ

 墓苑の前で交わした会話を思い出す。
(父さんも同じことを?)
 グレンの言葉に安堵したのか、幻のような姿の父は最後にまた、ゆっくりと頷いた。グレンもまたそれに応えて頷くと徐に背後を振り返った。
 それにあわせてライズの視線も動き、確かにイルトとアムリと長とを、見た。
「父さん…」
 圧倒されるほどに溢れる光の渦の中心から微笑みかけてくる父に、グレンを除く人間は近寄る事ができなかった。「赦されない」のだと本能的に体が悟っているのか、歩を進めることができない。
 グレリオの聖地神事の掟にも定められている。生と死の境界に両者が踏み入る事は赦されず、それは神と精霊、そしてそれらに赦された者のみが触れること叶うもの。
 生と死の境界で意思を交わした彼らは、それが赦されているというのだろうか。少し飛び出せば手が届く距離に記憶の中に残るそのままの父親がいるのに。神の理が持つ残酷さを前に無力な存在は唇を噛むぐらいしか抵抗する術がない。
「……――。」
 ライズの口が、また何か言葉を発する形に動いた。その瞳が長を向く。
―父上、アムリ
 その口は確かにそう動いた。続いてまだ何か言葉を向けているのだが、それは読み取る事ができない。
「…『お役に立てなかった事をお許しください。グレリオを頼む』…と」
 グレンの声。それがライズの言を代弁しているのだとすぐに気付く。
「と…うさ…ん…」
 長の袖を握り締めたままアムリは声も体も小さく震えていた。深色の瞳に涙が浮かんでいる。一方の長はただ黙ってその言葉を聞いていた。最後にゆっくりと一度頷くとライズも満足そうに笑む。次にその深い瞳がイルトを見やった。

 ―イルト

 ライズの口元が確かに自分の名前を形どったのがはっきりと分かった。動かない足に苛立ちながらイルトは必死に目をこらした。墓苑への辿道で父が自分に見せた幻影の意味を、知りたい。
 光の中でライズの右腕が上がった。酷く緩慢とした時間の流れの中、光に包まれた父親の御魂は天にむけ右手を掲げる。頭上まで挙げられると同時に背後に建つ戦士の像にも異変が起こった。
「像が…」
 像の上辺、像が手にしている細長い棒が淡い光を発し、そして直後には消えうせた。像は素手の状態となる。
「え…」
 気がつけばそれは棒状の淡光として、上に掲げる父の手の平に収まっていた。それをイルトに向けて、差し出した。
「っと…」
 がくんと体が前に転びかけた。地面に縫い付けられたように動かなかった両足が突如動き出し、ライズに向けて歩を進め始めたのだ。
 これが自分の意思によるものなのか、それとも父の力によるものなのか…―
 イルトには分からなかった。






ACT6-3⇒
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企画【登場人物の名前募集!!】
皆様初めまして、北野と申します。

おかげさまで少しずつアクセス数も増えておりまして、
作品を読んで頂けているのだなぁと嬉しく思っている今日この頃です。

今回、おこがましいのですが、
「企画」と称して皆さんにお願いしたい事があります。
この物語、とにかく長くて登場人物もいっぱい登場する予定です。
何が大変かと申しますと、
ストーリーはだいたい考えてあるから良いのですが、

登場人物の名前を考えるのが大変!

という事です。
かといって、某ドラゴ●・ボー●の先生のように、身の回りにある物の名前をもじったりするのはちょっと…(失礼)なので自分で一生懸命考えているのですが、なかなかカッコイイ、カワイイ音の名前というものはすぐに思い浮かばないものです。
そこで、皆さんにぜひ、名前を考えていただきたく!お願い申し上げます。

次のようなキャラクターが、ちょっと先に登場する予定となっています。
ぜひ、彼らに名前をつけてあげて頂けないでしょうか?


新登場人物:1人目 遭難青年(仮称)
性別:男
年齢:20代前半
職業:とある国の軍人。海洋調査員
外見:海上訓練を受けていた為、体型はしっかりしている
性格:でも内面は学者肌で努力家
登場シーン、立場:
 海洋調査中、沖にて軍船が難破して遭難。奇跡的に一人だけ生き残るが、流された先は言葉が全く通じない異国だった。海辺の小さな村落の住人が、流れ着いた彼を助け保護する。ある理由で国へ帰れない立場になってしまい、慣れない異国で苦労するが持ち前の性格で馴染んでいく。

新登場人物:2人目 女医(仮称)
性別:女
年齢:20代半ば
職業:医者。副業で押印もする
外見:?
性格:村の人々に慕われている「お姉さん」的存在
登場シーン、立場:
 流れ着いた遭難青年を看病する。言葉の通じない彼と意思疎通を試みて、国に帰れなくなった彼の面倒を見ることになる。


外見について詳しくは書いていません。
それは、お名前を付けてくださる方のご想像にお任せしたいと思います。
もし細かい外見設定などもお考えでしたらぜひ教えて頂けると嬉しいです。




☆ご応募方法

締め切り=4月30日

フォームから、ご応募をお願いします。

記入内容:
(1)人物(1 or 2)
(2)名前
(3)備考(外見とか、その他補足)
((4)もしよろしければ作品のご感想も一言頂けたら幸いです)




あまり難しく考えずに、お気軽にご応募頂ければウレシイです!
今後とも、「英雄の屍」をよろしくお願いしますm(_ _)m
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北野
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押印師 ACT6-3
03

 最初の数歩は、抗いがたい力を感じた。
 次の数歩に、己の体を任せてみる。
 最後の数歩は、確かに自分の意思だった。
 浮遊したような夢現な感覚が醒めた時、気がついたらイルトは父が差しのばす手に自らも手を伸ばし、光に包まれた指先に触れた。
「!」
 突如発せられた凄まじい光に目が眩み、イルトは両腕で思わず顔を庇った。全身に降り注ぐ光には熱さえ感じられる。ビリビリと電気が走るように体中の空気に触れる部分全てが痺れる。それが次第に体の中心に集まるような感覚がしたかと思うと、強烈な胸の痛みに襲われた。
「っつ……!」
 堪らず胸を両手で覆い隠して背を丸める。背後でアムリが叫ぶ声がした気がしたが、それさえも全身を包む光の束が掻き消してしまうよう。
「ぁあああ!」
 胸元を押さえていた右手に燃えるような熱が走った。肉が焼け焦げる音がすぐ耳元で響く。強張った指先が凄まじい痙攣に襲われ、自分の体ではないように無秩序に暴れた。

 ―抑え込め!

 頭の中で声が響いた。
「!」
 目を見開くと、右手が紅い焔に包まれていた。それを左手で包み胸に抱きこんだ。
「鎮まれ!!」
 飲み込まれそうな己への恫喝。
 その瞬間、光が消え去った。
「…………」
「……――…一体…」
 装束の袖で顔を覆い隠して座り込んでいたアムリが顔を上げると、先ほどまで爆発しそうに空間中で暴れまわっていた光の渦は完全に消え去っていた。始めにここへ足を踏み入れた時と同じ、淀みなく涼やかな空気。耳鳴りのように響いていた音も消えて、自分が発した弱々しい声が天井に響いて大きく聞こえた。
「イルト…!」
 視線の先にいる弟は、己の右手を眺めて立ち尽くしていた。その近くにいるのは、グレン・イーザー。面持ちに無を宿したままイルトの様子を見つめていた。
 父の気配はもう、無い。
「………姉さ…」
 アムリの声にイルトが顔を上げると、背後で新しい物音が響いた。
 重たい石が擦れ合う音。
「?」
 音の方に首を傾げると、そこには巨大な戦士の像。音の正体を確かめようと見上げると、
「え?」
 その手には無いはずの剣が握られていた。
 聖地グレリオの防人が決して手にしてはならなかった、刃が。
「な、なんで…」
 如何な理由があろうと、神は聖地の防人に刃を携えることを赦さなかった。背命した物は例外なく防人の資格を失い只人とされる。そんな防人の像が、素手であったはずの手が、刃を掲げていたのだ。
「う、嘘…」
 誰の耳にも再び、石が擦れる音が響き始めた。
 それに重なるようにアムリの小さな悲鳴。
 刃を手にした防人像の腕が、体が、足が、それぞれが僅かに錯覚のように動いた。次の瞬間、それは石とは思えぬしなやかな動きをもって巨大な刃を振り下ろしたのだ。
 側に立つグレンの頭上に向けて。
「な…!」
 イルトが息を呑み、グレンは振り下ろされる刃を見上げた。
「きゃぁ!」
 アムリが悲鳴を上げる。
 咄嗟にグレンが後方に下がる。彼が立っていた場所に刃が轟音を立てて沈み込んだ。凄まじい風圧が砕いた石畳を吹き飛ばし、辛うじて刃を避けたグレンの全身を襲う。
「く…っ」
 両手を顔の前に交差させ弾丸のように襲いかかる石から身を守るが、容易に衣を引き裂く威力を持つ石と共に赤い水滴が散った。
「!」
 それが血だと頭が理解した瞬間、イルトの胸の中心に籠もる熱が急激に沸点に達した。
 石とは思えぬしなやかさで像の腕が横に刃を薙ぎらせる。寸時、グレンの反応が遅れた。
「ぁ…!」
「滅びよ!!」
 恐怖にアムリの両眼が閉じられようとする直前、イルトの叫びが重なり、網膜が捉えたのは光の亀裂を発した像の姿だった。
「っつ!」
 直後に凄まじい破裂音がして、顔を庇った腕を、足を、体を、砂の粒が叩きつける。
 凄まじい破裂から顔を守ろうと再び左腕で顔をかばったグレンが、飛び散り頬にこびりついた砂を払いながら目を開けると、目の前に聳えていた像は跡形もなかった。足下が埋まろうかというほどの量の砂と小石となって像は完全に「無」と化している。
「………君…」
 砂の中央に座り込むのが、イルトだった。
 グレンの視線に気付き、ばつが悪そうに苦笑を向けた。
「………何がなんだか…」
 イルトは傍らに立ち自分を見下ろして笑むグレンの姿を確認して妙な安堵感を覚える。だが頬や腕、足に衣服ごと肌が切り裂かれている箇所を無数に見つけて眉目を顰めた。
 一方のグレンも、イルトの笑みに苦悶の気配はないと読み、安堵を目許に浮かべたが、中々立ち上がろうとしない彼に気がつき、一瞬不安を覚えた。
「…大丈夫かい?」
「………足が笑って……立てないんだよ……」
 拗ねた子供のように顔を逸らして肩を竦める。「もう、馬鹿ね」とグレンの背後からアムリが顔を出した。
「ほら、立って」
 とアムリが両手を差し延ばし、イルトは右手を差し出した。
「あら」
「あれ」
 の声に動きが止まる。
 イルトの差し出した右手の平に、肌とは異質な色が見え隠れした。慌てて翻して確認すると、そこには黒く焼きついた火傷らしき跡があった。
「これ……」
 アムリが両手で口元をおさえる。
 右手を包み込んだ焔による気が狂いそうな熱の苦痛が、今は嘘のように引いていた。その手の平にあるのは、明確な意思をもった「形」の刻印。
「まさか…精霊の印………?」
 ぼんやりと口にしたものの、頭が状況を理解しきれていない。

 目に映るのは、肌色の手の平に黒く刻み付けられた印だった。






ACT6-4⇒
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押印師 ACT6-4
04

 橋を渡り、墨絵のような峰が聳える景色へと進んでいく。竜の飛影が上空を交差していき、足下にいくつもの影を落としていく。それでなくとも、地面は歩を進めるごとに湿気のために土色が濃度を増してきている。まるで闇の中を歩いているようだった。
 そんな時、エルリオ達は竜翼谷に入って初めて、自分達以外の人間を見た。
片手に長槍を持ち、草陰へと踏み入る小道の前に立っている門番。
「お帰りなさいませ」
 ヴィルの姿を見止めて男達が槍の柄で地を一度突き、礼を向けた。ジャスミンの事は既に見知っているようで、同じように礼を向けた後、後ろについて歩く小さな人影二人に気付き「ん?」と声を洩らしていた。
「俺の客人だ。気にするな」
「はぁ」
 外からやってきた子供がそんなに珍しいか、長槍の男達は無遠慮な視線を二人に向ける。エルリオは念のために愛想笑いを一つ向けておいた。
「それから―」
 通り過ぎようとした足を止めてヴィルは首だけ僅かに振り返った。
「軍の人間が谷にやってくるかもしれない。その時は報せてくれ。」
「了解しました。何かあったのですか」
「恐らく列車事故の聞き込みで来るのだろう」
「わかりました」
 慣れた風で長槍の男は最低限の質問だけで命令を了承した。
 竜翼谷の一族は、明るい金髪が特徴的だ。そして全体的に細身の人間が多い。ヴィルもそうだが、長槍の男二人も似ていた。
「……」
 だが一歩遅れて後方を歩くジャスミンは、細身ではあるが黒髪に黒い瞳。明らかに谷の人間とは血筋が違うと分かる。
「なぁに?」
 エルリオとミリアムの視線に気がついてジャスミンは微笑む。バイクを暴走させ銃を乱射させる姿からは想像できないが、子供には優しかった。
「ジャスミンさんはヴィルさんとどういう関係なの?」
 そんなエルリオの質問に一番驚いたのはミリアムで、
「エルリオさん…ストレートすぎます!」
 人形のような整った顔を困った形にゆがめてエルリオを窘めてくる。白い頬が赤く色づくのが薄暗がりの中でも分かった。美人は怒っても美人て本当だなとエルリオはぼんやりどこかで思っていた。
 ジャスミンはエルリオの言葉に気を悪くした様子もなく、小さく首をかしげて笑っていた。
「私はヴィル様の部下よ」
「軍を退役しているのに?」
 この質問に他意はなく、エルリオは自然に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「ええ。今も部下なの」
 その花の名前に相応しい可憐な笑みが返ってきて、最初の笑みと明らかに質が違うことに気がつく。エルリオはまた「例の」笑みを浮かべて隣を歩くミリアムの腕を肘で小突いた。
『ダメですよ…』
『いいからいいから!』
『プライバシーの問題ですよ!?』
『関係ない関係ない』
「?」
 歩を進めながらヴィルも肩越しに振り返る。ジャスミンや彼には、少女二人が耳打ちしあいながらじゃれているようにしか見えないが、実のところかなりヨコシマな企みごとだとは知る由もない。
『情報にできる事は何でも仕入れておく』
『…えぇ?』
『この人たちが本当に私達の味方となり得るのかまだ分からないでしょ?』
『………』
 言葉が冷たい水となって頭から降った。胸のうちがさーっと冷たくなってミリアムは言葉を失う。浮かれられる旅ではないのだと、目を覚まさせられた気分になる。穏やかそうに見えるおさげ髪の外貌の中に常に張り巡らされている警戒と緊張の糸を垣間見た。
「あ!」
 突然、エルリオの体が傾いだ。小さな声と共にがくりと体が沈む。転びかけたスキにポケットの中で半分眠っていたキューを素早く取り出すと後方に放り出したのである。石が多く緩急があり歩行に困難な道ではあるが、ミリアムには故意としか見えようがなかった。
「きあああ」
 憐れな声をあげてキューがジャスミンの足下に転がっていった。彼女の手がキューを拾い上げる。土汚れがついた白い体を細い指先ではたき始めた。されるがままに大人しくしている白い縫いぐるみの瞳がじっとジャスミンを見つめている。
『もらってきて』
「は、はい…っ」
 悪魔的微笑を含んだエルリオの一睨みに背中を押されてミリアムがジャスミンの元に駆け寄った。珍しげにキューをしげしげと眺めていたジャスミンは、恐る恐る歩み寄るミリアムに「はい」と白い縫いぐるみを差し出した。
「……ありがとうございます…」
 受け取るために差し出した手に少しの勇気を加えて、ジャスミンの指先に触れた。
「…………」
「……………どうしたの?」
 キューを挟んで指先が僅かに触れ合った状態のまま動きを止めたミリアムにジャスミンは首を傾げて下から覗き込む。少女の銀色に似たグレーの瞳が白いぬいぐるみに向いたまま動かない。
「…あ、」
 とすぐ後に反応が戻りミリアムは改めて礼を言ってキューを両手で受け取るとジャスミンから離れていった。足についた土を払いながら立ち上がるエルリオの元に駆け寄っていった。
「ありがと」
 微笑んでキューを受け取り再びポケットに仕舞う。
「行くぞ」
 やりとりをずっと無言で眺めていたヴィルが再び踵を返す。エルリオ達もそれに続いた。ミリアムは考え込んだように斜め下に視線を向けたまま。
(……何か見えちゃったのかな…)
 聞き出すタイミングをいつにするか考えつつも、強引すぎたかなとも少し思いながらエルリオは再び歩き出した。遠い上空では相変わらず飛竜の影が次々と交差していき、束ねたおさげを揺らす程度の弱いつむじ風が転がっては消えていた。
 前を歩くヴィルの背中を見ながら、列車を崩壊させた彼の印が持つ力について考える。印はどこに刻まれているのだろう、天啓印なのだろうか、使命印なのだろうか、あれを押印技術で使える人間はいるのだろうか、父ワイヴァンなら扱えるのだろうか、など、とにかくたくさんの事を考えていた。
 父ワイヴァンを亡くしてから、エルリオは一度に多くのことを考える癖がついた。
 そうしていれば、余計なことを考えなくてもいいから。
「………」
 ヴィルが三度目に空を見上げた時、「何か?」と後方からジャスミンの声が飛んだ。
 薄墨で描かれたような峰が大きく近づくほどに歩を進めた頃、ヴィルが二度、三度と空を見上げる様になったのだ。つられてエルリオ達も空を見る。峰の上から別の峰の上へと、飛竜たちが飛び交っている様子は先ほどから変わらないのだが。
「いつもよりも数が多い。それに少し高ぶっている」
「……」
 言われて改めてジャスミンが空を見上げる。違いが分からなかったようで、東西南北へと視線をめぐらせたが釈然たる反応はなかった。
「―来るかもしれないな」
 再び視線を前方に戻しながら呟いたヴィルの言葉。
「何が「来る」んですか?」
 さりげなくすぐ後方を歩くジャスミンにエルリオが尋ねてみるが、彼女は「さあ…何だろう」と柔らかく笑って首を横に振った。おそらく嘘を吐いていると気付いているものの、それ以上言及はしなかった。
 岩と土くれの道から、湿地帯へと入る。横切る川のように長く広がる湿地帯には木板による渡り道が設けられており、蛇線を描きながら薄墨の峰の元へと延びていた。板の上を歩くと小気味良い音がする。水気のある湿地と板の間にある僅かな空間に音が反響しあう。
 水辺には所々に毬藻が浮かんでおり、空からの風が水流を起こしてまるで生き物であるかのように毬藻や浮葉らを泳がせている。「きれーい」など時々黄色い声を上げて少女二人は水面を眺めながら歩く。キューは水面に振り落とされないよう必死にポケットの中で踏ん張っていた。水なんぞ含んだらそれこそ命とりなのだから。
「水が鏡みたいに綺麗」
 ミリアムがしゃがみ込んで恐る恐る指先を水に触れさせた。あまりに水面が静かで、凍っているのかと錯覚するほどだ。細く白い指先が水面に触れると、小さな波紋が生まれて大きくなることなく消えていく。
「生き物はいないのかな」
「水を口に含まないほうがいい」
 少し先を歩いていたヴィルが振り返る。
「子供じゃあるまいし、飲まないわよっ」
 エルリオが口を膨らまして反論するが、
「…どうだか」
 と冷ややかに苦笑するヴィルの視線を追って足下をみると、
「そうなのですか?」
 と、水をすくった手を口元に持って行きかけていたミリアムと目が合った。
「ちょっと!旅先でむやみに水や植物を口にするんじゃないのっ!」
「ご、ごめんなさい…でもこんなに綺麗なお水なのに」
「見た目が綺麗でもコップ一杯に大腸菌やらが何万匹といる場合もあるんだよ」
 とキューがポケットの中から補足する。
「何万…すごくお腹を壊してしまいますね…」
「…………ソウダネ」
 エルリオはがっくりと肩を落として心底気疲れした様子だ。
 二人と一匹のやりとりを眺めながらジャスミンは「アウトドアは苦手なの?」と口元に手をあてて笑っている。
「大腸菌がいるかは分からないが、ここの水は『竜の澱(よど)』と呼ばれていて少々酸が強い。一瞬触れる分にはかまわないが、長く肌を浸せば低温火傷のような状態になるから、よく手も拭いておいたほうが良い」
 少し先方に立ったままのヴィルは腕組みをして少女たちが歩き出すのを待っていた。
「よど?」
 とミリアム。
「ヨダレのことだね」
 とエルリオ。
「………よだ…」
 それを聞いて手に掬っていた水を慌ててこぼしてミリアムはハンカチで手を拭ったのであった。







ACT6-5⇒
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押印師 ACT6-5
05

 はしゃぐ少女二人の脇をすり抜けてジャスミンは前方にて背中を向けるヴィルの隣に並んだ。
「ヴィル様」
 ジャスミンの声は、少女たちの声にかきけされて彼女達の耳には届かない。
「あの二人…不自然です」
「そうだな」
 穏やかに笑みを湛えていたジャスミンの黒い瞳には今、鋭い鷹の眼が宿っている。
「血縁関係は無いでしょう。しかし付き合いの長い友人同士でもないように見受けられます」
 僅かに振り返る事でヴィルは「どういうことだ」とジャスミンに続きを促す。
「行動パターンと感覚が違いすぎます。お互いに似ている、近しい環境で接触していればあそこまで不一致は起こらないはずです。」
 一方で短い付き合いの人間同士が、しかも子供が、旅人として辺境地に訪れる理由がそうそう存在するとは考えられない事だ。
「共通点は印保持者と押印師の組み合わせという、「印」の存在だけ」
「……」
 「印」というジャスミンの言葉にヴィルは手袋に覆われた己の手を見る。
「『印』というのは…常識の及ばない力が思わぬものを呼び、思わぬえにしを結ぶ事があるからな…」
「それは…人工物である「押印」でも同じことが言えるのでしょうか?」
「どうかな。俺は押印に詳しくないが…印自体は人工とはいえ、宿る力は本物だから。」
 ふむ…と納得を飲み込む。
「……あの二人、エルリオとミリアムとお互いを呼び合っておりましたが…その二つの名前を最近目にした事があります」
「なに?」
 峰の向こうから竜の遠吠えが湿地まで響いてきたのを聞きながらヴィルは体を半分ジャスミンに傾ける。ジャスミンの視線がちらりと、後方の少女達を見やった。
「指名手配書です」
「………」
 ヴィルがその視線を追う。
「あの黒髪は恐らく染めているのでしょう。本当は銀髪のはず」
「銀………帝国人か…」
 少女二人は水面を覗き込んだり遠くの峰を眺めている。その中で黒髪の少女―ミリアムという名の方―が、「あ」と呟いて立ち上がった。遠い峰の方に目を凝らしているようだった。
 肌を撫でていく風の質が、変わった。
「…あれ…?」
 エルリオも異変に気がついたようで、不思議そうに辺りを見回し始める。やがて、辛うじて肌で感じられている程度の微風が、髪の毛を揺らす風へと変化し、肌に触れていく空気の質が「鋭さ」を持ち始めた。
「見て」
 とキューに促されて水辺を見る。
 鏡のように静寂を保っていた水面に、波が立ち始める。一定方向から押し寄せてくる風が、少しずつ水辺を騒がし始めている。大きな影が落ちる。水の色が漆黒に変わり、遠くにあった咆哮がすぐ耳元でとどろいた。
「うわ…」
 思わず驚嘆が声に出た。走る列車の窓から顔を出した時のように顔を、体を、空気の激流が薙いで行く。一瞬呼吸を奪われる。大量の風をその身み纏い、竜の谷より舞い降りて姿を現した巨大な影。
「ドラゴン……」
 呆然と立ち尽くす少女達の頭上に、一匹の巨大な翼竜がその首を擡げていた。巨大な両翼が羽ばたく度に押し寄せる空気の壁がその場にいる面々を突き抜ける。湿地の水面を荒く揺らした。
「シュテラリオン」
 ヴィルが竜をそう呼んだ。
 この竜翼谷で唯一、固有の名前を持つシュテラールの王。
 その巨体の腹には竜翼の印と呼ばれる、風を司る印の中でも最高位にあたるものが、刻まれている。
『随分と毛色の変わった客人をつれてきたものだ』
 腹の底にまで響いてくる声がした。
「え、しゃべった!?」
 エルリオが声を上げると竜の巨大な瞳がじろりとこちらを向いたので、思わず身を縮める。
「谷の竜の中で人間の言葉を操るのはシュテラリオンだけだ。この谷の王だ」
「王様……ふーん…えっと…」
 阿呆みたいに口を開けたまま空を見上げている訳にも行かず、エルリオは戸惑い気味に「お邪魔してまーす…」と会釈を向けた。
「王様に「お邪魔してます」はないだろうさ」というキューの皮肉がポケットから聞こえてきた。
「うっさい!」
 頬を膨らませながらポケットの中に居座る相棒を上から押さえつけると「ぎゅっ」と潰れた声。
「……」
 ふと隣を見ると、戸惑い気味に空を見上げていたミリアムがスカートの両裾を持ち上げて膝を折るところだった。
「………」
 美人はやっぱり画になる―というよりもこれはやはり、「血」なのだろうか。ぎこちなさはあるものの、ミリアムの礼からは敬意と畏敬が醸し出されている点で完璧だった。
 それがジャスミンの目には、仮説の信憑性を上げる材料となる。
『―谷につれていくつもりか?』
 少女二人の礼を見届けた後、シュテラリオンの視はヴィルを向いた。
「恩人だ。谷に招待する事を許して欲しい」
『そのようだな』
 精霊の化身と謳われる神妖獣の王は万象を見通す千里眼を持っていると言われる事がある。よく幼い子供が楽しむ小説等には、そうした伝承が多く取り入れられていた。
「それに、知りたい事も多い」
『谷の当主はお前だ。好きにするが良い。これは必然なのだから』
「え…?」
 体中に響き渡るような竜王の「声」。しかしよく観ればシュテラリオンの口元は動いていない。いわゆる声帯を震わせる事で声を発する「会話」とは異なる言語の疎通法なのであろうが、エルリオにはそれが何だか分からなかった。
『全てが繋がり始めている。いずれ道を選ばねばならない時がくる。今はその微かな一歩の一つなのだろう』
「……何の話だ…?」
 言葉の意図を測りかねてヴィルはシュトラリオンを見上げて目を細める。竜の羽ばたきが起こす風が強くなり、湿地の水面が跳ねて水しぶきを上げ始めた。見るとシュトラリオンの周囲に、王の覇気を感じてか体の小さい若いシュテラール達が遠巻きに集い始めている。
 空は竜の影に覆い尽くされた。谷を見渡せる集落からは、そこだけ暗雲が立ち込めているように見える。
「シュトラリオンが降りている」
 集落の高台から、警備兵の青年が湿地帯方向を指差した。竜の群れの中において竜王シュトラリオンは抜きん出て大きく、シルエットで容易に判別できる。
「ヴィル様なのだろうか…」
 早朝に谷を飛び出していった当主の遅い帰りに民達は不透明な不安に包まれていた。
『お前が言う通り、精霊の印は共鳴しあうもの。』
 竜王の大きな瞳がヴィルを始め、ミリアム、そしてエルリオにも向けられ、最後にその宝玉のような眼は再びヴィルに戻る。
『その共鳴し合う力が以前よりも増しているのだ』
 体に印を宿した竜の王はもたげていた首を空に向けて持ち上げた。その一動に周囲に集い始めていた若いシュテラール達はギャーギャーと声を上げながら一斉に散っていく。さながら、空が動いているような迫力だ。
「それって、どういう事なの?」
 峰の向こうに消えていく若い竜たちを見送りながらエルリオが問う。臆する様子を見せずに無垢を装えるのは子供の特権である。再びシュテラリオンの長い首が擡げられた。
『いずれ分かる。それに娘…、お前達は既に出逢っているのだからな』
「え…」
 竜の瞳がミリアムにも向けられて、エルリオの影に隠れるように一歩後ずさりする長い黒髪の少女。少女達がその言葉の真意を汲み取る前に、再びシュトラリオンの瞳はヴィルに向いた。
『案ずるな。我はお前を選んだのだから』
「シュトラリオン…」
『古き道は閉ざされていくのみ。選んだ以上は先道にのみ己が手にある灯りを照らせ。我のようにな』
「……だがそれは…」
 言うが否やヴィルの言葉を拒否するように、再び大きく翼がはためいた。巨大な風の幕がその場にいる面々を飲み込むように撫でていき、水面に荒々しい波飛沫を生む。擡げた首を再び天に向けて、竜王シュテラリオンは浮上を始める。一瞬、中空で動きを止めてヴィルを見やると竜の王は急激に浮力を上げて瞬時のうちに太陽の中へと消えていった。





ACT6-6⇒
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ご応募ありがとうございました
新キャラクターの名付け親募集企画を終了させて頂きます。
ご応募いただきました皆様、ありがとうございますm(_ _)m
細かく由来を書いてくださった方もいて、名前を考える際に今後も参考にさせて頂きたいと思いました。

ご応募頂きました中から、下記のようにお名前を使わせて頂こうと思います。

(1)
性別:男
年齢:20代前半
職業:とある国の軍人。海洋調査員
外見:海上訓練を受けていた為、体型はしっかりしている
性格:でも内面は学者肌で努力家
登場シーン、立場:
 海洋調査中、沖にて軍船が難破して遭難。奇跡的に一人だけ生き残るが、流された先は言葉が全く通じない異国だった。海辺の小さな村落の住人が、流れ着いた彼を助け保護する。ある理由で国へ帰れない立場になってしまい、慣れない異国で苦労するが持ち前の性格で馴染んでいく。

名前:クラーク・ベルトラン
Yさんから頂きました。
口に出して読んでみて、音がキャラクターのイメージに合っていたので選ばせて頂きました。


性別:女
年齢:20代半ば
職業:医者。副業で押印もする
外見:?
性格:村の人々に慕われている「お姉さん」的存在
登場シーン、立場:
 流れ着いた遭難青年を看病する。言葉の通じない彼と意思疎通を試みて、国に帰れなくなった彼の面倒を見ることになる。

名前:クラン・ハーミット

名前のクランは、Mさんから頂きました。
アメリカ赤十字社を創設した慈善事業化クララ・バートンからとったものだそうです。
苗字のハーミットは、Oさんから頂きました。
タロットカードのHERMIT(隠者)からとったものだそうです。意味は「助言 自制心 分別 秘められた英知 信実の愛」
由来を読んで、このキャラクターにぴったり!と思って選ばさせていただきましたm(_ _)m

偶々、「あ、いいな」と思った二人の名前が似ている物になりましたが、これも何かの縁だと思ってストーリーの中でちょっとしたネタとして活用させて頂こうと思います。
それは今後のお楽しみという事で。

皆様本当にありがとうございます。
ご感想を書いてくださった方もいて、とても励みになりました。
また、客観的に「こういう風に読んでくれているんだ」という事も分かって、すごく参考になりました。
改めて、感謝致します。


北野
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