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北野ふゆ子
  • 北野ふゆ子
  • 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。



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opening

 カーブを描くボールを追うために地を蹴ったキーパーの足が、不自然に滑った。
「うっわ!」
 素っ頓狂な声と共にオレンジと黒のジャージが前方に倒れ、ボールはそのままゴールの左隅へと吸い込まれていった。
「ありゃあ?」
 滅多にお目にかかることが無い光景を目の前に、ボールを蹴った張本人は間の抜けた声を漏らした。背後でPK練習の順番待ちをしていた面々から、驚きの声が次々と上がる。
「おいおい、珍しいな、大丈夫か?」
 騒然とした声で我に返って、ボールを蹴った張本人、四条要はゴールに駆け寄った。派手に転んだオレンジ色、ゴールキーパーの茂森は笑いながら「悪い」と上半身を起こした。左足のシューズの紐が切れて、脱げかかっている。
「もうだいぶ長く履いてたからな」
「代わりのスパイク持ってきてるのか?」
 要の質問に、茂森は首を横に振る。
「持ってないんだ。でも、紐を変えればまだ使えそうだ」
「ジジくせえな。新しいのにしろよ」
 そう笑って要はゴールの隅に転がるボールを拾った。
「紐、ちょうどスペア持ってるから貸してやるよ」
 拾ったボールを次に並んでいた部員に放り、要はゴール裏のベンチを指差した。そこに鞄が置いてある。
「ありがとう、貸してもらうことにする」
 立ち上がり、自分の代わりになるキーパーを呼んでから、茂森も要の後についてベンチに向かった。途中、コーチが「変な転び方してなかったか」と茂森を気遣う言葉をかけに来る。
(さすが、チームのお宝には過保護なこった)
 背中に聞こえる会話を耳に、要はそんな事を考えた。
「…………」
 鞄の中から靴紐を取り出しながら、ふと思う。
 初めて会ってから二年。思えば、試合中の指示や作戦会議以外でこいつとまともに会話をしたのは、初めてじゃなかろうか、と。

 そして、この時は何気なく口にしていたある言葉に後悔する事となるのは、もっと後の事である。

*

 私立桐嬰学園。神奈川県内にある、中高一貫校で大学部も有する、世間が言うところの名門校だ。「文武両道の桐嬰」を標語に、スポーツや一芸等の各種推薦、奨学制度を設け、各分野に優秀な卒業生を輩出している。
 特に各運動部は全国区の強豪が多く、中でもサッカー部は有名で、ナショナルチームからお呼びがかかる選手がいる程だ。
 四条要は中等部の二年。もうすぐ三年になる。サッカー部に所属していて、ポジションは「とりあえずフォワード」。京都出身の要は、小学校卒業まで関西のリトルリーグに所属し、主にアタッカーとしてフォワードを務めてきた。リーグでの成績をネタに、桐嬰学園中等部にスポーツ推薦入学。サッカー部では二年生の時にレギュラーの座を得てから、「とりあえずスタメン」として使われ続けている。要の持ち味は「安定感」だという事だが、これはいわゆる可も不可もないという事だ。故障が少なく好不調の波も少ないので、監督も使いやすいのだろう。要自身はそう自分を分析している。
 今は二月。気象情報では暖冬と報じられているが、日が落ちかけた夕刻となれば寒風が肌に痛い。
 冬の選手権も終わって三年生が引退となるこの時期、中等部のサッカー部では次期キャプテンと副キャプテンが監督の口から発表される。冷たい寒空の下、練習メニューを終えてグラウンドに整列した部員達を前に、監督が結論を告げる。
「次のキャプテンは」
 その次に出て来る名前を予測するのは、簡単な事だった。「彼」に決まっている。
「茂森。お前だ」
 当然だろ。
 最後に「しっかり頼むぞ」と付け加えた監督の言葉を聞きながら、要は思う。そして、
「やっぱりな、茂森」
「先輩、おめでとうっす!」
 と新キャプテンに群がるメンバー達も、同じ考えだったに違いない。誰が異論なんてあるものか。茂森とはそういう奴だ。そうなるべき奴だから。
 当の茂森本人は、監督に名前を呼ばれた瞬間は、まるで迷子のような顔をしていた。一拍遅れて「はい!」と優等生な返事をして、メンバー達に囲まれようやく笑顔を見せている。
 新キャプテンに任命された茂森一司は、要と同学年。ポジションはゴールキーパー。中学サッカーでは敵なしの「鉄壁守護神」と称される名選手で、一年の頃から名門桐嬰の正GKの座にいる。京都にいた要でさえ、「茂森」の名前は聞いたことがあった。「関東に凄いGKがいるらしい」と。
 そんな彼がキャプテンとあれば、誰も文句を言えるはずが無い。要は茂森の人となりをよく知らないが、こうしてメンバーが群がるぐらいだ、人望もあるようだ。
 これ以上無いくらい、よくできた人事采配だ。監督も楽で良い。誰からともなく拍手がまばらに起こり、少し離れた場所から茂森を眺めていた要も、それに合わせておざなりに手を叩く。
「お祝いムードは後にしろよー」
 監督の静止が挟まった。
「次、副キャプテンを発表する」
 みな、そうだったとばかりに我に返って振り返る。こういう時、副キャプテンといえばミッドフィルダーかディフェンダーと相場は決まってる。少なくとも「前へ前へ」「俺が俺が」と自己主張とアクが強い傾向にあるフォワードではないだろう。
(ま、キャプテンが奴なら副キャプは誰がなっても同じだろうし)
 要はそんな事を考えながらすっかり他人事として、隣に立つ後輩の枝島と「腹減ったな」と無駄話を始めていた。
「こらそこ、四条、ヨソ見してるんじゃないぞ」
 目ざとく要の私語を見つけた監督から声が飛ぶ。
「やべっ、はい!すんませーん」
 肩を竦めながら頭を下げて謝る。全く反省している様子はないが、いつもの事だ。
「他人事みたいに聞いてるんじゃないぞ、四条。しっかり茂森をサポートしてやってくれよ」
「はいはい」
 一呼吸分の静寂の後、
「って、え?」
 間の抜けた要の声が寒空の下に転がる。あまり表情を変えずに監督が、手にしていたボードで要の顔面を指し示した。ジャンパーコートの布が擦れ合う音だけが、広いサッカーグラウンドに響く。
「副キャプテンはお前だ、四条」
「え、副キャ…誰ですか、四条…って、俺?」
 戸惑う要の台詞に被って、部員達の間からざわめきがわく。
「馬鹿者。他に誰がいる」
(そりゃそうだ)
 周囲の空気が変わった事に気がついた要は、どこか冷静なもう一人の自分が首を捻っているのを感じていた。もう一人の自分は言う。俺だって「何で四条が?」って思うだろうよ、と。
「えっと……」
 間がもたなくなり、要は無意識に茂森に視線を向けた。前方の監督に近い位置に立っていた茂森は、体を半分こちらに向けていた。年齢不相応な落ち着いた面立ちに、驚きとも微笑ともつかない中途半端な表情を浮かべている。
「ああそれから」
 言葉を失っている四条を置いてきぼりにして、監督はボードの角で己の肩を叩きながら、話を進めていった。
「お前にはフォワードからミッドフィルダーにポジションを移ってもらう」
「え」
 また、場が少しわいた。
「別にいいですけど、何で急に?」
 ポジションに思い入れがあるわけでもない。副キャプテン任命と関係があるのかと思い尋ねてみたが、それについては日を改めて説明する、と話を打ち切られる。騒然とした場を均すべく、監督は首にかけたメガホンを口元に当てて「以上!今日は解散だ」と締めたのであった。
「お前が副キャプテンかあ」
「びっくりしたよ」
 途端、近くにいた同級の部員らが数人、要の元に集まってくる。ディフェンスの芥野、フォワードの清水寺、男子マネージャーの倉本、そして、
「先輩おめっス!全然予想外でしたよ!マジ驚きましたもん!」
 後輩のフォワード、一年生ながら時々スタメン入りする天才肌のルーキー鴨崎だ。よく考えれば失礼な言葉を全く悪気なく口にしているが、これは一種の特技だと要は思う。
「俺が一番びっくりしたっての」
 人懐っこい犬のように飛び掛って来る鴨崎を押しやって、要は手荒な祝辞に軽口で応えるが、二軍や後輩らも、遠巻きに自分を見やっているのが感じられる。
「なんか視線が痛ぇな…」
 呟きながら、痒くもない後頭部を掻くが、居心地悪さは拭いきれなかった。
「納得できない気持ちはよーくわかるけど」と付け加えると、
「というより、意外すぎて驚いてるだけじゃね?」
 そう芥野が言う。彼は最近のディフェンスに多い長身が持ち味の選手だ。ポジションといい存在感といい、彼が副キャプテンで良かったのではないかと、要は思う。それを告げると「嫌だよ、大変そうだし」と苦笑していた。
「四条、君」
 外野から遠慮がちな声がかけられ、要をはじめ、その場にいる全員が振り向いた。そこにいたのは、茂森だった。周囲の一軍部員達や、少し離れた場所にいる二軍部員らも、こちらの様子に注目していた。
「おめでとう、これから宜しく」
 微笑みながら、手を差し伸べてくる。ご丁寧に、わざわざキーパーグローブを外してから。
(どっかの紳士かお前は)
 茂森という人間は、外見ばかりか、やる事なす事が年齢不相応だ。中学生離れした落ち着きぶりは、170を越した身長に伴い、彼をまるで大人の様に見せる時がある。
「そっちもな」
 握手なんて青春芝居は性に合わないと、要は差し出された茂森の手のひらを軽く叩いて応えた。
「さっきの紐、やるよ」
「え?」
 一瞬、目を丸くした茂森は、自分の足元に視線を落とした。
「シューズと色が合ってるし。ちょうどいいんじゃん?」
「駄目だ、後でちゃんと返す」
「いいって。キャプテン就任祝いって事で」
 見た目通り律儀なのだろう、茂森は申し訳なさそうに眉を下げるが、再び顔をあげた時には大きな笑顔を向けてきた。
「ありがとう。じゃあ、ありがたく使わせてもらうよ」
「…………」
 彼と話をしていると、何だか調子が狂う。要をはじめとする面々はすっかり毒気を抜かれていた。その中で唯一、鴨崎はマイペースぶりを崩さない。
「あ、いいなー、四条先輩、俺にも何か下さいよー」
 と茂森の足元を見て無邪気に笑っている。
「お前がキャプテンになったわけじゃねえだろ」
 いつもの様に毒づきながら、要が鴨崎の頭をはたく。「いてぇっス」と言いながらも鴨崎は笑う。人に構って貰える事が嬉しい、犬のような奴なのだ。その様子にくすりと微笑んだのは、茂森だった。
「鴨崎がキャプテンになったら、今度は俺が何かプレゼントしてやるよ」
「マジで!やった!俺キャプテン目指しまっす!」
 単純にも程があるはしゃぎっぷりの鴨崎と、それを菩薩よろしく笑顔で見守る茂森を見て、
(駄目だ。天然同士の会話のテンポについていけない…)
 要達は内心で溜息を吐いた。

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guardians01
01

 フォワード清水寺がボールをキープしセンターラインを超えると同時に、同じフォワードの鴨崎が速度を上げ、要も後に続いた。
「下がれ谷矢!」
 走り出す直前、要は後方へ叫ぶ。
「っえ」
 半ば脅された様な形で、ボランチの谷矢(たにや)は咄嗟に足を止める。その直後、相手チームのディフェンダーが、強引なスライディングで清水寺からボール奪った。大きく蹴り上げられるボール。
「!」
 高いアーチを描いたボールは、カウンター気味に相手チームのフォワードと、足を止めた谷矢との間に落ちた。
(あのまま俺が走っていたら、抜かれていた…!)
 素早く反応を見せた谷矢が一瞬速くボールを奪い、センターライン側にいた二年生の緒車(おぐるま)にロングパスを回す。
「おし、ナイス」
 要が指先を「おいでおいで」と動かし緒車に視線を寄越すと、それに応えてボールが飛んできた。待ち構えていたディフェンダーがプレッシャーをかけてくる前にすかさず鴨崎にパスをやる。後はセオリー通り。鴨崎がシュートと見せかけてゴール前に突っ込む清水寺にボールを回し、清水寺がそのまま得意のボレーシュート。格下相手なら、確実にこれで一点が転がり込んでくる。
「四条ナイス判断!」
 後方から仲間の声が上がる。自分の読みがもたらした結果に満足そうに要が振り返ると、ディフェンスの芥野がガッツポーズをしていた。それにピースサインで応え、立ち位置に戻ろうと踵を返す。その一瞬、視界によぎるオレンジと黒。
(茂森……)
 芥野の後ろ、自ゴール前の守護神が視に入った。大きく吸い込んだ息を吐き出して、仰ぐように視線を空に向けているその姿が、車窓の景色のように通り過ぎていく。
「………」
 後ろ髪を引かれるみたいに気になったのは一瞬の事で、審判のホイッスルが高らかに鳴り響く次の瞬間には、もう要の脳裏からその光景は消えていた。

(あの試合が原因だったのか?)
 つい数週間前に行われた他校との練習試合を思い出し、要は首を捻った。他のフォワード達が相手ゴールに向けて一斉に動き出している時に、要は一人だけ半拍遅れて後方に指示を出していた。それがミッドフィルダーに転向する事になった理由だろうか。
 だがいつもそうしていた訳ではない。前だけを見てアタッカーに専念する事も多かったはず。
(あの時はたまたまだったんだけどな)
 それを目ざとく監督に見られていたという事だろう。だがそれにしても、何故あの瞬間の自分はアタッカーの責務よりも、後方に注意を促すことを優先させたのだろうか。
「うーん…わからん」
「何してんだ、風邪ひくぜ」
「う?」
 気がつくと更衣室に残ったのは、要を含む三名のみになっていた。半裸状態で考え込んでいた要をヨソに、芥野と清水寺は既に着替えを完了している。
「悪い悪い」
 青天の霹靂の如く次期副キャプテンに任命されたからといって、すぐに何が起こるわけでもなく。「とりあえず副キャプテン」となったその日の解散後、要がとった行動は至極いつも通りだ。シャワーを浴びて着替えて、芥野や清水寺(しみずでら)らと自販機で飲み物を買って、今晩観るテレビ番組の話をしながら寮に向かう。
 桐嬰学園には寮があり、早朝練習や、夜間練習のために運動部の学生の多くが寮を利用していた。サッカー専用グラウンド、テニスコートなど、数多くの運動部用グラウンドを有している桐嬰学園は、広い敷地を確保する為に郊外に位置している。最寄の沿線駅から必ずバスを利用しなければならなく、神奈川県内在住者であっても通学の便が良いとは言えないのだ。
「あれ、茂森って自宅生?」
 サッカー部員の多くが寮生である中、外来用の校門方面へと向かう茂森の背中を見つけて、要が呼び止めた。
「ああ。バスと電車で三十分ぐらいかな」
 雨でバスが遅れても、四十五分ほどで通えると言う。
「ふーん。朝練来るの、けっこう大変そうだな」
「そうでもないよ。慣れた」
「あ、そう」と気の無い相槌と共に自販機のボタンを押すと、派手な電子音が鳴り出した。
「アタリだ」
 オメデトウ!とディスプレイに文字が表示され、電子の卵から生まれたドットのヒヨコが踊っている。
「茂森、三秒以内に飲みたいやつ答えろ」
「え?あ、っと、「しっかり野菜生活」」
 答えの直後、乱暴な音と共に取り出し口に缶が落下する。出てきたのはベストセラーの野菜ミックスジュース。
「渋いセレクトだなオイ」
 缶に描かれたキャッチコピーは、「これ一本で一日分のお野菜」。要は目を細めつつ毒づいた。
「そうかな」
 茂森は笑う。皮肉が通じていないらしい。
「誉めてるんじゃねえって。ほら」
 おざなりに、擬人化された野菜たちが微笑むイラストのプリントされた缶を、茂森に放った。
「あ、ありがとう」
 綺麗な放物線を描き、缶は茂森の手に収まった。それを見届ける前に要は反対方向に踵を返し、芥野や清水寺を促して歩き出す。
「じゃあな茂森ー」
「おつー」
 と手を振る芥野と清水寺に「またな」と微笑んで、茂森も校門方向へと歩いていった。
「やけにお前、今日は茂森に優しいな」
 肩越しに、遠ざかっていく茂森を気にしながら清水寺が言う。
「はあ?俺がか?」
 低い脅しのような声と共に、要はアミノ酸飲料缶のプルリングを引いた。
「やっぱ早速気にしてんのか?キャプテンと副キャプテンってことで」
 と言う芥野の言葉を薄甘い液体と共に飲み下して、「んなわけあるか」と否定する。だが「あ~でも」と思い直して缶の飲み口から口を離した。
「あいつのファン多そうだからな。優しくしとかないと女子に殺されるかもしれね」
「それは言えてるかも」
 そんな他愛も無い話に笑いながら歩く三人の背中を、「四条、ちょっと」と低い声が呼び止めた。
「悪いが時間をくれ。さっきの事で話がある」
 監督の西浦だった。部の創設から携わり、桐嬰の名を全国区に押し上げた立役者だ。アメフトの方が似合うのではと思わせる大柄な体躯に、低くよく響く声は学生達を威圧するに十分で、「関東の仁王」という異名が付いているとか、いないとか。
 説明は「日を改めて」じゃなかったのかと言いたいところだったが、この監督に命令されればおいそれと断れない。観たかったテレビ番組に未練もあるが、ここは大人しく従うが得策と、要は「了解っす」と頷いた。
「でも茂森は帰っちゃいましたよ。走って追いかければ追いつくかもですけど」
 気がついて、要は校門方向を指差すが、西浦は太い首を横に振った。
「今日のところはお前だけでいい」
「ふーん」
 芥野らと別れて、つれて来られたのは部室の片隅。部員の姿は無かったが、コーチとトレーナーが一人ずつ居残っていた。入ってきた西浦と要に気づき、書き物をしていた手を止める。
 適当なところに座れと言われて、要はヒーターの近くの席に腰掛けた。その正面に西浦が座る。コーチとトレーナーは再び手を動かし始めたが、耳をこちらに傾けている様子は見てとれた。
 話の端を切ったのは、「まず訊くが」という西浦の前置き。
「東高との練習試合、お前何度かわざわざ前に出るのが遅れてまでディフェンスやボランチに指示出してたな。あれは何でだ?」
 東高は、まさに数週間前に練習試合をした相手だ。
「ええっ、今更そんな話!根に持ってたんスか!」
 まるで自分の思案を全て読み取られていたようなタイミング。珍しく動揺した要は、思ったことを全て口走ってしまった。慌てて両手で口元を押さえたが、出してしまった失言を飲み込めるはずもなく。
「ス…スミマセン、今のは、ナシで…」
 難しい顔の西浦に見据えられて、要は素直に謝るしかない。
「いいから答えてみろ」
 だが存外、西浦の声は平静だ。
「うーん…」
 唸りながら頭の中を冷やして気持ちを落ち着かせ、更衣室で巡らせた思案の続きを探る。西浦は要の様子をうかがいながら、辛抱強く待っていた。
「それが、自分でもよく分からないです」
 だが結局、たどり着く結論はこれだ。
「分からない?」
「あの時は妙にディフェンスの動きが気になって仕方なかったんですよ」
「ほう」
 太い両腕を組んだ西浦の巨体が、椅子の背にもたれ掛かる。
「前だけ見てりゃいいっていう場面でも、何か後ろから呼ばれているような……肝心なところは清水寺やカモに任せれば良いやって思って、何度も振り返っちゃって」
 ちなみに、カモとは鴨崎の事だ。
「夏の大会は…こんな事なかったかな、でも春の大会では一回ぐらいあった…ような、あと練習試合とか紅白戦とかでも時々、ある、かな」
「やっぱ俺フォワードに向いてなかったって事っすかね」と苦笑いすると西浦は、
「なるほどな」
 と口元に笑みを浮かべて頷く。安物の椅子が哀れな軋み音をたてた。
「四条、気がついてたか?東高との試合で茂森が体調を崩してた事を」
「体調崩してた?茂森がですか?」
 西浦の言葉を鸚鵡返しにして、要は動きを止めた。
 そうか、それか。
 脳裏でパズルがはまったような音がした。
「実は俺も後で知ったんだがな。微熱があった事をずっと隠してたようだ」
「微熱……」
 呟くと、脳裏にあの光景が蘇る。一瞬だけ視界の端に映った、ゴール前で空をぐ茂森の姿。深呼吸していたように見えたのは、呼吸が苦しかったからなのか。
「その顔じゃ、お前もはっきり気がついていたわけじゃなかったんだな?」
「―てか、今知りましたけど」
 苦笑する要を見る西浦は、いっそう低い声で「だが」と言葉を継ぐ。
「お前は本能的に気づいていた」
 だから極力キーパーにボールを行かせない為に、ディフェンスが防御を固め易くなるよう、後方を気にしていた。結果、桐嬰は無失点で勝利。あの試合で茂森が触れたボールは、正面に来た苦し紛れのシュートと、ボテボテのゴロだけだった。
「考えすぎですって」
 要は左手の平を振って西浦の推測を一笑するが、本心がそれを否定しきれていない事を自覚していた。
「四条、俺はな」
 改まった様子で西浦が椅子の背から体を離した。思わず要もつられて背筋を正してしまう。
「茂森とは違う意味で、お前も中学生離れしてると思っている」
「俺はフツーの中坊ですよ」
 静かに、要は首を横に振った。
「天才じゃないですもん」
 茂森の実力は、いわゆる超中学級。身体も能力も未だ成長過程で、学生級を超越するのは時間の問題だという。対して要の場合、確かに強豪桐嬰でレギュラーを勝ち取り、全国区で競り合うだけの力はあるという自負はある。だが、そこまでだろうという自覚もある。このまま成長が続き、プロとして通じる素材になり得るかは分からない。
「そーいう意味では、悔しいけどカモなんかは茂森に近いタイプっすね」
 正した姿勢を少し崩した要は、言葉と裏腹に楽しそうに口端に笑みを浮かべていた。
 一年生フォワードの鴨崎隆一。試合中はボールをゴールに入れる事しか考えない、典型的なアタッカー気質。だがボールしか見えていない訳ではなく、流れの中で自分が置かれている立場を本能で理解している天才肌だ。要もそれを認めている。
「そうだな」
 西浦もそれに同意する。
「鴨崎はエースとして育てるつもりだ。相性の良い同じく一年の根岸とツートップにしようと思ってな」
「カモとネギ……確かに相性は良い…」
 要の呟きに「アホ」と呆れた笑いを挟んで、西浦は言葉を続ける。
「だが長身で動きの速い清水寺も捨てられない」
 そうなると、必然的にフォワードに要の席がなくなり、中等部を卒業していく三年ミッドフィルダーの席が空くというわけだ。
「あ~…確かに清水寺のパスに対する反応の良さはすごいすね」
 長らくフォワードとして共にプレイしてきて、よく知っている。どんな難しい角度からのパスにも対応する、清水寺の反応力。チーム一と言っても良いだろうと、要は感じていた。
「カモネギツートップと組み合わせれば、戦略が広がりそうだ」
「ふっ」
 楽しそうに語る要に、西浦は低い笑いを漏らした。
「お前、他人の事はよく分かるくせに、自分の事はまだイマイチ分かってないんだな」
「え?」
 不満と疑問を視に浮かべた要を見おろす形で、西浦は席を立った。要はしばしその長身を見上げたまま動けない。浩々と灯るヒーターの熱が、背中を炙る。
「お前自身の事は、そのうち茂森が教えてくれるだろう。そうなれば俺の意図も分かるはずだ。自分の事をもっと知れば、お前は伸びるぞ」
「ちょ、監督っ」
 部屋を出て行こうと動きかけた西浦を呼び止め、要は椅子を倒す勢いで立ち上がる。
「まあそういうわけだ。副キャプテンとして、しっかり桐嬰の守護神をサポートしてやってくれ」
「………っ」
 机を隔てた向こう側から、大きな手で頭をかき回された。驚いて反射的に身を縮める。
「桐嬰の目標は全国制覇だ。桐嬰が強くなればなるほどこれから色々、難しい事があるだろう」
「―?」
 西浦の声に翳りが生じているのを、要は感じた。顔を上げて西浦の様子を確かめたかったが、頭をかき回す大きな手に邪魔される。結局確かめる前に、西浦は部室を出て行ってしまった。取り残された要は答えを求めるように、トレーナーやコーチを振り返るが、止められているのか、
「明日の練習から早速、キャプテンと副キャプテンとしての仕事を始めてもらうからな」
 と事務的な言葉以外、何も聞き出すことは出来なかった。


 もやもやした気持ちを残したまま部室を出た要は、グラウンド脇を歩いていた。人影はとうに無く、時計はとっくに見たい番組が始まっている時刻を過ぎていたが、このまま寮に戻る気にならずに体育館沿いを遠回りする。
「カナ兄ー!」
 駆け寄ってくる声に振り返ると、袴姿の女子学生が手を振っていた。腰まで届きそうな長いポニーテールも歩幅に合わせて揺れている。
 要の双子の妹、哉子(かなこ)だ。弓道部員のシンボルたる、身長の倍はありそうな長弓を手にしていた。通常は部室に保管場所があるのだが、これは祖父から譲り受けた大事な「マイ弓」で、哉子は寮の自室に置いているらしい。ルームメイトにはえらく迷惑がられているようだ。
「カナ兄どうしたの、血色悪いよ?「ためしてガッテン」、今日は血液サラサラ効果の話らしいから観たら?」
 いかにも血液がドロドロになっていそうな兄の顔色を見て、哉子は悪戯っ子のように笑った。笑うと目が細くなって子狐か柴犬のようになる。
「誰がそんなジジくさいの観るかっつーの」
 茂森じゃあるまいし、という一言は飲み込んだ。
「まあいいやそんなことより聞いて!」
 要の様子を置き去りにして、哉子は一人で喋り続ける。
「私、弓道部の次期主将に選ばれたの!」
「………」
 哉子、お前もか。
 ありきたりな台詞が、ありきたりなタイミングで思い浮かぶ。そこは「奇遇だな」とごまかして応えた。
「カナ兄も!?双子ってこういうところも似るんね」
「副キャプテンだけどな」
「ほおお。マイペースとジコチューの権化のようなカナ兄がね……」
「否定はしないが。お前は人の事が言えるのか?俺達双子だし」
「私は違うもん。だからこうして主将に選んでもらったのよ。双子だからって性格まで似るとは限らないんだから」
(さっきまでと言ってる事が違うじぇねえか)
 そういう言い草で既にマイペースとジコチューぶりを発揮しているのを、この妹は気がついていないらしい。余計な茶々は飲み込み、要は学生食堂の方を指差した。
「久しぶりに、一緒に夕メシ食うか」
「おやああ?」
 黒い瞳を丸くして、哉子は大げさに声をひっくり返した。要の前に回りこみ、顔を覗きこんでくる。
「どうしたの、カナ兄。今日は優しいじゃない?」
「………」
 芥野らと同じ事を言われた。要の眉間が不機嫌そうに皺を寄せる。
「行こう行こう、偶然わたしもそうしたかったんだ」
 兄の心中を全く気に留めず、哉子は要の腕をとって先を歩き出した。要はされるがままに腕を引かれて、共に歩き出す。
 要が哉子と出くわしたのは偶然ではない。つまらない悩みに頭をかき乱された時、要は無意識に弓道場がある体育館脇方面へと出向く。双子ながら自分と違う、この嘘の無いまっすぐな性格の妹と接していると、自分の悩みがどうでも良く思えてくるのだ。
 当然こんな事を、絶対に本人には告げられないのだが。

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02

 翌日。
 桐嬰学園中等部、第一サッカーグラウンド。
 コーチの予告通り、早速新キャプテンと副キャプテンに初仕事が割り当てられた。
「一軍FWとMFのシュート練習の進行を任せる」
 二人に渡された表には、春からの一軍メンバーとポジションが記されていた。
「とりあえず初日だからな。好きなようにやってみなさい」
 そういい残してコーチらは二軍の面倒を見るべく隣のグラウンドへと行ってしまった。監督は一軍DFと控えGKのトレーニングに付き合うらしい。
 第一グラウンドの真中では、一軍のFWとMF達が柔軟運動をしていた。体を動かしながら、誰もがこちらを気にしているのが感じられる。気のせいか、背中が痒くなってきた。
(どうするかな)
 表を眺める要の隣で、
「グラウンドの半面を使って、パスからのシュート練習にしようか」
「ん?」
 表にざっと目を通した茂森の方から、提案が出された。
「そうだなあ」と呟きながら、要は肩越しに柔軟をしている面々を見やる。
「MF一人、FW二人の組み合わせで回していくか?」
 答えながら、要は表を指差した。
「そしたらカモネギツートップも何回か組み合わさるだろうしな」
「カモネギ?」
 要の指先が「鴨崎」と「根岸」を指している事に気がつき、
「なるほどな。了解」
 と笑った後、茂森は背後を振り返った。
「柔軟やめ!集合!」
「!」
 よく通る声が至近距離から上がった。隣にいた要を始め、柔軟をしていた面々も目を丸くして動きを止め、今日は紺と黒のキーパーユニフォームの主を見やる。
「俺、何かヘンな事言ったか?」
 動きを止めた面々の様子に驚いて、子供のように首を傾げた茂森が要に問いかける。
「あ?いや?」
 我に返った要は、肩を竦める仕草でそれに答えた。
「おーい、キャプテンが集合って言ってんだぞ」
 手にしていた表をヒラヒラ振りながら、要も隣で声を出す。
「お、おう」
「すみません!」
 同じように我に返った面々は慌てて立ち上がりり、二人のもとに駆け寄る。集まった面々に、茂森はキーパーグローブをはめながら口を開いた。
「これからグラウンドの半面を使ってパスからのシュート練習を行う。MF一人、FW二人の組み合わせ。GKは俺。パスの回数は二回以上、誰がシュートを打つのか、ローテーションは自由だ。俺がボールをキャッチしたら終了、次の組と交代だ」
(決まったローテーションもなしか)
「なるほどな」と内心で頷きながら、要は茂森の指示するトレーニング内容を聞いていた。三年生が引退し、新体制となった初日では、お互いの呼吸を探り合える機会が必要だ。ミニゲーム感覚の柔軟なメニューの方が良いだろう。
 だが、メンバー達から返事が上がるものの、未だ戸惑いを見せている部員も見える。組織されきっていない集団に「自由」という選択肢を与えると、まず起こりうる現象が「迷い」の連鎖だ。
 こういう時は「副」キャプテンがフォローするべきなんだろうか。部員らの反応を見て要は考える。だが、茂森の様子は落ち着いていた。というよりマイペースなのか、率先してボール籠をセンターサークルへと運び始める。慌ててそれに倣おうと動き出す面々に向けて、茂森は立ち止まって振り返った。その面持ちは、笑顔。
「どうすれば三人で「俺」からゴールを奪えるか。それを考えて動いてくれ」
 そしてまた前に向き直り、ゴロゴロと籠を転がしていく。
「………」
 同じくボール籠を運びながら、要は軽く絶句し茂森の背中を眺めていた。
(思い切った事言うなあ。まるっきり挑発じゃねえか)
 大人しい草食動物系の外貌とは裏腹な台詞。試合中でもあまり聞いたことの無い類の言葉だったように思う。
「?」
 ふと背後が気になり、振り返る。
 準備を整えてセンターサークルに集まってくる面々に、変化が生じていた。茂森の「俺からゴールを奪ってみろ」という事実上の挑発に、面々の目つきが変わっているのだ。名門桐嬰の一軍を担う自負心と、アスリートとしての闘争心が強い連中なのだから。
(……おや…)
 と要は思う。
 キャプテンの隣という位置は、人の顔がこんなにもよく見えるのか。場の空気が引き締まったその変化も、客観的によく分かる。
(茂森にしかできない挑発だな)
 要の思案の前に、当の茂森は何事も無かった顔で、両手を組んで手首を回している。キッカーが有利といわれるPKにおいても、圧倒的セーブ率を誇る実力と自信があるからこその挑発。その裏付けが、一軍メンバー達の本気を引き出した。
「よおし!今度こそ先輩からゴールを奪ってやる!」
 両手で拳を作って落ち着きなくガッツポーズするのは、鴨崎。真っ先に挑発に乗って、いの一番にセンターサークルに駆け寄ってきた。そのすぐ後ろからネギこと根岸拓海も続く。普段は感情の起伏に乏しい生徒だが、今はその切れ長の瞳に鋭利な光が見え隠れしている。内心で沸々と闘争心を燃やしているのだろう。
 後輩の静かな陽性反応を知ってか知らぬか、当の茂森は、
「そろそろ、その台詞は聞き飽きてきたぞ」
 と鴨崎の挑発返しに笑みを向ける。「先輩からゴールを奪ってやる」は鴨崎が入部した時から、何度となく聞かされてきた台詞なのだ。だがPK練習やフリーキック練習において、鴨崎はまだ一度も茂森からゴールを割れずにいる。
「うへ、先輩酷いっす!本当のことですケド!」
 そう言う鴨崎の表情は、あくまでも底抜けに明るい。某少年漫画の主人公よろしく、強い相手と対峙する事で高揚するタイプなのだ。その雰囲気に、周囲も牽引されている。
「じゃあ、俺はゴールに行くから四条、後は頼むな」
「え?」
 片手を振って茂森はゴールへと歩いていく。その背中を、FWやMFの面々が見据えていた。
(俺が今のチョーハツをフォローすんのか!?)
 今の要に文句を言っている暇はない。せっかく上がった彼らのモチベーションを下げずに進行させていくには、どうしたものか。今度は副キャプテンたる要に、面々の視が向く。「早く始めさせろ」と息巻いているような迫力だ。
「んじゃまあ、とりあえず」
 手にしていたメンバー表を籠の上において、要は腰に手を当て軽く伸びをした。
「俺、カモ、清水寺の元FW三人で口火をきってみるか」
 慣れた面子の組み合わせだ。今年の夏は、この三人体制で大会にスタメン出場した事もある。
 名前を呼ばれた鴨崎は「よっしゃ!」と気合を入れる。
「でも、どうする?いつものパターンじゃ、奴には確実に止められるぜ」
 対照的に冷静なのは、清水寺。
 奴、ゴール前の茂森は、伸びをしたりその場で飛び跳ねて体をほぐしている。鴨崎や清水寺をはじめ一軍メンバー達に、敵を見るような緊迫感の宿った目で見られている事に、彼は気付いているのだろうか。
「まずいつも通り、四条からカモ、俺に回してみて、茂森が俺に反応したところでバックパスってのは?」
 提案してきたのは、清水寺だ。
「ノールックじゃないと意味ないな」
 そう答える要の視は、茂森に向いていたが、
「できるか?」
 と挑戦的な視線を清水寺に戻した。
「馬鹿にすんなよ「副キャプテン」」
 それを受け、口端に不敵な笑みを浮かべた清水寺も、肩越しにゴール前を振り返った。
「俺は四条とカモのド真中にパスを出す」
「オッケー。シュートはカモだ。俺も同時に走って、オトリになる。そのまま前に出て、弾かれた時に備えとく」
「了解っす!」
 要の補足に同意してから、鴨崎が籠からボールを取り出した。気合と共に地面に叩きつけて、足で止める。純粋な熱を感じながら、要は「よっしゃ」と順番を待つ面々に向き直った。
「誰でもいいから、とにかくあいつからゴール奪ってやろうぜ」
 親指でゴール前の茂森を指し示す。
「中学日本一のGKからさ」
 要の口元に浮かぶ、いつもと変わらない皮肉屋のふてぶてしさと、いつもと違う高揚感が混在した笑み。
「おし!」
 誰からともなく気合を入れる声が上がり、自然に隣同士が声をかけあい、グループが作られていく。
「茂森ー、一番手、行くぞー」
 ゴールに向かい要が手を上げると、
「元フォワード三人衆、いっきまーす!」
 どこかのロボットアニメの主人公の口調を真似た鴨崎も、勢い良く手を上げた。
「よし、こい!」
 と答えて茂森は拳で手の平を叩いた。中腰に背を屈め、戦闘態勢に入る。これだけの些細な動きだけで、まるでゴール前に鉄壁が現れたような圧迫感が生まれる。
「はい、先輩」
 鴨崎から転がされてきたボールを、要が徐に蹴り出す。
「走れ!」
「おう!」
 要からかかった号令に、二人のフォワードは即座に反応し両サイドから走り出す。茂森の視は、ボールをキープする要を追っていた。
(ギリギリまで近づく)
 ペナルティエリアまでの距離と、二人のフォワードとの距離を図りながら、要はボールを蹴り進める。下手にペナルティエリア内にボールを持ったまま侵入すれば、茂森は積極的に前に出てボールを奪いに来るだろう。弾丸のように足下にもぐりこんでくるスライディングキャッチは驚異だ。
(今だな)
 鴨崎の足がペナルティエリア手前まで踏み込んだところで、要はパスを送る。清水寺は既にペナルティエリアに入り込んでいた。ボレー気味に鴨崎はすかさず清水寺にボールを回す。茂森の体が清水寺の方に傾ぎ、だが反して視線は鴨崎に動いたのを、要は見た。
(読まれてる!?)
 どう指示を出すかを迷う一瞬の間に、清水寺のバックパス、直後ボールに追いついた鴨崎がシュート体勢に入った。得意のゴール右隅ギリギリのコース、必ずそこを狙うだろう。
「それじゃ取られる!」
 要は真後ろから追い越しざまに鴨崎の耳元に叫んだ。
「!!?な、わ、たっ!」
 咄嗟に反応したものの、見事に体勢を崩した鴨崎の足はボールの軸を外す。ボールはイレギュラーな動きでゴール左の清水寺の頭上に上がった。
「えぇえ俺!?」
 ボール目掛けて清水寺がジャンプするのと、
「くっ!」
 右に出かかった茂森が無理やり体を捻りながら左に飛ぶのは、ほぼ同時だった。
「いけるか!」
 様子を見守っていたメンバーらから声が上がる。だが清水寺のヘディングより一瞬速く、茂森の手がボールを弾いた。バウンドしながらゴール左方向へ転がっていくボールに追いついたのは、要。
「なっ…!」
 茂森は清水寺ともつれ合うように着地。要は間髪入れずに鋭角からシュートを打った。無理やりな角度からのシュートは、咄嗟に伸ばした茂森の指先を掠ってポストに当たる。
「おしい!」
 勢い良く跳ね返ったボールは、鴨崎と茂森の間を突き抜けるように転がっていく。鴨崎が駆け出し、片膝立ちの状態だった茂森は腕と片足の力だけで、ボールに飛び込んでいく。
「わあっ!」
 足下に滑り込んできた茂森の体に跳ね飛ばされる形で、鴨崎が前方に放り出された。
「!」
「ボールは!?」
 第一グラウンドに走った、刹那の静寂。誰もがボールの行方を捜して、言葉を忘れている。
「危なかった……」
 ボールは、起き上がる茂森の両腕の中で従順に収まっていた。
「!」
 静寂を破ったのは、鴨崎の嬌声。
「っくしょー!とられた!」
 地団駄を踏んでグラウンドを蹴りつけ、悔しがる。
「なあ、三人ともやたらムキになってないか?殺気すら感じたぞ」
 立ち上がった茂森の面持ちには苦笑が浮かんでいるが、そうは言いながらも余裕がうかがえた。
「自分で挑発しといてよく言う」
 茂森からボールを受け取りざまに、要は一言呟いた。その後ろから「俺はいつでも本気っす!」と鴨崎が未だ興奮冷めやらない様子。
「我ながらナイスパス、反応だと思ったんだけどなあ、悔しいなあチクショー」
 清水寺は独り言を洩らしながら、しきりに首を捻っている。
「うん、危なかった。正直、入れられるかと思った」
 茂森は土のついたキーパーグロープをはたく。伏せた瞳に浮かぶ静かな色は、安堵だろうか。だがそれもつかの間で、
「鴨崎」
 と後輩の背中に呼びかける面持ちは、既に「キャプテン」のそれになっていた。
「は、はい」
 真剣な声に呼ばれて、鴨崎は勢いよく振り返る。
「得意シュートのコースを増やした方がいいな。俺は鴨崎が右隅狙いが得意だってのを知ってたから、四条の機転がなければあそこで止めていたと思う」
「はい……」
 弱点を指摘されて鴨崎は肩を落として小さくなる。立ちすくんだ小動物のような有様は、いつもの豪胆、単純、明朗な態度からは想像できない。
「お前はシュートが正確で鋭い。あの場面でもし左隅の低い位置にボールが来ていたら、俺は取れなかったかもしれない」
「え……」
 鴨崎の顔が上がる。それに微笑んだ茂森は「それにだ」と言葉を続けた。
「桐嬰でエースになるって事は、全国に研究されるって事だからな」
「っはい!」
 打って変わって今度は輝くような笑顔に変わる。怒ったり落ち込んだり喜んだり、鴨崎の表情は忙しない。
「よし」と満足そうに頷いて、茂森は後方で待つ面々を向いた。
「こんな感じで、どんどん来い!」
 青空に突き抜けて通る声と共に、高らかに手を振る。
「茂森の奴、マジモードじゃねぇか」
「今の、入ると思ったんだけどなあ」
 様子を見ていた面々の間にざわめきが生まれ、顔を見合す動きが連鎖する。
(やっぱりとんでもねえ運動神経だなあいつは…)
 センターサークルに戻りながら、要は肩越しに茂森を一瞥した。
 鴨崎がスカったシュートが偶然にも、上手い具合に清水寺の頭上へ上がった時は、イケると思った。茂森の重心は完全に右へ傾いていたし、高身長の清水寺のヘディングに追いつくのは至難だと思っていたのに。
「おし。次は誰がいく?」
 清水寺や鴨崎と共にセンターラインまで戻った要は、籠の上に置いたメンバー表を手に取った。
「俺達が行ってもいいかな」
 すかさず、手が挙がる。二年のMF、寺野英嗣だった。春の時点では二軍にいたが、夏の大会前から急成長して一軍に上がった選手。調子次第でスタメンも狙えるだろう人材だ。この寺野と組んでいるのは、同じ二軍仲間だった二年の控えFW船越、そして一年の控えFW庄司だ。
「ほー」
 要の口から感心したような声が漏れる。
「力不足かもしれないけど…」
「チャレンジしたいって思って」
 遠慮がちに伏せられた寺野達の視線は、一度要を見やった後で、その背後に見える茂森にも向いた。当の本人は、ゴール前で体についた泥をはたき落としている。
「いやあ面白いんじゃね?」
 探偵みたいに顎の下に指先を当てて、要はもっともらしいポーズで寺野に向き合い頷く。
「寺野たちってある意味、茂森にとって未知数なところが大きいだろ?」
「ずっと二軍だったしね」
「そういう後ろ向きな考え方すんな。伏兵って言え」
 苦笑いのために俯いた寺野の顔面に向け、要は人差し指を突き出す。
「ふ、伏兵?」
 目を丸くする元二軍三人衆。要は大きく頷いた。寺野達を囲む面々からも笑いが上がる。
「よしいけ、ダークホースども」
 有無を言わさぬ勢いで、要はゴールに立つ茂森を指差した。
「おーい茂森、第二弾いくぞ」
 と声を上げると、ゴール前から「来い!」と返ってくる。
「頑張れよ!」
 誰からとも無く上がった応援の声が、三人の背を押した。連鎖するように「頑張れ」と複数の声が次々と届く。
(いい感じに機能してるな)
 要は確かな「手ごたえ」を感じた。
 既に二年間を過ごしてきた部活動の中で、初めて生まれた感覚だ。
「…………」
 ボールを蹴り出した寺野ら三人の背を見つめながら、要は軽く唇を引き締めた。

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guardians03
03

「あああおしい!」
 要の背後で、誰かが叫んだ。
(おしい…!)
 声に出さずとも、要も両手に作った握りこぶしを更に強く握り締めて同じ言葉を飲み込んでいた。
 三対一のミニゲーム。面々が見つめる先のゴール前では十人十色の攻防が繰り広げられている。あれから更に数組が挑戦したが、誰一人ゴールを割れていない。圧倒的に攻撃側が有利なルールでありながら。たった今も、五組目が惜敗したところだ。
「あのバケモノめ」
 呟く要の視界の中で、バケモノ呼ばわりされているキーパー茂森はグローブを外した右手で額の汗を拭っていた。ゴールポスト付近で転がっていたFWが起き上がり、茂森から言葉をかけられている。スライディングでボールを押し込もうとしたが、惜しくも飛び出した茂森にボールを奪われた。二、三言葉を交わして頷いている。何かアドバイスを受けているのだろう。残りの二人も近くでそれを聞いていた。
「楽しそうな事をやってるな」
 センターサークルの後方から、要に声がかかる。コーチの泉谷だった。桐嬰が全国区の強豪になった初期の頃に活躍したOBだ。大学部でコーチングを学び、今は桐嬰専属のコーチ。高等部とをかけもちしている。
「誰の案だ?」
「んー…茂森です。で、俺がちょっとルールを付け加えました」
「そうか」
「楽しそうなのはアイツだけっすよ。どんな手を使っても尽く止めてきやがります」
 軽い溜息と共に要はゴール前を指差した。その先に、再びグローブをはめる茂森がいる。
「さっきの組、五十嵐と磐田の連続フェイントで結構翻弄できたと思ったんですけど…結局、焦りを突かれて終わりです」
「ほ~、五十嵐と磐田がフェイントなあ。他には?」
 泉谷はセンターサークル周辺に集まる面々と、要の手元にあるメンバー表交互に見渡す。要はこれまでの経緯を、地面にしゃがみこみ指先で図を描き、メンバー一人一人の動きを細かく説明した。頷いて訊いていた泉谷コーチが、途中からペンを取り出して、手元のボードに要の報告を書き取っていた。
「―というわけで、一度もゴールを奪えず、ですよ」
「ははは」と軽い笑いを飲み込んだ後、泉谷コーチは考え込むように低声で呟いた。
「あいつは本当になあ……どうなることやら……」
「え?」
 言葉の意味を分かりかねて要が訊き返すが、
「それにしても関心だな四条。よく細かく覚えてるもんだ」
 と急に話題の方向を転換される。まるではぐらかすように。
「で、戦略は誰が考えてるんだ?」
 僅かな違和感を覚えながら、要は泉谷の問いに答えた。
「グループそれぞれが、です。それに俺や皆で細かいところを付け加えたり」
 要の答えは泉谷コーチを満足させたようだ。「そうかそうか」と大きく頷いて、コーチは輪を作って作戦会議をしている面々を見やった。
「楽しそうなのは茂森だけじゃないぞ?」
「………」
 促されて要も視を向ける。先ほどよりも更に輪を縮めて、みなで地面に描いた図を真ん中に議論を戦わせている。
「共通の敵がいると人は団結するって、よく言うよな」
「そう、ですね」
 どこで誰が言った言葉かは分からないが、要は頷いた。立ち上がった要の背を二度軽く叩き、泉谷はまた笑みを口元に浮かべた。
「その敵が、強ければ強いほど、絆と連帯感はよりいっそう強くなる。皆、ムキになって楽しそうじゃないか」
「もちろん、お前もな」と付け加えられ、思わず要は目を丸くする。そのうち、輪の一人が「四条~!」と手を振り要を呼んだ。会釈を残してそちらに駆け寄る要の背を再度、泉谷は呼び止める。振り向く要に、自分も二軍がいるグラウンドの方へ体を半分傾けながら、泉谷コーチは言葉をかけた。
「あらかじめ決まったカードを出していってばかりじゃ、茂森にパターンを読まれるぞ」
「決まったカード…?」
「攻撃に参加する三人だけが、プレイヤーじゃない。それは通常のプレイでも同じなんだ」
「?」
 アドバイスの意図を完全に汲み取りかねて、要は眉間に浅い皺を寄せた。その背に再び「四条―」と呼ばれて、軽い会釈を残してセンターサークルに駆け寄る。それを見届け、泉谷は二軍が練習をしているグラウンドへと踵を返していった。
 センターサークルでは、地面にしゃがみこむ清水寺を中心に輪ができていた。
「次、こう行こうと思うんだけど、お前どう思う?」
 地面に描いた図を示しながら、清水寺がたった今ねり上がった戦略を説明する。
「面白そうだな。とにかく、なんでもぶつけてみよう」
『決まったカードでは読まれるぞ』
 泉谷の言葉が唐突に蘇り、脳裏に引っかかる。
『どうすれば三人で「俺」からゴールを奪えるか。それを考えて動いてくれ』
 次いで、何故か茂森の言葉も浮上してきた。
「……どうすれば、三人で「茂森」から……どうすれば三人で…?」
「四条?」
 清水寺達がいぶかしげに顔を覗き込んでくる。
―どうすれば「三人で」俺からゴールを奪えるか
(そういう意味か)
 漠然とした、だが何かを掴んだ気がして要は顔を上げた。
「茂森、次行くぞ!」
 ゴール前に呼びかけると、また「来い!」と返事が上がる。最初の集中力が全く落ちていない様子だ。
「メンバーは?」
「はい」と答えて鴨崎、根岸の一年ツートップ、そしてトップ下に置くと動きが良いと評価の高い、二年のMF正田が前に出る。攻撃的な組み合わせとなった。
「……カモとネギと……しょうゆ(正油)……完璧だな」
 要の呟きに、
「鴨鍋かっ」
 某若手芸人の持ちネタを真似た清水寺が突っ込む。一瞬の静寂の後、
「だからそれはやめてくださいって!」
 と鴨崎の抗議が上がるが、直後に沸いた面々の爆笑にかき消されたのであった。
「楽しそうだなあ」
 茂森は前方姿勢を崩さぬまま、センターサークルでの様子を眺めている。回を重ねるごとに、要を中心に雰囲気が和らいでいくのが、ここからだとよく見えた。それに伴い、攻撃も手強くなっていく。
「カモと根岸とトップ下の正田……正念場だな」
 深く空気を吸って、そして吐き終えた頃、茂森の面持ちから笑みは消えていた。
 このとき偶然、要も全く同じことを考えていた。
(ここが正念場)
 ゴール前の茂森の表情が変わっている事にも気がついている。練習とはいえ、これまで以上に本気で止めに来るだろう。
(この面子で上手く行かなかったら……正直戦力的にもうカードが無い)
 だが、戦うのはこの三人だけではない。
「いきます!」
 手を上げて、鴨崎が小走りに進みだした。根岸もサイドから続く。正田がボールを蹴りだし、三人は逆二等辺三角を描いて緩やかなスピードで進む。正田が左の鴨崎にボールを送り、それが更に根岸に渡り、そしてまた、正田に回された。
「?」
正田に再びボールが回った瞬間、一斉に三人がスピードを上げてゴールに向かう。カモネギツートップが同時にペナルティエリアに足を踏み入れた。まだパスは出ない。逆二等辺三角形のフォーメーションは崩れていない。
「!?」
 キーパー茂森の目つきが変わった。正田がどちらにパスを出すかを読み取ろとする。その視界を妨げるように、鴨崎と根岸が左右から交差するように茂森の前に走り寄った。ペナルティエリアの手前から正田がパスの体勢に入る。逆二等辺三角形はこの時、キーパーの茂森も含めて一本の線を描いていた。
「よし!」
 センターサークル付近からの声の直後、正田がボールを蹴る鈍音がする。同時に、鴨崎が左、根岸が右に傾いだ。
「っ!!」
 突如開いた茂森の視界の中、正田が蹴ったボールが低い弾道を描いてゴール左下を抉ろうとしていた。正田が蹴ったボールは、パスではなくシュート。
「くっ!」
 手では間に合わないと判断したか、茂森の右足が伸びた。
(弾かれる!)
 コンマ数秒前、要の脳裏に結果が映し出される。
「正田、動くな!」
 無意識に要は叫んでいた。
「へ…っ!?」
 背中からの声に正田が反射的に足を止めた。
「ああ!」
 叩きつけるような音をたてて、ボールは茂森の足に当たって弾かれた。糸が切れた風船のように空に上がるボールは鴨崎の頭上へ。すかさず鴨崎が飛ぶ。茂森はボールを弾いた右足で踏み込み、ボールに向かい手を伸ばす。再び平手打ちのような音。
「!」
「っ!」
 空中のボールは、鴨崎の額とパンチングする茂森の拳の間で動きを止めた。
「逃がせ!」
 また、要が叫ぶ。
「逃……っ」
 声に従って反射的に鴨崎は首を後方へ反らした。
「!」
 ボールを留める抵抗が無くなり、茂森の手が前にすり抜けてボールを遠くへ弾いた。その落下点に、正田がいる。
「正田先輩!」
「しまった!」
 鴨崎と共にゴール左側に着地した茂森の目に、シュート体勢に入った正田の姿が映る。体の向きと視線が狙うのは、茂森がいる位置と真逆の、ゴール右隅。
「止める!」
 この日はじめて、茂森が叫んだ。全身のバネを使ってゴール右隅へ飛ぶ。万全の体勢からの正田のシュート、ボールは真っ直ぐ冷たい二月の空気を突き抜けた。
「行け!」
 迷いの無い渾身を載せたボール。全身全霊で止めに行くキーパー。
 スポーツ雑誌のカラー紙面でみた画みたいだ。
 全てがスローモーションのように見えた世界の中、要の脳裏でもう一人の自分が、そんな暢気な事を考えていた。
 音が消えうせた世界の中で、ボールは再び鈍い音を立て、
「っぐ…!」
 くぐもった茂森の声と共に、ゴールライン手前に転がった。その傍に茂森の体がうつ伏せに滑り込んだ。
「な……」
 ボールは茂森の指先に当たり、ゴールライン手前で鋭角にバウンドしたのだ。地面に勢いを殺され力なく転々と転がるボールは、立ち尽くす根岸の足元にたどり着いた。
「っ…あ」
 その瞬間、周囲から人の声が渦となって沸きあがる。「すげえ」という感嘆の声が複数箇所から飛び交った。
「なんだなんだ?」
気がつくと、いつの間にか第一グラウンドを囲む金網の周辺に、人だかりができている。別グラウンドで練習していたはずの二軍や一軍のDF達が様子を観に来ていた。泉谷コーチと監督の姿も遠巻きにある。
 騒がしい声で、要は我に返った。
「ストップ!ネギ、ストップ!」
 声を上げながら、センターラインからゴールに向けて駆け出す。
「キャプテン…」
 転がってきたボールを片足で止め、それを後方にやり過ごして根岸は茂森に駆け寄った。
「っは…」
 息が逆流する音の直後、上半身を起こそうとした茂森が激しく咳き込みだした。胸からまともに落ちたようだ。気道が圧迫され、呼吸が詰まった。なりふり構わずボールに飛びかかり、受身が取れなかったのだ。
「おい、大丈夫か?」
 跪く茂森の背中を、要は手荒に撫でた。
「なんで……」
 咳の合間に掠れた声。赤くなった顔で必死に呼吸をしながら、恨めしそうに要を見上げてくる。
「止めたんだ」
「は?」
「あそこで根岸が蹴ってれば…、ゴールだろ」
「バカかお前は」
 ここまでばっさり切り捨てられれば、逆に清清しい。心底呆れたような顔をする要に、茂森は苦しさを忘れて目を丸くした。
「あんなアホみたいなセービングされちゃ、こっちの負けだろ、どー考えたって」
「ほら、立てるか」と要は茂森の腕をとって立たせる。しばらく呆然としていた鴨崎と正田も駆け寄ってきた。
「いや…」
 俯き呼吸を整える茂森は、ゆるりと首を横に振った。
「正田にボールが行った時点で……俺が負けた」
「なんでだ?」
 訝しげな要と同じように、珍しく大人しい鴨崎も、眉根を潜めて話を聞いている。
「今までで一番オフェンシブな構成で、俺は絶対に正田も前に出てくると思ってた」
 だからパンチングでボールを遠くに飛ばして凌ごうとした。だが正田の動きを止めたのは、要の判断。
 茂森は胸元を押さえて数回、深い呼吸を繰り返す。息が整ったのを確認すると、集まってきた面々に向けて大きな笑みを見せた。
「やられた。凄いな」
「………」
「………でも」
 要が言葉に詰まる後ろから、鴨崎の声。少し震えているように聞こえたのは気のせいか。振り向くと、鴨崎は両脇に垂らした拳を強く握り締めて、茂森を睨み付けていた。
「これが試合なら、あそこでディフェンダーがクリアしてたし、最悪カウンターでこっちがピンチっす!」
(まあ、そうだろうけどな)
 要は内心で同意した。鴨崎の結論は、やはり茂森の護りが攻撃側を圧倒的に上回っていたという事だ。それは要とて、根岸も、正田も分かっている。負けず嫌いな鴨崎からすれば、この状況では到底、勝った気になれるものではない。なのに茂森が笑顔で負けを認めるのが悔しかった。
 悪くなりかけた空気の中、茂森は「うーん」と他所を見ながら首を傾げ、
「それはそれ、これはこれ」
 と両手を左から右へと移動させる仕草と共に、再び笑みを見せた。
「ええ~~…?」
「てか茂森、その手の動きって「それは置いといて」って時に使うものじゃ………」
 ぼそりと呟いたのは、正田。力説がよくわからないボケに受け流されている。敵わないと悟って、鴨崎が助けを求める視線を要に向けてきた。
(また俺がこいつのむちゃくちゃな発言をフォローするのかよ)
 何となく、キャプテンと副キャプテンの関係性の図式が見えてきたような気がした。だが果たして前任のキャプテンと副キャプテンがこういうやりとりをしていたか…なんて事は覚えていない。
「まあ、キャプテンがそう言ってんだからそういう事にしておけ」
「四条先輩!」
「悔しいなら、一対一のPKやFK練習ん時にでもゴールを割ればいい」
 反論を抑えられて、鴨崎は拗ねた子供のように目を伏せる。その時、センターラインの方からホイッスルが鳴った。
「そこまでだ。次のメニュー行くぞ。集合!」
 二軍や一軍DF達を連れて来た西浦監督だ。黒いダウンジャケットを着込む姿は遠目から、巨大な木炭にも見える。正田と根岸が先立って小走りに駆け出す。鴨崎も、名残惜しそうな視線を茂森と要に残し、根岸の後を追って自分も駆け出して行った。
「四条」
 ゴール前に二人残ったところで、横から名前を呼ばれた。顔を向ける事で返事をすると、茂森の静かな横顔が、要に向いた。鴨崎に見せていた笑みは消えている。
「俺は、お前には負けない」
「へ?」
 無の面持ちで静かに告げられた。意味が全く分からず、要は眉間に皺を寄せる。勝つも負けるも、どこにそんな判断材料があるというのか。そもそも、サッカー選手として括れば、要は茂森に敵う立場ではないのに。
 寸時の無言の後、また茂森が破顔する。
「言ってみたかったんだ、この台詞」
 楽しそうに、笑ったのだ。
(ますますわけわからねぇ)
 先にセンターラインに向けて駆け出した茂森の背中を、要はしばらくその場で見送っていた。「1」を示す茂森の背番号が、とても大きく見えた。

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guardians04
04

 理由がよく分からない宣戦布告を受けた。
 一人でゴール前に突っ立ったまま呆然としていると、「コラァ!四条!」と木炭から怒鳴られてしまった。
(そんなにさっきのが悔しかったのか?)
 こっそり横目で茂森の様子を見やると、彼はもういつも通りの大人しそうな横顔で、監督の話を聞いている。「止める」と叫んだ瞬間の面持ちとは大違いだ。あれが彼の本気。試合中も度々見かけた目だ。フリーになったFWと一対一になった時、茂森は殺し屋のような目で相手を威圧する。ホンモノの殺し屋なんて見た事ないけれど、多分あれはそういう目なんだろう。
 一般的に「キッカーはキーパーの目を見るな」と教えられるのは、次の行動を読み取られないためだけではないと、改めて思う。
(あんなありえねぇセーブしといて、物足りないって事かよ)
 要は奥歯を強くかみ締める。
 ボールを逃がせという指示に、鴨崎が最高の動きをしてくれた。正田にボールが渡った時は、「今度こそ」と確信した。
(だけど防がれた)
 確かに要の読みは茂森の裏をかいたかもしれない。だが彼は運動神経をもってそれを上回る補いをしたのだ。何が不満だというのか。
「………」
 よく考えると腹が立ってきた。変な負けん気で宣戦布告される身にもなって欲しい。それに―
(本当なら悔しがらなくちゃいけないのは俺の方だ……)
 感情を素直に表に出せる鴨崎や、妹の哉子は得な性格だなと思った。腹底から沸々とわいてきた複雑な感情をどう処理して良いか、要には分からない。
「四条ー。………四条ー?」
「え、あ、はい」
 遠くから、数回名前を呼ばれて要は我に返った。西浦が手招きしている。
「部室から日誌を持ってきてくれ。鍵の場所は知ってるだろ?」
 部室には、トレーニングメニューファイルや日誌、部費管理ノート等の重要資料や書類を管理する棚があり、その鍵は監督やコーチ陣のほか、部員ではマネージャーやキャプテンと副キャプテンにしか扱いが許されていない。
「日誌?」
 日誌は、練習終了後に部員が日替わりでその日の気がついた事や感想を書いていくものだ。今すぐに必要だとは思えない。訝しげに見上げてくる要の肩を軽く叩き、
「頭冷やして来い」
 と西浦は小声ですれ違い様に言い残して、指示を待つ一軍達の方へと歩いていってしまった。
「……」
 自分はそんなに煮詰まったような顔をしていたのか。日誌を取ってくるよう命じたのは名目で、散歩して頭を切り替えて来いという事なのだろう。内心を見透かされたのは少々悔しいが、この際ありがたい。要は素直に部室に向かう。
 桐嬰のサッカー部用グラウンドは広い。一軍用の練習グラウンドが二つある他、他校との試合や紅白戦等で使う、観戦席を設けた試合用グラウンド、そして二軍用のグラウンドの他、PKやFK練習用の片ゴールだけを有したエリアもある。部室小屋は、それらグラウンドを横断した先に建っており、広いミーティングルームや仮眠室と治療室を有している。
「?」
 ドリブル練習が行われている二軍グラウンド脇を通りかかった時、要は見知らぬ二つの人影を見た。
 練習用グラウンドは高い金網フェンスで区切られている。二人は二軍グラウンドと、倉庫が並ぶ歩道を区切るフェンスの向こう側にいた。一人は男。一人は女。男は黒いダウンジャケットにジーンズ、スニーカーという私服姿で、年恰好は要と同じか、それより若干上に見える。上背があり、髪の毛の色素が薄く、日本人のようでもあり、外国人のようにも見える風貌だ。二軍の練習の様子をじっと眺めている。もう一人の女も、男と似た印象を持っており、緩やかなウェーブがかかった長い髪が印象的な、海外セレブのような美人。こちらは明らかに年上だ。
(……他校の奴らか?てか、外人か?)
「あのー」
 基本的に構内は関係者以外は立ち入り禁止となっており、サッカー部は外部偵察を避ける為に練習は特例を除いて非公開となっている。規則に忠実なつもりは無いが、気付いてしまった以上、仕方なく要はその人物に声をかけた。
「サッカー部に何かご用ですか?」
 二つの視線が、同時に要を向く。通じているのかいないのか、軽く首を傾げた動作が戻ってくるだけで、返事が無い。西に傾きかけた冬の陽光を浴びて逆光となる姿は、西洋絵画のようにきれいだ。
「えーっと……メイアイヘルプユー?」
 思わず見惚れたが、習いたてのフレーズで再び問いかけてみる。もっとも、これが通じたとしても、これ以上しゃべれないのでこの先の会話は成り立たないのだが。
「………」
「………」
 男と女は目を丸くして、何かを言おうと口を開きかけたまま、固まっていた。
(なんだよ…何語なら通じるんだ?)
 さすがに要が気恥ずかしくなってきた頃、
「ぷっ」
 沈黙を破ったのは、女の笑い声だった。
「あははははははは。ソウジ、また外国人に間違われてる」
 顔に似合わず豪快に笑う。しかも、
(バリバリ日本語じゃねぇか)
 まったく淀みない、自然な日本語を話していた。
「笑いすぎ!今の「you」には姉さんも含まれてるんだろが」
 と女を窘める男の日本語も、普通だった。女はひとしきり笑った後、「勝手に入ってごめんなさい」と表情を正した。
「立ち入り禁止だって、知らなかったのよ。フェアじゃないって思われたら嫌だから、すぐ出て行くわ」
「?」
 女の言葉に少し引っかかりを感じるが、要は言及を控えた。
「一つだけ、訊いて良いか」
 と、ソウジと呼ばれた男。金網に指先をかけ、二軍の練習風景を眺めたまま問いかけてきた。
「カズシはここにいないのか?」
「カズシ?」
 すぐに顔と名前が思い浮かばない。
「お前、学年は?」
 首を傾げる要に、男は訝しげに目を細めて違う質問を口にした。
「え、二年、ですけど。今度三年」
「というと、十五……十四歳?」
 言葉を挟んだのは女の方。
「ですけど」
「あら、ソウジと同じじゃない」
 女が笑顔で両手を叩く。
「「え、同い年??」」
 要とソウジ、二つの声が重なった。言葉は同じだが、二人とも正反対の事を考えているようだ。
(デカいな……180以上は余裕であるよな……)
 思わず無遠慮に要はソウジの全身を眺める。日本の中学生でも運動部内であれば170センチ代は珍しくなく、要もようやく170に届くかというところだが、そんな要よりソウジは頭半分ほど大きい。日本人離れした体格や、髪の毛や肌の色素といい、ハーフだろうか。
「じゃあカズシの事も知ってるだろ。あいつも同い年のはずだ」
「カズシねえ…」
 部外者のくせに尊大な態度だな、と思いつつ、要はそれを飲み込んだ。
「ごめんなさいね、この子、言葉と礼儀を知らないの」
 後ろから、女が片目を瞑って微笑みかけてくる。美人にそう言われれば無条件で許してしまうのが、悲しい男の習性。
 背後に「うるさいな」と投げた後、ソウジは要に向き直る。茶色い瞳が冬の陽光を受けて薄い闇をたたえていた。この瞳を、要はいつか見たことがある気がする。
「カズシはゴールキーパーをやってるはずだ。日本のジュニアハイ…えっと、中学サッカーでは有名だって聞いたが?」
 言いながら、再びソウジの瞳が二軍の練習風景に向く。そこにキーパーの姿は無い。中学サッカーで有名なキーパーといえば、この学校では一人しかいない。
「キーパー?茂森、か?もしかして」
 深く考える前に自然と要の口からその名が出た。
「シゲモリ?」
「茂森。茂森一司。有名なキーパーつったら、ウチではこいつしかいないけど?」
 答えながら、そういえば奴の名前は「一司」だったなと思い出した。
「「コクリョウ」じゃないのか」
「コクリョウ?」
 今度は要が繰り返す。弟の独語のような発言に、姉は形の良い目許を細めた。
「ソウジ」
 弟の名を低く呟きそれを窘める。姉の声を受けたソウジは、口内で聞こえない舌打ちをした。
「茂森、呼んで来ようか?ここは二軍のグラウンドだから、あいつはいないよ」
「ううん、良いわ。ありがとう」
 それ以上の会話を制したのは姉の方だった。その面持ちには既に、柔らかい微笑みの仮面が被されている。
「驚かせてごめんなさいね」
 最後にまた微笑んで、姉は不服そうな様子の弟を伴いグラウンドから去って行った。
(何だったんだ?)
 取り残された要は、しばし遠ざかる二人の背中を見送った。疑問符ばかりが頭上を浮遊する。
「まあいいや」
 考えたところで何も解決しない。要は早々に思案を諦めて、部室へ向かった。
 日誌を持って要が戻ると、一軍グラウンドでは二対一のパス練習が行われていた。地面に描いた小さな四角形の中で、二人がパス回しをして鬼役がボールを取りに行く。ボールを外に出したり、鬼にとられたら交代。狭いエリア内で如何にボールをコントロールしてパスを出せるかが鍵だ。
「俺に客?」
 鬼役でボールを追いかけながら、茂森は要の言葉を繰り返した。キーパーは別メニューで練習する場合が多いが、今日はポジション関係なくこの練習に参加している。
「ああ。私服だったから、他校の奴だと思うんだけど」
 要は芥野にパスを出す。またすかさず戻ってくるボールをキープして体をターンさせて、茂森の足から逃げる。
「外人みたいな奴らだったぞ。流暢な日本語話してたけどな」
「外人?」
「男の方は俺達と同い年で、やたらデカかったな。180以上はあると思う。名前は~なんだっけな、新撰組に出てくる奴と同じ名前…ソウジか」
「ソウジ?」
 ボールを追いながら、茂森は首を傾げる。
「それで、その二人は?」
「何もしないで帰ってったけど」
「何の用事で来てたか、聞いたか?」
「さあ。お前を呼んでこようかって言ったんだけど、いいって言われた」
「他には?」
「うーん、別に…」
 と言いかけて、要は一つ思い出す。
「ああ、お前の事を「コクリョウじゃないのか」とか」
「こくりょう………」
 突然、茂森が足を止めた。
「どうした?」と芥野も、止まる。
「茂森?」
 要は足でボールを抑えて止め、立ち尽くす茂森の顔を覗き込んだ。逃げるように、呆然とした視線が泳ぐ。何がまずかったのか。さすがに要は訝しく思い、心配する言葉をかけようとした瞬間、
「もらいっ」
 茂森の足が、要からボールを奪った。
「ちょっ、お前!」
「あははは」
 慌てた要の前で、茂森はつま先で軽く蹴り上げたボールをリフティングして、嬉しそうに笑っている。次はボールを取られた要が鬼役だ。
(こいつマジでタチわりぃーー!)
 奪い返そうと足を伸ばすが、トウとインサイドを巧く使って芥野にボールを回された。また戻されたボールも、リフティングの要領でボールをあしらい、巧みに要の足から逃げる。
「ずる賢い上に器用だなお前っ」
「あはは。ありがとう」
「だから誉めてねぇって!」
「て」と同時に、茂森が蹴り上げたボールを要が膝で横取りする。また鬼が交代した。
「一人で遊んでる事が多かったから、リフティングは得意なんだ」
 要に奪われたボールを再び取り返そうと、茂森の面持ちがまた少し、真剣になる。
「一人っ子なんだ?」
 要からのボールを受けながら芥野が問う。さっき騙された事はもう忘れているようだ。
「ああ。二人は?」
 もちろん、茂森の方もだ。そもそも、元から悪いと思っていない。
「俺は姉貴が一人。大学でバレーやってる」
 何フツーに答えてんだよ、と思いつつ。
「俺んとこは妹」
 と要も渋々短く答えた。
「四条んとこ、双子なんだぜ。しかも兄妹そろって桐嬰。弓道やってんだっけ?」
 何故か芥野が補足する。
「へえ、双子かあ。性格も似てるのか?」
 ボールを追いながら、茂森が要の顔を覗きこんでくる。この顔がこの世にもう一つあるのかあ、とでも思っているのだろう。
「それがさ、全然違うんだよな」
 と、何故かまた芥野。
「カナちゃんは素直な良い子なんだけどな」
「俺の方は素直じゃない悪い子で申し訳ねぇな」
「いでっ」
 芥野から回ってきたボールをわざと強く蹴り返してやった。膝に当たったボールはラインの外へと飛び出していく。また、要が鬼になる番だ。
「ちっ」と小さく舌打ちして、要は遠くへ転がっていったボールを追いかける。
「芥野はそのカナちゃんて子、好きなのか?」
 ボールを追いかけていった要を待つ間、茂森がそんな質問を投げかけた。
「うーん、どうだろうな」
 慌てるかと思えば意外と表情を変えず、唐突な質問をされた方は首を捻って苦笑するだけ。
「確かに良い子なのは本当だけど、顔がアイツと同じだからなあ」
「アイツ」のところで芥野が顎で要の背中を指す。
「すっげー違和感あるぜ」
「あははは」
 茂森が笑ったところで、ボールに追いついた要が踵を返した。何やら自分について笑っている二人の姿が目に入る。
「お前ら笑いすぎ!」
 要は二人に向けて、緩やかにボールを蹴った。

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